1993年に起こった埼玉愛犬家連続殺人事件を覚えていますか?この事件は「ボディを透明にする」という方法での遺体なき殺人事件でセンセーショナルに報じられました。この事件の主犯の1人が風間博子です。
風間博子の生い立ちや実家の家族、結婚歴や関根元との結婚・離婚とアフリカケンネル経営、サイコパスなのか、三木大雲の缶コーヒー事件との関わり、埼玉愛犬家連続殺人事件の動機や判決と現在の死刑執行の有無をまとめました。
この記事の目次
風間博子は埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人
風間博子
生年月日:1957年2月19日
出身:埼玉県熊谷市
年齢:68歳(2025年時点)
身分:死刑囚
罪状:殺人・死体損壊遺棄
風間博子は1993年に埼玉県熊谷市周辺で起こった埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人です。元夫の関根元と共謀して、少なくとも4人を殺害しました。
風間博子と関根元は殺害した後、「ボディを透明にする」と称して、遺体を解体し、焼却して山や川に遺棄したため、この殺人事件は「遺体なき殺人事件」と呼ばれるようになりました。
風間博子は逮捕後に死刑判決を受け、死刑が確定しています。
風間博子と関根元が起こした埼玉愛犬家連続殺人事件の概要

出典:asagei.com
埼玉愛犬家連続殺人事件は1993年に埼玉県熊谷市周辺で起こった連続殺人事件です。
第一の事件
第一の事件は1993年4月20日に起こりました。
被害者の産業廃棄物処理会社役員の男性は、犬を購入するために「アフリカケンネル」を訪れ、そこで関根元と知り合います。関根元の口車に乗せられて、犬の繁殖ビジネスに手を出して合計1100万円をつぎ込みました。
後に関根元に騙されたことを知り、お金の返金を求めます。
しかし、関根と風間博子は経済的に困窮していたことから返金は不可能と悟り、被害者男性を殺害することを決断します。
1993年4月20日に関根は被害者男性を呼び出して、硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽って飲ませ殺害し、アフリカケンネルの役員である山崎永幸を脅して遺体を解体させてドラム缶で焼却し、川や山林に遺棄しました。
第二の事件
第二の事件は、1993年7月21日に起こりました。被害者は稲川会系暴力団の組長代行とその運転手です。組長代行の男性は元々関根元の用心棒のような存在でしたが、第一の事件は関根元の犯行であることに気づき、関根元に多額の金銭を要求することなりました。
そのため、関根元は組長代行を殺害することを決意します。関根元と風間博子は、栄養剤と偽って組長代行と運転手に硝酸ストリキニーネのカプセルを飲ませ殺害しました。
2人の遺体を車に乗せた関根と風間博子は遺体を解体して焼却し、再び川に遺棄しました。
第三の事件
第三の事件の被害者は主婦です。
この主婦と不倫関係になった関根元は、この主婦からお金を騙し取った後に殺害することを決意しました。
1993年8月26日に、関根元はこの主婦の全財産270万円を騙し取り、その後硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを飲ませて殺害しました。その後、遺体を解体・焼却し、川に遺棄しました。
風間博子と関根元の逮捕
第一の事件から警察は関根元と風間博子は疑われていましたが、遺体などの物証がなかなか発見されなかったことから、捜査は難航しました。しかし、共犯の山崎永幸が事件の関与をほのめかすようになり、1994年11月に出頭しました。
その山崎の供述などで、1995年1月に風間博子と関根元は殺人と死体損壊・遺棄で逮捕されました。
風間博子の実家の家族

風間博子は埼玉県熊谷市で生まれました。
風間博子の父親は土地家屋調査士の仕事をしていたことが分かっています。
また、実家は資産家で、風間博子はお嬢様でした。
風間博子のご両親は資産家のご夫婦と養子縁組をしていたことで、実家はお金持ちになりました。
ただ、事件の時にはすでに資産家夫婦も風間博子の実の父親も他界していて、実家の遺産は母親が相続していました。
風間博子の生い立ちや経歴

風間博子は1957年に熊谷市で生まれました。
前述のように、ご両親が資産家夫婦と養子縁組をしていたために、実家は経済的には裕福で「お嬢様」として育ちました。また、子供の頃から大の犬好きでした。
お嬢様としてごく普通に成長した風間博子は高校卒業後は北区にある中央工学校で測量を学びました。卒業後は測量事務所に勤めています。
東京都北区にある中央工学校で測量を学び、卒業すると熊谷市内の測量事務所に勤めた。土地家屋調査士として独立しようとしていた父親を、いずれ手伝おうと考えてのことだ。
引用:「埼玉愛犬家連続殺人」2人の子供が明かす両親の意外な素顔 「私には甘い優しい父親でした」(2ページ目) | デイリー新潮
また、保育士として働いたこともありました。
資産家の娘で、父親の仕事を手伝う目的で測量を学び、保育士もしていた風間博子。ここまでの生い立ちや経歴を見ると、風間博子はごく普通で真っ当な生活を送ってきた女性であることがわかります。
風間博子の結婚歴

風間博子は2回の結婚歴・離婚歴があります。
1回目の結婚
1回目の結婚は1976年のこと。風間博子は19歳で銀行員の男性と結婚しました。
この男性との間に男の子を儲けますが、1982年に離婚しました。離婚原因は夫の女性問題です。
夫に浮気されたことが原因で、風間博子は1回目の結婚生活に終止符を打ちました。
2回目の結婚
2回目の結婚は1983年10月のことです。
2回目の結婚相手が関根元でした。
風間博子は2回目の結婚、関根元はなんと7回目の結婚でした。この結婚では関根元が「風間」姓を名乗っています。
風間博子と関根元は結婚してアフリカケンネル経営

アフリカケンネルの開店資金は風間博子が出した?
風間博子と関根元の出会いは、風間博子がペットショップのアフリカケンネルを訪れたことです。
経済的に恵まれ、堅実な人生を歩んできたのに、夫の女性問題で離婚することになった風間博子が15歳年上の関根元に惹かれたのは仕方がないことかもしれません。
関根元はブリーダーとしては超優秀で、シベリアンハスキーブームの仕掛け役として、ペット業界では有名でした。ヤクザのような風貌であくどい商売をしていましたが、独特のユーモアがあり、話術が巧みだったと言われています。
いわゆる「危険だけど、魅力がある」。関根元はそんな男性であり、真面目で夫に不倫された風間博子が惹かれるのは自然な流れだったと思われます。
そして、関根元にとっても風間博子は魅力的でした。風間博子は資産家の娘ですから、その財産に目をつけて、お金目的で結婚したとされています。
お嬢様育ちの風間をだますのは簡単だったのでしょう。
関根は7度目、風間は2度目の結婚で、ペットショップの開店資金も風間に出させているはずです。
引用:証拠残さず「30人殺した」ペットショップ店主の破綻した理性と行動…遺体切り刻み (2017年3月5日) – エキサイトニュース
関根元は7回も結婚していましたし、アフリカケンネルの女性従業員のほとんどと肉体関係を持っていたという情報もあるほど「モテる男性」だったようです。
そんな男性が、子持ちの風間博子と再婚するのは、もちろん風間博子と意気投合したという理由もあると思いますが、風間博子の実家のお金が目当てだった可能性は高いと思います。
刺青を入れる
1983年に風間博子は関根元と結婚しましたが、その後すぐに両肩や背中に龍の刺青を入れました。
刺青を入れた理由は、前妻と対抗するため。もしくは、関根元と一体感を強めるためと言われています。
風間博子の娘の証言によると、風間博子は関根元の写真を持ち歩き、関根に合わせるために無理して煙草を吸っていたこともあるほど、風間博子は関根に夢中になっていました。
しかし、長男は「逃げられないように、関根に無理やり入れられた」と証言しています。
もしかしたら、最初は関根元のために自らの意志で刺青を入れたけれど、徐々にそれを枷のように感じ始め、逃げられなくなっていったんかもしれません。
お互いの得意分野で補い合う
風間博子と関根元は、結婚後にペットショップのアフリカケンネルを二人三脚で経営していました。2人はお互いの得意分野が異なり、それぞれが補完し合う形の理想的なビジネスパートナーだったようです。
アフリカケンネルの創業者である関根元は、ブリーダーとして優秀で、話術が巧みだったことから営業の能力も高かったようです。しかし、金遣いが荒いタイプでした。
それを補ったのが、風間博子です。風間博子は金銭管理能力に優れていて、アフリカケンネルの経理を担当していました。また、ブリーダーとしても少しずつ成長していきました。
風間博子には子供が2人

風間博子には子供が2人います。
・長男:1980年生まれ
・長女:1986年生まれ
1995年1月の時点で長男は15歳、長女は9歳でした。この生まれ年でわかると思いますが、長男は風間博子の前夫との子供で、関根元の実の子供ではありません。
そのような事情もあり、家庭内では2人の子供は扱いに差がありました。関根元は娘には甘いのですが、長男には厳しく、しかもDVをしていました。
でも、友達と遊びたくて、ついついさぼって出かけちゃうと、木刀で殴りつけられる。寝坊したりして、掃除とか、やらないで行っちゃったりするじゃないですか。そうすると、学校までわざわざ迎えに来て連れ帰られて、やらされた
引用:「埼玉愛犬家連続殺人」2人の子供が明かす両親の意外な素顔 「私には甘い優しい父親でした」(全文) | デイリー新潮
長男は木刀で殴られたり、裸で正座させられるなどのDVを受けていました。
風間博子の2人の子供は成人してからマスコミのインタビューに答えていますが、2人の意見が食い違う部分があることから、2人の子供は家庭内で異なる扱いをされていたことが良くわかります。
風間博子は関根元と離婚していた

埼玉愛犬家連続殺人事件で、犯人の関根元と風間博子は夫婦と報じられていましたが、実は事件の時はすでに離婚していました。1993年1月25日には、法的な離婚が成立しました。
そのため、事件が起こった時には風間博子と関根元は夫婦ではありませんでした。元夫婦です。
結婚時には関根元が風間姓を名乗る選択をしていて、関根元の本名は風間元でしたが、事件時には関根元に戻っています。
ただ、「偽装離婚」であり、2人は法的に離婚した後も離婚前と同じような生活を続けていました。なぜ、偽装離婚をしたのか?離婚原因を探っていきましょう。
税金対策の偽装離婚
風間博子が離婚を決意したきっかけは、1992年12月のアフリカンケンネルの税務調査です。これをきっかけに、風間博子は弁護士に偽装離婚を勧められました。
前年の暮れにアフリカケンネルに税務調査が入り、離婚して不動産名義を風間に移したほうがいい、というアドバイスを弁護士から受けてのことだった。
引用:(5ページ目)埼玉愛犬家連続殺人事件から25年 冤罪を訴える風間博子死刑囚からの手紙 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
税金対策のために2人は離婚して、アフリカケンネルの名義を風間博子に移し、2人は別居したほうが良いと弁護士は勧めたようです。
そして、その旨を風間博子は関根元に伝え、関根は税金対策の偽装離婚だと信じて、法的な離婚に踏み切りました。
この税金対策のための偽装離婚だから、法的に離婚が成立した後も、同居しながら離婚前と同じような生活を続けていたのでしょう。
DVから逃げるための離婚?
1992年12月に税務調査が入って、風間博子が弁護士に相談して、法的な離婚を勧められたのは真実です。しかし、風間博子が離婚に踏み切ったのは税金対策というよりも、DV対策だった可能性があります。
関根元は風間博子の連れ子の長男に虐待・DVをしていました。
さらに、風間博子自身もDVの被害者でした。関根元は風間博子を殴ることがあり、顔にあざができたり、頬が腫れたりしていることもありました。
そして、風間博子が弁護士に偽装離婚を勧められた約2週間後、関根元は長男に対し、今まで以上に激しいDVを加えました。
2階の階段の上から和春は、関根に突き飛ばされて階下の壁にぶつかる。壁板が割れた。裸にして玄関先に座らせるいつもの虐待に加えて、関根は和春を木刀で叩き続けた。
引用:「埼玉愛犬家連続殺人」2人の子供が明かす両親の意外な素顔 「私には甘い優しい父親でした」(3ページ目) | デイリー新潮
長男への激しいDVを目の当たりにした風間博子は、「いつか息子が殺されてしまうかもしれない」と思い、この弁護士からの偽装離婚のアドバイスを利用して、本気で離婚しようと考えたようです。
「離婚を切り出すときは命がけでした」「暴行を受けるかもしれない。しかし、ここで切り出さなければと思い、離婚届にハンを押してもらうことだけを考え、『別れてください。子供の親権は私にください』と言いました」
引用:「埼玉愛犬家連続殺人」2人の子供が明かす両親の意外な素顔 「私には甘い優しい父親でした」(3ページ目) | デイリー新潮
風間博子は関根元からDVを受け、連れ子の長男にも虐待を加えられていました。さらに、関根元は女癖も悪かったんです。前述していますが、関根元はアフリカケンネルの女性従業員のほとんどに手を出していました。さらに、第三の事件の被害者である主婦とも不倫関係になっています。
風間博子の最初の離婚原因は夫の女性関係でした。そして、再婚してもまた夫に不倫された。しかも、共同経営しているアフリカケンネル従業員に手を出していた。妻としては、かなりの屈辱でしょう。
そのような中で、この弁護士からの偽装離婚アドバイス。弁護士からの偽装離婚アドバイスは、風間博子にとって渡りに船だったのかもしれません。
それでも、偽装離婚後も同じ生活を続けていたのは、関根元への恐怖なのか。関根元への情なのか。気になりますね。
風間博子はサイコパス?

出典:asagei.com
風間博子は資産家の娘として育ち、ごく普通の生活を送ってきましたが、関根元と結婚したことで、人生が一変し、犯罪に手を染めることになったと報じられることが多いです。しかし、風間博子は元々サイコパスだった可能性があります。
なぜなら、鼻歌を歌いながら、遺体を解体していたからです。
稲川会系暴力団の組長代行と運転手を殺害した第二の事件では、風間博子は関根と共に被害者宅に行って毒殺しました。その後、共犯の山崎永幸の自宅で遺体を解体するのですが、その時に風間は演歌を鼻歌で歌いながら解体していたと山崎が供述しました。
これはあくまでも共犯の山崎永幸の証言ですが、山崎には「鼻歌を歌っていた」という嘘をつくメリットはありません。ということは、この鼻歌を歌いながら遺体を解体したという供述は本当の可能性が高いと思います。
ごく普通の感覚を持っている人なら、そもそも遺体を解体できません。鼻歌を歌いながら遺体を解体するなんて、到底無理でしょう。鼻歌を歌いながら遺体を解体できる人はサイコパスで間違いないと思います。
サイコパスは遺伝的な要素が大きいものの、後天的な要素もあります。ということは、風間博子はもともとサイコパスの素地を持っていて、関根元と出会い一緒に生活することで、サイコパス気質が花開いたのかもしれません。
風間博子は三木大雲の缶コーヒーに関わっていた?

三木大雲という住職が埼玉愛犬家連続殺人事件の犠牲になっていた可能性があるとして、2021年に話題になりました。
三木大雲氏は立正大学仏教学部卒業、現在は日蓮宗派の光照山蓮久寺の第38代住職をしていて、怪談和尚としても有名です。
三木大雲氏は学生時代に熊谷市の寮に住んでいて、アフリカケンネルの犬を写真に撮っていました。そこには関根元がいて、「勝手に撮るな!」と怒鳴りこまれました。しかし、「人を撮らなければ良い」と言われて、関根元と意気投合します。
この時、三木大雲氏は風間博子と思われる女性の写真を撮っていました。
関根元と意気投合した三木大雲氏は、何度かアフリカケンネルを訪れます。そのたびに、関根元から缶コーヒーを勧められました。缶コーヒーは必ず数本用意してあり、三木大雲氏は好きなものを選んで飲むように言われたのです。
三木大雲氏は3回缶コーヒーを選び、最後はもう1本飲まないかと勧められましたが、それを断ります。その後は三木大雲氏は引っ越したために関根元との交流は終わりました。
その3年後、三木大雲氏は関根元が埼玉愛犬家連続殺人事件で逮捕されたことを聞き驚きますが、その後にさらに驚くくべき事実を知ったのです。
三木大雲氏の知人が関根元と拘置所で面会しましたが、関根元は三木大雲氏に毒入り缶コーヒーのロシアンルーレットをさせていました。
「昔、修行僧がうちへ遊びに来た。その時にいくつかの毒入りの缶コーヒーと1個だけ毒の入ってない缶コーヒーを置いてどれか好きなのを飲めって言ったら、そいつは3回とも毒なしを引いて元気に帰っていった。最後にもう一度試そうと思って、もう1つ飲めと勧めたら、お腹いっぱいなんで結構ですと帰っていった。
引用:(3ページ目)「コーヒーでも飲んでいけ」“埼玉愛犬家連続殺人事件”の犯人に殺されかけた…和尚はなぜ助かったのか | 「怖い話」が読みたい | 文春オンライン
三木大雲氏は3回とも毒なし缶コーヒーを選びことなきを得ましたが、一歩間違えば、関根元に殺害され、埼玉愛犬家連続殺人事件の被害者になり、風間博子に鼻歌を歌いながら解体されることになった可能性もあります。
風間博子の犯行動機

埼玉愛犬家連続殺人事件の風間博子の動機は、アフリカケンネルの経営が行き詰まったことによる金銭問題と思われます。
事件当時、アフリカケンネルは借金まみれでした。
アフリカケンネルは1993年7月に4000万円の抵当権を設定され、さらに同年11月には3000万円の根抵当権を設定されていました。さらに、犬舎兼住宅を建設しましたが、これには2億円の費用がかかっています。
アフリカケンネルの経理を担当していたのは、風間博子です。
経理を担当していたのに、アフリカケンネルの経営状況が悪化していたため、お金のために犯行に加担したのかもしれません。経理担当として責任を感じて犯行に加担した可能性もありますが、経営状態を安定させて、夫婦のパワーバランスを対等に保とうとした可能性もあります。
そもそも、旦那の関根元には何度も何度も浮気され、長男と共にDVを受けていたことから、まともな思考ができなくなっていたのかもしれません。そして、状況に流されるがままに罪悪感もなく、犯行に及んだとも考えられます。
風間博子と関根元の判決

出典:bunshun.jp
風間博子は1995年1月に逮捕されました。同年7月から裁判が行われましたが、風間博子と関根元はそれぞれ罪を擦り付け合い、異なる主張・供述をしました。
さらに、「遺体なき殺人」と言われるほど物的証拠がなく、共犯者の山崎永幸が裁判では証言を拒否するなど、なかなか裁判が進みませんでした。
第一審では風間博子は無罪を主張しましたが、2001年3月21日に風間博子は関根元と共に死刑判決が言い渡されました。
裁判では第一の事件と第二の事件は風間博子は関根元と共謀して対等な立場で犯行が行われ、第三の事件では風間博子の関与は認定されなかったものの、関与していた可能性が相当強いとされました。
風間は控訴しましたが、2005年には控訴棄却、2009年には上告が棄却され、死刑が確定しています。
風間博子の現在:死刑執行はまだ
風間博子は2009年に死刑が確定しましたが、2025年時点でまだ死刑は執行されていません。死刑執行を待っている状態です。
再審請求を行っている

出典:readyfor.jp
風間博子は第一審の時から無罪を主張していて、現在再審請求を行っています。
風間博子は第二の事件については死体遺棄は認めていますが、第一の事件への関与はしておらず無罪を主張しました。
第一次再審請求は棄却され、現在は第二次再審請求中です。再審請求を行っている状態では死刑は執行されないと言われていますので、風間博子の死刑執行はまだ先かもしれません。
大腸がんを罹患

出典:bunshun.jp
風間博子は2019年に大腸がんが発覚し、手術を受けています。
2025年で68歳になっている風間博子ですが、死亡等のニュースはありませんので、大腸がんは完治していると思われます。
死刑囚だった関根元は2017年に拘置所内で病死していますが、風間博子もこのまま再審請求を続けていれば、死刑執行前に病気で亡くなる可能性は十分にあると思います。
風間博子のまとめ
埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人・風間博子のプロフィールや生い立ち、実家の親や家族、経歴と結婚歴、関根元との結婚やアフリカケンネルの経営、子供や離婚、サイコパスなのか、三木大雲の缶コーヒーとの関わり、動機や判決と現在の死刑執行の有無をまとめました。
埼玉愛犬家連続殺人事件は、本当に恐ろしい事件でした。今後、いつ死刑が執行されるのか、それとも再審の扉が開かれるのかに注目が集まります。


















