「南京リッパー事件」とは、1996年1月に中国南京市で発生した女子大生の猟奇バラバラ殺人事件です。
この記事では「検索してはいけない」とも言われる「南京リッパー」の事件の詳細な概要、被害者、犯人の推測、現在も噂されている真相などについてまとめました。
この記事の目次
南京リッパーとは1996年に中国南京市で起きた女子大生バラバラ殺人事件
「南京リッパー」とは、1996年1月に中国江蘇省南京市で発生した女子大生バラバラ殺人事件です。
被害者は、9日前の1月10日から行方不明になっていた当時19歳の女性でミンチ状に激しく損壊した遺体(2000個以上に解体されていた)となって1月19日に見つかりました。
その猟奇的な事件内容から、1888年にイギリスロンドンで起きた連続猟奇殺人事件「ジャック・ザ・リッパー事件(切り裂きジャック事件)」になぞらえて、現地では「南京リッパー事件」と呼ばれるようになりました。
「南京リッパー」で検索すると、衝撃的な事件の内容や被害者のバラバラの遺体のグロ画像な土がヒットするため、日本では「検索してはいけない言葉」としても知られています。
南京リッパー事件の概要
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南京リッパー事件の詳細な経緯を見ていきます。
南京リッパー事件の経緯① 被害者が行方不明になるまで
事件発覚のちょうど10日前の1998年1月9日、被害者の女子大生は授業を休んで、地元から遊びに来た親戚と1日過ごしていました。この日の晩、大学の寮の同室の学生が使用を禁止されていた電子レンジをを使用した事がバレ、被害者も連帯責任として100元の罰金を課されています。
1月10日、被害者の女子大生は、昼の授業を途中で抜け、「気分が悪い」と言って寮の部屋で17時頃まで寝ていました。夜になって被害者は外出し、そのまま帰りませんでした。
目撃情報から、被害者は近くの通りの文房具店でボールペンとティッシュを購入していたと見られています。その後、被害者は19時頃に南京市青島路で最後に目撃され、以降の足取りは掴めていません。被害者は行方不明当時、赤いコートを着ていました。
大学の友人らは、被害者が罰金を食らった事に気分を害して故郷に帰ったのだろうと考え、特に問題にしませんでした。行方不明から5日後には期末試験があり、大学の先生が被害者が試験を受けに来ていない事に気がつき、故郷の家族に連絡を入れていますが、この時には家族もあまり気にせず、警察にも通報していません。
南京リッパー事件の経緯② バラバラにされた遺体が次々と発見される
被害者の行方不明から8日後の1998年1月18日は南京市は大雪で、翌朝まで降り続けています。
翌19日の午前、雪が止むのを待ってから始められた業者による路上清掃中、女性清掃員の1人が、新街口華僑路建設現場で黒のビニール袋に入れられた500個ほど、約800gの肉片を発見します。この時には人間の遺体とは思わず通報もしていません。
さらにその後、別の清掃員が大澗銀通り13号のゴミの山の中から、約700gの肉片が入った黒のビニール袋を見つけました。この清掃員は肉片を食用の豚肉だと思い、貧困していた事もあって持ち帰って食べられるか確かめようと考えました。
帰宅後、この清掃員が肉片を水洗いしていると、中から人間の指のようなもの3本を見つけて人間の遺体だと気がつき、すぐに警察に通報。
その日の正午までに発見現場周辺のゴミ捨て場が警察によって捜索され、小粉橋路沿いの団地の4つの入り口横のゴミ箱から、それぞれ、旅行バッグ2つとゴミ袋2つに入った肉片が捨てられているのが発見されました。
発見された旅行バッグと同じもの(実際に遺体が入れられていたものではない)
2つのビニール袋にはそれぞれ約600gの肉片が入れられ、2つの旅行バッグにはそれぞれ、約5kgの内臓と細切れにされた肉片、約6.5kgの損壊のない状態の腸組織と肉塊が入れられていました。腸組織は規則正しく折りたたまれてバッグの中に詰め込まれていたという事です。
翌1月20日には、南京大学天津路校門前の通りのバス停近くで、ジーンズ生地のリュックサックが見つかり、中から約7.5kgの人骨が見つかります。さらに、南京大学の運動場の木の穴からも約600gの遺体の一部が見つかりました。この遺体には被害者の子宮が含まれていたとの情報も発表されています。
1月20日夜には、別の場所のゴミ箱からベッドシーツに包まれた、人間の頭蓋骨と肉塊、合わせて約3kgが見つかりました。同じ場所からは、規則正しく畳まれた被害者の下着や衣服も見つかっています。
それから数日後、下水道のマンホール下から、被害者が行方不明時に着用していた赤いコートも発見され、そのコートに包まれた状態の肉塊も見つかっています。
遺体の司法解剖により、被害者の死亡推定時刻は遅くとも1月14日である事も発表されています。また、遺体の一部には加熱処理が加えられていた事もわかっています。
南京市警察は人海戦術で捜査を進めるも犯人の手がかりはなし
南京市警察は、大量の捜査員を投入し、付近の住民や南京大学の学生全員に対する捜査が進められました。しかし、犯人の疑いのある人物は見つからず、当時は監視カメラの設置もほとんどなかったため手がかりは全く見つかりませんでした。
警察は情報提供に対する報奨金も設定し、証拠品の公開などもして情報を求めましたが、それでも犯人に関する手がかりは何1つ見つからず、事件は暗礁に乗り上げ、真相に近づくような情報は何も分かりませんでした。
2016年1月19日、事件は時効を迎えますが、翌20日には特例的に時効の延期が発表され、現在も捜査が続けられています。
南京リッパー事件の被害者は南京大学に通う女子大生・刁愛青
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南京リッパー事件の被害者は、当時19歳の南京大学学生・刁愛青(日本語読みではチョウ・アイチン、現地の発音ではディアオ・アイチン)である事がわかっています。
被害者の刁愛青さんは、1977年3月11日、江蘇省姜堰市沈高鎮の生まれで、身長は165cmの中肉中背で、髪型はショート。人間関係のトラブルもなくごく普通の学生で、南京大学成人教育学院経営学部に通っていました。
南京リッパー事件の現在① 犯人は未だ捕まっていない
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南京リッパー事件の犯人は、現在も未だに捕まっていません。
2016年8月には、中国でガオ・チェンヨンという男が逮捕され、1988年から2002年にかけて女性11人を殺害した事を自供していますが、この犯人が犯行を重ねていたのは甘粛省と内モンゴル自治区で、南京市とは距離的に千数百kmも離れているので南京リッパー事件とは関係ありません。
2020年2月には、新型コロナのPCR検査がきっかけとなって、1992年3月20日に南京医科大学の女子大学生が強姦のうえ殺害された事件の犯人が逮捕され、この犯人が南京リッパー事件にも関与している可能性が指摘されています。
南京市では96年にも女子学生が殺害され、その遺体が約2,000もの肉片に切り分けられるという猟奇的な殺人事件が発生している。現在も犯人は見つかっていないが、警察はこの事件にも、男が関わっている可能性があるとみて慎重に捜査を行っている。
しかし、その後の捜査でも、この犯人の男と南京リッパー事件との関与を示す証拠は見つか離ませんでした。
南京リッパー事件の現在② 真相は不明のまま様々な噂も
南京リッパー事件の真相は現在も闇に包まれたままです。
南京リッパー事件の被害者の遺体は、2000個以上の肉片に解体され、筋肉切片の方向、頭部切断の位置などが専門的知識を有する者によるものと見られています。
この事から、真相は医学的知識を持つ医師や、肉の解体に慣れている食肉の屠殺人や調理人が犯人ではないかとの分析もされています。
また、この事件から12年後の2008年6月19日、中国のインターネットの匿名掲示板に、「黑弥撒(黒ミサ)」というハンドルネームでの、南京リッパー事件についての書き込みがありました。
この書き込みは「南京大学バラバラ殺人事件についての考察」と題された長文で、犯人の容姿や性格、犯行の手口と犯行動機、犯行時の心理状態などが詳細に分析されたもので、あまりに具体的かつ詳細な内容であった事から、この投稿者が南京リッパー事件の犯人だというのが真相ではという噂も出ています。
この書き込みは物議を醸しましたが、なぜか1週間後に関連する書き込みが全て削除されています。
南京リッパー事件の真相は「黑弥撒(黒ミサ)」犯人説は中国のネット上でかなり盛り上がっており、この男は軍関係者かあるいは共産党幹部の子弟で、何らかの圧力が働いて書き込みが削除されたといった噂が盛り上がりました。
中国の一部メディアの報道では、この書き込みによって黑弥撒(黒ミサ)が公安警察に取り調べられ、1982年生まれの南京市出身で父親が警察官である事などから南京リッパー事件に興味を持ち、あのような書き込みを行ったとされています。
しかし、中国のネット上では、この報道も、権力者の関係者が犯人だとする真相を隠蔽するために捏造されたものではないかと噂されています。
まとめ
今回は、1996年1月に中国の南京市で発生した女子大生バラバラ殺人事件「南京リッパー事件」についてまとめてみました。
南京リッパー事件は当時19歳の南京大学に通う女子大生が何者かによって殺害され、遺体を2000個以上の部位に解体され遺棄された事件です。
被害者は刁愛青さんという方である事も明らかにされています。
犯人は現在も捕まっておらず、真相は謎のままです。真相については様々な噂があり、犯人は軍や共産党幹部の子弟で真相が隠蔽されているとする陰謀論なども盛んに囁かれています。