2006年に発生した「高知白バイ事件」は警察権力による冤罪疑惑がある交通死亡事故です。
この記事では高知白バイ事件の場所や原因、運転手の片岡晴彦さんと死亡した警察官と遺族、闇深いとされる真相や内部告発、証拠のブレーキ痕の矛盾点、裁判官と再審請求のその後と現在についてまとめました。
この記事の目次
- 高知白バイ事件は2006年に発生した白バイ隊員死亡事故で冤罪疑惑がある
- 高知白バイ事件の発生場所は見通しの悪いカーブ
- 高知白バイ事件の原因の争点は衝突時にバスが停止していたか否か
- 高知白バイ事件のスクールバス運転手の片岡春彦さんについて
- 高知白バイ事件で死亡した警察官と同僚の証言について
- 高知白バイ事件の真相と闇
- 高知白バイ事件では警察関係者からの内部告発があったとされる
- 高知白バイ事件の最大の謎である「ブレーキ痕」は捏造されたものか否か
- 高知白バイ事件を担当した裁判官
- 高知白バイ事件で死亡した警察官の遺族について
- 高知市白バイ事件の再審は現在も認められていない
- 高知白バイ事件は冤罪との見方が現在も強く批判を集めている
- 高知白バイ事件の運転手・片岡晴彦さんのその後と現在の状況
- まとめ
高知白バイ事件は2006年に発生した白バイ隊員死亡事故で冤罪疑惑がある
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「高知白バイ事件」は2006年3月3日の14時半頃、高知県吾川郡春野町弘岡中(現在の高知市春野町弘岡中)の国道56号線で、中学校の卒業遠足の生徒ら25名を乗せたスクールバスと、高知県警察交通機動隊の白バイが衝突し、 白バイを運転していた当時26歳の巡査長が胸部大動脈破裂で死亡した交通死亡事故です。
スクールバスの運転手は当時52歳だった片岡晴彦(かたおか・はるひこ)で、業務上過失致死の容疑で現行犯逮捕されました。
「高知白バイ事件」は、一見、悲劇的な交通死亡事故ですが、その捜査と裁判の過程で、数多くの矛盾と疑惑が噴出しました。スクールバスに同乗していた生徒・教員、後続車の校長らが、一貫して「バスは停止していた」と証言したにもかかわらず、裁判所は警察側の主張を全面的に認め、片岡さんに禁錮1年4ヶ月の実刑判決を下したのです。
判決の決め手となったのは、現場に残されたとされるスクールバスの「ブレーキ痕」でした。このブレーキ痕の信憑性を巡る攻防が事件の核心となり、日本の司法と警察組織のあり方を問う重大な冤罪疑惑事件へと発展しています。
「高知白バイ衝突死事故」とも呼ばれるこの事件は、1人のスクールバス運転手の人生を翻弄し、多くの人々の義憤をかけ立てており、現在も真相解明を求める声は止んでいません。
高知白バイ事件の発生場所は見通しの悪いカーブ
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「高知白バイ事件」の現場となった場所は、、高知県高知市春野町弘岡中の国道56号線です。
片側2車線の幹線道路で、事故が起きた場所は、道路脇のレストラン駐車場から出てきたスクールバスが、高知市方面へ向かう下り車線へ右折しようとした地点でした。
現場は上り車線から見て右に大きくカーブを始める地点であり、見通しが良いとは言えない場所でした。法定速度は時速60キロに定められていましたが、法律ではこのような道路では75メートル手前から見通しが確保されていなければならないとされています。
この道路構造が、高速で走行してきた白バイの発見を遅らせた原因の1つとなった可能性は否定できません。
スクールバスの運転席からの視点、カーブの角度、中央分離帯の存在といった現場の地理的条件は、裁判における双方の主張の妥当性を判断する上で極めて重要な要素でした。弁護側は、片岡さんが安全確認のために停止していた位置や、そこから白バイを視認することの困難性を訴えましたが、裁判所はこれらの主張を退けました。
高知白バイ事件の現場となった場所周辺の地図
高知白バイ事件の原因の争点は衝突時にバスが停止していたか否か
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「高知白バイ事故」の原因が何だったのかは、様々な観点から見ていく必要がありますが、その最大の争点は「衝突時にバスが動いていたか、停止していたか」という点に集約されます。
検察側が主張する高知白バイ事故の原因
高知白バイ事故の裁判において、検察側は、「バスが時速5キロから10キロの低速で進行中に、法定速度の時速60キロで通常走行していた白バイと衝突した」と主張しました。
スクールバスの運転手である片岡晴彦さんが、右方の安全確認を怠ったまま国道に進入したことが事故の原因であり、衝突後に急ブレーキをかけ、白バイを約2.9メートル引きずって停止した、としました。
スクールバス側が事故の原因だとする主張を裏付ける最大の証拠が、後述する「ブレーキ痕」であり、唯一の目撃証人として、亡くなった白バイ隊員の同僚警察官Aの証言を挙げています。
A隊員は、対向車線を走行中に約80メートルの距離から事故を目撃し、バスが時速10キロ、白バイが時速60キロ程度で走行していたと目視で確認したと証言しました。
弁護側(運転手の片岡晴彦さん側)が主張する高知白バイ事故の原因
対する片岡春彦さんの弁護側は、事故の過失そのものを否定したわけではありませんでした。あくまで、検察が起訴事実とした「前方不注意でバスを走行させた過失」はなかったとして、無罪を主張しました。
片岡春彦さんの主張は明快でした。「駐車場から出てゆっくりと国道を横断し、中央分離帯の手前で停止していたところに、猛スピードで走ってきた白バイが一方的に衝突してきた」というものでした。
片岡春彦さんは裁判では、衝突の衝撃を「ロケットがぶつかってきたよう」と表現しています。
この主張は、バスに乗っていた生徒22名と教員3名、そしてバスのすぐ後ろを自家用車で走っていた中学校の校長という、計26名もの証言によって裏付けられました。
彼らは皆、「バスは止まっていた」と口を揃えています。さらに、事故直前に白バイの後方を走行していた軽トラックの運転手も、「白バイは100キロ近い速度まで加速していった」と証言し、白バイの大幅なスピード違反を示唆しました。
つまり、証人の数では「27対1」という圧倒的な状況であったにもかかわらず、司法はたった1人の警察官(亡くなった白バイ隊員の同僚警察官A)の証言を優先したという事になります。
高知白バイ事件のスクールバス運転手の片岡春彦さんについて
「高知白バイ事件」で、業務上過失致死の罪に問われたスクールバスの運転手・片岡晴彦さんは事故当時52歳でした。
片岡晴彦さんは当時、仁淀川町のスクールバスの運転手として、日々子どもたちの安全な通学を支えていました。
片岡晴彦さんの人物像については、穏やかで実直な人柄で知られ、運転手仲間からの信頼も厚かったとされています。あの日も、卒業を控えた中学3年生たちのお別れ遠足という、本来であれば楽しい思い出となるはずの1日を運転手としてサポートしていました。
しかし、高知白バイ事件は片岡晴彦さんの人生を暗転させました。現行犯逮捕され、当初は動揺しつつも、自分の記憶と多くの目撃者の証言があることから、真実は理解されると信じていました。
ところが、捜査が進むにつれ、警察が描くシナリオ、すなわち「片岡さんの過失による事故」という筋書きに沿って事態が進んでいくことに愕然することになりました。
逮捕から8ヶ月後、高知地検に呼び出された片岡晴彦さんは、検察官から初めて「ブレーキ痕」の写真を見せられました。急ブレーキを踏んだ記憶のない片岡さんは必死に無実を訴えましたが、聞く耳を持たれることはありませんでした。
片岡晴彦さんはその後在宅起訴され、始まった裁判では一貫して無罪を主張しました。しかし、2007年6月7日、高知地裁は禁錮1年4ヶ月の実刑判決を言い渡しました。
高松高裁、最高裁への上告も棄却され、2008年8月に実刑が確定。同年10月、片岡晴彦さんは高知刑務所に収容され、その後、加古川刑務所に移送されました。
「行ってきます」。家族にそう告げて刑務所に向かった片岡晴彦さんは、塀の中で理不尽な判決への怒りと、自らの潔白を証明できなかった無念さを噛み締めながら、耐え難い日々を送りました。
2010年2月23日、片岡晴彦さんは刑期を満了し出所。しかし、彼の闘いは出所により終わったわけではなく、むしろ、ここからが本当の始まりだったと言えます。
出所後、片岡晴彦さんは自らの実名を公表すると、支援者と共に冤罪を晴らすための活動を開始したのです。失われた時間と奪われた仕事、そして何より「交通死亡事故を起こした罪人」という汚名を着せられた事で奪われた信用。それらを取り戻すために、片岡晴彦さんは再審を求める粘り強い活動を続けていく事になります。
高知白バイ事件で死亡した警察官と同僚の証言について
「高知白バイ事故」で亡くなった警察官(白バイ隊員)は、高知県警察交通機動隊に所属する当時26歳の男性巡査長でした。
将来を嘱望された若い隊員の殉職は、警察組織にとっても大きな衝撃だったようです。この警察官は殉職後、二階級特進で警部補となっています。
裁判において、検察側の主張を支えた重要な役割を果たしたのが、亡くなった警察官の同僚である白バイ隊員Aでした。
彼は事故当時、反対車線をパトロール中であり、片岡さんのバスと亡くなった隊員の白バイの両方を視認し、衝突の瞬間を目撃した唯一の証人として法廷に立ちました。
A隊員は「バスは時速10キロ程度、白バイは法定速度内の時速60キロ程度で走行していた」と証言。裁判所は、「常日頃から目視による速度の判断訓練を行っている白バイ隊員の証言は信用性が高い」として、この証言を全面的に採用しました。
しかし、この証言には数多くの疑問が投げかけられる事になります。対向車線を走行しながら、一瞬のうちに100メートル以上離れた2つの車両の速度を正確に目視で判断することが果たして可能なのか。多くの専門家がその非現実性を指摘しているのです。
にもかかわらず、裁判所はバスの乗客や校長といった多数の一般市民の証言よりも、たった1人の警察官の証言を「客観的証拠」と合致するとして採用したのでした。
忘れない2006年の高知白バイ事件時の関係者。
🚌運転手 片岡晴彦 冤罪で
1年4か月の禁錮刑対向白バイ運転 市川 幸男
虚偽証言県警本部長 鈴木基久 現在綜合警備常務オリパラ本部長
地裁裁判官 片多 康
高裁裁判長 柴田秀樹
最高裁裁判長 津野 修
KSB 山下洋平氏 冤罪追及を放映し続けた。
— Ken usura (@usrauzura) December 11, 2023
高知白バイ事件の真相と闇
「高知白バイ事件」の真相は一体何なのかという点は、現在もインターネット上で盛んに議論され続けています。
インターネット上では、26人の目撃者が語る通り、「停止していたバスに、スピード違反の白バイが衝突した」という片岡晴彦さん側の主張こそが真実ではないかという見方が支持されています。
そして、なぜその単純な事実が司法の場ですべて覆されてしまったのか。そこに、この事件の深い「闇」があるのではないかと囁かれています。
高知白バイ事件の闇① 警察組織の保身のための捏造の疑い
高知白バイ事件の真相として、ネット上では警察組織の保身を動機として事件の事実を覆い隠そうとしたのではないかとの説が多く主張されています。
白バイ隊員が訓練でもない通常走行中に、100キロ近い速度で走行していたとなれば、それは単なる個人のスピード違反では済まされません。交通機動隊の指導・監督責任が問われ、組織的な問題へと発展する可能性があります。
若い警察官が殉職したという事実を前に、その原因が隊員自身の無謀な運転にあったとは、組織として決して認めるわけにはいかなかったのではないかと推測されています。
そうした理由から、警察は「バス側の一方的な過失」というシナリオを描き、それに合致するように証拠を「作り上げ」ていったのではないか。これはネット上だけでなく、片岡晴彦さんの支援者や多くのジャーナリストが指摘する事件の構図となっています。
高知県警は県議会や記者会見で「証拠捏造などありえない」と一貫して否定していますが、その主張を根底から揺るがすのが、数々の物証の矛盾であり、特に「ブレーキ痕」(これについては後述)の存在です。
高知白バイ事件の闇② メディアの不自然な沈黙
高知白バイ事件発生当初、地元高知のメディアの多くは警察発表を基にした報道に終始しました。
県外のテレビ局であるKSB瀬戸内海放送がこの事件の矛盾を粘り強く報道し始めるまで、片岡さんの訴えが広く世に知られることはありませんでした。
この事実は、警察という巨大な権力組織を前に、その影響力を受けた地元のメディアが及び腰になったのではないかと疑われる事につながりました。
このメディアの沈黙もまた、事件の「闇」をより深いものにした一因だと言われています。
高知白バイ事件では警察関係者からの内部告発があったとされる
「高知白バイ事件」の闇が深まる中、警察内部にも組織の不正を許さない良心が存在したことを示唆する動きがあったとされます。
片岡晴彦さんの支援者である土地改良換地士の小松滿裕さんのもとに、高知県警の内部からとされる内部告発文が複数届いていたというのです。
小松氏の元には警察から内部告発の手紙が多く届いているという。「多くの良心的な警察官が支援してくれている」と打ち明ける。
会見では、これらの内部告発の手紙を元に作成された資料を配布。
これらの内部告発の手紙には、ブレーキ痕の捏造に関わったとされる警察幹部の実名や、その人物が別の不祥事を起こした際に「(自分の不祥事を)処分するなら、白バイ事故の全貌をばらす」と上層部を脅していた、といった生々しい内容が記されていたとされています。
小松滿裕さんがこれらの情報を基に監査請求などを行うと、今度は小松氏自身が軽犯罪法違反などの容疑で不自然な形で複数回逮捕されるという事態にまで発展しています。これに対し、内部告発の動きを察知した警察による口封じ、圧力だったのではないかとの見方が強まりました。
これらの内部告発は、法廷で正式な証拠として取り上げられるには至っていません。しかし、組織的な証拠捏造と隠蔽工作があったとする弁護側の主張を補強するものであり、警察組織の内部でさえ、この事件の処理に疑問を抱く者がいたことを示していると見る事もできます。
高知白バイ事件の最大の謎である「ブレーキ痕」は捏造されたものか否か
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「高知白バイ事件」の最大の謎であり、片岡晴彦さんの有罪を決定づける証拠とされたのが、現場に残っていたされるバスの前輪タイヤによるものとされた「ブレーキ痕(スリップ痕)」でした。
検察側が主張したブレーキ痕
検察側は、バスの右前輪に約1メートル、左前輪に約1.2メートルのブレーキ痕が残っていたと主張。これこそが、バスが走行中に急ブレーキをかけた動かぬ証拠だとしました。裁判所もこれを追認し、「事故直後から写真は存在し、多くの野次馬がいる衆人環視の中で捏造は不可能」として、片岡晴彦さん側の主張を退けました。
噴出する矛盾と疑惑
しかし、このブレーキ痕にはあまりにも不自然な点が多すぎる点が以下のように指摘されています。
不鮮明な初期写真と後出しの鮮明な写真
事故直後に撮影された写真ではブレーキ痕は不鮮明、あるいは確認できないにもかかわらず、後の写真ではっきりと写っているものがある。
ABSの存在
事故車両のバスには、急ブレーキをかけてもタイヤがロックしないようにするABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が搭載されていました。低速では作動しない可能性も指摘されましたが、これほど明瞭なブレーキ痕がつくとは考えにくいとされています。
再現実験の失敗
弁護団が事故車両と同型のバスを使い、事故当時とほぼ同じ重量で再現実験を行ったところ、急ブレーキをかけてもブレーキ痕はわずか30センチ程度しかつかず、しかも目で見てわかるかどうかの薄さでした。
前輪だけの痕
大型車両で急ブレーキをかけた場合、荷重のかかる後輪にこそブレーキ痕がつきやすいとされています。しかし、現場のブレーキ痕は前輪のみで、後輪にはありませんでした。これは、捏造の際にダブルタイヤである後輪の痕を偽造するのが難しかったためではないかと専門家は指摘しています。
不自然な形状
痕の先端部分だけが不自然に濃くなっているなど、通常のブレーキ痕ではありえない形状をしていました。支援者による実験では、飲料水などをまいてブラシでこすると、写真とよく似た痕を容易に作れることが示されています。
専門家による鑑定
弁護団の依頼で証拠写真のネガフィルムを鑑定した千葉大学名誉教授で画像解析の権威である三宅洋一さんは、写真の一部が合成である可能性を指摘しました。
さらに、ブレーキ痕とされるものは、アスファルトの溝にまで黒い液体が染み込んでいるように見え、ゴムが焼けて付着した痕ではないとの鑑定結果を出しています。
これらの数多くの科学的な疑義に対し、裁判所はどういうわけかまともに取り合おうとしませんでした。ただ「捏造は不可能」と繰り返すだけで、弁護側が申請した専門家の証人尋問さえ認めなかったのです。
高知白バイ事件を担当した裁判官
「高知白バイ事件」で、現在も厳しい批判にさらされているのが、司法の判断を下した裁判官たちです。
第一審・高知地裁(片多康裁判官)
2007年6月7日、片多康裁判官は、検察側の主張を全面的に認め、禁錮1年4ヶ月の実刑判決を下しました。多数の目撃証言よりも1人の警察官の証言を優先し、ブレーキ痕の信憑性についての弁護側の主張を「憶測の域を出ない」として退けたのです。
控訴審・高松高裁(柴田秀樹裁判長)
控訴審では、弁護団がブレーキ痕の再現実験の結果や専門家の意見書など、新たな証拠を提出しました。しかし、柴田秀樹裁判長はこれらの証拠調べ請求をすべて却下し、即日結審という異例の訴訟指揮を行いました。
2007年10月30日の判決では、「第一審で十分な審議がなされた」として控訴を棄却。ブレーキ痕の不可解な点については一審判決の認定に「正確性を欠く」としながらも、「判決に影響を及ぼすものではない」として結論を維持しました。
上告審・最高裁(津野修裁判長)
2008年8月20日、最高裁判所第二小法廷の津野修裁判長は上告を棄却し、有罪判決が確定しました。これにより、片岡晴彦さんの収監が決定づけられたのです。
一審から最高裁に至るまで、裁判官たちは警察・検察が提示した証拠を無批判に受け入れ、不可解な事に弁護側が提示した数々の合理的な疑いに真摯に向き合おうとしませんでした。
元東京高裁判事の木谷明弁護士は、再審請求審で裁判所が弁護側に異例の「提案」をしたことについて、「(裁判官が判決に)全然疑問がなければこんなことしない。(警察による証拠の)偽造だと認めることになると大事になるからやりたくない、という心理が働くのではないか」と指摘しており、司法が組織防衛の論理に陥っている可能性を示唆しています。
高知白バイ事件で死亡した警察官の遺族について
「高知白バイ事件」には、もう1つの悲劇の当事者がいます。それはいうまでもなく、殉職した白バイ隊員の遺族です。最愛の家族を突然失ったその悲しみと苦しみは、察するに余りあります。
遺族は2007年4月、片岡晴彦さんとバスの所有者である仁淀川町に対し、約1億5700万円の損害賠償を求める民事訴訟を高知地裁に提起しました。刑事裁判で片岡さんの有罪が確定していく中で、遺族が民事的な責任を追及するのは当然の権利だと言えます。
しかし、この民事訴訟は、刑事裁判の冤罪疑惑という側面から見ると、複雑な様相を呈します。もし、片岡さんが無実であり、真の原因が亡くなった隊員の速度超過にあったとすれば、遺族もまた、警察組織から真実を知らされず、本来向けるべきではない相手に怒りと悲しみをぶつける形になってしまっている可能性があるためです。
最終的にこの民事訴訟は、片岡晴彦さん側が無過失を主張し続けた結果、遺族側が片岡晴彦さん個人への訴えを取り下げる形で終結しています。
高知市白バイ事件がもたらした悲劇は、運転手である片岡晴彦さんだけでなく、死亡した警察官の遺族の心にも深い傷を残したままです。
高知市白バイ事件の再審は現在も認められていない
高知市白バイ事件のバスの運転手の片岡晴彦さんは刑期を終えた後も冤罪と証明する事を諦めませんでした。
2010年10月18日、失われた名誉を回復するため、高知地裁に再審(裁判のやり直し)を請求しています。
再審請求審では、弁護団は前述の画像解析の専門家による「写真の合成疑惑」やブレーキ痕の捏造を示す新たな鑑定結果などを「新規かつ明白な証拠」として提出しました。しかし、司法の壁は厚く再審請求が認められる事はありませんでした。
2014年12月16日、高知地裁(武田義徳裁判長)は再審請求を棄却。しました。弁護側は即時抗告しましたが、高松高裁もこれを棄却。
2018年5月、最高裁第三小法廷(林圭一 裁判長)も特別抗告を棄却し、第一次再審請求は完全に退けられる事になりました。
裁判所は、弁護団の新証拠について「明白性が認められない」などとして、ことごとくその価値を否定しました。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則はそこにはなく、「確定判決の維持」という結論が先にあり、それに反する証拠は徹底的に排除するという姿勢が貫かれたように見えました。
高知白バイ事件は冤罪との見方が現在も強く批判を集めている
「高知白バイ事件」は、足利事件や布川事件など、数々の冤罪事件と同様の構造を持っていると言えます。
それは、捜査機関(警察・検察)が1度立てた見込みに固執し、それに沿って証拠を集め、時には「作り出し」、それに反する証拠は無視・隠蔽するという構造が疑われることです。
そして、裁判所がその捜査機関のストーリーを無批判に追認することで、冤罪が完成した可能性があります。
この事件が特に悪質であるのは、被害者が警察官であったために、組織の威信をかけて真実が捻じ曲げられた疑いが極めて強い点にあります。
本来、市民の安全と正義を守るべき警察が、自らの過ちを隠すために一市民を罪に陥れたのだとすれば、それは国家による犯罪と言っても過言ではありません。
ジャーナリストの大谷昭宏さんは、検察の証拠を鵜呑みにする裁判所の責任を厳しく批判し、取り調べの可視化とともに、冤罪が判明しても捜査機関の人間が法的に責任を問われない現状を変えなければ冤罪はなくならないと強調しています。
高知白バイ事件は、日本の刑事司法が抱える根深い問題を象徴する事件として、現在も多くの人々に記憶されています。
高知白バイ事件の運転手・片岡晴彦さんのその後と現在の状況
第一次再審請求が棄却された後、「高知白バイ事件」の運転手の片岡晴彦さんに大きな動きはありません。
2025年6月には、本人がメディアの取材に応じ、現在の状況について語られています。
片岡 2018年に再審請求を最高裁に棄却されてからは、動きがありません。支援する会も解散し、今は弁護士さんもいない状態です。まあ、悔しさはありますが、同じようなことが起こったとき、高知白バイ事件の真実を少しでも参考にしてもらえればという思いはあります。
片岡晴彦さんは実刑判決を受けて服役し、出所したその後の生活についても語られています。
片岡晴彦さんはこの事件により免許取り消しの処分を受けたため、普通免許を取り直したそうなのですが、大型2種免許を再取得する事は叶わず、事件の前のようにバスの運転手の仕事に就くことは叶わなかったそうです。
そのため、片岡晴彦さんは地元の土木会社や、老人ホームの送迎、弁当の配食、水道メーターの検針など、様々な仕事を掛け持ちしながら現在まで生活されていたという事でした。直近では、介護施設の宿直の仕事をされているのだそうです。
一方、私生活では子供達の結婚や孫の誕生など、家族の中で幸せな出来事がいくつもあったそうで、それが大きな癒しになっている様子です。
まとめ
今回は、2006年に発生した交通死亡事故で冤罪の疑惑が強く持ち上がっている「高知白バイ事件」についてまとめて見ました。
高知白バイ事故の現場の場所は、高知県高知市春野町弘岡中の国道56号線で、レストランの駐車場から公道へ出たスクールばバスに走行中の白バイが衝突して発生しました。
高知白バイ事故のスクールバスの運転手は片岡晴彦さんという方で、白バイを運転していた警察官が死亡した事で、業務上過失致死の容疑で現行犯逮捕され、起訴を経て裁判で実刑判決を受けました。
高知白バイ事故の原因や真相については、弁護側と検察側の意見がぶつかりましたが、裁判官らは一貫して検察側の主張を支持し、弁護側が示した数々の証拠や目撃者の証言のほとんどをまともに取り上げませんでした。そのため、高知白バイ事故は、警察の保身のために何らかの工作があったのでは?という「闇」が疑われる事になりました。
片岡晴彦さんの支援者によれば、警察からの内部告発もあるという事で、冤罪の可能性が高いとの見方が強まりました。また、検察側が証拠とした「ブレーキ痕」に対しても数々の矛盾点が指摘されました。
高知白バイ事故で死亡した警察官の遺族(妻と双子の子供がいる)は、事件後に損害賠償を求める民事訴訟を起こしていますが、その後に取り下げています。
一方、有罪とされた片岡晴彦さんは、服役後、冤罪であることを主張して再審を求めましたが、裁判所はそれを認めませんでした。
現在、片岡晴彦さんは元々のバスの運転手の仕事に戻る事は叶わず、様々な仕事を掛け持ちしながら生活している事をメディアに明かしています。