彌彦神社はなぜ有名?事件/事故の犯人や原因・死者数・パワースポットや心霊現象・その後現在まとめ

新潟県にある彌彦神社は二年参りや初詣でにぎわう神社ですが、それ以外の理由でも全国的に有名な神社なんです。

 

彌彦神社はなぜ有名なのか?その理由2つと有名になった理由の事件・事故の概要や死者数、その後の犯人や引責辞任、心霊スポットやパワースポットとしての現在をまとめました。

彌彦神社は新潟県にある由緒正しい神社

彌彦神社の概要

出典:e-yahiko.com

 

彌彦神社は新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある神社です。

 

・場所:新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2887番地2
・主祭神:天香山命
・神体:弥彦山(神体山)
・社格:式内社、越後国一宮

 

彌彦神社は越後平野西部にある弥彦山のふもとにあり、弥彦山を神体山としている神社です。

 

越後国一宮ですから、越後国の中で最も社格(神社としての格)が高い神社になります。

 

宮中と同じく鎮魂祭を行う神社として、石上神宮・物部神社と共に有名ですが、宮中とは異なり、鎮魂祭は4月1日と11月1日の年に2回行われています。

 

弥彦駅から徒歩15分という比較的交通の便が良い場所にあることもあり、二年参りや初詣、秋の菊まつりには多くの参拝客でにぎわっています

 

 

弥彦神社の歴史

出典:niigata-kankou.or.jp

 

彌彦神社は、日本最古の和歌集である万葉集にも登場しますし、彌彦神社の祭神の天香山命は、『古事記』に「高倉下」として登場しますので、非常に歴史が古い神社であることがわかります。

 

また、弥彦の大神は、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽を奉奏したとされています。神武天皇は初代天皇で、紀元前711年生まれで、亡くなったのが紀元前585年(127歳没)とされていますので、彌彦神社はその頃から存在したのでしょう。

 

境内末社 十柱神社社殿や志田大太刀は重要文化財(国指定)に指定されているほか、源義家や源の義経、上杉謙信に由来する武具なども社宝として展示されています。

 

 

彌彦神社はなぜ有名?①:明治以降最悪の群衆事故の彌彦神社事件

彌彦神社は全国的に有名な神社です。彌彦神社がなぜ有名なのか?その最大の理由は、彌彦神社事件が起こったからでしょう。

 

彌彦神社事件は1956年1月1日に起こった群衆事故で、日本で起こった明治以降の群衆事故の中でも最悪の死者数を出しました。

 

新年を迎えたばかりの1月1日午前0時過ぎに、彌彦神社で一体どのような群衆事故が起こったのかを見ていきましょう。

 

 

福餅まきが行われる

出典:minoya.net

 

1955年12月31日の夜から、二年参りをする参拝客が彌彦神社に訪れていました。この当時、彌彦神社では二年参りの参拝客に向けて、紅白の福もちまきが行われていました。

 

この福餅まきは午前0時の花火を合図に行われることになっていて、午前0時の時点で福もちまきを目当てにした参拝客が拝殿前の広場に8,000人も集まっていました。

 

そして、花火を合図に神社の職員8名が随神門の両翼の屋根の上に生まれた櫓からもち撒きを行いました。この福もちまきは3分程度で終了しましたが、参拝客たちはさらなるもちまきを期待して、拝殿前の広場からなかなか動こうとはしませんでした

 

 

参拝客がぶつかり合う

出典:www2.nhk.or.jp

 

福もちまきで拝殿前に集まった人たちがようやく動き出し、帰路につこうとした頃、初詣客が参道の石段を上がってきました。

 

この時点で、彌彦神社には約3万人の参拝客が押し寄せていたとされています。

 

二年参りと福もちまきが終わり帰ろうとする人、初詣をしようとする人が拝殿に続く石段でぶつかり合いました。また、初詣をしようとする人の中には、「もちまきに参加したい!」という人もいて、拝殿前の広場に急いで向かっていた人もいました。

 

拝殿に続く石段はそこまで「狭い!」というわけではありませんが、石段を登って拝殿前広場に行くところに随神門があり、その門は狭かったので、人の流れが滞留しやすい場所ではありました。

 

石段に帰ろうとする人と今から参拝しようとする人が殺到する状態になり、まったく身動きが取れない状況になってしまったのです。

 

 

玉垣が崩壊して転落

出典:pbs.twimg.com

 

拝殿に続く15段の石段で参拝を終えて帰ろうとする人とこれから参拝する人がぶつかり合い、身動きが取れない状況になりました。それでも、拝殿前からは帰ろうとする人がまだまだ押し寄せ、石段の下からは今から参拝する初詣客が押し寄せます。

 

どんどん石段の密集度は高くなり、1月1日0時20分ごろに、石段に集まった人の重さによって、玉垣(石段と随神門の間にある手すり部分)が崩れました

 

すると、その崩れた部分から押し出されるように人々が2.5mの高さから転落していったのです。転落した人の上にまた上から人が転落してくるという状態になりました。また、まったく身動きが取れない状況だったのに、玉垣が崩れたことで、そこから圧力が逃げる状態になり、そこから将棋倒しのような状況になりました。

 

崩れた玉垣部分から転落した人たちが積み重なり、積み重なった人の山は高さ2mにもなったとのことです。

 

この彌彦神社事件は、124人が死亡し、80人が重軽傷を負う大惨事となりました。

 

 

彌彦神社事件の死者数

出典:asahi.com

 

彌彦神社事件の死者数は124人、重軽傷者は80人にものぼりました。この死者数は、日本の明治以降の群衆事故の中で最悪の数字です。

 

日本の明治以降の主な群衆事故の死者数を見てみましょう。

 

<明治以降の日本の群衆事故死者数ランキング>
・第1位:彌彦神社事件(1956年):死者124人
・第2位:京都駅跨線橋転倒事故(1934年):死者77人
・第3位:隅田川両国橋崩壊事故(1897年):死者数十人
・第4位:二重橋事件(1950年):死者16人
・第5位:横浜歌謡ショー将棋倒し事故(1960年):死者12人
・第6位:万代橋事件(1948年):死者11人
・第6位:明石花火大会歩道橋事故(2001年):死者11人
・第8位:宮城球場将棋倒し事故(1950年):死者3人
・第9位:神宮球場将棋倒し事故(1948年):死者2人
・第9位:ラフィンノーズ公演雑踏事故(1987年):死者3人

 

江戸時代には永代橋崩落事故が起こり、440人が亡くなっていますし、海外では1,000人以上が亡くなる群衆事故(皇帝ニコライ2世即位記念での群衆事故やメッカ巡礼事故、メナー群衆事故など)も起こっていますが、「明治以降の日本の群衆事故」に限定すると、彌彦神社事件が最悪の死者数を出した群衆事故であることがわかります。

 

大きく報じられた2001年の明石花火大会歩道橋事故も死者数は11人ですので、彌彦神社事件がいかに大きな群衆事故だったのかが良くわかると思います。

 

 

彌彦神社事件の4つの原因

彌彦神社事件はなぜ起こったのでしょうか?彌彦神社事件は複数の原因が組み合わさったことで起こった事故と考えらえれています。

 

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<彌彦神社事件の原因>
・彌彦神社は混雑しやすい
・例年よりも参拝客が多かった
・雑踏整理がきちんと行われていなかった
・もちまきの場所が変わった

 

この上記4つを詳しく見ていきましょう。

 

 

年末年始の弥彦神社は混雑しやすい

出典:tjniigata.jp

 

そもそも彌彦神社は年末年始は混雑する神社として有名でした。

 

彌彦神社では大みそかから元旦にかけて行われる「二年参り」という風習があり、大みそかの夜から年をまたいで神社で参拝する人が多かったんです。さらに、彌彦神社は越後一宮ですので、その地域で一番格式が高く有名な神社ですので、元旦に初詣に来る参拝客もたくさんいました。

 

彌彦神社は「豊作の神様」として、地元の農業従事者達の厚い信頼を得ており、お正月となれば大勢の人間が集まる神社として知られていた。

 

引用:石段にちぎれた洋服や血痕も…初詣で起こった衝撃事件、124人が圧死した「彌彦神社事件」 – ライブドアニュース

 

この事故が起こる前でも、多い年は2万人の参拝客が訪れていました。

 

 

例年よりも参拝客が増加

出典:tjniigata.jp

 

元々年末年始の参拝客が多いことで有名な彌彦神社ですが、この彌彦神社事件が起こった1957年元旦は、例年よりも参拝客が多くなっていました

 

<例年よりも参拝客が多かった理由>
・雪がない元日だった
・1955年は豊作で経済的に余裕がある家庭が多かった
・公共交通機関が発達した
・前年から福もちまきが行わるようになった

 

新潟は雪国ですが、1956年元日は雪が積もっておらず、外出しやすい状況でした。雪が積もっていれば、「今年は辞めておこうか」となりますが、雪がなかったので「初詣(二年参り)に行ってみるか」と考える家庭が多かったんです。

 

また、1955年は豊作だったために、経済的に余裕があり、「外出しよう」と思う家庭が多かったという事情もあります。

 

さらに、この頃はバスなどの公共交通機関が発達し、近隣住民だけでなく遠方からでも彌彦神社にアクセスしやすくなり、新潟各地から参拝客が訪れるようになりました。

 

そして、彌彦神社事件のきっかけとなった福もちまきは、集客目的で1955年の元旦から行われるようになりました。この福もちまきの集客効果は予想以上で、この事故が起こった年ももちまき目当てに参拝する人がたくさん訪れていました。

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このような理由があり、例年は2万人程度だった参拝客が、事故が起こった年は1.5倍の3万人に膨れ上がったのです。

 

 

雑踏整理があまり行われていなかった

出典:niikei.jp

 

3万人の人が二年参りや初詣に訪れるのであれば、群衆事故やパニックを回避するために警察官や警備員が雑踏整理を行います。

 

この年の彌彦神社でも混雑を予想していたため、警察官は前年よりも多い3個分隊36人が神社周辺の警備に当たっていました。また、神社側も参拝客が増えることを予想して、照明を8基から12基に増やしていました。

 

つまり、神社も警察も「例年よりもたくさんの人が訪れる」ことを予想していたのです。しかし、適切な雑踏整理は行われませんでした。警察官は1955年12月31日午後8時ごろから神社周辺の警備を行っていましたが、その多くは交通整理をしていて、神社内の雑踏整理には人員を割いていなかったのです。

 

福もちまきが行われた拝殿前の広場は8,000人以上を収容できる広さがありました。また、拝殿前の石段もある程度の広さはあり、傾斜も緩やかだったので、転倒事故は起こりにくい作りになっていました。

 

さらに、拝殿前の広場への出入り口は石段前の随神門以外にも2ヶ所ありました。

 

・警備の警察官を増員していた
・拝殿前の広場は十分な広さがあった
・石段の傾斜は緩やかで広さもある
・拝殿前の広場への出入り口は計3ヶ所

 

この条件が揃っていたのですから、きちんと雑踏整理をして、参拝に来る客と終えた客がぶつかり合わないように一方通行の規制を行っていれば、この彌彦神社事件は回避できたはずです。

 

しかし、この一方通行の規制や随神門以外の出入り口への案内はほとんど行われておらず、随神門に参拝客が集中してしまったため、彌彦神社事件が起こったものと考えられます。

 

 

もちまきの場所が変わった

出典:yahiko-jinjya.or.jp

 

彌彦神社での福もちまきは、事故が起こる前年の1955年から始まりました。1955年の元旦に行われた福もちまきは、拝殿前からもちまきが行われました。つまり、随神門をくぐってから拝殿前広場の奥の方で行われたことになります。

 

ただ、この1955年の福もちまきは拝殿前からもちまきを行ったことで、参拝客の中には土足で本殿に上がり込んだり、拝殿でもちを奪い合うようなマナー違反をする人がいました。

 

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そのため、1956年の福もちまきはもちを撒く場所を変えて、拝殿からもちまきをするのではなく、随神門の両翼にやぐらを立てて、そこからもちを撒くことになりました。つまり、拝殿前の広場の手前の方、随神門や石段に近い場所に人が集中するようになったのです。

 

前述のように、随神門は石段と拝殿前広場を繋ぐ場所にありますが、門が狭いので、人が滞留しやすくなる場所です。それなのに、そこでもちまきをしたことで、人がさらに集まってしまったために、群衆事故が起こったものと考えられます。

 

 

彌彦神社事件のその後:犯人として逮捕&引責辞職

出典:nikkenren.com

 

彌彦神社事件はあくまでも「群衆事故」ですので、「この人のせいで事件が起こった」という直接的な犯人はいません。しかし、きちんと雑踏整理をしなかった、事故を予測して適切な対応を取らなかったとして、次の人物たちが責任を取ることになりました。

 

・新潟県警本部長:引責辞任
・新潟県警幹部:戒告、異動処分
・彌彦神社宮司:引責辞職
・彌彦神社権宮司:引責辞職

 

さらに、神社の責任者4人が過失致死罪で逮捕されました。この裁判は最高裁までもつれ、1967年5月に最高裁で上告が棄却され、神社側が注意義務を怠ったとして、過失致死罪が有罪となりました。

 

その雑踏によつて転倒者が続出し、多数の死者を生ずるような事故の発生するおそれのあることを予見し、これを未然に防止するため、あらかじめ相当数の警備員を配置し、参拝者の一方交通を行なう等雑踏整理の手段を講ずるとともに、右餅まきの時刻、場所、方法等を配慮し、その終了後参拝者を安全に分散退出させるべく誘導する等の措置をとるべき注意義務がある。

 

引用:裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan

 

この事故の翌年までには通路や石段の拡張が行われ、さらに1957年の初詣からは参道が一方通行の規制が取られるようになりました。

 

 

彌彦神社事件の現在:群衆事故の危険例になる

出典:sankei.com

 

現在、彌彦神社事件は群衆事故の危険例として語られています。

 

2022年に起こったソウルの梨泰院群衆事故でも、「過去の群衆事故」の一例として取り上げられることがありましたし、新潟県知事も定例会見でソウルの梨泰院群衆事故を話す時に弥彦神社事件を例に出して説明していました。

 

明治以降の最悪の群衆事故である弥彦神社事件を教訓にしているから、日本ではそれ以降、海外のような大規模な群衆事故は起こっていないのかもしれません。

 

 

彌彦神社はなぜ有名?②:日本屈指のパワースポット

出典:e-yahiko.com

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彌彦神社はなぜ有名なのか?もう1つの理由は日本屈指のパワースポットだからです。

 

彌彦神社は縁結び・開運・商売繁盛・病気平癒・学業成就などのご利益があるパワースポットとして知られています。

 

加えて天香山命の妃神、熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)も弥彦山に祀られることから、縁結びのパワーが授かれるとも言われており、まさに新潟県随一のパワースポットとなっています。

 

引用:新潟随一のパワースポット弥彦を散策!彌彦神社や門前町グルメも 【楽天トラベル】

 

ご神体の弥彦山や玉の橋、火の玉石、宙に浮いている一の鳥居など弥彦神社内にいろいろなパワースポットがあり、全国から開運祈願の人たちが集まってきます。

 

 

心霊スポットにならないのはパワースポットのおかげ?

彌彦神社は124人もの死者を出す彌彦神社事件があったにもかかわらず、心霊スポットにはなっていません。

 

この彌彦神社事件では、人間の山が高さ2m以上になっていたり、石段にちぎれた洋服や血痕が残っていたなどの逸話があるので、心霊スポットになりそうなものですが、彌彦神社が心霊スポットという口コミはほぼないんです。

 

これは、もしかしたら彌彦神社が本当のパワースポットで陽のパワーが強いので、心霊現象は起こらないのかもしれません。

 

 

彌彦神社のまとめ

彌彦神社はなぜ有名なのか、その理由である彌彦神社事件の概要や死者数、原因やその後と現在、パワースポットとしての彌彦神社などをまとめました。

 

彌彦神社はパワースポットとして人気があります。近年では朝ドラの「虎に翼」のロケ地としても使われていました。

 

彌彦神社事件からの教訓を忘れることなく、二度とこのような事故が起こらないようにしたいですね。

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