2021年10月、甲府市内で放火殺人事件が発生しました。犯人は19歳の遠藤裕喜で、被害者夫婦の長女への片思いが動機とされます。
今回は特定少年として実名報道された遠藤裕喜の生い立ち、父親、母親、兄弟など家族関係、高校、判決が確定した現在についてまとめます。
この記事の目次
遠藤裕喜が起こした甲府放火殺人事件とは
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2021年10月12日未明、山梨県甲府市蓬沢1丁目の井上さん一家が暮らす民家で火事が発生しました。
火災が起きた家に住んでいたのは、会社員の井上盛司さん(当時55歳)と妻で介護士の章恵さん(当時50歳)、そして高校3年生の長女と中学生の次女の4人。
消化後に全焼した家屋から盛司さんと章恵さん夫妻の刺殺体が発見され、次女も頭を殴られるなどして怪我を負っていました。
この日の午前3時45分頃、井上さんの長女から警察に「家に泥棒が入った」との通報があり、火災が起きたのは通報の後でした。
警察の調べによると井上さん宅に犯人が侵入した時、1階には盛司さんと章恵さん夫妻、2階には長女と次女が寝ており、1階から争う声を聞いた姉妹が階段を降りていったところで犯人と鉢合わせしたとのことです。
姉妹は慌てて2階のベランダから飛び降りて逃げようとしましたが、妹のほうが後ろからナタで殴られ、全治約1週間の怪我を負ったとされます。
長女からの通報を受けて警察が駆けつけた時には犯人は逃走していましたが、警察は現場付近で怪しい男の姿を確認し、職務質問をしたところ逃げられたことを発表しました。
また、姉妹の証言から犯人は10代〜30代の男性で、短髪、普通体型であること、付近の防犯カメラを解析したところ、犯人と思われる人物が現場から北西方向に逃走したことも明らかになりました。
山梨県警は南甲府警察署に捜査本部を設置し、この男が事件に関与しているとみて捜査を開始しましたが、12日の夜に甲府市内に住む少年が警察(身延市内の駐在所)に出頭するという急展開を見せます。
出頭した少年は顔に火傷を負い、指を負傷していました。事情聴取の結果、少年は井上さん夫妻の次女を殴り、負傷させた疑いがあるとして12日中に逮捕され、その後の調べから夫妻の殺害と放火も少年によるものであったことが明らかになりました。
放火殺人、傷害の罪で逮捕された少年の名前は、遠藤裕喜(ゆうき)。被害者一家の長女の高校の先輩でした。
遠藤裕喜は特定少年の第一号・実名報道された理由
2021年5月21日に少年法が改正され、2022年4月より改正後の少年法が施行されました。この改正は18歳以上を成人とする民法の改正にあわせたもので、新たに「特定少年」という概念が設けられました。
特定少年とは殺人や傷害致死はもちろん、強盗や強姦、放火などの罪を犯した18歳・19歳を少年法ではなく刑法の対象として裁判を進めるというものです。
また、これまで20歳未満の人物が犯人である場合、更生の妨げになるという観点から実名報道や、個人が特定できる情報の公開が禁止されてきました。(少年法61条に規定あり)。
しかし、特定少年に該当する場合はこの限りではなく、被疑者として起訴された人物が18歳・19歳であっても実名報道が可能となったのです。
この特定少年の第一号となったのが、遠藤裕喜でした。事件当時、遠藤裕喜は19歳で2022年3月に家庭裁判所に送致されましたが、放火殺人という罪の重さから刑事処分相当として4月に逆送が決定したため、実名報道が可能な状態になったのです。
遠藤裕喜が事件を起こした動機は被害者長女への歪んだ片思い
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起訴状によると、遠藤裕喜は10月12日の午前3時半頃に1階の窓から井上さん宅に侵入。約20分の間に盛司さんと妻の章恵さんの胸部などをナイフでめった刺しにして、殺害したとされます。
その後、遠藤裕喜は逃げようとした次女を殴りつけ、台所付近にライターのオイルを撒いて火を放っています。
夫妻の死因は失血死とされており、切り傷は深いもので内蔵まで達していたといいます。執拗に切りつけていたことから、事件の動機は夫妻への怨恨かと思われました。
しかし警察の取り調べに対して遠藤裕喜は「井上さんの長女が好きだった」「それなのに、急にLINEをブロックされて殺してやりたいと思った」などと、動機は長女への逆恨みであることを明かしたのです。
被害者宅の近隣住民によると、井上さん夫妻の娘は2人もぱっちりとした目元が印象的な可愛らしい顔立ちだといいます。
また井上さん一家はみな、近隣住民と行き合った際にはきちんと挨拶をする朗らかな性格で、周囲からも「恨みを買うようなこともない、普通の幸せそうな一家だったのになぜ」と驚きと悲しみの声があがっていました。
遠藤裕喜は井上さん夫妻の長女と同じ高校に通う先輩、後輩の関係で、同じ将棋部に所属していたとのことです。さらに遠藤裕喜が生徒会長をしていた時には、井上さん夫妻の長女は生徒会の役員をしていました。
しかし井上さん夫妻の長女は同級生らからも「可愛い」「美人」「明るくて気さくで、男女問わず人気があった」と評されるような人物で、在学中に彼氏はいなかったものの男友達は少なくなかったといいます。文春オンラインによると、友人の1人からは以下のような証言が出ていたとのことです。
「美人で人気者だった彼女でしたが、彼氏はいなかったと思います。でも、女子高生ですし、当然気になる相手や男友達はいたようです。今年の夏にはある男の子とイオンで一緒に仲良く遊んでいて、噂にもなった。それでAが勝手に勘違いし、逆恨みをしていたのだったら……」
引用:「急にツーブロックに刈り上げ、ワックスで髪型を…」甲府放火“2人死亡” 逮捕の“19歳生徒会長”が事件前に見せた“変貌”
この「A」という人物が、遠藤裕喜です。
さらに別の友人からは、「相手に悪いと思ったのか、名前は教えてくれなかったけれど『最近、ティファニーなど高価なブランド品を断っても送りつけてくる人がいて困っている。やり取りも辞めたほうがいいかと思ってLINEもブロックしている』と聞いた」と、井上さん夫妻の長女がストーカー被害に悩んでいる様子だったという証言が出ています。
友人は、この時ストーカーをしていたのも遠藤裕喜だったのではないか?と考えているといいます。
遠藤裕喜本人も、警察の取り調べに対して以下のように供述していたとのことです。
捜査関係者によると、Aはその後の取り調べに対し、「思い通りにならないので侵入しようと思った。見つかれば家族全員を殺害するつもりだった」と供述、井上さんの住所については「最近知った」と話しているという。
引用:「急にツーブロックに刈り上げ、ワックスで髪型を…」甲府放火“2人死亡” 逮捕の“19歳生徒会長”が事件前に見せた“変貌”
周囲の証言や本人の供述から、交際していたわけでもなく、特別親しくしていたわけでもない井上さん夫妻の長女に遠藤裕喜が一方的に執着し、嫌がられたことを逆恨みして一家を襲ったという、あまりにも身勝手な犯行であったことが窺えます。
井上さん宅の場所を知るために、父親の盛司さんの車を尾行していたとの話も出ていることから、長女とは同じ学校に通う知り合い程度の間柄だったのではないかと思われます。
遠藤裕喜の生い立ち① 父親の窃盗が原因で両親が離婚
遠藤裕喜は幼少期を山梨県中央市で過ごしたそうです。当時、近所に住んでいたという人からは「引っ越しの挨拶に来た時、(遠藤裕喜は)恥ずかしがってドアの陰に隠れていた。大人しくて、可愛い子だった」と証言しています。幼少期は普通の子どもだったのでしょう。
しかし2010年11月、一家の暮らしは激変します。電線工事関係の仕事をしていた父親が、配管工事会社の資材置き場にあった家庭用給湯器を2台盗み、窃盗罪で逮捕されたのです。このことが原因となり、2013年に遠藤裕喜の両親は離婚することになります。
なお、週刊新潮の記事によれば両親が離婚する以前の遠藤裕喜は「渡辺」という性であったそうです。
2010年11月13日発行の読売新聞で、「山梨県中央市で、31歳の渡辺英喜という会社員男性が中古の家庭用給湯器2台(時価2万円相当)を盗んだ疑い」と報じられているため、この渡辺英喜という人物が、遠藤裕喜の父親なのではないかと思われます。
父親が窃盗事件を起こしたうえに全国紙で報じられてしまったことから少年時代の遠藤裕喜は学校にも行かれなくなり、自宅の前に所在なさげに佇んでいる様子が頻繁に見られるようになったといいます。
当時、近所に住んでいたい人たちは「父親があんなことをしたせいで、いじめに遭っているのではなかろうか」と心配していたそうです。
そして2013年、遠藤裕喜が小学校5年生の時に両親は離婚し、一人っ子だった彼は母親とともに甲府市内に引っ越していきました。
遠藤裕喜の生い立ち② 母親の再婚と異父兄弟
甲府に引っ越してから1年後に遠藤裕喜の母親が再婚し、母子は裕福な生活を送るようになります。
当時の同級生らからは「小学生なのに、i-phoneを持っていて使いこなしていた」「i-phoneでパズドラをしていた」「新しい父親がビリヤードのキューを買ってくれたと言っていた」など、母親再婚後の暮らしぶりが窺える証言が出ていました。
現在では小学生がスマホを持っていても珍しくありませんが、2015年以前に小学生がi-phoneを持っていれば相当目立ったはずです。また、ビリヤードのキューは10万円を軽く超えるものも多いため、新しい父親ができたことで遠藤裕喜の生活は一気にランクアップしたのだと思われます。
さらに遠藤裕喜が6年生の時には、異父兄弟(妹の可能性もあり)も誕生したといいます。
しかし、新しい場所に新しい家族と環境が大幅に変わり、犯罪者の息子と後ろ指もさされなくなって心機一転が図れたかと思いきや、遠藤裕喜は中央市にいた頃のことを忘れられずにいた様子です。
彼は小学生の卒業文集の「好きなアニメ」の欄に『BLEACH』と『DEATH NOTE』をあげており、同級生からは「とくに『DEATH NOTE』にはまっていた」との証言が出ています。
『DEATH NOTE』は2003年から2006年まで少年ジャンプに連載されていた漫画で、名前を書かれた人間は必ず死ぬという「デスノート」を手に入れた主人公が、自分が社会悪だと考える人間を秘密裏に殺していくというストーリーです。
小学生時代の同級生によると、遠藤裕喜は「デスノートが欲しい」「気に入らない人間や自分の過去をデスノートで消したい」と言っていたとのことです。
このことから生活が一変しても実の父親が犯罪者になってしまったこと、それが原因で学校に行かれなくなったことを引きずっていたのだとわかります。
遠藤裕喜の生い立ち③ 目立たない中学生時代
小学校を卒業した遠藤裕喜は、甲府市内の公立中学校に入学しました。なお、甲府放火殺人事件が起きて犯人の少年が自首したとの報道があった後、ネット上に「犯人は甲府南中学校出身で母子家庭育ち」といった書き込みが複数されていました。
まだ週刊新潮や週刊文春などで詳細な報道がされる前から「母子家庭」「犯人の名前は遠藤裕喜、19歳」といった情報とともに書き込まれていたことから、遠藤裕喜が通っていたのは甲府南中学校である可能性が高いと考えられます。
週刊新潮の記事によると中学校入学後、遠藤裕喜はソフトテニス部に入ったといいますが、顧問の教師から厳しく叱られたことが原因で間もなく退部。学校自体も1年生の夏にあった林間学校に参加して以降、不登校になっていました。
そのため中学の同級生はまったく遠藤裕喜のことを覚えておらず、週刊誌の取材に対しても「誰のことかわからない」「全然、印象にない」との回答しか返ってこなかったそうです。
遠藤裕喜の生い立ち④ 定時制高校に進学
中学校を出た遠藤裕喜は、甲府市内にある公立高校の定時制に入学しました。甲府市内にある公立高校のうち、定時制、夜学があるのは山梨県立甲府工業高校と山梨県立中央高等学校の2校に絞られます。
また文春オンラインの報道で、遠藤裕喜と井上さん夫妻の長女はともに将棋部に所属していたことがわかっており、定時制と将棋部の両方があるのは山梨県立中央高等学校のみです。
出身中学同様に、遠藤裕喜が通っていた高校についても「犯人と被害者は山梨県立中央高校の定時制の生徒」という書き込みが事件後に複数見られたこともあり、遠藤裕喜が通っていたのは山梨県立中央高等学校の可能性が高いと思われます。
また、遠藤裕喜は定時制の生徒会長だったと報じられていますが、事件当日の山梨日日新聞には、偶然にも「甲府・中央高校の生徒が消毒スプレーを製作し、県立病院などに寄付した」という旨の記事が掲載されていました。
記事のなかでは「消毒スプレーの製作、寄付に取り組んだ定時制の生徒会長、遠藤裕喜さんは『スプレーで感染予防を心がけて欲しい』と話した。」との一文が見られ、これは甲府放火殺人事件の犯人である遠藤裕喜のことだと考えられます。
したがって遠藤裕喜が通っていたのは、山梨県立中央高校とみて間違いないでしょう。
高校の同級生による遠藤裕喜の印象
生徒会長に選ばれて地元の新聞に取り組みが掲載された、と聞くと高校に入ってからの遠藤裕喜は中学時代からは別人のように明るくなり、高校デビューに成功したのではないか?という印象を受けます。
週刊文春の記事によると、遠藤裕喜は無遅刻無欠席で皆勤賞で授業態度も真面目であったため、教師からは問題のある生徒とは思われていなかったようです。
しかし、高校の同級生によると生徒会長ではあったが奇行が目立ち、何を考えているのかわからない不気味な面があったといいます。
・いきなりお腹を抱えて大爆笑することがあり、何がおかしいのか?と聞くと『思い出し笑い』と答えられたことがある。その後もブツブツ独り言を呟いていて不気味だった
・学園祭実行委員の話し合いに参加したはいいが、生徒会長のくせに発言をせずにずっと折り紙をしていた
・授業中はびっしりノートをとっているのに、成績が悪く、テストはいつも赤点ギリギリだった。話していても「理解力が乏しいのかな?」という印象を受けた
・生徒会長として校内放送で話す時などは溌剌としていたので、明るい人なのかと思って話しかけたら別人のように暗く、元気がなかった。人を寄せ付けないというか、雰囲気も暗くて怖かった
・友達がまったくいなかったわけではないが、休み時間はSwitchを取り出して1人でポケットモンスターをやっていた
・放課後も友達とつるんで遊びに行くことはなく、ママチャリでそそくさと帰宅していた
2021年の3月末におこなわれた生徒会選挙で会長に立候補し、在校生による投票の結果、生徒会長になったという遠藤裕喜。
この選挙に出た際にも、彼を知る同級生らは「本当にあの人が立候補するの!?」と驚いたといいます。
同級生の1人は、文春オンラインの取材に対して「生徒会長に立候補するのは、基本的には明るい人気者、いわゆる『陽キャ』と呼ばれる生徒が多い。彼は真逆のタイプだから、なんで急に生徒会選挙に出ようと思ったんだろう?と不思議だった」と回答していました。
なお、この生徒会選挙には井上さん夫妻の長女も出ていました。そのため、将棋部だけではなく生徒会でも接点が欲しかったから、彼女のあとを追って生徒会に入ろうとしたのでは?とも考察されています。
被害者一家の長女に片思いをしてイメージチェンジをする
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事件後に公開された顔写真では、黒髪で地味な印象の遠藤裕喜ですが、2021年の春頃には髪をツーブロックにしてワックスでスタイリングをするようになり、眉の手入れまではじめたといいます。
同級生が「かっこよくなった」と褒めると、おどおどしつつも嬉しそうな様子だったそうです。
おそらく、このイメージチェンジも井上さん夫妻の長女の気を引くためのものだったのでしょう。
遠藤裕喜の家族・母親についての情報
子どもが幼い頃に夫が窃盗罪で逮捕され、今度は息子が放火殺人犯として逮捕されることとなった遠藤裕喜の母親。一見すると悲劇的な立場ですが、週刊誌の報道や世論では、この母親の育て方も事件の一因になったのではないか?と疑問視されています。
週刊新潮の記事によると、遠藤裕喜は小学5年生の時に友人の家からニンテンドーDSのソフトを盗んだという疑いをかけられたことがあったそうです。
しかし、その友人の母親が遠藤裕喜の母親に「なにか知らないか?」と事情を聞いたところ、「(うちの裕喜が)関係しているわけない。盗みなんてするはずがない」と答えたといいます。
小学生時代の同級生の保護者からは「ゲームソフトを盗んだのではないか?という話が出た直後に、親子して逃げるように引っ越していった。母親が過保護というか、何でもかばっている感じだった」との証言も出ていました。
それでもこの頃は父親が逮捕された後という難しい時期であったため、母親が必死に一人息子を守ろうとした結果、過保護になっていただけとも考えられます。
ところが遠藤裕喜が高校生になってからも母親の過保護ぶりは健在だったようで、文春オンラインの取材では、高校の同級生から「帰りが18時半か19時になったことがあり、その時に(遠藤裕喜のスマホに)母親からひっきりなしに電話がかかってきていた。着信履歴も母親で埋め尽くされていた」という話が出ていました。
このように息子の行動を常に把握しておきたいという過保護な母親であれば、井上さん夫妻の長女にブランド品を送りつけていたことも知っていて当然なのでは?とも思われます。
しかし、放火殺人事件が起きてしまっていることから、息子が高価なブランド品を購入していたことにも、また井上さん夫妻の家に侵入するつもりで凶器を揃えるなどの準備をしていたことにも母親は気づかず、止めもしなかったと考えられます。
この母親は過保護というより過干渉なだけ、息子を溺愛しているというより自己愛が強い人物なのではないか、という印象も受けます。
遠藤裕喜が与えた影響① 事件直後の教育機関の対応
事件当日、事件現場から逃走した犯人は凶器を所持したまま甲府市内に潜んでいる可能性が高いとして、甲府市教育委員会は市内36の小中学校に対して緊急対応を要請しました。
これを受けて小中学校は児童生徒の安全確保のため、集団登下校や登下校時の見守り、児童生徒への注意喚起などの対応を行ったとされます。
遠藤裕喜が与えた影響② 無関係な人物の画像が犯人として拡散される
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甲府放火殺人事件が起きた直後、ネットの掲示板「爆サイ」を中心に、「犯人は三浦〇〇」という書き込みが複数見られ、「犯人は三浦という人物らしい」と誤った情報が拡散されてしまいました。
当時の5ちゃんねるなどを見ると、「三浦ではないと思う。犯人はどうせ萩原〇」「井上さんのFacebookに室田くんが写ってるね。彼じゃないかな?」というように別の人物の名前も多数あがっていました。
これらの書き込みに対して「複数名前が上がっている時点で、どれも嘘くさい」と冷静に指摘するレスもありましたが、最終的には「甲府放火殺人事件は金髪でヤンキー風の三浦〇〇という男」「三浦はぶどう園で働いているらしい」という誤情報まで出回ってしまいます。
しかし、10月21日発売の週刊新潮が「犯人の名前は遠藤裕喜」と報じ、その後、甲府地検も犯人の名前を発表したため、三浦〇〇という人物は無関係だったことが明らかになったのです。
「インターネットやSNSが普及した時代。実際の犯人とは異なる人物の名前や写真が投稿されるケースもある。実名を報道することで、こうした被害を防ぐという効果もあると思う」
20歳未満の犯人の実名報道について、中央大学法科大学院の野村修也教授は上のように指摘しています。今回のケースはまさに、野村教授が懸念していた事例と言えるでしょう。
遠藤裕喜が与えた影響③ 実名報道をめぐる是非
2022年4月の甲府地検の発表以降、特定少年としてTVや新聞でも遠藤裕喜の名前が報道されました。
しかし、遠藤裕喜の弁護人からは報道各社に対して「特定少年の実名報道が可能であるからと言って、実名報道をする義務があるわけではない。被告人の更生の妨げになる点を考えて欲しい」といった申し入れがされていたといいます。
また、一部のメディアでは遠藤裕喜の名前が報じられたことはなく、「今後も特定少年であっても未成年者の実名は出さない」という方針を発表していました。被告人の人権を守るという観点からの決定でしょう。
一方、ネット上でのコメントなど世論を見てみると実名報道に賛成している意見が目立ちます。
放火事件が起訴され、18歳成人の法改正以降初の実名公開となった遠藤裕喜被告の報道だが、なんでマスコミは遠慮気味に実名報道をするのか。
もっと堂々とやれよと思う私はかねてから未成年被害者の名前が出て加害者は匿名という不文律を指摘してきたが、この事件によって流れが変わることを祈りたい
— デシッ(ゼン)議長 (@k_mteeeeepoo) April 10, 2022
上のように「亡くなった被害者の氏名は公表され、プライバシーも侵害されるのだから」という意見のほか、「更生が望めるレベルの犯罪ではない」「これまで起きた少年犯罪の量刑から考えて、死刑もしくは無期懲役相当の事件だと思う。それを更生の妨げになるから、と実名報道しないのはおかしい」とする指摘も見られました。
遠藤裕喜に襲われた被害者家族のその後
遠藤裕喜が起こした甲府放火殺人事件での死者は、井上盛司さんと章恵さんの2名です。井上さん夫妻は事件当日の午前7時過ぎに家屋の消火活動が終わった時点で、すでに亡くなっていました。
夫妻は自治会の活動にも積極的に取り組んでおり、近所の住民に「まだまだ子どもたちもお金がかかる年齢ですから、頑張って働かないと」と笑って話していたとのエピソードも報じられています。この言葉からも、家族を大切にしていたことが十分すぎるほど伝わってきます。
ナタで遠藤裕喜から殴りつけられた中学生の次女は、その後の報道で「怪我を負ったが、命に別条はない」と報じられています。
一方、自分の知人が逆恨みから両親を殺害し、妹を襲ったことを知った井上さん夫妻の長女は、事件後、警察の事情聴取に憔悴しきった様子で対応し「わたしのせいで…」と口にしていたとのことです。
しかし、周囲の人々が口をそろえて言っているように、井上さん夫妻の長女は被害者であって、事件を起こした人物ではありません。
ネット上でも「女の子は犯人にブランド物をせがんでいいように使っていたわけでもなく、迷惑だからやめてほしいと意思表示までしてたんでしょ?こういう場合って、どうやって身を守るのが正解なの?」といったコメントが見られました。
また同級生らの証言によると、井上さん夫妻の長女は明るく真面目、少女漫画のヒロインのような可愛らしい容姿で誰にでも気さくだったといいます。
そのため、「誰にでも平等に接してくれる女の子に対して勘違いしないように、もてない男側になにか教育が必要なのかもしれない。こういうケースって珍しくないのだろうし」といった指摘もありました。
遠藤裕喜の現在
起訴され氏名が公表される
遠藤裕喜は2022年4月5日に甲府家庭裁判所で「刑事処分が相当」との判断を下され、逆送されています。
事件前に高校の同級生に見せていた「急に笑い出す」「独り言をずっと言っている」「話し合いの場でずっと折り紙をしている」という奇行や犯行動機から、ネット上では遠藤裕喜には何らかの精神疾患があるのでは?とも囁かれていました。
しかし甲府地検が2021年12月から鑑定留置し、鑑定鑑定をしたところ遠藤裕喜には責任能力が認められたため、このような処置になったとのことです。
逆送を決めた理由について甲府家庭裁判所の田村政巳裁判長は「準備も計画的で、犯行は極めて残虐。にもかかわらず、被疑者には後悔の念や反省の態度が見られない」と述べています。
家庭裁判所の決定を受けて、2022年4月8日に甲府地検は遠藤裕喜を起訴したことを発表。さらに特定少年として、被告人の氏名などを正式に公表しました。
裁判で犯行動機などを語る
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2023年10月25日に遠藤裕喜の初公判が開かれましたが、遠藤裕喜は裁判長からの問いかけに一切答えず、最後まで黙秘を貫いたとのことです。
そのため弁護人が代わりに遠藤裕喜が井上さん夫妻を殺害したことや住宅への放火を認め、次女への殺意については否定しました。
遠藤裕喜はその後、2023年11月の裁判では受け答えに積極的な姿勢を見せ、「家から逃げたかった。夫婦の長女からの(交際を断る)LINEが後押しした」と犯行動機について語りました。
遠藤裕喜によると、母親は暴言を吐いたりする一方、遠藤裕喜の就職先を決めたりと過干渉な面もあったようで、遠藤裕喜はそんな環境から逃げたいと思っていたところに長女に交際を断られ絶望感と怒りが湧いたとのことです。
裁判の中で遠藤裕喜の母親の調書が読み上げられた際、遠藤裕喜は両手で耳を塞ぐなどしていたといいます。
調書では、事件当日、母親が夕食の準備をして遠藤裕喜の帰りを待っていたものの、いつもは帰っているはずの18時になっても帰ってこず、19時を過ぎても音沙汰がなかったため警察に捜索願を出し、そこで初めて息子が事件を起こし、出頭したことを知ったことが明かされました。
また、遠藤裕喜は実父が逮捕されたことで仲間外れを経験し、母親の再婚相手である養父が母親に暴力を振るうところを目の当たりにしてきたことなども明らかになりました。
中学2年の夏には養父が病死したが、倒れる直前には暴力が激しくなり、被告の母親は「殴られて生活に限界がきていた。いずれは出ていこうと決意していた」というが、その矢先に亡くなった。被告は生前の養父と母親と3人で川遊びに出かけ、川の中で尻もちをついてしまったことがあったが、養父は笑って見ていて助けてくれなかったことを振り返りながら、〈人を信用できないって初めて思った〉と、被告は当時、母親に言っていたのだそうだ。
引用:【山梨夫婦殺害事件】被告人母の調書で明かされた生い立ち「実父は逮捕」「怒鳴る養父」「レールを少しでも外れると塞ぎ込む」
井上さん夫妻の長女は2023年12月の裁判で、別室から音声と映像を送る「ビデオリンク方式」で意見陳述を行っており、「巻き込んでしまった家族にどう償えばいいのか、どう責任を取ったらいいかをずっと考えている」などと自分を責め続けていることを述べ遠藤裕喜への怒りを露わにしていました。
なぜ家族が襲われたか、裁判で男が話す動機を聞いても少しも納得できなかったといい、「もう一度、犯人に問いたいです」と話し、「何で家族なの」と言葉を絞り出した。法廷で謝罪しない男を「自分は悪くないと考えているとしか思えない。目を背けて逃げている」と非難した。量刑に関しては、男が怖く、残された妹を守るためにも言わないと説明し、「元の笑顔あふれる妹に戻ってほしい。望みはただそれだけです」と述べた。
遠藤裕喜は事件直後に被害者に対し「本当に申し訳ない」と謝罪を口にしていたといいますが、これは「罪を軽くするためにウソをついていた。」とのことで、裁判では「遺族の苦しみについては正直、よくわからない。」と述べていました。
また、「長女の目の前で家族を拷問し、殺したときの表情を見てみたいという興味があった」とも言い放っています。
同公判では被害者や遺族に対して「悪いことをしたなと思うが、特に僕としては何もしてあげることはできないし、遺族の苦しみについては正直、よくわからない。謝罪の言葉を口にしないのは、自分の判決にとって、そっちのほうが心証が悪くなるからです」と淡々と言い切った。しかし、自身の家族について問われるとすすり泣く場面もあり、もろさも垣間見せた。
精神鑑定をした医師によると、遠藤裕喜は精神的な病気はないものの、行為障害や愛着障害、複雑性PTSDといった精神障害があるとし、家庭環境が影響し攻撃性が芽生えたことを指摘していました。
続く第15回公判では、鑑定留置時に精神鑑定をした山梨県立北病院の宮田量治院長が証人尋問に立ち、被告には精神的な「病気」はないものの、行為障害や愛着障害、複雑性PTSDといった精神「障害」があると証言。その背景として、夫婦げんかが激しい家庭で育ち、父から体罰を受けてきた反動から弱いものへの攻撃性が芽生えたと指摘。幼いころから昆虫を殺したり、飼い犬を叩いて虐待したりしていたことを挙げ、「この攻撃性が爆発した」と事件に繋がったことを分析した。
弁護側は遠藤裕喜が事件当時、責任能力が著しく減退していた心神こう弱の状態だったなどと主張。一方、検察側は遠藤裕喜の高度な計画性と実行力を指摘し、完全責任能力があったとして死刑を求刑しました。
死刑判決が確定する
甲府地方裁判所は2024年1月に、「19歳という年齢を最大限考慮しても、刑事責任の重大性や、更生の可能性の低さから死刑を回避する事情にはならない」として遠藤裕喜に死刑を言い渡しました。
「特定少年」に死刑が言い渡されたのは初めてのこととなりました。
判決は、捜査段階に精神鑑定をした医師の証言などをふまえ、被告には完全な刑事責任能力があったと認定。2人の命を奪った結果は極めて重大で、好意を寄せていた長女に交際を断られ、絶望感と怒りを覚え、自暴自棄になって犯行に及んだ動機は「極めて自己中心的で理不尽だ」とした。成育環境が動機に影響を与えていたとしても限定的であり、明確な反省や謝罪の態度はなく、更生可能性も低いと指摘。「19歳だったことを量刑で考慮するにも限度がある」とし、死刑がやむを得ないと結論づけた。
弁護人は判決を不服とし東京高等裁判所に控訴しましたが、2024年2月2日に遠藤裕喜本人が控訴を取り下げており、死刑判決が確定しました。
遠藤裕喜はNHKの取材に対し、泣きながら遺族への謝罪の言葉を述べていたとのことのです。
被告は、2日接見したNHKの取材に対して「きのう、控訴取り下げの紙を担当者に出した。生きることを諦めているので後悔はしていない」と述べ、「とにかく悪いとは思っている。遺族に申し訳ない」と泣き出しました。
出典:https://aimatome.com/
2024年1月27日にTBSで放送された「報道特集」では遠藤裕喜の生い立ちや母親が特集されました。
番組では、遠藤裕喜の母親が息子の死刑判決を知り、号泣して崩れ「私を死刑にしてください!」と叫ぶ姿も放送されていました。また、母親は死刑判決に「納得できない」とも語っていました。
https://twitter.com/aochanp/status/1751465326557204644
遠藤裕喜と甲府放火殺人事件についてのまとめ
この記事では2021年10月に起きた甲府放火殺人事件の犯人である遠藤裕喜について、生い立ちや家族、被害者との関係や死刑判決が確定した現在などを紹介しました。
複雑な家庭に育った遠藤裕喜ですが、もちろんそのことが殺人を犯していい理由になるはずもありません。
遠藤裕喜には、せめて最期の時まで罪と向き合い反省し続けてくれることを願わずにはいられません。また、遺族の姉妹が少しでも心穏やかに生活が送れるようになることを祈っています。