1996年に大阪府堺市の小学校を中心に発生したO157食中毒事件は1万に近い被害者と4人の死亡者を出した未曾有の食中毒事件です。
この記事では堺市のO157食中毒事件の概要、発生した場所、被害者の内訳と死亡者、カイワレ大根原因説、その後や現在などについてまとめました。
この記事の目次
- O157食中毒事件は大阪府堺市の小学校給食により発生した集団食中毒事件
- O157食中毒事件(堺市学童集団下痢症)の概要と経緯
- O157食中毒事件が発生した場所は堺市全域の公立小学校
- O157食中毒事件の被害者は小学校児童7892人を含む9523人で4人が死亡
- O157食中毒事件の原因はカイワレ大根の可能性とされたが断定はされず
- O157食中毒事件のその後① 堺市から被害者へ補償金・見舞金が支給
- O157食中毒事件のその後② 死亡児童3人の遺族と堺市の補償合意が成立
- O157食中毒事件のその後③ 当時小学1年生だった女性が後遺症で死亡
- O157食中毒事件の現在① 慰霊碑が建立され毎年追悼行事が開催
- O157食中毒事件の現在② 被害者の中に今も後遺症で苦しんでいる方が
- まとめ
O157食中毒事件は大阪府堺市の小学校給食により発生した集団食中毒事件
この記事でまとめる「O157食中毒事件」は、1996年7月に大阪府堺市の公立小学校を中心に発生した大腸菌O157(腸管出血性大腸菌O157:H7)による集団食中毒事件です。
認定されているだけでも小学校児童7892人を含む9523人が大腸菌O157に感染した被害者が出て、うち3人の児童が死亡し、さらにO157食中毒事件発生から19年後の2015年に後遺症が原因で1人が死亡しています。これは、学校で発生した集団食中毒事件としては過去最大規模の被害者数でした。
堺市のO157食中毒事件は、堺市の全域の公立小学校で提供された給食が原因で発生したと疑われており、特に使用された食材のカイワレ大根が感染源ではないかと疑われて大きく報道され、社会を揺るがす大騒動へと発展しました。
なお、堺市のO157食中毒事件は、厚生労働省や堺市、その他の地方自体の公式な文書や発表では「堺市学童集団下痢症」と呼称されています。また、読売新聞などは「堺O157禍」などと呼称しています。
O157食中毒事件(堺市学童集団下痢症)の概要と経緯
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大阪府堺市のO157食中毒事件の概要と経緯についても改めて振り返っておきます。
1997年7月11日〜13日にかけて下痢、腹痛等の症状の堺市の小学校児童が急増
堺市のO157食中毒事件が発生(被害者に症状が出始めたタイミング)したのは、1997年7月11日〜13日にかけてでした。
7月11日に堺市内の小学校で腹痛を訴える児童が(確認されているものとしては)最初に出て、翌12日にかけて、下痢や腹痛や発熱などの症状を訴え、欠席や早退をする児童が堺市の全域の小学校で急増しました。
当初は、堺市の教育委員会や診察した医師の判断は「夏風邪」や「感染性の胃腸炎」というもので、この時点ではO157による集団感染症は疑われていませんでした。
7月13日の午前中、堺市の衛生部は、市立堺病院(現在の堺市立総合医療センター)より「昨夜、下痢や血便を主症状とする小学生の患者10名を診察した」との通報を受けて、独自に調査を開始した結果、堺市内の23の小学校の合計255名が同様の症状を訴えて病院を受診していた事が判明します。
同日15時までには、同様の症状を訴える患者が各地の病院に殺到してどの病院もベッドが埋まる緊急事態となり、堺市は急遽「堺市学童集団下痢症対策本部」を設置しています。
17時30分には堺市は事態を発表し騒動は一気に拡大しましたが、この時点ではまだ小学校児童の集団下痢症の原因が何なのかはわかっていませんでした。
7月14日、被害者からO157が検出されそれが原因の集団食中毒事件と断定される
翌7月14日、正午に時点でNHKがテレビニュースで患者総数は1228名、入院患者は93名に上っていると報道。
同時17時、「堺市学童集団下痢症対策本部」は、患者数が2691名、入院患者が140名に増加している事と、患者のうち7名から「病原性大腸菌O157」が検出された事を発表。
さらにその後、堺市衛生研究所で、患者の検便26検体のうち13検体からO157が検出され、堺市の小学校児童の集団下痢症の原因はO157であると断定されました。
7月23日に5年生の小学校女児がと8月16日に6年生の小学生女児が死亡
7月23日、堺市立久世小学校5年の女子児童(当時10歳)の死亡が発表されました。
死亡した女子児童は、7月11日に腹痛、下痢を発症し、血便と鼻血が止まらず、発熱の症状が出て12日から17日にかけて病院に通院し、18日に溶血性尿毒症症候群(HUS)の診断を受けて関西医科大学附属病院(現在の関西医科大学総合医療センター)に入院していましたが、23日の夕方に容態が急変して意識不明となり、同日20時24分に死亡しました。
死因は血液中の血小板が急減する微小血管病性溶血性貧血と発表されています。この女子児童が堺市のO157食中毒事件の最初の死亡者でした。
さらに8月16日、堺市立三原台小学校6年女子児童(当時12歳)の死亡が発表されました。
この女子児童は高熱と下痢が続いたため7月14日に堺市内の病院を受診し「細菌性腸炎」の診断を受け、その後、血便が出るようになり、18日の午後に市内の病院で溶血性尿毒症症候群(HUS)との診断を受けました。
その日のうちに大阪大学医学部附属病院特殊救急部に搬送され治療を受けましたが、脳内に多発性出血を起こし7月19日の午後に危険な状態に陥って昏睡状態となり、意識を取り戻さぬまま8月16日午前11時18分に死亡しました。
11月1日に堺市が安全宣言を発表し騒動自体は終息へ
堺市は、小学校や養護学校で提供された給食を介してO157感染が広まったと断定し、7月15日から給食の提供を停止していましたが、9月24日から弁当持参による午後の授業を再開しました。
堺市は、11月1日、新たな患者が出なくなって80日以上が経過した事を理由に食中毒被害は終結したとして「安全宣言」を行い、11月19日に学校給食の提供を再開。これによって、堺市のO157食中毒事件による騒動自体は終結に向かいました。
ただし、堺市のO157食中毒事件の被害者の中には、現在もHUSなどの後遺症で苦しんでいる方がおり、その意味においては堺市のO157食中毒事件終結したとは言えません。
O157食中毒事件が発生した場所は堺市全域の公立小学校
堺市のO157食中毒事件が発生した場所は、堺市全域の公立小学校と養護学校で、児童の他、学校の教員や職員その家族などにも被害者が出ています。
堺市のO157食中毒事件が発生した場所の小学校については学校名は基本的に公開されていませんが、O157食中毒事件発生後、堺市は堺市内の公立小学校全90校と養護学校2校全てを臨時休校にしています。
また、その後発表された調査報告によれば、O157による食中毒の症状の発症者の多発校は92校中47校とされています。
この多発校47校の場所の分布は北区の8校、東区の5校、中区の13校、南区の21校となっていて、堺区と西区の学校は多発校には1校も指定されていません。したがって堺市のO157食中毒事件が発生した場所は概ね、堺区の東側一帯(特に南部)だと推測できそうです。
堺市のO157食中毒事件が発生した場所の小学校がどこかは基本的に公開されていませんが、死亡者が出た堺市立久世小学校、堺市立三原台小学校、堺市立新檜尾台小学校の名前が例外的に発表されています。
O157食中毒事件の被害者は小学校児童7892人を含む9523人で4人が死亡
堺市のO157食中毒事件の被害者数は、調査報告書によると9523名(学校給食によりO157を罹患した事が確実と認定された人数)で、そのうち小学校児童は7892名で、その内4名が死亡しています。
また、このうち堺市内の被害者数は9492名でその内訳は、児童と教職員が7936名、その家族が1180名、それ以外の一般市民が376名だという事です。
これに堺市外の児童3名、教職員27名、それ以外の一般市民1名を加えて、堺市のO157食中毒事件の被害者総数は「9523名」と発表されています。
堺市のO157食中毒事件の被害者のうち死亡した4人のうち、この記事でも既に触れた、堺市立久世小学校5年の当時10歳の女子児童、堺市立三原台小学校6年の当時12歳の女子児童です。
残る2人は、1997年2月1日に死亡した堺市立市立新檜尾台小学校1年生の当時7歳の女子児童と2015年10月11日に後遺症により死亡した、O157食中毒事件当時小学校1年生だった女性(死亡当時25歳)です。
市によると、平成8年7月12日夜から学校給食を食べた児童らがO157による下痢などを発症。同様の症状を訴えた人は約9500人に上った。このうち市立久世小の5年生=当時(10)、市立三原台小の6年生=同(12)、市立新檜尾台小の1年生の女児3人が溶血性尿毒症症候群(HUS)で死亡した。
O157食中毒事件の原因はカイワレ大根の可能性とされたが断定はされず
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堺市のO157食中毒事件の原因は「カイワレ大根」の可能性があると発表されており、当時のマスコミがカイワレ大根が原因だと断定したような報道を行なったため、現在でも堺市のO157食中毒事件の原因はカイワレ大根だと思っている方も多いようです。
しかし、実際には堺市のO157食中毒事件の原因はその後、現在まで特定されておらず、カイワレ大根はあくまでも感染原因の食材の可能性があると指摘されただけでした。
厚生省が堺市O157食中毒事件の原因はカイワレ大根の可能性が高いと発表
堺市のO157食中毒事件の調査を行った厚生省は、1996年8月7日に中間報告を発表。その中で結論として、
「菌が同一ということをもって直ちに原因食材が特定できるわけではなく、貝割れ大根を原因食材と断定することはできないが、疫学的な調査結果も総合的に勘案すれば、その可能性も否定できないと思料される」
と発表し、カイワレ大根が感染原因となった可能性を指摘しました。
その後、9月26日に厚生省は調査の最終報告を発表し、その中でも、
「原因食材としては、特定の生産施設から出荷された貝割れ大根が最も可能
性が高いと考えられる」
として、カイワレ大根が感染の原因食材の可能性が高いと結論づけました。
原因と推測される給食で共通する非加熱食材がカイワレ大根だった
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厚生省が堺市のO157食中毒事件の原因食材はカイワレ大根の可能性が高いとした理由は、感染原因となったと推測される給食に使用されていた食材のうち、牛乳をのぞいて調理時に非加熱だったものがカイワレ大根のみだった事でした。(パンも非加熱だったが、複数の生産施設から納入されていたため共通の感染源とは考えられなかった)
厚生省の調査チームは、堺市のO157食中毒事件の原因となった給食提供日を状況分析によって7月8日〜7月10日までに絞り込みました。
その3日間の給食献立で使用された食材を調べたところ、共通する非加熱食材のうち、7月8日〜7月10日に同一の生産施設から納入されたのはカイワレ大根のみだとわかりました。
さらに、7月12日に老人ホームでも食中毒が発生しており、患者の便からO157が検出されていました。この老人ホームでは学校給食で使用されたカイワレ大根と同一業者のものが7月9日の昼食に使用されていた事も判明し、小学校での集団食中毒と老人ホームの食中毒でのO157のDNAパターンも一致しました。
他にも、同じ施設で生産されたカイワレ大根を使用した大阪府の老人ホームと京都市内の事業所でもO157の感染が確認され、検出されたO157のDNAパターンも堺市の小学校での集団食中毒のものと一致しています。
これを受けて、厚生省はカイワレ大根がO157食中毒事件の原因となった可能性が高いと結論づけて発表に踏み切ったとされています。
ただし、問題のカイワレ大根生産施設からはその後の立ち入り検査でO157は検出されず、状況証拠のみで原因の可能性が高いと発表されたものでした。
O157食中毒事件の原因の可能性とされた事でカイワレ大根業者に大被害
厚生省が堺市のO157食中毒事件の原因はカイワレ大根の可能性が高いと発表した事で、カイワレ大根の価格は急落し、全国の店頭から一斉に撤去される事態となりました。
完全に風評被害でしたが、結果としてカイワレ大根農家や業者に倒産や破産が相次ぎ、自殺者まで出る事態となりました。
その後、原因の可能性が高いとされたカイワレ大根生産施設への立入検査が実施されましたが、施設や従業員、周辺環境からO157は検出されませんでした。
カイワレ大根業者への風評被害が深刻化した事を受けて、当時の厚生大臣だった菅直人衆議院議員が、記者会見の場でカイワレサラダを自ら食してみせるパフォーマンスを行なって安全性をアピールをし、沈静化をはかっています。
当時、菅直人衆議院議員がカイワレ大根をモリモリ食べる映像はテレビメディアで繰り返し流され、かなり話題となっていました。
なお、菅直人衆議院議員はこうしたカイワレ大根の安全性を示すパフォーマンスを行いつつも、一方で、「O157以外の通常自然界に存在するはずの細菌も一切検出されなかったのだから、事件後消毒されたことは明白で証拠隠滅が図られた」とも主張しています。
カイワレ大根業者が国を相手取り訴訟を起こし勝訴
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厚生省に堺市のO157食中毒事件の原因の可能性が高いとされた事で大きな被害を受けたカイワレ大根業界は、国を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしました。
カイワレ大根業者による訴訟は2つ起こされており、1つ目は1996年12月2日に、カイワレ大根生産業者の協会である「日本かいわれ協会」(現在の日本スプラウト協会)と全国19の生産業者によるもので、、「科学的根拠が十分でないまま発表された事で大きな損害を受けた」として、国に約4億4000万円の損害賠償を求めました。
この裁判は控訴審まで争われてカイワレ大根業者側の訴えが認められ、東京高裁は国に対して計1691万4000円の損害賠償の支払いを命じました。
2つ目は、1997年3月11日に大阪府羽曳野市のカイワレ大根製造業者が、厚生省が科学的根拠のない情報を公表して信用が低下し出荷が減り損害を受けたとし、国に5200万円の損害賠償を求めた訴訟です。
こちらの裁判でもカイワレ大根業者の訴えが認められ、東京高裁は国に慰謝料など600万円の支払いを命じています。
国側は上2つの判決を不服として上告しましたが、2004年12月14日、最高裁判所は国の上告を退け、カイワレ大根業者側の勝訴が確定しています。
O157食中毒事件のその後① 堺市から被害者へ補償金・見舞金が支給
堺市のO157食中毒事件のその後についても見ていきます。
まず、O157食中毒事件の被害者全体に対する堺市の対応ですが、1996年11月28日に堺市は総額約8億1000万円の補償金と見舞金を被害者のうち症状が出た約7300人に対し支給する事を決定しています。
この補償金、見舞金の対象とされたのは、「入院した重症者」、「入院した軽症者」、「通院者」の3グループで、重症者に対しては入院1日につき2万1000円、軽症者に対しては入院1日につき1万6000円、通院者に対しては通院1日につき8000円が支給されました。
また、O157の感染が確認されたものの症状が出なかった約1300に対しても、一律5000円の見舞金が支払われました。
O157食中毒事件のその後② 死亡児童3人の遺族と堺市の補償合意が成立
堺市のO157食中毒事件では、4人の死亡者が出ました。
既に触れているように、死亡者のうち3人は1996年7月23日、8月16日、1997年2月1日に亡くなった小学生児童です。堺市とこの3人の死亡児童の遺族とは2015年までに補償合意が成立しています。
三原台小学校6年生女子児童の遺族は民事裁判で勝訴し堺市が賠償金支払い
1996年8月16日に死亡した三原台小学校6年生だった女子児童の両親が、1996年12月16日に堺市の当時の市教育長、市教育次長、学校保健課長の3人を業務上過失致死の容疑で大阪地検に告訴しました。
さらにこの両親は1997年1月16日に、堺市に総額7700万円の損害賠償を求める民事訴訟も起こしています。
この民事裁判は死亡した小学6年生女子児童の両親の勝訴に終わり、大阪地裁は堺市に対し、女子児童と両親に慰謝料計3000万円と逸失利益約3100万円から、支払い済みの給付金約2000万円を差し引いた金額約4530万円を支払うよう命じています。
この判決を受けて、女子児童の父親は「刑罰を求め続けても何も残らないような気がする。担当者には非を認めて謝ってほしいだけ」と述べて、市教育長、市教育次長、学校保健課長の3人への刑事告訴を取り下げました。
新檜尾台小学校1年生女子児童の遺族と堺市は補償額約7277万円で合意
1997年2月1日に死亡した堺市立市立新檜尾台小学校1年生の当時7歳の女子児童の遺族と堺市は、2015年5月15日に、逸失利益と慰謝料など合計約7277万円の補償金から、死亡見舞金として既に支給された約2100万円を差し引いた額を堺市が女子児童遺族に支払う事で合意が成立しています。
堺市は15日、平成8年に発生した病原性大腸菌O157による集団食中毒で亡くなった小学生女児3人のうち、1年生だった女児(7)の遺族と補償について合意したと発表した。補償額は逸失利益と慰謝料など計約7277万円。このうち、死亡見舞金としてすでに給付されている2100万円を差し引いて支払われる。
久世小学校5年の女子児童の遺族と堺市は約7200万円の補償金支払いで合意
1996年7月23日に死亡した堺市立久世小学校5年の女子児童の遺族と堺市は、2015年5月19日に、堺市が遺族に対し慰謝料など合計約7200万円の補償金を支払う事で合意が成立しています。
平成8年に堺市で発生した病原性大腸菌O157による集団食中毒で、同市は19日、死亡した小学5年生だった女児=当時(10)=の遺族と、補償について合意したと発表した。死亡した小学生3人の全遺族と合意が成立した。
市によると、補償額は慰謝料など計約7200万円で、すでに支給された死亡見舞金2100万円を差し引いて支払われる。
これにより、この時点で出ていた堺市のO157食中毒事件での死亡者3名全員と堺市との合意が成立したと報じられました。
ただその後、当時小学1年生だった女性が後遺症により死亡しています。
O157食中毒事件のその後③ 当時小学1年生だった女性が後遺症で死亡
2016年3月31日、堺市はO157食中毒事件当時、小学校1年生だった堺市北区の25歳の女性が、O157感染の後遺症が原因で2015年10月11日に死亡したと発表しました。
この女性は、O157食中毒事件でO157に感染し、溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症して約60日入院しています。
この女性はその後も高血圧が続き、2004年にHUSの後遺症による腎性高血圧との診断を受け、降圧剤の服用と通院治療を余儀なくされていました。
ただ、日常生活に支障がない程度に回復したという事で、その後は結婚をし夫と2人で暮らしていたという事です。
ところが、2015年10月10日の夜に就寝中に嘔吐して気を失っているのを夫が見つけ、直ちに救急搬送されるも、翌日に死亡が確認されました。女性の死因は腎血管性高血圧による脳出血と発表されており、堺市のO157食中毒事件での4人目の死亡者となりました。
堺市で1996年7月、学校給食などで児童ら9千人以上が感染した腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒で、市は31日までに、当時小1で発症した同市北区の女性(25)が後遺症の腎性高血圧を原因とした脳出血で、昨年10月11日に死亡したと発表した。
その後、2016年4月26日に堺市教育委員会は、この女性の遺族に対して補償金約6275万円を支払う事で合意が成立したと発表しています。
堺市で1996年、学校給食が原因で児童らが病原性大腸菌O157に感染した集団食中毒で、市教委は26日、後遺症が原因で昨年10月に25歳で亡くなった同市北区の女性の遺族に対して、補償金約6275万円を支払うことで合意したと発表した。
O157食中毒事件の現在① 慰霊碑が建立され毎年追悼行事が開催
堺市のO157食中毒事件の現在についても見ていきます。
O157食中毒事件発生から2年後の1998年に追悼行事として「追悼と誓いのつどい」が開催され、現在は毎年7月12日に開催されています。
堺市教育委員会は2012年6月に、毎年7月12日を「O157堺市学童集団下痢症を忘れない日」に制定しており、それから現在まで、その日に合わせて堺市と堺市教育委員会が主催して「追悼と誓いのつどい」が行われています。
2014年4月には、堺市役所前に「O157堺市学童集団下痢症の碑」なる慰霊碑が建立されており、現在も堺市役所前に設置されています。
2023年7月12日にも、この慰霊碑の前で「追悼と誓いのつどい」が開催され、現在の堺市長(永藤英機市長)と学校関係者、堺市民ら合計約240人が出席したという事です。
堺市で平成8年7月に起きた病原性大腸菌O157による集団食中毒で、亡くなった児童らのための「追悼と誓いのつどい」が12日、堺市堺区の市役所正面玄関近くにある追悼碑前で開かれた。式典には永藤英機市長や学校関係者、市民ら約240人が出席した。
O157食中毒事件の現在② 被害者の中に今も後遺症で苦しんでいる方が
堺市のO157食中毒事件の被害者の中には現在も後遺症で苦しんでいる方が大勢います。
特に、O157によって溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症した方は、年月が経過した後も急激に悪化するおそれがあり、堺市と医師会、医療機関連携による経過観察と集団検診が行われました。
2015年の時点でも20人の方が経過観察が必要な対象とされ、2015年に亡くなった当時25歳の女性もそのうちの1人でした。
O157の後遺症としては、腎機能低下、血尿、高血圧、視力障害などがあり現在も苦しまれている方がいます。
そうした方々やその遺族や関係者にとっては、現在も堺市のO157食中毒事件は終わっていないと言えます。
まとめ
今回は、1996年7月に大阪府堺市全域の公立小学校を中心に発生した「O157食中毒事件」についてまとめてみました。
O157食中毒事件は、堺市内全域の公立小学校の児童約7800人を含む9523人が大腸菌O157に感染し、4人の死亡者を出した集団食中毒事件です。
堺市のO157食中毒事件が発生した場所は、堺市全域の公立小学校で、特に東南部を中心に多くの被害者が確認されました。被害者のうち死亡したのは、堺市立久世小学校5年の女子児童(当時10歳)、堺市立三原台小学校6年女子児童(当時12歳)、堺市立市立新檜尾台小学校1年生の女子児童(当時7歳)と、O157食中毒事件から19年後の2015年10月11日に後遺症により死亡した、当時小学校1年生だった女性(死亡当時25歳)の4人です。
堺市のO157食中毒事件は小学校で提供された給食が原因と推定され、使用された食材のうちカイワレ大根が原因となった可能性が高いと厚生省が発表したため、カイワレ大根の生産業者が打撃を受けて、自殺者も発生する事態となりました。その後の調査では問題のカイワレ大根生産施設や従業員からO157は検出されず、本当の原因がなんだったのかは現在も解明されていません。
堺市のO157食中毒事件はその後、堺市が被害者に補償金と見舞金を支給した他、死亡した4名の遺族との補償合意も成立しています。
堺市のO157食中毒事件は現在、毎年7月12日に堺市役所前に建てられた慰霊碑の前で追悼行事が開催されています。
また、堺市のO157食中毒事件の被害者の方には現在も後遺症で苦しんでいる方がいます。