小倉譲(神作譲)の現在!生い立ちと母親や家族・出所後の再犯や結婚もまとめ【女子高生コンクリート殺人事件の犯人B】

1988年11月~1989年1月にかけて発生した女子高生コンクリート殺人事件を覚えていますか?この事件の主犯の少年の1人が小倉譲です。

 

小倉譲の家族や親、生い立ちと女子高生コンクリート殺人事件でやったことや判決、出所後の経歴や結婚、改名と再犯、現在をまとめました。

小倉譲は女子高生コンクリート殺人事件の犯人B

出典:web.archive.org

 

小倉譲は女子高生コンクリート殺人事件の「犯人B」です。

 

女子高生コンクリート殺人事件が発生した当時はまだ17歳の未成年でしたので、実名報道はありませんでしたが、その後に起こした三郷市逮捕監禁致傷事件で実名報道され、全国的に名前が広がることになりました。

 

小倉譲が起こした女子高生コンクリート殺人事件は日本犯罪史に残る残虐な事件だったこと、刑務所から出所した後にまた犯罪を犯したことなどから、事件から35年以上経った現在でも小倉譲の名前は忘れられることなく、ネットでも定期的に話題に上がっています。

 

 

女子高生コンクリート殺人事件の概要

出典:friday.kodansha.co.jp

 

1988年11月25日、埼玉県三郷市戸ケ崎でバイト先から自転車で帰宅途中だった高校3年生の古田順子さんが、不良少年の宮野裕史と湊伸治に拉致されてレイプされます。そこに小倉譲と渡邊恭史が合流し、湊の自宅に古田さんを拉致して監禁しました。

 

古田さんは1ヶ月以上にわたり、集団レイプされたり、ひどい暴行・虐待を受け続けます。古田さんは何度か逃走を試みましたが失敗。さらに、湊の両親も古田さんが長期間にわたり監禁されていることを知っていましたが、助けてもらえませんでした。

 

1989年1月4日に衰弱している古田さんに対し、犯人4人で2時間にわたり暴行を続けた結果、古田さんは死亡しました。その翌日、古田さんの遺体を毛布でくるんでドラム缶に入れ、さらにそこにコンクリートを流し込み、ドラム缶ごと東京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄しています。

同年3月29日に遺体が発見されると、この女子高生コンクリート殺人事件が発覚しました。

 

警察は別件で逮捕されていた宮野や小倉譲を取り調べたところ犯行を自供したため逮捕され、後に湊や渡邊、そのほかの共犯の少年も逮捕されました。

 

 

小倉譲の家族:父親

 

小倉譲の父親は事件当時42歳で、運送会社の配達員をしていました。

 

小学3年生の頃に、外に愛人を作って家を出ることになり、その後は妻(小倉譲の母親)とは別居状態になり、小倉譲とも離れて生活しています。

 

父親は愛人との間に子供を作っていますので、小倉譲には異母兄弟がいることになります。

 

ただ、女子高生コンクリート殺人事件の時点で、小倉譲の母親とは離婚をしていませんでした。

 

 

小倉譲の家族:母親

 

小倉譲の母親は事件当時43歳でした。

 

もともとデパートで働いていましたが、結婚後は洋裁の内職で家計を助ける生活をしていました。しかし、夫(小倉譲の父親)が浮気をして外に愛人を作ったために、子供2人と共にシングルマザーの生活をすることになります。

 

母子家庭だったために小倉譲の母親は水商売の仕事をすることになりました。

 

 

母親は毒親?

小倉譲の母親は毒親だった可能性があります。

 

・小倉譲は工業高校進学を希望したが、普通高校への入学を勝手に決めた
・小倉譲が彼女を自宅に連れてきた時、「モップのような雌犬」と言い、別れさせた
・DVをする小倉譲を警察に「うちの子じゃないから連れて行け」と突き出す

 

父親は愛人を作って家出、母親は毒親だったら、小倉譲の非行に走ったのは当然の流れだったのかもしれません。

 

 

母親は事件後にヤバい行動

母親は女子高生コンクリート殺人事件の後、三郷市内で「スナックACB(アシベ)」を経営していました。このスナックが小倉譲の再犯の舞台になります。

 

また、事件後には「私の息子はこの女のせいで人生を狂わされた」と逆ギレし、被害者のお墓を破壊したと言われています。さらに、賠償金として被害者遺族に支払った額はたった50万円。しかし、裁判後には八潮市内にマンションを購入したという情報があります。

 

 

小倉譲の家族:姉

 

小倉譲には3歳年上の姉がいます。両親が別居することになった時、小倉譲と共に母親と生活することになりました。

 

事件当時は20歳で、私立高校卒業後に会社員として働いていましたが、その他の詳しい情報は不明です。

 

 

小倉譲の生い立ち

出典:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

高校中退まで

小倉譲は1971年5月11日に東京都足立区で生まれました。

 

足立区立東加平小学校に入学し、3年生の時に父親が家を出て、母親と姉の3人暮らしになります。小学4年生の時には友達に暴力をふるうようになり、一時的に父親と生活したこともありましたが、それ以上の目立った問題行動はなく、足立区立東綾瀬中学校に進学しました。

 

小倉譲は体が大きく、事件当時も身長180cm以上、出所した時には190cm以上になっていて、運動神経が良かったようで、中学では陸上部に入りました。しかし、スキーで複雑骨折をしたことでスポーツの道を諦め、陸上部も退部しました。

 

1987年には高校に進学します。前述の通り、小倉譲自身は工業高校への進学を希望しますが、母親は普通高校が良いと主張し、吹奏楽部に入るという条件で私立の修徳高校への推薦入学を決めてしまいます。

 

しかし、小倉譲は音楽には興味がなく、あまり学校に行かなくなりました。また、先輩と暴力事件を起こして、1年生の2学期で退学することになりました。

 

その後、アルバイトをしながら、1988年4月には希望していた都立港工業高校(現在の六郷工科高等学校)の定時制に入学しました。しかし、入学早々に不登校になり、入学から2ヶ月後の1988年6月には退学となっています。

 

 

問題行動が表面化

小倉譲は高校生になった頃から問題行動が出てきました。

 

1つのきっかけは母親のせいで彼女と別れたことと言われています。自宅に彼女を連れて行ったものの、母親に分かれさせられたことで、母親に家庭内暴力を振るうようになりました。この母親へのDVが定時制の工業高校を退学することになった原因の1つのようです。

 

DVを受けた母親は警察に通報し、「うちの子じゃない。連れて行って」と訴えたこともありました。このことから、小倉譲は自宅に寄り付かなくなり、事件現場となった湊伸治の家に入り浸るようになりました。

 

さらにバイクの無免許運転をしたり、宮野裕史・湊伸治・渡邊恭史らと共に地元の暴力団に出入りするようになり、ひったくりや婦女暴行の犯罪を繰り返すようになりました。そして、女子高生コンクリート殺人事件が起こるのです。

 

 

小倉譲が女子高生コンクリート殺人事件でやったこと

出典:news-postseven.com

 

女子高生コンクリート殺人事件は日本犯罪史上、類を見ないほど残酷なものでした。この女子高生コンクリート殺人事件で、小倉譲は具体的にどんなことをしたのでしょうか。

 

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・被害者を拉致監禁することを提案
・被害者に暴行

・強姦
・被害者の顔に溶けた蝋を垂らす
・尿を飲ませる
・回し蹴りをする
・鉄球で殴打する
・遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固めて遺棄する

 

また、被害者が死亡する直接的な原因となった1月4日の暴行前には、被害者に小倉ようかんを与えて、「これは何だ?」と聞き、被害者が「小倉ようかん」と答えると、なぜ「小倉(譲)を呼び捨てにするんだ?」と因縁をつけました。被害者は「小倉ようかんさん」と答えると、なぜ「ようかんにさんをつけるのか?」と詰め寄って、リンチを開始しています。

 

小倉譲が具体的にやったことを見ると、本当に鬼畜としか言いようがないですよね。

 

ちなみに、小倉譲はこの女子高生コンクリート事件で被害者を監禁している最中の1988年12月に、宮野と共に婦女暴行事件を起こしています。その他にも婦女暴行事件やひったくりをしていたので、事件が発覚する前に婦女暴行とひったくりで警察に逮捕され、少年鑑別所に入れられていました。

 

 

小倉譲の女子高生コンクリート事件の判決

 

 

小倉譲は女子高生コンクリート事件を起こした時17歳の未成年でした。

 

そのため、通常の事件なら家裁で審判を受けることになりますが、この事件は悪質だったこともあり、刑事処分が相当として、東京地検に逆送致され、1989年5月25日に殺人・猥褻目的略取誘拐・逮捕監禁・強姦で起訴されています。

 

第一審では、小倉譲は準主犯格であり主犯の宮野の片腕的存在として、懲役13年が求刑されました。

 

また、最終弁論では「小倉譲の両親が息子名義で被害弁償の積み立てを始めた」と弁護人が述べています。これは、小倉譲の罪を少しでも軽くするための弁論ですね。ただ、結局は50万円しか支払わず、母親はマンションを購入しているのですが・・・。

 

そして、第一審の判決は懲役5年以上10年以下の不定期刑が言い渡されました。小倉譲はすぐに控訴しましたが、第二審でも「懲役5年以上10年以下の不定期刑」となっています。上告はしませんでしたので、小倉譲の判決は1991年7月に懲役5年以上10年以下の不定期刑が確定しています。

 

 

小倉譲の経歴:出所後

 

小倉譲は1991年7月に「懲役5年以上10年以下の不定期刑」が確定して、刑務所に収監されましたが、1998年8月3日に28歳で出所しています。

 

小倉譲は刑務所内で簿記2級や情報処理関連の資格を取得しましたが、他の受刑者とのトラブルを起こしていたため、仮釈放は認められず、満期出所になりました。

 

出所後の小倉譲は次のような仕事に就きました。

 

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・パソコンのオペレーター業務会社
・同業の人材派遣会社
・プログラマーの派遣社員

 

しかし、仕事は長続きせず、2002年ごろからは定職に就かなくなりました。

 

2003年9月ごろには暴力団に出入りするようになっていました。ただ、裁判の判決文を読むと、2004年5月時点では暴力団の組員を抜け、母親と共に生活しつつ、コンピューター会社でアルバイトをしていました。

 

 

小倉譲は出所後に結婚していた

 

小倉譲は1998年に刑務所を出所した後、中国人女性と結婚していたことが分かっています。
2000年に結婚し、2003年に離婚しています。

 

中国人女性と結婚した理由は、女子高生コンクリート殺人事件という前科があるために、日本で働くのは難しく、中国に移住しようと考えたからです。

 

ごく一般的な感覚を持った日本人なら、小倉譲とは結婚しようとは思わないはずです。女子高生コンクリート殺人事件を知っていますし、あんな残忍な犯罪を犯した人と一緒に暮らそうとは思わないはずですから。

 

でも、中国人は事件のことを知らないから、何とかごまかして結婚したのかもしれません。当時の中国なら、日本の永住権やビザ目的で「とにかく日本人と結婚したい」と思っている女性はいたはずですから。

 

ただ、この計画はうまくいかずに、結局は離婚することになりました。

 

出所してすぐに結婚して、次の事件(三郷市逮捕監禁致傷事件)を起こすまでの間に離婚していることになります。その後に結婚しているかどうかは不明です。

 

 

小倉譲は改名して神作譲に

 

小倉譲は1998年8月に出所した後、改名して神作譲という名前になりました。

 

出所後すぐに更生保護司の神作久子さんという女性と養子縁組をして、苗字を変えたとのことです。

 

「小倉譲」という名前では、出所後に更生しても生きにくいために、改名したのでしょう。

 

ただ、改名して神作譲になっても、2004年に事件を起こして報道されたため、結局すぐに改名したことが全国的に報道されてしまい、改名後も「生きにくい」ことになってしまいました。まぁ、この「生きにくさ」は自業自得ではあるのですが。

 

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小倉譲は再犯して再度刑務所に

出典:web.archive.org

三郷市逮捕監禁致傷事件の概要

小倉譲は1989年に逮捕され、そこから裁判を経て、刑務所に収監され、1998年に満期出所しました。17歳から28歳まで刑務所にいたことになります。

 

出所後に人生をやり直すことを期待されていましたが、やはり性根は直らないのかもしれません。小倉譲は2004年に事件を起こして逮捕されています。

 

2004年5月19日午前2時ごろ、東京都足立区花畑の路上で、小倉譲(当時は神作譲に改名)は知人男性(当時27歳)に因縁をつけて、顔などに殴る蹴るの暴行を加え、金属バットで脅迫しました。

 

そして、この男性を車のトランクに押し込んで拉致した後、母親のスナックACBに約4時間監禁し、「俺の女を取っただろう。殺すぞ。」、「おれの女を知っているだろう。どこへやった」と脅迫して、再び暴行を加え、全治10日間のケガを負わせました。ただ、この「俺の女を取っただろう」というのは、完全な言いがかりだったことが分かっています。

 

被害者男性は警察に駆けこんで事件が発覚し、2004年6月4日に小倉譲が逮捕されました。

 

 

小倉譲は女子高生コンクリート殺人事件を武勇伝として語っていた

小倉譲は、この三郷市逮捕監禁致傷事件で被害者を脅す時に、女子高生コンクリート殺人事件を武勇伝として語っていました。

 

・「俺は少年の時に10年懲役に行ってきた」
・「女を監禁していて、遊びから帰ってきたら、女が死んでたんだよ。それでたばこに火をつけて、煙を鼻に近づけたら煙が揺れなかった。だから死んだってわかったんだよ」
・「コンクリート事件、あれはマジで楽しかったなぁ」
・「あの事件の主犯は実はオレなんだよ」
・「最初は嫌がったりして面白かったけどよ、最後の方は何も反応しなかったから面白くなかったぜ」
・「俺は警察を騙したり、検事を丸め込んだりするノウハウや知識を学んだ。今度、何かあってもすぐに出て来られる」
・「人を一人殺すも二人殺すも同じ」

 

また、裁判では反省したふりをして刑期を軽くしたなどと語っていて、女子高生コンクリート殺人事件を全く反省していないことは間違いないでしょう。10年刑務所に入っていても、更生できなかったということですね。

 

 

懲役4年の実刑判決

2004年7月から裁判が開かれましたが、小倉譲は起訴事実は大筋で認めたものの、「お茶を飲んで話していただけ」、「トランクには被害者が自分から入った」などと一部を否認しています。

 

検察は「更生意欲が乏しい」、「再犯のリスクが高い」として懲役7年を求刑しましたが、判決は懲役4年でした。

 

この判決理由は「犯行は執拗かつ危険だが、一時は派遣社員として働くなど更生に努めた」というのものでした。

 

つまり、「頑張って更生しようとしていたけれど、前科が周囲に知れたことで更生できなかった」と裁判所が認定したということになります。

 

小倉譲は一度は公訴したものの、2005年5月に控訴を取り下げたため、懲役4年の刑が確定しています。

 

 

小倉譲の現在

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小倉譲は2009年に出所していますが、その後の行方は分かっていません。

 

一部情報では「谷村譲」と名前を変えて、大阪で生活していると言われています。

 

 

また、出所後は精神病院を転々としているという情報もあります。

 

 

母親はアルファードのエグゼクティブラウンジ(850万~872万円)に乗っているとのことなので、金回りが良いことは間違いないでしょう。

 

精神病院に入院して落ち着いてから、大阪に引っ越したということなのでしょうか。

 

 

小倉譲のまとめ

女子高生コンクリート殺人事件の犯人Bである小倉譲の家族・親と生い立ち、女子高生コンクリート殺人事件でやったことや判決、出所後の経歴、結婚の有無、神作譲への改名の経緯、三郷市逮捕監禁致傷事件での再犯と現在をまとめました。

 

女子高生コンクリート殺人事件の4人の犯人のうち、小倉譲を含め3人が何らかの事件で出所後に逮捕されています。4人中3人が逮捕となると、「更生とは?」と考えずにはいられません。

 

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