中村橋派出所警官殺害事件の犯人/柴嵜正一の現在!生い立ちと家族や結婚・今も死刑執行されない理由など総まとめ

1989年に元自衛官が派出所を襲撃し警察官2名を殺害した「中村橋派出所警官殺害事件」が注目されています。

 

この記事では中村橋派出所警官殺害事件の詳細、犯人の柴嵜正一の生い立ちや経歴、家族や結婚、死刑判決の確定や現在も死刑執行されない理由などについてまとめました。

この記事の目次

中村橋派出所警官殺害事件は警官2名が元自衛官に襲撃され殺害された事件

 

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「中村橋派出所警官殺害事件」は、1989年5月16日の午前2時50分頃に発生した強盗殺人事件です。

 

犯人は柴嵜正一という当時20歳の男で、西武鉄道池袋線の中村橋駅から南へ約20メートルにある「中村橋派出所(現在の中村橋交番)」を襲撃し、勤務していた警察官2名をサバイバルナイフで刺して殺害しました。

 

犯人の柴嵜正一の犯行の動機は、銀行強盗などに使うための拳銃を奪う事でしたが、被害者の警察官2人の抵抗で拳銃強奪には失敗しています。

 

派出所勤務中の警察官2名同時に殺害された事件は当時の社会に衝撃を与えました。ここではこの「中村橋派出所警官殺害事件」の詳細な内容や犯人の柴嵜正一の生い立ちや家族、結婚、裁判での判決、現在などについて順番に紹介していきます。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の詳細① 犯行計画と準備

 

「中村橋派出所警官殺害事件」の詳細を時系列順に見ていきます。

 

 

 

犯人の柴嵜正一は事件前に細かく犯行計画を練っていた

 

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犯人の柴嵜正一は、10代の頃から「大金を得るためには銀行強盗などをするしかない、そのためには拳銃を手に入れなくてはならない」という考え方を持っていました。

 

1989年5月11日頃、柴嵜正一は、当時1人で住んでいた自宅アパート(中野区上鷺宮三丁目14-13)から東へ300メートルほどの場所にある「中村橋派出所」(練馬区中村北四丁目2-4)を襲撃して拳銃を奪う事を企てました。

 

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そして、柴嵜正一は具体的な犯行方法として、「深夜人通りの少ない時間に警察官が1人で派出所にいる時を狙う」、「2年前から保有していたサバイバルナイフ(鋼製両刃・刃体の長さ約17cm)で警察官を背後から刺し、拳銃を奪って自宅へと逃げ戻る」事を計画。

 

さらに、柴嵜正一は当時、近所のコーヒー豆挽き売り店でアルバイトをしており、犯行の翌日に勤務先の人と会わないで済むようにという理由から、勤務先の定休日である火曜日の前夜にあたる5月15日の夜から翌16日の未明にかけて犯行を実行に移す事を決めています。

 

 

 

柴嵜正一はレンタカーを借り双眼鏡を購入するなど犯行準備も周到に行なっている

 

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犯人の柴嵜正一は、1989年5月15日の9時頃、犯行に使用するためにレンタカーを予約した後、13時から16時にかけて自動車教習所で二輪免許限定条件解除の教習を受けています。(普通免許を取得していたが運転技術に不安があったのか継続して教習を受けていた)

 

そして、18時頃にレンタカー店にてトヨタ・カローラを借り受け、そのままカローラを運転して豊島区東池袋の「ビックカメラ」へと赴き、犯行に使うための双眼鏡を購入しています。

 

その後、自宅へ戻った柴嵜正一は、黒い背広上下に着替え、双眼鏡を購入した際に受け取ったビッグカメラの紙袋にサバイバルナイフ、双眼鏡、緑色軍手(自衛隊で販売されていたもの)、タオル1枚などを入れてレンタカーに積み込み、そのままレンタカーを運転して「中村橋派出所」方面へと向かいました。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の詳細② 派出所の監視から犯行実行へ

 

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犯人の柴嵜正一は、犯行決行のタイミングを窺うため、「中村橋派出所」の東側約87.5メートルに位置する「西友中村橋店」の南側商品搬入口にレンタカーの後部を乗り入れた状態で路上駐車しました。

 

柴嵜正一は双眼鏡を使い車内から派出所内を監視していましたが、警察官は2名(山崎達雄巡査と小林利明巡査部長)おり、長時間見張っても一向に1人になる気配が見られないため、「派出所へと近づいて1人になった隙をついて襲うしかない」と判断。

 

柴嵜正一は、サバイバルナイフや軍手、タオルの入った紙袋を持って車を降り、徒歩で派出所へと接近し、近くの路上をうろつきながら警察官を襲撃するタイミングを窺っています。

 

そして、柴嵜正一は、午前2時50分前頃、山崎達雄巡査(当時30歳、事件後に警部補に特進)が、派出所正面入り口前で一時的に保管していた遺留品のバイクを派出所裏手の遺留自転車等保管場所へと移動させる作業に移ったのを確認。

 

柴嵜正一は背後から山崎達雄巡査に接近し背中をサバイバルナイフで突き刺しました。山崎達雄巡査は刺されながらも振り向いて抵抗してもみ合いになり、柴嵜正一はさらに山崎達雄巡査の胸部などを突き刺して致命傷を負わせました。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の詳細③ 駆けつけた小林利明巡査部長も殺害

 

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柴嵜正一は山崎達雄巡査に致命傷を負わせた後、山崎達雄巡査が腰に携帯していた拳銃を奪おうとしますが、山崎達雄巡査は致命傷を負いながらもなおも抵抗したため奪う事ができませんでした。

 

そこへ、異常を察知して派出所内から小林利明巡査部長(当時35歳、事件後に警部に特進)が駆けつけ、警棒を構えながら「おい!」と声をかけました。

 

柴嵜正一は咄嗟に「このままでは捕まる、この警察官(小林利明巡査部長)を殺害して拳銃を奪い逃げよう」と考え、小林利明巡査部長が振り上げた警棒を左手で払い除けながら、右手に持ったサバイバルナイフで小林利明巡査部長の胸部を突き刺しました。

 

小林利明巡査部長は刺されながらも怯まずに抵抗して路上に転倒したままもみ合いとなりますが、柴嵜正一はさらに小林利明巡査部長の胸部などを複数回にわたって刺し、致命傷を負わせました。

 

柴嵜正一はその上で小林利明巡査部長の拳銃を奪おうとしますが、これも小林利明巡査部長の必死の抵抗に遭って失敗。小林利明巡査部長はそのまま拳銃を抜いて反撃に出ようとしますが、それを見た柴嵜正一は逃走。小林利明巡査部長は逃げる柴嵜正一に3発の威嚇射撃を行っています。

 

小林利明巡査部長は瀕死の重傷を負いながらも、派出所内へと戻り事件の発生を本部に通報しています。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の詳細④ 犯人の柴嵜正一は逃走後に証拠を隠滅

 

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通報を受けた警視庁はすぐに周辺に規制線を張り、現場となった「中村橋派出所」周辺の通りには、パトカー、鑑識や機動捜査隊、捜査一課の車両がひしめき、捜査員や警備のための警察官が周囲に溢れて騒然とした状況となりました。

 

被害者の警察官2名は、小林利明巡査部長が同日午前3時55分頃に、山崎達雄巡査が同日午前4時18分頃に亡くなっています。(共に死因は失血死)

 

 

一方、犯人の柴嵜正一は現場から逃走後、レンタカーを放置したまま自宅方面へ全力疾走して逃げ、近所のクリーニング店前の水道で返り血を洗い流した後、身を隠しながら自宅へと逃げ戻っています。

 

翌朝(5月16日朝)、柴嵜正一はテレビニュースを見て事件後の様子を探った後、現場近くに放置していたレンタカーを取りに戻り、午前8時頃にレンタカー営業所に返却しています。

 

この時、左側のドアと右後ろバンパーが数カ所凹んでいたため、柴嵜正一はレンタカー店員に「運転中に路地でぶつけてしまった」などと説明しています。営業所が保険請求手続きのために事故を警察に届け出るように求めたところ、柴嵜正一は動じる事なくそれに応じて、野方署鷺宮駅前派出所へと出頭して手続きを行っています。

 

そして、柴嵜正一は5月18日か19日の21時頃(柴嵜本人の記憶が曖昧で18日か19日かはっきりしない)に、犯行に使用したサバイバルナイフと、犯行時に着ていた衣服、靴、軍手などを紙袋に入れて電車を使って事件現場から約6km離れた武蔵関公園に捨てて証拠隠滅を図っています。

 

しかし、紙袋には指紋が残され、靴を入れていたビニール袋は柴嵜正一がいつも買い物に使っているコンビニのもので、証拠隠滅の方法は極めて杜撰でした。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の詳細⑤ 警察による捜査

 

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警察官2名が亡くなった事を受けて、警視庁捜査一課・練馬警察署は殺人事件として特別捜査本部を設置して捜査を開始しました。

 

身内である警察官が2名も殺害された事件である事から警察の捜査への力の入れ方は凄まじく、各地の警察署からの応援も含めて通常の2倍以上の200人以上での捜査体制が敷かれています。

 

犯人の柴嵜正一は近隣住民として、捜査官の聞き込み捜査を受けていますが、平然とした様子で、「大変な事件が起きて、本当にごくろうさまです。早く犯人が捕まるといいですね」などと捜査員に労いの言葉までかけており、捜査本部でも当初、柴嵜正一に対して「事件とは無関係」という心証を持っています。

 

しかし、現場近くの歩道に、サバイバルナイフの鞘、タオル、軍手などが入った「ビックカメラ」の紙袋が残されており、柴嵜正一が逃走した経路には被害者らの返り血による血痕、柴嵜が返り血を洗い流したクリーニング店前の水道でも血痕が検出されるなど、手がかりが次々と発見されました。

 

5月21日には武蔵関公園・富士見池で柴嵜正一が捨てた、犯行に使ったサバイバルナイフ、双眼鏡のレンズカバー、血痕の付着した衣服や靴などが発見されます。現場近くで発見された鞘にサバイバルナイフが収まる事、現場に残された足跡と発見された靴が一致する事などにより、これらが犯行に使用されたものである事が断定されました。

 

そして、現場に残されていたビッグカメラの紙袋と、武蔵関公園に捨てられていた証拠品の一部から犯人のものと思われる同様の指紋が検出されます。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の詳細⑥ 犯人・柴嵜正一の逮捕

 

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捜査本部はその後、周辺の聞き込みや犯人像の分析などによる絞り込みを行い、6月に入る頃には容疑者として柴嵜正一が浮上。

 

6月6日には捜査員が柴嵜正一の自宅を訪れて任意での事情聴取を行なっています。この時も柴嵜正一は動揺は全く見せずに落ち着き払っており、捜査員の「今日、署に来てもらえますか?」との求めにも「わかりました。今(自動車)教習所に行っているので終わってからでもいいですか?」と答え、約束通りその日の夕方に練馬警察署を訪れています。

 

あまりにも柴嵜正一の態度が堂々としているため、捜査本部はこの時点ではまだ、シロでもクロでもない灰色と見て、柴嵜正一を犯人かどうか見極め兼ねています。

 

最初の事情聴取の翌日の6月7日、再び捜査本部は柴嵜正一を警察署に呼び、「念のため、指紋をとっていいかな」と求めました。柴嵜正一はこれにも動じず「別にいいですよ」と素直に応じています。

 

この指紋が犯人が残していた指紋と一致した事から、捜査本部はついに柴嵜正一を犯人だと断定し、翌日6月8日早朝に柴嵜正一を任意同行して取り調べを行いました。

 

当初、柴嵜正一は犯行を否認していましたが、捜査員に被害者の遺族についての話をされると、突然目に涙を浮かべて泣き始め、「すみません。僕が犯人です」、「申し訳ない事をしました」と泣きじゃくりながら自供しています。

 

これを受け、その日の午後に捜査本部は柴嵜正一を殺人の容疑で逮捕しました。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の犯人・柴嵜正一の情報

 

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「中村橋派出所警察官殺害事件」の犯人の柴嵜正一は、身長167cm、体重は60kgほどの小柄な体格でした。性格も大人しく物静かで、これまでに喧嘩沙汰や犯罪行為を起こした事は1度もありませんでした。

 

ただ、事件を起こす2ヶ月前の1989年3月まで陸上自衛隊に勤めており、しかも近接戦闘訓練も受ける小銃部隊に所属していました。

 

また、柴嵜正一はかなりのミリタリーマニアだったとの情報も事件当時盛んに報じられていましたが、これは事実ではなかったとの見方もあります。

 

次の見出しから、犯人の柴嵜正一の詳しい生い立ちについて紹介していきます。

 

 

中村橋派出所警官殺害事件犯人・柴嵜正一の生い立ち① 家族と子供時代

 

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「中村橋派出所警官殺害事件」の犯人の柴嵜正一の生い立ちについて見ていきます。

 

柴嵜正一は、1969年1月1日に東京都板橋区で生まれています。家族は両親と妹で、モデルガンの型を作る仕事をしていた父親と、ポーラ化粧品株式会社志村橋営業所の所長だった母親に育てられています。

 

父親がモデルガンの型を作る仕事をしていたため、そうしたおもちゃが自宅あふれており、柴嵜正一が銃器に興味を抱くきっかけの一つとなったとも言われています。

 

しかし、家族関係は良好とはいえず、父親は競艇などのギャンブルにのめり込んで家の金を持ち出し、母親も仕事上のトラブルでストレスを抱え、家庭内の諍いが絶えなかったようです。

 

そんな環境の中、柴嵜正一は板橋区内の保育園を経て、1975年4月に板橋区立志村第六小学校に入学していますが、小学3年生に進んだ1977年に母親に妹と共に連れられて家を出て父親とは別居する事になっています。(1978年9月11日に両親は協議離婚)

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件犯人・柴嵜正一の生い立ち② 父親と別居も家族関係は劣悪

 

その後、柴嵜正一は母親と妹と3人で生活していましたが、1978年夏に母親の交際相手のトラック運転手の男性の自宅(埼玉県戸田市内)へと転がり込む事になります。これに伴い、柴嵜正一は戸田市立喜沢小学校へと転校しています。

 

しかし、母親の交際相手の長男は柴嵜正一の保育園時代の同級生で、当時から折り合いが悪く、事あるごとに柴嵜正一をいじめていました。

 

そして、トラック運転手も柴嵜正一の母親や自身の長男に対して日常的に暴力を振るっており、次第に柴嵜正一はこの生活に不快感を募らせるようになります。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件犯人・柴嵜正一の生い立ち③ 中学時代に母親がうつ病に

 

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柴嵜正一が14歳の中学生になっていた1983年、母親は交際相手からの暴力や仕事上のストレスなどによりうつ病を発症し、柴嵜正一は妹と共に食事の支度など家族の世話をする生活を余儀なくされています。

 

なお、柴嵜正一は小学生時代から銃器や刃物などの武器に興味があり、中学生時代にはモデルガンに強い興味を示しています。

 

中学1年生の時には、ライフル型のエアソフトガンを学校へ持ち込んで教師に注意を受けた事もあったようです。一方で勉強の成績は良く、理数系に関しては学校でも上位の成績を残していました。

 

基本的に真面目で大人しい性格で、周囲から孤立しているという事もなかったという事ですが、中学3年生の時に隣の男子に揶揄われた事にカッとなり、相手の頬をコンパスの針で刺して怪我を負わせています。

 

 

中村橋派出所警官殺害事件犯人・柴嵜正一の生い立ち④ 高校時代

 

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柴嵜正一は、1984年4月に浦和市立南高等学校(現在のさいたま市立浦和南高等学校)へと進学しています。

 

高校時代の柴嵜正一は全く目立たない生徒で、教師や同級生の印象にもあまり残っていなかったようです。成績も中程度で、運動は嫌いで球技大会にも「馬鹿馬鹿しい」と言って参加していません。

 

また、この頃からおかしな行動が目立つようになり、授業中にオペラグラスを使って黒板をじっと見始め、周囲がそれを見てクスクスと笑い出しても全く気にする事なくノートを取り続けていたそうです。教師がそれを注意しても柴嵜正一は一向にそれを止めず、周りからも気味悪がられています。

 

昼食時には必ず、菓子パンを一個かイワシやサバ缶などを1つだけ持ってきて食べ、それを周囲に揶揄われても無視し続けていたそうです。

 

友人も作らず、1人教室の隅でポツンといる事が多かったものの、突然「馬鹿野郎」などと叫び出したり、ハサミを持って真顔でクラスメイトを追いかけ回したりもしていたという事です。

 

さらに、柴嵜正一は写真に撮られる事を極端に嫌い、カメラを向けられると俯いたり人の影に隠れて頑なに拒否し、集合写真撮影でも1人だけその場を離れようとして注意されるなどしています。

 

高校時代の途中から柴嵜正一は哲学の本を好んで読むようになり、母親に「自分のやりたい事をやって自殺した人の話を知っている」などと話すようになっています。

 

一方、家族については、高校を卒業する数ヶ月前の1986年11月、母親はついに交際相手のトラック運転手と別れ、再び母親と妹の家族3人での生活へと戻っています。

 

この8年間に及ぶ母親の交際相手とその息子との特異な同居生活が、柴嵜正一の性格に影響したとの見方もあります。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件犯人・柴嵜正一の生い立ち⑤ 陸上自衛隊に入隊

 

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1987年3月に高校を卒業した柴嵜正一は、家族と離れて自活しようとの気持ちを抱き、自衛隊への就職を希望し、同年3月25日付で陸上自衛隊に採用されています。

 

柴嵜正一は、滝ヶ原駐屯地(静岡県御殿場市)の普通科教導連隊に配属され、約4ヶ月の教育過程を経て、同年9月に同連隊小銃手として配置されています。ちょうど19歳になった1988年1月1日には一等陸士に昇進、20歳になった1989年1月1日に陸士長へと昇進しています。

 

自衛隊では、柴嵜正一は「物静かで真面目なごく普通の隊員」と評価されており、調査書では「粘り強く計画性がある。射撃能力に優れている」との評価が記されています。実際に射撃の成績は同期30人中トップクラスだったようです。

 

この自衛官時代の1988年に柴嵜正一は事件当時居住していたアパートを借りており、非番の日はこの部屋に閉じこもって読書に耽っていたという事です。この頃は母親ら家族ともほとんど接触せずに1989年の元旦(20歳の誕生日でもある)もこの部屋で1人で過ごしています。

 

そして、柴嵜正一は1989年3月に任期満了で自衛隊を除隊しています。この時、上司からは就職先斡旋の提案も受けたものの、柴嵜正一は「フリーのアルバイターになるのが自分の夢」と言ってその申し出を断っています。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件犯人・柴嵜正一の生い立ち⑥ コーヒー豆店でアルバイト

 

自衛隊を除隊後、柴嵜正一は家族とは連絡を取らずに自衛官時代に借りたアパートで1人暮らしを始めています。

 

1989年4月9日から25日にかけて、自動車教習所の合宿に参加して普通自動車免許と自動二輪車免許を取得。同年5月2日からは東京都杉並区荻窪のコーヒー豆の挽き売り店でアルバイトを始めています。

 

このアルバイト先の店長からの評価は非常に高く、週4日、朝9時半から19時まで休まずに働き、仕事の30分前には必ずやってきて1度も遅刻する事はなかったようです。

 

コーヒー豆の焙煎も「やらせてください」と積極的に覚えようとするなど、仕事にも意欲的で、配達中にコーヒー豆1袋(600円)を落とした時には、雨の中2時間も探し回るなど責任感も非常に強かったという事です。

 

そして、このコーヒー豆店で働き始めてから2週間後の1989年5月16日、柴嵜正一は「中村橋派出所警察官殺害事件」を起こす事になります。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の犯人・柴嵜正一は結婚はしていない

 

生い立ちやこれまでの経歴でも見たように、柴嵜正一は結婚はしておらず独身です。「中村橋派出所警官殺害事件」を起こすまでの人生で女性と交際した事も1度もなかったようです。

 

事件を起こす直前にアルバイトをしていたコーヒー豆挽き売り店の店長に「彼女はいるの?」と尋ねられた時にも、柴嵜正一は「とんでもないっ」と答えており、自分の生まれ育った家族や母親の2度の結婚失敗を身近に見てきたトラウマから、彼女を作る事や結婚に関して拒否感を抱いていた向きもあったように思われます。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の犯人・柴嵜正一への判決は死刑

 

柴嵜正一は「中村橋派出所警官殺害事件」の犯人として逮捕され、1989年6月29日に強盗殺人、公務執行妨害、銃刀法違反の罪で起訴されています。

 

裁判で、柴嵜正一は「警察官から拳銃を奪おうとしたのは事実だが、殺すつもりはなかった」と主張して殺意を否認しています。

 

柴嵜正一は犯行動機については、「人生の勝者になるためには大金を手に入れるしかない」、「真面目に働いても大金は手に入らず、手に入れるのは銀行を襲うのが手っ取り早い」、「銀行を襲うには拳銃がいる、拳銃を手に入れるには警察官を襲うしかない」などと供述しています。

 

柴嵜正一は拳銃を手に入れる事に拘った理由については、「銀行強盗では窓口で100万円単位程度の金しか奪えない、億単位の金を手に入れるには『3億円事件』のように現金輸送車を襲撃するしかないと思った。そのためには拳銃がいると思った」などと供述しています。

 

1991年5月27日に判決公判が開かれ、東京地裁は検察の求刑通り「死刑」の判決を言い渡しています。

 

柴嵜正一と弁護側はこの判決を不服とし、東京高裁に即日控訴しています。

 

控訴審では弁護側は柴嵜正一が犯行当時心神喪失状態だったとして無罪を主張しましたが、東京高裁は一審判決支持し、控訴を棄却する判決を言い渡しています。

 

柴嵜正一と弁護側はこの判決も不服として最高裁に上告していますが、上告審でも判決は覆らず、一審と二審の判決を支持して上告を棄却する判決を言い渡し、1998年9月17日に死刑判決が確定しています。

 

 

 

中村橋派出所警官殺害事件の現在…柴嵜正一の死刑は執行されていない

 

出典:https://stat.profile.ameba.jp/

 

現在、「中村橋派出所警官殺害事件」から33年、死刑判決確定から24年が経過していますが、未だに犯人の柴嵜正一の死刑は執行されていません。

 

柴嵜正一の死刑が現在まで執行されていない理由は、柴嵜正一が精神を病んでおり意思の疎通すら困難な状況にあるためだと言われています。

 

これについては、柴嵜正一と「中村橋派出所警官殺害事件」について追っている方が証拠をインターネット上で示しておりおそらく事実であろうと見られています。

 

柴嵜正一は2023年1月1日の誕生日で「54歳」になるはずです。

 

柴嵜正一の妹や母親など家族の現在などについては情報がなく不明です。

 

 

 

まとめ

 

今回は1989年5月16日に東京都練馬区中村北4丁目の中村橋派出所で発生した「中村橋派出所警官殺害事件」の詳細や犯人の柴嵜正一についてまとめてみました。

 

「中村橋派出所警官殺害事件」は「大金を得るためには銀行強盗をするしかない、そのためには拳銃を手に入れる必要がある」という考えを動機にし、当時20歳で元自衛官の経歴を持つ犯人・柴嵜正一が自宅近所の派出所を襲撃し勤務していた警察官2名をサバイバルナイフで刺して殺害した事件です。

 

被害者の警察官2名の必死の抵抗によって拳銃強奪は失敗に終わり、現場から逃亡した犯人の柴嵜正一は事件から約3週間後に逮捕されました。

 

犯人の柴嵜正一はポーラー化粧品の営業所所長だった母親と、モデルガンの型を作る仕事をしていた父親、妹の4人家族で育った生い立ちを持ちますが、父親がギャンブルにのめり込んだ事から家庭は崩壊し、柴嵜正一は小学生の時に母親に連れられて家を出ています。

 

その後は、母親の交際相手の家に身を寄せて成長しますが、この交際相手は暴力を振るう人物で、こうした良好とは言えない家族の環境で成長した生い立ちを持つ事が柴嵜正一の性格に影響を及ぼしたとも言われています。

 

また、柴嵜正一は結婚はしておらず、彼女ができた事も1度もなかったようです。母親が2度の結婚に失敗したのを身近で見ていることから、結婚に拒否感を抱いていたとの見方もあるようです。

 

柴嵜正一は逮捕後の裁判で死刑判決を受けて確定していますが、2022年12月の現在も死刑は執行されていません。

 

死刑が現在まで執行されていない理由は、柴嵜正一が意思の疎通が困難なほどの精神を患っている状態にあるためだと言われています。

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