渋谷区短大生切断遺体事件は2006年12月に発生した殺人事件で、兄が妹を殺害したという衝撃から注目を集めました。渋谷区短大生切断遺体事件の動機や判決、犯人・武藤勇貴の生い立ちや家族、両親の手記、事故現場となった自宅の現在などを紹介します。
この記事の目次
渋谷区短大生切断遺体事件の概要
2007年1月3日、東京都渋谷区幡ケ谷の武藤さん宅から、この家の長女で短大生の亜澄(あずみ・当時20歳)さんの遺体が発見されました。
遺体の発見者はこの家の家長で歯科医師の武藤衛さん(当時62歳)の妻で、被害者の亜澄さんの母親でした。
亜澄さんの遺体は切断された状態でゴミ袋に入れられ、武藤さん宅の3階に遺棄されていたといいます。
すぐさま武藤さんが代々木署に通報し、この翌日の1月4日には犯人がスピード逮捕されたのですが、その犯人はなんと亜澄さんの実の兄で、この家の次男の武藤勇貴(当時21歳)だったのです。
逮捕後の供述で武藤勇貴は「妹から『夢がない』と言われたことでカッとなって殺害して、ばれないように遺体をノコギリで解体した」と、犯行動機について告白したとされます。
このことが報じられると、ただの口げんかの延長のような動機の軽さと、殺害のうえに遺体解体したという猟奇性のアンバランスさが世間の注目を集めました。
そして、武藤勇貴が亜澄さんの遺体から剥ぎ取った下着を持ち歩いていたことなどから、本当の殺害動機は近親相姦なのではないのか、と囁かれるようになります。
さらに加害者と被害者、両名の親という複雑な立場にあるはずの武藤夫妻が、なぜか被害者の亜澄さんを批判し、加害者の武藤勇貴を庇うような発言をしたことも報じられて議論を呼びました。
渋谷区短大生切断遺体事件の詳細① 一家の家族構成と事件当日
渋谷区短大生切断遺体事件は2006年12月30日午後、東京都渋谷区幡ヶ谷2丁目20-4にある武藤歯科医院兼住宅で発生しました。
この家の家族構成は家長の武藤衛さんと妻、日本大学歯学部に在籍中の長男、そして歯学部を目指して浪人中であった次男の武藤勇貴、短大に通っていた亜澄さんの5人。
事件当日、武藤衛さんの妻と長男は福島県にある実家に帰省、武藤さんも15時頃から所用で外出しており、家には武藤勇貴と亜澄さんしかいませんでした。
そして亜澄さんがリビングでTVを観ていたところに武藤勇貴がやって来て、互いの生活態度などをめぐって口論になったといいます。
口論の末、カッとなった武藤勇貴は3階にある自室に戻って木刀を持ち出し、洗面所で顔を洗っていた亜澄さんに背後から近づいて頭部を激しく殴打。
亜澄さんはこの暴行で頭部から出血し、「寒い」と訴えながら肩からタオルをかけてうずくまっていたそうですが、その後も1時間ほどにわたって再び武藤勇貴と口論を始めました。
渋谷区短大生切断遺体事件の詳細② 犯行動機
2回目の口論で亜澄さんから「勇くん(犯人のこと)は、親のマネで歯医者を目指しているだけ」「私には夢があるけれど、勇くんには夢がないね」などと言われたことから武藤勇貴が激昂。殺害に至ったとされます。
当時、亜澄さんは短大に通いながら芸能事務所に所属し、「有名女優になりたい」という夢を叶えるために舞台やVシネマなどに出演していました。
出典:https://xmcvdogo9h32.blog.fc2.com/
一方で武藤勇貴は親や兄と同じ歯科医師の道を目指していたものの、受験に失敗して3浪中。勉強にも身が入らなくなり、ネットゲームに逃げる日々が続いていたといいます。
自分の現状について妹から厳しい批判をされた武藤勇貴は「亜澄を黙らせたい」と思い、肩にかけていたタオルで亜澄さんの首を3分間ほど締め上げたとされます。
その後に、「本当に死んだのだろうか」との不安から亜澄さんの遺体を浴室に運び、水をはった浴槽に頭部をつけて殺害しました。
渋谷区短大生切断遺体事件の詳細③ 妹の遺体を解体
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亜澄さんの死亡を確認した後、武藤勇貴は浴室で彼女の遺体を解体しました。まず、衣服を脱がせてから文化包丁やノコギリを使って腕や脚などの関節部分を中心に切断し、遺体を21に分けたとされます。
さらに武藤勇貴は亜澄さんの遺体から両方の乳房を取り除ぐ、臀部の肉を削ぎ陰毛を剃る、臓器を取り出して水で洗浄するなどの遺体の隠蔽とは無関係と思われる奇行を見せたといいます。
そして切断した遺体を4つのゴミ袋に放り込んでクローゼットとキャビネットに隠し、内臓だけを氷で冷やしてクーラーボックスのようなものに入れて、自室の水槽の下に隠しました。
ノコギリでの切断が難しかった頭部と胸部については、自宅のキッチンに設置されていた生ごみ処理用のディスポーザーに詰め込んで、粉砕処理をしたとのことです。
こうして妹の殺害と遺体の解体を終えた武藤勇貴は、父親が帰宅する23時頃までの間に凶器のノコギリと包丁を手早く洗って元の場所に戻し、血で汚れた衣服の洗濯も済ませ、事件現場となった浴室も入念に掃除して、犯行の痕跡を消しました。
また、遺体を解体するという身の毛もよだつような行為に及んだ後、武藤勇貴は肉厚のカツサンドを頬張って、亜澄さんの遺体を隠した自室でいつも通りに就寝していたといいます。
渋谷区短大生切断遺体事件の詳細④ 事件後
亜澄さんを殺害した翌日の12月31日から、武藤勇貴は神奈川県内で予備校の合宿に参加する予定でした。
そのため自分が家を空けている間に家族が遺体に気づかないよう、父親に「部屋で飼育していた観賞用のサメが死んだ。帰ってきたら対処するから、自分の部屋から異臭がしても部屋に入らないで」と伝えていたといいます。
父親はこの時、自宅で起きた惨劇にまったく気づかずに息子を車に乗せて14時頃に予備校まで送り届けました。
そしてそのまま自分も先に妻と長男が帰省している福島へと向かったため、武藤家には亜澄さんの遺体だけが取り残されることとなります。
一方で平然と予備校の合宿に向かった武藤勇貴は、なぜか亜澄さんの遺体から剥ぎ取った下着を持ち歩いていました。
渋谷区短大生切断遺体事件の詳細⑤ 事件の発覚と武藤勇貴の逮捕
年が明けて2007年1月2日の深夜、武藤夫妻と長男が福島から帰宅して家に立ちこめた異臭に気づきます。
そして翌日の1月3日の21時頃、母親が異臭の発生元である3階の武藤勇貴の部屋入って調べたところ、ゴミ袋に入った亜澄さんの切断遺体が見つかったのです。
母親はすぐに外出していた長男に電話をかけて帰ってくるように伝え、22時30分には父親が代々木署に通報。
この時、父親は「次男と長女が喧嘩をした末に、このようなことが起きたのかもしれない」と警察に話していたといいます。
親がこのようなことをすぐに思いつくほど、武藤勇貴と亜澄さんの仲は険悪だったのでしょう。
こうして武藤勇貴は、容疑者として警察に任意同行を求められることになります。
最初こそ「知らない」「自分は関係ない」としらを切っていたものの、最終的には泣きながら犯行を認めたことから、1月4日に死体損壊容疑で逮捕されました。そしてその後、15日には殺人容疑でも再逮捕されます。
渋谷区短大生切断遺体事件の犯人・武藤勇貴と被害者・亜澄さんの生い立ち
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武藤勇貴は両親がともに歯科医師、祖父母も歯科医師や歯学部出身者が多いというエリート家系の生まれでした。
父親は母方の祖父が経営していた歯科医院を継いで開業医として勤務、母親も別の歯科医院で歯科医として勤務していたそうです。
長男も歯科医を目指して日本大学歯学部に通っており、周囲からは当然のように次男の武藤勇貴も歯科医になるもの、進学先は歯学部といった見られ方をしていたのでしょう。
兄と同じ進路を目指してか、武藤勇貴は中学受験で日大附属の男子校である日大豊山中学に入り、高校も同校に進学していました。
高校時代の担任によると非常にまじめな生徒で、宿題を忘れただけで「申し訳ありませんでした」とすすんで頭を下げに来る生徒だったそうです。
しかし大学受験は失敗続きとなり、事件当時には歯学部を目指してはいるものの3浪中の予備校生という立場でした。
武藤亜澄さんの生い立ち
一方で被害者となった亜澄さんは、東海大学短期学部に通いながら、都内にある芸能事務所に所属していました。
「癒し系の女優になりたい」という夢を持っていたといい、自分で考えた『高峯駆(たかみねかける)』という芸名で舞台に出演。学業との両立に励んでたそうです。
亜澄さんの芸能活動は、決して順風満帆なものではありませんでした。ドラマのオーディションに10回以上落ちるなど、兄の武藤勇貴同様に挫折を味わうことが多かったといいます。
しかし頑張れば夢は叶うと信じていた彼女は、諦めずにオーディションを受け続けました。
そしてついに『くりいむレモン~プールサイドの亜美』というVシネマへの出演が決まり、わき役での出演だったものの大きな手ごたえを感じていたそうです。
渋谷区短大生切断遺体事件の判決
渋谷区短大生切断遺体事件の第一審は、2008年5月12日に東京地裁で開かれました。
弁護側は被告人は多重人格であると訴え、「亜澄さんの遺体を切断した時には別の人格に入れ替わっていたため、死体損壊罪は成立しない」と主張。
驚くべきことにこの主張が受け入れられ、一審の判決では殺人罪のみが認められて武藤勇貴には懲役7年の判決が下されたのです。
当然ながら検察はこの判決を不服として東京高裁に控訴。2009年4月28日に開かれた控訴審公判では、一審の判決が破棄されて殺人および死体損壊罪で懲役12年の判決が言い渡されました。
その後、弁護側が最高裁に上告しましたが2009年9月16日に棄却され、武藤勇貴に下された刑は懲役12年で確定しました。
渋谷区短大生切断遺体事件では両親の手記が話題になった
武藤勇貴と亜澄さんの両親である武藤夫妻は、2007年1月24日に弁護士を通して手記を発表して話題になりました。手記には以下のようなことが書かれていたとされます。
・亜澄と勇貴は険悪な関係ではなく、短大の入試についても勇貴が調べてあげていた。
・亜澄の性格は奔放で、家族からは理解しがたいものがあった。
・勇貴は亜澄の存在が両親を悩ませる元凶だと心配していたのではないか。
・勇貴は優しく、暴力などふるえない性格だが、亜澄は絶対に自分の非を認めない性格だった。
このように加害者である武藤勇貴を庇い、被害者の亜澄さんを非難するような文章が書き連ねられ、最後は「亜澄が勇貴に謝っていれば、こんな悲劇は起こらなかったのに」という信じがたい言葉で締めくくられていました。
衝撃的な内容の手記は大きな注目を集め、「親が思い通りに育たなかった被害者を疎ましく思い、浪人生という負い目のあった次男が親の機嫌を取るために『代理殺人』をしたのではないか?」といった意見も飛び交いました。
渋谷区短大生切断遺体事件のその後① 武藤勇貴の現在
刑期満了を待たずに9年の服役で仮釈放されたとの情報もありますが、いずれにしても武藤勇貴は2021年中には出所しているはずです。
現在はどのように生活しているのかは不明ですが、東京地裁での裁判中には出所後の目標について以下のように語っていたとされます。
「これからは、妹のように、理解してもらえず苦しんでいる子供の手助けというのも思い上がりですが、そういったことできれば、世間様にお詫びとして受け取っていただけるのではないか、そういうふうにしていきたいけど、そういう感じでしょうか」
家族になじめないことを悩んでいたのか、亜澄さんは生前リストカットをしていたといいます。
そのため、武藤勇貴が「妹のような子どもを救いたい」と言ったとも考えられますが、これが本心かどうかは不明です。
渋谷区短大生切断遺体事件のその後② 自宅歯科医院の場所と現在
渋谷区短大生切断遺体事件の現場となった武藤家の自宅兼歯科医院は、事件発覚後も通常通り営業していたようです。
ネットで調べて見るとニュースで映った看板をたよりに歯科医院に行ってみた人、近くに住んでいる人や受診したことがある人などのコメントが確認できました。歯科医院としては評判が良かった様子です。
2020年5月で閉院したとのことですが、事件からはだいぶ経っているので閉院の理由は事件とは無関係と思われます。
渋谷区短大生切断遺体事件についてのまとめ
今回は2006年末に発生し、翌年明けに発覚した渋谷区短大生切断遺体事件について、動機や犯人の武藤勇貴と妹・亜澄さんとの関係、2人の生い立ち、現在を中心に紹介しました。
この事件は発覚時こそ大きく報道されたものの、その後は判決も多くの人が「それだけで出てくるの?」と驚くような結果となり、武藤勇貴や両親に亜澄さんを失った悲しみや後悔が見られずにすっきりとしない幕引きをしています。
すでに出所しているであろう武藤勇貴は、現在は罪を悔やむ気持ちを持っているのでしょうか。命を奪われた後も家族から批判をされた亜澄さんのことを思うと、遣る瀬無い気持ちにさせられます。