広島新交通システム橋桁落下事故の原因と犠牲者!遺体や母親・生存者・幼稚園バスや墓の話・その後現在まとめ

1991年に発生した「広島新交通システム橋桁落下事故」が話題です。

 

この記事では広島新交通システム橋桁落下事故の概要や原因、犠牲者、凄惨な遺体や半狂乱になった母親の噂、生存者や幼稚園バスにまつわる不思議な話や墓を移転させた祟りだとする噂、その後や現在についてまとめました。

広島新交通システム橋桁落下事故は建設中の橋桁が落下し15名が死亡の事故

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

「広島新交通システム橋桁落下事故」は、1991年3月14日の14時5分頃に、広島高速交通の広島新交通1号線(アストラムライン)の広島県広島市安佐南区上安2丁目の工事現場で、据え付け作業中だった、長さ63メートル、重さ60トンの鋼鉄製の橋桁が10メートル下を通る県道に落下して赤信号で停車していた乗用車などに直撃した事故です。

 

投げ出された作業員を含めて15名の犠牲者と8人の重軽傷者を出した大惨事でした。

 

「アストラムライン橋桁落下事故」の名称でも知られています。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故の概要

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

広島市では1991年当時、広島市中心部と広島市北西部を結ぶ広島新交通1号線(アストラムライン)の建設が進められていました。広島新交通システム橋桁落下事故があったのはこの建設工事の広島市安佐南区上安2丁目(現在の広島高速交通広島新交通1号線上安駅付近)の広島県道38号安佐安古市線(現在の広島県道38号広島豊平線)上の工区でした。

 

なお、事故現場となった広島県道38号線は片側2車線の中央分離帯を挟んだ決して広くはない道路でした。

 

1991年3月14日、この現場では仮設置した長さ63メートル、幅1.7メートル、厚さ2メートル、重さ60トンの鋼鉄製の箱型橋桁を、H型鋼を重ねた仮受台に置いたいくつかのジャッキを交互に上下させながら高さを調節し橋脚に据え付ける作業が行われていました。

 

14時5分頃、橋桁を支えていた仮受台とジャッキが弾き飛ばされ、橋桁は橋軸方向に半回転しながら10メートル下の県道38号線上に落下。赤信号で停車していた民間の乗用車など11台を押し潰しました。

 

これにより、乗用車に乗っていた9人と橋桁の上で作業をしていた作業員5人の合計14名が死亡し、9名が重軽傷を負いました。(重傷者のうち1名がその後死亡し、この事故の犠牲者は合計15名に)

 

事故発生後、直ちに消防や機動隊による救助活動が開始されましたが、落下した橋桁が邪魔になり、押しつぶされた乗用車から漏れたガソリンが引火して火災が発生したため、救助作業が難航し、クレーン車で橋桁を撤去し本格的な救助が開始できたのは、事故発生から2時間余りが経過した16時15分頃でした。

 

乗用車に閉じ込められていた生存者は救出されたものの、9人の犠牲者はほぼ即死の状態だったという事です。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故の原因

 

広島新交通システム橋桁落下事故(アストラムライン橋桁落下事故)の原因についてみていきます。

 

 

原因① H型鋼を3段同じ方向に積み重ねて使用する致命的な作業ミス

 

出典:https://www.kozobutsu-hozen-journal.net/

 

広島新交通システム橋桁落下事故が発生した直接的な原因は単純かつ致命的な作業ミスだった事がわかっています。

 

事故のあった広島県道38号線は、片側2車線の狭い道路だったため十分な架設用地を確保できず、橋桁を橋脚上で橋脚に直角方向に移動した後、各橋脚で順々に橋桁を一定量ずつ降下させる作業を繰り返し、最終的に橋脚に固定する「横取り降下工法」が採用されていました。

 

 

この現場では、仮受台上に置いたジャッキを操作して徐々に橋桁を降下させて橋脚上の台に固定する方法が取られ、事故前日までに橋桁の桁の横取りを終了し仮置きが完了し、事故当日は各橋脚上に置かれたジャッキを交互に操作しながら仮受台のH形鋼を抜いて高さを調整して橋桁を降ろし台座に固定する設置作業が進められていました。

 

このジャッキを設置する仮受台はH型鋼を3本積み上げたものでしたが、そのうちの1つ(西側橋脚の南側)が、本来は井桁状(H→エ→Hと交互に積み上げる)べきところを、3つを同じ方向(H→H→Hと積んでいた)に積み上げていました。

 

そのために、1巡目の降下作業を東側橋脚、中央橋脚の順に終えて、西側橋脚上でジャッキアップして仮受け台のH形鋼を1段抜いて仮受け台を組み直す作業中に荷重が不均衡となり、主桁を支えていた3台のジャッキのうち、2台のいずれかで支点反力が変化し、ジャッキの耐荷力を超過。その結果、もう1つのジャッキも主桁の重みを支えきれなくなり、2台のジャッキの仮受台がほぼ同時に座屈して弾き飛ばされ、バランスを失った橋桁が橋軸回りに半回転しながら下の道路へと落下したというのが事故の直接的な原因でした。

 

事件の発生の直前に、ジャッキ操作をしていた作業員の1人(事故の犠牲者の1人)が「ジャッキが異常に重たい」と発言し、異常に気がついていましたが、現場に橋桁の架設工事の経験や横取り降下工法に習熟した人間が皆無であったため、そのまま見過ごされており、これも事故の原因となりました。

 

 

原因② 杜撰な安全管理体制

 

広島新交通システム橋桁落下事故の直接的な原因は現場の作業ミスでしたが、そもそも現場に橋桁の架設工事の経験や横取り降下工法に習熟した人間が1人もいないという状況を作った杜撰な安全管理体制こそが根本的な事故の原因でした。

 

この事故現場の工区を担当していた元請は橋梁メーカーの株式会社サクラダ(現在は消滅)でしたが、下請け会社の選定や指導があまりにも杜撰だった事が問題視されました。

 

一次下請け会社は川鉄運輸株式会社でしたが、橋本体の架設工事の経験がそれまでなく、この工事に関わった社員は半分近くが20年以上の作業経験のあるベテランではあったものの、橋の架設工事の経験はほとんど全く無かったにも関わらず、元請のサクラダの事前指導は全く行われませんでした。

 

実際の現場(作業が行われた橋脚上)では元請のサクラダの社員は誰も監督しておらず、工事統括責任者は降下作業日を知りながら現場におらず、代理人補佐も作業ミスに気づかずにジャッキ下げの指示を与えただけで下に降りています。

 

実際の現場監督は、二次下請け(孫請け)の大成建設工業(東証プライム上場の大成建設とは別の会社)の職員が務めましたが、この職員は1か月前まで事務職員で現場の経験はほぼなく、H型鋼を同じ方向に積見上げるという作業ミスに気が付く事ができませんでした。

 

そして、直接的に現場作業を担当したのは孫請けの大成建設工業(東証プライム上場の大成建設とは別の会社)でしたが、橋桁の架設工事の契約は今回が初めてで実際にジャッキ操作をしていた4人のうち2人は鳶職のベテランではあったものの、現場作業にブランクがあった上、橋の架設工事の経験はありませんでした。残りの2人は2ヶ月前までは眼鏡の加工販売の仕事をしており建築作業員としては全くの初心者でした。

 

つまり、巨大な橋桁を交通規制をしていない県道上でジャッキを使い上げ下げするという作業を、素人同然の作業員が行なっていたという状況でした。

 

こうしたあまりにも杜撰な安全管理体制が広島新交通システム橋桁落下事故を引き起こした根本的な原因となりました。

 

 

原因③ 渋滞を避けるために交通規制を実施していなかった

 

広島新交通システム橋桁落下事故では、広島市が現場の下を通る県道38号線の交通規制を実施しなかった事が犠牲者や被害者を増やす原因になりました。

 

事故現場となった県道38号線は、1日に1万5000台の通行量があり、迂回路も存在しないため交通規制を実施すると大規模な交通渋滞を引き起こすと広島市が主張し、広島県警察もそれに同意したために危険な工事であるにも関わらず交通規制が実施されませんでした。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者(死亡者)は15名

 

出典:https://chugoku-np.ismcdn.jp/

 

広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者(死亡者)は合計で15名でした。

 

事故後の報道では犠牲者は、乗用車に乗っていた9人と橋桁上で作業していた作業員5人の合計14名とされましたが、後に重傷者が死亡しこの事故による死亡と認定されたため、犠牲者は合計で15名となりました。

 

広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者については、当初の報道では氏名や顔写真などが公表されていましたが現在はプライバシーに考慮してか伏せられています。

 

なお、事故現場に近い広島高速交通広島新交通1号線上安駅南階段下にはこの事故の犠牲者の慰霊碑が建立されており、これに犠牲者15名の氏名が刻まれています。

 

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者の遺体の状態

 

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出典:https://kowaiohanasi.net/

 

広島新交通システム橋桁落下事故は、長さ63メートル、重さ60トンの鋼鉄製の橋桁が10メートル下の道路に落下した人が乗る11台の車を押し潰したという凄惨な内容です。

 

そのためか、広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者の遺体はどのような状態だったのかと気になる方も多いようで、ネット上で検索されているようです。

 

広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者の遺体の状態については具体的な事はどのメディアも書いておらず、正確なところはわかりません。

 

ただ、地元紙の中國新聞の1991年3月15日朝刊(事故翌日の朝刊)では、押しつぶされた自動車が高さ約50cmにまで圧縮されたり、車の半分が削ぎ取られたりし、現場一帯に鮮血が飛び散っていたと現場の状況が伝えられていました。

 

路上に一列に並んだ状態で押しつぶされた車は、高さ約50センチにまでなったり、車体の半分がそぎ取られたりし、衝撃のすさまじさを物語っていた。現場一帯には車の油や鮮血が飛び散り、救急車やパトカーのサイレンが交錯し、近所の人たちが青ざめた表情で取り巻いていた。

 

引用:アストラムライン橋げた落下事故、何があったのか 発生時の記事「14人死亡 62トン、車11台つぶす 9人負傷 橋脚に据え付け中」

 

また、救助にあたったレスキュー隊員の1人が遺体を見て思わず「ひどい」と呟いて顔を背けたとの内容も中國新聞の記事の中で伝えられています。

 

こうした内容から推測して、広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者の遺体の状態は訓練されたレスキュー隊員でさえも直視できないほど凄惨な状態であったのではないかと思います。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故で犠牲者の母親が生き残り半狂乱の噂も

 

広島新交通システム橋桁落下事故の悲惨さを示す内容として、事故発生直後のテレビニュース報道の中で、犠牲者の母親が「娘が!娘がつぶれちゃったんです!娘が」と半狂乱になりながら言っていたと伝えられています。

 

ネット上ではこの光景を覚えている方が、助手席の娘だけが潰されて、運転席にいた母親だけが生き残って救助されたとこの事について説明されています。

 

ただし、この生き残った母親の実際の映像は残されていないため、実際にあった事なのか真偽は不明です。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故の生存者

 

出典:https://chugoku-np.ismcdn.jp/

 

広島新交通システム橋桁落下事故の生存者は、8人の重軽傷者と事故に巻き込まれるも大きな怪我を負わず無事だった方が合わせて20名以上いたようですが、生存者については詳しい情報はありません。

 

ただし、事件翌日の中國新聞の1991年3月15日朝刊には、何人かの生存者の方のコメントが掲載されていました。

 

「突然車の屋根が潰れて目の前が真っ暗になった」、「助手席に座っていた前方の橋桁がゆらっと動くのが見えた。その直後にドカンという大きな音がして…ふっと気づいて横を見たら運転席がぺちゃんこにつぶれていた」、「走っていたら突然車の屋根が潰れ、助手席にいた母親の姿見えなくなった」など、生存者の方が事故発生時に見た光景が語られています。

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広島新交通システム橋桁落下事故では幼稚園バスにまつわる不思議な話も

 

出典:https://onmyoji-stage.jp/

 

広島新交通システム橋桁落下事故にまつわる不思議な話や怖い話も伝わっているので紹介しておきます。

 

広島新交通システム橋桁落下事故があった当日、遠足帰りの園児たちを乗せた幼稚園バスが近くを走っていました。

 

しかし、事故の少し前に、幼稚園バスに乗っていた園児の1人が「おしっこをしたい」と言い出したそうです。先生は最初は「もうちょっとだから我慢しようね」となだめようとするも「どうしてもしたい」と言って聞かないため、幼稚園バスは仕方がなく近くのパチンコ屋に寄り、そのトイレを借りて園児に用をたさせたそうです。

 

そしてその直後に広島新交通システム橋桁落下事故が発生。園児がおしっこをしたいと言い出さなければこの幼稚園バスは事故にちょうど巻き込まれていたタイミングでした。

 

広島新交通システム橋桁落下事故の数年後、この話を聞いたあるテレビ局がそれを番組で取り上げようとして関係者への取材を行いました。ところが、既に小学生になっていた当時の園児たちは全員がその出来事を覚えていたものの、誰1人として「おしっこをしたい」と言い出した園児が誰だったのかを思い出せなかったそうです。

 

当然、「おしっこをしたい」と言い出した本人も見つかりませんでした。

 

テレビ局は諦めず、何人もの元園児や先生に話を聞き、あやふやながらも2人の元園児の名前が上がったそうです。しかし、そのうちの1人は当日は風邪をひいて休んでおり、もう1人も遠足の前に引っ越していて、2人ともその日の幼稚園バスには乗車していませんでした。遠足の記念写真にもこの2人は写っておらず、結局誰が「おしっこをしたい」と言い出したのか現在もわかっていないそうです。

 

この事から、何か不思議な力が働いて幼稚園バスを遅らせ、園児たちの命を守ったのではないかとの噂が生まれました。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故は墓を移転させた祟りだという怖い噂も

 

出典:https://i.ytimg.com/

 

広島新交通システム橋桁落下事故にまつわる怖い話として、墓を移転させたため、その祟りだったのではないかとする噂も存在します。

 

この噂によれば、広島新交通システム橋桁落下事故があった場所にはかつて小さな墓地があり、道路を通す際に別の場所に移転させたのだそうです。

 

この墓の数が15で、広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者の人数と一致するため、墓を動かした祟りだったのではないかという噂が地元住民の間で囁かれたというものです。

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この怖い話には別のパターンもあり、15人の無縁仏の墓があったが広島新交通システムの建設工事のために取り壊す事になり、その祟りだという話になっています。

 

どちらのパターンも噂話で実際にこの場所に墓があった事を示す証拠はありません。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故のその後① 事故後の影響など

 

広島新交通システム橋桁落下事故のその後についても見ていきます。

 

広島新交通システム橋桁落下事故の後、広島市は交通規制は実施しないという方針を変えて全ての工区を全面通行止めとし、迂回路を設置して工法もクレーンで直接設置する方法に変更しています。

 

その後(1992年3月)、事件現場に近い上安駅南階段下に犠牲者の慰霊碑が建立されています。

 

事件の根本的な原因を作った元請会社のサクラダに対しては公共工事入札指名停止処分の営業停止などの厳しい処分が下され、その後業績が低迷して2012年に破産申請を行い、2020年1月に法人格が消滅しています。

 

また、広島新交通システム橋桁落下事故が教訓とされ、全国的に危険が予測される工事現場では交通を規制する措置が徹底されるようになり、作業員の安全教育も強化されるようになりました。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故のその後② 裁判

 

広島新交通システム橋桁落下事故ではその後、工事関係者が業務上過失致死罪で起訴され刑事事件として裁判になりました。

 

その後、現場代理人に禁錮2年6ヶ月の実刑。橋梁工事部長(工事統括責任者)に禁錮2年執行猶予3年、現場代理人補佐に禁錮2年6ヶ月執行猶予4年の判決が言い渡されています。

 

また、犠牲者の遺族や被害者も工事担当会社や広島市を相手に損害賠償を求める裁判を起こしました。

 

この民事裁判では、元請けのサクラダと一時下請けの川鉄運輸株式会社及び、発注者である広島市の過失責任が認定され損害賠償が命じられています。

 

しかしその後、広島市はこの判決を不服として控訴し、控訴審で原告側が迅速な裁判を求めて広島市に対する請求権を放棄して裁判は終了しています。

 

 

広島新交通システム橋桁落下事故の現在

 

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広島新交通システム橋桁落下事故は現在も、建築現場での安全意識を啓蒙する場面で教訓としてよく例に挙げられています。

 

事故の翌年に建立された慰霊碑は現在もあり、毎年の事故発生日には広島市長、副市長、道路交通局長の3人が訪問しています。この慰霊碑は現在も地元住民によって綺麗に掃除され、献花やお供えが途絶える事がないそうです。

 

 

まとめ

 

今回は、1991年3月14日に広島市で発生した「広島新交通システム橋桁落下事故」についてまとめてみました。

 

広島新交通システム橋桁落下事故は、工事を担当した会社の杜撰な安全管理と、工事現場での致命的なミスが原因となって引き起こされました。

 

広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者は、落下地点の道路で赤信号で停車していた乗用車に乗っていた方と工事作業員の合わせて15名でした。

 

広島新交通システム橋桁落下事故では、長さ63メートル、重さ60トンの鋼鉄製の橋桁が落下して自動車を押しつぶす凄惨な事故でした。犠牲者の遺体は酷い状態だったと思われますが、具体的な情報は明かされていません。この事故後に犠牲者の母親が「娘が潰された」と半狂乱になって訴えていた光景を覚えている方があるようです。

 

広島新交通システム橋桁落下事故の生存者については情報がありませんが、事故翌日の地元新聞では生存者のコメントが掲載されています。

 

広島新交通システム橋桁落下事故では、事故現場を通るはずだった幼稚園バスが事故を回避したという不思議な話や、墓を移転した祟りによって引き起こされたとする怖い噂なども伝わっています。

 

広島新交通システム橋桁落下事故のその後、工事現場の安全管理がより厳しくみられるようになり、裁判では現場の管理者に有罪判決が言い渡されています。

 

現在は、広島新交通システム橋桁落下事故の犠牲者の慰霊碑が建立されて献花やお供物が絶えず、毎年、広島市長らが訪れています。

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