登山シーズンになると、遭難事故・事件が報じられますが、たくさんある遭難事故・事件の中でも謎が多く、「怖い…」という声が多いのがSOS遭難事件です。
SOS遭難事件の詳細や場所、音声テープの内容や被害者の身元、事件の真相や航空写真、同僚の2ちゃんねる降臨やなんJでの扱いをまとめました。
この記事の目次
SOS遭難事件とは

出典:youtu.be
SOS遭難事件は1989年7月に北海道の大雪山系旭岳で倒木で作られたSOSと共に人骨や遺留品が発見された事件です。
この事件は、人骨の身元がなかなか判明しなかったり、カセットテープのSOSの音声や倒木のSOSなどの謎が多かったことから、事件当時も大きく報道され、その後もネット上では様々な考察が行われています。
SOSの木文字を見つけて遭難者2人を発見
1989年7月24日午後、東京都の登山者男性2名が行方不明になっていたため、北海道警察はヘリコプター「ぎんれい1号」を飛ばして、大雪山系で黒岳から旭岳に向かうルートを捜索していたところ、登山ルートから外れた旭岳南方の忠別川源流部で、シラカンバの倒木を積み上げて作られた「SOS」という木文字を発見しました。
その後、この「SOS」の木文字から2~3km離れた場所で、行方不明の男性2人は無事に発見・保護されました。
現場から人骨と遺留品が発見される
北海道警察は保護した登山者2名に、「SOS」の木文字について聞いたところ、登山者2人は「知らない」と答えました。
となると、SOSの木文字は一体誰が作ったのか?という疑問が生じます。北海道警察は新たにヘリコプターを派遣して捜索し、さらに地上からも捜索隊を派遣しました。この捜索隊には新聞などのマスコミ記者もいたようです。
捜索の結果、SOSの木文字の近くから動物に噛まれた痕のある人骨の破片とカセットテープ4本、テープレコーダー、リュックサック、お守り等の遺留品が発見されたのです。
また、7月28日の捜索では、さらに頭蓋骨などの人骨や三脚、メンズのバスケットシューズも発見されました。
遺留品のカセットテープを再生してみたところ、『超時空要塞マクロス』や『魔法のプリンセス ミンキーモモ』などのアニメの主題歌が録音されていたほか、「SOS、助けてくれ」などの助けを求める男性の声が録音されていました。
鑑定結果と遺留品の矛盾が生じる
助けを求めるカセットテープの声は男性。また、バスケットシューズも男性ものなので、SOSの木文字を作った遭難者は男性なのかと思われました。また、1984年7月に行方不明になっていた遺留品の所持者と思われる男性を特定できていました。
しかし、現場から発見された人骨を旭川医科大学が鑑定したところ、20~40歳の女性のものという鑑定結果が出たのです。
ここで矛盾が生じることになります。
遺留品は男性で、ほぼ身元も特定できている。しかし、現場から発見された人骨は女性のものだった。一体どういうことなのか?
この矛盾があったために、実は遭難者は男女2名いたのではないか?と言われるようになり、その方向で警察の捜査や報道が行われるようになりました。
しかし、遺留品の所持者である男性は大雪山系に1人で入山したことが分かっていましたし、現場からは女性のものと思われるような遺留品は発見されませんでした。
これらの謎があることから、捜査・報道は混乱、事件は混迷を深めていくことになるのです。
人骨は男性のものと断定
SOSの木文字のほかに、遭難者は何人いたのか?性別は男性か女性かなどの謎が多いSOS遭難事件でしたが、事件発覚から約8ヶ月後の1990年2月28日に旭川東警察署の発表で決着がつきました。
旭川警察署は現場から発見されて女性のものと鑑定された人骨は、男性のものだったと発表したのです。最初の鑑定結果は間違いであり、男性のものであることが分かったため、このSOS遭難事件での遭難者(被害者)は1人のみであることが結論付けられました。
SOS遭難事件の場所
SOS遭難事件が起こった場所は、北海道の大雪山系旭岳の稜線部近くです。旭岳の山頂から南に4キロ・標高1320メートルの湿地で、身の丈ほどの笹が生い茂っている場所でした。

遭難者は大雪山系を黒岳方面から縦走していて、途中で道を間違えてSOSの木文字を作った場所に迷い込んでしまったと見られています。
旭岳の稜線部には道標となる「金庫岩」という大きな岩がありますが、その近くには似たような形の「ニセ金庫岩」もあります。このニセ金庫岩を目印にしてしまうと、SOS遭難現場に迷い込む可能性が高いようです。
こちらが金庫岩。

出典:ja.namu.wiki
こちらがニセ金庫岩。

出典:ja.namu.wiki
確かに金庫岩とニセ金庫岩。よく似ています。天候が悪い中での金庫岩とニセ金庫岩を比べてみると…。

これは間違いますね。現在はGPSなどがありますので、自分の位置を確認することはできますが、1989年当時はGPSもスマホもないので、道標を誤認して遭難してしまったものと思われます。
SOS遭難事件の音声テープが怖い

出典:youtu.be
SOS遭難事件では、カセットテープ4本とレコーダーが遺留品の中にありましたが、そのレコーダーの中にあったカセットテープの中には、ラジオ番組の後に遭難者が必死に助けを求める音声が録音されていました。
SOS、助けてくれ、崖の上で身動き取れず、SOS、助けてくれ。
場所ははじめにヘリに会ったところ。ササ深く、上へは行けない。ここから吊り上げてくれ
このSOSの音声は一音一音区切るように「えーすーおーおーえーすー!たーすーけーてーくーれーーー」のように2分17秒にわたり吹き込まれていました。この音声は当時のニュース番組やワイドショーで報じられていて、現在はYouTubeにもアップされています。
捜索隊が来るかどうかわからない中で、必死の思いで吹き込んだSOSの声。正直めちゃくちゃ怖いですよね。
SOS遭難事件の被害者の身元

出典:ja.namu.wiki
SOS遭難事件の被害者の身元は、愛知県江南市の会社員・岩村賢司さん(事件当時25歳)であることがわかりました。
岩村さんは1984年7月に黒岳から旭岳に縦走する予定で入山し、その後行方不明になっていました。
身元判明の手掛かりになったのは、現場から発見された遺留品です。現場近くには直径90cmくらいの松の大株の穴があり、立ち木を立てかけるなど雨風を防ぐような工夫が残されていて、その穴から、次のような遺留品が発見されたそうです。
・カセットテープ(超時空要塞マクロスや魔法のプリンセス ミンキーモモ)
・レコーダー
・財布
・免許証
・印鑑
・ノート
・カメラ
・昆虫図鑑
・地図
・時刻表
・バスケットシューズ
・お守り
この穴の中から、財布、免許証、印鑑、ノート、カメラ、昆虫図鑑、地図、時刻表などの遺留品35点が回収され、所持者は岩村と断定された。
引用:ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
岩村さんの知人からカメラを持ち歩いていたり、アニメの主題歌を録音していたという証言が得られたこと。お守りが岩村さんの居住地のものだったこと。バスケットシューズのサイズが岩村さんの足のサイズと一致したことなども、身元特定の手掛かりになりました。
身元判明後、岩村さんの御遺骨は京都に住むご家族が連れて帰りました。
京都市に住む父親は、「やっと息子を連れて帰れるという喜びと、ついに決定的な瞬間が来てしまったというさみしさがある」と語ったという――。
引用:ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
行方不明になってから約6年の月日がかかり、白骨遺体になっていましたが、必死の思いで作ったSOSの木文字によって発見され、ご家族のもとに帰ることができたのは、せめてもの救いだったのではないでしょうか。
アニメオタクとして誹謗中傷を受けたことも
この遭難者はアニメ主題歌のカセットテープを持っていたことから、「アニメオタク」として報じられました。
1989年当時、アニメオタクへの風当たりは強く、事件の発覚と同時期に「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人の宮崎勤が逮捕されたこともあり、アニメオタク=危険・ヤバい奴というイメージが先行し、誹謗中傷に近い報道が行われたこともありました。
報道は過熱し、カセットテープに『超時空要塞マクロス』や『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の主題歌が録音されていたことから、「大雪山系旭岳にSOSを残した会社員の『ネクラな人生』」(『週刊文春』8月10日号)などと中傷まがいの報道もされた。
引用:ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
しかし、後述の同僚(と思われる人)の証言から、遭難者はアニメオタクだけど仕事ができる優秀な人だったことが分かっています。
SOS遭難事件の真相①:被害者の死因は?

このSOS遭難事件は謎が多い事件です。事件の真相に迫るべく、1つ1つ事件の謎を考察していきましょう。
まずは被害者(遭難者)である岩村賢司さんの死因からです。死因についてはわかっていませんが、候補としては次の3つが挙げられます。
・餓死(脱水も含む)
・低体温症
・ヒグマ
遭難したら、持っていた食料も水も限られていたはずですので、餓死や脱水により死亡した可能性があります。また、遭難した時期は7月でしたが、北海道の標高は1300メートル超の場所ですので、夜は冷え込んだ可能性もあります。
そして、ヒグマに襲われた可能性もあります。岩村さんのものと断定された人骨には動物に噛まれた痕がありました。何の動物かは報じられていませんが、遭難現場はヒグマの生息地です。
SOSの木文字が見つかった後の捜索は、ヒグマのリスクが高いため3時間程度で打ち切りになりました。また、新しいヒグマの足跡があったという証言もあります。
事件現場近くはヒグマの巣窟で、「大雪山のケイコ」という雌グマのテリトリーも近く(前掲『週刊文春』)、30日に道警によっておこなわれた再捜索は3時間程度で打ち切りとなった。当時の朝日新聞は「真新しいヒグマの足跡が縦横にあり怖かった」(7月31日朝刊)との証言を掲載している。
引用:ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
捜索を短時間で打ち切らざるを得ないほどヒグマのリスクが高い場所であれば、岩村さんはヒグマに襲われた可能性も高いと思います。もちろん、他の理由で死亡した後にヒグマや動物に襲われた可能性もありますが…。
SOS遭難事件の真相②:なぜ鑑定結果が違ったのか?

SOS遭難事件で発見された人骨は、最初の鑑定では「20~40歳の女性」という鑑定結果が出ました。そのため、遺留品は岩村さんのものなのに、人骨は女性のもので、「遭難者は2人いたのか?」とセンセーショナルに報じられ、警察の捜査にも混乱を来しました。
その後の再鑑定で、最終的には人骨は男性のもので岩村賢司さんだったことがわかりましたが、なぜこんな鑑定ミスが起こったのでしょうか?
まず、大前提として、1989年当時のDNA鑑定は現在のような精度ではありませんでした。また、発見された人骨は5年前に死亡した古いもので、しかも屋外にずっと放置されていたために、状態はかなり悪かったようです。
そのような中で鑑定しましたが、どうやら最初の鑑定では骨盤の大きさをもとに女性と判定したようです。骨盤は男性よりも女性の方が横に広いという特徴があります。
遭難した岩村さんはずんぐりむっくりとしたがっちり系の体型だったと知り合いの人が証言しています。一般的な男性よりも骨盤が女性特有の形をしていたため、発見された人骨は女性のものと判定されたようです。
また、血液型は当初はA型と判定されていました。
しかし、再鑑定をした結果、血液型は岩村さんと同じO型とわかり、スーパーインポーズという鑑定方法を試した結果、岩村さんのものであると特定できました。
《現場付近で見つかった頭がい骨と不明になっている男性登山者の顔写真とを、スーパーインポーズという鑑定方法によって精密に照合したところ、ぴたりと一致。そのうえ、人骨の調べで、当初はA型とされた血液型も、歯の部分などを調べ直したところ、この男性と同じO型と分かった》(朝日新聞1991年3月6日夕刊)
引用:ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
最初に「女性」と判定されたのは、岩村さんの体型が女性の特徴に近かったからだったんです。
この鑑定の違いを「人骨の鑑定をした旭川医科大学の医療ミス」と思う人もいるかもしれませんが、当時のDNA鑑定の技術を考慮すると性別の鑑定違いは仕方のないことだったのではないでしょうか?
SOS遭難事件の真相③:なぜSOSの木文字を作ったのか?
SOS遭難事件の最大の謎は「SOS」の木文字の存在でしょう。SOSの木文字は1つの文字の1辺が約5mと大きく白樺の倒木を積み上げて作られていました。
この倒木のSOSを成人男性が1人で作るには2日はかかると見られていて、遭難者の岩村さんはなぜこんな重労働をしてまでSOSの木文字を作成したのでしょうか?
自分では脱出できない場所だった
遭難者の岩村さんがSOSの木文字を作成した最大の理由は、遭難した場所が自力では脱出不可能なところだったからでしょう。
普通に考えれば、丸2日かけて木文字のSOSを作るだけの体力があるなら、「脱出できるのでは?」と思いますよね。でも、遭難した場所は脱出したくてもできない場所なら?生存の望みを少しでも大きくするために、SOSの木文字を作ったのだと思います。
遭難した場所の上側の斜面は横倒しに生息するササ原になっていました。しかも、そのササ原は人間の身の丈ほどの高さがあったと言われています。
そのため、上から下には斜面を降りやすいのですが、下から上には登りづらい形状になっていたのです。
しかも、遭難場所から下側は崖状になっていました。
遭難者はニセ金庫岩を道標の金庫岩だと誤認して、下山していたら、いつの間にか迷ってしまった。そのまま進もうとしたら崖になっていて行き止まり。戻ろうとしても登りづらい形状になっていて、登ることも下ることもできなくなっていたのでしょう。
実際に、現地を取材していた報道機関の人たちが脱出できずに遭難状態になり、救助されたことがありました。「遭難現場=脱出しにくい」とわかっている状態でも脱出できなくなるのですから、遭難者は脱出を諦めて、SOSの木文字を作るしかない状況だったのでしょう。
ヘリコプターを目撃した
遭難者がSOSの木文字を作った理由の2つ目は、遭難した後に捜索のヘリコプターを目撃したからかもしれません。
遭難者の同僚の証言によると、遭難者の岩村さんが行方不明になった直後、捜索のためのヘリコプターが出動しました。しかし、費用の問題もあり、短時間しか捜索できず、岩村さんを発見できなかったのです。
岩村さんはその捜索ヘリコプターを見て、「またきっと自分を探しに来てくれるはず」と考え、必死にSOSの木文字を作ったのでしょう。今度は確実に発見してもらえるように。
一度、ヘリコプターを見てしまったら、リスクを犯して脱出するよりも、SOSの木文字を作ったほうが助かる確率は高いと考えるのは当然ですよね。
鉄腕アトムを思い出した

出典:ja.namu.wiki
遭難者がSOS木文字を作った理由の3つ目は鉄腕アトムのエピソードを思い出したからという説もあります。
鉄腕アトムには、アトムが倒木を並べてSOSの文字を作るシーンがあります。遭難者はアニメオタクだったことから、鉄腕アトムを思い出して、同じように倒木を使ってSOSの文字を作ったのかもしれません。
SOS遭難事件の真相④:なぜ音声テープを作ったのか?

出典:youtu.be
SOS遭難事件の最後の謎は、カセットテープに録音されていた音声です。
なぜ、「SOS、助けてくれ」という音声を吹き込んだのでしょうか?
これについては、本当の理由はわかっていませんが、捜索隊が近くまで来たけれど、衰弱して声も出せないような状況になっている可能性を想定していたと思われます。
音声を吹き込んで再生すれば、自分はここにいると捜索隊に知らせることができますから。
ただ、これはあくまでも推測です。もしかしたら、そんなことを考える余裕もなく、無我夢中でとにかく何かしないとメンタルを保てない極限状態でただ録音した可能性もありますし、助けを求めて叫んでいる時に偶然録音ボタンを押してしまった可能性もあります。
SOSの木文字は航空写真に写っていた

出典:youtu.be
SOS遭難事件はSOSの木文字と人骨・遺留品が発見され、最初は遭難者は女性と思われていて、いろいろと捜査は迷走することになりましたが、その後の再鑑定などで、遭難者は愛知県在住の男性だったことが明らかになりました。
ということは、SOSの木文字はその男性が作成したことになります。男性は1984年7月に行方不明になっていますので、SOSの木文字はその当時(1984年7月)から発見された1989年7月までずっとその場に存在していたことになります。
それを裏付けたのが林野庁の航空写真でした。林野庁は国土地理院の地形図作成のために、1987年9月20日に遭難場所付近の航空写真を撮影していましたが、その航空写真の中にSOSの木文字が確かに写っていたのです。
このことからSOSの木文字は確かに1987年9月20日以前に作成されていたことがわかり、1984年7月の遭難者が作った可能性が高いことが裏付けられました。
SOS遭難事件被害者の同僚が2ちゃんねるに降臨

出典:ja.namu.wiki
SOS遭難事件は1989年7月に発覚し、翌年に遭難者は男性1名であり、その遭難者の身元が愛知県在住の岩村賢司さんであることがわかりました。
そして、そこから約20年後の2012年に2ちゃんねるに遭難者の元同僚の男性が降臨しました。
317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/19(月) 15:54:33.15 ID:1PGx/CkN
中の人です
当初 骨盤の大きさから遺骨が女性の物との報道がありましたが 遭難者はズックリムックリ体型であったためそのように誤解されたと記憶しています
この投稿をした人は「故人は同僚でした」と説明し、当時の遭難事件について詳しく語ったのです。この同僚は次のようなことを語りました。
・いろんな分野に関心がありヲタク関連にも豊富な知識を持っていた
・捜索ヘリは高額で30分~1時間程度しか飛ばせなかった
・職場で捜索ヘリのためのカンパもあった
・仕事は非常に優秀
・大きなプロジェクトが終わった直後に休暇を取って遭難した
・当初は女性と報じられたが、故人の体型なら女性に間違われてもおかしくないと社内では言われていた
・彼ならSOSの木文字を作ったり、音声録音をしてもおかしくない
・アニメキャラやSOS木文字、テープ録音から警察発表前に故人で間違いないと社内では言われていた
この2ちゃんねるに降臨した同僚を名乗る人が、本当に遭難者の同僚だったのかは不明ですが、本物だと仮定した場合、この同僚を名乗る人の情報はとても貴重なものだと思います。
SOS遭難事件はなんJで話題になる

SOS遭難事件は、発生から30年以上経った現在でも5ちゃんねるのなんJで話題になることがあります。
この事件は謎が多いし、音声テープが怖いなどの話題性があるため、なんJ民からは人気があるようです。
なんJ民やネット民に人気の理由は、遭難者が「オタク」だったことも関係しているのではないでしょうか。
遭難者はアニメの主題歌を録音したカセットテープを所持していました。当時は現在よりもオタクに対する風当たりは強い時代でしたが、なんJ民は遭難者は「自分たちの先輩」「オタクの先駆者」のようなイメージを持ったのかもしれません。
SOS遭難事件のまとめ
SOS遭難事件の詳細や場所、怖い音声テープの存在、遭難者の身元、事件の真相、航空写真や同僚の降臨、なんJでの人気をまとめました。
登山のリスクや遭難の恐ろしさを再確認すると共に、遭難者がどんな気持ちでSOSの木文字を作り、音声を録音したのかを考えると胸が痛みます。















