さんふらわあだいせつ火災事故とは、2015年に商船三井フェリーが運行するフェリー内で発生した火災事故です。乗客に死傷者はなかったものの乗員1名が亡くなりました。この記事では本件の原因や船長、賠償など事故の現在、その後についてまとめます。
この記事の目次
さんふらわあだいせつ火災事故の概要
2015年7月31日17時10分頃、大洗(茨城)と苫小牧(北海道)を結ぶフェリー「さんふらわあだいせつ」内で火災が発生しました。
当日、さんふらわあだいせつは船長以下22名の乗員と71名の乗客、車両等170台を乗せており、大洗を出発して苫小牧に向かっていました。事故が起きたのはは苫小牧港の南方55kmの海上で、火元となったのは第2甲板です。
火災を確認した乗員は直ちに消火作業をおこないましたが延焼が食い止められず、18時30分までには船長による船外退去命令が、乗客、乗員に向けて発令されたといいます。
退船した乗客は救援に来た旅客フェリーや海上保安庁の巡視艇などに乗り移り、全員無事でした。しかし乗員については二等航海士1名が事故後に行方不明になっており、8月3日の11時1分頃に、火災発生現場の第2甲板から遺体で発見されました。
旅客フェリー「さんふらわあだいせつ」について
さんふらわあだいせつは2001年に就航した旅客フェリーで、商船三井フェリーが運行する苫小牧港〜大洗港と、九越フェリーが運行する室蘭港〜直江津港〜博多港の2つの航路があります。
旅客定員数は154名(乗員をあわせて180名まで乗船可能)、車両搭載容量は乗用車62両・大型トラック160台。火災事故発生後も船体そのものは安定しており、海上への重油流出などの二次被害は起きませんでした。
さんふらわあだいせつ火災事故の詳細① 火災発生から避難指示
7月31日、大洗港を出たさんふらわあだいせつは約24ノットの速さ(時速44.45km相当)で苫小牧港を目指していました。
17時10分頃、火災を感知した位置識別機能付火災探知装置が予備警報を発し、その3分後には火災警報に切り替わったことから、船長はトランシーバーを使って乗員に防火部署へつくよう指示を出したとされます。
船長からの指示を受けて甲板手が第2甲板に向かったところ、右舷中央部の冷凍車を集中して積載させていた区域にあったトラックの車載冷凍ユニット付近が、オレンジ色に光っていることを確認。火元が見つかったことを報告しました。
消火活動から避難指示まで
火災確認後はまず船長の指示でスプリンクラーを作動させて消火にあたりましたが、鎮火できなかったために乗組員らによる消火活動がおこなわれました。
しかし消火器や消防ホース等を使っても火は収まらず、火元となったトラックの隣の車両も延焼。さらに火は勢いを増して第3甲板まで延焼したとされます。
火災が拡大しているとの報告を受けた一等航海士は、鎮火は困難と判断して現場で消火活動にあたっていた乗組員らに、第2甲板から離れるよう指示。
そして17時44分頃に右舷中央階段室で点呼をおこなった時点で二等航海士の織田邦彦さん(当時44歳)と甲板手1名、甲板員2名がいないことが明らかになります。
その後、甲板手1名と甲板員2名は発見されましたが、事故の唯一の犠牲者となった織田二等航海士については、いったんは居場所が確認できたものの、再び行方不明になったとのことです。
一方、船長は乗客全員の船外避難を決め、マネージャーに指示をして乗客を一箇所に集めて救命胴衣を着用させました。これが18時前後のことです。そして18時13分頃には、乗員に対しても退船の準備を指示しました。
さんふらわあだいせつ火災事故の詳細② 乗客全員が救助される
火災が起きたさんふらわあだいせつは海上保安庁の巡視船に救助要請を発し、次いで遭難情報を受信した民間の船も事故現場に向かいました。
もっとも早く事故現場に着いたのは、近くを運行していた「北王丸」「シルバークイーン」「すずらん」の民間の3隻で、旅客フェリーであるシルバークイーンとすずらんが主に乗客の救助にあたり、漁業取締船の北王丸が乗員の救助を引き受けたものと思われます。
その他にも、下記の民間船隻が救助に駆けつけました。
・苫小牧港を出港した「ひまわり7」、「清和丸」(19時15頃に現場に到着)
・尻屋崎方向から「ましゅう」(19時30分頃に現場に到着)
・苫小牧港を出向してきた「しんみち丸」「さがみ」(20時頃に現場に到着)
・苫小牧港を出向してきた「さんふらわあふらの」(20時15分頃に現場に到着)
20時30分頃には救助活動はおおむね終了し、保護した乗客を乗せたすずらんは苫小牧東港に向かいます。現場に待機していたひまわり7、清和丸、ましゅう、しんみち丸、さがみ、さんふらわあふらの6隻は、本来の航路に戻りました。
また、現場に残ったシルバークイーンと北王丸も20時45分頃には救助活動を終え、苫小牧港に向かいました。
海上保安庁の巡視船だけではなく、たまたま近くを通っていた船隻が救助に駆けつけて迅速な対応をしたことが、さんふらわあだいせつ火災事故で乗客に犠牲者が出なかった理由の一つと考えられています。
さんふらわあだいせつ火災事故の詳細③ 二等航海士の遺体発見
事故後、海上保安庁は特殊救難隊員を投入して行方不明になった織田二等航海士の捜索をおこないました。
火元となった第2甲板では退避後に爆発が起きたと見られ、車両が散乱してところどころで高温の煙も上がっており、救難隊が入れない場所もあったといいます。そのため、9月2日になっても織田二等航海士の発見には至りませんでした。
また2日になっても鎮火の目処は立たず、巡視船艇が海上から放水活動を続けていました。
出典:https://funegasuki.exblog.jp/
織田二等航海士が発見されたのは9月3日の11時1分頃のことで、前日に続いて船内捜索をしていた特殊救難隊員が、火元とみられるトラックの奥で倒れているところを見つけたとされます。
発見時、織田二等航海士はすでに亡くなっており、死因は一酸化炭素中毒とのことです。
一方、三井商船は引き船を集めて、火の収まらないさんふらわあだいせつを函館港にえい航。その後、二酸化炭素ガスを船内に注入して消火活動をおこない、9月10日の14時53分頃になってようやく鎮火が確認されました。
さんふらわあだいせつ火災事故の原因
さんふらわあだいせつ火災事故の原因となったのは、火元であるトラックの冷凍機の配線不良と見られました。
2018年9月27日に事故の調査に当たっていた運輸安全委員会の報告書を公開しており、それによると以下のような点が火災を引き起こした可能性があると指摘されています。
事故当時、火元のトラックに乗せてあった冷凍機は、フェリーから電源をとってモーターを動かしていたが、モーターへの配線で一箇所、切れた線をねじって繋げただけの部分が見られた。
このような配線は冷凍機のマニュアルでも禁止されており、「火災を発生させるおそれがある」と明記されておる。
問題の箇所が原因で接触不良が起こり、電気的な要因で発火したものと考えられる。
火災を拡大させた消火活動の不備
また報告書では、初期の消火活動が適切におこなわれていなかったことが火災を大きくした可能性があるとも指摘されています。
トランシーバーによる消化指示
さんふらわあだいせつの船長は、火災確認時にトランシーバーを使って乗員に指示を出しました。本来であれば非常配置表に定められた信号や船内放送、火災ベルなどを使って指示を出すべきでしたが、慣れているという理由からトランシーバーを使用したと見られています。
しかしこれによって、すでに第2甲板に向かっていた乗員や消火活動中の乗員には船長の指示が届きづらかったのではないかと考えられます。
工具の不携帯
消火活動に駆けつけた乗員たちは、非常配置表に定められたハンマーや電気ドリル、ガス検知器などの工具や消防員装具を携帯していなかったといいます。
この理由については指揮者から工具の準備などの指示がなかったこと、前述のように船長がトランシーバーで指示を出したために非常配置表を確認しなかった乗員が多かったのではないかと推測されています。
消火活動の不手際
工具を準備せずに駆けつけてしまったこともあり、第2甲板で消火活動にあたった乗員たちは火元となった冷凍機のカバーをつけたままで消化器により消火活動をおこなっていました。そのため、カバーにはばまれて火元まで消火剤が届かなかったのです。
もし、ハンマーや斧などを携帯していて速やかにカバーを壊していれば、消化器だけでも鎮火できた可能性もあります。
また、当初は16人の乗員が消火活動にあたっていたとされますが、全員が消化器を手にしていたそうです。
消防員装具を準備していれば速やかにホースでの消火活動に移行でき、隣接する車両への延焼や被害の拡大は防げたのではないかと指摘されています。
ホースを使っての消火活動についても、複数のホースを連結させずに1本のホースを延ばして対処しようとしたため、火元まで十分に水が届かなかった可能性が考えられました。
さらに最初に消火に用いたスプリンクラーについても、最大で2区間しか適用できない仕様にもかかわらず、船長は5区画での稼働を三等航海士に指示していたといいます。
これらのことから船長を含む乗員全員が十分な火災訓練を受けておらず、火災時の行動について理解が足りなかったのではないかと推測されます。
二等航海士が亡くなった原因
火災発生現場からの退避の指示が出て、点呼がとられた際に織田二等航海士は船尾側に退避していたことが確認されています。
しかし、この後に甲板員2名が点呼時に行方不明になっていたことを聞き、彼らを探すために火元の風下に立ち入ってしまったのではないかと考えられているのです。風下に入ったことから織田二等航海士は四方を煙に巻かれて自分のいる場所がわからなくなってしまい、そのうちに一酸化炭素中毒で倒れてしまった可能性が指摘されています。
そのため、やはり火災訓練が徹底されて有毒ガスの危険性が周知されていれば、織田二等航海士も火元の風下には近づかず、命を落とすことはなかったのではないかと報告書には綴られていました。
さんふらわあだいせつ火災事故の現在・損害賠償責任
報告書では、さんふらわあだいせつ火災事故が発生した原因について、冷凍機の配線が火元となり、周辺のの断熱材や干渉防止材等に燃え移って火災が発生した可能性があるととしつつも、「出荷要因の特定には至らなかった」としていました。
一方で室蘭海上保安部は、火元となったトラックの整備をした北海道在住の会社員の男性(50代)を、業務上過失致死容疑で2018年7月に書類送検しています。
織田二等航海士が亡くなっていること、またJR貨物が臨時の貨物車両を運行するなど多方面に影響が出たことから、トラックの持ち主や整備をした人物に損害賠償責任が生じるのではないか、と指摘する声も多数あがりました。
しかし、2019年3月に札幌地方裁判所は「トラックの整備を1名で担当していたとは立証できず、また自分が修復した箇所が原因で火災事故が発生するとは予見できなかった可能性が高い」という理由で、書類送検された男性を不起訴処分にしています。
民事での責任についても報じられておらず、織田二等航海士の遺族から三井商船もしくはトラックの関係者に対して、三井商船からトラックの関係者に対しての損害賠償請求がされたのか否かは不明です。
さんふらわあだいせつ火災事故のその後① 船長の肉声が公開される
2015年12月25日、小樽海上保安本部は無線でのさんふらわあだいせつの船長とのやり取りを公開しました。
「酷なようなことを聞くのですが、船長はその船(だいせつ)にどのぐらいまで待機を続けるでしょうか」などと問い掛けた。それに対し、坂上船長は「2等航海士が確認できるまでとどまっています」と回答。
公開された音声には、緊迫する船内の様子とともに最後まで織田二等航海士の安否を気遣い、一緒に船を降りると言い張る船長と、説得する担当官の上記のような会話が収められていました。
最終的に船長は説得に応じて海上保安庁の巡視艇に乗り移っていますが、21時13分頃までたった1人で、さんふらわあだいせつに残っていたとのことです。
さんふらわあだいせつ火災事故のその後② 運行再開
事故から約半年が経った2016年2月3日に、さんふらわあだいせつは運行を再開しました。
運行再開にあたって商船三井フェリーには関東運輸局から「運送の安全確保等に関する命令」が発せられ、火災時の行動計画や消火訓練の実施、消火設備の増設といった対応がとられたといいます。
さんふらわあだいせつ火災事故についてのまとめ
この記事では2015年に起きたさんふらわあだいせつ火災事故の詳細や原因、その後について紹介しました。
この事故の原因は適当な配線による接触不良であった可能性が高く、「適当な修復でも大丈夫だろう」という軽い気持ちから起きた大惨事なのではないか指摘されています。
亡くなった織田二等航海士のご冥福をお祈りするとともに、類似の事故が起きることがないよう、私達も「これくらいなら平気だろう」「説明書では禁止されているけれど、大丈夫だろう」と軽はずみな行動をとらないように注意したいですね。