1997年に神戸市で起こった神戸連続児童殺傷事件の犯人である少年A・酒鬼薔薇聖斗の本名は東慎一郎です。
東慎一郎の生い立ちや実家、家族(父親・母親・兄弟)と中学エピソード、母親の異常なヤバさ、事件の概要と現在の本名や住所、結婚・嫁や子供などをまとめました。
この記事の目次
- 東慎一郎は神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗(少年A)の本名
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の生い立ち
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の実家と家族構成(父親・母親・妹)
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の中学でのエピソード
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)は母親との関係でゆがみが生じた?
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)は父親と母親に「帰れ、ブタ野郎」
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の父親・母親は『「少年A」この子を生んで……』を出版
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の母親の異常性がヤバい
- 東慎一郎が起こした酒鬼薔薇聖斗と神戸連続児童殺傷事件
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の事件後
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の家族のその後
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在①:本名を西岡真に改名?
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在②:出所後に仕事を転々
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在③:絶歌出版&Web開設
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在④:住所が特定&取材に恫喝
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在⑤:結婚して嫁と子供がいる?
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在⑥:家族と縁を切っている
- 東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)のまとめ
東慎一郎は神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗(少年A)の本名
出典:twitter.com
東慎一郎は1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗(少年A)の本名です。インターネット上では「東真一郎」と記載してあるものもありますが、東慎一郎で間違いないでしょう。
東慎一郎は神戸連続殺傷事件を起こした時は14歳の中学3年生でした。本来なら少年法に守られ、本名や顔写真は公表されないはずですが、新潮社の写真週刊誌「FOCUS」が「審判に付される前」のタイミングを狙って、酒鬼薔薇聖斗の顔写真と本名を掲載しました。
その本名が「東慎一郎」だったのです。また、1997年当時は少しずつインターネットが普及し始めた時期で、たとえFOCUSが酒鬼薔薇聖斗の本名と顔写真を掲載していなくても、インターネットで広がっていくのは時間の問題だったと思われます。
また、東慎一郎は2004年3月に仮退院していて、その後は名前を変えて生活しているようですが、週刊誌等が「酒鬼薔薇聖斗のその後」として取材していることもあります。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の生い立ち
東慎一郎は1982年に神戸市で生まれました。どのような生い立ちを過ごし、事件を起こすことになったのでしょうか?
3人兄弟の長男
出典:twitter.com
東慎一郎は3人兄弟の長男として生まれ、母親からはかなり厳しくしつけられたようです。裁判では次のようなことが明らかになりました。
母は生後10か月で離乳を強行した。(中略)1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがある》(判決文より)
精神医学用語でいう「愛着障害」の可能性に触れ、さらに母は排尿、排便、食事、着替え、玩具の片付けに至るまで、躾には極めて厳しく、スパルタ教育を施していた
また、生後10か月で離乳を強行したことで母親との愛着形成に悪影響を及ぼし、さらに弟が生まれたことで母親からの愛情が十分に注がれなかった可能性があります。
祖母に溺愛されて育つ
母親からの愛情が不十分だった東慎一郎は、祖母から溺愛されて育ちました。酒鬼薔薇聖斗の手記には次のように書かれていました。
祖母が亡くなってからも、僕はよく祖母の部屋へ行き、祖母と一緒に過ごした想い出に浸った
引用:神戸連続児童殺傷事件から18年、手記を発表 あの酒鬼薔薇聖斗はここで生きている(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)
母親は弟たちの世話に追われていて、母親からの愛情が不足してたから、それを祖母が埋めるような形だったようです。
祖母の死と共に異常性が出てきた?
しかし、最愛の祖母は東慎一郎が小学5年生の時に亡くなりました。自分に無償の愛を注いでくれていた人がいなくなってしまったことで、東慎一郎の中の均衡が崩れてしまったのか、異常性が出てくるようになりました。
彼は、祖母の部屋の押し入れから祖母が愛用した按摩器を見つけ、それを性器に押し当てたことで、精通を経験したのだと本書で告白している。
引用:神戸連続児童殺傷事件から18年、手記を発表 あの酒鬼薔薇聖斗はここで生きている(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)
それから、次のような行動を起こすようになっていきました。
・空き瓶にナメクジを集めて解剖をする
・祖母の愛犬が残した餌を野良猫が食べたことに激昂し、カッターナイフで猫を惨殺
祖母の死をきっかけにして、東慎一郎の中で「黒い感情」・「酒鬼薔薇聖斗となるもの」がムクムクと湧き出てきてしまったのかもしれません。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の実家と家族構成(父親・母親・妹)
東慎一郎の実家は兵庫県神戸市須磨区にあります。東慎一郎が通っていた中学校の周辺は団地が多い住宅街でしたので、東慎一郎の自宅もその団地の中にあったのかもしれません。
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東慎一郎は祖母が亡くなった後は5人家族で生活していました。
・母親
・東慎一郎
・弟2人
東慎一郎の家族について、詳しく見ていきましょう。
父親は多忙
東慎一郎の父親は仕事で多忙な人だったそうです。たまの休日にはゴルフに行ってしまい、家族で休日を過ごすようなタイプではありませんでした。
また、東慎一郎に対してはとことん無関心で、息子がナイフや斧を所持していることを知っても、特に何も注意せず、所持している理由を聞こうともしなかったようです。また、東慎一郎が虐殺した猫の死骸が軒下から見つかっても、息子に注意することすらありませんでした。
しかし、神戸連続児童殺傷事件で息子の東慎一郎が逮捕された時には「寝耳に水」の状態でした。
まさか淳君の事件にAが関わっているとは、正直言って想像もできませんでした。
「A君を容疑者として今、取り調べをしています」(中略)
あまりのことに、記憶も途切れ途切れにしか残っていません。
引用:「少年A」を産んだ母親の悲しすぎる思い 息子に「生きる資格」はあるのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
中3の息子がナイフや斧を持っていて、猫の死骸もあったのに、逮捕は想像もできなかったというのは、本当に息子に対して無関心だったのでしょう。
母親は関係性が希薄
東慎一郎の母親は、生い立ちでも説明したように東慎一郎に対して、スパルタ式で厳しくしつけていました。
そして、母親と東慎一郎の関係性は良い状態とは言えませんでした。
Aが長年母親に愛されていないと感じており、厳しい躾を虐待と捉え、それらが自己肯定感を欠落させる原因になったことは、裁判時の精神鑑定からも明らかです。
東慎一郎は母親から愛されておらず、虐待を受けていると感じていたようです。また、この母親は世間一般的な常識から考えると、やや非常識なタイプでした。母親の異常性については、この後詳しく説明します。
弟が2人
東慎一郎は弟が2人いました。母親は4年間で3人の子供を産んだことがわかっていて、上の弟は東慎一郎が1歳の時に生まれていますので、上の弟とは1歳差、下の弟とは3歳差でしょう。
東慎一郎が逮捕された後は、2人の弟たちも連日連夜、警察で事情聴取を受けて、東慎一郎の事件前後の行動・言動などを聞かれたそうです。
東慎一郎は母親に愛されていないと感じていた不満のはけ口は弟に向いていたようです。
兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いてもAは手加減せず暴力を止めなかったそうです。母親は相当Aに体罰を加えたといいます。Aは母親を恐れるようになっていました。
引用:「絶歌」元少年Aの犯罪、原因は母親にあった? | ミセス・パンプキンの人生相談室 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
弟の世話に母親が追われる
→母親に愛されていないと感じる
→兄弟げんかで弟に不満をぶつける
→母親が罰として東慎一郎に体罰
→母親に愛されていない
→弟に不満をぶつける
このような悪循環に陥っていたのかもしれません。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の中学でのエピソード
東慎一郎は神戸市須磨区にある神戸市立友が丘中学校に通っていました。事件・逮捕当時、東慎一郎は中学3年生でした。
中学校では入学当初から問題行動が見られ、両親に東慎一郎を精神科に受診させるように促していました。中学の校長と担任は、東慎一郎に対して次のような印象を持っています。
・表情は乏しい
・教員の顔を見ない
・言葉が届かない
また、神戸連続児童殺傷事件が起こり、中学校の校門に被害者児童の頭部が置かれたことで、教員の間では「東慎一郎がやったのでは?」という認識が広がっていたそうです。
それでも、教員の一部にはうちの学校で事件をやったとするならばAではないかという認識が煙のように漂っていたという。岩田はそういう話を聞くたびに「軽々しく口にすべきではない」と制止したが、岩田も「ひょっとしたら」と思っていたという
中学校の教員の間で「あいつかも・・・」という雰囲気があったということは、東慎一郎は日常的に問題行動が見られていたということでしょう。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)は母親との関係でゆがみが生じた?
東慎一郎は母親との関係性が希薄であり、「愛されていない」と感じ、さらに虐待を受けていると思っていたことがわかっています。
東慎一郎は小学3年生の時に母親のことを「まかいの大ま王」と書いています。
実際、Aは小3の時の作文で、「お母さんはえんまの大王でも手がだせない、まかいの大ま王です」と書いており、この“母との歪な関係”がAの凶行を生んだ発端だと、逮捕直後からメディアでも盛んに叫ばれていた。
東慎一郎は母親を常に恐れていました。そして、小学5年生の時には自分を守ってくれる存在だった祖母が死んでしまった。そして、精神のバランスが崩れてしまった東慎一郎は弟とのけんかで不満を発散するのではなく、小動物を虐待・惨殺することで、不満を発散していったのかもしれません。
もちろん、東慎一郎と同じ境遇で育ったら、必ず神戸連続児童殺傷事件を起こすというわけではありません。しかし、家庭環境・母親との関係が東慎一郎の根本的な部分に影響を及ぼし、事件に大きな影響を与えたことは間違いないと言えるでしょう。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)は父親と母親に「帰れ、ブタ野郎」
出典:president.jp
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)は、1997年6月28日に逮捕されました。それからは、家族との面会は許可されず、父親と母親が東慎一郎と面会することができたのは、逮捕から約3ヶ月後の9月18日のことでした。
3ヶ月ぶりに息子に会った父親は、「誰が何と言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族5人で頑張って行こうな」と東慎一郎に声を掛けます。しかし、東慎一郎は次のように怒鳴りました。
逮捕後、面会に行くなり浴びせられたのは「帰れ、ブタ野郎」の言葉。
引用:「少年A」を産んだ母親の悲しすぎる思い 息子に「生きる資格」はあるのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
「帰れ!ブタ野郎」。すごいパワーワードです。約3ヶ月間、警察の取り調べを受け、会えるのは弁護士のみ。もちろん、警察からはそれなりに厳しい取り調べを受けたはずです(もちろん暴力や恫喝はなくても)。
5人の児童殺傷事件を起こしても、東慎一郎は中学3年生。家族が恋しくなるはずの年齢です。
それなのに、3ヶ月ぶりに会って、しかも優しい言葉を掛けられたのに、出た言葉は「帰れ!ブタ野郎」。しかも、15分間の面会の間はずっとすごい形相で両親をにらんでいて、「帰れ!」と怒鳴り続けていたとのこと。
よほど両親に対して憎しみが大きかったのでしょう。この面会の時のエピソードが、東慎一郎と父親・母親の関係性を如実に示していると言えるでしょう。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の父親・母親は『「少年A」この子を生んで……』を出版
出典:amazon.co.jp
東慎一郎の父親と母親は、『「少年A」この子を産んで……』という本を1999年に文藝春秋から出版しています。この本は母親の手記と育児日記、父親の日記で構成された内容ですが、この本を読むと、両親の認識と東慎一郎の認識には大きな差があることがわかります。
父親は育児に参加していたし、平凡な家庭だったと述べています。また、母親は体罰を加えた認識はなく、「お尻をパーンを叩いてたしなめた記憶があります」という程度だったようです。
でも、実際は父親は東慎一郎に無関心。母親は東慎一郎に虐待のような体罰(東慎一郎は虐待だと思っていた)をしていました。
この『「少年A」この子を産んで……』はベストセラーとなり、1999年の年間ランキングは14位、2001年時点での発行部数は52万部となっています。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の母親の異常性がヤバい
酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎はサイコパスとも言われていて、かなりヤバい人物であることは間違いありませんが、その母親の異常性もヤバいんです。
息子(少年A・東慎一郎)をかばうために暴言
東慎一郎は中学入学時点で、いろいろ問題行動を起こしていました。そして、母親はその問題行動に対してきちんと向き合おうとしなかったようなんです。
東慎一郎が小動物を虐殺していたのを見かねた近所の人が、それを注意したら、母親は「うちの子はそんなことしません!」と怒鳴って逆ギレしたことがあるそうです。
また、東慎一郎が女子生徒の上履きを焼却炉に入れた時には、母親が学校に呼び出されましたが、母親は「女の子は口がありますからねぇ」とまるで女子生徒が嘘を言っているかのように言い訳し、反省の色は全くありませんでした。
さらに、東慎一郎が被害者の土師淳くんを陰で殴る蹴るをしてイジメていたことが発覚した時、「あの子は、六年生になってから仲の良かった友だちとクラスが別々になって、きっと寂しかったんやわ」と言い放ち、土師淳くんの母親に最後まで謝ることはなかったとのことです。
息子可愛さにそのような態度をとったとも考えられますが、東慎一郎は「母親から虐待されている」と思っていて、親子関係は良好とは言えない状態でした。
それを考えると、東慎一郎の母親は息子可愛さに逆ギレしたのではなく、自分が恥をかかされたと思って、自分可愛さに逆ギレしたのかもしれません。
このようなエピソードを聞くと、「酒鬼薔薇聖斗の母親もヤバい人なんだな」と感じてしまいます。
被害者家族にひどい手紙を郵送
東慎一郎の母親は『「少年A」この子を産んで……』の中で、次のように書いています。
「私たちは未だに信じられなくて混乱してて弱って寝込んでるのに
イタ電かかってくるし、マスコミは押しかけるし、弟たちは学校行けないし、スーパーにも行けないし本当に困りました」
確かに、本当に困っていたと思います。でも、未成年の中学生の息子があのような大事件を起こしてしまったのです。本心はともかく、表向きだけでも「混乱して弱って寝込んでいるのに、イタ電かかってくるし困る」のようなことは言うべきではなかったと思います。
だって、被害者たちは「弱って寝込むこと」すらできないのです。
しかも東慎一郎の母親は、これを手紙に書いて、被害者遺族にも郵送したというのです。これを被害者遺族に送るというのは、正気の沙汰ではありません。これを送ったら、「私たちも辛くて被害者だから許してね!」と言っているようなものですから。
2万円500年ローン発言
神戸連続児童殺傷事件の民事裁判では、酒鬼薔薇聖斗(東慎一郎)の両親に、被害者遺族の土師さんに対して1億円以上の損害賠償を命じました。
この時、母親は「毎月2万円ずつ払います」と発言し、裁判官からお叱りを受けたそうです。1億円以上の損害賠償を命じられているのに、毎月2万円ずつ支払った場合、支払いを終えるまでに約500年かかる計算です。
東慎一郎の母親は、月2万円で500年ローンを組もうとしたことになります。そりゃ、裁判官も怒りますよね。
「少年A」この子を生んで……の印税で家建設?
東慎一郎の母親は『「少年A」この子を産んで……』を出版した後、その印税は自分たちのために使ったという噂があります。
神戸連続児童殺傷事件の民事裁判で、東慎一郎の両親は土師さんへの賠償で1億420万円、山下さんに8000万円、もう一つの示談金も入れると1億9226万円の賠償金支払い義務があります。
しかし、東慎一郎の母親は印税を賠償金には使わず、故郷に家を建てるために使ったというのです。
358 :名無しさん@4周年:04/03/12 04:49 ID:+Sil73Iy
>>340
ほんとかどうかしらんけど、キティ母が本の印税を被害者に渡さない言い訳として
「弟たちが大学に入る費用がいるから」と言ったという書き込みを見たが・・・実際はその印税はH県の新居に使われたというが。
ただ、これはほぼ確実にデマである可能性が高いです。東慎一郎の両親は賠償金を支払うために本を出版しています。
平成19年3月時点で、土師さんには4000万円、山下さんには3300万円お支払いすることができました。
A君が毎月送ってくるお金と、ご両親からの分もありますが、原資が一番大きいのは本の印税です。やはり本を出す以外になかったし、出すならちゃんとした本でないといけなかった。
引用:「少年A」の家族を22年間、支え続けた男がいた 「2億円の賠償金」をどう支払うか (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
2019年の時点で印税は1億円近くになっているとのことですので、それを賠償金に当てているのは間違いないでしょう。
それなのに、母親は自分の家を建てるために印税を使っているという噂が出たのは、母親のほかのエピソードがそれだけ強烈だからかもしれません。
相手の感情を逆なでする自分優先の行動
東慎一郎の母親の異常な行動は、まだまだあります。土師淳くんが5月24日に行方不明になった時(東慎一郎に殺害されたため)、地域の人たちが淳くんを捜索することになりました。
しかし、母親は「留守番」と言って、土師淳くんの家に上がり込みました。ここまではまだ良いですよね。確かに、土師淳くんの家族はみんな捜索に出ていたら、連絡係などのために留守番は必要ですから。
でも、東慎一郎の母親は土師淳くんの家でたまごっちで遊び始めたんです。しかも、「警察まだー?」と言ってみたり、自分の息子の自慢話をしたりして、最終的には土師淳くんの親戚の人に追い出されています。
そして、土師淳くんが遺体で見つかり、お葬式になった時、土師淳くんの御両親は土師淳くんの顔を見ることができませんでした。首を切断された状態の遺体でしたし、ナイフで両目を突き刺し、瞼を切り裂いて、口から耳にかけて切り裂かれていたので、土師淳くんの御両親の気持ちは十分に理解できます。
でも、東慎一郎の母親は「最後やねんからちゃんと見たり。”なんぎやなあ”」と土師淳くんの御両親に言い放ったのです。
もちろん、東慎一郎の母親はこの時点では自分の息子が酒鬼薔薇聖斗であるとは知りませんでした。それでも、あまりにもデリカシーのない言動ですね。
どこか他人事?
東慎一郎の母親の言動は、いつもどこか他人事でした。事件から24年経った2021年に週刊新潮が東慎一郎の母親を取材したところ、次のように発言したそうです。
「地獄です。24年、地獄です。下の子らも学校をやめないといけないし。普通の、一般家庭が、ですよ……。地獄です、ほんまに」
地獄なのは被害者遺族だと思うのですが・・・。また、ご遺族への謝罪についても、次のように答えました。
――ご遺族の土師さんに対しては?
「死ぬまでに一回は会ってお詫びしたいというのは、弁護士の先生には伝えとるんですけど。直接、お詫びをしない限りはずっと、私は、もう、ずーっと、沈んだままです」
「直接、お詫びをしない限りはずっと、私は、もう、ずーっと、沈んだままです」ということは、直接謝罪をすることができたら、スッキリ&終わり!ということでしょうか。
24年という長い年月が経っているので、ある程度は罪の意識・謝罪しなければいけないという気持ちが薄らいでいくのは仕方がないのかもしれません。でも、母親の言動を見ていると、神戸連続児童殺傷事件と酒鬼薔薇聖斗は、どこか他人事に感じていたように思います。
極めつけの一言はこちらです。
――手紙も来ない?
「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」
関西弁だから余計に軽く聞こえるのかもしれませんが、「(息子の東慎一郎からは)来ません。縁切ったんちゃいます?」というのはあまりにも軽すぎます。
やはり、東慎一郎の母親は異常性が目立つ人物であると言えるでしょう。
東慎一郎が起こした酒鬼薔薇聖斗と神戸連続児童殺傷事件
酒鬼薔薇聖斗と神戸連続児童殺傷事件の概要を見ていきましょう。神戸連続児童殺傷事件は、1997年2月~5月にかけて、酒鬼薔薇聖斗を名乗る犯人(東慎一郎)が起こした事件で、2人の児童が殺害され、児童2人が負傷しています。
第一の事件
出典:sun-tv.co.jp
第一の事件は、1997年2月10日に起こりました。2月10日16時35分ごろ、神戸市須磨区の路上で、小学6年生女の子2人が後頭部を金づちで殴り、1人の女の子に全治1週間のけがを負わせました。
被害者の女児2人は、犯人がブレザーを着ていて学生かばんを持っていたため、近隣の中学校に生徒写真を見せてほしいと開示請求をしましたが、拒否されてしまいました。
もし、この時に生徒写真を見せて、犯人が東慎一郎であると特定できていたら、第二、第三の事件は起こらなかったかもしれません。
第二の事件
出典:prtimes.jp
第二の事件は3月16日午後0時25分に起こりました。神戸市須磨区の公園で、東慎一郎は小学校4年生の女児に手を洗える場所がないかを尋ねます。そして、学校に案内してもらってから、その女の子を金づちの一種である八角玄翁で殴りつけて逃走しました。
女の子は病院に搬送されましたが、脳挫傷で3月23日に亡くなりました。
女児を殴ってから10分後の午後0時35分ごろ、小学3年生の女児の腹部を小刀で刺して2週間のけがを負わせています。傷は背中の静脈の一歩手前まで達していて、もし静脈まで達していたら、救命できなかったと言われています。
第三の事件
そして、第三の事件。
5月24日に東慎一郎は人を殺したいという欲望を抑えられなくなり、自転車で家を出たところ、偶然に土師淳くんを見つけて、首を絞めて殺害しました。殺害した遺体は一旦隠し、東慎一郎はその後に友達と遊んで自宅に帰っています。
翌日に再び遺体を隠しいた場所に行き、首を切断して、遺体の顔を傷つけています。そして、5月26日に遺体の首を自宅に持ち帰りました。
遺体の遺棄と「酒鬼薔薇聖斗」の手紙
出典:prtimes.jp
5月26日に中学校の校門に遺体の首を晒すことを思いついた東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)は、自宅で次のような手紙を作成します。
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLL KILL学校殺死の酒鬼薔薇
そして、5月27日の深夜(午前1時~3時頃)に中学校の校門に遺体の頭部を置き、口にはその手紙を咥えさせました。
神戸新聞社宛に手紙
東慎一郎は6月2日の夜に神戸新聞社宛てに犯行声明文を書き、6月4日に神戸新聞社に届きました。
報道で「酒鬼薔薇(さかきばら)」を「おにばら」と呼んだことに抗議し、自分の存在をアピールするためにこの犯行声明文を出しました。
この犯行声明には、犯人しか知りえない「秘密の暴露」もあったことから、ただのいたずらではなく、本当に酒鬼薔薇聖斗からの犯行声明であることが証明されています。
逮捕と判決
出典:president.jp
6月28日に、酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎は逮捕されました。日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件の犯人が14歳の中学3年生だったことで、ニュースやワイドショーは連日センセーショナルに報じました。
そして、少年審判が始まる前の7月9日に東慎一郎の顔写真と実名報道が行われ、酒鬼薔薇聖斗の報道は過熱していきました。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の事件後
1997年10月13日に神戸裁判所は、東慎一郎を医療少年院措置が相当と判断し、関東医療少年院に移送されました。2001年には治療が順調であるとして、東北少年院に移送されています。
東北少年院では院生からいじめを受けていましたが、ひょんなことから酒鬼薔薇聖斗であるとバレたそうです。院生から「お前、あの酒鬼薔薇聖斗なのか?」と聞かれたら、ニヤッと笑って頷いたとのことです。その後、院生からのいじめがひどくなり、2002年の夏には半裸状態で奇声を発して、ボールペンを振り回し、カッターナイフで自分の性器を切りつけるという自傷行為を起こしています。
そんな行動があったため、2002年7月に神戸家庭裁判所は東慎一郎の収容継続を決定しています。
それから約1年半後の2004年3月に、東慎一郎は仮退院し、2005年1月1日に本退院が認可されました。仮退院した際は、遺族にその旨が報告されたとのことです。
2人を殺害し2人にケガを負わせたのに、事件から7年弱で仮退院できてしまうんですね。少年法があるとはいえ、遺族は納得できないと思います。
また、奇声をあげてカッターナイフで性器を切りつけてから2年以内に仮退院できたというのも、「本当に大丈夫なのかしら?」と不安になってしまいます。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の家族のその後
東慎一郎が酒鬼薔薇聖斗として逮捕されたことで、家族の生活は一変しました。
父親と母親は一時離婚
東慎一郎が酒鬼薔薇聖斗として逮捕されたことで、家族はすぐに実家を離れました。東慎一郎は6月28日に逮捕されましたが、その日の家宅捜索が終わった後に長年住み続けていた実家を離れ、父親・母親・弟2人は親戚の家を転々とすることになります。
マスコミから姿を隠すために、父親と母親は一時的に離婚しています。また、父親は仕事にも行けなくなったために、東慎一郎の学資保険を切り崩して生活をしていたそうです。
ただ、現在は父親と母親はよりを戻し、一緒に住んでいます。週刊新潮の取材によると、2021年時点では東慎一郎の両親は関西の地方都市の古びたマンションで暮らしているとのことです。
兄弟は改姓して実家を離れる
東慎一郎の2人の弟は事件後に名前を変えています。姓名を変えて、さらに兵庫県から遠く離れたところで両親と離れて生活していたそうです。
上の弟は大学の工学部に進学しましたが、その後にアニメの学校に通っていて、下の弟は高校中退で働いているという情報はありますが、真偽のほどは分かりません。
ただ、2021年時点でも両親とは交流があり、元気に暮らしていることは間違いないようです。
――元少年Aの兄弟はどうしている?
「生きてます」
――お二人とも?
「元気にしています」
弟2人は兄の東慎一郎の犯行のせいで、10代前半にして人生超ハードモードでが決まってしまいました。2人の弟は事件の被害者・家族を除いた場合、東慎一郎の最大の被害者と言えるかもしれません。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在①:本名を西岡真に改名?
出典:ameblo.jp
東慎一郎は、2004年3月に少年院を仮退院しています。その後、改名しているという情報があります。
・候補②:K.M
インターネット上で広がっているのは、「西岡真」です。また、週刊文春の報道では、「K.M」に改名しているとのことでした。
東慎一郎のようなケースは、仮退院後に支援者や人権派弁護士と養子縁組をして、改名することが多いのですが、支援者たちがわざわざ東慎一郎の改名した名前をリークするとは思えません。
そのため、現在の東慎一郎の名前はK.Mのイニシャルでしょう。もしかしたら、一度西岡真に改名したけれど、酒鬼薔薇聖斗であることがバレて、再度K.Mという名前に改名したのかもしれません。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在②:出所後に仕事を転々
出典:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
東慎一郎は2004年3月に仮退院した後、いろいろな場所でいろいろな仕事を転々としたようです。
・更生保護施設に入所して、派遣登録
・オフィスの荷物運びの仕事
・ビル清掃や廃品回収
・プレス工
・2005年以降は一人暮らし
・カプセルホテル暮らしも
・2005年の冬からは量付きの建設会社で契約社員
・2009年6月にリーマン・ショックの余波で解雇
・2009年9月に溶接工の仕事
・2012年に退職
また、手記によると、ネットカフェや簡易宿泊所などを転々としていたこともあるようです。どこに行ってもマスコミが嗅ぎつけてきて、周囲の人から「酒鬼薔薇聖斗ではないか?」と疑われたら、すぐに転居・転職を繰り返す日々を送っているとのことです。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在③:絶歌出版&Web開設
出典:sankei.com
東慎一郎は2015年6月28日に手記の「絶歌」を出版しています。あの少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の手記ということで大きな話題となり、初版10万部という異例の発行部数で出版され、重版もかかっています。
この絶歌は、太田出版から出版されていますが、もともとは幻冬舎の見城社長に東慎一郎が持ち込んだ企画でした。見城社長は様々な事情から幻冬舎からの出版は難しいと判断し、完全自殺マニュアルを出版した太田出版を紹介しています。
また、見城社長は執筆に専念したいから仕事を辞めたいという東慎一郎のために約400万円の金銭援助をしました。
このような事情があり、「絶歌」は太田出版から出版されることになったのですが、一番大きな問題は遺族の了承を得ていないことでした。
遺族は出版を知り、すぐに出版を中止するように要請しました。
しかし、今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件でよく理解できました。
もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしいと思っています。
しかし、その意見は完全に無視された形になり、初版10万部にさらに重版がかかるベストセラーとなりました。さらに、この絶歌を宣伝する目的もあったのか、2015年9月に「存在の耐えられない透明さ」という公式ホームページを開設しました。
そのホームページには自分の描いた絵などが掲載されていたほか、東慎一郎と思われる上半身裸の男性の画像も掲載されています。その男性の画像は腹筋が割れていて鍛え抜かれた体を誇示しているかのようでした。
この2015年の絶歌出版とホームページ開設で、一気に酒鬼薔薇聖斗の活動が活発化し、自己顕示欲が強まっているのかと思われていましたが、それ以上に活動することはなく、2016年にはホームページは閉鎖されています。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在④:住所が特定&取材に恫喝
出典:gigazine.net
東慎一郎は、2016年に週刊文春の取材で顔写真が掲載され、住所も特定されています。週刊文春の記事の中では、東慎一郎の顔写真は目線が入っていて、住所は掲載されておらず、背景もぼやかしていましたが、5ちゃんねるの特定班が背景から、東慎一郎の住所を特定したのです。
出典:twitter.com
この画像の一致から、東慎一郎の2016年前後の住所は、足立区UR花畑団地であることが判明しています。
週刊文春の直撃を受けた東慎一郎は、記者の腕をつかみ大声で次のように威嚇を下とのことです。
・「命がけで来てんだろ、なあ。命がけで来てんだよな、お前。そうだろ!」
・「お前、顔と名前、覚えたぞ。わかってんのか、おい!」
・「車はどこだ。どこだって聞いてんだ、オラァ!」
つつましく静かに生活してきたところに、突然週刊文春に直撃されたら、動揺する気持ちはわかりますが、あの酒鬼薔薇聖斗に「命がけで来てんだろ」とすごまれたら、恐怖を覚えずにはいられません。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在⑤:結婚して嫁と子供がいる?
出典:j-cast.com
東慎一郎は現在、結婚して嫁がいるという噂があります。この噂の出どころは、小林よしのり氏のブログです。
酒鬼薔薇Aは現在30過ぎらしいが、妻も子供もいるという。
それが本当なら、人殺ししても人生ラッキーってことがあると、
悪い教訓になる。
この噂はあくまで噂であり、確証があるわけではありません。ちなみに絶歌の担当編集の人は次のように語っています。
「彼は人と親しくなることを警戒しています。親しくなると、その人に対して、自分が殺人者であることを隠すことに耐えられなくなるからです。女性にも同じ。好きにならないよう警戒していた。禁欲的な生活です」
ということは、絶歌を出版したころは結婚していなかったということですから、結婚して嫁・子供がいるというのはデマの可能性が高いです。
ただ、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人も結婚して子供がいます。犯罪者の男性に惹かれてしまう女性は一定数いると思いますので、現在は東慎一郎が結婚している可能性はゼロではないでしょう。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)の現在⑥:家族と縁を切っている
東慎一郎は、2022年で40歳になります。現在は、家族と縁を切っているようです。2021年の週刊新潮の取材に、母親は次のように答えました。
――関東医療少年院を出てからは元少年Aに一度も会っていない?
「うん、そうですね」
――手紙も来ない?
「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」
ということは、2004年以降は東慎一郎は両親に会っていないということになります。しかし、仮退院後は10日に1回のペースで酒鬼薔薇聖斗と母親は面会していたという情報もあります。
ほかに毎週1回、精神科医のカウンセリングを受け、10日に1回程度は、母親とも会っているようです
この情報のソースは当時の法務省幹部であり、ジャーナリストの一橋文哉氏の取材で明らかになったものです。法務省幹部は「仮退院後は母親と10日に1回程度は会っていた」としているのに、母親は少年院を出てから一度も会っていないとしている。
この矛盾は一体・・・?もしかしたら、仮退院の時は会っていたけれど、本退院になってからは会っていないということなのかもしれませんが、母親が自分に批難の目が向くことを恐れて嘘をついた可能性もあると思います。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗の本名)のまとめ
東慎一郎の生い立ちや実家の家族(父親・母親・兄弟)、中学でのエピソードや母親の異常なヤバさ、現在の本名や住所、結婚や嫁・子供の有無などをまとめました。
東慎一郎はしっかり謝罪して、それを被害者遺族が受け入れて納得し、できる限り損害賠償金を支払っていたら、マスコミが不必要に追い回す必要はないと思いますが、絶歌の出版で完全にその可能性はなくなってしまいました。
今後、東慎一郎はどのような人生を歩んでいくのでしょうか。