江美早苗(新婚さん初代司会)殺人事件の犯人は元夫の屋代昭彦!その後や現在まで総まとめ

新婚さんいらっしゃいの初代司会者である江美早苗(中里綴)さんは、元祖ストーカー殺人事件の被害者です。

 

江美早苗さんのプロフィールや経歴、結婚した旦那や子供の有無、離婚原因、ストーカー殺人事件の犯人の元夫・屋代昭彦のその後と現在をまとめました。

江美早苗は元アイドルでストーカー殺人被害者

出典:last.fm

江美早苗

生年月日:1951年3月15日

没年月日:1988年3月5日

出身:島根県松江市

所属:西野バレエ団

活動:アイドル、女優、作詞家

 

江美早苗さんは、1960年代後半~72年までアイドル・女優として活躍し、その後は作詞家として活動していた女性です。また、人気長寿番組の「新婚さんいらっしゃい」の初代司会としても知られています。

 

江美早苗さんは芸能活動をする時の名義と作詞家としての名義は異なります。

 

・本名:神田恵美
・芸名:江美早苗
・作詞家:神田エミ・中里綴

 

1988年にストーカー化した元夫の屋代昭彦にナイフでめった刺しにされて、36歳の若さで亡くなりました。

 

 

江美早苗の生い立ち

出典:amazon.co.jp

 

江美早苗さんは、1951年3月15日に島根県松江市で生まれました。実家は老舗旅館を営んでいて、4人兄弟の末っ子として育ちます。実家は老舗旅館ということなので、裕福な家庭環境だったと思われます。

6歳のころからバレエを習い始め、小学2年生になった1958年からは西野バレエ団に入団します。

西野バレエ団とは、バレエの構成・演出・振付の第一人者だった1953年に西野皓三氏が結成したバレエ団で、大阪の帝塚山に活動拠点を置いていました。

 

島根県松山市に住んでいて、大阪の帝塚山のバレエ団に小学2年生で所属していたということは、江美早苗さんは子供のころからバレエで秀でていて、人の目を引く才能があったのでしょう。

 

その後、江美さんは1966年3月に松江市内の中学校を卒業後、島根県立松江北高校に進学します。松江北高校は島根県一の進学校ですから、バレエだけでなく、成績も優秀だったことは間違いありません。しかし、江美早苗さんは松江北高校を中退して上京し、芸能活動を始めます。

 

 

江美早苗の経歴

江美早苗さんが芸能活動を始めてからの経歴を見ていきましょう。

 

 

アイドルとして

出典:biz-journal.jp

 

西野バレエ団に小学2年生のころから在籍していた江美早苗さんは、ご両親の反対を押し切って、松江北高校を中退して上京し、西野バレエ団で活躍します。

 

そして、次の江美早苗さんを含めた次の5人で「5人娘」と呼ばれるようになりました。

 

・金井克子
・由美かおる
・奈美悦子
・原田糸子
・江美早苗

1967年には西野バレエ団のメンバーで結成したダンスグループ「レ・ガールズ」に参加し、8月4日から放送がスタートした音楽バラエティ番組「レ・ガールズ」にレギュラー出演するようになり、本格的に芸能活動を始めます。

 

この「レ・ガールズ」は本格的なダンスや歌で若者から支持されるようになり、アイドルグループの草分け的な存在として人気となりました。

 

歌手としては、1968年にフィリップスレコードと専属契約して、「涙でかざりたい」でソロデビューし、1968年~1971年まで合計で7枚のシングルを出しています。

 

女優としては「レ・ガールズ」のメンバーと共に「ミニミニ突撃隊」や「初恋宣言」に出演し、その後に『呪いの館 血を吸う眼』などに出演しました。また、新婚さんいらっしゃいなどのバラエティ番組にも出演しています。

 

松江北高校は中退しましたが、通信教育を受けて日本放送協会学園高校(現在のNHK学園高校)を卒業しました。

 

 

作詞家として

出典:twitter.com

 

21歳で芸能界を引退した後は、故郷の島根県松江市に戻りますが、翌年には再び上京し、作詞家に転身しました。作曲家の田山雅充とタッグを組み、中里綴という名義でたくさんの作詞を行います。

代表作は、南沙織さんの「人恋しくて」です。江美早苗さんが中里綴名義で提供したこの楽曲は日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、NHK紅白歌合戦への出場も果たしています。

 

その他、次のような歌手の楽曲の作詞を担当していました。

 

・あおい輝彦
・沢田聖子
・中森明菜
・堀ちえみ
・岩崎宏美
・河合美智子
・岸本加世子

1986年3月以降は、神田エミとして活動するようになりました。神田エミ名義では、「ミュージカルPLAYZONE “MYSTERY”」のための楽曲6作品や岩井小百合、徳永英明、萩原健一などの作品を手掛けています。

 

 

江美早苗は新婚さんいらっしゃいの初代司会

出典:twitter.com

 

江美早苗さんは、人気長寿番組の「新婚さんいらっしゃい」の初代司会を務めました。

 

「新婚さんいらっしゃい」は、1971年1月31日にからABC TV政策で日曜のお昼に放送されているトーク番組で、視聴者の新婚夫婦がゲストとして参加しています。

 

この新婚さんいらっしゃいは、放送開始直後の司会は次の3人体制でした。

 

・月亭可朝
・桂三枝
・江美早苗

元々は月亭可朝さんがメイン司会で、アシスタントとして桂三枝さんと江美早苗さんを配置していました。江美早苗さんは19歳での大抜擢ですから、すごいですよね。

 

しかし、この3人体制での司会は長く続きませんでした。メイン司会の月亭可朝さんが、番組開始から約4ヶ月とに参議院議員選挙に出馬することになったんです。そのため、月亭可朝さんは司会を降板することになり、しかもすでに収録していた番組4本もお蔵入りとなってしまいました。

 

これを機に桂三枝さんがメイン司会に据えて司会2人体制になりましたが、江美早苗さんもそのまま押し出されるようにして月亭可朝さんが降板した約1ヶ月半後には新婚さんいらっしゃいを降板することになり、新婚さんいらっしゃいは桂三枝さんと梓みちよさんの2人司会が長く続くようになっていくのです。

 

 

江美早苗の結婚・旦那は屋代昭彦 

 

江美早苗さんは1981年に結婚しています。旦那や結婚までの経緯を見ていきましょう。

 

 

旦那の屋代昭彦とは?

江美早苗さんが結婚した旦那は屋代昭彦という男性です。

 

屋代昭彦は江美さんよりも、14歳年上のフィリップレコードの社員でした。フィリップレコードでは音楽ディレクターをしていて、江美早苗さんが『涙でかざりたい』でソロ歌手としてデビューする時に江美さんの担当をしていて、それをきっかけに2人は知り合いました。

 

江美さんのソロデビューは1968年ですから、知り合ったのはその頃ですね。

 

その後、1981年に結婚しますが、その時点ではフィリップレコードを退職していて、音楽プロデューサーとして独立していました。

 

 

不倫関係&元妻が自殺

江美早苗さんと屋代昭彦が知り合ったのは、江美さんがソロデビューすることになった1968年ごろです。新人歌手と音楽ディレクターという関係で知り合いました。その後、2人は時間をおかずに男女の関係になったようです。

 

1968年時点で、江美早苗さんは17歳。屋代昭彦は14歳年上ですから、当時31歳だったと思われます。しかも、屋代昭彦は結婚していて既婚者でした。

 

既婚者の31歳の男性が、地方から上京してきた17歳の未成年の少女を手玉に取るのは簡単なことだったと思われます。そして、2人の不倫関係はスタートしました。17歳と31歳の不倫。現代だったら、大問題になっていて、屋代昭彦は大炎上どころか、社会的に抹殺されていてもおかしくはないほどの問題です。

 

2人の不倫関係は長く続き、屋代昭彦の妻も2人の不倫関係に気づきます。そして、屋代昭彦の妻は自殺してしまうのです。タイミングや当時の状況などを考えても、江美早苗さんと屋代昭彦の不倫が原因だったことは間違いないでしょう。

 

そして、屋代昭彦の妻が自殺したことをきっかけに、江美早苗さんは21歳で芸能界を引退し、島根県松江市に戻ることになりました。

 

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その1年前には「新婚さんいらっしゃい」の司会をしていた江美さん。屋代昭彦との不倫を続けながら、「新婚さんいらっしゃい」の司会をしていたのでしょう。おそらく、その後に屋代昭彦の妻が自殺してしまったため、芸能界を引退することになった。

 

この時の江美さんの心境は一体どのようなものだったのでしょうか?相手の妻が自殺をして、芸能界引退に追い込まれても、不倫関係を辞めることはできなかったのです。それほど、屋代昭彦は江美早苗さんにとって魅力的な男性だったのでしょうか?

 

 

1981年に結婚

屋代昭彦の妻が自殺をしたことで、江美早苗さんは21歳の若さで芸能界を引退し、島根県松江市に戻りましたが、翌年の1973年には作詞家として再び上京しています。そして、結婚まで8年間同棲していました。

 

このことから、屋代昭彦の妻が自殺してしまったことから、江美早苗さんはとりあえずは芸能界を引退して実家に戻りましたが、屋代昭彦との関係は切れていませんでした。1年経ってほとぼりが冷めたところで、上京して同棲を始めたということでしょう。

 

すでに自殺していて、屋代昭彦は既婚者ではなくなっていますので、気兼ねなく同棲することができたのだと思われます。

 

そして、8年間同棲した後に、1981年3月に結婚しています。

 

1981年3月当時、江美早苗さんは30歳でした。江美早苗さんは屋代昭彦と17歳からずっと交際していたことになります。

 

ただ、この後の展開を考えると、未成年の江美早苗さんに屋代昭彦が手を出したときに周囲の大人が止めていたら、せめて屋代昭彦の妻が自殺した時点で2人の不倫関係に終止符を打っていたらと考えずにはいられません。

 

 

江美早苗に子供はいない?

 

江美早苗さんは屋代昭彦と17歳のころから不倫関係になり、30歳で結婚しましたが、2人の間に子供はいなかったようです。

 

江美早苗さんが出産したという情報や育児をしているという情報、離婚後の子供の親権などの情報は一切ありません。そのため、子供を作る前に江美早苗さんと屋代昭彦の関係は冷え切っていて、離婚することになったということなのでしょう。

 

 

江美早苗が離婚…離婚原因は元夫の屋代昭彦にあり

出典:aucfree.com

 

江美早苗さんは不倫関係の末に屋代昭彦と1981年に結婚しましたが、1985年12月に協議離婚しています。

 

なぜ、1968年から不倫していて、屋代昭彦の妻が自殺までしていて、ようやく結婚したのに、たった4年で離婚することになったのか?それは、屋代昭彦に原因があったようです。

屋代昭彦は江美早苗さんと結婚した後に典型的なダメ男なりました。

 

屋代昭彦は結婚前からお酒やギャンブル、女にお金をつぎ込むようなタイプの男でした。江美早苗さんと結婚した後、その行動はさらに加速し、放蕩生活を送るようになっています。しかも、遊ぶお金は自分の収入だけでは足りなくなり、江美早苗さんにお金の無心をするようになりました。

 

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また、屋代昭彦はフィリップレコードから独立して音楽事務所を設立しましたが、仕事はあまり軌道に乗っておらず、仕事量は激減。もちろん、それに伴って収入も激減していました。

 

江美さんとしては、作詞家として成功していましたし、まだ30代で美貌を保っていましたから、屋代昭彦にしがみつく理由はなく、協議離婚という形になったのでしょう。

 

17歳から30代前半の時期を屋代昭彦というダメ男につぎ込んでしまった江見早苗さん。離婚をしてようやく屋代昭彦かとの関係を絶てると思っていたのに、人生の最後の最後まで屋代昭彦にとらわれることになってしまいました。

 

 

江美早苗殺人事件の犯人は元夫の屋代昭彦

 

江美早苗さんは元夫の屋代昭彦に刺殺され、36歳の若さで亡くなっています。江美早苗さん殺人事件の詳細を見ていきましょう。

 

 

離婚後ストーカーになる

 

江美早苗さんは1985年12月に屋代昭彦と協議離婚が成立しています。

離婚後に江美早苗さんは2人で暮らしていたマンションを出て、東京都品川区上大崎にあるマンションに引っ越していました。

 

しかし、屋代昭彦は江美早苗さんに復縁を迫るようになり、それがエスカレートしてストーカー化していきました。そして、次のようなストーキングを行っていきます。

 

・江美早苗さんの行動を監視する
・マンションの部屋を双眼鏡で除く
・江美さんの車のタイヤを釘でパンクさせる
・無言電話を頻繁にかける
・しつこく付きまとう

 

これらのストーカー行為に恐怖を覚えた江美早苗さんは、駐車場の場所を変えたり、電話番号を変えたりするなどの対策をしています。また、大崎警察署に相談もしていました。

 

しかし、1988年当時は、まだ現代のように「ストーカー」という概念がなく、ストーカー行為を規制する法律もありませんでした。元夫の屋代昭彦による江美早苗さんへのストーカー行為は収まることはなく、とうとう殺人事件が起こってしまうことになりました。

 

 

マンションに侵入してめった刺し

 

1988年3月5日、屋代昭彦は江美早苗さんに復縁を要求するために、江美さんのマンションを訪れました。この時、屋代は凶器となる刃渡り20cmの包丁と登山ナイフを持っていました。

 

江美さんは以前からストーカーされていたこともあり、危険を感じたのか、復縁の要求に応じることはなく、マンションのドアを開けることもありませんでした。

 

復縁の要求を突っぱねられた屋代昭彦は激怒して、凶行に及びます。玄関ドアの横にある浴室の窓ガラスを割って、江美さんのマンションに侵入したのです。その後、用意していた刃渡り20cmの包丁と登山ナイフを持って、江美さんをベランダに追い詰め、全身22か所をめった刺しにして殺害しました。

 

この事件はすぐに発覚します。江美さんの悲鳴を聞いた上の階の住人がベランダから下の階をのぞき込んだところ、血まみれでベランダに倒れている江美早苗さんを発見し、110番通報しています。

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警察がすぐに駆け付け、倒れている江美早苗さんを発見して病院に救急搬送しますが、1988年3月5日19時05分に死亡が確認されています。

 

 

籠城後に逮捕

 

上の階の住人の通報で警察が駆け付けましたが、犯人の元夫の屋代昭彦はすぐに逮捕されたわけではありませんでした。屋代昭彦はマンションの屋上に逃げて籠城しました。

 

屋代昭彦は「マンションの屋上から飛び降りる」のように言って、警察をけん制しますが、籠城から5時間後に、警察の説得に応じて逮捕されました。屋代昭彦はこの時、警察官1人を呼び出して、いろいろと不満を述べていたようです。

 

逮捕後の屋代昭彦は、江美早苗さんを殺害した動機について、次のように述べています。

 

・ペンネームを俺がつけたのに離婚されて憎い!
・離婚されて憎くなった
・2年前から殺害計画を立てていた
・ほかに男を作ったのが憎い

 

この自供・動機を見る限り、ただただ屋代昭彦の思い込み・わがままで江美早苗さんは殺害されたことがわかります。「ペンネームをつけてあげたのに離婚されるなんて!」なんて独占欲による完全なわがままです。

 

また、「ほかに男を作ったのが憎い」というのも、自己中心的な考えですよね。屋代昭彦は女遊びをしていたことがわかっています。そして、それが離婚原因の1つとなっていました。それなのに、江美早苗さんが離婚後に交際相手がいたことを責めるなんてお門違いも甚だしいですよね。

 

逮捕当時の屋代昭彦の写真を見ると、ただの疲れた中年男性に見えます。「元レコード会社社員で音楽プロデューサー。しかも、元アイドルと長年不倫をしたのちに結婚した男性。」の要には見えません。

 

 

この逮捕当時の報道写真を見ると、そりゃ江美早苗さんは離婚して復縁を拒絶するだろうなと思いますし、屋代昭彦は自分が一番輝いていた時のシンボル的な存在であり、自分がすごい人間だったということを確認できる江美早苗さんと復縁したくて、それをこじらせてストーカー化したのだろうなということが容易に想像できます。

 

 

江美早苗と屋代昭彦のその後と現在

出典:discogs.com

江美早苗さんのその後

江美早苗さんは1988年3月5日に、元夫の屋代昭彦にめった刺しにされて亡くなりました。36歳の若さでした。

 

最後の作品は内藤やす子さんのシングル『落日』の作詞です。

殺人事件の現場となった江美早苗さんのマンションは、品川区上大崎にありましたが、解体されて再開発の対象となり、2003年に新築の22階建てのマンションになっています。おそらく、東京都品川区上大崎3丁目5-8にあるアクロス目黒タワーと思われます。

 

 

 

屋代昭彦のその後と現在

屋代昭彦は3月6日午前0時28分に逮捕されていますが、裁判では懲役12年の実刑判決が言い渡されています。1人の女性をストーカーしてめった刺しにしたのに、たった懲役12年。やはり、この頃はストーカーの恐ろしさが世間に広まっていなかったからなのでしょうか。

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懲役12年の実刑判決となった屋代昭彦はそのまま収監されています。1988年に懲役12年の判決ですから、その12年後の2000年ごろにはすでに出所していることは間違いありません。逮捕時は50歳ですから、出所時は62歳。まだまだ人生の楽しみが残っている年齢ですよね。

 

ただ、屋代昭彦の出所後の消息はつかめていないとのことです。2023年時点では85歳ですから、亡くなった可能性はありますが、現在も存命の可能性も十分に残っています。

 

江美早苗さんはめった刺しにされて36歳で死亡。犯人の元夫の屋代昭彦は逮捕されるも62歳で出所。やっぱり納得いかないものがありますね。

 

 

屋代昭彦には協力者がいたことが現在になって判明?

江美早苗さん殺人事件は、2015年5月にTBSテレビの「爆報!THEフライデー」で取り上げられ、この事件を詳しく検証していました。この「爆報!THEフライデー」の中で元夫で犯人の屋代昭彦には協力者がいたという新事実が伝えられたのです。

 

江美早苗さんには「Tさん」という友人がいて、屋代昭彦にストーキングされていることを相談していました。江美早苗さんにとってはTさんは元夫のストーカー行為を相談できる信頼できる相手でした。しかし、Tさんは江美早苗さんを裏切り、屋代昭彦の協力者だったというのです。

 

Tさんは江美早苗さんから得た情報を屋代昭彦に流していました。そして、屋代昭彦はその情報をもとに犯行計画を立てたようです。「女の敵は女」、これは真理なのかもしれません。自分は親友と思っていても、相手からはどう思われているのか。こんな裏切りがあったことを知ってしまうと、人間関係が怖くなってしまいます。

 

この情報が本当なら、江美さんは友人に裏切られて、元夫に殺害されたということですよね。元夫の屋代昭彦は最初から殺すつもりで包丁と登山ナイフを持っていた。そして、ドアを開けてもらえなかった時には風呂場の窓から侵入できるとTさんから情報を得ていたのかもしれません。

 

江美さんは元夫にストーカーされ、信頼していた友人に裏切られて、人生の幕を閉じました。あまりにもひどい人生の終わり方ですね。

 

 

江美早苗のまとめ

江美早苗さんのプロフィールや生い立ち、経歴と新婚さんいらっしゃいでの司会、結婚した旦那や馴れ初め・不倫関係、子供の有無、離婚原因や元夫の屋代昭彦が犯人の殺人事件やその後と現在をまとめました。

 

江美早苗さんの人生とは、一体何だったのかと考えてしまいます。

 

「不倫して妻が自殺しているのだから、自業自得」と考える人もいるかもしれませんが、江美早苗さんが不倫関係になったのは17歳の頃。田舎から出て来たばかりの未成年だったことを考えると、自業自得とは言えません。やはり、殺人事件についてはもちろん、不倫についても全面的に屋代昭彦に責任があると言えます。

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