池添村は地図には載っていないものの日本のどこかにあると言われている村で、2008年にされた2ちゃんねるの書き込みがきっかけで話題となりました。この記事では池添村の特徴や風習、都市伝説、モデルとされる場所、現在について紹介していきます。
この記事の目次
池添村の概要【地図にない村】
池添村は、地図に載っていないけれど実在していると噂される小さな集落です。2008年8月4日に2ちゃんねるのオカルト板に投稿された、ある書き込みから知られるようになりました。
その書き込みは特に目立つものではなく、「昔、知人に地図にはない『池添村』という村に連れて行ってもらったんだけど」という導入から始まり、村の話も2レスで終わる短いものでした。
書き込みによると、池添村には以下のような特徴があるそうです。
・住人の苗字は3種類しかない。
・そのため住人は苗字の前に屋号をつけて呼び合っている。
・商店や公共施設は郵便局と雑貨店のみ。
・野菜は自給自足。
・生鮮食品は週に2回来る移動販売で購入する。
・村の裏山が墓地になっており、墓石が並んでいる。
・お盆の時期になると、仏様に供える用の花が民家の戸口に置かれる。
この書き込みをした人物は、池添村にどのように行ったのかなどは一切覚えていないといいます。また池添村に連れて行ってくれた知人も、村を訪れた翌年に急逝したそうです。
書き込みを見て、「自分も行ったことがある」というスレ住民も現れませんでした。そのため池添村がどこにあるのか現在は知るすべもありません。
池添村に関する2ちゃんねるに投稿された書き込みもそれに対する反応も、非常にあっさりしたものでした。しかし短いながらも、どことなく信憑性を感じさせる内容であったことからじわじわとネット上で話題になり、村の正体についてさまざまな考察がされています。
池添村の都市伝説① 近親相姦の村?
これは、村人の苗字が3つしかないとの書き込みから発生した噂だと思われます。近親相姦で生まれた子が多い=身体が弱くて早死にする人が多く、村の規模に比べて墓が異様に多く感じられるのでは?と考える人がいたのでしょう。
ただ、同じ苗字の人が多い理由が近親相姦で子孫を残したからだとは限りません。
実際に沖縄県では比嘉、金城、大城などの苗字が目立って多く、区別をするために池添村と同じように苗字と別にその家を示す屋号を持っていることがあります。新聞の訃報広告に苗字と屋号が併記されるケースも珍しくありません。
だからといって同じ苗字の人々はみな血が繋がっているわけではなく、沖縄県に同じ苗字の人が多いのは、明治時代に姓を名乗ることが義務化された際に地名から苗字を取る人が非常に多かったためです。
このような例は沖縄県以外でも複数見られ、池添村もその一つだっただけの可能性もあるでしょう。
池添村の都市伝説② 行くと呪われて死ぬ
書き込みをした人を池添村に連れて行った人は、村を訪れた翌年に亡くなったといいます。
どうやって行ったのか覚えていないということは、書き込みをした人は池添村に車で行ったものと思われます。前年までは知人を乗せて車を運転できるほど健康だった人が急に亡くなったとなると、少し不気味な印象も受けますよね。
なぜ亡くなったのか死因については明かされていませんが、書き込みを見た人の間では「池添村に行ったから呪われたのでは?」「これを書き込んだ人も死んでるかも知れない」と囁かれているようです。
池添村の都市伝説③ お盆の時期にだけ行けれる異界
書き込みをした人たちが池添村を訪れたのは、お盆の時期でした。この村でのお盆の時期の風習なのか、軽トラックで仏花が村中の民家に配達されており、その様子が不気味だったそうです。
この情報から、池添村はお盆の時期にだけこちらの世界と繋がる異世界なのでは?とも考察されています。
お盆とはこの世に戻ってきた死者の魂、つまり異界の住人をもてなし、満足をしてもらってから本来いる場所にお帰しするという行事です。
日本には亡くなった方々はあの世から自分の子孫を見守っているという考えが根付いており、そのため先祖の霊に感謝する行事が用意されたといいます。
さて、死者の魂が戻ってくるお盆の時期には異界と現世が一時的に繋がるとの考えもあり、日本の各地に「異界との境目」と呼ばれる場所が存在しています。
下の画像は京都市東山区松原通にある珍皇寺の門前の入り口・六道の辻のものですが、ここも古くから異界との境目として有名です。
出典:https://nob.internet.ne.jp/
六道の辻と同様に異界との境目にあったのが池添村の入り口付近で、お盆の時期に訪れたことで普段は存在しない死者の世界である池添村に迷い込んでしまったのではないか、と指摘されています。
なお異界との境目とされる場所は、火葬の週間が根付く前に庶民の遺体が埋葬された場所などが多いそうです。
もしもお住まいの場所の近くにそのような謂れのある場所があったら、お盆にはそこから池添村のような異界に行かれるかもしれません。
池添村にはモデルになった場所がある?檜枝岐村に似ている?
地図にないどころか実在すらしていないのではないかとも言われる池添村ですが、ここがモデルなのではないかと指摘されている実在の村があります。それが福島県会津地方南西部にある檜枝岐村(ひのえまたむら)です。
檜枝岐村は平家の落人伝説が残る日本有数の豪雪地帯で、福島県の発表によると令和3年10月の時点で、日本一人口密度が低い村と発表されている場所です。
ここではなぜ檜枝岐村が池添村のモデルと言われているのか、2つの村の共通点について紹介していきます。
檜枝岐村の住人も苗字が3つしかない
檜枝岐村の住民の名前も、ほとんどが「星」「平野」「橘」の3つのどれかだといいます。このことは2019年2月7日にNHKで放送された『日本人のおなまえっ!』で、檜枝岐村が取り上げられたことで広く知られるようになりました。
同番組によると村に3つの苗字しかない理由は、開村当初、檜枝岐村の住民はすべて落人に由来する姓を名乗ったからとのことです。
・星…もともとは藤原姓で紀伊国牟婁郡の「星の里」から落ち延びてきた人々が名乗った姓。
・平野…源平合戦の平家の落人が名乗った姓。平家の者、というプライドからか「平」の字が残っている。
・橘…戦国時代の伊勢の楠氏(楠木正成の子孫。もともとの姓も橘だった)の落人が名乗った姓。
もちろん現在の檜枝岐村には他の苗字の人も住んでいますが、依然として住民の多くが上の3つの苗字のどれかを名乗っているそうです。
閉鎖的な環境
前述のように檜枝岐村は日本有数の豪雪地帯です。晩秋から早春までは雪に覆われているうえ、山陰にあることから夏でも日が差さず、農耕地には適さない土地でした。
裏を返せばまず人が住むには適さない場所であったことからこそ、平家の落人が続々と檜枝岐村に隠れ住んだのです。
星、平野、橘の3つの住人のうち、最後に移り住んだとされる橘一族は村の山側に居を構えたのですが、ある年に雪崩が原因で家屋がすべて流されてしまったといいます。生き残った橘一族は、星一族と平野一族から土地を割譲してもらって生き延びたそうです。
それだけ過酷な環境に隠れ住んでいた檜枝岐村の落人たちは、外部に発見されないためにいくつかの決まりを設けていました。
その決まりとは、決して外に鯉のぼりをあげない、鶏や犬を飼わない、村人以外には土地を売らないというもの。これらの習慣は現在も檜枝岐村に残っているとされます。
アクセスが困難
落人の秘境・桃源郷と呼ばれるだけあって、現在でも檜枝岐村へ向かうルートは限られています。
最寄りの駅は会津鉄道・野岩鉄道の会津高原尾瀬口駅となりますが、最も近いこの駅からも檜枝岐村は車で90分ほど走らないと着かない場所にあります。
また隣接する町は只見町と南会津町の2つですが、只見町とは地続きであるものの直結した道路がなく、南会津町を迂回しないと檜枝岐村には辿り着けません。
新潟県魚沼市から向かうこともできますが、冬期は国道352号が閉鎖されますし、栃木県日光市からも向かえるものの未舗装の悪路を通る必要があります。
このようにどのルートで向かっても檜枝岐村へのアクセスは決して楽ではないことも、「どうやって着いてのかわからない」という池添村との共通点と言えるでしょう。
池添村の現在・作り話説が有力?
同じく地図にはない村として有名な杉沢村や犬鳴村に比べて、実在しても不思議ではないような絶妙な書き込み内容であったことから、当初は「どこかにあるのでは?」と囁かれていた池添村。
しかし現在では作り話だったのではないか、もしくは他の地名と勘違いしているのではないかなど、池添村は存在しないという説がネット上でも有力です。
池添村は存在しないという説の理由として挙げられるのが、地図はともかくGoogle Mapにもそれらしき場所が見当たらないということ。
上の地図は2016年5月25日にフジテレビ系列で放送された『世界の何だコレ!?ミステリー』で「地図に載っていない集落」として取り上げられた、千葉県夷隅郡大多喜町大田代1160付近にある集落のものです。
ピンのある周辺に民家のような建物がポツポツ建っているのがわかります。しかし、地図にはこの場所は記されておらず、地名も記載されていません。
実はこの集落のように存在するのに地図にはない場所というのは日本各地に存在しているといい、情報の需要が少ない、新しい場所などは地図には載らないことが多いのだそうです。それでもGoogle Mapの衛星写真にはしっかり情報が載っています。
池添村もこのような集落なのではとも考えられましたが、Google Mapにもここではないか?と思われる場所がないうえ、書き込みのような特徴を持つ村の情報はネット上でも見当たりません。
そのため、池添村はリアリティのある創作の書き込みがネット上で話題になり、都市伝説化したのではないかと考えられているのです。
池添村のような地図にない場所
池添村と同様に地図にない村や町の都市伝説は日本各地にあります。ここではネット発祥の地図にない場所を3つ紹介していきます。
①巨頭オ
巨頭オは、2006年2月22日に2ちゃんねるの有名スレッド『死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?』に投稿された地図に存在しない村です。
書き込み主によると旅行の帰り道に、行きには「この先○○km」と書かれていたはずの看板に「巨頭オ」と奇妙な言葉が書かれており、気になって車を降りようとしたところ頭の大きな人間が突然草むらの奥から現れたといいます。
2018年にはTwitterに上の画像が投稿されて「巨頭オ」は実在したと話題になりましたが、この画像もいたずらで作ったという説が有力です。
②下多島村
下多島村も2ちゃんねる発祥の地図にはない村で、非常に閉鎖的な土地だといいます。村の祭りには部外者を招いてはいけない決まりになっているそうで、隣り合っている上多島村の住民すら招いてはいけないのだとか。
しかもなぜか自殺者が毎年複数出るうえ、自殺者は決まって村の電柱で首を吊って亡くなっていたそうです。宮崎県佐土原町の合併前に上田島村と下田島村という村があったことから、下多島村のモデルはここではないかとも考察されています。
③南馬宿村
田舎ではアドバイス=命令であるhttps://t.co/hhDZsRf9Ri#南馬宿村 #田舎暮らし #スローライフ #限界集落 #村八分
— 南馬宿村役場 (@minamiumayado) September 4, 2022
南馬宿村は地理的には秋田県にあるされている村ですが、地図にはなく、日本政府から存在を認められていないと自称する自治体です。
もちろん架空の自治体であり、南馬宿村役場の公式サイトも有志によるジョークで作られたもの。
南馬宿村役場のサイトはとにかく田舎の閉塞感と村八分の怖さが強調されたものとなっていますが、田舎暮らし、地方移住が持ち上げられる昨今、田舎暮らしの負の面を学ぶにも有用と言えます。
池添村についてのまとめ
今回は地図には載っていない謎の村・池添村について特徴や都市伝説、モデルと思われる場所をふくめて紹介しました。
行ったことがあると話す人がいるのに地図に存在しない場所、他の場所にはないような奇妙な習慣がある場所というのは興味をひくものです。
現在、日本に存在する地図にはない場所というのは「千葉県夷隅郡大多喜町大田代1160」付近の集落のように、載せる必要がない小さな集落が主だとされています。それだけのことでもGoogle Mapにはあるのに地図にはない場所が存在する、という事実だけでなんとなくワクワクしますよね。