信楽高原鐵道列車衝突事故は、1991年に信楽町で発生した列車衝突事故です。
この記事では信楽高原鐵道列車衝突事故についてわかりやすく説明し、発生場所や発生原因、運転士や業務課長、犠牲者やその遺体の状態、慰霊碑や朝ドラスカーレット、その後や現在についてまとめました。
この記事の目次
- 信楽高原鐵道列車衝突事故は1991年に発生した列車衝突事故
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の経緯をわかりやすく解説
- 信楽高原鐵道列車衝突事故が発生した場所は滋賀県甲賀市信楽町黄瀬
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の原因① 代用閉塞の基本ルールを無視
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の原因② 誤出発検知装置が正常に作動せず
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の原因③ 信号制御システムの無認可改造
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者は42名でその中には運転士や業務課長も
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者で事件の原因を作った中村裕昭業務課長
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者の遺体
- 信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者を弔う慰霊碑
- 信楽高原鐵道列車衝突事故はNHK朝ドラ「スカーレット」の影響で話題に
- 信楽高原鐵道列車衝突事故のその後や現在
- まとめ
信楽高原鐵道列車衝突事故は1991年に発生した列車衝突事故
出典:https://cdn.snsimg.carview.co.jp/
「信楽高原鉄道列車衝突事故」は滋賀県甲賀郡信楽町(現在の甲賀市信楽町)を走る信楽高原鐵道信楽線で1991年5月14日午前10時35分頃に発生した列車衝突事故です。
信楽高原鐵道の信楽駅発貴生川駅行きの上りの4両編成の普通列車と、JR西日本の京都駅発信楽駅行きの3両編成の下りの臨時快速「世界陶芸祭しがらき号」が正面衝突し、信楽高原鐵道の運転士や業務課長を含む乗員乗客合計42名が死亡し、JR西日本の運転士を含む614名が重軽傷を負う大事故でした。
臨時快速「世界陶芸祭しがらき号」には、乗客・乗員合わせて731名が乗っており、定員の約2.8倍という超満員の状態だったため、人的な被害が非常に拡大しました。
信楽高原鐵道列車衝突事故の経緯をわかりやすく解説
「信楽高原鐵道列車衝突事故」は非常に複雑な事象によって発生しましたが、その経緯をできるだけわかりやすく解説していきます。
信楽高原鐵道事故の経緯をわかりやすく解説① 背景には信楽町での大規模イベント
信楽高原鐵道列車衝突事故発生の約1ヶ月前の1991年4月20日から、信楽町では「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」という名産の信楽焼をはじめとする世界の陶芸に焦点を当てた大規模イベントが開催されていました。
イベント開催場所である信楽町一帯へ行くための公共交通機関は当時、信楽高原鐵道信楽線を走る列車しかありませんでしたが、信楽高原鐵道は、JR西日本と共用で使う「貴生川駅」から終点の「信楽駅」までの全長14.7kmの非電化単線の盲腸線である信楽線のみを運用する、ごく小規模な鉄道会社でした。(滋賀県、信楽町、近江鉄道などが共同出資する第3セクターの鉄道会社)
信楽高原鐵道の常時の利用客は1日あたり平均して2000人ほどでしたが、世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91の実行委員会は、想定来場者数35万人の約4分の1にあたる9万人を鉄道輸送で会場へ運ぶ事を見込み、1日あたり最大で9000人の利用者を想定していました。
そこで、実行委員会は1990年3月に滋賀県知事の名前で信楽高原鐵道とJR西日本に協力を要請し準備を進めていました。
それまでは信楽高原鐵道は「貴生川駅」を始点に4つの無人駅を挟み、終点の「信楽駅」まで往復するだけの運転で、交換設備(列車をすれ違わせるための設備)を備えていませんでしたが、滋賀県知事の要請を受けて2億円をかけて貴生川駅と信楽駅の中間に小野谷信号場を新設する事で列車のすれ違いを可能にしました。
そして、JR西日本から乗り入れの直通列車を走らせる事で列車の運転間隔を1時間から30分にする事により、運行本数を倍増させました。(単純に倍の人間の輸送が可能となる)
これに伴って、信楽高原鐵道は閉塞方式(区間に複数の列車が同時に入れないようにし鉄道の衝突を防ぐ信号保安システム)を票券閉塞式から特殊自動閉塞式に変更し、併せて車両の進行により信号機と分岐器を自動設定する自動進路制御装置も設置しています。
信楽高原鐵道事故の経緯をわかりやすく解説② 下り列車は2分遅れで貴生川を出発
信楽高原鐵道列車衝突事故当日の1991年5月14日、被害車両であるJR西日本の直通乗り入れの下りの臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」は乗車率約2.8倍の超満員の乗客・乗員合わせて731名を乗せ、定刻5分遅れの午前9時30分に京都駅を出発しました。
午前9時44分、草津線などの運行を管轄する三重県亀山市の亀山CTCセンターは、下り501D「世界陶芸祭しがらき号」が遅れていることを知り、遠隔操作で「方向優先テコ」を作動させています。
「方向優先テコ」とは、下り列車が定刻より遅れた場合に使用され、小野谷信号場の上りの信号を赤にして上りの列車を停車させて交換設備内に一時的に留めておく事で、予定通りに小野谷信号場での交換(上りと下りの列車のすれ違い)を可能にするシステムでした。
この「方向優先てこ」はJR西日本が会議で提案するも1度は却下され、その後に無断で設置していたものでした。
そして、京都駅から貴生川駅に至るまでに停車時間などを短縮した事でやや遅れを取り戻したJR西日本の乗り入れ直通の臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」は、定刻より2分遅れの午前10時18分に貴生川駅を信楽駅に向かい発車しました。
信楽高原鐵道事故の経緯をわかりやすく解説③ 上り列車が赤信号のまま出発
出典:https://upload.wikimedia.org/
一方、上りの534D列車(信楽駅→貴生川駅の信楽高原鐵道の列車で4両編成)は、信楽駅の出発信号機が何らかの誤作動により赤信号から青信号(出発指示)に変わらず、定刻通り出発できずに足止め状態になっていました。
このまま列車が出発できなければ、乗客が足止め状態になり次々と利用客が押し寄せて大混乱となるため、信楽高原鉄道側の責任者であった中村裕昭業務課長は、分岐器を調べてポイントの故障でない事を確認後に信号機単独の故障だと判断し、「すぐに列車を出せ」と指示しました。
その後、信号機が正常に動作しない状態で列車を運行するため、代わりに人員を配置して指示を出す指導通信式の代用閉塞を行う事を決定。指導者となる社員1名を添乗させて定刻より11分遅れの午前10時25分に上りの534D列車を発車させました。
この場合、指導通信式の代用閉塞を実施するためには、無人の小野谷信号場に人員を派遣し、区間内(小野谷信号場~信楽駅)に列車がいない事を確認して、両端の駅の駅長と小野谷信号場の人員が連絡を取り合って、出発駅の責任者が「運転通告券」を運転士と車掌に発行し、両端の駅長の打ち合わせにより、「指導者」を選んで運転士が指導者を列車に乗せて、出発駅の駅長が手信号で出発を合図して安全を確保しつつ運行する必要がありました。
しかし、中村裕昭業務課長は、無人駅への人員の派遣が完了しないまま、誤出発検知装置(列車が赤信号を無視して発車した場合に対向する出発信号機を赤に変えて衝突を防ぐ装置)だけをあてにして列車を強引に出発させてしまいました。
誤出発検知装置が作動すれば赤信号のままで信楽駅を列車が出発した場合は小野寺信号場の下り側の出発信号が赤になるため、信楽駅に向かってくる下り列車は小野寺信号場で止められ正面衝突を避けられると中村裕昭業務課長は判断し、安全よりもスムーズな運行を優先してかなり強引に上り列車を出発させたのでした。
信楽高原鐵道事故の経緯をわかりやすく解説④ 下り列車はそのまま信号場を通過
しかし、中村裕昭業務課長があてにした誤出発検知装置は正常に作動せず(この原因も現在に至るまでわかっていない)、小野谷信号場の下り列車向けの信号は赤にならず青のままでした。
実はこの日よりも前の1991年4月8日、4月12日、5月3日にも、同様に上り列車が赤信号のまま出発させる事態が起きていましたが、この時には「誤出発検知装置」は正常に働き、小野谷信号場の下り列車向けの信号は赤に変わり、下り列車は小野谷信号場内の待避線に停車し、上り列車との「交換」(すれ違い)ができていました。この事もN中村裕昭業務課長が誤出発検知装置をあてにして信楽駅から貴生川駅へ向かう上り列車を強引に発車させてしまった原因の1つでした。
小野谷信号場の下り列車向けの信号が「青」のままだったために、JR西日本の乗り入れ直通の臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」は、交換(列車通しをすれ違わせる事)すべき上り列車がいない事を不審に思いつつも、そのまま小野谷信号場を通過しました。列車における信号機の「青」は、特に列車が遅れている場合には「積極的に進め」という意味になるため、信号機が青である以上、運転士は列車を進ませるしかありませんでした。
信楽高原鐵道事故の経緯をわかりやすく解説⑤ 正面衝突事故が発生
そして、午前10時40分頃、信楽線小野谷信号場と紫香楽宮跡駅(無人駅)の間の地点でJR西日本の乗り入れ直通の臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」と信楽高原鉄道の534D列車の正面衝突が発生。
双方の列車が大破し、「世界陶芸祭しがらき号」先頭車のキハ58形は前部が押し潰されて全長のほぼ3分の1が上方向へ座屈し、信楽高原鉄道の534D列車の先頭車両は2両目車両と「世界陶芸祭しがらき号」の先頭車両とに挟まれてテレスコーピング現象(衝突時の衝撃による慣性の法則で、車両同士がめり込んだり、食い込んだりし、後ろの車両が前の車両に食い込み突き破る現象)を起こして原型を留めないほどに押し潰されました。
大破した車体に挟まれ、多くの被害者(死者42名・負傷者614名)が出る大惨事になりました。
信楽高原鐵道列車衝突事故が発生した場所は滋賀県甲賀市信楽町黄瀬
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
「信楽高原鐵道列車衝突事故」が発生した場所は、信楽高原鉄道信楽線の小野谷信号場と無人駅の紫香楽宮跡駅の間の、滋賀県甲賀郡信楽町(現在の甲賀市信楽町)の黄瀬という地域を走る線路上でした。
事故後、事故発生場所のすぐ近くに犠牲者を弔うためにの慰霊碑が建立されています。
信楽高原鐵道列車衝突事故の原因① 代用閉塞の基本ルールを無視
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の根本的な原因は、信楽高原鐵道が(厳密には同社の中村裕昭業務課長が)、列車運行で最も重要な安全確認に関する基本的なルールを無視した事です。
信楽高原鐵道側は信号による閉塞方式から、手信号を使う「代用閉塞方式」に切り替えるさいに、小野谷信号場への人員派遣と連絡という安全を確保するために絶対に必要で最も基本的な措置を行わずに、534D列車を信楽駅から出発させました。
これは列車運行における安全上絶対にやってはいけない行為で、これが信楽高原鐵道列車衝突事故が発生した根本的な原因だと言えます。
信楽高原鐵道列車衝突事故の原因② 誤出発検知装置が正常に作動せず
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の当日、信楽駅の信号機が赤であったのに強引に上り列車を出発させる指示を中村裕昭業務課長が出しました。
信号機が赤なのに列車が出発した場合は、「誤出発検知装置」が作動して、小野谷信号場の信号機が赤になるはずでしたが、事故当日はなぜかこれが作動せず、小野谷信号場の信号機は青のままでした。
そのためにJR西日本の乗り入れ直通の臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」の運転士は列車をそのまま小野谷信号場を通過させる事になり、これが前代未聞の正面衝突事故が発生する原因となりました。
信楽高原鐵道列車衝突事故の前、4月8日と4月12日、5月3日にも信楽駅の信号機が赤のままで上り列車が出発した事がありましたが、その時には「誤出発検知装置」は正常に動作し、小野谷信号場の下り列車向けの信号機は赤に変わっており、下り列車が小野谷信号場内の待避所に停車する事で無事に列車の交換ができていました。
こうした前例があったために、中村裕昭業務課長は基本的な安全ルールを無視しての赤信号での出発を強行したと見られています。(中村裕昭業務課長は事故で死亡しており、証言が取れないため推測)
信楽高原鐵道列車衝突事故の原因の1つとなった「誤出発検知装置」が正常に動作しなかった理由ですが、運輸省鉄道局の事故原因調査結果報告では「何らかの理由により信号回路が一時的に異常接続状態にあったものと推測されるが、断定できない」とされており、信号回路の接続異常が原因と推測されているものの断定できないとし、はっきりとした原因は現在までわかっていません。
信楽高原鐵道列車衝突事故の原因③ 信号制御システムの無認可改造
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の原因の1つは信楽駅の信号がなぜか赤から青に変わらなかった事や「誤出発検知装置」が作動せずに小野谷信号場の信号機が青から赤に変わらなかった事でしたが、その遠因となったのは、JR西日本と信楽高原鐵道の両社がともに信号保安システムを無認可で改造と、その改造を行うにあたって両者が意思の疎通を全く怠っていた事だとされています。
JR西日本が信楽高原鐵道に無断で方向優先テコを設置
「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」によって急増するであろう利用客への対応のため、信楽高原鐵道はJR西日本から車両と運転士を借り受け、JR西日本の列車と信楽高原鐵道の列車がすれ違えるよう設備改修を実施しました。
当初の改修による設備状況では、JR西日本からの直通列車が貴生川駅に到着するのが遅れて、信楽駅から貴生川駅に向かう列車の方が小野谷信号場に到着した場合に、貴生川駅と小野谷信号場間の運転方向が、貴生川方面へ切り替わり、上り列車(信楽駅→貴生川駅)の方が先に貴生川駅に到着できてしまうという事態が起こります。
そうすると、遅れて到着したJR西日本の直通列車は、信楽高原鐵道の列車が貴生川駅に到着し再度信楽駅へ向けて出発するまでの間、貴生川駅で足止め状態になってしまい、単線であるJR草津線の他の列車にまで影響を及ぼす事態となってしまいます。
この問題を解決するため、JR西日本側は小野谷信号場の上りの出発信号を抑止する機能として、貴生川駅が所属する草津線を管轄するJR西日本亀山CTCセンターに「方向優先テコ」を設置するよう求めました。しかし、JR西日本が信楽高原鐵道に設置した信号機を操作するという点が問題視され方向優先テコの設置案は取り下げられています。
その代替案として、亀山CTCと信楽駅間との直通電話を設置し、信楽駅からの操作で上り列車を小野谷信号場に抑止するボタン(抑止テコ)を設置し連絡の上、信楽高原鐵道側で操作する事で合意がなされました。
ところが後日、JR西日本は取り下げられたはずの「方向優先テコ」を、信楽高原鐵道に無断で、なおかつ、運輸局の認可も受ける事なく亀山CTCに設置してしまい、その上、一度は設置された信楽駅の「抑止テコ」も工事業者に命じて外させてしまいました。
信楽高原鐵道側も信号制御システムを無認可改造
一方で、信楽高原鐵道側も信号制御システムに関わる改造を無認可で実施していました。
小野谷信号場の場所はちょうど峠に位置するため、当初、場内の信号機手前にあった信号制御点では上りと下りの双方の列車ともに、場内信号機の定位が赤信号のためATSが作動して急勾配を上り切る前に減速を余儀なくされ、加えてカーブによる速度制限もあったため運転士から定時運行に支障をきたすとクレームがつきました。
そこで、信楽高原鉄道側は、両方の単線区間(信楽駅⇄小野谷信号場および小野谷信楽上⇆貴生川駅の区間)において、両端駅(信楽駅と貴生川駅)から小野谷信号場への方向設定が行われた時点で小野谷信号場の場内信号機を警戒信号にするように無認可で改造を実施し、さらに、信楽駅への進入をスムーズにするため、信楽駅手前の地点通過をトリガーに場内信号機に進入許可を出すものだったのを、小野谷信号場⇆信楽駅区間の進路が信楽駅方向であれば、信楽駅の場内信号機が進入許可を出すように無認可での改造を実施しました。
JR西日本と信楽高原鐵道の双方とも、無認可で信号機システムの改造を行い、しかも相互チェックが実施されなかったどころか、結線図・連動図表の交換や情報共有すらも行われませんでした。
こうした両社の不認可改造の結果、信号機システムをめぐるトラブルが頻発しており、これが「信楽高原鐵道列車衝突事故」の原因の1つとなった事には疑いの余地がありません。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者は42名でその中には運転士や業務課長も
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の犠牲者(死亡者)は42名にものぼり、JR西日本の「世界陶芸祭しがらき号」の犠牲者が乗客30名、信楽高原鐵道の534D列車の犠牲者が乗員・乗客合わせて12名でした。
また、信楽高原鐵道の534D列車の犠牲者12名の中には信楽高原鐵道の534D列車(4両編成)の運転士の淵本繁(当時51歳)、同列車に乗り込んでいた中村裕昭業務課長(当時55歳)ら、信楽高原鐵道の社員5名が含まれていました。
信楽高原鉄道の犠牲者のうち、社員5名の氏名は裁判で明らかになっています。淵本繁運転士、中村裕昭業務課長の他の3名は近畿運輸局の査察官の出迎えのために便乗していた奥村清一常務(当時61歳)、夜勤明けで帰宅のために乗車していた吉澤彦一運転士(当時55歳)、代用閉塞指導員として乗務していた中島春男運転士(当時54歳)でした。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者で事件の原因を作った中村裕昭業務課長
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の直接的な原因を作ったと言われる中村裕昭業務課長は、昭和11年(1936年)生まれ、SLの機関士出身で、亀山運転区で助役を勤めた後、信楽高原鐵道には開業時から運転主任として入社しています。
裁判記録によれば、中村裕昭業務課長は「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」に向けたプロジェクトを取り仕切っていた人物で、自負が強く独断専行タイプで自分の意見を人に強引に押し付けるところがあったようです。
また、安全に関する意識がそもそも低く、ダイヤ通りに列車を動かして滞りなく運行を遂行する事を何より優先していたようです。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者の遺体
「信楽高原鐵道列車衝突事故」は列車の線路上での正面衝突事故であり、双方の先頭車両が大破し激しく損壊しました。
一部の犠牲者の遺体の状態は凄惨なものだったと推測されますが、遺体の状況についての具体的な情報は公開されていません。
事故後の対応に関わった医療関係者の証言によると、信楽高原鐵道列車衝突事故犠牲者の遺体はまず、2つの地元公民館に運ばれ、地元消防団の軽トラックなどを使って順次搬送され、検死を行なってから遺体の清拭や傷の措置などを行った上で、各医療機関で搬送後に死亡確認された犠牲者の遺体も含めて42体の遺体全てが信楽町民体育館に移送され安置されたという事です。
また、信楽高原鐵道列車衝突事故犠牲者の遺体の外傷は骨折などの損傷が最も多く、ついで肺挫傷、血気胸などの胸部損傷が多かったという事です。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者を弔う慰霊碑
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の後、事故発生場所の近くに犠牲者を弔い、このような事故を2度と起こさないために慰霊碑が建立されています。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者を弔う慰霊碑では、毎年事故のあった5月14日に遺族や鉄道関係者らによる法要が営まれています。事故発生時刻の午前10時35分頃には、2度とこのような事故を起こさないという意思を再確認するという意味を込めて警笛が鳴らされるという事です。
42人が犠牲となった信楽高原鉄道の列車事故から33年となる14日、現場近くで法要が営まれました。
滋賀県甲賀市の慰霊碑前には遺族や鉄道の関係者ら約20人が参列し、事故が発生した午前10時35分ごろには、警笛が鳴らされました。
引用:「事故のときのことを直接知る社員もいなくなった」 42人犠牲の信楽高原鉄道事故から33年 現場近くの慰霊碑前で追悼法要 滋賀・甲賀市
信楽高原鐵道列車衝突事故はNHK朝ドラ「スカーレット」の影響で話題に
2019年から2020年にかけて放送されたNHK朝ドラ(連続テレビ小説)「スカーレット」は、信楽を舞台にした作品でしたが、このスカーレットの視聴者の中にはこのドラマ「スカーレット」の中で「信楽高原鐵道列車衝突事故」がどのように描かれるのかに注目していた方も多かったようです。
スカーレット、このまま進むと90年代には楽勝で達しそうだけと、信楽高原鐵道列車衝突事故はどう扱うのだろうか。
— Satoshi Kato (@katoSat) February 17, 2020
信楽の悲しい鉄道事故。スカーレットにも信楽鉄道の話が出てくるのか?
— USOMURIE【ウソムリエ】 (@USOMURIE2) February 15, 2020
スカーレット、そろそろ信楽高原鐵道の事故が起きるのではないかと調べたら、事故は平成3年だった。いつもびっくりするが、平成、案外長い。
— 北大路公子 (@kemedine) March 7, 2020
しかし結局、「スカーレット」では、信楽高原鐵道列車衝突事故については一切触れられずに最終回を迎えました。
なお、信楽高原鐵道自体はこのスカーレット放送を集客に繋げるための施策を色々とうっていました。
スカーレット放送開始直前の2019年9月19日には、スカーレットのラッピング列車を走らせ、その出発式のイベントにはスカーレットのヒロインを演じた女優の戸田恵梨香さんも参加されていました。
9月30日にスタートする、NHK連続テレビ小説『スカーレット』。その放送を記念したラッピング列車が、ドラマのロケ地・信楽に登場。その出発式が29日、信楽高原鐵道・信楽駅(滋賀県甲賀市)でおこなわれ、ヒロインの戸田恵梨香も参列した。
スカーレットを利用したプロモーションは一定の効果をあげ、放送開始後は通常時と比べて10パーセント程度の乗客増加があったという事ですが、タイミング悪くコロナ禍が発生したため結果としては空振りに終わってしまったようです。
信楽高原鐵道列車衝突事故のその後や現在
「信楽高原鐵道列車衝突事故」のその後についても見ていきます。
この事故が発生した事で「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」予定の期間を10日以上残し中止になりました。
事故の原因の1つとなった小野谷信号場は、事故のその後は1度も使用されず、2018年に正式に廃止されています。
信楽高原鐵道列車衝突事故のその後の動きでは、信楽駅の駅長、信楽高原鐵道の運転主任2名、信号設備会社の技師1名が逮捕され、事故の犠牲者となった3名の社員については被疑者死亡のまま書類送検されています。
逮捕された3名は業務上過失致死傷罪などで起訴され、大津地地裁により、執行猶予付きの有罪判決が言い渡されています。JR西日本およびその関係者については不起訴処分とされています。
一方、犠牲者遺族による遺族会は、信楽高原鐵道とJR西日本の両社を相手取って賠償を求める民事訴訟を1993年に起こしています。
1999年に信楽高原鐵道とJR西日本の両社の過失を認定する判決が言い渡され、JR西日本のみ控訴したものの、大阪高裁は控訴を棄却。JR西日本は上告せずに判決が確定しています。
現在は信楽高原鐵道列車衝突事故に関する裁判を全て終了し、信楽高原鐵道は現在も列車の運行を続けています。事故現場のすぐ近くの場所に建立された慰霊碑では現在も毎年事故の日には法要が営まれています。
まとめ
今回は、1991年5月14日に滋賀県の信楽町を走る信楽高原鐵道で発生した「信楽高原鐵道列車衝突事故」についてわかりやすくまとめてみました。
信楽高原鐵道列車衝突事故は、信楽高原鐵道の列車と、陶芸をテーマにしたイベント開催のイベント来場者の輸送力強化のために直通で乗り入れをしていたJR西日本の列車が、いくつかの原因によって単線の線路上で正面衝突した事故でした。
信楽高原鐵道列車衝突事故の発生場所は「滋賀県甲賀郡信楽町黄瀬(現在の甲賀市信楽町黄瀬)」という地域の信楽高原鉄道信楽線の小野谷信号場と無人駅の紫香楽宮跡駅の間の区間でした。
信楽高原鐵道列車衝突事故の原因は、信楽駅の信号が赤であるのに現場責任者の業務課長が強引に列車を出発させ、加えて業務課長があてにしていた「誤出発検知装置」がなぜか作動せずJR西日本の直通の乗り入れ列車が小野谷信号場の青信号を見てそのまま列車を進行させた事でした。
信号機システムの誤作動などが頻発したはっきりした原因はわかっていませんが、信楽高原鐵道とJR西日本の双方が事件前に無認可のまま信号制御システムを改造しており、お互いに情報交換もまともにしていなかった事が遠因となったと見られています。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者は42名で、その中には業務課長と運転士ら信楽高原鐵道の社員5名が含まれています。
信楽高原鐵道列車衝突事故の犠牲者の遺体の状態などは伝わっていませんが、先頭車両が激しく損壊していることから、犠牲者の遺体は相当に悲惨な状態であったと推測されています。
信楽高原鐵道列車衝突事故の発生場所近くには慰霊碑が建立されており、現在も事故のあった日には法要が営まれています。
2019年から2020年にかけて放送されたNHK朝ドラ「スカーレット」では、事故のあった信楽が舞台とされたため、視聴者の間では「信楽高原鐵道列車衝突事故」が描かれるのではないかと注目されていましたが、この事故には一切触れられずにドラマは最終回を迎えています。
信楽高原鐵道列車衝突事故のその後ですが、「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」は予定期間を残して中止とされ、信楽高原鐵道側の関係者3名が起訴された刑事裁判では執行猶予付きの有罪判決が言い渡されています。また、犠牲者の遺族が起こした民事裁判では信楽高原鐵道とJR西日本双方の過失を認定する判決が確定しています。