保見光成は山口連続殺人放火事件の犯人です。村八分への恨みが動機と噂されたため、かわいそうとの声もあります。この記事では保見光成の生い立ちや経歴、両親や兄弟、家族、結婚、統合失調症、判決や死刑執行の時期、飼い犬の現在について紹介します。
この記事の目次
- 保見光成が起こした山口連続殺人放火事件の概要
- 保見光成の生い立ち・経歴① 両親と兄弟・家族
- 保見光成の生い立ち・経歴② 中学卒業後
- 保見光成の生い立ち・経歴③ 父親に介護を頼まれて帰郷
- 保見光成の生い立ち・経歴④ 犯行の動機となった「村おこしの失敗」
- 保見光成の生い立ち・経歴⑤ 集落での孤立
- 保見光成が山口連続殺人放火事件を起こした背景・被害者との関係
- 保見光成は村八分にされていたのか?統合失調症の妄想だったのか?
- 保見光成の裁判・判決
- 保見光成の現在① 死刑執行はいつ?
- 保見光成の現在② 結婚している?
- 保見光成の現在③ 飼っていた犬の行方は?
- 保見光成はかわいそう?事件の世間に対する声
- 保見光成【山口連続殺人放火事件】についてのまとめ
保見光成が起こした山口連続殺人放火事件の概要
2013年7月21日の21時頃、山口県周南市に位置する須金・金峰集落の二軒の民家で火災が発生しました。
ただちに消防団によって消火活動が行われましたが火のまわりが早く、焼け跡からはそれぞれの家に住む貞森誠さん、喜代子さん、山本ミヤ子さんの遺体が発見されます。
貞森さんの家と山本さんの家は隣り合っているわけではなく二軒の間には約70mの距離がありました。そのため集落の人々は、火事の原因に対して当初から違和感を感じていたといいます。
そして翌日の22日、今度は集落に住む河村聡子さんと石村文人さんがそれぞれの自宅から遺体となって見つかるという事態が発生。
住民総数わずか12人、その半数以上が高齢者という限界集落で、一晩のうちに5人もの高齢者が不審死をとげたのです。
しかも5人の遺体はすべて頭部に陥没骨折が見られたといいます。このことから犯人は集落の住民に強い恨みを持っていると考えられました。
集落の住民は「連続殺人に違いない」と恐れおののき、「少し眠っただけでも殺されるかもしれない」と口々に恐怖を訴えました。
そのため生存した住民たちは村の集会場に避難して固まって寝泊まりし、その間に山口県警から投入されたおよそ400人もの捜査員らが5人の連続殺人について捜査を開始。
静かだった須金・金峰集落には東京からマスコミも押し寄せ、周辺をヘリコプターが何台も飛ぶ騒ぎになります。
そのようななか、警察とマスコミが注目したのは1軒の民家のガラス窓に貼られた奇妙な貼り紙でした。
貼り紙には「つけびして 煙喜ぶ 田舎者」と、放火をほのめかすような言葉が書かれていたのです。
しかも、この家は21日の夜に全焼した山本さんの家の隣であったうえ、家主の男は本格的な捜査が始まる前に行方不明になっていました。
当然ながら警察はこの家の家主である保見光成(ほみ こうせい・当時63歳)が事件に関与していると見て、行方を追います。
そして火災発生から6日が経った7月26日の朝9時頃、集落近くの林道沿いで、Tシャツとパンツの下着姿で裸足で歩いている不審な男を、事件の捜査にあたっていた機動隊員が発見。
「ホミさんですか?」と尋ねたところ、男は自分が保見光成であると素直に認めたうえ抵抗することなく任意同行に応じたといいます。
その後、保見光成は5人を殺害したことを認めて起訴され、裁判では死刑判決が言い渡されました。
なお、保見光成に対しては死刑囚であるにもかかわらず、「かわいそうだ」という声もあります。
逮捕後の報道で保見光成が親の介護のために仕事を辞めて限界集落に戻ってきていたこと、集落に馴染めずに村八分にあっていた可能性があることなどが報じられると、世間からはと同情的な声が少なからず寄せられました。
しかし、保見光成が統合失調症を発症していたとの鑑定結果もあり、嫌がらせがどの程度のものだったのかは不明です。
保見光成の生い立ち・経歴① 両親と兄弟・家族
保見光成は1947年12月に山口県周南市の金峰集落で生まれました。6人兄弟の末っ子で兄が1人、姉が3人、そして性別は不明ですが乳幼児期に亡くなっている兄か姉が1人いたとのことです。
保見はもともと「光成」ではなく「中(ワタル)」という名前で、2009年に光成に改名しています。そのため集落の住民はみな、事件当時も保見のことを「ワタル」と呼んでいました。
幼少期はよく話す明るい少年で、ガキ大将気質だったそうです。ややわがままなところが見られたため遊ぶのを避ける子どももいたようですが、いじめられている子を守ることもあり、やんちゃで気の優しい性格だったといいます。
小学校は地元の金峰小学校に入学し、中学校は周南市立鹿野中学校に入学・卒業しています。
保見光成の父親
保見の父親の友一は定職に就いていなかったといい、近所の人々からは「子どもが小さい頃から、あまり働いていなかった」「たまに植林の仕事をやっていたが、1つの仕事が終わったらブラブラしていた」という話が出ています。
集落の家はほとんどが農地を持っていましたが、親の代で山の中から移り住んできた保見家は農地を持っていませんでした。
植林の仕事がない時には、保見の父親は安い酒を人に高く売りつける、知り合いのかご職人から仕入れたかごを高く売るなどして稼いでいたといいます。
また、保見の父親は手癖が悪く、近所の家から酒や米、野菜、干していた洗濯物などさまざまなものを盗んでいたという噂もあります。
噂そのものの真偽は不明ですが、集落の人はみな「保見友一が盗人」という噂を知っていたそうです。
保見光成の生い立ち・経歴② 中学卒業後
鹿野中学校を卒業した後、保見は高校には進学せずに岩国市内で数年間働いた後に上京しています。
上京後は先に上京していた兄を頼り、兄と同じ建築関係の仕事に就きました。しばらくは職人として働いていたようですが、17歳の頃にボクシングを始めると職人を辞めてボクシングジムに住み込むようになったといいます。
その後は住み込みでパチンコ店で働くなどもしていたとのことですが、周囲の人々からの評価は「真面目な人」「頼んだ仕事はきちんとやっていた」「腕のいい職人だった」と決して悪くありません。
また、職人の親方と行きつけの焼き鳥屋によく顔を出したり、休みの日は友人と釣りに行って釣れた魚を近所の人や仕事仲間におすそ分けしたりと、人間関係でも問題は見られなかったといいます。
当時は高度経済成長期だったこともあり、裁判時の供述によると東京では建築関係の仕事で月収200万円を稼いだ月もあったそうです。貯金も1500万円ほどあったとのことですから、真面目に働き、堅実に暮らしていたことが窺えます。
保見光成の生い立ち・経歴③ 父親に介護を頼まれて帰郷
東京で1人暮らしをしていた保見光成の生活が一変したのは、1994年のことです。
この年の10月、父親から「体の調子が悪いから、戻って来てくれないか」と面倒を見てほしいとの電話がかかってきたため、保見は当時住んでいた川崎市内のアパートを引き払って、40代半ばで実家のある金峰集落に帰ることを決意します。
そして集落に戻った保見は、自宅の母屋に隣接する空き地を所有者から買い取って、自力で自宅を建てました。このことは集落中で話題となり、地方局が取材に来るなどして注目を集めたそうです。
なお、この空き地のもとの所有者は、山口連続殺人放火事件の被害者でもある石村文人さんでした。
自宅が建つと保見は東京で培った職人の技術を活かして、保見は両親の家をバリアフリーに改築し、集落の家のリフォームや修繕などの仕事を請け負って生活していたそうです。
事件後の報道では集落の住民との間に確執があったと報道された保見ですが、戻って来た当初はとくに問題なく付き合いをしており、自治会の歓迎会や旅行にもきちんと参加していました。
歓迎会ではきちんと自己紹介もして、積極的に住民の輪の中に入ろうとしていたといいます。
保見光成の生い立ち・経歴④ 犯行の動機となった「村おこしの失敗」
裁判前に保見と面会して精神鑑定を行った医師によると、山口連続殺人放火事件を起こすきっかけとなったのは「村おこしを計画して失敗した」ことだといいます。
保見は過疎化が進んでいた生まれ故郷を盛り上げたいと思っていたようで、自力で建てた新築で「シルバーハウスHOMI」というデイサービスのような事業を行おうとしていました。
集落の住民が集まるような場所を作って地域を活性化させたいという思いから、保見の家にはカウンターバーやカラオケ機器、トレーニング器具などが置かれていたそうです。
東京で稼いで貯めたお金を使って、村おこしの夢を叶えようとしたのでしょう。最初こそ物珍しさで住民もちらほらやって来ました。
住民によると、「シルバーハウスHOMI」はまるでお店のように凝ったつくりで、外にはネオン看板も出ていたといいます。
しかし、とくにトラブルがあったわけでもないのにすぐに誰も「シルバーハウスHOMI」に寄り付かなくなったとのこと。
その理由を集落の住民は「人間関係もできていないのに、そんなことをされてもね」と語っていました。
たしかに高齢者ばかりが住む限界集落で、この地で生まれ育ったとはいえ東京から帰って来た「よそ者」が事業を始めるためには、草むしりや清掃活動などで顔を売って好感度を稼ぐという下準備が必要だったのでしょう。
しかも保見自身が知っていたのかは不明ですが、上で説明したように保見の父親は集落で「盗人」と噂されていた人物でした。
その息子から「村おこしをするから自分の家をたまり場にしてくれ」と言われても、普通の人は構えてしまいます。
とくに閉鎖的な田舎の集落で暮らしている人々なら、なおのこと警戒心が強いはず。やり方を変えればよかったのかもしれません。
ところが保見は、「シルバーハウスHOMI」の失敗は集落の住民が自分のことを否定した結果だと考え、住民らに憎しみを覚えるようになってしまったのです。
また、「シルバーハウスHOMI」に貯金をつぎ込んでしまい、家屋修繕の仕事の依頼もなかなか入らず、生活費に困るようになったことも犯行の動機になったのではないかと見られています。
保見光成の生い立ち・経歴⑤ 集落での孤立
実は保見は1人で集落の村おこしを考えて居たわけではありません。最初は保見よりも少し若い青年が1人、村おこしに賛同して「一緒にやろう」と言っていたそうです。
この青年は集落内にある寺の住職をしており、保見とは違って集落の住民とも密接な人物でした。
しかし、「シルバーハウスHOMI」が完成する前にこの青年は突然手をひいてしまい、結局、保見は1人で村おこしを敢行。そして住民から拒まれてしまったのです。
たった1人いた賛同者があっさり村おこしから手を引いたことも、保見が集落の人々に暗い気持ちを持つ原因になってしまったのかもしれません。
「シルバーハウスHOMI」が開店休業状態になると、保見は集落の人々に挨拶を返さなくなり、畑でとれたものをおすそ分けに貰っても礼のひとつも返さないなど、人付き合いをしなくなっていきました。
集落は定期的に草を刈らないと移動も困難になるような地域だったといい、住民たちが助け合いの精神で草刈りを行っていましたが、これにも保見は非協力で、草刈りに参加したのは転居後の1度だけでした。
こうして保見はどんどん集落の中で孤立していったのです。
両親の死
そんな折、2002年12月末には母親が、2003年には父親が立て続けに亡くなるという悲劇が保見を襲います。
両親が亡くなったあたりから保見の行動は目に見えておかしくなり、家の前にブラジャーをつけたマネキンを置く、イミテーションの防犯カメラを家の周りに多数取り付けるなどし始めました。
そして2011年に入ると「近所の人から嫌がらせをされている」「いじめにあっていて夜も眠れない」と周南署に相談の電話を入れるようになったといいます。
保見光成が山口連続殺人放火事件を起こした背景・被害者との関係
保見はなぜ、集落の住民のなかから5人を選んで殺害したのでしょうか。実は加害者の保見だけではなく、山口連続殺人放火事件の被害者のなかにも、問題行動が目立つ人物がいたことが明らかになっています。
まず、貞森誠さん。貞森さんは近所の人から「酒癖が悪く、ヤクザのような面があった」との証言が出ている人物で、過去にはなんと保見を刺して怪我を負わせたこともありました。
事件が起きたのは2003年1月4日、母親の香典返しに訪れた保見を「酒を飲もう」と言って家にあげた貞森さんが、酔っぱらって牛刀を持ち出して保見を刺したのです。
幸い怪我はかすり傷程度で済んだものの、この時は警察も出動しており、貞森さんは罰金15万円の支払いを命じられていました。
さらに報道でも「犯行予告だ」と大々的に取り上げられた「つけびして 煙喜ぶ 田舎者」という張り紙も、山口連続殺人放火事件とは無関係の火災を批判するものだったと考察されました。
この張り紙は事件の数年前から貼られていたといい、「つけび」というのはかつて河村さん宅で起きた風呂場のボヤ騒ぎのことだった可能性が高いと見られたのです。(後に保見本人の供述から、「つけび」は噂話の比喩だったことが判明)。
しかもこのボヤ騒ぎは放火の疑いが強く、名前は明かされていませんが集落の人々は山口連続殺人放火事件の被害者の1人が、河村さん宅に放火したと考えているとのこと。
さらにこの人物は、保見の父親の兄の家(事件時には集落外に引っ越していた)にも火をつけて全焼させたという噂まである人物で、「殺されても仕方がない人だった」と話す住民がいるほど、さまざまな人から恨みを買っていたといいます。
とくにこの人物ともう1人、他の被害者に対しては「あの人らはよく犬猫を殺していた」「川に子猫を投げて殺しているのを見た」という恐ろしい目撃証言までてていました。
保見は動物が好きだったようで自分の飼い犬を可愛がっていたといいますから、こういった行為が許せなかったのではないか?と指摘する近隣住民もいたそうです。
保見光成は村八分にされていたのか?統合失調症の妄想だったのか?
山口連続殺人放火事件が起きた直後、逮捕された保見は以下のようなことを供述しました。
・道路に停めておいた草刈り機を燃やされた。
・自分で作ったカレーに誰かが農薬を入れた。
・車のタイヤホイールについたネジを誰かが緩めた。
・家の鍵をかけただけで悪口を言われた。
・寝たきりの母親の部屋を「排せつ物臭い」と馬鹿にされた。
・対向車に馬鹿にしたような運転をされた。
このことや警察に住民との関係を相談していたことが報じられると、村八分にあっていたのではないかと囁かれるようになりました。
しかし、公判前整理手続きで保見は統合失調症(妄想性障害)を発症していたという鑑定結果が出ており、どこまで実際に起きたことなのかわかりません。
そもそも保見は草刈り機を持っていなかったとの話もありますし、運転についても保見が細い農道でオフロード車を乗り回していたため、対向車が身動きが取れなくなって立ち往生しただけという話も出ています。
カレーについても、「ワタルは1ヶ月分のカレーをまとめて作っていたため、底の方が腐っていただけだと思う」という証言が近隣住民からありました。
保見も意図的に虚偽の供述をしているわけではないのでしょうが、村八分にされたという話には多分に妄想も含まれているのでしょう。
保見光成の裁判・判決
保見光成の第一審は、2015年6月25日に山口地裁で開かれました。本件には裁判員制度が採用されています。
逮捕時は自分の犯行を素直に認めていた保見ですが、公判では一転して無罪だと主張し「警察に濡れ衣を着せられた」と訴えました。
しかし、被害者を殴打した凶器の木の棒からは保見の指紋が検出され、被害者の家からは保見のDNAも検出されるなど証拠がそろっていたため、検察は保見の犯行で間違いないと反論。
さらに逮捕時に保見が持っていたICレコーダーには、集落の人間への恨み言と愛犬に幸せになってほしい、これから自殺するという遺言が吹き込まれていたことも、保見が犯人と裏付ける証拠とされました。
一方の弁護側は公判前整理手続きの精神鑑定結果を出して、事件時に保見に責任能力がなかったことを主張しましたが、7月28日の判決公判で山口地裁は保見に死刑を言い渡します。
たとえ統合失調症を発症していても、その後に自殺を考えたことから事件時には責任能力を持っていたと考えられたのです。
死刑判決を受けた弁護側は即日控訴をして減刑を求めました。しかし、控訴審、上告審ともに棄却され、2019年7月18日付で保見光成の死刑が確定しています。
保見光成の現在① 死刑執行はいつ?
2023年12月現在、保見光成は広島拘置所に収監されており、まだ死刑執行されていません。
死刑判決後も保見の弁護団は裁判のやり直しを求めて再審請求を行っており、これが棄却されたことを受けて2022年12月には最高裁判所に特別抗告を行っています。
そのため、この結果が出る前に死刑執行となる可能性は低いと見られています。
保見光成の現在② 結婚している?
事件を起こす前に保見光成が結婚していたという話はなく、少なくとも集落に戻って来てからは両親と3人暮らしでした。
獄中結婚をしたという話もありませんから、現在も独身の可能性が高いでしょう。
保見光成の現在③ 飼っていた犬の行方は?
保見は山口連続殺人放火事件を起こした時、「オリーブ」というゴールデンレトリーバーと一緒に暮らしていました。
事件当時の報道で捜査員や記者に尻尾を振っている様子がTVに映ることもあり、人懐こい、大切に育てられたのがよくわかる犬だったため、飼い主が逮捕された後はどうなるのか心配する声も少なくありませんでした。
そのオリーブですが、保見が山中で身柄を確保1分後の26日9時6分に心臓発作を起こして急死したといいます。この時には動物愛護団体に保護されており、施設の中で息を引き取りました。
保見光成はかわいそう?事件の世間に対する声
山口連続殺人放火事件が起きた直後、マスコミが「被害者は壮絶な嫌がらせを受けていた」「陰湿な村社会の犠牲者だ」と取り上げたこともあって、保見に対する同情的な声もあがりました。
ただ、上でも触れたとおり保見の供述や事件後に報道されたいじめや嫌がらせがどこまで真実なのかは不明なままです。
事件後にTV取材に応じていた人の中には、金峰集落の住民ではなく、「こういうことがあったらしい」という噂を聞いただけの近くの村の住民もいたといいます。
一時期ネットには横倒しにされた保見家の墓の写真が出回り、これが村八分の実態だと騒がれたことがありました。
ところが、これも住民の仕業ではなく、墓じまいで墓石を片付けようとしていただけだったことが判明しています。
そのため事件直後の週刊誌の記事やネット上にある情報だけを見て、保見光成はかわいそう、事件を起こすのも仕方がないというのも違うかもしれません。
保見光成【山口連続殺人放火事件】についてのまとめ
今回は2013年に発生した山口連続殺人放火事件の犯人・保見光成の生い立ちや犯行動機、判決、現在を中心に紹介しました。
おそらく集落で保見に対する嫌がらせがまったくなかった、ということはないと思います。父親が泥棒だという噂が集落中に流れていたという点から考えても、風当たりは強かったはずです。
当時の集落の人々のインタビューなどを読み返しても、酔って人を刺したことを笑い話にするなど、独自の感覚を持っていることが窺えます。そのことの是非はさておき、およそほかの土地から来た人には馴染みがたい考えが根付いた集落なのでしょう。
しかし、溶け込めないのなら両親が亡くなった時点で集落を出ることもできたはずです。保見が集落に止まらなければ起きなかったであろう事件なだけに、考えさせられます。