熊取町7人連続怪死事件の真相と犯人!詳細や場所・警察の自殺認定・なんJでの議論などまとめ

熊取町7人連続怪死事件とは、1992年4月から7月のわずか2ヶ月半の間に7人の若者が次々に不審死を遂げた怪事件です。警察は自殺としましたが、なんJなどでは議論が続いています。

 

この記事では熊取町7人連続怪死事件の詳細や場所、真相・犯人考察について紹介します。

熊取町7人連続怪死事件の概要

 

 

1992年4月29日、大阪府泉南地域にある熊取町で17歳の若者が亡くなりました。そしてそれを機に熊取町在住の20歳前後の若者ばかり7人が、次々と死んでいったのです。それも半径1.2km以内という狭い範囲内で。

 

しかも最初に17歳の少年が亡くなった1ヶ月後に2件目の不審死が発生しているものの、それ以降は1週間毎に若者が自殺。若者が亡くなるのは、なぜか決まって水曜日か木曜日でした。

 

熊取町7人連続怪死事件で亡くなった若者は以下のとおりです。

 

1人目・A男

17歳の板金工。1992年4月29日(木)に溺死

 

2人目・B男

17歳で無職。1992年5月29日(金)に心不全で死亡

 

3人目・C男

17歳で無職。1992年6月4日(木)に首吊り自殺

 

4人目・D男

18歳の土木作業員。1992年6月10日(水)に首吊り自殺

 

5人目・E男

18歳の旅館従業員。1992年6月17日(水)に首吊り自殺

 

6人目・F男

22歳の岸和田市職員。1992年6月25日(木)に首吊り自殺

 

7人目・G女

19歳の女子大学生。1992年7月2日(木)にナイフで胸を突いて自殺

 

AとBについてはシンナー遊びをしており、死亡前にもシンナー吸引をしていたことから事故死と結論付けられました。

 

そしてCからGまでの5人については、別々の場所で偶発的に起きた自殺とされています。

 

出典:https://kowaiohanasi.net/

 

なお不審死を遂げた若者のうち、1人目から5人目まではなんらかの交友関係があったものの、6人目と7人目は面識さえなかったそうです。

 

しかし自殺にしては誰ひとりとして遺書を残していないこと、また7人のうち4人が生前に「怪しい車に追いかけられている気がする」と訴えていたことなどから、本当に7人の死に事件性はなかったのか、現在も議論されています。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細① Aの人物像・死因と死亡場所

 

4月29日(木)、仲間とシンナー遊びをしていたという17歳のAは突然「泳ぐ」と言ってため池に飛び込み、そのまま溺死しています。

 

幻覚を見ていたのではないかとの指摘もありますが、当時、一緒にいた仲間の証言によるとAに変わった様子はなかったそうです。

 

 

亡くなった場所については、熊取町大久保北1丁目にある比較的大きいため池ではないかと言われています。上の地図の赤枠内にある池で、この池の周辺でAがシンナー遊びをしていたとの証言もあるようです。

 

なお、AとBは中学校時代の同級生、CとDは中学校時代の先輩後輩の間柄だったそうです。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細② Bの人物像・死因と死亡場所

 

1992年5月29日(金)、17歳の無職の少年Bが自宅で心不全で死亡。

 

出典:https://twitter.com/

 

上の画像は1992年当時に雑誌『FOCUS』に掲載されたBの部屋で、ここで遺体が発見されたといいます。遺体の発見者は母親で、自室でうつ伏せの状態で亡くなっていました。

 

Bは複雑な家庭環境だったとの話も出ており、そのせいかシンナーの依存が酷く、内蔵にも悪影響が出てガリガリに痩せ細っていたそうです。

 

Aとは中学校時代の同級生、CとDは中学校時代の先輩後輩の間柄でバイク仲間だったそうです。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細③ Cの人物像・死因と死亡場所

 

出典:https://www.photo-ac.com/

 

1992年6月4日(木)午前5時頃、熊取町内にある玉葱小屋で17歳の無職の少年Cが首を吊って亡くなっているのが発見されました。

 

この日、Cは午前0時頃に自宅に戻ってから2時頃にまた外出したのが確認されています。そのため亡くなったのは6月4日の午前2時から5時までの間と考えられます。

 

遺書ではないのですが、亡くなったCのズボンのポケットには「借金を帰して欲しい」というメモが入っていたそうです。

 

実際に友人2人から合計十数万円のお金を借りていたようで、Cの死後、仏壇には借金をしていた2人の友人の名前とそれぞれから借りた金額が書かれたメモが置かれていたとの話も出ています。

 

この借金が自殺の原因かとも思われましたが、中学校時代の先輩によると「借金をしていたのは確かだが、Cが悩んでいる様子はなかった」といいます。

 

また中学校時代の後輩であるAとBが立て続けに亡くなったことで鬱状態だったのでは?とも指摘されましたが、これも違うようで友人によると「2人とは知り合いで葬式にも参列していたが、つるんでいたグループは別で、そこまで深い付き合いはなかった」とのことです。

 

なお、Cは後述するDの親友で「風(KAZE)」という暴走族を結成していました。この暴走族は窃盗や器物破損などの問題をたびたび起こしており、警察にもマークされていたといいます。

 

C自身は中学3年生から不登校であったものの、卒業後は自立を考えたのか美容師の専門学校に通っていたそうです。しかし、この専門学校も1年程度で中退しています。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細④ Dの人物像・死因と死亡場所

 

1992年6月10日(水)、18歳の土木作業員のDが熊取町久保2丁目にある恵林寺の参道脇の納屋で、首を吊って亡くなっているのを発見されました。

 

 

母親の証言によると遺体が発見される前日の夜からDは「友達と会う」と言って家を出ており、9日の夜に母親と夕食をとった際には「外でも食べるかもしれないから」と、早々に食事を切り上げていたといいます。

 

死亡当時、Dには交際相手していた女性がおり、彼女の妊娠が発覚したことを喜んでいたそうです。新居を探して結婚をする予定だったとの話もでています。

 

周囲の友人らからも「『子どもが生まれたらお祝いしてくれや』と言っていた。子どもが生まれるのを楽しみにしていた」との証言がありました。

 

また亡くなる3日前に母親に対して「仕事に持っていくための保温式のランチジャーを買っておいてくれないか」と頼んでいたといいます。

 

さらに親友であったCの葬式に参列した際「なんで死んだんや」とむせび泣き、共通の友人に対して「俺らは、Cのぶんまで生きよう」と前向きに励まし合っていたそうです。

 

このことからDの自殺は不自然だと指摘されることが多く、他殺ではないのか?と囁かれています。

 

 

 

発見された遺体の状態

 

2006年4月10日発売の『不思議ナックルズ』に掲載されたDの母親の証言によると、Dの遺体には「肩をいからせて拳を握りしめ、前方を睨みつけた不自然な状態でロープにかけられて吊るされていた」といいます。

 

死因が首吊り自殺ならば体から力が抜け、弛緩した状態になっているのでは?と不審に思った母親が、「こんな首吊り死体があるのですか?」と確認したところ、対応した警官は「最近は、こういうのもあります」と答たそうです。

 

これを聞いた母親は「首吊り死体に、昔とか最近で違いがあるあるなんて変ではないか」と疑念を強めていました。

 

また、母親によるとDの遺体は首の真横に索条痕があったといいます。(首吊り自殺なら、斜めに索条痕ができる)

 

 

 

問題行動も多かったが人望もあった

 

中学校時代のDは非常に素行が悪く、仲間と一緒に学校の窓ガラスを49枚も割るなどの悪行をしていたそうです。

 

ただ、通っていた中学校の校長先生は「問題のある生徒だったのは確かで、卒業後にバイクで校庭に進入したとの話も聞いている。ただ、仕事帰りに学校の給食室のドアを直してくれたこともあるし、スズメバチの巣を理科の教材として寄贈しに来てくれたこともある」と証言しています。

 

また、前述のように親友であったCと暴走族を結成して以降はシンナー吸引で補導される、お金を盗む目的で自動販売機を壊す、バイクや自転車などを盗むという違法行為を起こしていました。

 

一方でいじめや暴力を嫌い、暴行事件などはまったく起こさない人物でもありました。親分肌で人望があり、葬儀には総勢400名近い友人や知人、仕事仲間などが駆けつけたとの話も出ています。

 

中学校時代の担任教師も「Dはヤンチャだが慕われていた。人の上に立つ大人になるのではないか、と思っていたのに」と語っていました。

 

 

 

「マザコンヤンキー」と自称するほど家族仲が良かった

 

Dは中学卒業後、父親が経営する土建会社で働いていました。なお、この会社ではDのバイク仲間であるEも一緒に働いていたそうです。

 

しかし1991年に父親の会社が倒産。Dは別の土建会社で働きながらお金を貯め、父親の借金返済のために手放した実家を買い戻そうと貯金をしていました。

 

また自分のことを「俺はマザコンだ」「マザコンヤンキーだから」と語っており、いずれは起業して母親を楽にさせたいと周囲に話していたといいます。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細⑤ Eの人物像・死因と死亡場所

 

1992年6月17日(水)に18歳の旅館従業員のEが、熊取町内の玉葱小屋で首を吊って亡くなっているのを発見されました。下の画像は実際にEの遺体が発見された小屋の写真です。

 

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出典:https://guardians7.com/

 

Eは高知県出身の野球少年で、高校は野球の強豪校に通っていたといいます。しかし高校を中退して大阪に出て、Dの父親の会社に就職。

 

そこでDと知り合って意気投合し、暴走族「風(KAZE)」にも入っていました。会社が倒産した後、1992年3月から鳥羽市内にある旅館で働くようになったそうです。勤務態度は真面目で、礼儀正しく暴走族に所属しているような青年には見えなかったとの話もあります。

 

勤務先がわかれてもDとの交流は続いており、6月13日と14日に「友人(D)の葬儀に出たい」という理由で休暇を申請していました。

 

休暇を取得して6月12日に勤務明けに熊取町に戻ったものの、Dの葬式には間に合わなかったそうで、12日から亡くなる17日までの間は友人の家を泊まり歩いていたといいます。

 

しかし、Eが勤務先に申請していた休暇は2日だけであり、13日の昼には旅館に電話を入れて「明日の昼には鳥羽に帰ります」と伝えていたそうです。これまで無断欠勤などはなかったため、予定通りに出勤してこないEに対して勤務先でも「事故にでもあったのだろうか」と心配する光が出ていたといいます。

 

 

ふざけて自殺をほのめかしていたが…

 

亡くなる前日の16日昼、Eは以前付き合っていた女性と半年ぶりに会っており、彼女から結婚の報告を受けました。

 

そこで「ロープない?」とショックで首を吊ってしまいたい、と言っていたそうです。ただ一緒にいた友人によると「単なるジョークにしか聞こえなかった」といいます。

 

また発見されたEの遺体は、両腕がビニール紐に後ろに縛られた状態で首を吊っていました。不自然な状態ですが、警察からは「自殺の意思が揺らがないように、自分で腕を縛ってから用意していた首吊り用のロープに首をかけた」と発表されています。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細⑥ Fの人物像・死因と死亡場所

 

1992年6月25日(木)に22歳の岸和田市職員Fが、熊取町と貝塚市との境にある山林で首を吊って亡くなっているのを発見されました。Fは発見される8日前に亡くなったものと見られています。

 

Fはロープではなくピンク色のカッターシャツで首を吊っており、自分では手が届かないであろう3〜4mはある栗の木にシャツを括り付けて自殺をしていました。

 

出典:https://twitter.com/

 

上の画像は雑誌『FOCUS』に掲載されたもので、実際にFの遺体が発見された栗の木の写真です。

 

この木は遺体発見後すぐに伐採されたといいますが、たしかに背が高く、一番の下の枝も地上から離れています。「自殺するにしても、あの木を選ぶだろうか?」と疑問視する声が地元でも多くあがった、という話も頷けます。

 

Fはゴミ収集業務を担当しており、勤務態度も真面目で誠実。職場からも近隣に住んでいた住民からも「好青年だった」と評価されるような人物でした。

 

趣味はマラソンで陸上の社会人サークルに所属しており、バイクやシンナーなどもやっていなかったことから、A、B、C、D、Eの5人とはまったく接点がありません。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細⑦ Gの人物像・死因と死亡場所

 

1992年7月2日(木)、午後8時40分頃に19歳の女子大学生Gが、熊取町内の下宿先近くにある町営グラウンドの側溝で倒れているのが発見されました。

 

出典:https://twitter.com/

 

Gは血まみれの状態で倒れており、発見時には息がある状態で「違う…違う…」と呟いていたといいます。死因は果物ナイフで旨を突いての自殺と発表されており、凶器の果物ナイフも側溝の近くで見つかっています。

 

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発見されたGはすぐに病院に搬送されましたが、3日の午前2時10分に出血多量によって死亡。Gの遺体には左胸のほかにも首筋など4箇所に切り傷が見られ、警察はこれをためらい傷と結論づけました。

 

しかし、自宅内ならいざしれず人通りがあるうえ民家も立ち並んでいる町営グラウンドの脇で自殺をするものなのか、Gの死因についても疑問が寄せられています。

 

 

 

大阪体育大学に転入したばかりだった

 

Gは1992年4月に大阪体育大学に転入しており、それと同時に熊取町で下宿を始めていました。学校生活は順調だったといい、亡くなる2日前には1000m走で事故新記録を出していたとの話もあります。

 

友人の証言によると「付き合っていた相手もいなく、異性関係でのトラブルもなかった」とのことです。

 

また亡くなる当日の夕方には近所のスーパーで買物をする姿が目撃されており、その時もとくに変わった様子はなかったそうです。

 

さらに亡くなる3日前には実家に電話をしており「『北の国から』と『ヨーロッパ大相撲巡業』を録画しておいて」と頼んでいたといいます。夏休みには実家のある鳥取県米子市に帰省する予定であったため、その時に見る予定だったのでしょう。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の詳細⑧ 不審な車に追われていたという証言

 

出典:https://pixabay.com/

 

亡くなった7人のうち、C、D、E、Gの4人が生前に「不審な車に跡をつけられている気がする」と訴えていました。

 

親友同士であったCとDは一緒にいるときに白い車に跡をつけられたこともあり、Dは母親に「白いカローラに追われている気がする」と話していたそうです。

 

またEは亡くなる半年前にCやDが言っていた車を見かけており、7月15日に電話でDの母親と話したときに車の話をしていたといいます。

 

「白いカローラ」という情報や、4人の素行から考えて跡をつけていたのは警察の車だったのではないか?とも思われます。(なお、『不思議ナックルズ』では不審車は白いカローラとされているが、鶴見済氏の著書『無気力製造工場』によるとカローラではなく白いクラウンとなっている)

 

ただGについては「黒い車に追われていて怖い」と友人に話しており、「ストーカーなどに跡をつけられていたのでは?」とも指摘されています。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の真相考察① シンナーの副作用説

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

熊取町7人連続怪死事件は7人が同じ理由で亡くなったのではなく、少なくとも最初の5人とF、Gは別の事件なのではないか?とも考察されています。

 

とくにAからEまではシンナーを常用していたとの証言があることから、シンナーの作用で自殺したのではないかも指摘されているのです。

 

シンナーは抑制系、ダウナー系と呼ばれる薬物で、私生活が順調な人でもシンナーを吸引することで鬱状態になり、何もかも投げ出して死にたくなることがあるそうです。

 

そのためAからEまでの5人はシンナーの作用による自殺で、たまたまF、Gの個別の自殺と時期が重なったことで「立て続けに7人も死んだ!」と騒がれたのではないか?とも考察されています。

 

熊取町の人口と1992年の日本の自殺者の割合を照らし合わせると、10代、20代の世代で2.5人までは自殺者が出ても不思議ではないと考えられます。

 

そのためたまたまシンナー中毒者5人が死んだのと同時期に、無関係のF、Gの2名が自殺をしたと考えると人口比の自殺者の割合として不自然ではなくなるのですが、いかんせんF、Gの2名の亡くなり方が異質であったことから、7名全員が自殺とは考えづらい気がします。

 

 

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熊取町7人連続怪死事件の真相考察② 犯人はヤクザ・暴力団員説

 

2ちゃんねるのレスから話題になったのが、以下の理由による暴力団・ヤクザによる殺人説です。

 

理由1

AからEの5人がヤクザの組長の娘をレイプした。その報復で5人は次々に殺された

 

理由2

AからEの5人が車上荒らしをしていた時、違法薬物を積んだヤクザの車を見つけて、薬物を転売して荒稼ぎをした。その報復で5人は次々に殺された。FとGはたまたま5人が殺されるところを見た、車上荒らしの共犯だと勘違いされたなどして巻き込まれて殺された

 

情報源が匿名の書き込みというのもありますが、そもそも5人は同じグループではなかった、仲が良いのはC、D、Eの3人だったという証言から考えても、この2つが真相の可能性は低い気がします。

 

そもそもAは遊泳中に溺死、Bは引きこもりのような状態で自宅で死んでいますから、5人が報復で殺されたという説は無理があるでしょう。

 

なお、Bについてはスナイパーに殺されたという説もあるようですが、費用を考えると、国家の要人や大会社の社長クラスでもない人間を殺すのにスナイパーを雇うのだろうか?と不自然な印象が拭えません。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の真相考察③ 警察の捜査怠慢・共謀説

 

ネット上でもっとも多く指摘されているのが「人口4000人程度の小さな町でこれだけ人が死んでいて、しかも4人目から7人目は怪しい死に方をしているのに『自殺』で片付ける警察が一番怖い」という点です。

 

とくにF、Gの2人についてはそれぞれ別件での他殺ではないのか?この2人をほかの5人とひと括りにするのはおかしいと言われ続けています。

 

AからEの死因を推測する

 

AとBの死因については、警察の結論どおりシンナー乱用による事故死だった可能性が高いと思われます。

 

CからEまでは暴走族を結成していたうえに自らもシンナーに手を出していたことがわかっています。さて、5人が常用していたシンナーですが、1972年の毒物及び劇物取締法の改正で「業務その他正当な理由なく所持すること」が禁止されています。

 

そのため「吸入目的でのシンナーの密売」は暴力団の収入源となりました。そこで、暴走族であったCからEまでの3人は、暴力団のシンナー売買にも関与していたのではないか?とも囁かれています。

 

Dに関しては、周囲に「新鮮なの(シンナー)調達できるよ」と言っていたとの話も出ています。この話が本当なら、密売に手を出していた可能性は高いのではないでしょうか。

 

死亡時、Cには借金がありました。Dも結婚を控え、実家のためにもお金が必要だったと推測できます。2人は暴力団に雇われてやっていたシンナー密売の売上に手をつけてしまい、金を返せと追い込まれた挙げ句に自殺を選んだ可能性も否定できません。

 

1998年6月発行の読売新聞で「トルエン(シンナー)の密売で暴力団が年間16億円荒稼ぎ」と報じられたこともあります。シンナーの売上がいかに凄いのかが窺えますね。

 

出来心から上納金に手を出し、返せないほどの利息をつけられて恋人や家族を襲うと脅されたと仮定すると、仲が良かった3人が立て続けにまるで「死にたくない」と訴えるような不審な自殺をしたことも頷ける気がします。

 

この仮説の場合、3人が脅されて自殺したことには警察も気づいていた可能性が高いでしょう。シンナー密売をする暴力団と不良少年を、警察がマークしていなかったとは思えません。

 

Cが死んだ時点でDとFを保護することもできたのでしょうが、見てみぬふりをしたほうが楽だったのか、暴力団に見返りをもらっていたのか、犠牲になるのが札付きの不良だったこともあって「事件性はない」と片付けたのかもしれません。

 

 

FとGの死因は?

 

Fに関しては仕事がゴミ回収関連であったことから、袖の下を受け取ってトルエンの瓶など、密売の証拠となるものを処理していたのではないか?とも考えられます。

 

そこでトラブルが起きてC、D、Eと同じく暴力団に追い込まれて自殺したという説です。ただ、地面から3〜4mの場所にシャツをかけて自殺というのはできるのもなのでしょうか?

 

もちろんC、D、EもFもシンナー密売関係のトラブルで暴力団に殺害されたとの説もありますが、この時代の暴力団がカタギの人間に手を出す可能性は低いのではないか?とも指摘されています。

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また「岸和田地区でごみ処理といえば同和。公務員の人は同和関係で自殺したのでは?」等、C、D、Eとは関係のない理由で自殺をしたとの考察もあるようです。

 

ただやはり、この説を採用してもなぜ亡くなったのかがわからないのがGです。

 

ごく普通の女子大生だった彼女が密売に関わっていたとは考えづらく、どのような理由であったとしても6件の自殺が続いていたことから、通り魔に襲われるなどして亡くなったにもかかわらず、警察の怠慢で自殺と結論付けられてしまったのでは?と囁かれています。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件の真相考察④ 原発関係

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

熊取町には京都大学複合原子力科学研究所があり、1992年当時、施設内の原子炉実験所の危険性が取り沙汰されていました。

 

この研究所には東日本大震災で注目を集めた反・原発を訴える原発研究者「熊取6人衆」がいることで知られており、原発の利権絡みで熊取6人衆に脅しをかけるために7人の若者が殺されたのではないか?とも囁かれました。

 

ただ、研究者でも身内に関係者がいるわけでもない若者7人を殺したところで、廃炉を求める運動が止まるとは思えません。熊取6人衆を揺すぶるのが目的なら、ほかの方法を選ぶのではないでしょうか。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件はなんJでも考察が絶えない

 

熊取町7人連続怪死事件は5ちゃんねるの「なんでも実況ジュピター」、通称「なんJ」でも頻繁に話題になっており、真相考察も盛んにされています。

 

熊取町では2003年に泉南郡熊取町小4女児誘拐事件という未解決事件も起きているため、「熊取町、狭いくせに怖すぎる。呪われてるんや。忌み地やで」「最後に死んだ女子大生は女児誘拐事件と関係しているとか?」との考察もされています。

 

 

 

熊取町7人連続怪死事件についてのまとめ

 

今回は1992年5月から7月の間に立て続けに7人が不審死を遂げた、熊取町7人怪死事件について紹介しました。

 

事件と呼ばれていますが警察は7件とも自殺で結論づけていますし、それこそ他の事件との関連などが浮上しない限りは、熊取町7人怪死事件の真相が明らかになる日は来ないのかもしれません。

 

ただ亡くなった7名は自殺にしろ他殺にしろ、決して死を望んでいなかったはずです。どのような事情があったにせよ、若くして命を落とした7名のご冥福をお祈りいたします。

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