熊谷男女4人殺傷事件は2003年に起きた事件で、犯行の残酷さから主犯の尾形英紀は裁判で死刑判決を受けました。
今回は本件の詳細や犯人と被害者・鈴木秀明さんの関係、 犯行に加担した少女、吉村カオリのその後や生存者の現在について紹介します。
この記事の目次
熊谷男女4人殺傷事件の概要
2003年8月18日、埼玉県熊谷市内で男性1人と男性の同僚であった女性3人が拉致、殺傷される事件が起こりました。
最初に殺害された被害者は風俗店従業員の鈴木秀明さん(事件当時28歳)で、鈴木さんを殺した犯人は元稲川会系暴力団員の尾形英紀(事件当時26歳)です。
鈴木さんは2003年6月頃より家出中の少女、吉村カオリ(仮名・事件当時16歳)を自宅に泊めていました。
2人の間に肉体関係はなかったものの、カオリを愛人にしていた尾形が「鈴木にレイプされそうになった」という彼女の訴えを受け、怒りに任せて鈴木さんを殺害。
さらにたまたま鈴木さんと一緒にいた同僚の女性・A子さんと、上司に頼まれて出勤しない2人の様子を見に来た同僚のB子さんと友人のC子さんを拉致、うち1名を殺害したうえにほかの2名も亡くなってもおかしくないような状態まで痛めつけて、野外に放置しました。
幸いにも2名は通行人によって保護されて一命をとりとめ、彼女らの証言から尾形やカオリ、共犯の少年の存在が浮上します。そして8月21日に尾形逮捕、カオリと少年も相次いで逮捕されました。
その後、主犯格である尾形については2007年に死刑判決が下され、2010年に東京拘置所内で死刑が執行されています。
熊谷男女4人殺傷事件の詳細① 鈴木秀明さんと吉村カオリの関係
熊谷男女4人殺傷事件の被害者である鈴木秀明さんが吉村カオリと出会ったのは、事件が起きる2ヶ月ほど前の2003年6月下旬のことでした。
熊谷駅の周辺で風俗のスカウトをしていた最中に鈴木さんはカオリと知り合い、家出中の彼女を自分の住んでいたアパートに連れていき、そこで生活させるようになったといいます。
なお事件当時、鈴木さんが住んでいたアパート「グリーンハイツ 箱田」の部屋は勤務先の風俗店が社宅として借り上げていたもので、熊谷市箱田7丁目内にあったとのことです。
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しかし共同生活がはじまった早い時期から2人の間には口論が絶えず、カオリは鈴木さんを疎ましく感じていたといいます。
原因はカオリが違法薬物に手を出していたことで、鈴木さんがこれを咎めて言い争いになっていたそうです。
そんな折、7月上旬にカオリは熊谷駅周辺で尾形英紀に声を掛けられてそのまま交際することになりました。鈴木さんとの間には肉体関係はなかったというカオリですが、尾形とはすぐに体の関係を持ち、2人は頻繁に会うように。
尾形の素性は熊谷市広瀬に住む元稲川会系暴力団組員で、妻子持ちでした。カオリと付き合っていても妻と別れる気はなかったようで、自分に夢中になっているカオリをいずれは風俗嬢にするつもりだったといいます。
熊谷男女4人殺傷事件の詳細② 吉村カオリが尾形英紀をけしかける
カオリのことを心配していた鈴木さんは、彼女の携帯電話に連絡をすることが多かったそうです。しかしカオリはこのことも疎ましく感じており「彼氏面すんな」「キモい、ウザい」「知り合いのヤクザに脅してもらおうかな」などと、友人に愚痴っていたといいます。
またカオリは、尾形にも鈴木さんの悪口を吹き込んでいました。そしてある時、尾形は「俺が話をつけてやる」と言ってカオリについていき、彼女と別れるように鈴木さんに迫ったのです。
最初は別れ話に応じなかった鈴木さんですが、尾形から恫喝されて身の危険を感じたことから、最終的にはカオリとは縁を切ることにしてアパートの鍵も返却させたといいます。
その後、カオリは大里郡寄居町の実家に戻っていったのですが、親と折り合いが悪かったために実家に帰って一週間もするとまた家出をし、なぜか再び鈴木さんの家に入り浸るように。
鈴木さんが留守の間だけ部屋を貸して貰う約束で、主に昼間にアパートに上がり込んでいたそうです。しかし、8月16日に決定的な事件が起きてしまいます。
まだ日が高いうちに仕事から戻った鈴木さんが、寝ているカオリの体を触り、服を脱がせようとしたのです。
この一件から鈴木さんへの嫌悪感をさらに強めたカオリは、8月18日の午前に尾形と会った際「鈴木にレイプされそうになった」と訴えました。
別れ話をした際に「俺の女だ」と言ったにもかかわらず、カオリに手を出した鈴木さんに対して、尾形は「自分のことをバカにしている。メンツが丸潰れだ」と感じたといいます。
激怒し「二度とそんな真似ができないように痛めつけてやる」と息巻く尾形に対し、カオリは「やっちゃってよ」などと言って、鈴木さんへ制裁をくわえるようにけしかけました。
さらに間が悪いことに、2人が鈴木さんへの暴行を企てた場には尾形とカオリ以外に、前日にカオリを泊めていたという少年も同席していました。
この日、朝早くに少年の家に車で向かった尾形は、カオリと少年を乗せて熊谷市筑波1丁目のファミリーレストランに来ており、そこで食事をしていた最中に鈴木さんの件を聞かされたのです。
同席していた少年からも「許せねえっすよ。やっちゃいましょうよ」と囃し立てられた尾形は酒の勢いもあってますます興奮し、「これから野郎のアパートに行こう」と言い出しました。
そしてファミレスを後にした3人はまずボウガンを購入しようとホビーショップを訪れましたが
、まだ開店していなかったため、尾形が経営していたゲーム喫茶に向かいます。
尾形は「自宅にチャカもあるが、音がするからこっちにする」などと言って包丁を手に取り、カオリと少年を連れて鈴木さんの部屋に行きました。
熊谷男女4人殺傷事件の詳細③ 鈴木秀明さん殺害
8月18日、午後1時頃にアパートの前に着いた尾形は、カオリに本当に鈴木さんを暴行、場合によっては殺害していいのか確認したといいます。するとカオリは「大丈夫、やっちゃって」と答えたそうです。
また、少年には「お前は関係ないんだから、無理すんな。ここで先に帰るか」と聞いたそうですが、自分もついていくと言い張ったとされます。
一行が向かった時、鈴木さんは留守でした。しかし、ほかの部屋にいるかもしれないとカオリが言い出し、近隣の部屋を探したところ、205号室のA子さんの部屋にいるのを発見されました。
鈴木さんは制服のズボンのほつれをA子さんに直してもらっていたのですが、下着姿でA子さんの家にいる彼の姿を見たカオリは激怒。逮捕後に、以下のように感じたと供述しています。
「こいつ絶対、この女とセックスしてたよ。ついこないだ私を犯そうとしときながら、今度は別の女かよ。キモ過ぎ。許せねえ。やっぱ、殺されても当然だよ、こんな奴は」
尾形とカオリは鈴木さんの部屋である202号室に鈴木さんとA子さんを連行し、鈴木さんに殴る、蹴るの暴行をくわえました。
さらに尾形は暴行された鈴木さんが、謝罪や命乞いをしてもカオリに手を出したとことを認めなかったことに激昂。「ヤクザなめるんじゃねえぞ」と怒鳴りながら、前のめりに倒れた鈴木さんの背中を何度も包丁で刺したといいます。
さらに仰向けに転がした鈴木さんの腹部を切りつけ、「腸がはみでてんじゃん」などと笑いながら頭を踏みつけ、「早く死ね」と痛めつけました。また、カオリも面白がって手を貸し、一緒に鈴木さんの頭を踏みつけたとされます。
その後、上から布団を被せて首や頭を踏みつけて鈴木さんを殺害。この残虐で恐ろしい光景を、なんの関係もないA子さんは見せられることとなったのです。
熊谷男女4人殺傷事件の詳細④ 被害者女性の拉致と殺傷
午後1時20分ごろ、風俗店のマネージャーが出勤してこない鈴木さんの仕事用の携帯電話に連絡をします。しかし繋がらなかったために、同じアパートに住む同僚のB子さんに電話を掛け、「様子を見てきてほしい」と頼みました。
マネージャーとの電話を繋いだ状態でB子さんが202号室に行くと、尾形に脅されたA子さんが玄関口に出て「鈴木さんは今、電話に出られない」と対応。
怯えきって動揺している様子のA子さんを見たB子さんは不思議に思い、何かあったのかと訪ねようとしたところ、尾形によって202号室に連れ込まれて鈴木さんの遺体を見せられたといいます。
初対面の女性2人を202号室に監禁した尾形は、B子さんの失踪を偽装しようと思いつき、部屋の前で見張りをさせていた少年にB子さんの部屋に行って携帯電話や財布などを回収してくるように命じました。
しかしB子さんの部屋から戻る途中で、少年はB子さんと同居していたC子さんに姿を見られてしまいます。そして彼女も捕まって、202号室に監禁されてしまったのです。
「見られたからには殺すしかないよなあ」「やっちゃおう」
午後1時40分、なんの恨みもないはずの3人の女性を乗ってきた車に無理やり乗せた尾形は「見られたからにはやっちまうしかないよなあ」などと言って、秩父方面に向かいました。
助手席に同乗していたカオリも「うん、やっちゃおう、やっちゃおう」と3人の殺害に賛成した様子だったといいます。
この時、車の後部座席にA子さんとC子さん、トランクにB子さんが乗せられていたといいます。
秩父市黒谷にある美の山公園の第2駐車場までやってきた尾形は、まずC子さんを車から降ろしてトイレに連れ込み、胸や陰部を触ったあとで首を絞め、暴行をくわえました。
その後、包丁で刺そうとしたものの失敗し、この時点でC子さんは意識を失っていたことから「放っておいても絶命するだろう」という考えから、彼女を公園に放置します。
出典:https://www.pref.saitama.lg.jp/
C子さんを殺害した尾形が車に戻ると、見張りをしていたカオリが「トランクから携帯の着信音がしていた」と伝えてきました。
そこで尾形がトランクを開けると、汗だくのB子さんが「鈴木さんを殺したのは私ということにしていいから、命は助けてほしい」と懇願してきたといいます。
真夏の猛暑日に1時間以上トランクに閉じ込められてすでに半死半生の状態であったB子さんは、この状況から助かることで頭がいっぱいだったのでしょう。
しかし尾形は、命乞いをするB子さんを歯が抜けるほど激しく殴りつけ、「うるせえな、こいつから先にやっちまうか」と言って、美の山公園の観光道路脇で彼女の首を絞め、背中を数回、包丁で刺して崖の斜面から蹴り落としたのです。
この時、B子さんは窒息により絶命したのですが、カオリは崖の上から痙攣した後に動かなくなるB子さんの様子を観察し、尾形に「動かなくなった、死んだ」と報告していました。
後述しますが、カオリは逮捕後「自分は積極的に犯行に関わっていない、けしかけるようなことも言っていない」と主張していました。しかし、このような様子から殺害や暴行に自ら進んで関与していたと考えられるでしょう。
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1人残されたA子さんを乗せて尾形は熊谷市方面に戻り、大麻生の国道140号線沿いにある建築解体会社の資材置場に彼女を降ろしました。
そして「首つって死ぬか、崖から落とされるか、刺されるか、お前はどれがいい」などと恐怖心を煽って精神的に追い詰めたのち、「口と鼻にアロンアルファを詰めてマンホールに落として、明日の朝まで行きてたら見逃してやるよ」と言って、手足をビニールテープで縛ったうえでA子さんの鼻腔と唇にアロンアルファをつけて呼吸が困難な状態にしたのです。
しかもアロンアルファを塗ってもB子さんが呼吸していることを確認した尾形は「ふさがってねえじゃねえかよ」と憤り、彼女の首を絞めた後に包丁で胸を数回刺しました。
B子さんの刺し傷からみるみる血が滲み出てきている様子を見た尾形は「放っておいてもすぐに絶命するだろう」と考え、彼女を資材置き場に放置したとされます。
熊谷男女4人殺傷事件の詳細⑤ 犯人3名の逮捕
事件当日の午後4時45分、通行人が美の山公園で倒れているC子さんを発見して警察に通報。すぐにC子さんは秩父郡皆野町の病院に搬送されました。
そしてその後、事情聴取に来た秩父警察の警官にC子さんが「グリーンハイツ箱田に鈴木秀明さんの死体がある」と伝えたことから、午後6時25分には鈴木さんの遺体も発見されました。鈴木さんの遺体は布団をかけられたまま、202号室に放置されていたといいます。
次いで午後8時50分ごろ、建築解体会社の資材置場でA子さんも発見されました。発見者の男性はこの場所を駐車場として借りていたとのことで、車にいたずらをされる被害が出ていたことから、夜間の見回りに来たところ血を流して倒れているA子さんを見つけたそうです。
救急搬送されたA子さんは出血多量で意識不明の重体でしたが、輸血が間に合ったことから一命をとりとめました。
しかし、意識は回復しても会話ができるような状態ではなかったため、警察の捜査員は文字盤を持ってA子さんの病室を訪れ、一文字ずつ文字盤を指さしてもらうことで事情聴取をしたといいます。
事件翌日の8月19日、崖から落とされたB子さんの遺体も犬の散歩をしていた男性によって発見され、生存したC子さん、A子さんの証言から8月21日に主犯格である尾形英紀が逮捕されました。
下の画像は、逮捕の直前に任意同行を求められた際の尾形の様子を撮影したものです。
任意同行にはマスコミ各社も同行しており、刺股を持って取り囲む捜査員に対して、「逃げるつもりはねえよ」などと言いながら尾形がタバコを吸うさまはTVでも報じられました。
尾形が逮捕された翌日の22日には見張り役をしていた少年、23日には吉村カオリが逮捕されてました。なお逮捕時の容疑は、3人とも逮捕監禁容疑でした。
逮捕後の取り調べに対し、尾形は犯行動機を「自分の女に手を出されたからムカついた」と供述。
また、口封じをしたつもりでいたA子さんとC子さんが救助されたことをTVで知り、「搬送先の病院に行って殺さなければと思っていた」と、さらに殺人を重ねるつもりでいたことも明かしました。
熊谷男女4人殺傷事件の裁判と判決
さいたま地裁で開かれた第一審で、尾形英紀被告の弁護士は「被告は過去にシンナーを常用しており、犯行時には幻覚症状が出ていた可能性もある。最初は殺意をもっていなかった」と主張。
精神鑑定の結果、鈴木秀明さん殺害時の尾形の弁別能力には著しい低下が見られ、まともな判断ができる常態にはなかったとの鑑定書が出されました。
しかし検察側はこれに異を唱えて再鑑定をおこない、「事件当日の飲酒や、過去のシンナー吸引などの経験が犯行に影響を及ぼすとは考えられない」と、弁護側とは異なる結果のの鑑定書を裁判所に提出します。
裁判所は検察側の鑑定結果を証拠として採用。2007年3月9日の最終弁論でも弁護側は再度「被告は犯行時、心神耗弱状態にあり、また26歳という年齢から更生の余地は十分にある」と訴えましたが、4月26日に下された一審の判決は死刑でした。
死刑相当と判断した理由について、裁判長は以下のように説明しています。
・1日のうちに男女4名の殺害を企て、実際に2名を殺害するというまれに見る重大な凶悪事件である。
・犯行後も生存した2名を口封じのために殺害しようとしたうえ、犯行に使った車のトランクを共犯の少年に掃除させ、少女を知人の家に匿わせるなどして犯行の隠蔽を図った。これらの点から、事後の情状も悪質だと言わざるを得ない。
・犯行の動機も「自身の面子を守る」という暴力団関係者特有の心情によるもので、酌量の余地はない。
・何の落ち度もない女性3人を精神的、肉体的にいたぶった残虐性は看過できない。
一審の判決を受けた弁護側は控訴しましたが、7月18日に尾形英紀被告本人がこれを取り下げており、尾形の死刑が確定しました。
共犯者の判決
実質的に尾形を操り、鈴木さんを殺害するように焚き付けた吉村カオリ。逮捕後は未成年であるために家庭裁判所に送致されましたが、事件への関与が深刻なことから殺人幇助・殺人未遂幇助でさいたま地裁に逆送致されることになりました。
同僚によると、カオリと同居するようになった頃、鈴木さんは嬉しそうに「彼女ができたんですよ」と話していたそうです。
またカオリは都合よく利用していただけであっても鈴木さんの方は彼女を「大切な恋人」と思っていたようで、「カオリのこと大好きな俺がいるのを忘れないで。カオリのやりたいことをやってね」といった手紙も渡していたことがわかっています。
相手の好意に漬け込んでさんざん利用し、気に入らなくなったら元暴力団員の彼氏に頼んで殺害させる。彼女のこのような態度から「共犯者の少女こそ熊谷男女4人殺傷事件の主犯ではないのか」と糾弾する声も見られました。
また、カオリは事件後も鈴木さんの部屋から持ち去った現金3万円を使って遊び歩いており、逮捕後も反省するような様子は見られなかったと報じられています。
逮捕され身柄を拘束されてからも、事件の重大性を理解せず、検察官の取調べに対して、「今一番したいことは?」と問われ、「ファミレスとかゲーセンに行って、他の客を見て、あいつは変だとか言って、笑いたい」と答えたという。
裁判では弁護側は「被告は『やっちゃえ、やっちゃって』という発言はしていない。また、尾形被告の『やっちゃうか』という発言についても、殺すという意味ではなく殴るという意味だと思っていた」などと主張。
しかし、さいたま地裁は弁護人の訴えを退けて検察の求刑どおり懲役5~10年の不定期刑を言い渡しました。
また共犯者の少年については尾形に着いてきたものの鈴木さん殺害の時点で気分が悪くなって部屋の中に入ることもできず、被害者に手を下していないことから、中等少年院送致、長期の保護処分を受けるだけに至りました。
熊谷男女4人殺傷事件のその後① 尾形英紀の死刑執行
尾形英紀の死刑は2010年7月28日、東京拘置所で執行されました。死刑には当時の法務大臣であった千葉景子氏が立ち会っており、現職の法務大臣が死刑の執行に立ち会うのは憲政史上初めてのことです。
なお、同日に宇都宮宝石店放火殺人事件の犯人である篠沢一男死刑囚の死刑もおこなわれました。
死刑前に残した尾形英紀の手記
生前、尾形は死刑廃止を訴える団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム’90」のアンケートに対し、自分の死刑についての考えを以下のようにまとめて回答していました。
・人は未来があるからこそ反省する。死刑というのは反省する必要はない、死ねという意味だと思う。
・自分は死刑判決を受け入れるかわりに反省をやめた。遺族や被害者のことを考えることもやめた。
・国が死刑という殺人を容認しているのに、個人が人を殺すと咎められるのは矛盾している。
・死刑をするのならば裁判に関わった検事、裁判官、法務大臣らが自ら刑を執行するべき。それが奴らの責任というもの。
・死刑は廃止するべきだ。
反省というのは被害者や遺族のためにするものではなく「俺の人生のために、今後の俺のためにするもの」という考えが、随分と傲慢で的外れだという印象を受けます。
尾形は控訴を取り下げる際に「とくに被害者の女性3人には申し訳なく思っている、死刑を受け入れる」と潔く罪を償う姿勢を見せたといいます。しかし、時間が経って死刑が怖くなったのでしょうか。死刑制度に難癖をつけて、駄々をこねているようにしか見えない手記です。
この手記に対しては、世間的にも厳しい見方が集まりました。ヤフー知恵袋や2ちゃんねる、SNSなどにも散々「結局、言いたいことは『死にたくないから助けてください』っていうだけ」「死刑と殺人がイコールになる理由がわからない」と批判の声が寄せられていました。
死刑の是非についてはさまざまな議論がされていますが、尾形の主張はごく個人的なもので、フォーラムの主旨にはそぐわないものだったのではないでしょうか。
なお法務大臣が刑を執行するべきという尾形の要望は、千葉景子氏が立ち会ったことで最終的に一部かなえられたことになります。
熊谷男女4人殺傷事件のその後② 被害者や遺族の事件後と現在
裁判で証言台に立った被害者のC子さんは、一緒に暮らしていたほど仲の良かったB子さんが亡くなったことを知り「自分だけが助かってしまった」という自責の念を感じていることを吐露していました。
母親によると亡くなったB子さんはホームヘルパー2級の研修を受け、ボランティア活動にも熱心に参加する心優しい女性だったといいます。
亡くなった時、B子さんはまだ21歳でした。事件の直前にも重度の障がい者が入居する施設にボランティアに訪れており、将来は福祉の道に進むのだろうと親も応援していたそうです。
また奇跡的に意識不明の重体から生還したA子さんには、小さいお子さんがいました。
裁判でA子さんは「今でも、鈴木さんが殺される時の様子や自分が殺されかけた時のことを夢に見て起きることがあります。PTSDや円形脱毛症にもなりました。刺された胸の傷が痛むこともあり、うずくまっていると息子に『ママここ痛い、ママここ痛い』と心配されることがあります」と、聞いているだけで苦しくなるような辛い日々について証言していました。
熊谷男女4人殺傷事件のその後③ 犯人の少女・吉村カオリの現在
尾形と並び、熊谷男女4人殺傷事件の主犯として批難を浴びた吉村カオリ。事件後も反省した様子がなく、終始言い訳に徹していたことから「更生は難しいのではないか」「未成年というだけで、このような凶悪事件の主犯格の女が5年、10年で社会に出るのは怖すぎる」との声もあがりました。
2022年現在、吉村カオリは35歳になっており、とっくに刑期を終えて出所していることになります。吉村カオリという名前も報道上の都合で付けられた仮名であり、公表されている情報も実家のおおまかな場所だけであるため、出所後の彼女がどのような暮らしをしているのかは不明です。
ネット掲示板には「本名は『かわだまみこ』」「出所後はキャバクラで働いていた。今は結婚している」等の書き込みも見られましたが、いずれの情報も真偽は明らかではありません。
なお、懲役刑が確定した後、取材に応じたカオリの母親は以下のように話しています。
「今後は娘の幸福だけを考えていきたい。そっとしておいてほしいのが本音なんです」
本来であれば加害者の親は謝罪し、損害賠償等を考えなければいけない立場のはずです。にもかかわらず被害者のような物言いに、やはり親も普通ではなかったのだという批判の声があがっていました。
熊谷男女4人殺傷事件の犯人・尾形英紀の生い立ち
小、中学生時代の尾形英紀はスポーツ万能でテニス部の主将を務めていたといいます。しかし中学生時代にすでに素行に問題があり、2年時からシンナーを吸うようになり、またバタフライナイフを使って同級生の男子生徒の左胸と背中を刺し、怪我を負わせたこともあったといいます。
さらにその後、友人とともに金属バットを凶器に強盗致傷事件を起こして中等少年院送致に。退院した尾形はすぐに傷害、恐喝事件を起こして再度、中等少年院送致となりました。
高校に進学してからは暴力団員と付き合いを持ち始め、高校を中退た後は稲川会系暴力団に所属し、幹部組員にまでなったといいます。
そして1997年5月に酒に酔って通行人に暴行をくわえ、その被害者に金銭を要求するという事件を起こして逮捕。翌年の2月23日に傷害・暴行・恐喝未遂・道路交通法違反で懲役1年6か月(執行猶予5年・保護観察付き)の判決を受けました。
この執行猶予期間中の2000年11月に尾形はまたしても酒に酔って通行人に暴行をくわえるという傷害事件を起こし、翌年4月18日に懲役6ヶ月の実刑判決を受けて、執行猶予を取り消されることとなります。
そして熊谷男女4人殺傷事件を起こす前年の10月まで、川越少年刑務所に収監されていました。
私生活では1998年6月に結婚しており、長女も誕生していたといいます。
なお、上記2件の傷害事件の裁判時に反社会勢力とは縁を切ると約束していた尾形でしたが、川越少年刑務所を出てすぐに暴力団関係者と交際を再開しており、2003年の7月から知人の暴力団関係者に保証人となってもらい、ゲーム喫茶の経営をしていました。
熊谷男女4人殺傷事件についてのまとめ
この記事では2003年8月に起きた凶悪事件、熊谷男女4人殺傷事件の詳細や犯人の少女や尾形秀明と被害者の鈴木秀明さんとの関係、裁判や犯人や被害者のその後について紹介しました。
裁判の記録によると、尾形のみならず鈴木さんも前妻との間に男の子がいたことが明らかになっています。2004年までに頑張って身を持ち直し、前妻と息子に会う約束もしていたそうです。
なぜ、そのような大切な約束があったのにもかかわらず、鈴木さんは吉村カオリに入れ込んでしまったのでしょうか。2人が知り合うことさえなければ、3人の女性も幸せに暮らしていたはずです。
もちろん鈴木さんは痛ましい事件の被害者です。しかしながらどうして、犯人と縁を切らずにズルズル関係を続けてしまったのか、その点が悔やまれてなりません。