2018年に教育虐待の果てに母親を殺害した桐生のぞみの犯行の経緯や壮絶な生い立ちが注目されています。
この記事では桐生のぞみの起こした事件の概要、生い立ち、父親や母親などの家族、高校や大学などの学歴、事件の動機や、判決内容、現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
- 桐生のぞみは教育虐待の果ての母親殺害死体損壊遺棄事件の犯人
- 桐生のぞみが起こした母親殺害死体損壊遺棄事件の概要
- 桐生のぞみの生い立ち① 母親の教育方針により医師を目指す
- 桐生のぞみの生い立ち② 医学部受験に失敗し9年浪人
- 桐生のぞみの生い立ち③ 今後は助産師になる事を強要され看護学科へ進学
- 桐生のぞみの生い立ち④ 看護師の内定を得るも母親に猛反対され罵倒も
- 桐生のぞみの家族① 父親はメンテナンス関係会社勤務で仕事の都合で別居
- 桐生のぞみの家族② 母親で事件の被害者の桐生しのぶさん
- 桐生のぞみの実家は滋賀県守山市水保町
- 桐生のぞみの学歴① 出身高校
- 桐生のぞみの学歴② 滋賀医科大学医学部看護学科
- 桐生のぞみの犯行動機は母親からの教育虐待と束縛により追い詰められた事
- 桐生のぞみの事件の裁判での判決は懲役10年の実刑
- 桐生のぞみの現在
- まとめ
桐生のぞみは教育虐待の果ての母親殺害死体損壊遺棄事件の犯人
桐生のぞみ(事件発覚当時31歳)は、滋賀県守山市の実家で同居する母親の桐生しのぶさん(事件当時58歳)を包丁で刺して殺害し、遺体をノコギリでバラバラにして遺棄したとして、2018年に逮捕された女です。
逮捕後の報道では、桐生のぞみが、殺害した母親の桐生しのぶさんから、子供の頃から異常な束縛と教育虐待を受けていた事が明らかにされ社会の注目を集めました。
この記事では、この殺人犯の桐生のぞみに焦点を当て、事件の概要と、その動機ともなった母親からの苛烈な教育虐待と束縛を受け続けた生い立ちなどを中心にまとめていきます。
桐生のぞみが起こした母親殺害死体損壊遺棄事件の概要
裁判記録や当時の報道などを元に、桐生のぞみが起こした母親殺害死体損壊遺棄事件を時系列順に見ていきます。
2018年1月19日、桐生のぞみが母親を包丁で刺して殺害
2018年1月19日の夜、桐生のぞみは、滋賀県守山市の実家にて、自分にマッサージをさせて眠っていた母親の桐生しのぶさんの首の左側を隠していた包丁で刺しました。
桐生のぞみは、刺された母親のしのぶさんが「痛い」と言った事に恐くなり、さらに1、2回首を刺してしのぶさんを殺害しました。
母親を殺害したすぐ後、桐生のぞみは自身のTwitterに「モンスターを倒した。これで一安心だ。」とツイートしています。
モンスターを倒した。
これで一安心だ。— ぽん太のおかん (@okanofponta) January 19, 2018
桐生のぞみは殺害した母親の遺体を横目に、当時放送されたテレビ朝日系ドラマ「BG~身辺警護人~」を観た後、母親の遺体に毛布をかけて、その日はそのまま眠りについています。
2018年3月10日までに母親の遺体をバラバラに切断して遺棄
その後、桐生のぞみは母親の遺体をノコギリを使ってバラバラに切断し、両手と両足は燃えるゴミとして出し、残った胴体部分は丸型ペールに入れて、自宅から東に約250メートルに位置する守山町今浜町の旧野洲川の河川敷に運び遺棄しました。
同年3月中に母親のしのぶさんの胴体部分の遺体が発見された事で事件が発覚。
2018年6月5日、桐生のぞみが死体遺棄容疑で逮捕される
桐生のぞみは、同年6月5日に死体遺棄容疑で滋賀県警察に逮捕されています。
滋賀県守山市の河川敷で3月に女性の胴体が見つかった事件で、県警は5日、母親の遺体を遺棄したとして、同県草津市笠山7丁目、看護師桐生(きりゅう)のぞみ容疑者(31)を死体遺棄容疑で逮捕したと発表した。「やっていない」と容疑を否認しているという。
その後、桐生のぞみは同年9月に殺人容疑でも再逮捕されています。
逮捕後の報道などで、犯人である桐生のぞみが、殺害した母親のしのぶさんから子供時代から過剰な束縛や、本人の意思に反して度を越した勉強を強要する「教育虐待」を受け続けていた事が判明し、その異常な生い立ちにも注目が集まりました。
次の見出しから、現在までに判明している桐生のぞみの生い立ちについてみていきます。
桐生のぞみの生い立ち① 母親の教育方針により医師を目指す
桐生のぞみは、この事件の被害者で母親の桐生しのぶさんと会社員の父親の間に一人娘として生まれています。2018年に事件を起こすまで、その事件現場となった滋賀県守山市水保町の実家で育ったようです。
小学校高学年の頃に仕事の都合で父親が別居し、その後は母親と2人きりでこの実家で暮らしていたという事です。
母親は、桐生のぞみに将来は医者になるように求めて、幼い頃から通信教材を与えるなどして、本人の限度を超えるような勉強量を強要していたようです。
子供時代には、桐生のぞみも手塚治虫の漫画作品「ブラックジャック」に憧れるなどし、本人の意思で外科医師になる夢を抱いていたという事です。
しかし、中学生や高校生時代には成績が伸び悩むようになり、次第に本人の医者になりたいという意思は弱まっていったようです。
桐生のぞみの生い立ち② 医学部受験に失敗し9年浪人
桐生のぞみの医者になりたいという望みは薄れ成績も下降していましたが、母親の桐生しのぶさんは娘を医者にするという願望を変える事なく、桐生のぞみに自宅から通える県内の国公立大の医学部医学科に進学するように求め続けたようです。
桐生のぞみは母親の言いつけ通りに、2005年に現役で国立大の医学部保健学科を受験していますが、結果は不合格でした。この時、母親のしのぶさんは見栄を張るためか、親族には娘が医学部に合格したと嘘をつき、桐生のぞみにも話を合わせるようにと強要しています。
桐生のぞみはこの時、母親の過剰な束縛から逃れようと、就職も考えたようですが、未成年だった事もあって母親の同意を得られずに実現しませんでした。
この最初の大学の不合格から、桐生のぞみの母親は娘への束縛を異常に強め、常に監視できるようにするためか一緒に入浴するように求め、持っていた携帯電話も取り上げています。
その後、桐生のぞみは毎年医学部を受験しますが、結果は全て不合格で、なんと最初の不合格から9年間もの浪人生活を送っています。
この期間中、桐生のぞみは母親のあまりにも異常な束縛に耐えかねて、3度家出を試みていますが、母親は探偵を雇い、警察にも捜索願いを出すなどして探し、その度に桐生のぞみさんは実家へと連れ戻されています。
桐生のぞみの生い立ち③ 今後は助産師になる事を強要され看護学科へ進学
9年の浪人生活を経て、母親はついに娘の医学部進学を諦めますが、今度は助産師になる事を求めました。
母親の意向を受けて、桐生しのぶは、滋賀医科大学の医学部看護学科を受験し合格、2014年4月に入学しています。
この大学で学ぶうちに、桐生しのぶは手術中の医師をサポートする「手術室看護師」を志望するようになります。そして大学2年の終わり、桐生しのぶは助産師課程への進級試験に不合格となり、これをきっかけに、一時は収まっていた母親の異常な束縛が再び始まったようです。
桐生のぞみの生い立ち④ 看護師の内定を得るも母親に猛反対され罵倒も
2017年の夏、大学4年生になっていた桐生のぞみは、滋賀医科大学の附属病院に看護師の内定を得ていました。
しかし、母親はそれを許さずに、内定を辞退して、改めて助産師学校へと進学するように求めました。さらにこの時に母親は、就職を辞退し助産師学校へと進学する事を約束する誓約書まで桐生のぞみに書かせています。
そのすぐ後の2017年12月、母親は、桐生のぞみが自分に内緒でスマートフォンを隠し持っていた事に気がつき、激怒して桐生のぞみを自宅の庭に土下座させてその様子を撮影したのち、取り上げたスマートフォンを叩きつけて破壊。さらにその後、母親は所有を許可していた桐生のぞみのもう1つの携帯電話宛に「ウザい!死んでくれ!」などと記したショートメールを送りつけています。
この頃に、桐生のぞみは母親を殺害する事を考え始めたようです。
2018年1月、桐生のぞみは母親の希望の通り助産師学校を受験しますが不合格となります。この時、桐生のぞみは「看護師として就職したい」と母親に伝えますが、これに母親は激怒し「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」などと罵倒しています。
桐生のぞみは、この時に母親を殺害する事を決意したようで、インターネットで刃物を使っての自殺方法は、頸動脈を切って人を即死させる事ができるかなどを調べています。
そして、ついに桐生のぞみは同年1月19日に母親を殺害するに至ったのでした。
桐生のぞみの家族① 父親はメンテナンス関係会社勤務で仕事の都合で別居
続けて、桐生のぞみの家族についてもみていきます。
生い立ちのところでも触れていますが、桐生のぞみの父親はメンテナンス関係の仕事をする会社員で、桐生のぞみが小学校高学年の頃に家族で暮らしていた自宅から、会社の社員寮に1人で移り、その後、事件が起こる2018年まで妻と娘とは別居状態でした。
昼夜を問わずメンテナンス関係の仕事をしていた会社員の父は、小学校高学年の頃に社員寮に別居。それ以来、のぞみ被告は母と2人暮らしだった。
実質、父親のいない母子家庭のような状態で長年生活を続けていた事が、母親の異常な束縛や教育虐待につながったのではという見方も一部から出ているようです。
桐生のぞみの家族② 母親で事件の被害者の桐生しのぶさん
桐生のぞみに殺害されたのは、実の母親の桐生しのぶさんでした。
この母親・桐生しのぶさんは、工業高校の卒業で学歴にコンプレックスを持っていたようで、一人娘の桐生のぞみに医学部へ進学し医者になる事を強く求めたようです。
この母親は桐生のぞみに対して、事あるごとに、「公立高校から東大や国公立医学部へ進学するのが滋賀県民のエリートコース」と言い聞かせ、自分自身の最終学歴が高卒である事をとても悔やんでいる様子を見せていたという事です。
また、母親の実母の再婚相手が歯科医師だったそうで、その義父の存在を通じて、桐生しのぶの母親は医師が社会的に高い地位を得ている事を肌で感じており、それが自身の強い学歴コンプレックスと合わさって、桐生しのぶへの教育虐待へとつながったとも見られています。
桐生のぞみの実家は滋賀県守山市水保町
桐生のぞみが母親の桐生しのぶを殺害した現場となった実家は「滋賀県守山市水保町」にあるようです。
ただ、この実家の現在については不明ですが、別居していたという桐生のぞみの父親が管理している可能性が高いと思われます。
桐生のぞみの学歴① 出身高校
桐生のぞみの学歴についてもみていきます。
桐生しのぶの出身高校は現在のところわかっていませんが、母親から「県内の公立校を経て国公立の医学部に行くのがエリートコース」などと言い聞かされて育ったという事なので、滋賀県内の公立高校の出身である可能性が高いように思われます。
ネット上では、桐生のぞみの出身高校の候補として、「滋賀県立膳所高校」(偏差値72〜76)、「滋賀県立守山高校」(偏差値68)、「滋賀県立彦根東高校」(偏差値68)などの名前が上がっています。
桐生のぞみの学歴② 滋賀医科大学医学部看護学科
生い立ちのところでも触れましたが、桐生のぞみは高校卒業後は実家から通える国公立の医学部保健学科を目指して受験を続けてきましたが、9年間の浪人生活を送った後に医学部への進学は諦めています。
その後、母親からの医者が無理ならば助産師になれという要望に従う形で、国立の「滋賀医科大学」の医学部看護学科を受験し合格しています。
桐生のぞみの最終学歴である滋賀医科大学医学部看護学科の最新の偏差値は「53」となっています。(同学部医学科の偏差値は「65」)
詳しい経緯は不明ですが、桐生のぞみはこの滋賀医科大学で看護について学ぶうちに「手術室看護師」に興味を持ち、本心ではそちらの道へと進みたいと考えるようになっていたようです。
ところが、それでもなお母親は娘の生き方をコントロールしようとし続け、医師がダメならば助産師になれと桐生のぞみに求めて、ついに精神に限界を迎えた桐生のぞみは母親の殺害を決意するに至ったのでした。
桐生のぞみの犯行動機は母親からの教育虐待と束縛により追い詰められた事
ここまででも触れているように、桐生のぞみの母親は、一人娘である桐生のぞみに医師になれと求め続け、そのために異常な束縛をする「教育虐待」を長年続けていました。
桐生のぞみはそうした生活に長年耐えて、母親の求める通りに医学部の受験を続けてきましたが、失敗し続けて9年の浪人生活を送りました。2014年にはようやく看護師科への進学を認められますが、それは助産師になるという条件付きでした。
そして、桐生のぞみはこの大学生活を通じて本心では看護師になりたいと願うようになり、4年生時には大学の附属病院へ看護師として内定を決めていました。しかし、母親はなおも、桐生のぞみに、看護師の内定を辞退し、改めて助産師の学校へ進学するように求めました。
桐生のぞみは、最後まで母親の意向に沿おうとし、助産師学校を受験しますが、これに不合格になってしまいます。これを受けてついに、桐生のぞみは看護師になりたいと母親に対して本心を打ち明けますが、これに母親は激怒し桐生のぞみに罵声をぶつけています。
桐生のぞみの裁判での供述や、本人からの取材を元にした報道内容によれば、この瞬間に桐生のぞみは母親を殺害することを決意したようです。
以上から、桐生のぞみが実の母親のしのぶさんを殺害した動機は、長年にわたる母親からの教育虐待や束縛に追い詰められ疲弊していたところに、母親から心ない罵声を浴びせかけられた引き金となって殺意を芽生えさせ、また、自分の看護師になりたいという希望を叶えるため、引いては、自分自身の意思で自分の人生を生きていくためには母親の存在を消すしかないと考えるに至った事だと考えられます。
桐生しのぶの裁判(第一審)での判決文では、桐生のぞみの犯行動機を以下のように推認しています。
しのぶさんがのぞみ被告を助産師にするため、束縛や干渉を強めていったことを挙げ、「看護師になりたい希望をかなえるために(しのぶさんは)邪魔な存在だった」と動機を推認し、殺人罪の成立を認めた。
桐生のぞみの事件の裁判での判決は懲役10年の実刑
桐生のぞみは、母親・桐生しのぶさんに対する殺人、死体損壊、死体遺棄の罪で裁判を受けました。
桐生のぞみは裁判で、第一審では「母親は包丁で自ら首を切りつけて自殺した」と主張し、死体損壊と死体遺棄については認めつつも、「私は母親を殺していません」と、殺人罪については起訴内容を否認しました。
弁護側は、犯行当時、桐生のぞみさんが、母親からの長年の教育虐待により、心神喪失か心神耗弱の状態にあったと主張し、無罪、または執行猶予付きの判決を求めていました。
しかし、2020年3月、大津地方裁判所は、桐生のぞみが母親の殺害後に日常生活を送りながら犯行を隠蔽しようと行動している事などから完全責任能力があったとの判断を示し、また、解剖医の証言などを根拠に自殺の可能性はないとして殺人罪成立を認め、「懲役15年」の実刑判決を言い渡しました。
ただ、この判決時に裁判長は、桐生のぞみが母親から行き過ぎた干渉を受けて相当に追い詰められていたとして、犯行には同情の余地があると結論付け、「母に敷かれていたレールを歩み続けていたが、自分の人生を歩んでください」との説論を行っています。
この裁判長の説論が桐生のぞみの心を動かしたのか、この判決後、桐生のぞみは母親を殺害した事を控訴審で認めようと思うと弁護士に話しています。
その後、桐生のぞみの控訴審は大阪高裁で開かれ、2021年1月に一審判決から大幅に減刑された「懲役10年」の判決が下されています。
この判決を受けて、弁護側も検察側も控訴せずに刑が確定しています。
桐生のぞみの現在
懲役10年の実刑判決が確定した桐生のぞみは、現在は服役しているはずです。
しかし、桐生のぞみが現在、どこの刑務所に収監されているのかや、どのような様子で服役しているのかなどは情報が出ておらず不明です。
桐生のぞみは現在は36歳前後になっているはずです。
なお、桐生のぞみは刑が確定するまでは、大阪拘置所に拘置されていました。この時、桐生のぞみは母親と同年代の被告人らと8人の雑居房に入れられていたようです。この雑居房には、子供を持つ母親の被告人もいて、桐生のぞみはこの人々と話したことで、「私の母親がどんな風に私を思っていたのかを考えるようになった」と面会者に対して語っています。また、「母親の苦しみや焦燥をもう少しちゃんとわかればよかった」、「自分のしたことを後悔している」とも話していたという事です。
まとめ
今回は、2018年に実の母親を包丁で刺して殺害し、死体をバラバラに損壊して遺棄する事件を起こした桐生のぞみについてまとめてみました。
桐生のぞみは、子供の頃からは母親に医学部を卒業して医者になれと求められた生い立ちを持ちます。桐生のぞみはそのために母親からの異常な束縛を受け続け、風呂までも監視されるような日々を長年送っていたようです。
しかし、桐生のぞみは医学部の受験に落ち続け、9年の浪人生活の末に医者の道を諦めています。しかし、母親は医者がダメならば助産師になれと、再び娘の進路を自分の思い通りにしようとしました。
桐生のぞみは本心では看護師になりたいと思い、大学の附属病院に看護師としての内定を得ていましたが、母親はなおも、内定を辞退して改めて助産師を目指せなどと強要しました。
桐生のぞみは母親の意向に従い、助産師の学校を受験するもこれに失敗。この時に、桐生のぞみはようやく看護師になりたいと本心を打ち明けますが、母親はそれに激怒し、桐生のぞみに対して心ない罵倒を浴びせかけたようです。
これが直接的な動機となり、桐生のぞみは母親を殺害しました。
桐生のぞみは母親の遺体をバラバラに切断して遺棄しましたが、近所の河川敷に遺棄した胴体部分が発見されたことで犯行が発覚し逮捕されました。
その後の裁判では、犯行に至った経緯などに同情の余地があると認められたためか、第一審の懲役15年から大幅に減刑された懲役10年の判決が大阪高裁で下され確定しています。
現在、桐生のぞみは服役中ですが、どの刑務所にいるのかなどはわかっておらず不明です。