関根元の生い立ちと現在!嫁の風間博子や子供・埼玉愛犬家連続殺人事件の動機や死刑執行まとめ

「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人の関根元は戦後日本史上最悪の連続殺人鬼と言われ話題です。

 

この記事では関根元の生い立ちや経歴、韓国出身の噂、共犯の嫁・風間博子との結婚や子供など家族、埼玉愛犬家連続殺人事件の内容や犯行の動機、死刑執行などについてまとめました。

関根元は「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人で元死刑囚

 

関根元のプロフィール

 

生年月日:1942年1月2日

没年月日:2017年3月27日(享年75歳)

出身地 :埼玉県秩父市

 

関根元(せきね・げん)は、1993年に埼玉県熊谷市などで発生した「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人です。

 

関根元は嫁の風間博子と共謀し、発覚しているだけで4人の男女を殺害して遺体をバラバラに解体し、骨を燃やすなどして証拠を隠滅した上で遺棄しました。

 

そのあまりに残虐かつ身勝手な犯行内容と、発覚していないものも含めれば30人以上を殺害しているとの噂も囁かれた事から、関根元は戦後日本史上最悪の殺人鬼、最大級の連続殺人鬼とも言われています。

 

関根元の起こした埼玉愛犬家連続殺人事件は、園子温監督の2010年の映画「冷たい熱帯魚」はモデルになった事件としても知られています。同映画では、関根元をモデルにした殺人鬼役を俳優のでんでんさんが演じていますが、そのイメージが実物の関根とそっくりだとして役作りと演出が話題になりました。

 

ここではこの「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人・関根元についてまとめていきます。

 

 

 

関根元の生い立ちと経歴① 子供時代はヤンチャで嘘つきでも有名

 

関根元の生い立ちと経歴についてわかっている内容を見ていきます。

 

関根元は1942年1月2日、埼玉県秩父市の生まれで、実家は商店街で下駄屋を営んでいました。

 

関根元は幼い頃からヤンチャな少年で、中学時代には暴力団組員の使い走りのような事もしていたようです。また嘘つきな事でも有名で「ホラ元」のあだ名で呼ばれていました。自己顕示も強く、目立つために校舎の2階から飛び降りて見せた事もあったようです。

 

 

 

関根元の生い立ちと経歴② 中学卒業後はラーメン店を経てプロパンの営業

 

中学卒業後は高校へは進学せずに実家の下駄屋を手伝っていましたが長くは続かずに、ほどなくして秩父駅前にあったラーメン屋で出前持ちとして働き始めています。

 

しかし、このラーメン屋は火事で焼け、店主も亡くなっています。噂では、関根元がラーメン店の店主を殺害して火をつけたのが真相とも言われていますが立証はされていません。

 

ラーメン店が火事に遭った後、関根元はプロパンガスの営業の職に就いています。口がうまかったためか営業成績はよかったようです。ちょうどこの頃に、実家の長屋の裏で犬を飼い始め、繁殖させて販売する商売を始めています。

 

 

 

関根元の生い立ちと経歴③ 犬の繁殖販売で成功し金銭を得る

 

当時から悪どい商売をしていたようで、1度販売した犬を後で客の家から盗んで来て店でまた売る、客が文句を言っても「犬はよく似てるんだ」などと言って突っぱねる、プードルにピンク色のスプレーで色をつけて「珍しいプードルだよ」などと言って高値で売りつけるなどしていたという事です。

 

関根元はこの犬の販売業で20代の頃にはかなり金回りが良く、夜な夜な地元のスナックを渡り歩き派手に女遊びをしていたようです。

 

関根元はペットショップや動物リース業など商売を広げ、虎やライオンなど猛獣も扱うようになります。

 

しかし、付き合いのあった暴力団との間にトラブルを起こし、一時的に静岡県伊東市に身を隠し地元での商売を畳んでいます。

 

 

関根元の生い立ちと経歴④ 埼玉県熊谷市で「アフリカケンネル」を開業

 

出典:https://www.dailyshincho.com/

 

暴力団とのトラブルで身を隠していた関根元でしたが、ほとぼとりが覚めた頃に埼玉に戻り、1982年に熊谷市でペットの繁殖・販売業の会社「アフリカケンネル」を開業しています。

 

この「アフリカケンネル」こそが、一連の「埼玉県愛犬家連続殺人事件」の舞台となります。

 

当時の関根元は、猛獣の扱いにも長けた天才的ペットブリーダーとしてメディアでも取り上げられ、シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役やアラスカン・マラミュートの第一人者などと紹介されて、業界の有名人のようになっていました。

 

この後、関根元が起こす埼玉県愛犬家連続殺人事件については後述します。

 

 

 

関根元は自身が韓国籍だと周囲に吹聴していたとの情報も

 

出典:https://zaitakudemamawork.com/

 

関根元が在日韓国人・朝鮮人という噂があるようです。

 

これについては、2016年12月に出版された稲川会系元総長・高田燿山氏の著作「仁義の報復 元ヤクザの親分が語る埼玉愛犬家殺人事件の真実」に、関根元が周囲の同情や興味を惹くために、実際には在日韓国人ではないのに、自分は在日韓国人と吹聴していたと書かれています。

 

つまり、関根元は実際には在日韓国人ではないものの、周囲に自分は在日韓国人だと吹聴していたため、それが噂となって広がったのだと推測されます。

 

 

 

関根元の家族① 嫁の風間博子は埼玉愛犬家連続殺人事件の共犯

 

関根元の嫁・風間博子のプロフィール

 

生年月日:1957年2月19日

出身地 :埼玉県熊谷市

 

関根元の家族についても見ていきます。

 

アフリカケンネルを設立した翌年の1983年の10月24日に関根元は、後に「埼玉愛犬家連続殺人事件」の共犯者となる風間博子と結婚しています。

 

当時は嫁の風間博子が26歳、関根元は41歳でした。風間博子は離婚歴があり2度目の結婚。関根元も過去に何度も離婚と結婚を繰り返しており、風間博子とは7度目の結婚でした。(同一の女性と離婚と復縁を繰り返しているため元嫁の人数は3人)

 

この年に嫁の風間博子がアフリカケンネルに客として訪れ、意気投合して結婚したとされています。ただ、風間博子は資産家の娘だったため、関根元は財産目当てで結婚したとも言われています。

 

いずれにしても結婚してからは夫婦二人三脚でアフリカケンエルを運営するようになり、嫁の風間博子は主に経理を担当しながら、ブリーダーとしても仕事を覚え、ドッグショーでは関根元に代わってハンドラーを務める事もありました。

 

また、風間博子は関根元と結婚する前までは、真面目に生きてきた人間でしたが、関根と夫婦になってからは無理してタバコを吸い、前の嫁達が関根に刺青を彫らされたと聞くと、対抗する気持ちから背中に刺青を入れています。

 

関根元の嫁・風間博子は「埼玉愛犬家連続殺人事件」では、稲川会系暴力団の組長代行とその運転手の2名が殺害された第2の事件で殺害の現場にで同席し遺体の解体にも加わっていた事がわかっています。

 

なお、関根元と嫁の風間博子は1993年1月に税務対策のために偽装離婚しており、埼玉愛犬家連続殺人事件当時は法律上は夫婦ではありませんでした。

 

関根元と出会う前の風間博子の生い立ちや経歴については、保育士として働いた後、東京都北区の中央工学校で測量を学んで卒業した後、熊谷市内の測量事務所に勤務しています。これは、土地家屋調査士として独立を考えていた父親を手伝うためでした。

 

1976年に銀行員の男性と1度目の結婚をして子供を1人産んでいますが、男性の浮気によって1982年に離婚しています。

 

 

 

関根元の家族② 子供は嫁の風間博子との娘と博子の連れ子の息子の計2人

 

出典:https://cialiscouponedtrial.com/

 

関根元は「埼玉愛犬家連続殺人事件」を起こした当時、家族は嫁の風間博子の他に2人の子供がいました。

 

 

関根元の子供① 長男は嫁・風間博子の連れ子

 

このうち、長男は風間博子の前の旦那との間に生まれた子供で、4歳の時に母が関根元と再婚して一緒に暮らすようになりました。

 

この長男は毎日の犬の散歩と家の中の拭き掃除、風呂の準備などの手伝いを関根元に言いつけられており、それを守らないと木刀で殴るなどの激しい虐待を加えられたという事です。

 

「埼玉愛犬家連続殺人事件」で両親が逮捕されたとき、この長男はアメリカの高校に留学するために成田空港にいました。アメリカに着いた直後に事件を知りますが、マスコミを避けるためにそのまま日本には帰らずにアメリカに滞在し、両親の逮捕から2ヶ月後の1995年3月に密かに帰国しています。

 

その後は祖母や叔母の家で育てられますが、事件の影響から高校へは進学できず、知り合いの飲食店や寮のある会社などを渡り歩きながらどうにか生活していたようです。現在は結婚もされているという事です。

 

 

関根元の子供② 嫁の風間博子との間に生まれた娘

 

関根元と風間博子の2人目の子供は、結婚2年目に生まれた長女です。関根元は自分の実の子供であるこの長女に対しては暴力を振るう事はなく、むしろ甘やかし放題に甘やかしていたようです。

 

この関根元の娘は、埼玉愛犬家連続殺人事件で両親が逮捕された当時は小学2年生で、祖母と叔母に育てられて、高校を卒業後は福祉系の専門学校にも進学しています。

 

福祉の専門学校を卒業後は介護関係の仕事に就き、現在も働かれているようです。

 

 

 

関根元には嫁の風間博子以前に3人の女性との結婚歴があり子供も5人

 

出典:https://www.dailyshincho.com/

 

関根元には風間博子と結婚する以前に3人の女性と6度の結婚歴があります。(離婚後に復縁した女性がいるため、同一の女性と複数回結婚している)

 

関根元の1度目の結婚は19歳の時で、嫁は、出前持ちとして働いていたラーメン店で働く同僚でした。この最初の嫁との間には、息子1人と娘2人の子供3人が生まれていますが、関根元の浮気が原因で離婚しています。

 

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1970年、関根元は浮気相手の看護師の女性と2度目の結婚をしています。この2人目の嫁との間には子供が2人(ともに娘)が生まれていますが、うち1人は幼い頃に亡くなっています。

 

その後、関根元はこの2人目の嫁とも離婚し、その後は秩父市内のマッサージ師の女性とその娘と暮らしています。関根元はこの女性と別れた後、なんとその娘の当時16歳の少女とも交際していた時期があったようです。

 

 

 

関根元と嫁の風間博子の起こした埼玉愛犬家連続殺人事件の内容

 

関根元と嫁の風間博子が起こした「埼玉愛犬家連続殺人事件」の内容も改めて紹介していきます。

 

 

第1の事件(川崎昭男さん殺害死体遺棄事件)

 

埼玉愛犬家連続殺人事件でわかっている最初の被害者は、埼玉県行田市に住む、産業廃棄物処理会社役員だった川崎昭男さん(当時39歳)でした。

 

川崎さんは当時、兄の経営する会社の経営が不振に陥っており、関根元に勧められて犬の繁殖ビジネスを手がける事にし、関根元から1100万円でアフリカ産の犬種ローデシアン・リッジバックのつがいを購入しました。

 

しかし、川崎さんは知人から、この犬種の相場が数十万円である事や、購入した犬は既に高齢で繁殖には適さない事などを知らされて関根元に騙された事を悟りました。

 

さらに、メスの方が脱走して行方不明になった事から繁殖自体が不可能になったため、川崎さんは関根元に代金の返金を求めました。

 

1993年4月20日の夕方頃、関根元は「金を返す」と嘘を言って、川崎さんを熊谷市内のガレージに呼び出し、大型ワゴン車の中で談笑して油断させた後、栄養剤だと偽って猛毒の硝酸スリキニーネのカプセルを川崎さんに飲ませ殺害しました。

 

この硝酸スリキニーネのカプセルは、関根元が知り合いの獣医師から犬の殺処分用として譲り受けたものでした。

 

関根元は、アフリカケンネルの役員だった山崎永幸(当時37歳)に、川崎さんの遺体を見せつけた「お前もこうなりたいか?子供は元気か?」などと脅迫した上で、遺体を群馬県片品村の山崎の自宅へと運ばせました。

 

山崎は周囲に人家のない山奥の自宅に離婚をして一人暮らしをしており、遺体の解体場所として都合が良かったため、関根元に利用された形でした。

 

関根元は山崎にガレージに残された川崎さんの車を都内に運んで失踪したように見せかけるように指示した後、山崎の自宅の浴室で川崎さんの遺体を細かくバラバラにしました。

 

関根元の指示を受けた山﨑は、熊谷市へと戻り、風間博子と合流して2台の車で都内へと向かい、東京駅八重洲地下駐車場に川崎さんの車を放置しました。

 

山﨑は熊谷で風間博子と別れた後、片品村の自宅へと戻ったところ、関根元は既に川崎さんの遺体の解体を終えていました。遺体はサイコロステーキ大にバラバラにされ原型をとどめていなかったという事です。

 

翌21日の早朝、関根元は山崎に川崎さんの骨や所持品をドラム缶で焼却させ、残った肉片などは群馬県川場村を流れる薄根川に、骨や所持品の灰は片品村の国有林内にそれぞれ遺棄しました。

 

 

第2の事件(遠藤安亘、和久井奨殺害死体遺棄事件)

 

第1の事件で川崎昭男さんが行方不明になった事を受けて、川崎さんの家族が事件性を訴えた事で、関根元とアフリカケンネルの周りをマスコミが嗅ぎ回るようになり、テレビや週刊誌がスキャンダルに疑惑を報じた事で世間の耳目を集める騒動に発展します。

 

この事態を受けて、関根元は5月中旬に川崎さんの家族と話し合いの場を持つ事になり、この話し合いにアフリカケンネルの用心棒的存在だった稲川会系暴力団の組長代行だった遠藤安亘(当時51歳)が同席しました。

 

遠藤はこの話し合いの時の関根元の態度を見て、関根が川崎さんを殺害した事を察知し、口止め料として多額の金銭や土地建物の登記済み証を要求するようになります。

 

関根元と嫁の風間博子は、このままでは遠藤に全財産を搾り取られると危機感を抱き、殺害する以外に方法はないと決意します。また、遠藤と常に行動を共にしている運転手の和久井奨(当時21歳)も同様に殺害するしかないと結論しました。

 

1993年7月21日の夜、関根元と風間博子は、山崎永幸の運転する車で遠藤宅を訪れました。

 

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遠藤宅内に上がった関根元と風間博子は、遠藤の要求に応じるように見せかけ、求められていた登記済み証を遠藤に渡す振りをして油断させた上で、硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤だと偽り、遠藤と和久井に飲ませ殺害しました。

 

その後、関根元らは第1の事件と同様に2人の遺体を車で片品村の山崎宅へと運び、関根元と風間博子が共同で遺体を解体しました。この時には山崎も包丁を研ぐなど解体を手伝わされています。山崎の証言によれば、この時風間博子は演歌を鼻歌で歌いながら遺体解体作業をするなど、これまでに何度も行っているように手慣れた様子だったそうです。

 

翌22日の早朝、関根元と山崎で骨や所持品を焼却し、肉片や骨の灰などは川場村の薄根川や片品村の塗川や片品川などに遺棄しています。

 

 

 

第3の事件(関口光江さん殺害死体遺棄事件)

 

第3の事件の被害者は埼玉県行田市に住む主婦の関口光江さん(当時54歳)でした。

 

関口光江さんは、次男がアフリカケンネルで従業員として働いており、その縁で関根元と知り合い親密になり、身体の関係を持ちました。関根元は関口光江さんにアフリカケンネルの株主になるように持ちかけて出身金を詐取しようと計画しました。

 

しかし、関根元と風間博子はいずれは嘘がバレて金銭トラブルになると予見し、金を奪い取った後に関口さんを殺害する事を決意します。

 

1993年8月26日の午後、関根元は行田市内で待ち合わせて関口光江さんを車に乗せて、出資金(株券購入代金)という名目で、当時の関口家の全財産にあたる270万円を詐取した上で、これまでの同様、硝酸ストリキニーネ入りカプセルを飲ませて関口さんを殺害しました。

 

関根元は、やはり同様に山崎永幸を呼び出して遺体を片品村の自宅へと運ばせ、同様の方法で関口さんの遺体を解体しています。

 

その後も同様に骨や所持品は焼却し、27日の未明に肉片や骨の灰などを同村の塗川に遺棄しています。

 

 

 

関根元の埼玉愛犬家連続殺人事件の動機は金銭トラブルと口封じ

 

関根元が「埼玉愛犬家連続殺人事件」を起こした動機についても見ていきます。

 

 

 

第1の事件の動機は犬の売却金の返金を回避するため

 

第1の事件を起こす少し前に、関根元は被害者の川崎昭男さんに「繁殖をやれば、日本には1匹もいない犬種だから必ず儲かる」などと嘘をつき相場の50倍にもなる法外な値段でローデシアン・リッジバックのつがいを売りつけました。その後、詐欺にあった事に気がついた川崎さんは犬の返品と代金の返還を求めました。

 

実は、関根元は当時、新たな犬舎兼自宅の建設のために1億4000万円もの借金を抱えていましたが、バブル崩壊に伴う売り上げの激減によってアフリカケンネルの経営が傾き返済に窮していました。こうした懐事情もあり、関根元はなりふり構わず、言葉巧みに客を騙して法外な高値で犬を売却しており、川崎さん以外の客ともトラブルが起こっていました。

 

こうした状況から、関根元と嫁の風間博子は金を返す事はできないと判断し、返金を回避してトラブルの元を摘むという目的などを動機として川崎昭男さんの殺害を実行しました。

 

 

 

第2の事件の動機は第1の事件発覚を防ぐための口封じ

 

第1の事件を察知した暴力団員の遠藤安亘は、関根元を脅して金銭を要求しました。遠藤が1億4000万円の借金を抱えて建設中だった新たな犬舎兼自宅の土地建物の登記済証まで要求してきた事から、関根元と嫁の風間博子は、このままでは遠藤に全財産を脅し取られると危惧し遠藤を殺害するしかないと決意しました。

 

遠藤には、常に行動を共にしている運転手の和久井奨がおり、関根元らは、遠藤を殺害するのなら、この和久井も口封じのために殺害する必要があると結論しました。

 

 

 

第3の事件の動機は親密な関係にあった被害者から金を騙し取り関係を解消する事

 

第3の事件の被害者である関口光江さんは、アフリカケンネルの従業員の母親で、関根元から犬の繁殖ビジネスを持ちかけられてアラスカン・マラミュート6匹を計900万円で購入していましたが、それをきっかけに関根元と親密な関係になり、肉体関係を持っていました。

 

関根元は関口光江さんに対して、アフリカケンネルの株主になれば多額の配当金を出すと嘘をついて出資を持ちかけ、その金を詐取する事を画策。いずれはこの嘘もバレると見越し、また、そうなれば過去に高額で売りつけた犬の代金の返金も求められかねないと思い、関口光江さんの殺害を決意しています。

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また、関根元が関口光江さんとの親密な関係を煩わしく思った事も動機の1つとなりました。

 

 

 

関根元の埼玉愛犬家連続殺人事件の発覚から逮捕まで

 

出典:https://res.cloudinary.com/

 

「埼玉愛犬家連続殺人事件」では、第1の事件で川崎昭男さんが行方不明になった直後に川崎さんの家族が埼玉県警行田警察署に捜索願を出しており捜査が始まっていました。

 

埼玉県警察は関根元や嫁の風間博子に対する監視や尾行を行っていましたが、その監視の目を潜る形で関根元らは第2の事件と第3の事件を起こしています。

 

1994年2月頃になると、不審な行方不明事件がアフリカケンネル周辺で頻発している事を疑ったマスコミが押しかけるようになり、連日ワイドショーで放送されて世間からの注目も集めました。

 

証拠を徹底して隠滅し、中々尻尾を出さない関根元に対して、警察は周辺の関係者を検挙して包囲を縮めていく戦略を取り、同年10月17日に共犯の山崎永幸に事情聴取を行いました。山崎は当初事件との関与を否定し、一時は妻と共に姿を眩ましましたが、妻が別の詐欺容疑で警察に逮捕された事などを受けて出頭し、12月中には関与した一連の事件について自供しました。

 

 

 

山崎の供述を元にした警察の捜索で物証が見つかり関根元と風間博子が逮捕される

 

山崎の供述を元に、埼玉県警と群馬県警が合同で熊谷市と片品村を中心に広範囲にわたる捜索が行われ、1995年1月から2月にかけて、被害者の骨片や歯片などの遺体の一部や、腕時計や携帯電話の基盤の一部、家や車の鍵などの被害者の所持品の断片が物証として発見されました。

 

こうした証拠により、警察は1995年2月までに、関根元と風間博子、そして山崎永幸を一連の事件の死体損壊・遺棄容疑および殺人の容疑で逮捕しました。また、検察は同様の容疑で3人を起訴しました。

 

 

 

関根元の埼玉愛犬家連続殺人事件の裁判と判決

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

1995年7月にはじまった関根元と風間博子の裁判では、関根元は罪状認否を留保、風間博子は起訴事実をほぼ全面的に否認しました。

 

埼玉愛犬家連続殺人事件の裁判は長期におよび、1998年9月3日の第57回公判で、関根元はようやく起訴事実を認めています。しかし、関根元はこの被告人質問で主犯は風間博子で、殺人の実行犯は山崎永幸だとし、自身は嫁である風間博子を守るために犯行に加担したに過ぎないと主張しました。夫婦の主張は真っ向から対立し、互いに罪をなすりつけ合う泥沼の展開となりました。

 

2001年3月21日に浦和地裁は検察側の主張を全面的に認め、求刑通りに関根元と風間博子の両名に死刑判決を下しました。関根元も風間博子も、この判決を不服として控訴しています。

 

なお、共犯として逮捕された山崎永幸に対しては、1996年に懲役3年の実刑が確定しています。

 

東京高裁での控訴審では、2005年7月11日に両被告の控訴を棄却する判決が下されました。関根元と風間博子両名ともにこれを不服として上告しましたが、2009年6月5日に最高裁判所は両名の上告を棄却する決定を下し、両名の死刑判決が確定しました。

 

 

 

関根元は死刑執行前に東京拘置所で病死

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

長きにわたる裁判の末に死刑判決が確定した関根元でしたが、死刑執行を待たず、2017年3月27日に東京拘置所で病死しています。享年は75歳でした。

 

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関根元は死去の5ヶ月前の2016年11月に拘置所内で心臓発作で倒れ外部の病院に救急搬送されていました。退院後は拘置所内で治療を受けていました。

 

埼玉県で平成5年、愛犬家ら4人が相次いで殺害された事件で、殺人や死体損壊罪などで死刑が確定した元犬猫繁殖業、関根元・死刑囚が27日、収容先の東京拘置所で死亡した。75歳。関係者が明らかにした。

 関係者によると、昨年11月、拘置所内で心臓発作を起こし、外部の病院に救急搬送された。その後、拘置所内で治療を受けていた。

 

引用:愛犬家連続殺人事件で死刑確定の関根元・死刑囚が東京拘置所で死亡

 

 

 

関根元の嫁で埼玉愛犬家連続殺人事件共犯の風間博子の死刑執行について

 

出典:https://tk.ismcdn.jp/

 

関根元と同様に死刑が確定している嫁の風間博子ですが、死刑執行は2022年10月の時点ではされていません。

 

風間博子は死刑確定後も無罪を主張し続けており、裁判で風間博子の死刑確定につながる重要な証言をした山崎永幸も現在は、風間博子も自分と同じように関根元に脅されて本意ではなく犯行に加わった立場であり、死刑判決はおかしいとの主張を展開しています。

 

現在、風間博子は大腸がんを患い治療を受けています。死刑執行は健康でなくてはできないという原則があるため、現状で風間博子の死刑執行の可能性は低いと見られています。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1993年4月から8月にかけて埼玉県熊谷市などで発生した「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人・関根元についてまとめてみました。

 

関根元は1942年1月2日に埼玉県秩父市で下駄屋を営む家に生まれました。関根元は少年の頃から虚言癖があり、「ホラ元」というあだ名で呼ばれています。ヤンチャなところがあったようで中学生の頃に暴力団事務所に出入りして使い走りのような事をしていたようです。

 

中学卒業後は高校へは進学せずに秩父駅前のラーメン店で出前持ちの仕事とプロパンガスの営業の仕事を経て、20代の頃に実家で犬を繁殖させて販売する商売を始めています。

 

その後、トラやライオンなどの猛獣まで扱うペットショップやリース業で成功し、1982年に熊谷市でペットの繁殖・販売業の会社「アフリカケンネル」を設立しました。

 

その翌年の1983年に後に埼玉愛犬家連続殺人事件の共犯者となる風間博子と結婚。嫁の風間博子との間には子供が1人産まれています。関根元の事件当時の家族はこの嫁の風間博子と子供の他に、風間博子の前夫との間の連れ子(息子)がいました。

 

関根元も過去に何度も離婚と結婚を繰り返しており、合計3人の前嫁との間に合計5人の子供を儲けています。

 

関根元は自身のペット繁殖・販売会社「アフリカケンネル」を通じて関わり合った4人の男女を毒物を用いて殺害し、遺体をバラバラにし、骨や所持品は焼却して遺棄しました。犯行の動機は金銭トラブルの解消や口封じなどの極めて身勝手ものものでした。

 

関根元はこの事件で逮捕され、死刑判決を受けましたが、2017年に死刑執行を待たずして東京拘置所で倒れ75歳で病死しています。

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