緒方純子の現在!松永太と北九州監禁殺人事件・息子への手紙・その後も総まとめ

緒方純子は、1996年から1998年にかけて発生した北九州監禁連続殺人事件の犯人です。この記事では緒方純子の生い立ちや実家、共犯の松永太との関係、事件の動機と判決、結婚、家族、逮捕後に残された息子の現在や獄中からの手紙について紹介します。

緒方純子が起こした北九州監禁連続殺人事件の概要

 

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2002年3月、福岡県北九州市小倉北区のマンションの一室で7人の男女が監禁、殺害されていたという衝撃的な事件が発覚します。

 

事件はこのアパートに監禁されていた17歳の少女の通報によって判明し、当初はこの少女のみが被害者の監禁事件かと見られていました。

 

しかし実際には5歳の幼児まで含む7名がマンションの部屋で虐待死しており、遺体も解体され遺棄されていたのです。

 

しかも被害者には犯人の1人である緒方純子の父親、母親、妹、義理の弟、甥、姪も含まれており、一家は主犯の松永太のマインドコントロールの元、家族間で殺し合いをしていたことも判明。

 

あまりにも衝撃的なこの事件は「北九州監禁連続殺人事件」と呼ばれ報道されましたが、詳細がわかるにつれて犯行の残虐さとともに、自分の親兄弟を手にかける緒方純子の行動の不可解さが話題を呼ぶことになります。

 

そして搜査や取り調べの結果、緒方純子もまた松永太のマインドコントロール下にあり、加害者でありながら被害者でもあったことが明らかになったのです。

 

そのため裁判では主犯の松永太に死刑判決が下った一方、家族を含む被害者を手にかけていた緒方純子は無期懲役判決を受けるにとどまりました。

 

なお、北九州監禁連続殺人事件はあまりにも残酷かつ卑劣な犯罪であったために事件発覚から暫く経って報道規制がされたとの噂もあり、凶悪さに比べて知名度が低いとも言われています。

 

 

 

緒方純子と松永太の関係・結婚はせず内縁関係だった

 

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北九州監禁連続殺人事件の犯人である緒方純子と松永太は、高校(福岡県立三潴高校との噂あり)の同級生でした。

 

しかし松永は2年時に家出少女を家に連れ込み、これが不純異性交遊として問題視されて退学処分に。その後は私立の男子校に編入しており、高校時代の緒方純子と松永に交友関係はありませんでした。

 

ところが1980年、短大生であった緒方純子のもとに松永から突然1本の電話がかかってきたのです。

 

松永は「高校の時に君に借りていた50円を返したくて。会えないかな?」と緒方純子に伝えてきたといいます。

 

ほとんど話したこともない相手から貸した覚えのないお金の話をされて困惑したそうですが、結局、緒方純子は松永に会うことにしました。ただ、この時は松永に対する警戒心があったために喫茶店で少し話した後、何事もなくすぐに別れたとのことです。

 

なお、松永は友人から退学した高校の卒業アルバムを入手しており、そこから緒方純子の電話番号を知ったとされます。

 

なぜ松永が緒方純子に連絡したのかは裁判などでは語られていませんが、福岡県警担当記者が捜査員に聞いた情報によると「当時の松永は『ジュンコ』と言う名前の女性と結婚を控えており、同名の緒方純子にイタズラで電話をかけただけ」だったそうです。

 

 

 

再度の電話と交流開始

 

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1981年、前回の接触から1年後に松永は再び緒方純子に電話をかけます。この時の松永は実家の畳屋を引き継いで、「ワールド」という布団販売業を主とする会社を立ち上げていました。

 

再度呼び出された緒方純子は、会社経営者という肩書を得て大げさに経営論や仕事の大変さを語る松永に好意を持ってしまったとされます。

 

松永太は病的なほど虚言癖がひどく、目立ちたがり屋で、とにかく自分を大きく見せたい人物でした。松永が経営するワールドは実際には真っ当な会社ではなく悪徳商法に手を出していたのですが、緒方純子は松永の作り話をすっかり信じてしまったのです。

 

そして1982年10月、松永の誘いにのった緒方純子は彼と肉体関係を持ってしまいます。真面目な性格であった緒方純子にとって、松永は初めてキスをした相手だったそうです。

 

肉体関係を持った時、緒方純子は松永が妻帯者だと知っていました。しかし、松永から「妻とは上手くいっていない」「離婚したい」などと聞かされ、いずれは離婚して自分と一緒になってくれるかもしれないという期待を持っていたといいます。

 

さらに松永から高価なバッグやアクセサリーなどをプレゼントされ、すっかり松永には経済力があり、自分が本命なのだと信じ込んでしまったのです。

 

しかし松永の狙いは緒方純子の愛情ではなく、彼女の実家の財産でした。後述しますが緒方純子の実家は資産家で、松永はそれとなく両親が持っている土地の情報などを緒方純子から聞き出していたといいます。

 

そして婿養子をとらないといけないという緒方純子の立場に漬け込み、「妻と別れたら、自分が婿養子に入る。仕事は辞めてもいい」などと甘言を弄しました。

 

 

 

デートDVと自殺未遂

 

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ところが緒方純子が夢見たような幸せな結婚生活は訪れませんでした。2人が肉体関係を持って2年もすると松永は残虐で執念深い面を覗かせ、緒方純子に殴る蹴るの暴行をあびせるようになったのです。

 

最初の頃は緒方純子の親族が妻子ある男との交際を心配して、興信所を使って松永のことを調べたことや、2人の交際を反対したことを言葉で責められるだけだったといいます。

 

しかし次第に松永は「俺を疑いやがって」「お前のせいで人生が滅茶苦茶だ」などと怒鳴りながら、緒方純子に手を挙げるようになりました。

 

ここで別れておけばよかったものの、緒方純子は「松永に信用してもらえない自分が悪いのだ」と考え、暴力を受け入れてしまいます。

 

そして暴力はエスカレートしていき、1984年の終わりには他の男性との関係を疑った松永により、緒方純子は右胸にタバコの火の火傷で、右大腿部に安全ピンと墨汁でそれぞれ「太」と松永の名前を刻まれました。

 

さらに松永は緒方純子が周囲との交友関係を断つようにして、彼女を孤立させました。家族や親族、友人に電話をかけるよう緒方純子に命じては横からメモを差し出して電話相手に罵詈雑言をあびせるように指示し、怒った相手が彼女と距離を置くように仕向けたのです。

 

孤立した緒方純子はますます松永に依存するようになり、ついに暴力と精神的な苦痛、勤務後に松永から呼び出され続けたことによる睡眠不足から、当時勤務していた幼稚園を退職してしまいます。そしてその数日後に自殺未遂を起こしてしまいました。

 

 

 

マインドコントロール

 

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自殺未遂は、緒方純子の人生をより悪いものへと変えました。彼女の母親は娘の自殺未遂を松永に知らせてしまったのです。

 

病院に駆けつけた松永は狼狽える松永家の面々に対して「純子さんは非常に危うい状態にある。また自殺未遂をするだろうし、次は死んでしまうかもしれない。しかし、私の言うことは聞いてくれるので、私が見ていれば大丈夫だと思う。彼女を預かりたい」などと言い、自分の家に彼女を連れ帰りました。

 

自宅に緒方純子を連れ帰った松永は、彼女の顔を殴りつけ「自殺をしたら警察が来るだろうが」「家族の気持ちを考えなさい」などと言って聞かせました。

 

傍から見れば「誰のせいで自殺を図ったと思っているんだ!」と言いたくなる状況ですが、もはや松永の支配下にあった緒方純子は「なんて愛情深く、広く物事を見られる人なのだろう」と松永に心酔。

 

入院中には「松永に苦しめられていることを家族に明かして助けてもらおうか」と考えていたといいますが、一転して実家には帰らない、このまま松永と暮らそうと決心してしまったのです。

 

 

 

両親との絶縁

 

その後、1985年3月に松永とともに実家を訪れた緒方純子は、これからは松永の元で生きていくので絶縁してほしいと両親に願い出ます。

 

当然、両親は反対しましたが娘から「絶縁してくれないなら今度こそ本当に死ぬ。風俗で働く」などと脅されて対応に悩むことに。

 

そこに松永が「私と一緒入れば純子さんは立ち直れる。自殺もさせないし、責任を持って面倒を見ましょう」と申し出て家族と縁を切ることの重要性を訴えたことから、ついに両親は「純子とは絶縁する」という念書を書いてしまいました。

 

こうして緒方純子は父親が筆頭者の戸籍から抜け、完全に家族とも分断されたのでした。

 

 

 

内縁の妻になった後も続いた暴力

 

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松永の元で暮らすようになった緒方純子は、松永の会社「ワールド」の経理や事務を任せるようになりました。

 

なお、この頃になっても松永は妻と離婚しておらず、会社のビルの1階に妻子を住まわせ、3階に緒方純子を住まわせていたそうです。

 

また松永の暴力も相変わらず続いており、言いつけておいた仕事が終わっていないなどの理由で緒方純子に暴行をくわえていました。

 

首に松永からの空手チョップを受け続けたために緒方純子の喉は潰れ、しゃがれた声しか出なくなり、食事制限や睡眠時間の制限などもされたことから体重は30kg代にまで激減したといいます。

 

こうして長い間、暴力を受け続けた緒方純子は完全に松永が命じる通りに動くようになり、指示されるがままに自分の親や兄弟まで異常な監禁生活に巻き込んでいったのでした。

 

 

 

緒方純子の生い立ち① 裕福な実家と家族

 

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緒方純子は1962年2月25日に福岡県久留米市武町生で誕生しました。実家は農家で父方の祖父は元村議会議員、父親は農業をする傍ら鋼鉄の線材を作るメーカーに務めており、村の3分の2を占めたとされる名家・緒方家の本家だったといいます。

 

兼業農家ではありましたが緒方家の農地は約2ヘクタールもあり、専業農家としても生計が立てられるほど裕福だったそうです。

 

母親の実家も久留米市内の裕福な農家で、高校卒業後に緒方家に嫁に入りました。

 

厳格な両親のもと不自由なく育てられた緒方純子は、地元の公立中学を卒業した後に松永太と同じ公立高校に進学。退学した松永とは異なり高校の成績も優秀で、同級生からは以下のような証言も出ています。

 

「どちらかというと地味で、おとなしめの子でした。ただ、成績は良かった印象があり、高校時代は進学クラスに入っていました」

 

引用:「借りていた50円を返したい」同級生からかかってきた電話が地獄の始まりだった

 

緒方純子が生まれた3年後には妹も誕生しており、家族仲もよく、近隣住民からも非常に評判の良い一家だったそうです。

 

 

 

緒方純子の生い立ち② 幼稚園教諭として勤務

 

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高校を卒業した後に緒方純子は福岡市内の短期大学に進学し、卒業後は幼稚園教諭として働き始めました。

 

子どもが好きで責任感の強い先生だったといい、幼稚園の園長や園児の保護者からも高い評価を得ていたといいます。まさに天職だったのでしょう。

 

しかし幼稚園教諭として働き始めて2年11ヶ月が過ぎた1985年2月、勤務中に倒れてそのまま退職することになります。

 

松永からのDVで心身ともに疲弊しきっていた緒方純子は、当時受け持っていた年中クラスの保育参観中に保護者の前で倒れてしまったのです。

 

その後、「療養のために1週間休みを取りたい」と申し出たきり、緒方純子が幼稚園に出勤することはありませんでした。

 

心配した幼稚園の関係者が緒方家に見舞いに訪れたところ、家には祖父しかおらず、彼女が今どうしているのかさえ教えてもらえなかったといいます。

 

前述したように、その頃の緒方純子は自殺未遂を起こして入院していました。そのため家族も勤務先になんと説明したら良いのかわからなかったのでしょう。

 

結局、彼女が幼稚園に戻ることはなく2月の末付で幼稚園には退職届が出されることとなりました。なお、3月に出た退職金は本人ではなく緒方純子の母親に手渡しされたそうです。

 

 

 

緒方純子が北九州監禁連続殺人事件を起こすまで① 会社の倒産

 

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1992年10月上旬、松永の会社「ワールド」は8月に2度の手形の不渡りを出して倒産することとなりました。

 

ワールドは随分前から経営が危うくなっており、松永は社員や自分の愛人にまで借金をさせて運転資金を賄っていたといいます。倒産によって借金を背負わされた愛人たちは、次々と愛想を尽かして松永のもとを去っていきました。

 

同年の1月には妻のジュンコさんも度重なる暴力に耐えかねて離婚調停を起こし、松永との縁を完全に切ったとされます。

 

一方で緒方純子はこの年の6月に松永の子どもを妊娠。松永に中絶を勧められても応じず、このまま松永と暮らしながら出産する決意を固めていました。

 

しかし、親になるというのに緒方純子は妊娠が発覚した翌月には松永とともに詐欺事件を起こします。

 

金策に困った松永とともに以前に借金のため名義を借りた小学校教諭の母親のもとを訪れ、「お嬢さんにお金を貸している」と嘘をついて322万円を詐取したのです。

 

さらに7月31日のも緒方純子は松永に連れられて柳川市内の信用金庫を訪れ、手形の支払期限を延ばすようにゴネて翌朝まで居座り、机を壊すなどの破壊行為をおこないました。

 

こうして緒方純子は松永とともに指名手配となり、ワールドの倒産とともに柳川市から遁走することとなります。

 

 

 

緒方純子が北九州監禁連続殺人事件を起こすまで② 北九州市での暮らし

 

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柳川市から逃げ出した松永と緒方純子は、松永の出生地でもある北九州市にやって来ました。この時、2人とともに最後まで「ワールド」に残っていた元社員の男性も2人とともに北九州市に来たとされます。

 

この男性は後に「ワールドに務めていた頃は精神的に松永の支配下にあり、まともな判断ができなかった」と述べたといいます。彼もまた、松永のマインドコントロールを受けていたのです。

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男性は緒方純子と婚約していると偽って不動産屋を訪れ、北九州市小倉北区のアパートを契約。この物件を紹介した不動産屋の担当者こそ、後に本件の最初の犠牲者となる人物です。

 

なお、この男性も南京錠などを使ってアパートに監禁され、暴行を受けた挙げ句に実家の母親から金を引き出すよう松永に命じられ、社員時代から合計1億3000万円もお金を松永に渡していたとされます。

 

この男性は、1993年の1月下旬に松永と緒方純子がいない隙を見て運良く逃げ出すことに成功。命は助かっています。

 

一方、男性職員が逃げたことにより松永は新たな金蔓を探す必要に迫られました。

 

実は松永は過去にヤクザから数千万円の金を騙し取っており、柳川市を出たのも会社が倒産したからではなく、ヤクザに追われているという理由からでした。そのため働きに出ることも、同じ場所に長くとどまることも自殺行為に等しかったのです。

 

金策に悩んだ松永は福岡市内で暮らすかつての恋人に連絡し、言葉巧みに現金240万円を引き出しました。

 

そしてそのお金をもとに、松永と緒方純子は福岡県北九州市小倉北区片野1丁目6-5にあるマンション「メイン芳華」(現・ロイヤルプラザ)の303号室に移り住みます。

 

この「メイン芳華」こそ、北九州市監禁連続殺人事件の舞台となる場所です。なお2人は逃亡中であるため、部屋の名義人は前述の元交際相手の女性でした。その後も松永と緒方純子はこの女性からお金を引き出しては、市内のマンションを転々としていたとされます。

 

しかし元交際相手の女性は松永の金蔓として利用された挙げ句、心身ともに衰弱して別府市内で自殺。

 

このことにより、また新たな金蔓が必要となった松永が目をつけたのが、不動産屋で働く被害者男性だったのです。

 

 

 

緒方純子が起こした北九州監禁連続殺人事件の詳細① 第一の被害者

 

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第一の被害者となる不動産屋勤務の男性は、たびたび物件を借りに来る松永と緒方純子のことを乗客だと思っていたそうです。

 

このことに気づいた松永は「競馬の予想をする会社を立ち上げるから、一緒にどうか」と嘘をついて男性を取り込み、ことあるごとに男性を呼び出して徐々に自分の支配下に入れました。

 

当時、松永と緒方純子を紹介されたという男性の内縁の妻によると、松永は「宮崎」、緒方純子は「田中」と偽名を名乗り、緒方純子は1歳位の男の赤ちゃんを抱っこしていたそうです。この子どもは、松永との間にできた子でした。

 

また緒方純子の印象については「腰が低く、訛りがあった」と証言しており、とても人を騙すような人物には見えなかったといいます。

 

しかし内縁の妻に良い顔をする一方で松永は男性をマインドコントロールを施し、松永に操られた男性は内縁の妻に離縁を申し出て家を出ていってしまうのでした。

 

そしてこの時、男性の連れ子であった長女も父親に付き従って家を出てしまいます。この長女は、後に北九州市監禁連続殺人事件発覚きっかけとなる少女で、事件の唯一の生き残りとなる人物です。

 

 

娘を人質に男性を暴行

 

内縁の妻と暮らすマンションを出た男性は社宅に移り住み、ました。娘は「これからは緒方純子が面倒を見る」と言ってメイン芳華に連れて行かれ、男性もここに通うようになります。

 

男性には勤務先で金を横領した過去があり、酒に酔わせてこれを聞き出した松永は彼を散々罵倒したうえで通電や殴る蹴るの暴行を開始。給料も取り上げていました。

 

そのうちに弱った男性が出勤できなくなると、松永は緒方純子と男性の娘と3人で暮らしていたメイン芳華に男性を住まわせ、暴力にくわえて食事制限や排泄制限、睡眠制限など人間の尊厳を奪う虐待をするようになります。

 

さらに娘を脅して、父親を殴ったり噛み付いたりするように命じたといいます。

 

虐待には緒方純子も積極的に加担しており、松永がいない時には彼女が中心となって暴行がくわえられました。

 

男性はなぜか緒方純子に優しく、衰弱死する数日前にも妊娠中の彼女に対して「元気な赤ちゃんを産んでください」といたわるような声がけをしていたそうです。

 

しかし松永の支配下にあった緒方純子の心が動くことはなく、1996年2月26日には男性が死亡。

 

男性の遺体は松永の命で緒方純子と彼の娘が協力して解体し、大分県内の海に遺棄したとされます。

 

なお、緒方純子は男性の遺体を遺棄した直後に病院に駆け込み、次男を出産しています。

 

 

 

緒方純子が起こした北九州監禁連続殺人事件の詳細② 由布院事件

 

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元交際相手の女性、不動産屋の男性と金蔓を失った松永は「お前もどうにかして金を作れ!逃亡生活で何も役に立っていないじゃないか」と緒方純子を罵り、松永の役に立ちたい彼女は実家に金の無心を繰り返していました。

 

しかし、じきに実家の母親からも「これ以上は貸せない」と借金を断られてしまい、それならばと妹に連絡をしても「さんざん迷惑をかけてきて、今度は金の無心か」と冷たくあしらわれてしまいます。

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困り果てた緒方純子は自分で働いて得た金を松永に渡そうと考えましたが、猜疑心の強い松永に「働きに出たい」などと言っても認められるわけがなく、酷い暴行を受けるだけです。

 

そのため緒方純子は1997年4月、当時4歳と1歳だった息子達を伯母に預けて由布院のスナックで住み込みで働こうとしました。

 

彼女を雇ったスナックのママによると、緒方純子の印象は暗く、地味でいかにも訳ありといった様子だったそうです。

 

働き口が決まった緒方純子は「松永は逃走資金150万円用意すれば、自分は出ていくと言っていた。自分は人殺しの共犯者になってしまったから、一生、松永の命令どおりにしか生きられないと思っていたが、ここで150万円貯められれば自由になれるかもしれないと思った」と、逮捕後に明かしていました。

 

この頃には、子どものためにも松永と離れたほうが良いと思っていたのです。

 

しかし、松永は緒方純子が自分から離れるのを許しませんでした。

 

実家に挨拶に行った後に松永はなんと緒方純子の母親と肉体関係を持つようになっており、母親を通じて彼女が由布院にいることを聞き出していたのです。

 

松永は緒方純子が不動産屋の男性を殺害したと彼女の両親に伝え、両親と妹夫婦を北九州市に呼び出して、「純子から電話があったら俺が死んだと言って帰ってこさせろ」と脅しました。

 

そして息子の様子を聞こうと母親に連絡した緒方純子は、まんまと騙されて松永の偽の葬儀に参加するために北九州市に戻ってしまいます。

 

そして帰ってきたところを「身内から殺人犯が出てしまうなんて」と松永の話を信じ込んだ自分の家族に取り押さえられ、再び松永の支配下に置かれて一層酷い虐待を受けるようになってしまうのです。

 

 

緒方純子が起こした北九州監禁連続殺人事件の詳細③ 狙われた家族

 

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由布院での一件があって以降、緒方純子の両親や妹夫婦は頻繁に松永に呼びつけられるようになり、「俺は人殺しの純子を匿い、面倒を見てやっているんだ」「俺が見張っておかないと、また誰か殺すかもしれない」「身内から殺人者が出たなんて知られたら、あんた達一家もどうなるだろうな」などと脅されていました。

 

父親の誉(たかしげ)さんは「殺人の証拠を隠さないと純子が逮捕されるかもしれない」と脅されて、遺体の解体作業で汚れたメイン芳華303号室の台所の配管を替えさせられたといいます。

 

これにより誉さんは「殺人に加担してしまった」と罪の意識に苛まれるようになり、松永に付け入られるようになっていきました。

 

そして松永は両親の前でも通電などの激しい暴行を緒方純子に与えるようになり、家族が「やめてくれ!」と泣き叫ぶと、金を持ってくるように恫喝したといいます。

 

さらに松永は自分が狙っていた緒方家の婿養子、跡取りの座についていた妹の夫に目をつけました。

 

元警察官で真面目な妹の夫に近づき、「婿養子だからと義父母から不当な扱いを受けているのではないですか?」「男として、妻の家の奴隷に甘んじていていいんですか?」と理解者ぶって不満を聞き出すなどしたといいます。

 

また妹とは肉体関係を結び、それを「奥さんの方から言い寄ってきた」と妹の夫に伝え、妹に憎しみが向くように仕向けました。

 

こうして妹夫婦の仲が悪くなり、離婚の話し合いの場が持たれると松永は「お子さんは私が預かっておきましょう」などと言って、当時10歳の妹夫婦の長女と4歳の長男を北九州市に連れて行き、それきり返さなかったといいます。

 

そして幼い2人を人質にとり、妹夫婦を意のままに操るようになっていったのです。

 

 

 

緒方純子が起こした北九州監禁連続殺人事件の詳細④ 一家で殺しあい

 

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松永に頼らないと娘は殺人罪で逮捕されてしまう。連日、仕事を終えてから北九州市に通っていた緒方純子の父の誉さんは徐々に正常な判断ができないようになっていき、松永の要求したお金を用意するために土地を売ろうとしていました。

 

しかし、誉さんの様子がおかしいことに気づいた親族によって土地の売買は阻止されてしまい、怒った松永によって誉さんは通電され、そのままショック死をしてしまいます。

 

これは1997年12月21日の出来事で、緒方純子は父親の遺体を解体した後に息子の誕生日会やクリスマス会をしていたそうです。

 

その後、松永によって監禁された緒方純子の母親、妹夫婦、姪、甥は心身ともに壮絶な虐待を受けるようになりました。

 

なお、この頃の松永と緒方純子は北九州市内の別のマンションに住んでいましたが、殺人と遺体の解体は決まってメイン芳華でおこなっており、自分たちの住居に監禁していた被害者に対して「そろそろお前もあそこ(メイン芳華)に行くか」などと脅していたといいます。

 

監禁されていた人達にとって、メイン芳華の部屋はまさには処刑場だったのです。

 

そして1998年1月20日には緒方純子と妹夫婦によって母親の静美さんが絞殺され、1998年2月10日には緒方純子と妹の夫、姪によって妹が絞殺されることとなります。

 

これはいずれも松永が命じたことで、加害者となった家族らは「自分たちが殺さなければ、松永にもっと酷い目に遭わされる」「命令に従わなけれな、自分たちだってどうなるかわかったものではない」と話し合った結果、苦渋の決断を迫られた結果でした。

 

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さらに1998年4月13日には妹の夫が衰弱死。両親が死んだ後、「生かしておくと面倒なことになる」との松永の判断から、緒方純子と不動産屋の男性の娘によって幼い姪と甥も殺害されました。

 

こうして2002年3月6日に不動産屋の男性の娘が逃亡して事件が発覚するまでの間に、松永の命令によって7人もが殺されたのです。

 

 

 

緒方純子に下された判決

 

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2005年9月28日、福岡地裁小倉支部での判決公判で緒方純子に言い渡された刑は、松永太と同じく死刑でした。

 

松永は自分は直接手を下していないことを理由に死刑は不当だと上告した一方、緒方純子は死刑を受け入れるつもりでいたといいます。しかし、弁護団から「あなたも被害者なのだ」と説得されて上告を決意。

 

そして2007年9月26日、福岡高裁で開かれた控訴審判決では一審の死刑判決が破棄され、無期懲役という量刑になったのです。

 

減刑の理由は「元警察官であった義理の弟でさえ犯行に加担していたことを鑑みるに、被告は松永太の暴力下で正常な判断ができない常況にあったと考えられる」と説明されました。

 

検察は死刑を求めて上告しましたが、最高裁は2011年12月12日付けで上告を棄却しており、この日をもって緒方純子の無期懲役が確定しています。なお、松永太についても同日に死刑が確定しました。

 

 

 

緒方純子が北九州市監禁連続殺人事件に加担した動機

 

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裁判でも指摘されたように、緒方純子が自分の家族まで手にかけるという凄惨な事件を引き起こしたのは、松永のマインドコントロール下にあったためです。

 

しかし、同じく裁判では無期懲役以下の減刑が認められない理由として「松永から逃げようと思えば、逃げる機会はあった。警察に助けを求めることもできた。それにもかかわらず、松永の元を離れなかったのは、被告人本人が松永と共に生きたいと望んだからである」とも言及されていました。

 

松永は女性に受ける容姿をしていたうえ、口達者で自分を良く見せる術に長けていたことから非常にモテていたといいます。

 

しかし久しぶりに再開したときには何も感じなかったという点から見ても、容姿や口のうまさだけが理由で、緒方純子が松永に入れ込んだのではないのではないかと考えられます。

 

前述のように、緒方純子は代々続く名家の長女で、周囲には分家の親戚が数多く住んでいるような環境で育ちました。

 

家では厳格な両親、外に出れば親族の目が自分に向けられていて、本人に自覚はなくても気の抜けない生活を送っていたのではないかと思われます。

 

兄弟も妹だけですから、親や親族が認める男性と結婚して跡取りを産むのが自分の役目だという意識も早くからあったのではないでしょうか。

 

名家の長女という立場に縛られ続けてきた真面目一辺倒の緒方純子にとって、妻帯者の松永との不倫は初めての親への抵抗だったのかもしれません。

 

また、松永は多数の愛人をつくっていたといいますが、緒方純子だけは愛人の中でも別格で、「ワールド」の社員からも姐さん、奥様と呼ばれて特別な扱いを受けていたそうです。

 

松永の周囲にいる女性の中で自分が頂点で「ワールド」の社員からも頭を下げられるという体験は、男性経験がなく、これまで抑圧されて育ってきた緒方純子にとってとてつもない昂揚感を与えたのではないかと予想されます。

 

この人と一緒にいれば、親や親戚の目を気にせずに新しい自分になれる。そのような思い込みが緒方純子を縛り、松永から離れられなくしてしまったのかもしれません。

 

 

 

緒方純子の現在

 

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長らく松永のマインドコントロール下にあった緒方純子ですが、逮捕されて松永から離れ、弁護団から何度も「あなたは正常な判断ができなかったんです」と説得されるうちに、徐々に洗脳が解けていったとされます。

 

裁判の間には松永が自身の公判で言っていたことを弁護士から聞かされ、「まだ、そんなことを言ってるんですね」と呟くこともあったそうです。

 

現在、緒方純子は麓刑務所(ふもとけいむしょ)に服役中ですが、トイレにも行かれてきちんと食事や睡眠もとれ、好きな本も読める獄中生活は松永との暮らしに比べてずっと快適で、人間らしい生活だと感じているといいます。

 

また緒方純子は刑務作業で得た賃金から、北九州市監禁連続殺人事件や松永太による詐欺の被害者への賠償金を支払い続けているとのことです。

 

 

 

緒方純子が息子や周囲に送った手紙

 

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逮捕後、裁判までの間に緒方純子は義弟の両親などの親族に対して謝罪の手紙を送っていたといいます。

 

手紙は端正な字で綴られ、「今更謝られても許せない。2人そろって死刑になるべきだ」という遺族もいる一方で「純子は操られていただけで、ある意味被害者だ」と同情的な目を向ける者もいたそうです。

 

しかし、謝罪の手紙の大半は判決の後には送られないようになりました。

 

そんななか、逮捕から20年が過ぎても獄中から緒方純子が手紙を送り続けている相手がいます。松永太との間に生まれた2人の息子達です。

 

1993年と1996年に生まれた息子達は出生届を出されていなかったため行政に存在を把握されておらず、長男は小学校にも通わせてもらえていませんでした。

 

また、松永は自分の子供に対しても通電や暴力をくわえるように緒方純子に命じていたといい、2人は地獄の環境で育ったとされます。

 

そのような息子達に対して緒方純子が送った手紙が2017年に放送されたフジテレビ系列のドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクションSP 人殺しの息子と呼ばれて』で紹介されたのですが、内容については視聴者から批判を集めました。

 

出典:https://twitter.com/

 

一見すると丁寧に書かれた手紙なのですが、文中には星やハートマークが多用され「今は辛いかもしれないけど、Fight!!(母は助けてあげられないけど)」などと綴られており、「まるで他人事。子どもが辛い境遇にいるのは自分の責任なのに、妙にテンションが高くて不気味だ」と物議を醸したのです。

 

実際に手紙を受け取った長男も『ザ・ノンフィクション』の番組内で、「何をしてくれるわけでもないのに、こんな手紙を貰っても。口では何とでも言える」と冷ややかな反応をしていました。

 

 

 

緒方純子の息子の現在

 

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=7DvfECcoIB8]

 

緒方純子の息子(長男)は現在、「松永太の息子」というチャンネルを開設してYouTuberとして活動しており、緒方純子に面会に行った時の感想などを語る動画や日常の動画をアップしています。

 

『ノンフィクション』でのインタビューでは緒方純子を拒絶し、わかり合うことは生涯ないという雰囲気でしたが、2020年に投稿した動画では「凄惨な事件を起こした犯人なのだという拒絶反応はもちろんあるが、かつてのような憎しみはない。愛情はないが、この人が親なのだと受け入れる気持ちは生じつつあると思う」と複雑な心境を明かしていました。

 

なお、息子(長男)は私生活では結婚をして穏やかな暮らしを送っているようで、最近ではYouTubeに投稿する動画も趣味のものが多くなっています。

 

YouTuber活動はあくまでも趣味で本業は別にあるといい、「加害者の子として凶悪事件の解説動画をあげてほしいという感想をもらうことがあるんですが、いつまでも親の事件に縛られ続けるのは嫌なので、ご希望には添えないですね」と話していました。

 

 

 

緒方純子と北九州市監禁連続殺人事件についてのまとめ

 

今回は北九州市監禁連続殺人事件の犯人の1人である緒方純子の生い立ちや、主犯の松永太との関係、下された判決や現在について紹介しました。

 

裕福な家庭で産まれ、品行方正な優等生であったという緒方純子。松永太との再開によって別人のようになり、両親や幼い甥や姪を手にかけ、自分の子どもまで虐待したという事実には震撼します。

 

唯一の救いは緒方純子の息子さんが両親に縛られずに自身の人生を生きているということ、第一の被害者の娘で自分も監禁されていた女性が穏やかな暮らしをしていることが報道でわかっていることです。

 

凄惨な事件の被害者となった方々のご冥福をお祈りするとともに、緒方純子には獄中でしっかりと罪に向き合うことを願います。

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