1988年、大阪府の槙塚台派出所に拾得物として届いた現金を巡査が着服し、主婦に窃盗の罪を被せるという「警察官ネコババ事件」が起こりました。この記事では本件について犯人の巡査や冤罪を仕立て上げた署長の名前、その後、現在について紹介します。
この記事の目次
警察官ネコババ事件の概要
1988年2月6日午前11時40分頃、大阪府堺市内に住む主婦・具足みち子さん(事件当時36歳)が、大阪府堺南警察署管轄の槙塚台派出所(現在の南堺署、槙塚台交番)に現金15万円が入った封筒を届けました。
拾得物として届けられた15万円を受け取った巡査は、みち子さんに遺失物法で作成が義務付けられている拾得物件預り書を渡さず、「このお金については、もう紛失届が出ているから」と彼女を帰したとされます。
その後、巡査は15万円を遺失物扱いとせずにそのまま着服。
しかし、現金を届けてから3日経っても何の連絡もないことを不審に感じたみち子さんが、槙塚台派出所に「あのお金は持ち主に返せたんですか?」と連絡したことで、巡査が着服をしていたことが明らかになります。
この時、堺南警察署の署長、副署長、警ら課長は3月の人事異動で栄転が決まっていました。
部下が警察官としてあるまじき行為をしていたとなれば、出世の話も立ち消えてしまう。そう思った3人は、唯一15万円の拾得物の存在を知っているみち子さんに拾得物横領の罪をなすりつけ、不祥事を隠ぺいしようと考えたのです。
署長らは部下に指示を出して証拠や証言をでっちあげ、濡れ衣を着せようとしつこくみち子さんを呼び出し、自分が15万円を盗んだと言うように脅しをかけました。
ところが、「最初から盗むつもりなのに、どうしてみち子さんは現金を派出所に届け出に行ったのか」など、堺南警察署の主張を不自然に感じた大阪地検は、みち子さんの逮捕状請求を却下。
さらに、この件を調べ始めた読売新聞の記者・中山公氏の追跡により、大阪府警察が堺南警察署に疑いを向けるようになります。
大阪府警察の捜査第二課が捜査に入ったことで3月25日に巡査のネコババが明らかになり、やっとみち子さんの冤罪も証明されました。
しかし、明らかに悪質な不祥事があったにもかかわらず、大阪府警の関係者らの処分が甘かったこともあり、警察官ネコババ事件は未だに「最悪の冤罪未遂」「警察が信じられなくなる最低の事件」と言われています。
警察官ネコババ事件の犯人の巡査の名前
検察官ネコババ事件で、現金15万円を着服した犯人の名前は西村正博といいます。
2月6日にみち子さんが拾得物の封筒を届けた際、槙塚台派出所には西村正博巡査(事件当時31歳)しかいませんでした。
そのため「拾得物件預り書」という証拠を残さなければ、簡単に15万円を着服することができたのです。
「紛失届が出ているから」などと言い訳をして拾得物件預り書を書かずにみち子さんを追い返しているなど、横領にあたって慣れた行動を見せていることから、西村巡査に対しては「これが初犯ではないのではないか?」「余罪はないのか、大阪府警は厳しく追求するべきだった」等の批判があります。
警察官ネコババ事件の犯人にされかけた主婦は出産直前だった
警察官ネコババ事件で拾得物横領罪のぬれぎぬを着せられかけた具足みち子さんは、出産を間近に控えた妊婦でした。
みち子さんは大阪府堺市内にあるスーパーの経営者の妻で、夫が経営するスーパーで経理の仕事をしていました。問題となった15万円の入った封筒は、このスーパーの店内に落ちていたといいます。
みち子さんが警察を怪しんだきっかけは、封筒の落とし主の男性がスーパーを訪れ「この店で現金が入った封筒を落とした可能性があるのだが、届いていないだろうか?」と相談してきたことです。
3日前に槙塚台派出所に封筒を届けているうえ、警察で「遺失物届」も受理してるとの話だったのになぜ男性のもとに現金が戻っていないのか、不思議に思ったために警察に問い合わせをしたそうです。
現金の入った封筒を拾った日、みち子さんは中身を確認後すぐに派出所に向かったとのことですが、堺南警察署の幹部らはみち子さんを犯人に仕立て上げるために「自宅付近で中身を抜いた封筒を破いているのを見た人物がいる」「スーパーの敷地内で封筒の紙片が見つかった」などの虚偽の目撃証言や証拠をでっちあげました。
拾ったものを届けただけなのに逮捕をちらつかされ、執拗な取り調べを受けたみち子さんはノイローゼ状態になり、自殺を考えるほど追い詰められたといいます。
しかし自分が死ねばお腹の子どもも道連れになってしまうと考え、無実を訴え続けたとのことです。
なお、みち子さんの主治医であった産婦人科医は「母子ともに危険な状態になりかねない」として、頑なに逮捕に反対する姿勢を取り続けていました。
警察官ネコババ事件に関わった署長や副所長らの名前
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警察官ネコババ事件で西村巡査の不法行為を隠蔽し、みち子さんを冤罪に陥れようと目論んだ中心人物とされているのが、当時の堺南署の井上正雄署長、谷口寿一副署長、馬場博警ら課長です。
15万円が行方不明になっていることが発覚した際、警察内では「みち子さんが槙塚台派出所を訪れた際には派出所内は無人で、ニセ警官が対応にあたったおそれがある」との疑いが浮上しました。
同時にみち子さんも事情聴取を受けることになったのですが、最初に彼女から話を聞いた刑事課員は「話に不自然な点はなく、彼女が現金を着服した可能性はない」として上司に報告したといいます。
そこで、みち子さんが封筒を届けた時間帯に派出所にいた西村巡査が着服していたことが明らかになるのです。
栄転を控え、なんとか部下の不祥事を揉み消そうと考えた井上正雄署長、谷口寿一副署長、馬場博警ら課長らは、みち子さんに15万円の横領罪をなすりつけることにして、8人の捜査員で専従捜査班をつくりました。
そうして2月9日には専従捜査班に指示を出して、みち子さんを警察に呼び出したとされます。
泉ケ丘派出所で刑事と女性警察官に「いつ結婚したのか」「現金を拾った日の行動を朝から話せ」等と1時間以上も質問攻めにあい、供述調書を取られたみち子さんは「まるで犯人扱いだ」と不信感と不快感を持ったそうです。
さらに2月12日には刑事を具足さんの家に向かわせ、「証拠が出て15万円横領の犯人がわかった」と脅しをかけさせたといいます。
井上署長らに指示されてやってきた刑事は、対応に出たみち子さんの夫の清治さんに用意してきた偽物の証拠(どこにでもあるような3、4cm程度の白い封筒の切れ端)を見せ、「これがお宅の店の敷地内から出てきた。奥さんが派出所に行ったと証言している時間には、派出所は空だった。証言もある」と、みち子さんが犯人だと詰め寄ってきました。
12日には若い刑事が具足さんの家を訪れて、みち子さんに警察への「出頭」を求めますが、当然ながら何の罪も犯していないみち子さんはこの要請には応じませんでした。
それに業を煮やしたのか夕方には巡査部長が具足さんの家にやってきて、「娘が無実だった場合は名誉毀損で訴える」と怒りをあらわにするみち子さんの父親に対して、「みち子さんは確実にクロだ。首を賭けてもいい」と言い切ったそうです。
この時、9日にやってきた刑事の言動を怪しんだ清治さんが機転を利かせてみち子さんの父親ら親族を家に集め、警察が来た時にみち子さんが1人で対応することないように配慮していたことから、巡査部長を追い返すことができました。
精神的に弱っていたみち子さんが1人でいるところに巡査部長が来ていたら、圧力に負けて警察署に着いて行ってしまったかもしれません。本当に恐ろしい話です。
事件を追う記者も脅していた?
警察官ネコババ事件にいち早く目をつけ、みち子さん濡れ衣を晴らすべく記事を書き続けていた読売新聞の中山記者にも、井上署長は圧力をかけていました。
井上署長は中山記者に、彼の上司にあたる府警キャップとの関係をにおわせ、「あんたをクビにするくらい簡単や」「あんな記事出して、恥かくぞ」と脅しをかけたそうです。
これを聞いた中山記者は怯えるどころか「この人はクロだ」と確信。当時の府警キャップら上司も記事の公開に協力的であったため、事件を追い続ける決意を固めたといいます。
警察官ネコババ事件のその後① 不祥事隠蔽を認めない大阪府警
みち子さんの家に向かい「首をかけてもいい。奥さんはクロだ」と大見得を切ったにもかかわらず、大阪地検から逮捕状請求を却下され、みち子さんの逮捕は困難になりました。
さらに3月6日に中山記者の記事が読売新聞の朝刊に掲載されたことから、警察官ネコババ事件は世間の知るところとなり、事態を重く見た大阪府警察は事件の管轄を堺南署から知能犯事件を扱う捜査第二課に移し、捜査を進めます。
すると堺南署の捜査で報告された以下の証言や証拠は、虚偽であると判明したのです。
証言①「みち子さんが来た時、槙塚台派出所には誰もいなかった」
実はみち子さんが派出所に出入りしているのを目撃した人は複数いたうえ、派出所にヘルメットを被った警官がいたのを見た人もいた。しかし、この目撃者は警察に話をしにいっても相手にされなかったとのこと。
証言②「郵便局側から府道沿いの歩道を歩いて派出所に向かうみち子さんの姿を見た」
郵便局側からは歩道は見えず、どう考えても虚偽の証言。
証拠として出されて現金の入っていた封筒の紙片
落とし主の男性によると「封筒を落としたのは2月6日で、封筒の紙片が発見されたのは2月10日、屋外でと聞いている。6日は非常に季節風が強かった。10日までスーパーの敷地内に紙片が残っているとは考えにくい」とのこと。
こうして3月25日、拾得物の15万円を横領していたのは西村巡査であったことが明らかになります。
さらに証言や証拠の捏造も判明し、世間からは大阪府警への疑いの目が向けられました。
ところが、再捜査後の記者会見でも大阪府警は無実のみち子さんに故意に罪を被せようとしたことを認めず、「容疑者と誤認してしまった」と、あくまでも過失でみち子さんを疑ったという体を装ったのです。
当然ながら会見に参加した記者からは批難の声が巻き上がり、「誤認」という言葉はすぐに撤回されました。
しかし社会の目は厳しく、記者会見翌日の新聞では「大阪府警がやろうとしたことは、逮捕監禁未遂ではないのか」といった意見も見られました。
なお、この記者会見は3月25日の深夜に開かれました。警察がこの日時に記者会見を開いた理由についても「3月24日に上海列車事故があり、そのことに世間の興味が集中しているため、他の事件は世間に知られずに有耶無耶にできる」と考えたからだと指摘されています。
警察官ネコババ事件のその後② 慰謝料請求訴訟
出産を控えた大切な時期に身に覚えのない罪を着せられかけ、母子ともに追い詰められた具足みち子さん。
みち子さんの夫や親族らは大阪府警に対して慰謝料請求訴訟を起こし、7月15日の第1回口頭弁論で府警側は全面的に事実関係を認めて200万円を支払うことを承諾しました。
和解のようなかたちですんなりと慰謝料請求訴訟が終わった理由として、裁判が長引くほど、堺南署がおこなった不祥事の詳細が明らかになり、またマスコミに報道されると考えたからだといわれています。
なお、みち子さんは受け取った200万円を全額、冤罪防止運動団体へと寄付しています。
警察官ネコババ事件のその後③ 犯人の巡査や署長らの現在
警察官ネコババ事件の犯人である巡査や、署長らには以下のような処罰が下りました。
西村正博巡査
懲戒免職処分。刑事罰としては業務上横領罪で起訴されたが、金額が軽微なことなどから起訴猶予処分となる
井上正雄署長
減給処分を受けて引責辞任。
谷口寿一副署長
戒告と警務部付に更迭。なお、事件が解決した翌月の4月には一時的にではあるが曽根崎署副署長に就任(栄転)していた。
馬場博警ら課長
戒告と警務部付に更迭。
無実の市民を陥れようとしていたにもかかわらず、警察官ネコババ事件では誰も刑事罰を受けていないことがわかります。
この点については現在も「警察は市民に厳しく身内に甘い」「こんなだから、冤罪が起きるんだ」といった批判の声が見られます
警察官ネコババ事件のその後④ 読売新聞大阪社会部が書籍を刊行
警察官ネコババ事件が解決した背景には、井上署長らの脅しにも負けずにを追い続けた中山記者をはじめとする、読売新聞大阪社会部の活躍がありました。
中山記者や上司が早々に事件調査から手を引いていたら、大阪府警も動かず、みち子さんは冤罪で逮捕されていたおそれさえあります。
みち子さんの無実が証明された後も、中山記者らは冤罪事件を風化させまいと慰謝料請求訴訟まで追い続け、新聞に記事を連載し続けました。
本書『警察官ネコババ事件―おなかの赤ちゃんが助けてくれた』は、中山記者らの執念とも言える取材がまとめられた手記であり、日本新聞協会賞も受賞しています。
警察官ネコババ事件についてのまとめ
今回は1988年に発生した大阪府警の一大不祥事、警察官ネコババ事件について紹介しました。
とても考えられないような理由で、何の罪もない市民が濡れ義務を着せられたという恐ろしい展開を見せた警察官ネコババ事件。
この事件に関与していた堺南署の警察官は幹部と専従捜査班のみとごく僅かだったそうで、後に不祥事揉み消しがおこなわれたいたことを知った警察官や刑事からは「恥ずかしい限りだ」「ふざけるなと言いたい」と憤りの声があがったといいます。
このような事件があると、一市民としては「警察は怖い。何かあっても頼れない」と思ってしまいます。真面目に働いている警察関係者の方々のためにも、私欲のために不祥事を起こすのはやめてもらいたいものです。