樋田康則(鈴鹿市ベルシティ殺人事件)の現在!生い立ちや家族・結婚と異常性癖も総まとめ

女子中学生を殺害しバラバラにして遺棄した樋田康則は異常性癖の持ち主でした。

 

鈴鹿市ベルシティ殺人事件の犯人・樋田康則の生い立ちや経歴、家族や結婚歴、異常な性癖、事件の詳細や被害者の出廷、現在をまとめました。

樋田康則は鈴鹿市ベルシティ殺人事件の犯人

出典:twitter.com

 

樋田康則は鈴鹿ベルシティ殺人事件の犯人です。樋田康則は「といだやすのり」と読みます。

 

樋田康則が犯人の鈴鹿ベルシティ殺人事件とは、1992年に三重県鈴鹿市の中学3年生女子が樋田康則に襲われて殺害され、バラバラにされて遺棄された事件です。

 

樋田康則は身勝手な理由で被害者の女子中学生を殺害し、さらに異常性癖から余罪もたくさん出てきて、鬼畜そのものの犯罪者でした。

 

 

樋田康則の生い立ち

 

樋田康則は1994年の逮捕当時29歳でしたので、1984年3月に高校を卒業した計算になります。ここから、樋田康則は1965年3月~1966年4月生まれと思われます。

 

生まれは三重県鈴鹿市ではなく、千葉県流山市です。当時の2ちゃんねるの情報によると、流山市平和台近くに実家があるようです。

 

小学校の頃はおとなしく目立たないタイプだったという情報があります。不良タイプではなかったようです。また、中学校は流山市立南部中学校で、中学時代も目立たないタイプでしたが、中学卒業後も中学校での運動会には顔を出していました。

 

高校は東京にある東京電機大学高校電子科にいたようです。そして、その高校を1984年に卒業しました。高校卒業までは女性と肉体関係を持ったことはないことが裁判でわかっていますので、モテるタイプではなかったと思われます。

 

 

樋田康則の経歴

 

樋田康則は高校卒業後にオートバイ整備の仕事に就きました。この時の就職先は、鈴鹿8時間耐久ロードレースなどに出場しているチームヨシムラという情報があります。

 

また、高橋硝子工業株式会社のチームのメカニックの仕事をしていて、「チーフメカニック」という肩書で、鈴鹿8耐などのレースに参加していました。

 

事件後は新潟県燕市に引っ越していますが、そこでも自動車修理工場に勤めて、バイクレースのチームでメカニックの仕事をしています。

 

 

樋田康則の家族・結婚歴

 

樋田康則は逮捕される4年前の1990年4月に結婚しています。嫁とは2人の子供をもうけていましたので、4人家族でした。

 

三重県鈴鹿市では家を新築していましたので、外から見ると「幸せ家族」という感じだったのでしょう。

 

しかし、表向きは幸せ家族で生活していましたが、樋田康則はその間も殺人、傷害、強姦未遂などの事件を繰り返し起こしていました。樋田康則が1994年に逮捕された後は、嫁は離婚しています。

 

 

樋田康則の異常性癖がヤバい

 

樋田康則は異常性癖の持ち主でした。

 

 

中高生を異常に好き

その異常性癖のせいで、何件も強姦未遂を起こし、鈴鹿ベルシティ殺人事件を起こすことになったのです。

 

樋田康則は女子中高生への強い執着を持っていました。10代の女性や中高生の制服に性欲を覚えるタイプのロリコンだったのです。

 

樋田康則は高校卒業後にオートバイの整備の仕事に就きますが、その時に同僚女性と初めて性行為を行います。その後も、数人の女性とセックスをしますが、徐々に女子中高生に興味を持つようになります。

 

女子中高生の制服に異常な興奮を覚えるようになり、民家に忍び込んで盗んでいました。そして、その盗んだ制服を自分で着たり、交際相手に着せて、風俗のイメクラのようなプレーをしていたとのことです。

 

樋田康則の欲望は徐々にエスカレートしていきました。1989年11月には、当時交際していた女性と一緒に車に乗って少女を物色して、1人の少女にわざと車をぶつけて、車に乗せました。そして、その交際女性が運転する車の中で、車をぶつけてケガをさせた少女の制服を脱がせて、体を触るなどのわいせつ行為を行います。

 

 

奥さんも犯行に付き添う

この時の交際していた女性が、翌年に結婚する妻でした。つまり、樋田康則の妻も、樋田の性癖を知っていただけでなく、わいせつの犯行に加担していたことになります(鈴鹿ベルシティ殺人事件には加担していない)。

 

なぜ、妻も樋田康則の犯行に加担していたのでしょうか?普通の感覚なら、自分の彼氏が中高生に興奮し、拉致するような形で車に乗せて、制服を脱がせて体を触りだしたら、嫌悪感を抱くどころの話ではありません。気持ち悪いですし、速攻で別れますし、警察に駆け込みますよね。

 

それなのに、樋田康則の妻(当時は彼女)は犯行に協力して、その後も別れることなく、樋田康則と結婚したんです。

 

実は、これは妻の犯罪被害歴が関係しています。妻は以前に強姦の被害に遭っています。そのことを当時は彼氏だった樋田康則に打ち明けたら、態度を変えるどころか、優しく接してくれたそうです。

 

「強姦被害に遭った自分に優しくしてくれた男性」ということで、樋田康則が望むことなら何でもしてあげたいと思うようになっていきました。だから、少女を拉致してわいせつ行為をした時も、樋田康則に協力していたんですね。

 

 

盗んだ下着で性交渉

結婚後も、樋田康則は女子中高生や制服に異常な執着を示し続け、民家に侵入してセーラー服などを盗み続けました。そして、盗んだ女子高生の制服や下着を妻に着せて、性行為をしていたんです。しかも、強姦のようなプレーを制服を着せた妻に強要していました。

 

樋田康則は女子中高生の制服や下着を盗むために、深夜に外出して、朝方にセーラー服などの制服が入った袋を持って帰ってきたこともありました。また、夫の部屋から女子中学生が地面に倒れているところを撮影した写真を発見したこともありました。

 

それでも、妻は樋田康則に「なぜそんなものがあるのか?」と問いただすことはできず、夫の要望に応える形で夫が盗んできた制服を着て、セックスをしていたのです。そのあたりはちょっと理解できない感覚ですよね。妻はこの時、夫に捨てられたくない一心で、洗脳されたような状態だったのかもしれません。

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また、鈴鹿ベルシティ殺人事件の後は、樋田康則は家族と一緒に新潟県燕市に引っ越していますが、引っ越した後の家では、2階の部屋を自分専用の趣味部屋としていて、盗んだセーラー服や下着をコレクションしていて、その部屋は基本的に家族は立ち入り禁止として、妻はセックスの時だけ立ち入りOKとしていたそうです。

 

これを考えると、いくら「強姦されたことを告白した時に優しくしてもらったから」という理由で、夫の要望に応じていたとはいえ、妻にもこの鈴鹿ベルシティ殺人事件の責任の一端はあると言えるかもしれません(法的には責任はないとしても)。

 

夫が女子中高生の制服を盗んでいることを知った時に注意したり、警察に相談していたら?最初に少女を拉致した時に警察に相談していたら?鈴鹿ベルシティ殺人事件やその前後の事件は起こらなかった可能性はありますよね。

 

 

樋田康則が犯人の鈴鹿市ベルシティ殺人事件の詳細

 

事件発生から犯人逮捕まで

1992年8月25日の朝、三重県鈴鹿市在住の中学3年生の女子生徒が、犬の散歩に出かけたまま戻らずに行方不明になっていました。中3女子生徒が最後に目撃されたのは鈴鹿市の平田町駅やベルシティ(現在のイオンモール)近くでした。

 

この中3女子生徒は宝塚歌劇団への入団を目指していて、家出をする理由は見当たりませんでした。家族は捜索願を出して必死に探しますが、手掛かりが見つからず、行方は全くつかめませんでした。

 

女子生徒の行方が分からないまま、2年が経過します。1994年8月11日、三重県伊賀町の竹谷池が渇水によって水位が低下し、ビニール袋にくるまれた手足のない遺体が釣り人によって発見されました。亡くなってから時間がだいぶたっていましたが、歯の治療痕などから、遺体は1992年に行方不明になっていた中3女子生徒であることが判明します。

 

警察の捜査によって、樋田康則が犯人であることが浮かび上がってきました。警察の聞き込みで、「犬の遺体を伊賀方面の池に沈めた」という証言を樋田康則の友人が話し、逮捕につながったのです。この逮捕時、樋田康則はすでに鈴鹿市を転居し、新潟県燕市に引っ越していました。

 

 

樋田康則の犯行の詳細

樋田康則は1992年8月25日の朝、鈴鹿市内の会社に出勤して、8時10分にタイムカードを押します。それから、車で外出しました。その時に、犬を散歩させていた被害者の中3女子生徒を見つけて、強姦することを思いつきました。

 

樋田康則は、被害者の女子生徒を後ろから車ではねました。しかし、この時予想以上に女子生徒は大けがを負ったため、強姦することを断念しました。しかし、そのままにしておくと、事件が発覚して逮捕されてしまうので、女子生徒を殺害することを決意します。

 

樋田は車をバックさせて、もう一度女子生徒を車で轢いて殺害し、車に乗せて、亀山市内の石水渓に運んで、ノコギリで遺体の手足を切断します。その後、胴体と手足を別々の黒いビニール袋に入れて、伊賀町の鴉山池に遺棄しました。

 

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しかし、ここで誤算が生じます。1週間後に胴体を入れたビニール袋が浮いてきてしまったのです。そこで、樋田康則は友人に「犬の死体を捨てたが浮いてきた。気持ちが悪いから手伝ってくれ」と話し、友人と2人で被害者女子生徒の胴体部分が入った黒いビニール袋に重りをつけて、竹谷池に遺棄しました。

 

そして、2年後に渇水で水位が下がって発見され、犬の遺体を沈めたと思っていた友人は思わぬ形で遺体遺棄を手伝わされていて、その友人の証言から樋田康則が犯人であることがわかり、逮捕されたのです。

 

もし、この時に遺体が浮いてこなかったとしたら。もしくは樋田が知人に遺体遺棄の手伝いを依頼していなかったら。樋田康則は死体が発見された後も、のうのうと新潟県燕市で家族と一緒に暮らし、犯行をさらに繰り返していた可能性が高いです。

 

遺体が浮いてきたのは、被害者の女子生徒の強い思いがあったからかもしれませんね。

 

この樋田康則は新潟県に引っ越した後、地元のテレビ放送局による車関係の取材でインタビューに答えています。逮捕後にその時のインタビューがフジテレビでスクープとして流されました。殺人を犯しておいて、普通にテレビ局のインタビューに顔出しで答えているなんて、常識では考えられない行動をしています。

 

 

樋田康則の余罪がヤバい

 

 

1994年に樋田康則は、鈴鹿市ベルシティ殺人事件で逮捕されました。

 

乱暴目的で、被害者に車をぶつけて拉致するという手法は、アダルト本の影響で、本の内容を真似したそうです。

 

その後の取り調べで、余罪がたくさんあることが判明しています。下記のわいせつ目的の犯罪以外にも、民家やクリーニング店、学校、お店などから女子中高生の制服を盗むなどの9件の窃盗も行っています。

 

 

余罪①:わいせつ目的略取・強姦致傷・窃盗

1990年7月10日、千葉県流山市内で14歳の女子中学生を車で轢いて転倒させ、車のトランクに押し込み、茨城県結城郡に連れて行きました。

 

強姦しようとして殴りますが、被害者が隙を見て逃げ出したため、強姦は未遂に終わりました。

 

 

余罪②:わいせつ目的略取未遂・傷害・窃盗

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1993年5月25日、新潟県西蒲原郡内で自転車で下校途中の16歳の女子高生に声をかけ、道を尋ねました。女子高生がメモ帳に道順を書いている隙に、頭をプラスチックハンマーで何回も殴り拉致しようとしましたが、女子高生が逃走したため未遂に終わっています。

 

 

余罪③:わいせつ目的略取未遂・傷害・窃盗

1993年6月21日、新潟市内で自転車で下校途中の15歳の女子中学生を車で後ろから追突させて、転倒させました。女子中学生は逃げたため、未遂に終わりました。

 

 

余罪④:住居侵入・強姦致傷・窃盗

1993年7月28日深夜、新潟県西蒲原郡内の民家に侵入し、寝ていた16歳の女子高生の右目をケガキ針で突き刺し、その場で強姦しようとしますが失敗して逃走しました。

 

この被害者は目を突き刺された時に脳に達する傷を多い、左半身不随、右目失明、言語障害の後遺症を負っています。

 

樋田康則はこの女子高生に強い執着を持っていたようで、この犯行の2ヶ月前と1ヶ月後に2回自宅に侵入して制服などを盗んでいます。

 

 

余罪⑤:わいせつ目的略取・傷害・強姦未遂・強盗

1993年12月1日、福島県内で下校中の13歳の女子中学生に背後から車をぶつけて転倒させ、後部座席に乗せて、新潟県東蒲原郡に連れていき、車の中で強姦しようとしましたが失敗しました。女子中学生の制服を盗み、裸にした被害者を置き去りにしています。

 

 

樋田康則の裁判では被害者が出廷

 

逮捕後に行われた第一審では、検察側は死刑を求刑したもの、無期懲役の判決が言い渡されました。

 

控訴審では樋田康則にケガキ針で目を刺され、左半身不随や右目失明、言語障害という重い後遺症を負った害者が父親と共に出廷し、犯人への極刑を訴えました

 

後遺症の頭痛などに悩まされ、薬を飲み続けていることや、
夢見ていた保母の資格取得が出来なくなり、将来のことは何も考えられないこと、
左目の視力まで低下してきていることなどを、やや不自由な口調で切々と語り、
「どういうことをした人が死刑になるのか。こんな体にされたことが悔しい」と訴えた。

 

引用:【鈴鹿女子中学生殺人事件】 – 未解決事件・失踪/行方不明事件・印象に残った事件

 

また、遺族も犯人への極刑を求めて、署名活動を行いましたが、控訴棄却となり、第二審でも無期懲役の判決となっています。検察側は上告を断念し、1997年6月に無期懲役で確定となりました。

 

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樋田康則の現在

 

1997年に無期懲役が確定した樋田康則ですが、現在はすでに死亡しています。刑務所内で自殺したのです。

 

樋田康則は岡山刑務所に収監されていましたが、1999年2月に掛け布団のシーツを窓の取っ手に括り付けて首をつって死亡しているところを発見されました。

 

岡山刑務所で拘置中の被告自殺 窓にシーツ巻き首つる=岡山
…岡山刑務所によると、一九九九年二月に男性受刑者(当時三十三歳)が
掛け布団のシーツを窓の取っ手にくくりつけて首をつって死亡した。九四年
以降、同刑務所での自殺者は五人目。
読売新聞2003年5月20日 大阪朝刊

 

引用:<マジ> 鈴鹿女子中学生殺人事件 <キチ>

 

名前は出ていませんが、年齢や無期懲役の判決の時期などを見ると、樋田康則で間違いないようです。

 

樋田康則は1人の女子高生を殺害し、1人は半身不随の後遺症を残すほどのケガを負わせ、さらにたくさんの女子中高生に恐怖を植え付けたのに、自分は有罪判決からたった2年程度でさっさと自殺。

 

被害者・ご遺族にとっては納得がいく結末ではないでしょう。亡くなった被害者は自分で死を選ぶことすらできなかったし、ほかの被害者は一生その恐怖・苦しみを背負い続けることになるのですから。

 

 

樋田康則のまとめ

鈴鹿市ベルシティ殺人事件の犯人である樋田康則の生い立ちや家族・結婚、経歴、異常な性癖と妻との関係性、鈴鹿ベルシティ殺人事件の詳細と被害者の出廷や現在をまとめました。

 

樋田康則は本当に鬼畜な犯人です。もしかしたら、判明している以外にも樋田康則の被害者がいる可能性があります。しっかりと罪を償わずに自殺したなんて、最後の最後まで本当にズルい奴だと思います。

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