2008年に起きた秋葉原通り魔事件では、7人が死亡10人が負傷しましたが、おかしい点がいくつかあります。
秋葉原通り魔事件の詳細や場所、犠牲者、犯人の加藤智大の生い立ちや経歴、事件のおかしい点と真犯人、家族(父親・母親・弟)のその後と事件の現在をまとめました。
この記事の目次
秋葉原通り魔事件とは
秋葉原通り魔事件
発生日時:2008年6月8日
場所:東京都千代田区の秋葉原
犯人:加藤智大
事件内容:通り魔連続殺傷事件
被害者:17人(7人死亡)
秋葉原通り魔事件とは、2008年6月8日に東京の秋葉原で起こった通り魔事件です。犯人の加藤智大は、トラックで歩行者天国の交差点に突っ込み、次々に歩行者をはねた後、トラックを乗り捨てて、歩行者を刺し、7名を殺害しました。
犯人の加藤智大は、その場で警察官に取り押さえられて逮捕されました。逮捕後に加藤智大はインターネットの掲示板で犯行予告を行っていたこと、また、日本社会の問題点・格差社会の歪みが事件につながったのではないか?として、世間の注目を集めました。
秋葉原通り魔事件の詳細
秋葉原通り魔事件はどのようにして起こったのか?事件の詳細を見ていきます。
事件前
出典:nhk.or.jp
犯人の加藤智大は次の2つの事件を参考にしていました。
・2005年4月:仙台アーケード街ドラック暴走事件
・2008年3月:土浦連続殺傷事件
仙台アーケード街トラック暴走事件で人をはね飛ばして襲うこと、土浦連続殺傷事件からナイフで人を襲うことを考え、事件の2日前である2008年6月6日に福井県福井市のミリタリー輸入雑貨店でナイフ類6本を購入し、事件前日の6月7日に静岡県沼津市のレンタカー店で2トントラックを予約していました。
そして、事件当日の早朝、6月8日5時21分にインターネットの掲示板に「秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と犯行予告ともとれる文章を書きこんでいました。
トラックで交差点に突っ込んできた
出典:asahi.com
2008年6月8日は日曜日で秋葉原の中央通りは歩行者天国になっていて、歩行者出賑わっていました。
12時30分ごろ、神田明神通りと中央通りが交わる交差点に、加藤智大が運転する2トントラックが西側から東に向かって赤信号を無視して突入し、青信号で横断歩道を渡っていた歩行者5人をはねていきました。
トラックは歩行者5人をはねながら交差点を通過していき、対向車線で信号待ちをしていたタクシーと追突して停車しました。このはねられた5人のうち3人が死亡、2人が軽傷となっています。
ナイフで次々に通行人を刺す
出典:twitter.com
交差点付近にいた通行人・歩行者たちは、最初はトラックによる交通事故と思っていて、交差点ではねられた人たちを救命・救護していました。
そこに加藤智大がトラックからダガーナイフを持って降りてきます。加藤智大は奇声を上げながら、通行人たちを次々に刺していきます。被害者の多くは背後から背中や腰を刺されていたようです。
加藤智大は全部で12人を刺し、4人が死亡・8人が重軽傷を負いました。
警察官が制圧して逮捕
出典:youtube.com
奇声を上げながら犯人の加藤智大は、通行人を次々に刺していきましたが、事件発生直後に現場のすぐ近くにあった秋葉原交番から警察官が駆け付けます。そして、ダガーナイフを持った加藤智大と路地で対峙しました。
警察官は加藤智大に防護服を切りつけられますが、警棒をもって距離を詰め、警棒で側頭部を殴り、さらに拳銃を向けて加藤智大に武器を捨てないと、発砲すると警告しました。
加藤智大は観念したのか、その場にダガーナイフを捨て、警察官とその場に居合わせた非番の警察官が2人で加藤智大を取り押さえて、現行犯逮捕となっています。
裁判と判決
出典:bunshun.jp
逮捕後、犯人の加藤智大は精神鑑定が行われましたが、「完全な責任能力あり」という鑑定結果が出たたため、事件から約4ヶ月後の2008年10月に加藤智大を殺人・殺人未遂・公務執行妨害・銃刀法違反の罪で起訴しています。
裁判は2010年1月から東京地方裁判所で行われ、2011年1月に死刑が求刑されました。最終弁論では弁護側は死刑回避を求め、加藤智大本人は「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています」と反省の弁を述べていましたが、2011年3月24日に死刑判決が言い渡されました。
その後、加藤智大は控訴しましたが、2012年9月に控訴棄却の判決、さらに弁護側は「精神障害の疑いがある」として上告しました。
弁護側は最高裁でも「心神喪失もしくは心神耗弱の疑いがある」として死刑判決の破棄を求めましたが、2015年2月に一審・ニ審の判決を支持して、上告棄却の判決を出し、死刑が確定しています。
秋葉原通り魔事件の発生場所
秋葉原通り魔事件は東京都千代田区外神田で起こりました。
秋葉原駅のすぐ近く、秋葉原の電気街の大きな交差点でこの秋葉原通り魔事件は起こりました。
加藤智大は神田明神通りを秋葉原駅(山手線の線路方面)に向かって西にトラックを運転し、中央通りと交わる交差点で人をはね、山手線の線路まで約50mの地点で止まり、そこからダガーナイフを持ってトラックから降りてきて、次々に人を刺しました。
加藤智大が警察官2人に取り押さえられた場所は、サトームセン本店があった路地です。事件当時は空き店舗になっていて、現在は「GiGO 秋葉原3号館」となっています。
地図を見るとわかりますが、秋葉原駅の本当にすぐ近くで、繁華街のど真ん中で起こった凶行だったのです。
秋葉原通り魔事件の犠牲者
出典:gigazine.net
秋葉原通り魔事件は7人が亡くなり、10人が重軽傷を負いました。
<トラックではねられた人>
・19歳男性(東京情報大学2年):頭蓋骨による脳損傷
・19歳男性(東京電機大学2年):全身打撲・脳挫傷
・74歳男性(無職・元歯科医):全身打撲による胸部大動脈破裂
この男子学生2人はほかの友人2人ともに映画鑑賞のために秋葉原に来ていて、加藤智大が運転するトラックにはねられて亡くなっています。
元歯科医の男性は、2ヶ月前まで歯科医をしていて、4月に引退したばかりでした。医師の長男と2人で秋葉原に買い物に来ていて、犠牲となっています。
<ナイフで刺された人>
・47歳男性(無職):背部刺創
・31歳男性(会社員):右胸部を刺されて肺損傷・失血死
・21歳女性(東京芸大4年):腹部を刺されて大静脈損傷での失血死
・33歳男性(調理師):左腹部を刺されて動脈切断
21歳の女性は、目の前で男性がトラックではねられ(おそらく上記の元歯科医の74歳男性)、救助のためにその男性に駆け寄ったところを加藤智大に刺されたようです。
このほか10人が重軽傷を負いました。
<トラックにはねられてケガ>
・男子学生:腰の痛み(軽傷)
・男子学生:擦過傷(軽傷)
<ナイフではねられてケガ>
・男性タクシー運転手:右胸刺創(重体)
・男性会社員:背部刺創(重傷)
・男性会社員:腰部刺創(重傷)
・女性会社員:肺の刺創(重傷)
・男性派遣社員:背部刺創(重傷)
・女性大学職員:背部刺創(重傷)
・男性警察官:脇腹刺創(軽傷)
・男性フォークリフト技師:右前腕切創(軽傷)
この秋葉原通り魔事件では、その場にいた通行人が携帯電話などで119番通報をししましたが、12時36分に最初の119番通報が行われています。そして、それから7分後の12時43分には最初の救急隊が到着し、その救急隊からDMAT(災害派遣医療チーム)の出動の要請が入り、救急隊10隊・東京DMAT支援のための消防隊などが追加出動となりました。
最初の119番通報から13分後の12時49分には、救急隊5体が到着。12時55分には東京DMATチームが現場に到着して、救助活動を行いました。
この時には、救急隊が10隊以上、さらにDMATチームが4チーム活動し、救急活動はおおむね円滑に進んだと評価されています。それでも、7人の尊い命が亡くなったということは、犯人の加藤智大の凶行がいかにすさまじい悪意・暴力を持ったものだったかがわかります。
秋葉原通り魔事件の犯人は加藤智大
秋葉原通り魔事件の犯人は、加藤智大(かとうともひろ)です。事件当時は25歳でした。
加藤智大は高校は青森県内屈指の進学校に通っていましたが、母親との関係や本人の考え方などの問題もあり、いわゆるエリートのレールから早々にドロップアウトしていき、派遣社員として働くようになります。
エリートコースに乗っていたはずなのに、ドロップアウトしていき、社会的に孤立していく中で事件を起こしたことで、日本社会の問題点を映し出した事件になり、加藤智大は注目を集めました。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の生い立ち
加藤智大は、1982年9月28日に青森県五所川原市で生まれました。父親・母親・弟の4人家族で育ちます。
母親は県内屈指の進学校である青森県立青森高校を卒業していて、教育熱心なタイプでした。そのため、加藤智大はとても厳しく育てられています。母親による教育は、「教育・しつけ」の範囲を超えて、虐待とも呼べるようなもので、この母親との関係が加藤智大の人格形成に大きく影響を与えています。
・小学校の頃はそろばんやスイミング、学習塾などに通っていた
・友人の家に遊びに行くのも、友人を呼ぶのも禁止
・作文や読書感想文は先生ウケが良い内容を母親に無理やり欠かされた
・テレビは「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」だけ
この辺りは、「かなり厳しいご家庭・教育熱心すぎるご家庭」という範疇に入るかもしれませんが、加藤智大はそれ以外にも次のような虐待を受けて育ちました。
・食べるのが遅いとチラシにぶちまけた食べさせられた
・泣くと口にタオルを詰められる
・青森県の冬に薄着で外に出される
・九九が言えないと風呂に沈める
・作文で「この熟語を使った意図は?」という質問で10秒以内に答えられないとビンタ
加藤智大の母親は加藤智大や弟を支配していたようです。
・旅行先は母親が独断で決める
・進路は母親が決めた
加藤智大は自分は母親のコピーであると分析していました。また、死刑判決を受けた後に出版した本の中で、次のように分析しています。
〈(母親は)自分が絶対的に正しいと考えている人でした。母親の価値観が全ての基準です。その基準を外れると母親から怒られるわけですが、それに対して説明することは許されませんでした。(中略)
私のやり方も同様です。誰かが私に対して、私の価値観で間違ったことをしてくると、私は怒りました〉
引用:独占スクープ!「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(5/9)
加藤智大は母親に対して抵抗することなく、「悪いのはオレ」とすべて受け入れ、良い子を演じていました。
そのようなこともあり、加藤智大は小学校・中学校では成績優秀で、高校は母親の希望で母親の母校である県立青森高校に進学しました。青森高校は偏差値70という進学校です。
母親は異常なほど加藤智大に厳しく接していましたが、父親は息子を虐待する妻を見ても、黙って見ていたとのことです。
母親に厳しく虐待され、父親には助けてもらえず、加藤智大にとって両親は「実質他人状態」であり、逮捕後にはそのように供述しています。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の経歴
出典:asahi.com
高校から短大まで
母親の希望で県立青森高校に進学した加藤智大でしたが、高校に入ると、母親への反抗期が生まれたのか、まったく勉強しなくなりました。それどころか、母親に暴力をふるったり、素手で窓ガラスを割ったりしたこともあったようです。
そのため、母親は北海道大学工学部への進学を希望していましたが、学力的に無理で、中日本自動車短期大学自動車工学科に進学することになりました。
中日本自動車短期大学自動車工学科は卒業したものの、在学中はあまり勉強しなかったようです。2年生の夏以降はバイク部に入って、仲間たちとツーリングやバイクの整備などをしていましたが、出席日数が足りなかったため、成績は低迷し、2級自動車整備士の資格を取得しませんでした。
在学中は卒業後の進路は決めておらず、短大の担任教員には「中学校の教員になりたい」と話していて、地元青森県の大学への編入を希望していたようです。
加藤智大は、母親への犯行から大学ではなく短大に進学しましたが、逮捕後には大学に進学しなかったことは不利益であったため、後から考えれば損だったと話していました。
社会人になり職を転々
中学校の教員になることを希望していた加藤智大でしたが、大学に編入することはなく、短大を卒業後は宮城県仙台市でアパートを借りて1人暮らしを始めます。この時の資金は、母親が出してくれています。
そして、1人暮らしを始めて3ヶ月後の2003年7月には人材派遣会社に登録し、警備員として工事現場で車両を誘導する警備員として働きました。その後、半年で準社員となり、内勤に異動になっています。
2004年には母親から資金提供を受けて自動車免許を取得し、30万円の車を購入しています。また消費者金融から借金もしていました。
この会社に入った当初は。職場の人と仕事以外でも交友があり、トラブルや無断欠勤はありませんでしたが、2005年には職場の人間関係に不満を持ち、抗議の意思を表すために無断欠勤し、警備会社を退職しています。
その後は埼玉県上尾市の自動車メーカーで派遣社員として働き、その会社の独身寮に住んでいましたが、またまた人間関係に不満を持って無断欠勤して退職。
翌2006年にも茨城県つくば市で派遣社員として独身寮に住みましたが、また人間関係に不満を持って無断欠勤して退職しています。
その後、青森県の実家に身踊り、母親からお金をもらって大型免許を取得します。そして、2007年には青森の運送会社に大型輸送車の運転手として就職し、正社員になることができましたが、夏に2週間の休みをもらえなかったことに抗議するために、またもや無断欠勤をして退職しています。
・2003年7月:就職(派遣→準社員)
・2005年2月:人間関係に不満があり無断欠勤して退職
・2005年4月:就職(派遣)
・2006年4月:人間関係に不満があり無断欠勤して退職
・2006年5月:就職(派遣)
・2006年8月:人間関係に不満があり無断欠勤して退職
・2007年1月:就職(バイト→正社員)
・2007年9月:2週間の休みをもらえなかったため無断欠勤して退職
不満があると、すぐに無断欠勤して退職する癖があったようです。また、母親に自動車免許や大型自動車免許のお金を出してもらい、消費者金融等から借金して車を買ったりしていました。
また、茨城県で働きだした2006年5月ごろから、インターネットの掲示板に深入りするようになっています。
〈掲示板と私の関係については、依存、と一言で片づけてしまうことはできません。(中略)全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた、と説明します。空白とは、孤立している時間です。孤立とは、社会との接点を失う、社会的な死のことです〉
自分の心の隙間を掲示板に埋めてもらうような、依存的な使い方をしていたようです。
事件直前
そして、2007年11月に日研総業に登録して、静岡県裾野市の工場で派遣社員として働きます。青森県にいたころには、車関係で消費者金融からの借金は数百万円になっていましたが、それを踏み倒して逃げるようにして、静岡県にやってきています。
このころには、ネットの掲示板にどっぷり浸かっていたようです。
事件の約1ヶ月前の5月中旬に、職場で大量解雇の噂が広まりました。その時、加藤智大は、解雇されることへの不安・悩みを同僚に話していました。
しかし、6月3日には8月までの雇用継続が伝えられます。6月4日に「辞めなくても良くなった」と同僚に話しました。同僚は「良かったじゃないか」と伝えましたが、その言葉には無反応だったそうです。
その翌日の6月5日、仕事の作業場でツナギが見当たらず、加藤智大は「辞めろ」というリストラ宣告だと思い、すぐに帰宅しています。その約1時間後にツナギが発見されたというメールが来ますが、「お前らが隠していたんだろう。厄介払いができたから会社としては万々歳だろうな」と職場に不信感を抱くようになりました。
この時のことも、加藤智大は掲示板に書き込んでいました。そして、6月5日の午前10時44分に「明日福井に行ってくる」と書き込んでいます。実際に、6月6日には福井県でダガーナイフ類を6本買っています。
もともと、何らかの不満を抱えていましたが、この職場の解雇・ツナギ紛失騒動で、加藤智大は抑え込んでいたものが爆発し、秋葉原通り魔事件を起こすことを決意したのかもしれません。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の犯行動機
秋葉原通り魔事件の犯人の加藤智大の動機は、掲示板を荒らされたことです。
加藤智大はインターネットの掲示板に心理的に依存していました。
携帯電話向けの掲示板を複数使っていて、「不細工スレの主」として自虐的な書き込みを続けて、ほかのユーザーからの反応も良く、その掲示板が加藤智大にとって唯一社会との接点であり、心の拠り所だったんです。
職場の人間関係もうまくいかず、仕事を転々としていき、社会との接点をどんどんと失っていきます。そんな加藤智大にとって、掲示板はほかの人とつながっていて、自分を理解してくれる人たちがいる場所、自分を必要としてくれる場所となっていったようです。
そんな中で、掲示板に加藤智大のなりすましや荒らしが現れるようになります。加藤は掲示板の荒らしに抗議をするために、秋葉原通り魔事件を起こしたと裁判で供述しました。
検察官「事件を起こした理由は、なりすましや荒らしに対して、怒っていることをアピールしたかった、それだけなのですか」
被告「怒っていることを伝えることで、いやがらせを本気でいやがっていると分かってもらおうと思いました」
検察官「それだけのことで、見ず知らずの人をあんなに殺したりしたということですか」
被告「結果的にそうなります」
引用:【秋葉原17人殺傷 第18回 被告語る3日目(11)】「自分を見つめれば私のようにならない」 再発防止策示す+(1/4ページ) – MSN産経ニュース
ただ、裁判では次のようなものがこの事件の動機の根本にあると認定されています。
・不満に対して話し合いで解決しようとせず、相手の望まないことをしたり、相手との関係を遮断したり、暴力を行使する考え方があったこと。
・そして、この考え方は母親の養育方法が影響を与えたこと。
このほか、労働環境や負け組や学歴、社会的な孤立は動機とは全く関係ないと加藤智大は供述していました。
秋葉原通り魔事件でおかしいと言われている点
秋葉原通り魔事件は加藤智大の単独犯ということで、裁判は進行し、加藤智大に死刑判決が言い渡されています。
しかし、加藤智大の単独犯ではおかしい点、矛盾する点が多々あるんです。秋葉原通り魔事件のおかしい点を1つ1つ見ていくと、加藤智大の単独犯ではない可能性が見えてくるのです。
2分間に1人で12人も刺せるのか?
加藤智大は短時間で12人も1本のナイフで刺しています。2トントラックで交差点に突っ込み、タクシーに接触した後に、ナイフを持ってトラックを降り、12人を次々に刺していきました。
秋葉原通り魔事件はおよそ2分間の凶行だったとされています。たった2分間で、トラックで交差点に突っ込み、その後に12人も刺すことができるものでしょうか?しかも、12人中4人は亡くなっていますので、かなり深くまで刺しています。
ダガーナイフは貫通力・殺傷能力が高いナイフですが、それでも人間を刺すのはかなり体力・筋力がいるのは間違いないでしょう。加藤智大は逮捕時の映像を見ればわかりますが、筋力がなさそうなガリガリタイプの体型をしています。
そんな人が短時間に12人も刺せるものでしょうか?この点だけでも、秋葉原通り魔事件はかなりおかしいと思いませんか?
返り血がない
出典:i.imgur.com
12人を次々に刺して、交番から駆け付けた警察官と対峙した時、さらに逮捕された時の加藤智大を見ると、返り血を全く浴びていません。
ドラマなどを見ると、人間を刺すと血が噴き出すから、返り血を浴びるとされています。「返り血を浴びた犯人が逃げるために着替える」などの場面はよくありますよね。
でも、加藤智大はオフホワイトのジャケット、ベージュのチノパンに血液が一滴もついていません。しかも、手にも血液がついていないのです。
このことから、「加藤智大は本当に12人も刺したのか?」という疑問がわいてきます。服に覆われた部分を刺したら、確かに返り血を浴びるまではいかないのかもしれません。でも、救急隊が負傷者を救助した時の写真を見ると、道路には血液がべったりとついていました。
それなのに、ナイフを持つ手にも血液がついていないというのは、なんかおかしいですね。
たまたまテレビがある?
秋葉原通り魔事件は2008年6月8日12時30分過ぎに、秋葉原で起こりましたが、加藤智大が警官と対峙して逮捕される時の映像がしっかり残っているんです。
これって、かなり不思議だとも思いませんか?当時は、まだほとんどの人がガラケーで、今のようにスマホで何でも動画を撮るという時代ではありません。
それなのに、なぜ逮捕の決定的な瞬間の映像が残っているのか?
実は、日本テレビの技術統括局秋元乾太郎局員、日テレグループ会社の石渡裕二カメラマンが偶然、現場に居合わせたのです。そして、すぐに手元にあったデジタルカメラを回して、犯人逮捕の瞬間を押さえたんです。
もし、本当に偶然、その場に居合わせて、すぐにカメラを回すことができて、逮捕の瞬間を撮ることができたら、すごい偶然ですよね。おかしいぐらいの偶然です。
加藤智大の犯行は2分程度とされています。事件が起こってたくさんの人が刺されていて、周りはパニックになっている。その中で、持っていたデジカメを取り出して、スイッチをオンにして、警察官が犯人を取り押さえるところを撮影する。
これは、奇跡的な偶然と言えます。
・現場にテレビクルーがいた。
・デジカメを持っていた
・パニックの現場でデジカメを回した
・犯人逮捕の瞬間をしっかり押さえた
これは、な~んかおかしいなぁ?予定されていた事件みたいだなぁ?なんて思ってしまいますね。
秋葉原通り魔事件には真犯人・共犯者がいたのか?
秋葉原通り魔事件には、真犯人・共犯者がいたという説があります。
小太りの男がいたという証言?
出典:mainichi.jp
秋葉原通り魔事件は加藤智大が犯人です。でも、当時は「犯人は小太りの男だった」という証言があったようなんです。加藤智大は、小太りではありません。細身タイプですよね。
目撃証言によると、刃渡り 30 センチのサバイバルナイフで小太りの男 で、かなりの返り血を浴びていた。
また、トラックから降りて来たのは小太りの男で、馬乗りになって人を刺していたという情報もありました。ということは、加藤智大以外にも犯行に及んだ真犯人がいたのでしょうか?
警察・政府のやらせという陰謀説もあるが・・・
出典:sankei.com
秋葉原通り魔事件は警察・政府のやらせ・陰謀という説もあります。
警察・政府のやらせだったから、加藤智大は返り血を浴びていなかったし、テレビカメラが逮捕の瞬間を押さえることができたというわけなんです。
この事件の後に、次のような法改正が行われました。
・秋葉原の歩行者天国の中止
・監視カメラの強化
・インターネットの規制強化
・銃刀法改正(厳格化)
これを見ると、警察や政府が国民をもっと縛るために、加藤智大を替え玉として、このような事件を起こしたのではないか?と思えなくもありません。
「加藤智大が犯人じゃない」というきちんとした証言はない
確かに、秋葉原通り魔事件はおかしい点があります。でも、加藤智大以外に真犯人がいるというきちんとした証言はないのです。
「小太りの男が返り血を浴びていた」という証言があると言われていますが、この情報のソースはわかっていません。ニュース等で報じられたわけでもありませんし、警察から発表されたわけでもありません。
日曜日の秋葉原の繁華街。たくさんの人がいました。これは、当時のニュース・現場の画像などを見れば、一目瞭然です。あれだけの人たちがいたのだから、加藤智大以外に真犯人がいて、その真犯人が犠牲者の方たちを刺していたとしたら、絶対に複数人が目撃しているはずです。
事件が起こった2008年はスマホはまだ普及していませんでしたが、インターネットはありました。ブログをやっている人も多かったし、2ちゃんねるも人気でした。
だから、もし本当に加藤智大以外に真犯人がいたら、目撃者が自分の目撃したことを発信することはできたはずです。それなのに、きちんとした情報ソースがないということは、おそらく「小太りの男がいた」というのはデマだったのかなと思えてきます。
10年以上も口裏を合わせるのは無理がある
出典:twitter.com
「政府や警察が絡んでいるのだから、目撃者たちの言論統制が行われていて、口裏を合わせているんだ!」と主張して、陰謀説を推している人たちもいます。
でも、事件からすでに10年以上が経過しているのに、あの現場にいた人たちみんなが口裏を合わせ続けることができるものでしょうか。あの現場にいた人たちは1人や2人ではありません。数百人単位の人たちです。
誰かしらは、うっかりSNSなどで真相を漏らしてしまいそうな気がするのですが・・・。
それがないということは、やはり陰謀説はデマであり、加藤智大の単独犯が真相なのかなと思います。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の家族のその後:父親
犯人の加藤智大の家族は、事件後にありとあらゆるバッシングを受け、「加害者家族」として肩身の狭い思いをすることになりました。
父親は事件後すぐに、勤めていた信用金庫を退職しています。そして、父親と母親は離婚しました。その後、父親は青森県の自宅を引っ越すことなく、ずっとそこで1人で暮らしているとのことです。
加藤智大は事件後には一切、家族に会おうとしなかったそうですので、父親も加藤智大に会わないまま、死刑が執行されています。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の家族のその後:母親
加藤智大の母親は、加藤智大が子供のころからずっと虐待をして、支配していました。でも、なんだかんだ言いつつも、加藤智大が仙台でひとり暮らしをする時には資金援助をし、車の普通免許・大型免許を取るお金も母親が出していました。
加藤智大が秋葉原通り魔事件を起こした後は、精神的に病んでしまい、入院しています。
一方、罪の意識にさいなまれた母親は、心のバランスを崩して精神科に入院。一時は誰も面会できないほどの状態だった。
引用:独占スクープ!「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(5/9)
父親とは離婚していたので、退院した後は自分の実家に身を寄せているそうです。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の家族のその後:弟
出典:youtube.com
犯人の加藤智大の弟も、秋葉原通り魔事件の被害者と言えるでしょう。加藤智大の弟は、2014年に自殺をしています。
弟は、事件後に交流があった週刊現代の編集部に次のような文章を送っています。
あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。
死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください
引用:独占スクープ!「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)
そして、この文章が週刊現代編集部に届いた1週間後に弟さんは自殺したとのことです。
弟さんは事件当日に家を出て、仕事を辞めることになり、アルバイトなどを転々としてきたそうです。しかも、ようやくできた彼女と結婚しようと思っても、彼女の親に反対され、さらに彼女からも「あなたが犯人の弟だから……」と言われてしまうようになり破局を迎えます。
どうやっても幸せになれない自分の人生。でも、自分のせいではないし、自分ではどうすることもできない。絶望するしかないですよね。
秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大のその後と現在:死刑執行済み
秋葉原通り魔事件の犯人の加藤智大は、2015年に死刑が確定しました。その後は、弁護士以外には誰にも会わずに拘置所で過ごしていました。家族のだれにも会わず、差し入れも受け取らなかったそうです。
また、裁判中の2012年~2014年にかけて、次の4冊の本を出版しています。
・『解+ 秋葉原無差別殺傷事件の意味とそこから見えてくる真の事件対策』
・『東拘永夜抄』
・『殺人予防』
そして、2022年7月26日に39歳で死刑が執行されました。このタイミングでの死刑執行は安倍晋三元首相の暗殺と関係があるのではないか?と言われています。
加藤智大と山上徹也容疑者は同年代。また、母親が犯人に大きな影響を与えたことや大きな事件の犯人であることなどの共通点があると言われていました。
世間への影響を考えて、この時期に加藤智大の死刑が執行されたのではないか?という噂があるんです。ただ、毎日新聞は数年前から死刑執行の対象に入れられていたと報じています。
秋葉原通り魔事件と犯人・加藤智大のまとめ
秋葉原通り魔事件の詳細や場所、犠牲者と犯人の加藤智大の生い立ちや経歴、動機と秋葉原通り魔事件のおかしい点や真犯人について、家族のその後と事件後の現在をまとめました。
秋葉原通り魔事件は衝撃的な事件でした。加藤智大の生い立ちや家庭環境など同情すべき点はありますが、だからと言って凶行が許されるものではありません。犠牲者のご冥福をお祈りいたします。