北海道の斜里町と羅臼町にある世界自然遺産・知床半島の先端に位置する知床岬は、行き方が限られることから、日本一到達困難な場所とされています。この記事では知床岬の地図や、やばいと言われる理由、過去に起きた事件や事故などについて紹介していきます。
この記事の目次
知床岬の概要・地図
出典:https://www.pref.hokkaido.lg.jp/
知床岬は知床半島の先端に位置し、場所としては北海道斜里郡斜里町遠音別村にあります。知床半島は上の地図の赤線で囲われた部分が2005年に世界自然遺産に登録されており、オホーツク海に面する知床岬もこれに含まれています。
アイヌ語地名研究家の山田 秀三氏によると「知床」という名前は、北海道の先住民族であるアイヌの人々がこの土地のことを「シㇼ・エトコ」と呼んでいたことにちなみ、「シㇼ・エトコ」とはアイヌ語で「地の・突き出たところ」という意味とのことです。
「突き出したところ」という意味から「シㇼ・エトコ」はもともと知床岬を指す呼称であったところ、これが周辺一帯を指す地名になったのではないかと言われています。
知床半島自体の面積は約71,100ヘクタールと広大で、ヒグマやエゾシカなどの大型哺乳類を含む36種類の陸生動物、275種類もの鳥類が生息するという自然豊かな地で、知床岬から臨める羅臼沖も、マッコウクジラや シャチなどの大型海洋生物が見られる場所として有名です。
知床岬・知床半島の歴史
知床岬は標高30〜40mの断崖にあります。これは知床半島が約900万年前から始まったとされる海底火山の活動によってできた土地であることと関係します。
知床半島は火山活動によって海底が押し上げられてできた地であり、約500万年前に北米プレートと太平洋プレートが衝突した際に、現在の知床半島の根本に当たる部分が海上に姿を見せました。
その後、約100万年前に知床半島ほぼ全域が隆起し、活発な陸上火山活動によって知床連山や羅臼岳が生まれ、現在の姿になったとされます。
知床半島の地質は知床岬や羅臼などの半島東部・先端部と、ウトロなどの半島西部と半島中央部で異なり、これは海底火山の溶岩が残っている地域と、海底火山の溶岩を陸上火山の溶岩が覆っている地域の差だといいます。
知床岬は危険?やばい場所と言われる理由① 行き方が過酷
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Google Mapで見てもわかるように、知床岬周辺には鉄道の駅はおろか車が通れるような公道も存在しません。
北海道道87号線は羅臼町の相泊橋付近で行き止まりとなり、車での侵入が不可となっているため、そこからは徒歩で向かう必要があります。
知床半島は先端部分のおよそ半分がまるまる世界自然遺産に登録されており、自然保護区域内には環境保護の観点などから舗装された道がないのです。
そのため半島の先端にある知床岬へは、相泊橋で車を降りてから半島東側の羅臼町側から海岸に沿って徒歩で向かうルートが一般的とされています。
羅臼町の海岸線全域では古くから昆布漁が盛んで、知床岬周辺まで海岸沿いには昆布番屋が並びます。この昆布番屋を横目に見ながら、徒歩で2日ほど海岸を進み続けると、ようやく岬まで到達するのです。
徒歩で向かった方の情報によると「海岸沿いで足場が悪いところも多く、道が途切れて浅瀬を歩いて進まなくてはいけないところもあった」「体力はもちろん、ロープワークなどの登山技術がないと厳しい」とのことで、舗装された道路を同じ距離歩くより何倍も大変なことが窺えます。
そのため知床岬は「日本でもっとも到達困難な岬」とされており、相泊橋付近には下のような「ここから先は自己責任で」という看板まで立っているほど。これを見て「知床岬、怖い」「行ってみたいけど無理」となる人も少なくないようです。
徒歩以外ではカヤックで周辺まで向かい、そこから徒歩で知床岬まで向かうことも可能ですが、カヤックは海況によって催行中止となることも多いそうです。
また旅行会社が開催しているツアーなどでは、上陸はできないものの観光遊覧船に乗船してオホーツク海上から知床岬を見ることができます。ただ、後述しますが一番安全かつ快適に見える遊覧船のツアーでも凄惨な事故が起きており、このことが原因でよけいに「知床岬はやばい、危険」というイメージが強まったとも言えます。
知床岬は危険?やばい場所と言われる理由② ヒグマが生息している
出典:https://brownbear.shiretoko.or.jp/
道が整備されていないだけではなく、知床半島はヒグマの生息地となっており、確認されているだけでも約500頭ものエゾヒグマがいるといいます。
この数は北海道に生息するヒグマの約3分の2にあたり、知床半島の総面積から考えると世界でも例を見ないほどの数のヒグマが密集しているのです。
島西部のウトロ市側では沿岸部などの一部を除いて電気柵を設け、市街地へのヒグマの侵入を防いでいるのですが、知床岬に向かう際に通ることになる羅臼側は背後の山がほとんど手つかずの状態で残っていること、切れ目のある落石防護柵や重力式擁壁しか人間の居住区とヒグマの生息域を区切るものがないことなどから、とくにヒグマの危険が高いとされています。
羅臼側の地質は農業に適さないため、市街地に侵入したヒグマは人間の食べ物を奪おうとするか、沿岸部まで移動して魚を獲ろうとします。
そのため知床岬を目指して沿岸部を歩いている途中、ヒグマに行きあってしまう危険性もあるのです。
2018年には羅臼市内に体重200kgを超すヒグマが侵入し、2019年にかけて市内の民家で飼われている犬合計5匹を襲って食べるという事件が発生しています。
このヒグマは最初に目撃された場所が斜里町のルシャ地区であったことから「ルシャ太郎」や「RT」と呼ばれて警戒されました。
RTは2019年の襲撃以降、一時的に姿を見せなくなっていました。しかし犬の味を覚え、さらに鎖に繋がれている状態の犬なら逃走や反撃もできず、楽に捕食できると学習したためか、2021年の6月に再び羅臼町内に侵入し、またしても民家の庭に繋がれていた犬を襲ったのです。
2022年にこのヒグマは駆除されましたが、今後も飢えた状態のヒグマがRTのように市街地に迷い込んでくる危険性は十分に考えられます。
また、2022年4月には改正自然公園法が施行され、観光客がヒグマへ接触することが禁じられることとなりましたが、これ以前には知床国立公園内ではヒグマへの勝手な餌やりなどが横行していました。餌でヒグマをおびき寄せて、近くで写真を撮ろうとする観光客もいたといいます。
そのため人の食べ物の味を覚えてしまった個体や人間を恐れない個体が増えてしまい、これらのヒグマが簡単に餌を手に入れようと市街地にやってくるのではないか、という点も懸念されており、知床岬に行くのは危険、知床はやばいとも言われているのです。
知床岬は危険?やばい場所と言われる理由③ エキノコックス
知床にはヒグマ以外にも危険な野生動物が生息しています。キタキツネです。
キツネは姿も愛らしく、大きさも中型犬程度であるため規格外の大きさであるヒグマに比べると可愛くて無害という印象があるかもしれません。
しかしキツネは肉食性が強く、意外と獰猛な個体もいるうえに、北海道に生息する野生のキタキツネの腸内にはエキノコックスという寄生虫がいる危険性が高いとされています。
エキノコックスはサナダムシの一種で、日本国内ではキタキツネのほか、愛知県内で犬の腸内への感染が確認されています。
この寄生虫は終生宿主となるキツネや犬の腸内で卵を産み、宿主の糞と一緒に自らの卵を外に排出し、水や植物などを経由して中間宿主となる野ネズミに寄生。野ネズミの体内で卵が孵り、肝機能を破壊していきます。
肝臓を破壊された野ネズミは衰弱してキタキツネに捕食されやすい状態となるため、エキノコックスに寄生されているネズミはキタキツネに食べられ、キツネの腸内にまた成虫のエキノコックスが寄生することとなるのです。
出典:https://www.city.sapporo.jp/
エキノコックス症への感染経路は、寄生虫の宿主になっているキタキツネの糞が口に入ることです。これは人間の場合も同様で、人間はキツネや犬のように終生宿主にはなれないため、感染した場合にはネズミのように肝機能を破壊されることとなります。
このように聞くとキツネの糞なんて食べないし、感染するわけがないと思われるかもしれません。しかし、被毛や体の一部に糞がついた状態のキタキツネを触ってしまい、手洗いをおろそかにした状態で食事をとってしまった場合などでもエキノコックスに感染するおそれはあります。
しかもエキノコックス症は潜伏期間が長く、10〜20年もの間症状が出ないケースもあるとされます。
また、現在でも効果的なエキノコックス症の治療方法は確立されておらず、肝機能に障害が出た場合には感染が確認できる場所だけを切除し、再発を抑える薬を服用しつづけるという治療方法しかありません。
ヒグマ同様、知床国立公園ではキタキツネへの観光客による餌付けも問題となっており、人を見ると餌をもらえると思って寄ってくる個体や、食べ物をもらえないと凶暴化する個体も確認されています。
このような個体に安易に接触してしまうとエキノコックス症に感染してしまうおそれがあることも、知床は危険と言われる理由の1つです。
知床岬付近で起きた事件・事故① ひかりごけ事件
ひかりごけ事件は、1944年5月に羅臼町で発覚した死体損壊事件で、日本の裁判史上初めて「食人行為」が裁かれた事件として知られます。
ここでは知床の海の厳しさによって起きた凄惨な事件、ひかりごけ事件について紹介していきます。
ひかりごけ事件が起きた経緯
1943年12月、太平洋戦争の開戰を受けて日本陸軍の徴用船「第五清進丸」は7人の乗組員と物資や弾薬を乗せて根室港から小樽港に向かっていました。目的は船体の修理だったとされます。
この航路は第五清進丸の乗組員にとっては慣れた船路で、日中はとくに問題もないまま船は進んでいきました。しかし、夜になると突然海が荒れはじめ、第五清進丸は知床半島の羅臼沖で大しけにあい、さらに吹雪に見舞われてしまったのです。
そこに船のエンジン故障も重なり、朝には第五清進丸は座礁。沈没を危惧した船長(当時29歳)は船員に泳いで船から退避するように指示を出し、極寒の海を泳いだ乗組員たちは知床半島の「ペキンノ鼻」と呼ばれる岬に漂着しました。
この時、乗組員は猛吹雪による視界の悪さからバラバラに漂着していました。
船長もなんとか陸に到着したものの陸上の気温も氷点下20℃と厳しく、海岸沿いに昆布番屋を見つけてすぐさま飛び込み、そこに置いてあったマッチで暖を取っていたところに18歳の乗組員が逃げ込んできたといいます。
この昆布番屋は夏の間だけ使用されていたため、冬場に地元の人が訪れることはなく、助けを求めることはできなかったものの、運良く小屋の中に少量の味噌とマッチだけが残されていたそうです。
そのため船長と少年は雪解け水と漂着物で味噌汁を作って飲むなどして、助けが来るまでなんとかして生き延びようとしました。
サバイバル生活の果てに悲劇が起きる
出典:https://aoiumi.muragon.com/
しかし、極寒のなかでのサバイバル生活は確実に船長と少年の生気を奪っていき、遭難から46日後の1944年1月18日に少年が衰弱死を迎えます。
たった1人残された船長はその後1ヶ月を番屋で過ごした後、羅臼町に向かって歩き出し、幸運にも漁師一家に助けを求めることに成功しました。
この時、冬の知床岬の厳しさを知る漁師は「よく、あんな場所にいて無事でいられたものだ」と驚いたといい、船長は「自分以外の船員は全員死亡した」と説明していたといいます。
極限状態から生還した船長は「奇跡の神兵」として持て囃されましたが、後の調査で船長が船員を食べて生き延びていた、という恐ろしい事実が発覚するのです。
5月19日、船長と少年乗組員が避難していた番屋の持ち主の男性が、小屋の外で人間の白骨と皮膚と思われるものが詰まった木箱を発見します。男性はすぐに警察に通報し、その後の調べてこの遺体は番屋のなかで殺害され、バラバラにされた可能性が高いと判断されました。
そして厳寒の知床岬でろくな食糧もなく船長が生き延びられた理由は、乗組員の遺体を食べていたからだった、という信じがたいことが明らかになったのでした。
その後
船長は殺人と死体遺棄、損壊の罪で逮捕されましたが、殺人に関しては否認し、最終的に死体損壊容疑で起訴されました。
日本の刑法では餓死寸前の極限状態で食人をした場合、どのような罪を問いべきか定められておらず、類似の判例も存在しません。
そのため食人については裁判で問われず、死体損壊のみが罪に問われ、船長は懲役1年の実刑判決を受けました。
知床岬付近で起きた事件・事故② 知床遊覧船沈没事故
2022年4月23日、知床半島西海にあるウトロ港から知床岬に向けて出航した観光遊覧船「KAZU I」が沈没するという事故が起こりました。
同船には子ども2人をふくむ乗客24人を乗っており、乗員2名を含む計26名全員が死亡もしくは現在も行方不明のままとなっています。
知床遊覧船沈没事故については、知床の海の厳しさよりも船の運営会社である知床遊覧船の杜撰な経営が原因であったことが明らかとなっていますが、近年に知床岬周辺で起きた海難事故として紹介していきます。
知床遊覧船沈没事故が起きた経緯
事故が起きた4月23日、斜里町には強風注意報が出ており、海に出ていた漁船も午前中には港に引き返していました。
「KAZU I」の船長も、他社の観光遊覧船の乗組員から「今日は出ないほうがいいよ」と言われていたそうです。
しかし、「KAZU I」は予定通りに23日の午前10時にウトロ港を出航。その10分後の時点では知床岬へとトレキングする観光客によって、沖合を進む姿が確認されています。
予定では「KAZU I」は知床岬に着いたら折り返し、13時にはウトロ漁港に到着するはずでした。
ところが13時を過ぎても戻らず、13時10分に船長と連絡をとったところ「カシュニの滝にいる」との応答があり、遅れているだけかと安心した矢先に船長から「エンジンが動かなくなりそうだ」「バッテリーも落ちるかもしれない」というとんでもない報告が入ったのです。
これを聞いた知床遊覧船の従業員は海上保安庁に救助要請を入れ、船長も乗客の携帯電話から海上保安庁に通報を入れました。
しかし救助が到着する前に、「船首が30°ほど傾いている」という知床遊覧船への連絡を最後に、船長とは連絡が取れなくなってしまい、船内浸水から水没したとされます。
相次ぐ乗客の遺体発見と船体の回収
24日のうちに海上保安庁はヘリコプターや巡視船などを出して乗客らの救援に向かいました。そして24日と25日の2日間で11名を救助しましたが、病院に搬送した後に全員が死亡。
その後も捜索活動は続きましたが生存者は発見されず、現在までに20名の死亡が確認され、残りの6名は行方不明のままとなっています。
また、5月21日から引き揚げ作業が行われ、6月1日には「KAZU I」は網走港に陸揚げされました。
知床遊覧船水没事故が起きた原因
運輸安全委員会がまとめた事故調査経過報告書では、「KAZU I」が沈没した最大の理由は悪天候ではなく、船首甲板部のハッチが閉まらない状態であったことだと指摘されています。
強風と波で船体が揺れた際に甲板部にあるおよそ50cm四方のハッチの蓋が空き、ここから高波によって海水が入り込んで、船底全体が浸水して沈没したというのです。
実際に船が回収された際に船首甲板部のハッチの蓋はなくなっており、その後も発見されていません。
本来ならこのハッチは決して開かないような頑丈なつくりになっており、誰かがロックを故意に外すなどしない限りは決して開くことはないのだそうです。
とくに荒天時には「荒天準備」として、船にあるすべてのハッチを確認することが海洋業界では常識になっているといいます。
しかし、知床遊覧船はハッチの蓋が壊れて閉まらなくなっていることを知りながら、修理せずに出航したのではないかと指摘されています。
実際に事故が起きる2日前に行われた救命訓練でも「KAZU I」のハッチの蓋は閉まっておらず、同じ訓練に参加していた他社の観光遊覧船の関係者もハッチの蓋が浮いていることを見て、不審に思っていたとのことです。
事故の責任
人災ではないのか、と非難も集まっている知床遊覧船水没事故ですが、知床遊覧船の桂田精一社長は「船の運行責任者は船長の豊田」「自分は無関係」という主張を貫き、被害者遺族に送付した手紙でも「運航の管理は社員がしている」と責任を認めていません。
しかし、書類上は運行責任者は桂田社長となっており、事故当日に事務所にいなかったことも無責任だと指摘されています。
事故から1年が経ってもマスコミの取材に対して「自分は素人だから知らない」「あんなところから水が入って沈むなんて不思議」などと他人事のように話しており、まったく反省する様子が見られません。
船体の整備不良について、事故3日前のJCI検査の通過を持ち出し、「車でいう車検には合格していたわけだから」と自身の責任を否定。自らを「船素人」「全くの無知」などと語り、船体管理は、事故で亡くなった豊田徳幸船長(当時54歳)に任せきりだったと説明した。
現在、海上保安庁は桂田社長を業務上過失致死容疑で立件する方向で捜査を進めているといい、行方不明者の捜索とともに、こちらの進展も注目されています。
知床岬についてのまとめ
今回は北海道知床半島の先端に位置する、日本でもっとも到達困難な岬・知床岬について、危険、やばいと言われる理由や周辺で起きた事故や事件を含めて紹介しました。
最近は運が良ければシャチやマッコウクジラを間近で見られるネイチャークルーズ でも話題の知床半島ですが、知床岬まで行くのは相当困難なうえ、装備や知識も必要であることがわかりました。
また知床に限りませんが、観光遊覧船などのツアーで訪れる場合には事前にその会社のサイトや口コミ情報をしっかり調べて、安全か確認することも大切ですね。