福島便槽内怪死事件は1989年に福島県で発生した男性の怪死事件です。この記事では本件の図や遺体の発見場所、被害者・菅野直之さんがどうやって便槽に入ったのか、犯人や原発など事件の真実、木村藤子の霊視、事件を題材にした映画について紹介します。
この記事の目次
- 福島便槽内怪死事件の概要と事件現場の図
- 福島便槽内怪死事件の被害者・菅野直之さん
- 福島便槽内怪死事件が起きた場所
- 福島便槽内怪死事件の謎① どうやって便槽に入ったのか
- 福島便槽内怪死事件の謎② 菅野直之さんの服装と靴
- 福島便槽内怪死事件の謎③ 菅野直之さんの車の鍵
- 福島便槽内怪死事件の謎④ 事件前の菅野直之さんの行動
- 福島便槽内怪死事件の謎⑤ 女性教諭は第一発見者ではなかった?
- 福島便槽内怪死事件の謎⑥ 警察の対応
- 福島便槽内怪死事件の真実① 犯人は友人説
- 福島便槽内怪死事件の真実② 村長選挙が原因で消された説
- 福島便槽内怪死事件の真実③ 原発にからんだ陰謀論説
- 福島便槽内怪死事件の真実④ 本当にのぞき目的だった
- 福島便槽内怪死事件の真実⑤ 自殺説
- 福島便槽内怪死事件は霊能力者の木村藤子によって霊視されていた
- 福島便槽内怪死事件を題材にした映画『バリゾーゴン』
- 福島便槽内怪死事件についてのまとめ
福島便槽内怪死事件の概要と事件現場の図
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福島便槽内怪死事件は1989年2月28日、福島県田村郡都路村(現在の田村市)にある都路小学校に隣接する教員住宅で発生しました。
事件が発覚したのは、28日の夕方18時頃。この教員住宅に住んでいた女性教諭(当時23歳)が個室トイレに入ったところ、便器の中に靴のようなものを発見します。
この教員住宅のトイレは汲み取り式のボットン便所で、排せつ物を水で流さずに便器に空いた穴の中に落とし、まとめて汲み取り口からバキュームカーで汲み取るという仕組みのものでした。
そのため、便器の奥に怪しい異物を確認した女性教諭は慌てて外の汲み取り口を見に行ったのですが、なぜか汲み取り口の蓋は外れており、中を覗いてみると人間の脚のようなものが見えたといいます。
これを見た彼女は「のぞき目的の不審者が便槽内に侵入したのではないか」と思い、同僚に相談した後に警察に通報。最初に近くの駐在所にいた警察官が現場に到着しました。
その後、消防団なども駆け付けて便槽内にいると思しき人の救出が試みられます。
しかし、便槽内にいた人物は下の図のようにすっぽりと空間にはまっており、引っ張り出すのも困難な状態でした。
この場合、中にいる人物を引き出すためには直径36㎝の汲み取り口から引き出すことになります。
警察官らが目視した限り、内部にいるのは男性。意識がある状態ならば肩をすぼめたり体をひねるなど本人にも協力してもらって、引きずり出せたかもしれません。
しかし、便槽内にいる人物は呼びかけに反応せず、生きているのかも怪しい状態でした。
そのため警察と消防団は重機を使って便槽ごと掘り起し、地上で便槽を壊して中にいる人物を救助することにしたのです。
こうして何とか便槽内にいた人物を出すことに成功したのですが、すでに中にいた男性は死亡しており、なぜか上半身は裸で衣服を胸のあたりで握りしめ、頭を少し傾けた状態だったといいます。
汚物まみれになっていた遺体は水で洗われ、消防団の詰め所でさらに洗われた後に医師による検死が行われ、死因は「凍え兼胸部循環障害」と判断されました。
耳慣れない死因ですが、凍えというのは凍死のことで、2月の福島県の気温は0℃を下回ることもあるため、便槽内とはいえ屋外に近い環境にいたことで身体が冷え切ったものと見られます。
胸部循環障害は狭い場所で胸部が圧迫され、呼吸ができなくなったことを指し、この2つの死因があわさって男性は亡くなったとされたのです。
そして遺体の身元も早々に判明します。便槽内で亡くなっていたのは現場近くに住む菅野直之さん(当時26歳)でした。
なお、警察の見解では菅野さんは発見される2日前の26日には亡くなっていたとのことで、肘や膝に擦り傷がある程度で目立った外傷もありませんでした。
争った形跡もなかったことから、警察は「菅野さんがのぞき目的で便槽内に侵入し、そのまま出られなくなって死亡した」として、菅野さんの怪死は事件ではなく事故と結論付け、捜査を終了しています。
しかし、伝え聞く菅野さんの人柄や現場の状況から考えて他殺説をとなえる人は多く、現在でも福島便槽内怪死事件は「謎めいた未解決事件」として数えられることがあります。
福島便槽内怪死事件の被害者・菅野直之さん
福島便槽内怪死事件で遺体となって発見された菅野直之さんは、都路小学校から車で10分ほどの場所に住んでいました。
同居家族は両親と祖父母の4人。福島原発の関連会社に勤めており、福島第2原発で営業主任として働いていたそうです。
プライベートでも村の青年団に所属し、明るく活動的な性格だった菅野さん。音楽が好きで友人たちとバンド活動もしていたといいます。
イベントの司会などを頼まれることも多かったそうで、女性にも人気のある人物だったとのことです。
このような人となりを聞くと、「普通にしていてもモテるような好青年が、わざわざ便槽に入り込んで糞尿まみれになり、のぞきなどするのだろうか?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。
実際に都路村の人々も「のぞき目的で便槽内に侵入し、そのまま出られなくなって死亡」という警察の結論に異論を唱え、「菅野さんは殺害されたに違いない」と捜査のやり直しを求めて署名活動をしています。
この署名には村外の人も含めて4,000人近くの人が協力したとされますが、その後も警察による再捜査は行われていません。
福島便槽内怪死事件が起きた場所
福島便槽内怪死事件が起きた場所は、福島県田村市都路町古道北町24に位置する都路小学校の校庭に隣接して建っていた平屋の教員住宅です。
福島便槽内怪死事件の謎① どうやって便槽に入ったのか
福島便槽内怪死事件の図として有名な左側の絵を見る限り、汲み取り口から便槽内に入るのは不可能に見えます。
ただ、よく見るとわかるのですが、この図は縮尺がおかしいのです。
便槽の底部の深さの47㎝に対して、ここから便槽に入ったのだろうと予想される36㎝の汲み取り口ががあまりにも細く描かれています。
さらにこの図の比率から考えると、被害者の菅野さんは2mを超す大男だったという計算になってしまい、明らかにおかしいのです。
おそらく、事件の怪奇性と便槽内の閉塞感を演出するためにわざとこのような描き方をしたのでしょう。
正しくは便槽内の菅野さんは右の図のような状態だったと思われます。菅野さんの身長は169.2㎝だったとのことで、図は170㎝と仮定して描かれています。
この当時の20代男性の平均的な肩幅は44㎝程であり、本人の体格にもよりますが、肩をすぼめれば汲み取り口から入れたかもしれません。
しかし仮に入れたところで、体積から見ても頭から先に入っている点から見ても、自力で出てくるのは不可能です。
となると、菅野さんは死を覚悟で頭から便槽に入ったのでしょうか?それとも便槽内の狭さを知らずに出られると思って入ったものの、脱出ができなくて亡くなったのでしょうか?
自力で便槽内に入ることは不可能ではなさそうですが、やはり謎は残ります。
TV番組で再現した際には便槽に入るのは不可能だった?
実は過去には1994年にフジテレビが放送した『緊急スペシャル超常現象を見た!』という番組でも、汲み取り口から便槽に入れるのか検証したことがありました。それが上のシーンであり、検証した男性スタッフの身長は170㎝で体重は65㎏とのこと。
男性スタッフは汲み取り口の入り口付近で肩がはまってしまい、周囲の助けを借りてなんとか汲み取り口から体を離すことに成功していました。
この番組内では「菅野さんの身長は169.2cm。体重は69㎏と検証したスタッフよりも重かったことから考えても、汲み取り口から自力で侵入するのは不可能」と結論付けられています。
ただ、番組内で紹介された便槽の図では汲み取り口の直径は「30㎝」となっており、菅野さんの遺体が発見された便槽の汲み取り口よりも6㎝も小さいのです。
別の便槽を使用したのでは?とも思えますが、番組には菅野さんの父親も出演しており「検証に使ったのは事件の便槽を復元したもの」と証言しているため、実物を使用したのでしょう。
では、6㎝の差はなぜ生じたのでしょうか?よく見ると上の図では便槽の壁からの内寸ではなく、少し厚みのある板のようなものを挟んで内寸が「30㎝」と書かれていることが確認できます。
さらにスタッフが汲み取り口から抜けた後の画像を見ると、金属製の輪のようなものが体にはまっている様子も確認できます。
もしかしたら、この金属製の輪がはまった状態だと便槽の汲み取り口は30㎝になり、外れた状態だと36㎝となるのかもしれません。
菅野さんが入った時、汲み取り口にこの金属製の輪があったのか無かったのかは不明ですが、いずれにしても6㎝の差は大きく、番組の検証結果をもって「汲み取り口から男性が侵入するのは不可能」と結論付けられない気がします。
福島便槽内怪死事件の謎② 菅野直之さんの服装と靴
福島便槽内怪死事件について特集を組んでいた1989年7月4日号の『AERA』によると、遺体回収時に菅野さんはフード付きの長袖のジャンパーと長袖のトレーナー、下着2枚を胸に抱えて上半身は裸だったといいます。
当時の天気情報を確認すると、菅野さんの死亡推定日である2月26日の前日は福島県内で20㎝の積雪が確認される大雪が降っており、26日の最低気温は0.2℃、最高気温は4.9℃で天気は雨。
翌27日は晴れたものの気温はそこまで上がらず、最低気温は0.4℃、最高気温は8.2℃で、遺体が発見された28日も曇天で気温は前日と大差なかったとされます。
このような気温の中、着ていたであろう上着やトレーナーを脱いで上半身裸になるというのは、それだけでも不自然な行動と言えるでしょう。
さらに頭の上に靴が片方載っていたとされ、もう片方の靴は事件現場から車で10分程度の距離にある、菅野さんの自宅近くの河原で発見されました。
ネット上では、「片方の靴を犬がくわえて持ち去ったため、離れた場所から出てきたのではないか?」という考察もみられました。
しかし、現場から菅野さんの家がある岩井沢までは上の地図でわかるようにかなりの距離があり、犬がくわえて行ったという説にも無理があります。
靴が片方だけ現場から遠く離れた場所に落ちていたことはもちろん、便槽内の狭さを考えると中に入ってから靴を脱いだとは考えづらく、足元ではなく頭上にあったというのも不可解です。
福島便槽内怪死事件の謎③ 菅野直之さんの車の鍵
菅野さんは事件現場に車で向かっていた様子で、都路小学校から徒歩2分の距離にあるJAの駐車場に車を停めていました。
しかし、この車はなぜか鍵が挿しっぱなしの状態で放置されていたのです。
菅野さんの愛車はトヨタのクラウンでした。高級車クラスの愛車を鍵付きのまま駐車場に放置して、のぞきに向かうものなのでしょうか。
しかも菅野さんは斜めに車を停めており、この様子から見てもちょっと下車してすぐに戻るつもりだった、もちくはよほど慌てた状態だったのではないかと思われます。
福島便槽内怪死事件の謎④ 事件前の菅野直之さんの行動
事件前、2月23日に菅野さんは飲み会に出て深夜1時頃に帰宅しており、翌24日は朝の10時に「ちょっと行ってくるからな」と言い残して家を出たことがわかっています。
ただ、この後の足取りがまったくわかっておらず、27日にJAの駐車場で菅野さんの車が発見されて、28日に遺体が見つかったという流れになります。
前述のように25日は雪で、1日外にいたとは考えづらく、菅野さんがどこで何をしていたのかはいまだに不明なのです。
福島便槽内怪死事件の謎⑤ 女性教諭は第一発見者ではなかった?
1989年3月2日発行の『福島民報』朝刊にて、福島便槽内怪死事件が取り上げられていました。
この記事によると、異変に最初に気づいたのは女性教諭ではなく彼女の同僚らで、トイレの中に靴が見えたことに気づいて通報したのではなく、汲み取り口の蓋が開いていたことがきっかけで事件が発覚したとのこと。
この点については、単に誤った情報を載せてしまっただけではないのか?という意見もありますが、何かを隠すために「第一発見者は女性教諭」と後になって事実を捻じ曲げたのでは?という説も根強く支持されている様子です。
なお、1989年7月4日号の『AERA』では、第一発見者は23歳の女性教諭と書かれており、取材に対応した彼女は「記憶をたどるのも嫌です」とだけ話しています。これはどういう意味なのでしょうか?
また、『福島民報』によると女性教諭は告別式のために2月24日から27日まで家を空けていたとのことです。
この年の2月24日は大喪の礼で祝日であり、25、26、27は土曜、日曜、月曜にあたります。
この頃の公立学校は週休2日ではなかったため、土曜と月曜の2日だけ有休をとれば4連休がとれるのですが、「進級がせまる2月の末に学校の教師が2日も休むというのは不自然だ」「何か事件と関係あるのではないか」とも指摘されています。
ただ告別式で家を空けていたとのことなので、故人との関係にもよりますが忌引きとして有休を申請したのであれば、2日休んでも不思議ではないでしょう。
福島便槽内怪死事件の謎⑥ 警察の対応
福島便槽内怪死事件から5年が経過した1994年、『緊急スペシャル超常現象を見た!』で捜査を担当した福島県警三春警察署の次長に取材を受けていました。
その中で次長は以下のような回答をしています。
・警察では菅野さんの死を、自然死ではなく変死、病死と結論付けた。
・捜査の結果、自分の意志で便槽に入って凍死したことがわかっており、事件性はないと判断している。
・司法解剖の結果も凍死と出ている。
ただ、菅野さんの父親は同じ番組の中で「警察は死因は凍死だとわかってるのだから、解剖の必要はない」と、なかなか司法解剖に応じてくれなかったと証言しており、両者の間には食い違いが見られます。
しかも、捜査のやり直しを求める署名が1ヶ月で4,300人分も集まったにもかかわらず、署名を受理し福島県三春警察署は再捜査を行いませんでした。
当時の村の総人口は3,000程度だったとのことで、村外からも事件に対する関心が寄せられていたことが窺えます。
福島便槽内怪死事件の真実① 犯人は友人説
2016年に発売された『不思議ナックルズ』によると、福島便槽内怪死事件が起きる少し前から女性教諭はいたずら電話に悩んでいて、菅野さんは彼女の婚約者でもある友人Aと協力していたずら電話を録音、彼女を助けていたそうです。
ここから派生したのか、「菅野さんは第一発見者の女性教諭の婚約者と友人で、女性教諭に横恋慕していた」という説も存在します。
そしてこの話を発展させて、横恋慕を諦めるように説得しようと24日にAは菅野さんを呼び出し、JAの駐車場で助っ人に呼んだ複数の友人とともに菅野さんを拉致。
自分の婚約者に手を出そうとした制裁として、便槽に入るように菅野さんを脅したところ、便槽から出られなくなってしまってAたちは全員で逃げたのではないか、との考察もあります。
また、この説をふくむ菅野さん他殺説では、菅野さんは自宅近くの河原で拉致されたために靴が片方落ちており、頭上にあった靴は教員住宅の便器側から頭をめがけて投げ込まれたのではないかと指摘されています。
福島便槽内怪死事件の真実② 村長選挙が原因で消された説
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『AERA』によると、1989年2月18日に都路村では村長選挙が行われていたそうです。
この時、当選した人物は過去に3期にわたって村長を務めており、前回と前々回は候補者が1人しか出なかったために自動的に村長の座に就いていました。
そのため今回は久しぶりの選挙戦となり、村は大盛り上がりだったといいます。
ただ『AERA』には現職の村長による票の買収が行われており、「1票2万円で票を買うこともあった」とまで書かれていました。
現在では考えられない違法行為ですが、平成元年の田舎の村の選挙ですから、このようなことがあっても不思議ではなかったのかもしれません。
結局、現職の村長が1976票を獲得して圧勝し、投票率95.33%という驚異の投票率を誇ったといいます。
投票率95.33%という数字を見ても、なるほど真っ黒ではないかという印象しかない村長選挙ですが、菅野さんも現職の村長に頼まれて応援に参加していたそうです。
なんでも応援演説で菅野さんが『水戸黄門』のテーマ曲を歌い、村長が「水戸黄門のような立場で活躍します」と話すというユニークな活動をしていたといいます。
しかし、『AERA』によると青年会のメンバーとして依頼を受けたものの、菅野さん自身は村長に対して内心は快く思っていなかったそうなのです。
選挙前日の2月17日には、「今日も応援を頼まれているけれど、行きたくない」「雪も降っているし、行かないことにする」といって友人の家にいたとのこと。
なぜ菅野さんが村長選の応援に積極的でなかったのかは不明ですが、村長が買収を行っているのが嫌だったのではないか?とも考察できます。
そして菅野さんが好青年という評判から考えて、村長の不正を告発しようとしたのがバレて消されたのではないか、という陰謀論も囁かれるようになりました。
この説では菅野さんが行方をくらます前日の2月23日にあった飲み会も、選挙関係者とのもので、この席で何かが起きたのではないかとも指摘されています。
福島便槽内怪死事件の真実③ 原発にからんだ陰謀論説
上で村長は票を買収していたという話を紹介しましたが、都知事や国会議員になるのならともかく、田舎の村の村長になるのにそんなにお金を使っても、それに見合うリターンはあるのでしょうか?この点を疑問に感じる方は多いのではないかと思います。
そこで疑われるようになったのが、村長は原発がらみで利権を得る予定だったのではないか?という説です。
実際に当選した村長は『AERA』に実名も出ているのですが、原発推進派でした。一方で対立候補は反原発だったとのことです。
日本国内で原発の是非が盛んに議論されるようになったのは、2011年の東日本大震災以降ですし、福島便槽内怪死事件が起きた当時、福島県内では自民党員であれ共産、社会党員であれこぞって原発を推進していたといいます。
雇用の面から考えても、政治家が原発を推進するのは自然な話です。
ただ、1986年にソ連でチェルノブイリ原発事故が起きてからはごく少数ながらも、反原発を訴える人もいたとされます。
そのため福島原発と近い距離にあった都路村の村長選でも、村から反原発派を締めだしたいという意図があったのではないか、あるいは県などの指示があってのではないか、と囁かれているのです。
そこから菅野さんは村長選への協力、もしくは原発に対して何らかの批判的な意見を見せ、反原発派への見せしめのために殺害されたのではないか、とも考察されています。
しかし、この説でも疑問なのがそもそも「都路村の村長にとっての原発利権」というのは何なのだろうか?という点です。
原子力発電は多量の冷却水を必要とすることから、原発は海沿いや大きな河川の近くに検察されることが多いとされます。
上の地図の都路町古道というばしょが、かつて都路村があったあたりなのですが、山に囲まれていて周囲に大きな河川もなく、原発が誘致できるような場所には見えません。
産廃処理施設でも誘致する予定だったのか?とも思えますが、それにしてもすぐに選挙に使ったお金は回収できない気もします。
自殺した保守課長に何かを託されていた?
1989年の1月初め、福島第二原発で炉心に多量の金属片等が流出する事故が発生し、東京電力の保守課長が遺書を残さずに自殺しています。
この人物と菅野さんは上司と部下の関係で、事故について何か情報を握っていた保守課長が最初に自殺を装って殺害され、課長と近しかった菅野さんも殺害されたのでは?との説もネット上では見られました。
ただ『AERA』に社名が載っていましたが、菅野さんの勤務先は東京電力ではありません。
そのため顔見知り程度ではあったかもしれませんが、原発運営を揺るがすような情報のやり取りをする間柄ではなかったと考えられます。
また、秘密裏に菅野さんを消そうという動きがあったとして、便槽に突っ込んで殺害するなどという奇妙な方法をとるとは考えられません。
福島便槽内怪死事件の真実④ 本当にのぞき目的だった
亡くなった菅野さんの名誉を考えると複雑な気持ちにさせられる説なのですが、本当にのぞき目的で便槽内に侵入して、凍死したという可能性も十分に考えられます。
この説を否定する最大の根拠となっているのは「菅野さんのような好人物が、そんな下劣なことをするはずがない」という主観です。
ただ、菅野さんはいやいや村長選に協力していたというエピソードからも、人の頼みを断れない、無理をしても期待に応えてしまう性格だったのではないかと予想されます。
そのようなストレスの多い日々に疲れた菅野さんが、つい魔が差してのぞきを思い立ったのではないか?との指摘もあります。
だからと言って汚物まみれの便槽に入るの人間などいるのだろうかと思いますが、これまでに複数件、便槽に入り込んだか落ちたかして亡くなった事故は確認されているのです。
1990年4月17日
東京都足立区西新井の公園内の公衆便所の便槽内で男性の遺体が発見される。事故死として処理。
1999年6月13日
秋田市の下浜海水浴場の公衆便所で、便槽に男が隠れているところを捕獲される。警察に捕獲された男は「のぞき目的で入った」と自供。
なお、トイレに入ってきたのは男性ばかりで「臭すぎて死ぬかと思った」とのこと。
2010年5月19日
新潟県上越市稲田にある公衆便所の便槽で男性の遺体が発見される。自ら便槽に入ったものと判断され、事故死として処理。
人の気持ちとはわからないもので、自ら便槽に入ってしまう人もいる様子です。
のぞき目的で入ったと考えると、狭い汲み取り口に体をねじ込むために上半身裸になって、潤滑油のようなものを塗っていたのではないか、最初は足から入ろうとして靴を落としてしまい、それがたまたま浮き上がって頭のほうに来ていたのではないかとの考察もできます。
のぞき説で問題となるのが、菅野さんと女性教諭は知人同士であったことから、数日間にわたって家を空けるのを知っていたのではないか、という点です。
たしかに留守中にのぞきに入るのは不可解ですが、菅野さんはこの時はあくまで下見のつもりで現場に向かい、出られなくなってしまった可能性も考えられます。
福島便槽内怪死事件の真実⑤ 自殺説
のぞきで入った説に似ていますが、ストレスの多い生活を強いられていた菅野さんが自暴自棄になって、死ぬつもりで便槽に入ったのではないか?という説もあります。
自殺説では、好きだった女性教諭の近くで死にたい、でものぞきのような疚しいことをしたくないと考えて、あえて彼女の留守を狙って便槽に入ったのではないかと指摘されています。
福島便槽内怪死事件は霊能力者の木村藤子によって霊視されていた
福島便槽内怪死事件は、『青森の神様』と異名を持つ霊能力者の木村藤子さんによって霊視されています。
木村藤子さんによると、菅野さんは別の場所で殺害されて遺体を便槽に捨てられたとのこと。
しかし、遺体をあの狭い便槽にねじ込んでも『犬神家の一族』のスケキヨのような倒立状態になってしまうと思われます。
そのため便槽に入った時点では、菅野さんは存命だったのではないでしょうか。
福島便槽内怪死事件を題材にした映画『バリゾーゴン』
1996年公開の渡辺文樹監督作品『バリゾーゴン』は、福島便槽内怪死事件を題材にした映画です。
作品には菅野さんの父親が出演しており、渡辺監督が解釈した福島便槽内怪死事件の真相が描かれています。
、渡辺監督の主観が強く出た作品であるため、感想は賛否がはっきり分かれているのが特徴です。
ただ、福島便槽内怪死事件で陰謀論説、暗殺説が囁かれるようになった原因とも言われる映画のため、本件に興味がある方は観ても損はないのではないかと思います。
福島便槽内怪死事件についてのまとめ
今回は1989年2月に発生した福島便槽内怪死事件について、菅野直之さんの人柄や謎、真相考察をふくめて紹介しました。
さまざまな考察と根拠を調べたのですが、事件であったとしても友人が犯人説、おそらくのぞき目的か自殺目的で自分で便槽に入った可能性が高いのではないかという印象を受けました。
意識のない状態で汲み取り口に人間を押し込むことは不可能だと考えられますし、積極的に入ろうとする意志がないと、奥まで体が入り込むことはないのではないでしょうか。