1965年7月3日に静岡県伊東市の当時7歳の鈴木俊之くんが行方不明になった「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」が注目されています。
この記事では鈴木俊之くんが行方不明になった経緯やその後の複数の不審電話、行方不明事件の真相の考察や現在の状況などについてまとめました。
鈴木俊之くんが行方不明になった「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」とは
「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」は、1965年7月3日の16時15分頃に当時7歳の小学2年生だった鈴木俊之くんが家から遊びに出たまま行方不明になり、その2日後の7月5日から7月6日にかけて、鈴木俊之の静岡県伊東市宇佐美区の自宅近所4カ所に女性と思われる声で不審な電話が立て続けにかかり、誘拐事件として捜査されたものの、鈴木俊之くんは発見されず、現在も未解決のままとなっている事件です。
「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」の経緯① 鈴木俊之くんが行方不明に
1965年7月3日の16時15分頃、静岡県伊東市宇佐美区に住む、当時7歳の小学2年生・鈴木俊之くんが「お外へ遊びに行く」と言って出かけたまま行方不明になりました。鈴木俊之くんの家族は警察に通報し捜索隊が組織されましたが発見されませんでした。
「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」の経緯② 自宅近所のホテルに不審電話
鈴木俊之くんが行方不明になってから2日後の7月5日の昼12時30分頃、鈴木俊之くんと家族の住むアパートから約200メートル離れたホテルに女の声で「お宅の近所で子供がいなくなったそうですが本当ですか?」とたずねる電話があり、電話を取った女性が事実だと伝えると、「それは間違いありませんね」と念を押してから電話が切られました。
「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」の経緯③ 自宅近所の親戚宅に不審電話
さらに、最初の不審電話から約30分後の13時頃、鈴木俊之くんの自宅近くに住む親戚宅に、こちらも女性の声で「子供が居なくなったのは本当ですか?」とたずねる電話があり、電話に出た親戚が「はい」と答えると、相手は「ボクが誘拐した。今日3時ごろまでに熱海駅1番ホームで…」と話し始めました。
ここで親戚は驚きのあまり電話の受話器を放り投げ、この事を捜索隊に伝えました。その後、再び受話器を取ったところ、既に電話は切られていました。
「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」の経緯④ 父親の勤め先の旅館に不審電話
さらに、親戚宅への不審電話とほぼ同時刻に、父親の勤め先である旅館に、女性の声で「〇〇さん(鈴木俊之くんの父親)はいませんか?」という電話がかかっています。
上記3件の不審電話の報告を受けた、静岡県警察伊東署は、誘拐事件と断定して捜査本部を設置し、不審電話のあった親戚宅や近所のホテルにテープレコーダーを設置しました。また、親戚宅への電話で相手が話した内容から、鈴木俊之くんの母親を伴った警察署員2名が熱海駅へと向かいましたが、怪しい人物は見つかりませんでした。
「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」の経緯⑤ 7月6日に近所の鮮魚店に不審電話
翌7月6日になり、静岡県警察伊東署は、行方不明になった当日に、鈴木俊之くんが虫取りの箱を持って近くの山に入ったという目撃情報を得た頃から、鈴木俊之くんの友人の子供らの証言を頼りに近くの山林を捜索していますが手がかりは見つかりませんでした。
この日、鈴木俊之くん自宅近所の鮮魚店に電話があり、その店の4歳の子供(鈴木俊之くんの友人)が電話に出て「なーに?トシちゃん?」と聞き返しました。それを聞いた店の主人が慌てて受話器を取りますが、既に電話は切られていました。
この電話の主が鈴木俊之くんだったのかはわかりませんが、4歳の子供は鈴木俊之くんだと思ってこのように聞き返した事は間違いないようです。
鈴木俊之くん行方不明事件に関するその他の情報
上記の他にも鈴木俊之くんに関する噂レベルの情報が多数出ているので書いていきます。
鈴木俊之くんが、行方不明になった当日に近所の川で茶飴の箱でコハゼを獲ろうとしているのを見たという目撃情報があります。当時、地元の小学生の間でこの箱を使っての魚獲りが流行っていたそうです。
鈴木俊之くんが行方不明になって3日目の20時から21時半にかけて、鈴木俊之くんの自宅アパートに至る国道を黒塗りの大型乗用車が往復しているのが目撃されています。
この乗用車の後部座席に女性が乗っており、この女が鈴木俊之くんの自宅の方向を、窓から身を乗り出すようにして見ていたとの目撃情報が出ています。さらに、夜間だったにも関わらず、この車のヘッドライトは消されたままになっていたという事です。
鈴木俊之くんの自宅から100メートルほどのところにある旅館の一部屋が荒らされており、部屋の電気はつけっぱなしで台所で調理をした後があり、ベッドの毛布の中には子供向けのおもちゃの十手と、口紅のついたバスタオルが残されていました。
旅館側はこの部屋が使われた事に気がついておらず、記録では同年4月に1度使用されたきりだったようです。
鈴木俊之くんの知り合いの子供らの証言の中に、行方不明になる当日に鈴木俊之くんが山へ虫取りに向かったとの目撃情報がありましたが、この山は当時は夕方に立ち入ると野犬に襲われる可能性があり危険なため、鈴木俊之くんが野犬に襲われた可能性も視野に捜索が行われています。(鈴木俊之くんが家を出たのは16時15分頃だった)
鈴木俊之くん行方不明事件の真相の考察
鈴木俊之くん行方不明事件は、発生から50年以上が経過した現在も解決しておらず、インターネット上では真相の考察などがよく行われています。
行方不明になった数日後に、近所や父親の勤務先に不審な電話が複数かかっている事から、ネット上では、身代金目的に鈴木俊之くんを何者かが誘拐したものの、うまくいかなかったというのが真相ではないかとする考察が有力となっています。
また、不審な電話の相手は女性の声とされていますが、親戚宅への電話では「ボクが誘拐した」と話している事から、まだ声変わりしていない少年が電話をかけていたのが真相ではとする考察出ています。
さらに、不審な車が鈴木俊之くんの自宅近くの国道をうろつき、窓から女が身を乗り出して自宅方向を凝視していたとの情報などから、犯人は1人ではなく複数ではないかとする考察も出ています。
その他、父親の勤務先や親戚宅を知っている事などから、犯人は鈴木俊之くんの家族の事情をよく知る者ではとの考察もなされています。
いずれにしても、この「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」は背景の情報などが一切公開されていないため、真相に迫るような考察は難しいようです。
鈴木俊之くんは現在も発見されておらず未解決事件のまま
鈴木俊之くんは、行方不明事件発生から50数年が経過した現在も発見されておらず、未解決のままです。
鈴木俊之くんが現在も存命であれば、60歳を超えているはずですが、おそらく生存している可能性は限りなく低いでしょう。
まとめ
今回は、1965年7月3日に、当時7歳の小学2年生・鈴木俊之くんが静岡県伊東市宇佐美区の自宅から遊びに出たまま行方不明になった「伊東市宇佐美区小2男児誘拐事件」についてまとめてみました。
この事件では、鈴木俊之くんが行方不明になって3日目の7月5日に、鈴木俊之くんの自宅近所や父親の勤務先に、女性の声での不審電話が立て続けにあった事から、地元警察は誘拐事件として捜査しましたが、事件の解決には至りませんでした。
事件の真相の考察もネット上で行われていますが、誘拐事件の可能性は高いものの、情報の少なさから信憑性を感じる考察は出ていないようです。
現在も鈴木俊之くんは発見されておらず、事件の真相は謎のままとなっています。