少なくとも4人の男性を青酸化合物で殺害し遺産を受け取った死刑囚・筧千佐子の現在が話題です。
この記事では筧千佐子の生い立ちや実家の両親など家族、高校などの経歴や若い頃や魅力、結婚歴や旦那の末路、息子と娘ら子供、青酸化合物事件の判決と死刑執行、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 筧千佐子は青酸化合物で少なくとも3人が殺害された事件の連続殺人犯
- 筧千佐子の生い立ち① 母親が未婚で養女に出され実家は福岡県八幡市
- 筧千佐子の生い立ち② 学業成績は優秀で運動は苦手、気の強い性格
- 筧千佐子が養女に出された先の家族は大手製鉄会社勤務の父親の一般的家庭
- 筧千佐子の経歴① 出身高校は名門「福岡県立東筑高等学校」
- 筧千佐子の経歴② 住友銀行に就職し八幡支店で預金係
- 筧千佐子の経歴③ 1969年に結婚し住友銀行を退職し大阪府貝塚市へ嫁ぐ
- 筧千佐子の若い頃の画像
- 筧千佐子が高齢男性を虜にした魅力とは
- 筧千佐子の結婚歴と交際歴と旦那達の末路(事件の時系列一覧)
- 筧千佐子の子供は息子と娘が1人ずつの2人
- 筧千佐子の青酸化合物連続殺人事件の判決は死刑で2021年に確定
- 筧千佐子の現在…死刑執行はまだで大阪拘置所に収容されている
- まとめ
筧千佐子は青酸化合物で少なくとも3人が殺害された事件の連続殺人犯
筧千佐子のプロフィール
生年月日:1946年11月28日
出生地 :長崎県長崎市
出身地 :福岡県八幡市(現在の北九州市)
身長 :154cm
筧千佐子(かけひ・ちさこ)は、2007年から2013年にかけてわかっているだけでも4人の男性に青酸化合物を飲ませ、少なくとも3人を殺害したとして、殺人と殺人未遂の罪で2021年に死刑判決が確定した連続殺人犯です。
筧千佐子が青酸化合物を飲ませて殺害した、もしくは殺害しようとしたのは全員が60代後半から70代の高齢男性で、結婚相談所を通じて知り合った交際相手や結婚相手でした。
筧千佐子の周りでは、1994年から2013年にかけて約20年の間に10人以上の高齢男性が相次いで死亡しており、筧千佐子はその男性らと結婚したり、公正証書遺言を作成させたりして総額で8億円から10億円ともされる遺産を受け取っていました。
このうち、立件されたのが3件の殺人罪と1件の殺人未遂罪のみですが、死亡された男性のほとんどが、筧千佐子に青酸化合物を飲まされて殺害された可能性が高いと見られています。
筧千佐子の生い立ち① 母親が未婚で養女に出され実家は福岡県八幡市
筧千佐子の生い立ちについては、1946年11月28日に長崎県長崎市で出生するも、母親が未婚だったため育てる事ができず、福岡県八幡市(現在の北九州市)に養子に出されています。
筧千佐子が養子に出された家族は「山下家」で、佐賀県出身の父親、山口県出身の母親、兄が1人で、筧千佐子は長女として育てられています。(本名が開拓千佐子というのは誤情報)
彼女は1946年11月、長崎県長崎市で未婚の母の子として生まれた。すぐに佐賀県出身の父親と山口県出身の母親が住む福岡県八幡市(現・北九州市)に養子に出され、長女として育てられた。
引用:高齢者を青酸カリで次々に殺害した“筧千佐子”の意外な過去「子供2人とも私立大学に通わせた」「分家の嫁として虐げられ…」
千佐子は1946年11月に長崎県で生まれた。実母は未婚だったため、すぐに福岡県八幡市(現北九州市)の山下家に養女に出された。
筧千佐子の生い立ち② 学業成績は優秀で運動は苦手、気の強い性格
筧千佐子は地元の公立の小学校・中学校に通っていました。
小・中学時代の筧千佐子の生い立ちについては情報は少ないのですが、当時同じ学校に通っていたという人物が、勉強はとてもよくできたが、運動は苦手だった。性格は気が強く、言うべき事はいうタイプだったと証言しています。
「山下さんは中学でも学業の成績はとにかく良かったんですけど、運動が苦手だったんですね。それであるとき彼女が先生に『私は運動はできないけど、とにかくできないなりに頑張った。だから体育の点を上げてください』って直訴(じきそ)したんです。それを聞いて、山下さんらしいなって思いました。昔から気が強いし、言うべきことは言うというタイプだったんです」
引用:高齢者を青酸カリで次々に殺害した“筧千佐子”の意外な過去「子供2人とも私立大学に通わせた」「分家の嫁として虐げられ…」
筧千佐子が養女に出された先の家族は大手製鉄会社勤務の父親の一般的家庭
筧千佐子の生い立ちのところでも書いたように、筧千佐子は実の母親が未婚で養育能力がなかったため、幼い頃に福岡県の八幡市の山下家に養子に出されています。
筧千佐子が養子に出された先の実家の家族は、父親が大手製鉄会社勤務(日鉄八幡製鉄所か)、
母親は専業主婦の一般的な家庭で兄が1人いました。
父は製鉄会社勤務、母は専業主婦という一般的な家庭
たしかお父さんは勤め人で、家にはお母さんとお兄さんがいたという記憶があります。
引用:高齢者を青酸カリで次々に殺害した“筧千佐子”の意外な過去「子供2人とも私立大学に通わせた」「分家の嫁として虐げられ…」
筧千佐子の実家の家族の現在については情報がありません。筧千佐子の年齢(2023年9月現在76歳)から見ても、両親は既に亡くなっている可能性が高く、兄の消息については不明で存命だったとしても、少なくとも76歳以上の高齢です。また、実家の家族は筧千佐子の起こした一連の事件とは関係がないと見られています。
筧千佐子の経歴① 出身高校は名門「福岡県立東筑高等学校」
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小・中学校時代は勉強がとてもよくできたという筧千佐子は、1962年4月に全国でも屈指の進学校である名門「福岡県立東筑高等学校」へと進学しています。
県立東筑高校の現在の偏差値は「72」と極めて優秀ですが、当時から学力レベルの高い高校として知られ東大合格者も輩出していました。
出身高校は故郷である北九州屈指の進学校である県立東筑高校だ。有名どころでいえば故・高倉健さん、近鉄、オリックスで監督を務めた故・仰木彬さんも輩出した高校。彼女は高校時代エリートだったのだ。
県立東筑高校時代の筧千佐子については、手芸部に所属していて、落ち着いた印象の美人で、優秀な東筑高校内でも成績も良く、ファンの男子生徒も多かったという証言が当時の同級生から出ています。
当時の彼女の印象を、同級生だった男性が語る。
「手芸部に所属していましたが、校内でも有名な美人でしたよ。落ち着いた印象で、成績も優秀とあって、ファンの男子生徒も多かったです。
一方、ノンフィクション作家の小野一光さんが筧千佐子ら複数の凶悪殺人犯を取材した「連続殺人犯」によれば、高校時代の筧千佐子について、「目立たない存在」、「穏やかな性格」といった証言が出ており、男子にモテていたといった証言は見られなかったという事です。
学年でも上位の成績だった千佐子は、62年4月に進学校として知られる県立東筑高校に入学した。同校での、千佐子の同窓生を取材してまわったが、事件のことを知る誰もが、口裏を合わせたかのように「目立った存在じゃなかった」や「同じクラスだけど、私はよく知らない」との答えを返してきた。
「どちらかといえば穏やかで、記憶のなかでは笑顔が浮かぶタイプ」
引用:高齢者を青酸カリで次々に殺害した“筧千佐子”の意外な過去「子供2人とも私立大学に通わせた」「分家の嫁として虐げられ…」
筧千佐子の経歴② 住友銀行に就職し八幡支店で預金係
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筧千佐子は1965年3月に福岡県立東筑高校を卒業し、住友銀行(現在の三井住友銀行)に就職。八幡支店で預金係として働き始めています。
成績の良かった千佐子は、名門の福岡県立東筑高校へ進学。その後、都市銀行に就職して、八幡支店で預金係の仕事に従事した。
千佐子被告が就職したのは、都市銀行の住友銀行(現在の三井住友銀行)だった。
当時の女性の就職先として住友銀行というのは相当なエリート街道だと言えますが、筧千佐子本人は、学校教師を志望しており、そのために九州大学への進学を目指していました。しかし、父親に「男であるお前の兄も大学に行っていないのに、女のお前が大学に行くのは許さない」と反対されて大学進学を断念して仕方なく就職したと筧千佐子本人が語っています。
千佐子被告は『私は九州大学に行って、学校の先生になるつもりだった。それが、父親から『男であるお前の兄も大学に行っていないのに、女のお前が大学に行くのは許さない』といわれて、しかたなく就職した』と、悔しそうに語っていました。
筧千佐子はまた、住友銀行でも仕事ぶりを上司に評価されていたと語っています。
先生から九州大学なら絶対に合格やと言われていた。もっと上も大丈夫という先生もおったよ。けど、九州の田舎は、女が大学行くなんてととんでもない、という古風な土地柄だったので就職しかなかった。高卒ではまず入れない大きな銀行に入れた。そこでもうちはよくできると、上司からも評価されていた。
筧千佐子の経歴③ 1969年に結婚し住友銀行を退職し大阪府貝塚市へ嫁ぐ
住友銀行に就職して4年後の1969年初旬、筧千佐子は友人と鹿児島県桜島に旅行にいった際に、大阪府から旅行に来ていた矢倉姓の男性(多くの媒体で矢野という仮名で紹介されている最初の旦那)と知り合いました。
1969年3月、筧千佐子は住友銀行を退職し、同年10月に矢倉氏と結婚しています。双方の両親の反対を押し切っての結婚だったようです。
当時、最初の旦那である矢倉氏は運送業の仕事をしてましたが、実家はみかん農家を営んでおり、結婚後は筧千佐子はこの旦那の実家のみかん農家を手伝っていたようです。
筧千佐子はこの最初の旦那との間に2人の子供を産んでいますがそれについては後述します。
筧千佐子の若い頃の画像
多くの高齢男性を籠絡して青酸化合物を飲ませて殺害して多額の遺産を騙し取ったと見られる筧千佐子ですが、若い頃は美人だったという証言も出ているようです。
ただ、筧千佐子の若い頃の画像でネット上に流出しているのは東筑高校の卒業アルバムの画像のみです。(上の画像)
時代も違い、古い写真が1枚だけなのでなんとも言えませんが、現在の価値観ではあまり魅力的な印象ではないように思えます。ただ、目鼻の位置などはバランスが取れており整った顔立ちではあったようです。
筧千佐子が高齢男性を虜にした魅力とは
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筧千佐子は、10人を超える高齢男性を次々と籠絡し、青酸化合物を飲ませて殺害し遺産を騙し取ったと見られている事から、これだけの男性を次々と惹きつけられるというのは何か特別な魅力を持っているからとも言われています。
筧千佐子の魅力① 業界では細やかな気遣いのできる「いい女」で通っていた
筧千佐子の魅力については、高齢者向けの結婚相談所界隈では、年齢よりも若くみえる上、男心をくすぐるような細やかな気遣いのできる「いい女」で通っていたとの証言が出ています。
80代の男性Aさんは、千佐子被告とのデートをこう振り返る。
「あの人は若く見えて、きれいな人でしたよ。逮捕されてからは老けているように見えましたが。年齢より若く見えてた人です。
千佐子被告は高齢者向けのお見合い業界では「いい女」で通っていたという。
筧千佐子容疑者は、結婚相談所のスタッフの間でも有名で、プロフィール写真では化粧を決めて、見ようによっては高級クラブのママにも見えるような雰囲気で、複数の結婚相談所に掛け持ちで登録をしていたそうです。
また、筧千佐子の武器は何よりも女らしさで、男性の心を掴むのがうまかったと結婚相談所スタッフが証言しています。
千佐子被告は複数の結婚相談所に掛け持ちで登録していた。そこで見せてくれた写真は、化粧もばっちりで高級クラブのママと言われれば、そう見える雰囲気だった。
「でもね、あの人の武器は、女らしさなんですよ。男心を掴むのがうまいんです」(結婚相談所スタッフ)
最初の見合いの席は、結婚相談所の人間も立ち会う。ここで初めて紹介される千佐子被告はおしとやかな感じで、控えめで貞淑な感じを演出してるのか、「まあ、すごいじゃないですか」と、老人の自慢話をだまって聞いて、相手をほめちぎるのだという。
「あの人(千佐子被告)のしぐさは、男心をくすぐるんです。アイスコーヒーなどが出されると、相手にストローの皮をむいて差してから『どうぞ』と出すみたいな細やかな心遣いをする。席を立って帰る時にも、コートなどをハンガーからとって袖を通してあげるような、独り身の老人にはたまらない優しさを見せるんですよ。その後、男性側から『絶対、あの人で』ということもありました」(結婚相談所スタッフ)
筧千佐子の魅力② 高齢男性を虜にするようなメールをまめに送信
筧千佐子が、青酸化合物を飲ませて殺害した結婚相手や交際相手の男性らに送っていたメールも裁判で明らかにされています。
そのメールには、まさに高齢男性を虜にするような、情熱的な愛のメッセージが綴られています。
〈楽しい2日間をありがとう。私のなかの稔への思いがつのる2日間でした。大好きな稔へ。恋する妻より〉
〈会えば会うほどあなたのことが好きになります。まじめで正直で思いやりがあり、物事をちゃんとわかっていて、すべて信頼できる人です。ふたりで楽しい新婚生活をしましょう〉
筧千佐子はこうしたメールをまめに結婚相手や交際相手に送ってその心を掴んでいたと見られています。
結婚相談所に登録するような高齢男性は、寂しさを抱え、今後への不安も抱いている方が多いと思われるので、こうしたメールでイチコロだったのでしょう。
筧千佐子の魅力③ 夜の営みにも積極的だったとの情報も
筧千佐子は夜の営みにも積極的だったとの情報も複数出ています。
筧千佐子との結婚から数ヶ月後に亡くなったという男性は、結婚当初に知人に夜の営みについて聞かれ「そりゃあ、いい女だよ。積極的だ」と答えていたそうです。
「Bさんはお金は持っていたんだけど、質素な生活をしていて、たまの楽しみが、実は風俗だったんです。その人が結婚するんだって聞いた時には、『あっちのほうはどう?』と聞いたら、『そりゃあ、いい女だよ。積極的だ』って。それで、みんな『よかったね』って言っていたんですけどね」
また、2008年に筧千佐子が3度目の結婚をした当時70代の男性も、周囲から「腹上死するなよ」と冗談を言われた際に「それもええかもな」と幸せそうに返していたそうです。
当時の旦那さんは、70才過ぎての初婚やった。彼には先祖代々の広大な田んぼや土地があって、家も持っていて、1人で暮らしていたから、財産はたくさんあってね。そこで、急に千佐子さんと一緒に暮らし始めて、“結婚した”なんて言うんでビックリしたよ。腹上死すんなよって茶化したら、“それもええかもな”って、幸せそうやったね。
筧千佐子のこうした面も、被害者の男性達には魅力的だったのでしょう。
筧千佐子の結婚歴と交際歴と旦那達の末路(事件の時系列一覧)
出典:https://novel-nagasaki.com/
筧千佐子はわかっているだけでも4度の結婚歴と、7人の男性との交際歴があります。
筧千佐子の結婚歴と交際歴、旦那や交際した男性については人数が多く、事件の流れが掴みにくいため、時系列順に一覧で表にまとめて紹介しておきます。
関係 | 時期 | 旦那の名前 | 旦那の職業経歴など | 末路 |
1度目の結婚相手 | 1969年〜1994年9月死別 | 矢倉姓の男性 | 大阪貝塚市印刷業経営 | 病気で54歳で死亡(不審死ではない) |
交際相手 | 2002年4月死亡 | 不明 | 大阪市マンション・ビル経営(年齢不明) | 筧千佐子にマンションを購入した直後に死亡 |
交際相手 | 2005年3月死亡 | 不明 | 兵庫県南あわじ市酪農家(当時68歳) | 牛舎で死亡しているのを筧千佐子が通報。遺産の一部を受け取ると筧千佐子はすぐに姿を消した |
2度目の結婚相手 | 2006年8月死亡 | 不明 | 兵庫県西宮市薬品卸売業(当時69歳) | 結婚3ヶ月で死亡。筧千佐子は土地と建物を約9400万円で売却。末松清人さんと二股をかけられていた。 |
交際相手 | 2008年3月死亡 | 不明 | 奈良県奈良市元衣料品販売業(当時75歳) | 自宅で倒れ死亡。筧千佐子は生前に作成していた公正証書遺言を示して遺産を要求。 |
3度目の結婚相手 | 2008年5月死亡 | 不明 | 大阪府松原市農業(当時75歳) | 結婚1ヶ月後に死亡。筧千佐子は遺産を後述する末松清人さんからの借金4800万円の返済に充てている。 |
交際相手 | 2007年12月に青酸化合物を飲ませれ2009年5月死亡 | 末松清人さん | 兵庫県神戸市元兵庫県職員(当時79歳) | 先物取引の投資金4000万円を筧千佐子に預けており、その返済日の2007年12月に青酸化合物を飲まされ入退院を繰り返した後2009年5月に死亡。筧千佐子は発覚を恐れ、2008年6月に末松さん長女に配当金を含むとして4800万円を返済。 |
交際相手 | 2012年3月死亡 | 太田義和さん | 大阪府貝塚市元海運業(当時71歳) | 全財産を遺贈するとの公正証書遺言を作成。青酸化合物入りカプセルを飲まされた後、ミニバイクでスポーツジムへ向かう途中転倒し死亡。筧千佐子は生命保険金やマンション売却代金など合計2000万円の遺産を取得。 |
交際相手 | 2013年5月死亡 | 不明 | 大阪府堺市造園業(当時68歳) | 死亡の詳細は不明ながら、交際時期が沢木豊さんと被っている。この方が死亡してわずか1ヶ月後に筧千佐子は筧勇夫さんとの交際をスタート。 |
交際相手 | 2013年9月死亡 | 沢木豊さん | 兵庫県伊丹市元内装業(当時75歳) | 2013年9月2日に筧千佐子に遺産を全て譲るとする公正証書遺言を作成。その18日後に青酸化合物カプセルを飲まされ、救急搬送先の病院で死亡。筧千佐子は沢木さんの前妻との子供2人の存在を隠蔽した上、遺産1500万円を受け取る |
4度目の結婚相手 | 2013年12月死亡 | 筧勇夫さん | 京都府向日市元電機メーカー勤務(当時75歳) | 沢木豊さんが死亡した2ヶ月後の2013年11月に結婚。しかしわずか1ヶ月後の12月28日に、青酸化合物を飲まされて自宅で卒倒。救急搬送されるも死亡。 |
筧千佐子が起こした一連の殺人事件が発覚したのは、4度目の結婚相手である筧勇夫さんの遺族が、不審に思い警察に訴えたのがきっかけでした。
京都府警は内定捜査を開始し、2014年夏、事件後に筧千佐子が不用品回収業者に渡していた園芸用プランターの土の中から、微量の青酸化合物が付着した小袋を発見。これが決め手となり、2014年11月19日、筧千佐子は筧勇夫さん殺害の容疑で京都府警に逮捕されました。
その後、2015年9月までに、筧千佐子は太田義和さんと沢木豊さんに対する殺人の容疑、末松清人さんに対する殺人未遂の容疑でも逮捕され、3件の殺人と1件の殺人未遂の罪で起訴される事になりました。
筧千佐子の子供は息子と娘が1人ずつの2人
筧千佐子には、最初の結婚相手である「矢倉」姓の人物との間に2人の子供が生まれています。
筧千佐子の子供は息子と娘が1人ずつで、息子は1970年に生まれた長男。娘は1971年に生まれた長女です。
なお、下引用記事の「矢野」というのは最初の旦那の「矢倉」姓の人物の仮名です。
彼女が22歳の1969年初旬、同僚と旅行していた鹿児島県・桜島で出会った大阪府の矢野正一さん(仮名)との交際が始まる。同年3月に銀行を退行した千佐子は、双方の実家の反対を押し切って矢野さんと結婚。大阪府貝塚市で暮らしながら1970年に長男、1971年に長女を出産した。
筧千佐子の息子は現在まで1度もメディアには登場していませんが、娘についてはメディアには特定されているようで、母親の筧千佐子がこのような連続殺人を犯している事を知って、思わず卒倒しそうになったとの新聞記者からの情報が報じられています。
「娘さんも、まさか実母がこんなにも多くの人と交際や結婚を繰り返し、相手が次々と怪死していることをいっさい知りませんでした。記者からそうした事実を聞かされると、卒倒しそうになっていたそうです」(地元紙記者)
ただ、筧千佐子の子供についての情報はこれ以外にはありません。2023年の現在は息子が53歳前後、娘が52歳前後のはずですが、どこで何をしているのかなどは一切わかっていません。
筧千佐子の青酸化合物連続殺人事件の判決は死刑で2021年に確定
筧千佐子の青酸化合物殺人事件(関西青酸連続死事件)での裁判は2017年6月に始まり、一審判決は「死刑」でした。
弁護側は無罪を主張して即日控訴し、2019年に控訴審が開かれましたが、一審判決が支持され大阪高裁は控訴を棄却する判決を言い渡しています。
弁護人はこの判決も不服として即日上告し、2021年6月に上告審判が開かれましたが、最高裁は上告を棄却する判決を言い渡し、7月16日までに筧千佐子の死刑判決が確定しました。
京都、大阪、兵庫で青酸化合物入りカプセルを飲ませて3人を殺害したなどとして一、二審が死刑とした筧(かけひ)千佐子被告(74)の上告審判決で、最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は29日、弁護側の上告を退けた。「憲法違反の主張に理由はない」などと判断した。死刑とした一審・京都地裁の裁判員裁判の判決が確定する。
筧千佐子の現在…死刑執行はまだで大阪拘置所に収容されている
筧千佐子は死刑判決が確定していますが、2023年9月現在はまだ死刑執行はされておらず、大阪拘置所に収容されています。
筧千佐子の弁護側は現在も動いており、2022年10月14日には京都地裁に再審請求を行っています。
一方、筧千佐子本人の現在については、健康に問題はないものの、痴呆症の進行が見られ記憶が曖昧になっているとの情報が出ています。
関係者によると、筧死刑囚は現在、収監先の大阪拘置所で、弁護人との面会には応じており、健康に問題はないが記憶が曖昧で、認知症の進行がみられるという。日置さんの事件についての言及はないが、再審請求については「ありがとうございます」と話したという。
まとめ
今回は、1994年から2013年にかけて周囲で高齢男性少なくとも10人以上が不審な死を遂げ、2007年から2013年にかけて少なくとも4人の高齢男性に青酸化合物を飲ませ3人を殺害し1人を殺害しようとしたとして、3件の殺人の罪と1件の殺人未遂の罪で死刑判決を受けている筧千佐子についてまとめてみました。
筧千佐子の生い立ちは、1946年11月28日に長崎県長崎市で生まれるも母親が未婚で養育能力がなかったため福岡県八幡市の家族に養子に出されています。養子に出された先の家族は、大手製鉄会社に勤める父親と専業主婦の母親の一般的な家庭で、兄弟は兄が1人いました。
筧千佐子の経歴は、全国でも屈指の進学校である「福岡県立東筑高校」を卒業後、住友銀行に就職という当時の女性の経歴としてはトップクラスに優秀なものです。
その後、最初の結婚をして住友銀行を退職した後、最初の旦那との間に息子と娘1人ずつの2人の子供を出産しますが、1994年に旦那と死別。
その後、筧千佐子は結婚相談所を使って次々と高齢男性と知り合い、結婚あるいは交際をしては、青酸化合物を飲ませて殺害しその遺産を手に入れたと見られています。
筧千佐子は3件の殺人事件と1件の殺人未遂事件で起訴され死刑判決を受けています。
2023年9月現在も死刑執行はされておらず、筧千佐子は大阪拘置所に収容されています。現在、筧千佐子は健康面は問題ないものの痴呆症の症状が進んでいるとの報道も出ています。