恩寵園事件と園長/大濱浩の現在!息子の大濱晶など犯人・虐待内容と裁判の判決・その後まとめ

恩寵園事件とは千葉県内の児童養護施設「恩寵園」内で起きた虐待事件で、匿名の告発から1995年に明らかになりました。今回は『ひぐらしのなく頃に』のモデルにもなったとされる恩寵園事件について、園長・大濱浩に下された判決や現在を含めて紹介します。

恩寵園事件の概要

 

出典:https://www.ekiten.jp/

 

恩寵園事件とは千葉県船橋市内にあった児童養護施設「恩寵園(おんちょうえん)」でおこなわれていた、複数件の児童虐待事件の総称です。

 

1995年8月に児童相談所に匿名の告発があったことから、恩寵園では日常的に児童に対する肉体的、精神的、性的な拷問とも呼べる虐待がおこなわれていたことが明らかになりました。

 

また、告発後の調査により施設内での虐待は本件の主犯とされる大濱浩が園長就任後、20年近くに渡っておこなわれていた可能性が示唆されました。

 

さらに恩寵園事件では、入所している児童から直接相談を受けていた千葉県知事、千葉県庁の職員、児童相談所員らが虐待を黙認したととられてもおかしくない、無責任な対応をしていたことも取り沙汰されています。

 

虐待や経済的な理由などで親のもとにいられなくなった子どもを保護し、養育せるべき場所で発生した残虐な事件の数々、そして行政の杜撰な対応は大きな社会問題となりました。

 

 

 

恩寵園事件での虐待事例

 

出典:https://www.pakutaso.com/

 

裁判時に提出された施設出身者の陳述録取書や当時の新聞などによると、恩寵園事件であった虐待事例として以下のようなものが報告されていました。

 

・鎌で子どもの頭を殴りつけた

 

・出血するまで激しく子どもを殴り続けた

 

・子ども(幼児)を閉じ込めた状態で乾燥機を回した

 

・性器を触っていた男子に対して「そんなことをするな」と叱責し、ズボンとパンツを脱がせたうえで性器にハサミの刃をあてて失神させた

 

・竹刀や金属バットなどで殴打した

 

・米袋のなかに子どもを閉じ込め、庭の木や塀にぶら下げて何時間も吊るした

 

・プロミスリングを着けていたという理由で子どもを机の上に寝かせたうえ、包丁で足を切りつけた。また見せしめとして他の児童も、この暴行を見せられた

 

・24時間に渡って子どもを正座させ、食事、睡眠などの行為を禁じた。排泄については正座したまま新聞紙の上でするように強要した

 

・施設内で飼育していた鶏を過失で死なせてしまった子どもに対して、死んだ鶏と一緒に寝ることを強要した

 

・子どもの態度が気に入らないとライターの火を腕に近づけて怖がらせ、従わせていた。足の怪我をティッシュで抑えていた子どもに近づき、ティッシュに火をつけたこともあった。

 

・生ゴミの入ったバケツを頭から被せた

 

・朝鮮籍の子どもに対して「朝鮮人」などと執拗にからかい、子どもが泣いてしまうと「朝鮮の泣き方」などと言って追い打ちをかけた

 

・「悪いことをする手はいらない」などと言って、子供の小指を剪定ばさみで切り落とそうとした

 

・罰と称して女子の頭をバリカンで刈り、学校に行かせた。また男子には施設外に遊びに行ったり、逃げたりできないようにハートや星型の剃り込みを入れた

 

・高校生の女子をパンツ一枚の姿にして、一日中、女子棟のなかに立たせた

 

・罰と称して真冬の池や火傷しそうなほど熱いお風呂に無理やり子どもを入れた

 

・ポルノ雑誌を読んでいた子どもを椅子に座らせて手足を縛り、膝に無理やり開いたポルノ雑誌を置いた。さらにその状態で若い保母を集めて、記念撮影をさせた

 

上記のような目を覆いたくなるような虐待が、恩寵園では日常的におこなわれていたとされます。

 

そのため、施設に入所していた子どものなかには骨折や痣など、目立つ外傷のある者も少なくありませんでした。恩寵園で育ったという人からは「施設内にいる子は、みんな殴られすぎてお尻が真っ青になっていた」という証言も出ています。

 

しかも、殴りすぎて顔が腫れ上がってしまった子どもなどについては、施設が学校に「風邪をひいたから休ませる」などと連絡をして、虐待がバレないように工作までしていたのです。

 

また、恩寵園内では肉体的な虐待だけではなく、暴言などによる精神的な虐待、性的な虐待も横行していました。

 

これらの虐待は園長である大濱浩と妻の大濱陽子、息子の大濱晶、恩寵園の主任保母の林ルリ子の4人が中心となっておこなっていました。

 

そして入所している子供に対して、主に肉体的な虐待を加えていたのが大濱浩、性的な虐待を加えていたのが大濱晶、精神的な虐待を加えていたのが大濱陽子と林ルリ子であったといいます。

 

日常的に虐待に晒された子どもたちは「自分たちは何のために生まれてきたのだろうね」と、話し合うことさえあったそうです。

 

それを聞いた大濱浩は、自分のおこないを省みるどころか「お前たちがこんな目に遭うのは、親が捨てたせいだ。恨むのなら親を恨め」などと言い、「ここ以外に行く場所がない、従うしかない」という絶望感を子どもたちに植え付けていました。

 

 

 

恩寵園事件発覚からの時系列と行政の杜撰な対応

 

出典:https://twitter.com/

 

1995年8月、千葉県市川児童相談所に「恩寵園に入所している子どもが虐待を受けている」という匿名の電話がありました。

 

県の児童家庭課と児童相談所は恩寵園の実態について調査し、虐待の事実を確認。2ヶ月後の10月には恩寵園に対して指導をします。

 

ところがこの時に虐待の首謀者である園長の大濱浩に対しては何の処罰もなく、指導があった後も依然として虐待は続きました。

 

なお、恩寵園には最高責任者の理事長がいましたが、理事長職は大濱浩の実兄の田中衛が務めており、施設は同族経営で成り立っていました。

 

どこからどう見ても福祉に関わるべきではない残虐な性格の大濱浩を園長に任命したのも、理事長である兄だったとされます。児童養護施設は公費で運営される福祉施設ですから、私物化はあってはならないはずです。

 

しかしながら、理事長は恩寵園を一族の支配下に置き「人間、誰にでも間違いはある。やり直せるのが福祉だ」などと耳障りの良いことを言って、行政からの指導があっても弟を解任しなかったといいます。

 

 

子ども達が脱走

 

施設内には子どもを守るべく、虐待に抗議する職員もいました。しかし園長以下経営陣からまったく相手にされなかったことから、行政の指導があった後に最後の意思表明として一斉辞職をしたとされます。

 

自分たちに優しくしてくれた職員がいなくなってしまったことに絶望した子どもたちは、ついに1996年4月に施設を逃げ出してしまいます。

 

施設から脱走した13人の子どもは、県内にある4箇所の児童相談所にそれぞれ向かい、恩寵園で横行している虐待について訴え、助けを求めました。この時、子ども達は口を揃えて児童相談所の職員に「大濱園長を辞めさせてください」と願い出たといいます。

 

しかし対応した児童相談所の職員は、1995年の調査で虐待の事実を確認していたにもかかわらず、大濱浩に対してまたしても処分をおこないませんでした。「もう虐待をしない」という口約束だけを恩寵園側と交わして、問題解決としてしまったのです。

 

しかも逃げ出してきた子ども達に対しても、他の施設に移管するなどの処置をしませんでした。

 

児童相談所に保護されたままでは学校に行くことができません。そのため子どもたちも、「もう虐待をしない」という言葉を信じて、恩寵園に戻るしかなかったのです。

 

この時、児童相談所が杜撰な対応をとったのは、以前の調査で虐待を把握していたにもかかわらず何も対応をしてこなかったことが明るみに出れば、大濱浩らとともに自分たちも責任を問われる可能性があったからだと考えられています。

 

つまり、児童相談所は1995年の告発を受けて対処しなかったことを隠すために、今回も杜撰な対応でお茶を濁したのです。

 

 

子どもたちが千葉県知事に助けを求める

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

子どもたちの集団脱走事件が起きた後、大濱浩が児童相談所に対して「虐待はしない」と誓ったということを聞きつけ、一斉に辞職をした職員たちも恩寵園に戻ってきました。

 

しかし施設内の状況はなったく改善されず、何事もなかったかのように大濱浩一家による虐待は続いていました。

 

県の対応も相変わらず指導だけであったため、子どもたちは当時の沼田武千葉県知事に助けを求めることにします。

 

子どもたちは自治会を立ち上げて、沼田知事にあて「助けてください」「大濱園長を辞めさせてください」と切実な願いを綴った手紙を出しました。

 

ところが沼田知事から来た返事は「明るく豊かな千葉県を作るためにお力添えいただき、厚くお礼申し上げます」という、子どもたちの手紙を読んでさえいないことがわかる、定型文だったといいます。

 

なお、この手紙のなかの一通、14歳の女子中学生が送ったもののなかには、「大濱浩は暴力を振るう、大濱晶は女子にわいせつ行為をする、大浜陽子は自分の意思で動こうとしない、林ルリ子はチクチクと嫌味を言う。この4人がとても嫌です」と、誰が虐待をおこなっていたのか告発する一文まで書かれていました。

 

さらに恩寵園に入所していた女の子が千葉県庁を訪れ、県の職員に「大濱園長を辞めさせてください」と訴えたこともありました。

 

が、この時も県の職員は「県にはそのような権利はない」と及び腰で、何も対応はしませんでした。

 

もちろん、この職員の「権利がない」という言葉は嘘で、県は行政処分として恩寵園に改善命令を出すことができます。

 

これまでおこなってきた指導については従わなくても罰則はないのですが、改善命令には必ず従わなければなりません。

 

当時の恩寵園は間違いなく、行政処分の対象になるべき状態でした。にもかかわらず、児童相談所のみならず千葉県も子どもを助けようとしなかったのです。

 

 

恩寵園で働くほぼすべての職員が辞職

 

出典:https://free-materials.com/

 

1996年10月、事件が起こります。暴力に怯え続けなければならない施設内での暮らしに、ついに耐えきれなくなった子どもが「こんなところは、もう嫌だ。もういたくない」と、手で壁を叩いているのを目撃した大濱浩が、「壁を壊す気か!」と激昂して殴りかかったのです。

 

顔を殴打された子どもは鼻血を出して倒れたといいます。居合わせた職員らは被害にあった子どもをかばい、口々に園長を批難しました。

 

しかし、目撃者がいる前で子どもを殴りつけたにもかかわらず、大濱浩は「殴っていない」としらを切り、大濱一家の取り巻きであった主任保母の林ルリ子も「園長の手が、暴れていた子に当たっただけ」と弁護したといいます。

 

この一件で「恩寵園は変わらない」と失望した職員らは再度の退職を決意。全員が辞表を提出し、施設内には大濱一家と主任保母だけが残りました。

 

「子どもたちが心配ならば、職員さんも残って守ってあげればいいのに、なぜ辞めてしまうのだろう」と不思議に感じる方もいるかもしれません。

 

施設で12年間勤務していたという元・恩寵園の保母の女性の証言によると、虐待から守らなければいけない子どもがいる一方、1996年の8月頃から小学校高学年以上の男子はどんどん態度が荒れていくようになり、その問題行動にも少人数の職員で対応しなければいけない状態だったそうです。

 

とくに幼い頃から恩寵園で暮らし、恐怖に晒されて育った時間が長い子ほど、「この一年、勇気を出して色々なところに助けを求めたのに、誰も助けてくれなかった」という悲しみが強かったのでしょう。

 

大人全員に対して憎しみを持つようになり、無断外泊や飲酒、喫煙、万引き、保母への暴力などの問題行動を起こすようになったといいます。

 

時には無断外泊をしている男子を心配して、保母たちが夜通し探し回ることもあったそうです。しかも園長一家が搾取をしていることから給与は少なく、大濱浩のモラハラで新しい職員もすぐに辞めてしまうことから施設は常に人手不足の状態でした。

 

このような状況から長く務めていた職員もついに力尽きてしまい、一斉に恩寵園を去ってしまったのだといいます。

 

 

 

 恩寵園事件の判決

 

出典:https://pixabay.com/

 

恩寵園の子どもたちを助けようとしたのが、周辺住民によって結成された市民グループ「恩寵園の子どもたちを支える会」です。

 

恩寵園の子どもたちを支える会は退職した元職員や施設を退所した子どもたちから証言を集め、弁護士と協力して1999年12月24日に暴行と傷害容疑で大濱浩らを千葉県警に刑事告発します。

 

1997年には国会本会議でも保坂展人議員が恩寵園の虐待について取り上げており、事件は無視できない状態になっていました。

 

そのため千葉県警捜査一課も書類送検を視野に捜査に乗り出し、2000年3月には園長の息子の大濱晶(当時31歳)が小学6年生の女子児童の体を触るなどした容疑で強制わいせつ罪で逮捕・起訴され、さらに6月に大濱浩(当時63歳)も傷害罪で逮捕・起訴されました。

 

なお、大濱晶に関しては4月にも別の児童にも同様の行為をしたとして追起訴されており、さらに6月には被害を受けた児童のうち1人に性的な暴行をくわえていたことが明らかになって、婦女暴行罪でも追起訴されました。

 

 

大濱浩園長の判決

 

大濱浩に対して、千葉地裁は2000年7月27日に懲役8ヶ月の実刑判決を言い渡しました。

 

抵抗できない子ども達に対して非道なおこないをしておきながら、刑が軽すぎる印象が拭えませんが、大濱浩については起訴さえ厳しい状況だったといいます。

 

恩寵園でおこなわれていた虐待の数々については物証が極めて少なく、また日常的に虐待があったために職員や子どもたちも記憶が曖昧で「いつ、どこで、どのような虐待があって、誰がどんな怪我をしたのか」を証明することが困難でした。しかも、施設は理事会の記録なども残していないという体たらくだったそうです。

 

しかし、千葉県警は「必ず園長を逮捕、起訴する」と血眼になって捜査にあたり、ようやく1994年の9月18日に剪定バサミで入所している男児の指を切りつけた、という一件だけが立証できたのです。

 

そのため、懲役8ヶ月というのは男児の指をハサミで傷つけた件のみに対する判決となります。

 

 

大濱晶の判決

 

大濱晶に対して、千葉地裁は2000年10月25日に懲役4年の実刑判決を言い渡しました。

 

裁判では大濱晶が園長の息子という立場を利用し、小学生の女の子に対して「自分の言うことを聞かないと、ここにはいられなくなるぞ」などと脅しをかけて性的暴行に及んでいたことも明らかになりました。

 

大濱晶は日頃から「自分は次の園長になるかもしれない男だ」などと言っていたため、被害者の女子児童は「この人の機嫌を損ねれば、施設から追い出されてしまう」という恐怖心で誰にも相談できなかったのだといいます。

 

 

 

恩寵園事件の主犯・大濱浩園長の人物像

 

大濱浩は恩寵園の創設者である前園長・大濱魁(かい)氏の息子でした。恩寵園はもともと戦災孤児のための施設として1946年に寺子屋のような形で運営が開始され、1952年に現在のような児童養護施設になったとされます。

 

自ら戦災孤児の保護に乗り出すような人物であったため、先代の大濱魁園長は児童福祉に熱心だったそうです。

 

大濱浩は幼い頃から、父親が施設の子どもばかりを優先して実の子である自分を二の次にしていることに不満を持っており、施設の子どもに対して激しい嫉妬心を持っていたといいます。

 

その憎しみが「自分が二代目の園長になったら、保護された子どもに仕返しをしてやろう」という歪んだ気持ちを生み、施設内での虐待に繋がったのではないかとも言われています。

 

 

なお、You Tubeには恩寵園の卒園生の小島さんという男性が施設内の様子を話している動画がアップされていました。

 

聞いていて辛い内容ではありますが、当時の園長の様子や園内での生活について知りたいという方は、視聴をおすすめします。

 

 

 

恩寵園事件の現在① 施設のその後

 

施設内での虐待が明るみに出て、TVや新聞でも盛んに扱われるようになっていた2000年2月、恩寵園の田中衛理事長は「恩寵園を廃止します」と発表しました。

 

当時の恩寵園には2歳から18歳までの子どもが合計53人生活しており、千葉県はいったん彼らを児童相談所で保護した後に、受け入れ先の施設を探すことにしたといいます。

 

しかし恩寵園の子どもたちを支える会から「廃園すれば子どもたちの生活はより不安定になる。また、この時期の廃園は責任逃れにしか見えない」との申し入れがあり、厚生省も「廃園は好ましくない。改善計画を出して運営を続けるべき」と判断したために、恩寵園の廃止は取り下げられました。

 

こうして2000年の4月には恩寵園の理事、園長ともに刷新され新体制で運営されることが決まったとされます。なお、新しい園長の新田目建氏は1969年から1974年の間に恩寵園に勤務していたという経歴を持ち、児童養護施設や特別養護老人ホームでの勤務経験も豊富な人物とのことです。

 

 

現在の恩寵園には第三者機関も設置されて、外部の人を招いたイベントも盛んにおこなわれています。

 

卒園生からも「僕達のいた頃とはまったく違う、明るい園になった」と太鼓判を押されるほど、環境は改善したと報じられています。

 

 

 

恩寵園事件の現在② 元・入所児童のその後

 

虐待があった当時に恩寵園にいたという卒園生のなかには、現在もPTSDに悩まされている方が少なくないといいます。

 

・不安になると、無意識に自分の腕に刃物をあててしまう。血を見るとなぜか安心するため、自傷行為がやめられない

 

・虐待されていたことを思い出すと、意味のわからない独り言が出てしまう

 

・同時期に入所していた子のなかには、ショックで多重人格になってしまった子もいた

 

・大人が全員悪魔に見える。信用できない

 

・本当はすごく嫌なのに、人を殴るのをやめられない

 

・自分の命が大切だと思えない

 

・悲鳴を聞くと、足が萎え、体から力が抜けて動けなくなってしまう

 

上記は1999年に放送された「報道特捜プロジェクト」で報じられたことです。現在は卒園生の方たちにも、適切なケアがされていることを願うばかりです。

 

 

 

恩寵園事件の現在③ 大濱浩のその後

 

大濱浩はすでに懲役刑を終えて出所しています。しかし、その後はどのように暮らしているのかは明かされていません。

 

恩寵園の卒園生11人は、大濱浩と千葉県に対して1人あたり1000万円、合計1億1000万円の損害賠償を求める裁判を起こしていました。

 

しかし、千葉地裁は「親や親族に引き取られた時から損害賠償請求権は時効が進行する」として、一部の卒園生については賠償請求権を認めず、千葉県に合計で290万円の支払いを命じるにとどまりました。

 

また、児童養護施設の職員は公務員とみなされることから、施設内で起こした事故や不祥事については国家賠償法の定めにより個人で責任を負う義務がありません。

 

そのため大濱浩個人には、賠償金の支払い義務も生じませんでした。

 

 

 

恩寵園事件は『ひぐらしのなく頃に』のモデルになった?

 

出典:https://www.star-ch.jp/

 

恩寵園事件はアニメ化もされた人気ゲーム『ひぐらしのなく頃に解』に登場する「空の家」という児童養護施設のモデルになったのではないかと言われています。

 

空の家は、本作の「祭囃し編」の主人公・鷹野三四が幼少期を過ごした施設で、そこでの壮絶な虐待から鷹野が歪んだ性格や野望を持つに至ったとされています。

 

 

 

恩寵園事件についてのまとめ

 

この記事では1995年に発覚、2000年に大濱浩の判決が下されて、一応の決着がついた施設内虐待事件・恩寵園事件について紹介しました。

 

大濱浩がやってきたことの非道さに対して罰が非常に軽く、刑事裁判では大した責任が問えず、民事裁判では国家賠償法で守られるという、恩寵園事件はなんとも後味の悪い幕引きとなりました。

 

ただそれでも、支援者の方々や卒園生たちは「恩寵園を変えられたことに満足している」と語っています。自分のためではなく、在園生のための戦いだったということなのでしょう。頭が下がる思いです。もう二度と類似の事件が起きないことを祈ります。

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