山本美香(シリア銃撃死事件)の最後の映像は?腕やズボン・父親など家族・佐藤和孝との関係もまとめ

2012年8月、ジャーナリストの山本美香さんがシリアで銃撃され、死亡する事件が起こりました。

 

この記事では山本美香さんの死因や最後の映像、佐藤和孝さんとの関係、結婚や父親ら家族と現在、腕やズボンなど検索してはいけない言葉の真相を紹介します。

山本美香さん(ジャーナリスト)のプロフィール・略歴

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

山本美香さんはジャパンプレス所属の女性ジャーナリストで、2012年8月にシリアでの内戦取材中に銃撃に巻き込まれて亡くなっています。

 

生前、山本美香さんはイラクやチェチェン、コソボ、アフガニスタンといった紛争地域での取材を精力的に行っていました。

 

2003年にはイラク戦争下のバクダッドから中継でTVレポートを続け、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞。2008年には早稲田大学大学院政治学研究科に就任しています。

 

戦時下にありながら逞しく生きる市井の人々に目を向け、戦争とはなにかという問題を訴え続けてきた山本美香さんのプロフィールは以下のとおりです。

 

本名: 山本美香

 

職業: ジャーナリスト(ジャパンプレス所属)

 

生年月日: 1967年5月26日

 

身長:157cm

 

出生地: 北海道帯広市

 

最終学歴:都留文科大学英文学科卒業

 

パートナー: 佐藤和孝(2012年まで)

 

死亡日: 2012年8月20日(享年45歳)

 

経歴を見ると志の塊、ジャーナリストという仕事にすべてを捧げた人生という印象を受けますが、実際の山本美香さんは洋服も好き、メイクも好き、花が好きで家族思いの女性でした。また、無事に帰るという験を担いでカエルのグッズを集めていたといいます。

 

 

 

山本美香さんの死因となった銃撃事件

 

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2012年8月20日、シリア北部のアレッポで山本美香さんがシリア政府軍に銃撃されるという事件が起こりました。ここでは山本さんがなぜシリアに向かったのか、内戦の状況や死因となった銃撃事件について紹介していきます。

 

 

シリア内戦

 

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山本さんが命を落とすこととなったシリアでは、2011年から現在に至るまで激しい内戦が続いています。

 

内戦のきっかけとなったのは2010年から中東で活発化していた民主化運動で、最初はアサド政権化で虐げられてきたスンナ派の人々がデモ活動を行ったことでした。

 

シリアでは40年間にも渡ってバッシャール・アル=アサド大統領による独裁政治がとられており、不満を抱えた国民も多くいました。そのため改革を求める人々がどんどんスンナ派のデモに加わっていき、反政府勢力と政府の間での内戦に発展したのです。

 

さらに近隣諸国が援助を行ったことで反政府勢力は「自由シリア軍」を名乗って武装蜂起し、政府側にはロシアやイランが味方しました。

 

代理戦争の要素も含んだ内戦は一般の国民も巻き込んで激化していき、人々は空爆や戦闘で住む場所を失い、物資が底をついたことで物価も高騰。

 

こうしたなかで体力的、経済的に余裕のある人々は難民として隣国のトルコに流出していきましたが、危険なシリアに留まり、難民キャンプで生活している人も多く存在します。

 

山本さんと佐藤さんは、そんな内戦が開始したばかりの2011年にシリアへ取材に赴いたのでした。

 

 

銃撃事件

 

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事件当時、山本さんと佐藤さんは反政府派の自由シリア軍とともに行動していました。山本さんは紛争地に入る際には重さ7kgの防弾チョッキを装備し、目立たないように黒色の長袖シャツと黒色の長ズボンを身に着けていたといいます。

 

しかし、2012年8月20日に戦闘が激化しているシリア北部のアレッポに向かう途中で政府軍に襲われ、防弾チョッキからわずかに出ていた首と、腕など9箇所を撃たれて死亡。死因は首を撃たれたことによる脊髄の損傷と報じられています。

 

同行していた佐藤さんによると、「相手は10〜15人程度で、最初は自由シリア軍側の人間だと思った。そのため取材しようと思い、カメラを構えたところ銃撃してきた」とのこと。

 

この時、数メートル離れた場所にいた2人はバラバラに逃げ、1時間ほどして銃撃が止んでから佐藤さんは山本さんを探しに向かったといいます。

 

佐藤さんはどう見ても外国人記者である山本さんが、自由シリア軍の兵士と間違われて銃撃されることはないと確信していたため、彼女は無事だと信じ込んで探していたそうです。

 

しかし、探してもどこにもいないことから自由シリア軍の兵士に山本さんを見かけていないか訪ねたところ、「彼女は撃たれて病院に運ばれた」と告げられたのでした。

 

そして佐藤さんは急いで山本さんが運び込まれたというトルコ南部の病院に向かい、病院の1階で白い布に包まれた彼女の遺体に対面したといいます。

 

 

 

山本美香さんは狙われていた?死亡前の最後の映像

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佐藤さんは山本さんが撃たれたのは偶然ではなく、最初から政府軍に狙われていたのではないかと訴えました。

 

佐藤さんによれば、武装した男たちの1人はこう叫んだという。「あそこにいるぞ。日本人だ」。

 

引用:シリアで死亡したジャーナリスト山本美香さん パートナーが当時を振り返る

 

 

上の動画の映像が山本さんが亡くなる直前に撮影していたとされる「最後の映像」です。

 

ロイターニュースが報じたもので、自由シリア軍の兵士たちとアレッポに向かう様子や、その途中で行きあった避難する人々の様子、建物内に残る人々などの様子が映された直後に突然銃声がして画面は真っ黒に反転します。

 

真っ黒に反転する直前に「ヤバーニ(日本人)」と叫ぶ男の声が入っており、この声が佐藤さんの話にも出ていたものだと思われます。

 

また、自由シリア軍のアブ・ラアシド司令官も「山本美香さんはアサド政権軍に狙われた」と、APF通信の取材に答えていました。

 

 

 

山本美香さんを狙った理由は?

 

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山本さんが狙われた理由について、ジャーナリストの綿井健陽さんは「海外メディアを脅して、シリアからジャーナリストを追い出す狙いがあったのではないか」と指摘しています。

 

佐藤さんも「政府軍、自由シリア軍どちらにもスパイは潜んでいたと思う」と、自分たちがアレッポに向かうことは政府軍に筒抜けで、恰好の的になっていた可能性を疑っていました。

 

また山本さんが亡くなった後、中東のテレビ局・アルジャジーラでは「自由シリア軍が山本美香さん殺害に関与した政府軍の元将校の拘束に成功し、『彼女の殺害はアレッポ政治治安局の高官に命じられた』と自白した」とも報じられました。

 

しかし、アサド政権はそのような事実はないの一点張りで、シリア大使館を通じて銃撃事件の真相解明を訴える佐藤さんに対しても「彼女(山本美香さん)は不法入国者であり、保護する必要がなかった。銃撃に巻き込まれても文句は言えない立場だ」と回答。

 

佐藤さんは「(美香さんを殺害した犯人を)捕まえたいとか、殺してやりたいとか、そんなことは思っていない。私は記者なので、ペンの力で弔い合戦をする」と語っていましたが、現在もシリアは激しい内戦状態にあり、銃撃事件の真相に近づけるような状況ではありません。

 

おそらくシリアの内戦が落ち着いた時に初めて、なぜ山本美香さんが死ななければいけなかったのか、最初から彼女が狙いだったのかなど、銃撃事件の真相がわかるのではないかと思われます。

 

 

 

山本美香さんの家族① 父親

 

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山本さんの父親の孝治さんは、元朝日新聞の記者でした。ジャーナリストへの道を進んだきっかけは父親への憧れだったといい、事件を追って取材に奔走する父の姿を見て、自分も海外に飛び出して自分の目で見たことを報道する記者になりたいと思ったそうです。

 

しかし、学生時代の山本さんにとって育った山梨という土地の外の世界、ましてや海の向こうの世界というのは遠く、「海外特派員になりたい。でも、自分がなれるのだろうか。想像がつかない、非現実的だ、無理だ」と思っていたといいます。

 

後の山本さんの活動を考えると、彼女のような強い人でもそんな消極的なことを考えていた時期があったのか、と驚かされるエピソードです。

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大学を卒業した後はやはり父親と同じ道を歩みたい、という思いから地元に拠点のあるCS局・朝日ニュースターに入社しますが、とくに取材したいテーマもなく、何をしたいのか自問自答の日々が続きました。

 

転機となったのは山本さんが入社2年目、24歳の時に起きた1991年に起きた雲仙普賢岳の大噴火だったそうです。この時に俯瞰から災害の大きさを報道するのではなく、被災地の人1人1人に焦点を当て、寄り添いながら取材をするという山本さんのスタイルが確立されたといいます。

 

孝治さんも娘の仕事を高く評価していたようで、彼女の葬儀の際には以下のようなコメントを出していました。

 

「報道で美香の(現地での)活躍ぶりを驚嘆の思いで妻と見ていた。道半ばですが、よくやってくれた」

 

引用:山本美香さんに最後の別れ 父「活躍に驚嘆」

 

また、2022年にウクライナ侵攻が開始した際には毎日新聞の取材を受けて「美香が生きていたら、現地入りしただろう」「戦争や内乱の報道を見るたびに、『美香ならどう伝えただろうか』と考えてしまう」と、亡き娘への想いを語っていました。

 

 

 

山本美香さんの家族② 母親・姉妹

 

山本さんは姉と妹にはさまれた3姉妹の次女で、シリアでの死亡が確認された際には姉と妹も駆けつけ、突然の死を悼む様子が報道されました。

 

また、母親の和子さんは現在ボランティアで戦争の悲惨さを伝える朗読活動などをされているそうです。和子さんは娘の遺志を継いで「戦争の残酷さを伝える絵本を描きたい」とも話しています。

 

 

 

 

山本美香さんと佐藤和孝さんの関係は?結婚していた?

 

出典:https://www.shinchosha.co.jp/

 

山本さんがシリアで亡くなった際、ジャパンプレスの代表である佐藤和孝さんも彼女と一緒にいました。

 

2人は入籍こそしていなかったものの公私にわたるパートナーで、事実上の夫婦といった差し支えのない関係にあったといいます。

 

山本さんは28歳の時に佐藤さんに出会ったそうで、当時の彼女は雲仙普賢岳の取材で手応えを感じていたにもかかわらず報道部署から外されてしまい、仕事にやりがいを見いだせなくなって朝日ニュースターを退職していました。

 

その後、彼女は佐藤さんが所属していたアジアプレス・インターナショナルに出入りするようになり、そこで2人は知り合ったとのことです。

 

佐藤和孝さんと出会った当時、山本さんは別の男性と結婚していたといいます。

 

しかし、佐藤さんは好奇心の塊のような山本さんに一目惚れ。山本さんも1980年代から継続して世界中の紛争地を取材してまわり、戦争の悲惨さと愚かさを訴え続けてきた佐藤さんに強い憧れと尊敬の念を持ったといいます。

 

そして佐藤さんが初対面で彼女に特別なものを感じ取ったように、山本さんも一目惚れに近い感情を佐藤さんに抱いたそうで、親友に「(運命の相手と)出会ってしまったかもしれない」と悩みを打ち明けていました。

 

結果、前の夫との間に子供はいなかったこともあって離婚を選び、以降は佐藤さんとともに生きる道を選んだとのことです。

 

再婚については、山本さんの方は正式に籍を入れて夫婦になることを望んでいたとの話がありますが、「自分は普通の家庭を築くことができない」との思いから佐藤さんが入籍を拒んだため、正式な結婚はしませんでした。

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正式に結婚をしなかったことから、取材先でも面倒な対応を強いられることが多かったといい、佐藤さんは下のような思い出話を語っています。

 

タリバン政権からビザを出してもらったんだけど、「お前たちは名前が違うから夫婦じゃないだろう。一緒の部屋に泊まってはいけない」っていうんだよ。つまり、2部屋とらなきゃいけなくなるから取材費が増える(笑い)。「俺たちは日本では夫婦ってことになっているんだ!」って押し切ったよ。

 

引用:故・山本美香さん パートナーと結婚望むも籍は入れなかった

 

入籍をせず、それでも公私にわたるパートナーという特殊な関係を周囲、とくに山本さんのご両親に認めてもらうため、2人は仕事で成果をだしていくという道を選んだそうです。

 

なお、入籍はしていなかったとはいえ山本さんの葬儀では喪主を務める父親の孝治さんの後ろに佐藤さんがつき、マスコミの取材にも孝治さんと並んで答えていたことから、家族にもきちんと夫婦として認められていたことが窺えます。

 

 

佐藤和孝さんは山本美香さんを連れて行きたくなかった?

 

出典:https://www.youtube.com/

 

お互いに惹かれていたことから2人はすぐに交際をはじめました。しかし、当時の山本さんは取材らしい取材の経験といえば前述の雲仙普賢岳での経験くらいだったこともあり、佐藤さんも危険な仕事に同行させる気はまったくなかったといいます。

 

しかし、山本さんはどうしても紛争地の取材に一緒に行きたいと言って譲りませんでした。そこで佐藤さんは「自分と一緒に来たら、命を落とす危険もあるのだ」「今後、ずっと紛争地でジャーナリストを続けるつもりなのか」と問いただし、アフガニスタンに連れて行く決意をしたそうです。

 

初めて訪れたアフガニスタンで、佐藤さんは山本さんに「あなたでないと、取材できな相手もいる」と教え、積極的に女性を取材するように勧めたといいます。

 

現在もタリバン政権下で、極端に女性の権利が抑圧されていることが世界的に問題視されているアフガニスタン。山本さんが取材に訪れた当時も、アフガニスタンの女性は同性、もしくは親族以外の男性としか接触を許されておらず、佐藤さんでは取材ができなかったのです。

 

しかし、女性という理由で取材が許されたとはいえ、アフガニスタンの主な公用語はダリー語とパシュトー語という馴染みのない言語で、言葉の通じない相手に山本さんは日本の歌を紹介したりと工夫して相手の笑顔や興味を引き出して取材を進めました。

 

この抑圧された環境で生きる女性たちの姿が今後、ジャーナリストとして何を伝えるべきなのかを決めるのに大きな影響を与えたといいます。

 

その後も山本さんは自ら次の取材現場に同じく女性が公然と虐待、殺害されているパキスタンを選びました。

 

彼女の覚悟を目の当たりにした佐藤さんも、アフガニスタンの取材以降は「危ないから連れて行かれない」と口にすることはなかったそうで、常に2人は一緒に取材に赴いていったとされます。

 

 

山本美香さんに子供はいる?

 

出典:https://www.youtube.com/

 

2人の間には中学生くらいの子供がいた、子供らしき人がニュース映像に写っていたという噂もあるようです。しかし、正式に子どもがいたとの発表はされていませんし、葬儀の映像でもお子さんと思われる人物は見当たりません。

 

子どもについては佐藤和孝さんが実際にインタビューで「40歳が近くなった頃、やはり(美香さんは)女性なので子をもうけるか、諦めるかという葛藤はあったと思うんです。ただ、子供がいたら仕事は中断するか辞めるかを選ばないといけない」と語っていました。

 

この話から考えても思い悩んだ末に山本さんが子供を持つことを断念して、仕事を選んだことがわかります。

 

 

 

山本美香さんの「腕」「ズボン」は検索してはいけない言葉?

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銃撃事件直後の2ちゃんねるには誰がどこから入手したのか、山本さんが銃撃された直後の画像が貼られていたことがあったといいます。

 

画像では後ろから撃たれた山本さんの右腕が吹き飛んでおり、2ちゃんねるでは「政府軍の武器はドラグノフライフルではないか」「たまたま銃撃に巻き込まれただけで、こんなに酷い怪我は負わない。至近距離から撃たれたに違いない」などと議論がされていたようです。

 

また、こちらも削除されているため真贋は不明なのですが、事件からしばらくの間You Tubeにも山本さんが銃撃される瞬間の映像がアップされていたらしく、腕を撃たれたシーンが写っていたといいます。

 

このことから「山本美香 腕」という言葉は、検索してはいけないと言われるようになったのでしょう。

 

なお、現在でも画像検索で当時2ちゃんねるに貼られていた画像はヒットしますが、真贋不明とはいえあまりに残酷なものであり、亡くなった山本さんの尊厳にも関わるため、ここでは画像の紹介は避けておきます。

 

また、ズボンについても銃撃事件後に山本さんのもとに駆けつけた佐藤さんが「着用していたズボンが流血で真っ赤に染まっていた」と話していたことから、同様に凄惨な画像にヒットするかもしれない、との意味で検索してはいけないと言われるようになったものと思われます。

 

 

 

山本美香さんが遺したものと現在への影響

 

山本美香さんが亡くなってから10年が経過しました。しかし、現在も彼女が遺したものは次の世代に受け継がれています。ここでは山本さんの遺したものと、現在への影響を紹介していきます。

 

 

 

山本美香記念国際ジャーナリスト賞と山本美香財団の設立

 

出典:https://www.youtube.com/

 

国際ジャーナリスト賞は山本美香記念山本さんのジャーナリストとしての精神を引き継ぎ、誠実な国際報道に徹した個人のジャーナリストに向けて贈られる賞で、2023年で10周年を迎えました。

 

これまでに映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』の伊藤めぐみ監督、2020年のアメリカ大統領選挙でトランプ陣営に潜入取材をした横田増生さんらが受賞しています。

 

また、次世代を担うジャーナリストの育成や支援を目的とした山本美香財団も設立されており、理事長は佐藤和孝さんが務めています。

 

 

道徳の授業で取り上げられている

 

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現在も中学校の道徳の授業で山本さんの著書『戦争を取材する』が教材として使われており、授業で初めて山本さんのことを知る学生も多いそうです。

 

『戦争を取材する』は小学校高学年から読めるように書かれているため、文体も平易で、山本さんの目から見た紛争地で生きる人々の姿が描かれています。

 

小学生でも読めるようにと言っても、書かれている内容は容赦のない戦争の姿で、少年兵士のエピソードなど目を覆いたくなるような話も出てきます。

 

山本さんの著書や活動に興味があるけれど、何から読んだらいいのかわからないという大人の方にもお勧めできる一冊です。

 

 

 

山本美香さんについてのまとめ

 

今回は2012年にシリア取材中に銃撃にあい、亡くなったジャーナリストの山本美香さんについて紹介しました。

 

昨今、ジャーナリストの方々が紛争地での取材中に拘束され、殺害されるという痛ましい事件が頻繁に起きており、そのたびに「兵士でもない記者相手に、なんて卑劣な!」と憤る人の意見と、「危険を知りながら行ったほうが悪い」と自己責任だとする人の意見が多く飛び交います。

 

山本さんは亡くなる前のインタビューで「紛争地で死ぬのは覚悟している。怖くないわけではないが、『まさか死なないだろう。今回も大丈夫だ』と思って取材に向かっている。これはみんな同じだと思う」といったことを話していました。

 

死んだとしても仕方ない、自己責任だ、というのは他人に指摘されるまでもなく山本さんもわかっていたことなのでしょう。それでも戦地に赴き、自分にしかできない報道を求めていた彼女の直向きさには頭が下がる思いです。

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