だるま女とは?中国とタイの都市伝説・見世物小屋の中村久子さん・メキシコの事故・西太后など映画まとめ

だるま女とは四肢のない女性のことで、中国やタイの都市伝説にも登場します。

 

この記事ではだるま女の作り方、歴史、見世物小屋で働いていた中村久子さんの話、メキシコで起きた事故や西太后などだるま女が登場する映画についてまとめます。

だるま女とは

 

引用:https://pixabay.com/

 

だるま女とは生きたまま両腕と両脚を切断された女性のことで、誘拐された女性が四肢を切断されて逃げられないような状態にされ、奴隷にされるという残酷な都市伝説に登場します。縁起物のだるまのように顔と胴だけの姿であることから、このような名称がつきました。

 

都市伝説なっているのなら架空の存在かというとそうではなく、歴史上も中国の呂雉や武則天が気に入らない女性の四肢を切断したという話があり、古代中国には手足を切断する刑罰があったことも事実です。

 

また戦前には残虐性のある理由以外、病気などのやむを得ない理由で両腕両脚の切断を余儀なくされた女性が、見世物小屋で「だるま女」として登場し、興行をおこなうこともあったとされます。

 

 

 

だるま女の都市伝説① 試着室から消えた女子大生

 

引用:https://pixabay.com/

 

だるま女の都市伝説のなかで、もっとも有名なのが「試着室から忽然と姿を消した女子大生」の話です。この都市伝説は以下のような内容です。

 

パッケージツアーで香港を訪れていた女子大生グループの話だ。

 

旅行中に彼女らは洋服屋に立ち寄り、グループの1人が気に入った服を着てみたいと言って試着室に入っていった。

 

しかし彼女は試着室に入ったきり、一向に出てこない。外から声を掛けても反応がないため試着室のカーテンを開けてみると、彼女は忽然と姿を消していた。

 

慌てた友人らはお店の人に相談するが、店員は何も知らないという。先にホテルに向かったのかと思ってホテルに連絡してみたが、ホテルにも帰っていない。

 

友人らは帰国の日まで彼女を探し歩いたが見つからず、あとは警察に任せようという話になり、後ろ髪を引かれる思いで日本に戻った。

 

それからしばらくして、やはり消えた彼女のことが気になって、友人らは再び集まって香港へ向かった。すると、見世物小屋が建っており「だるま女」という看板が掲げられていた。

 

なんだろう、と思って中を覗いてみると、そこには行方不明になっていた友人が、両腕と両脚を切断された姿で見世物にされていた。

 

この都市伝説が流行りだしたのは、1981年頃とされています。このころは女性の大学進学率が上がり、若い女性の間で海外旅行がトレンドになりはじめた時期です。

 

そのため「女性だけで海外に行くと事件に巻き込まれるかもしれない」「男性に先駆けて海外旅行なんて」といったメッセージをこめてつくられた都市伝説なのではないか、と考察されています。

 

元ネタはオルレアンのうわさ?

 

引用:https://www.amazon.co.jp/

 

また、この都市伝説の元ネタは「オルレアンのうわさ」という、かつてフランスで流れたデマ話なのではないかとも指摘されています。オルレアンのうわさの内容は、以下のとおりです。

 

1969年5月初旬、フランス中部のオルレアンで「女性数名が行方不明になった」という噂が流れた。

 

同時に「行方不明になった女性たちはユダヤ人の商人らに誘拐された。彼女たちはブティックの試着室に入ったところを薬で眠らされ、試着室の床下にある秘密通路を運ばれて外国の売春宿に売られた」という噂もまことしやかに囁かれた。

 

そこまでわかっているのならと警察に通報する者もあったが、ユダヤ人の商人たちは警察にも新聞社にも金を握らせて、自分たちを見逃すように言いくるめていた。

 

だから行方不明になった女性については諦めるしかないし、事件も公にはならない。

 

オルレアンのうわさは根も葉もないつくり話で、オルレアンには行方不明の女性はおらず、また警察にも相談や届け出はありませんでした。

 

この話は1970年代にフランスを訪れた旅行者によって日本にも持ち込まれ、細かな単語などを変えてさまざまな都市伝説や噂話の骨格として利用されてきました。

 

 

だるま女の都市伝説② 新婚旅行でタイを訪れた夫婦

 

上の「試着室から忽然と姿を消した女子大生」と話の構造は同じですが、新婚旅行でタイを訪れた夫婦の妻が、立ち寄った洋品店で行方不明になったという都市伝説もあります。

 

こちらの都市伝説は話のオチがより残酷で、数年後に妻を探しにタイを訪れた夫が、道端に落ちている肉の塊のようなものを発見し、よく見ると両腕両脚がなくなって息絶えた妻の遺体だったというものです。

 

気分の悪くなる話ですが、この話の元ネタは夫婦の妻が新婚旅行中にローマで姿を消し、後にスペインのある街の路地裏で四肢を切断された姿で発見された、という1981年に起きた実際の事故だという説があります。

 

しかし、この都市伝説の真偽を追跡した「週刊読売」が取材で外務省に問い合わせをしたところ、そのような事件の報告はないとの回答があったといいます。

 

そのため「タイのだるま女」の都市伝説も、実際に起きた事件ではなくオルレアンのうわさを元にしていると考えられます。

 

 

だるま女の都市伝説③ 中国のだるま女村

 

引用:https://pixabay.com/

 

中国の奥地には通称・だるま女村と呼ばれる集落があり、この村では奇妙な風習があるという都市伝説です。この都市伝説の内容は、以下のようなものです。

 

毎年8月8日になると、だるま女村では村の女性の1人の四肢を切断して神社の神様にお供えとする風習があった。

 

神社に運ばれただるま女は村の権力者と性交した後、ミイラになるまで飲まず食わずで放置される。

 

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ミイラになっただるま女は、神社の一室に納められる。そのためこの村の神社には数十体のだるま女のミイラが奉納されている。

 

四肢を無くしても生きるだるま女の生命力にあやかって、村人の無病息災と村の繁栄を願うため、このような残虐な風習が続いているのだという。

 

もちろん、これも単なる都市伝説ですので、このような風習が残る村は実在しません。

 

 

だるま女の都市伝説④ 中国の見世物小屋

 

中国の見世物小屋に何気なく入った旅行者が、だるま女にされた日本人女性に助けを求められるという都市伝説です。この話は改変されてチェーンメールにもなったため、似た話を聞いたことがあるという人も多いかもしれません。

 

旅行で中国の田舎町にやって来た日本人バックパッカーがいた。町の片隅に「見世物小屋」という看板の出た小屋があったため、入ってみると四肢のない女性が見世物として舞台に出ていた。

 

彼女はもの言いたげな表情でずっと日本人バックパッカーを見ている。気になって近くによってみると、「私は日本人です。〇〇といいます。攫われてこんな姿にされてしまいました。お願いです、日本大使館に連絡してください、助けて」と小声で助けを求めらた。

 

バックパッカーは怖くなって慌てて見世物小屋を出て、〇〇という女性について調べた。

 

すると本当に、中国で行方不明になり捜索願が出されていた女性と同姓同名だったのだ。

 

この話をベースにして作られ、2000年はじめに流行ったチェーンメールでは、被害者は男性で名前の部分が立教大学3年生の〇〇となっていました。

 

 

 

だるま女と中国の歴史

 

中国の三大悪女として知られる、呂后、武則天、西太后。この3人はともに、気に入らない女性の手足を切り落として凄惨な仕打ちをしたという逸話を持っています。

 

西太后については彼女の熾烈な性格から「西太后ならやりかねない話」として作られたものですが、呂后と武則天は歴史書にも記述があるため事実の可能性があります。

 

ここでは歴史上、もっとも古くだるま女の概念が登場した話として知られる、呂后と武則天のエピソードを紹介します

 

呂雉(呂后)の人豚

 

引用:https://akj.u-bm.net/

 

呂雉は前漢の初代皇帝である劉邦の妃で、二代皇帝恵帝の母であった人物です。

 

父親の慧眼で、うだつの上がらない役人であった劉邦と結婚し、のちに皇后にまでなった呂雉ですが、劉邦の生前には彼の女癖の悪さに悩まされていたといいます。

 

糟糠の妻として夫を支えてきた呂雉にとって、とくに許せなかったのが側室の1人であった戚夫人という女性でした。

 

劉邦は戚夫人をいたく気に入っており、どこに行くのにも正妻の呂雉ではなく戚夫人を連れ歩きました。自分は正妻の呂雉よりも皇帝に愛されていると確信した戚夫人は、ある時、劉邦に「自分の子である如意を次期皇帝にしてほしい」と頼みます。

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もともと劉邦は自分と呂雉の間に生まれた息子・盈に対してどこか頼りない印象を持っていました。対して戚夫人との間に生まれた如意は利発で、劉邦も彼女の頼みに心を動かされます。

 

これを聞きつけた呂雉は計略を巡らせてなんとか盈を世継ぎにすることに成功しますが、戚夫人に対して凄まじい憎悪を抱くようになります。

 

劉邦が逝去すると呂雉は戚夫人を投獄し、奴隷のような扱いをしました。そして如意を毒殺し、

戚夫人を裸にして凶悪な殺人犯に強姦させた後、気を失った彼女の四肢を切断して両目をえぐり、耳と喉を硫黄で溶かしたうえで厠へ投げ捨てたのです。

 

さらに呂雉は自分の息子の恵帝(盈)を呼び「人豚(人彘)がいますよ、覗いてごらんなさい」と言って、厠の中を見るように促しました。

 

恵帝は最初、厠の中で蠢いているものの正体がわからなかったのですが、よくよく見ると変わり果てた戚夫人であることに気づきます。ショックを受けた恵帝は精神を病んで酒浸りになり、それが理由で早逝したとされます。

 

武則天

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

武則天は中国の歴史のなかで唯一の女性皇帝です。彼女は皇帝の寵愛をめぐって争った前皇后の王氏、前淑妃の蕭氏を廃位の1年以上前から牢獄のような部屋に幽閉していました。

 

そして西暦655年に自分が皇后の座につくと、棍杖で王氏と蕭氏を百叩きにしたうえで四肢を切断。「骨まで酔わせてやる」と言って、酒壺のなかに2人を投げ入れ、顔だけが出るようにして絶命するまで放置したのです。

 

2人は痛みのあまり数日間絶叫し続け、やがて力を失くして息絶えたといいます。しかし王氏と蕭氏を惨殺しても武則天の気は済まず、遺族たちの性を梟(ぼう)と蟒(きょう)という侮蔑的なものに変えさせたとされます。

 

ただ呂雉の話にしても武則天の話にしても、被害にあった女性が数日生きていたという描写があるため、史記に残っていてもつくり話なのではないか、という見方が有力です。

 

当時の中国の医療レベルなら、四肢を切られた時点で失血死するほかなかったはずです。古代中国では四肢を切るという処刑方法が採用されていたとの資料が残っていることから、呂雉や武則天がライバルだった女性を残酷な刑を課したという話に、尾ひれがついた可能性も考えられます。

 

 

だるま女は本当に見世物小屋にいた?

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

都市伝説でも「見世物小屋にはいたらだるま女がいた」という展開がよく見られますが、実際に明治から昭和にかけて興行していた見世物小屋では、四肢がない女性がだるま女として働いていました。

 

江戸時代からはじまったとされる日本の見世物小屋文化ですが、当時は珍しい動物を見せたり曲芸を披露したりしていたため、サーカスや動物園に近い存在でした。

 

しかし時代が下って明治になると見世物小屋での興行は過激さを増していき、障がい者や奇形の子どもを「〇〇人間」として公演に出すようになります。なかには児童虐待にあたる悪質な興行もあったとされます。

 

そこで見世物小屋の取締はどんどん厳しくなっていき、1947年に公布された「児童福祉法」で15歳未満の児童の就労が禁じられ、1970年に公布された「障害者福祉法」で障がい者の人権保護が強化されたことで、興行の様態も変わりました。

 

現在も靖国神社の「みたま祭り」などで見世物小屋が開かれますが、主演者の姿を見て驚くというより、ほかでは見られないアングラなパフォーマンスが見られる場という要素が強いです。

 

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だるま女として興行をした中村久子さん

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

中村久子さんは、実際に日本の見世物小屋でだるま女として働いていた女性です。

 

彼女は2歳の時に特発性脱疽という手足が壊死する病気を発症し、3歳の時に両手両足の切断を余儀なくされました。

 

幼くして過酷な運命を背負わされた久子さんでしたが、女手一つで子育てをしていた母親は「自分が死んでしまっても、この子が生きていけるようにしなければ」という考えから、手がなくても一通りの家事ができるように厳しく娘を指導しました。

 

母親とともに血が滲むような努力をした結果、久子さんは口や肩を使って裁縫、炊事、洗濯などさまざまな技術を身に着けていきます。

 

そして彼女は20歳の誕生日を前に「自分が生きていくためのお金は自分で稼がないと」と、自ら見世物小屋で働くことを決意したのです。

 

口を使って器用に編み物や刺繍などの細やかな作業をするという久子さんの芸は、地味ながらも見る人の心をつかみ、彼女はたちまち人気者となりました。日本だけではなく台湾や中国など、海外の興行に呼ばれることもあったほどです。

 

26年に渡って見世物小屋で働いたという久子さんの強く、困難の前にあって決して絶望しない姿勢は、ヘレン・ケラーにも「私より偉大な人」と称賛されました。

 

久子さんは1968年に享年72歳でその生涯を終えており、遺体は本人の希望で献体となりました。

 

彼女の遺体を解剖した岐阜大学医学部の医師は「体中、本当にボロボロでした。さぞかしお辛かったことだと思います。このような身体でよく頑張ってこられたと、お見事としか言いようがありません」と、涙していたといいます。

 

 

 

だるま女が現実に…① メキシコであったおぞましい事件

 

2017年10月、メキシコで四肢を切断された男女6人が路上に放置されるという衝撃的な事件が起こりました。

 

被害者たちは切断された箇所にビニールを巻かれており、額に「私は泥棒です」と書かれていたといいます。止血などの処置はされていなかったものの、全員まだ生きている状態で保護されて病院に運び込まれました。

 

この残虐な犯行はメキシコ国内最大の犯罪組織、シナロア・カルテルがおこなったものとされます。

 

被害者たちはシナロア・カルテルから薬物を購入したものの代金を支払わなかったため、制裁として暴行されたのではないかと報じられました。

 

なお、被害者たちの手足は道路脇にビニールに入った状態で放置されていたとのことです。

 

 

だるま女が現実に…② タイやインドでの物乞い

 

引用:https://moviedrama.net/

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タイやインドなど、貧しい人や子どもによる物乞いが街中で見られる国では、マフィアが子どもや女性を誘拐して手足を切断し、哀れみを誘う姿にして物乞いをさせて得たお金をピンはねする行為が未だに続いているとされます。

 

お金をピンはねするほど物乞いで稼げるものだろうか?と感じますが、仏教やヒンドゥー教では今生で徳を積むほど来世で報われるという教えがあるため、不幸な人への寄付は徳を積む手段と考えられているといいます。

 

このように物乞いがある種の宗教的文化のような形で根付いている国には、物乞いを生業にしている人も多くいます。

 

そのため少しでも通行人の目を引くよう、乳児をよそから借りてきたり、身体の一部を欠損させることがあるのだそうです。

 

 

だるま女が登場する映画① 「西太后」

 

引用:https://eiga.com/

 

中国と香港の共同制作で1984年に公開された映画「西太后」は、中国三大悪女の一人である西太后の熾烈な性格を強調するため、残虐なシーンが多い映画として知られます。

 

あらすじは、皇帝を凌ぐほどの強大な権力を手に入れたいという野望を持つ美貌の少女・玉蘭(西太后)が、咸豊帝の寵愛を得るために画策するというもの。

 

本作のなかで西太后はさまざまな手段で後宮の女性を葬っていくのですが、とくに凄惨なのが皇帝の側室で寵愛をめぐってライバル関係にあった麗妃の四肢を切り、壺の中に入れてだるま女として見世物にするシーンです。

 

このシーンは事実ではなく、上で紹介した武則天の話から派生した逸話なのですが、映画「西太后」は「歴史を学ぼうと思って観たらとんでもないトラウマを植え付けられた」という人も多い、ある意味で有名な作品です。

 

 

 

だるま女が登場する映画② 「十三人の刺客」

 

引用:https://livedoor.blogimg.jp/

 

2010年に公開された三池崇史監督の映画「十三人の刺客」にも、四肢を切断された女性が出てきます。

 

この作品は13対300という多勢に無勢で繰り広げられる迫力あふれる殺陣、そして元スマップの稲垣吾郎さんが猟奇的な悪役を生々しく演じたことで話題になりました。

 

序盤では稲垣吾郎さん演じる松平斉韶の残虐性を強調するため、家老が老中に直訴した後に切腹したことを知ると、自分を省みるどころか家老の妻子を弓矢で殺して楽しむ、武家の妻を強姦したうえで夫の死体をバラバラに切り刻む、そして百姓一揆をした首謀者の娘を捕らえて四肢を切断してだるま女にし、慰み者にするというグロテスクなシーンが続きます。

 

容赦ないまでに観客からも嫌われる悪役を演出したことで、主人公らが立ち上がり、見事に斉韶を討つことにカタルシスを感じる人が多かった一方、稲垣吾郎さん目当てに観に行った女性のなかには、気分が悪くなってしまった人もいたといいます。

 

 

 

 

だるま女の作り方はあるのか?

 

呂雉や武則天の時代には四肢を切断した状態で人を生かしておくことは不可能でしたが、現代の医療技術であれば人工的にだるま女を生み出すことも可能ではあります。

 

しっかりと麻酔をかけたうえできちんと縫合すれば、失血死することもありません。ただ、病気でも事故でもなく、健康な人の手足を切断する処置を引き受ける病院は存在しないでしょう。

 

無免許医であれば引き受けるかもしれませんが、腕の良い無免許医などという漫画のような存在がいるとは限りませんし、劣悪な環境で手術した場合、処置に失敗してしまうおそれもあります。

 

 

 

だるま女についてのまとめ

 

この記事ではだるま女の都市伝説や、歴史に登場するだるま女の逸話、だるま女が登場する映画などについて紹介しました。

 

だるま女と聞くと猟奇的なイメージが浮かびますが、日本に実在しただるま女として有名な中村久子さんは、自分の障がいに負けずに強く生きました。転んでも立ち上がる、まさに縁起物のだるまを体現したような彼女の精神には学ぶことが多いと感じます。

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