『ダウンタウンのごっつええ感じ』は、1991年から1997年まで放送されていたバラエティ番組で、平均視聴率は15.8%を誇りました。この記事では『ごっつええ感じ』のメンバーや打ち切り理由、死亡事故が起きたという噂について紹介していきます。
この記事の目次
ごっつええ感じとは【伝説のコント番組】
『ごっつええ感じ』は、フジテレビ系列で1991年12月8日から1997年11月2日までの間、毎週日曜日の20:00~20:54に放送されていたお笑いバラエティ番組です。
ダウンタウンが主演するコントを中心とした番組構成となっており、「MR.BATER」「世紀末戦隊ゴレンジャイ」「アホアホマン」「キャシィ塚本」など、未だに語り継がれる名コントが多数生まれた番組として知られます。
また、現在はバラエティ番組の顔として活躍している今田耕司さんや東野幸治さんらも、『ごっつええ感じ』出演を機に一躍全国区で有名になりました。
番組の前身となったのは1991年1月3日に放送された『ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』という正月特番で、この後に2回の特番放送を経てレギュラー放送化したとされます。
約6年間の放送での平均視聴率は15.8%、最高視聴率はなんと24.2%(1995年11月12日放送回)。
当時、日曜日の20:00~21:00の枠はNHKの大河ドラマが圧倒的な人気を誇っており、民放は厳しい戦いを強いられていたといいます。
そんななか、『ごっつええ感じ』は若者を中心に絶大な人気を獲得し、同じ時間帯に他局で放送されていた『天才!たけしの元気が出るテレビ!!』を番組終了に追い込んだとされます。
しかし高い人気を誇った反面、『ごっつええ感じ』で放送されたコントの内容がいじめや暴力、差別を助長するおそれがある、食べ物を粗末に扱っているという批判や苦情も多く出るようになり、番組は「子どもに見せたくない番組」の常連になっていました。
また、コント構成も手掛けていた松本人志さんと出演者とスタッフの間で番組への熱意などの温度差があり、撮影現場は常に殺伐としていたとの話も出ています。
さらに人気が絶頂の中で突然、放送が終了したことから「出演者が何かやらかして打ち切られたのではないか?」等、終了理由についても長らく考察の対象になっていました。
ごっつええ感じのメンバー
『ごっつええ感じ』は多数の売れっ子を輩出した番組としても知られます。今ではお笑い番組に出演していたとは想像できないような大女優など、『ごっつええ感じ』のレギュラーメンバーを一覧で紹介していきます。
松本人志(ダウンタウン)
1982年に浜田雅功さんとダウンタウンを結成し、1988年にフジテレビ系列で放送された『夢で逢えたら』で東京進出を果たした松本人志さん。
『ごっつええ感じ』で放送されたコントや規格の全てに関わっており、当時の松本さんの存在はお笑い芸人を目指すひとびとだけではなく、視聴者のお笑いへのハードルにも影響を与えたとされています。
出典:https://webronza.asahi.com/
また、現在は金髪の坊主頭にマッチョという印象が定着した松本さんですが、『ごっつええ感じ』に出演していた頃は下の写真のように細身でオールバックという外見でした。
主な出演コントとキャラクター
・アホアホマン(AHOAHOMAN)
・兄貴(兄貴)
・MR. BATER(MR. BATER)
・半魚人(産卵)
・キャシィ塚本(キャシィ塚本)
浜田雅功(ダウンタウン)
ダウンタウンのツッコミの浜田雅功さん。『ごっつええ感じ』で人気を博してから、『パパとなっちゃん』『ADブギ』『十年愛』などのTVドラマにも出演するようになりました。
主な出演コントとキャラクター
・財前ケンタロウ(AHOAHOMAN)
・まー君(おかんとまー君)
・浜田社長(兄貴)
・ドクロ仮面(世紀末戦隊ゴレンジャイ)
今田耕司
1986年に京都花月で劇場デビューを果たし、ダウンタウンらとともに吉本興業制作のバラエティ番組『4時ですよ〜だ』に出演していた今田耕司さん。
その後も新喜劇や関西ローカルのTV番組に出演を続けて人気を伸ばしていましたが、1991年に『ごっつええ感じ』のレギュラー放送が決まると、新喜劇を卒業して東京へ進出しました。
ダウンタウンの2人以外では正月特番からすべての『ごっつええ感じ』に出演している唯一のメンバーです。
主な出演コントとキャラクター
・アカレンジャイ(世紀末戦隊ゴレンジャイ)
・店長(MR. BATER)
・N極(放課後電磁波クラブ)
・ポチ(ポチ)
・コウジ(キャシィ塚本)
東野幸治
今田さんとともにWコージ(正式なコンビ名ではない)として上京し、『ごっつええ感じ』に出演を果たした東野幸治さん。
しかし、正月特番、火曜ワイドスペシャル版に出演をした後に「協調性がない」という理由で浜田さんからレギュラーを外されたという経緯を持ちます。
その後、代わりに『ごっつええ感じ』のレギュラーとなった板尾創路さんの謹慎期間中にテコ入れとして復帰し、1994年10月23日放送回からは毎週出演していました。
主な出演コントとキャラクター
・S極(放課後電磁波クラブ)
・パイマン(パイマン)
・辻武司(辻武司)
・ムック(リアルポンキッキ)
板尾創路(130R)
ほんこんさんとともに130Rとして東京進出し、レギュラー放送時から『ごっつええ感じ』に出演していた板尾創路さん。
1994年に当時14歳の少女への淫行が発覚し、青少年保護条例違反で逮捕されたことから芸能活動自粛することとなり、当初は『ごっつええ感じ』も降板する予定でした。
しかし、被害者の少女が年齢を偽って板尾さんに接触していたこと、18歳以上だと信じ込んで手を出してしまったことなどから、後に芸能活動を再開。1995年からは『ごっつええ感じ』にも復帰しました。
主な出演コントとキャラクター
・板尾係長 (板尾係長)
・シンガー板尾(シンガーソングライダー板尾創路)
・板尾青年
ほんこん(130R)
1991年12月から最終放送回まで『ごっつええ感じ』に出演していたほんこん(蔵野孝洋)さん。
当初、『ごっつええ感じ』のテロップでも本名の蔵野孝洋でクレジット表記されていましたが、番組内で出演者たちが「ホンコン」「ホンコンさん」と呼んでいたことから視聴者にもこの呼び名が浸透し、後に「ほんこん」に芸名を変更したという経緯を持ちます。
主な出演コントとキャラクター
・ガチャピン(リアルポンキッキ)
・死体(東大寺先生)
・七つの顔を持つ男(おれがあいつのそれだから)
YOU
『ごっつええ感じ』開始当初は、FAIRCHILD(フェアチャイルド)のボーカルとして音楽活動をしていたYOUさん。
1993年8月にバンドが解散してからはバラエティアイドルとしての活躍が目立つようになりました。『ごっつええ感じ』には1997年4月20日に産休に入るまでレギュラー出演していました。
主な出演コントとキャラクター
・浜田社長の嫁(兄貴)
・お姉さん(リアルポンキッキ)
・YOU子ちゃん(AHOAHOMAN)
・YOU子(世紀末戦隊ゴレンジャイ)
篠原涼子
1990年に東京パフォーマンスドールのメンバーとしてデビューしたばかりであった篠原涼子さんも、『ごっつええ感じ』のレギュラーメンバーでした。
番組出演中に東京パフォーマンスドールの解散、『恋しさと せつなさと 心強さと』の大ヒットなどがあったものの、番組終了まで「the TEAM FIGHT」には出演を続けていました。
主な出演コントとキャラクター
・リョウコ(キャシィ塚本)
・リリー(ストリッパー物語)
・涼子(世紀末戦隊ゴレンジャイ)
・涼子(電撃パフォーマンスドール)
西端弥生
1994年5月29日放送の火曜ワイドスペシャル版にのみ出演。
その後、産休に入り、復帰予定とされていましたがそのまま芸能界を引退したため、レギュラー放送以降は出演していません。俳優の古田新太さんの奥様です。
松雪泰子
松雪泰子さんも1991年12月8日放送回から1992年3月22日放送回まで、『ごっつええ感じ』に出演していました。
当時すでに松雪さんは資生堂などのCMに多数出演していた売れっ子女優でしたが、正月特番から『ごっつええ感じ』のファンだったといい、収録を楽しみにしていたそうです。
伊藤美奈子
『夢で逢えたら』からダウンタウンと共演していた女優の伊藤美奈子さん。
『ごっつええ感じ』には1991年12月8日放送回から1992年3月22日放送回まで出演していましたが、朝の連続テレビ小説に出演が決まったことから、降板しました。
なお、『ごっつええ感じ』のコント内でセクハラ行為を受けたことから「当時は浜田さんが大っ嫌いだった」という衝撃的なカミングアウトをしています。
吉田ヒロ
ダウンタウンファミリーとして、Wコージや130Rとともに大阪から東京に進出したお笑い芸人の吉田ヒロさん。
しかし、持ち味である一発ギャグ中心の笑いがコント中心の『ごっつええ感じ』となじまず、ほかのメンバーのように人気が出なかったことから1人だけ大阪に戻ったとされています。
山田花子
吉田ヒロさんの後任として『ごっつええ感じ』のレギュラーメンバーに抜擢された山田花子さん。
ダウンタウンとは『四時ですよーだ』で共演しており、『ごっつええ感じ』に出演した時にはまだ高校生でした。
ダウンタウンの2人からも期待の新人として可愛がられていたとの話がありますが、山田さん自身は子どものころからプロレスラーにあこがれており、本格的な修行に励むために番組を降板。
しかし、受け身がうまくとれないという致命的な欠点からレスラーの夢は断たれてしまい、芸能界に復帰することとなり、終了間際の『ごっつええ感じ』にも出演していました。
ごっつええ感じ打ち切りの理由① 死亡事故が起きたことがある?
『ごっつええ感じ』は唯一、収録中に死亡事故が起きたバラエティ番組だと噂されることがありますが、これは間違いです。
番組収録中に死亡事故が発生したのは『ごっつええ感じ』ではなく、同時期にフジテレビ系列で放送されていた『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』です。
『やるならやらねば!』は1990年10月13日から1993年6月26日まで放送されたバラエティ番組で、『ごっつええ感じ』と同じくコントを中心とした番組構成でした。
こちらもフジテレビの土曜日20:00~21:00の枠としては『オレたちひょうきん族』以来のお笑い番組であり、平均視聴率18.1%を誇る人気番組でした。
しかし1993年6月24日、「やるやらクエストII」の収録中にゲスト出演していた香港の人気バンド『BEYOND』の黄家駒(ウォン・カークイ)さんと内村光良さんが、セットから転落するという大事故が発生。
内村さんは全治二週間の打撲傷で済んだものの、黄家駒さんは急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷という重傷で意識不明となり、6月30日に息を引き取りました。
事故の原因は2.7mの高所につくられたセットが水浸しになっていて足元が滑りやすい状態であったうえ、万が一転落が起きた際のためのマットやクッションなどの緩衝材がいっさい用意されていなかったことでした。
おまけに狭いセットの上に多くの人が集まっていたため、黄家駒さんや内村さんらはセットの後方でベニヤ板の壁に寄りかかるようなかたちで待機していたそうです。
このベニヤ板の設置も甘かったのか、少し押されただけで外れて落下。続いて寄りかかっていた黄家駒さんや内村さんも下に落ちてしまったとされます。
これはフジテレビと番組制作会社側のミスと杜撰な体制が招いた悲劇としか言いようのない事故だったのですが、その後の対応も要因となって番組続行が不可能になってしまったのです。
しかも、世間のバッシングはテレビ局だけではなくウッチャンナンチャンの2人にまで及び、責任を感じて内村さんと南原さんは芸能界引退を考えるまで追い詰められたといいます。
『BEYOND』のメンバーや遺族が引き留めたことから引退は思いとどまったものの、とくに一緒に事故に遭った内村さんの苦悩は激しく、精神のバランスを大きく崩していたそうです。
一方で『BEYOND』は香港の大スターであったことから、自国のスターが安全対策が万全ではないバラエティ番組に出演させられ、変わり果てた姿で帰ってきたことに香港の人々は激怒。
香港では日本のTV局や番組制作会社の責任について、マスコミで連日議論になっていたとされます。
それでもTV局ではなくウッチャンナンチャンの2人が記者会見を開き、自身のラジオ番組で謝罪をするという以外の対応はとられませんでした。この点は現在でも覚えている人が多く、同局で事故が起きると引き合いに出す声も見られます。
ダウンタウンもウッチャンナンチャンも当時は人気深夜番組『夢で逢えたら』がきっかけでブレイクを果たした若手芸人で、『ごっつええ感じ』も『やるならやらねば』もコントを中心としたお笑いバラエティでした。
そのため『ごっつええ感じ』で死亡事故が起きて、打ち切りになったと混同されることがあるようです。
『ごっつええ感じ』でも大事故は起きていた
死亡事故ではありませんが、『ごっつええ感じ』も収録中に松本さんの顔面が血だらけになるという大事故を起こしていました。
事故が起きたのは「なんなんなあに何太郎君」というコーナーで、車のエアバックの勢いを調べるという実験をしたところ、飛び出したエアバックが松本さんの顔面に直撃して負傷。
その衝撃で顔面が腫れあがって出血し、松本さんは一週間の自宅療養を余儀なくされ、あまりの痛みに何太郎君のメイクさえ落とせずに苦しんだといいます。
後に松本さんが『ワイドナショー』で明かした裏話によると、「なんなんなあに何太郎君」のコーナー内では車がセットの丸太にぶつかってエアバックが飛び出す、という設定だったものの、実際は番組スタッフがスイッチを押して任意のタイミングでエアバックを出していたのだそう。
松本さんはスタッフに誘導されて顔面でエアバックの衝撃を受ける場所に座らされていたといい、半ば人災であったことを明かしていました。
ごっつええ感じ打ち切りの理由② いじめがあった?
コントがいじめを助長するというクレームが多かったほか、『ごっつええ感じ』には、出演者がダウンタウンにいじめられていたのではないか?という噂もあります。
おそらく『ごっつええ感じ』の収録現場はピリピリしていた、松本さんが出演者に求めるハードルが高かったといった話から出た噂だと思われますが、出演者同士のいじめがあったというのはデマだと思われます。
コント中にぞんざいな扱いを受ける役回りが多かったYOUさんも、『ごっつええ感じ』スタート前にMBSのラジオ番組『ヤングタウン木曜日』でダウンタウンと共演した際、2ヶ月もの間、2人から無視をされ続けてストレスで血尿が出たと語っていますが、番組スタート時には「仲間」の関係になっていたといいます。
さらにYOUさんも篠原涼子さんも今ならセクハラと大問題になりそうな扱いを受けていたものの、当時を振り返って「(胸やお尻を触られる演出で)周りが明るくなるし、うちらも嬉しかったですね」と回想していました。
今田耕司さんも2021年3月に放送された『あちこちオードリー』にゲスト出演した際、「『ザ・対決』のコーナー内で熱湯をスポイトでかけられた」「裁判したら勝てるほどダウンタウンには色々やられた」と語っていました。
しかし、「それだけ笑いに厳しかった」としめており、いじめにあった、収録が嫌だったというニュアンスはまったくありませんでした。
放送終了後も出演者が特別番組で集まることなどもあることから、出演者の間でいじめがあった、ギスギスした関係性だったということはないと考えられます。
ごっつええ感じ打ち切りの理由③ 問題のあるコントが多かった?
『リアルポンキッキ』で人を殺して土に埋めるストーリーがあったりと、『ごっつええ感じ』では今では絶対に放送できないような過激な内容なコントがたびたび放送されていました。
そんななかでも、特に問題になった作品が横山やすしさんをモチーフにしたキャラクターが登場する「やすしくん」だったといい、松本さんは横山さんを尊敬していたからこそモチーフにしたのだと思われます。
しかし、慢性の肝硬変で入院していた横山さんが息を引き取ったタイミングで、やすしくんが飛行機事故で死ぬというダークな内容の「やすしくん」が放送されるという不運が起きてしまい、遺族らから批判が殺到。
マスコミからも大バッシングを受け、この回で「やすしくん」は打ち切られてしまいました。
さらに、この「やすしくん」事件から『ごっつええ感じ』とダウンタウンへの批判は大きくなり、テレビ局内でも番組を継続するか否かたびたび議論が持ち上がるようになったといいます。
ごっつええ感じの本当の打ち切り理由が明らかに
長らく考察されていた『ごっつええ感じ』終了の理由が、2021年5月25日放送の『人志松本の酒のツマミになる話』でついに明らかになりました。
1997年9月28日、放送予定であった『ごっつええ感じ』の2時間スペシャルをフジテレビが急遽中止して、セ・リーグ優勝決定戦を流したのです。
事前に何の報告もなく、放送を差し替えられてしまった松本さんはこのことに激怒し、「もう『ごっつ』は終わりだ」と番組のボイコットを決意したといいます。
「一報がほしかったですよ。それが一切なくて。あの時、『ごっつ』のスペシャルで2時間で結構自信あって『めちゃくちゃおもしろいもん撮れた! ぜひ見てほしい』と思ってたら、野球の延長で急にバーンって、なんの連絡もなくて」と説明。「ちょっと血気盛んなときだったから、ブチッってきちゃって『やめじゃー!』って」
松本さんはエアバック事故の時からTV局側に不信感を募らせていたとのことですから、ここにきて怒りが爆発してしまったのでしょう。
さらに、この頃には番組に対する姿勢で浜田さんと溝ができていたといい、松本さんも「相方も辞めたがっていたし、いいだろう」と考えてやめる決意をしたそうです。
ごっつええ感じについてのまとめ
今回は1990年代に社会現象にもなった伝説のお笑い番組『ごっつええ感じ』について、打ち切りの理由などを中心に紹介しました。
今でも「いじめや差別を助長した有害な番組」と批判する声も見られる『ごっつええ感じ』ですが、実際にはこの番組がきっかけで新しい友人ができた人や、憂鬱な日曜日の夜が楽しみになったなど、ポジティブな思い出を持っている人のほうが多いのではないでしょうか。
打ち切りの理由は意外過ぎるものでしたが、おそらく続けていても、どこかで方向転換を迫られて勢いが落ちていた可能性もあります。人気絶頂期に突然終了した、というのも超人気番組の終わり方にふさわしかったのかもしれません。