石巻3人殺傷事件の犯人である千葉祐太郎は死刑判決が確定しています。
事件の概要と千葉祐太郎の生い立ち、父親や母親などの家族情報、高校中退後の生活やイケメンの噂、彼女の南部沙耶さんとの結婚や子供の有無、死刑判決後の現在をまとも得ました。
この記事の目次
千葉祐太郎は石巻3人殺傷事件の犯人の死刑囚
千葉祐太郎は、2010年2月10日に宮城県石巻市清水町1丁目で起こった石巻3人殺傷事件の犯人です。犯行当時、18歳の未成年でした。
交際相手(内縁の嫁)の南部沙耶さん姉と友人を刺殺し、その場にいた男性に重傷を負わせた後、南部沙耶さんを車で連れ去りました。同日午後に千葉祐太郎は警察に逮捕され、2016年に死刑判決が確定しています。
千葉祐太郎が起こした石巻3人殺傷事件とは
石巻3人殺傷事件とは2010年2月10日に、犯人の千葉祐太郎が交際相手の南部沙耶さんに復縁を迫り、その中で南部さんの姉や友人を殺害し、男性1人に重傷を負わせた事件です。
千葉祐太郎が南部沙耶に暴力
出典:ameblo.jp
千葉祐太郎(当時18歳)は、交際相手だった南部沙耶さん(当時18歳)に対して、日ごろから暴力をふるっていました。
そして、事件の5~6日前である2010年2月4日~5日にかけて、南部沙耶さん家で千葉祐太郎は「なんでおめえ浮気したのや。」と言った後に、南部さんに暴力をふるい、全治1ヶ月のケガを負わせました。
・鉄の棒で数十回殴る
・火のついたタバコを額に押し当てる
・火のついたタバコを内ももに押し当てる
事件前から千葉祐太郎は南部沙耶さんに暴行していて、南部さんは警察に相談していました。警察は千葉祐太郎に直接警告も加えています。
また、前日には南部さんの家に千葉祐太郎と共犯者の少年Bが侵入しましたが、南部さんの姉である美沙さんが発見し、警察に通報したということがありました。
警察が到着した時には、犯人2人は既に逃走していたため、逮捕できませんでしたが、2月10日(事件当日)には南部沙耶さんは警察に同行されて、診断書と被害届を出すことになっていました。
南部沙耶の家に侵入し3人を殺傷
出典:mainichi.jp
2月9日の午後6時ごろに南部沙耶さんの自宅に侵入した犯人たちは、少し離れた場所に車を停めて、犯行機会をうかがっていました。
そして、被害届を出すことになっていた2月10日午前6時40分ごろ、千葉祐太郎と少年Bは南部沙耶さんの家に押し入ります。そして、2階で寝ていて、犯人たちの侵入に気づき、すぐに警察に通報した沙耶さんの姉である南部美沙さん(当時20歳)と沙耶さんの友人である大森実可子さん(当時18歳)を刃渡り18cmの牛刀で、複数回刺して殺害しました。
この時、千葉祐太郎は美沙さんの腎臓を貫通するほど深く刺し、大森実可子さんには刺すたびに体が浮き上がるほどの強い力で3~4回腹部を刺しています。
また、たまたま相談相手としてその場に居合わせた20歳の知人男性の右胸を刺して、全治3週間ケガを負わせています。
南部沙耶を連れ去る
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目の前で姉と友人、知人が襲われておびえている南部沙耶さんの脚を刺し、無理やり車に乗せて連れ去りました。
当時、犯行現場となった南部さんの家には南部沙耶さんの母と祖母、さらに千葉祐太郎と南部沙耶さんの娘(生後4ヶ月)がいましたが、この3人には被害がありませんでした。
友人宅で逮捕
姉の美沙さんから通報が入ったことで事件が発覚しましたが、警察が現場に駆け付けた時には千葉祐太郎と少年Bは現場から逃走しています。
そして、知人から借りた車2台を乗り継いで逃亡し、石巻市内の友人宅に潜伏しましたが、事件から約6時間後の2月10日午後1時ごろに警察に居場所を突き止められて逮捕されました。また、同時にその友人宅から血の付いた凶器が見つかり押収されています。
千葉祐太郎の家族:父親・母親・祖母
千葉祐太郎の家族は、基本的に5人家族になります。
・母親
・祖母
・千葉祐太郎
・妹
ただ、いつもこの5人で生活できていたわけではなく、複雑な家族・家庭環境でした。
千葉祐太郎の生い立ちを見る前に、まずは父親・母親・祖母がどんな人物だったのかを見ていきます。
父親はトラック運転手
千葉祐太郎の父親はトラック運転手の仕事をしてました。当時の2ちゃんねるでは、暴力団関係者だったと情報もありましたが、マスコミの報道では「トラック運転手」とされているものが多かったので、トラック運転手で間違いないようです。
父親はトラック運転手だったこともあり、不在がちだったそうです。また、千葉祐太郎と父親は5歳までしか一緒に暮らしていません。
母親は虐待&男にだらしないタイプ
千葉祐太郎の母親は、男にだらしないタイプだったようです。千葉祐太郎の父親と離婚後に、すぐに違う男性と再婚しています。最初の離婚の原因は母親の浮気だったという情報もあります。
また、再婚後にはすぐに子供(千葉祐太郎の妹)生まれましたが、数年後に離婚して、また違う男性と交際しています。
しかし、母親は再婚(交際相手?)した男性から暴力を受けるようになり、ケガやアルコール依存症で入退院を繰り返すようになりました。
夫から暴力を受けたストレスの為か、千葉祐太郎を虐待するようにもなっています。
・アルコール依存症だった
・DVの被害者だった
・千葉祐太郎に対して虐待をしていた
祖母は孫に甘いタイプ?
千葉祐太郎は、小学5年生の時から祖母と一緒に生活しています。祖母は千葉祐太郎を甘やかしていたと推測できます。祖母が孫に甘いのは当たり前ですが、千葉祐太郎の祖母は千葉が3人を殺傷して逮捕された後、減刑のための署名をしていたようです。
154 :少年法により名無し:2010/02/20(土) 08:21:07 ID:aM5//mn00
若いばあちゃんが祐ちゃんにバイクや車をあたえ
一軒家もあたようとしてたってのはほんとの話かね?とりあえず母親は息子を殺すべきだった。
祐ちゃんの減刑署名なんかも、お願いしてるらしいね。
家に偶然泊まって、殺された大森さんの葬式でお願いしてたらしい。
引用:宮城県石巻市3人殺傷事件
あくまで2ちゃんねるでの情報なので、どこまで信ぴょう性があるかはわかりません。でも、両親からの愛情に飢えた千葉祐太郎を甘やかしていた可能性はありますね。
千葉祐太郎の生い立ち
5歳で両親が離婚
千葉祐太郎は1991年7月2日に生まれます。トラック運転手の父親と母親の3人家族で生活していましたが、千葉祐太郎が5歳の時に両親が離婚してしまいます。
そして、両親の離婚後は母親に引き取られ、父親とは別れて生活することになりました。
小1から虐待を受ける
両親の離婚後に、千葉祐太郎は母親に引き取られます。そして、母親は離婚後すぐに違う男性と再婚し、女の子(千葉祐太郎にとっての妹)が生まれました。
そして、小学1年生ごろから、母親から虐待を受けるようになります。
・犬用のリードでつながれる
・食事を与えてもらえない
・ネグレクトされる
母親からの虐待を受けていた千葉祐太郎は、逮捕後に「僕より妹の方が大切なんだと思った」と供述しています。
母親は再婚相手から暴力を受けていて、アルコール依存症になり、入退院を繰り返していたという情報があります。
母親から虐待を受け、妹との差別を感じ、母親もDV被害者でアルコール依存症。千葉祐太郎にとっては地獄の日々だったと言えるでしょう。
小5から祖母と暮らす
小学5年生の頃、母親は再婚した相手と離婚し、違う男性と交際を始めます。そのことには、母親の虐待は悪化し、拳で殴られることもあったそうです。
そして、2002年(11歳の頃)には、母親は養育能力なしと判断されて、千葉祐太郎は祖母のところで生活するようになりました。
小さい頃は母親から暴力を受けていましたが、友人から「親を叩くとスッキリする」と教えられ、母親や祖母に手をあげるようになっていきました。
また、一時的に祖母と暮らしていましたが、事件前には母親と妹との3人暮らしでしたので、ずっと祖母と生活していたわけではないようです。
千葉祐太郎は高校中退後に保護観察
2ヶ月で高校中退
中学校を卒業した千葉祐太郎は地元の県立高校に進学します。しかし、入学して2ヶ月後に同級生に対して暴力をふるい、退学処分となっています。
高校を中退後は、暴力事件をたびたび起こしていました。また、塗装工や解体工などの仕事に就いていましたが、あまり長続きはしなかったようです。報道によると、南部沙耶さんに暴力をふるい破局すると、定職についてよりを戻そうとしていたようです。
母親に暴力をふるい保護観察中だった
事件当時、千葉祐太郎は母親への暴力事件で保護観察中でした。
2009年4月にアパートの階段で母親に殴る蹴るの暴力をふるい、ろっ骨を数本を折る重傷を負わせました。そして、5月には逮捕され、6月には保護観察処分となり、事件当時も保護観察中だったのです。
千葉祐太郎は南部沙耶さんへの復縁を迫るために、何度か自宅に侵入して、沙耶さんの姉に通報されていますが、「また捕まると、今度は少年院送りになる」と考え、事件前日の2月9日は引き下がったようです。
千葉祐太郎はイケメンの噂あり
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千葉祐太郎はイケメンであるという噂があります。確かに、中学の時の卒業アルバムを見ると、「イケメン」までは行かなくても、好青年っぽさはあります。また、高校中退後の写真を見ても、「チャラ男」っぽさはありますが、ブサイクというわけではありません。
2ちゃんねるのなんJ(なんでも実況ジュピター)の「イケメン死刑囚で打線組んだwwwww」というスレッドでは、8番レフトに入っています。
1三若林一行(岩手母娘殺害事件)
2右植松聖(相模原障害者施設殺傷事件)
3一宅間守(附属池田小事件)
4遊山地悠紀夫(大阪姉妹殺害事件)
5捕アンネシュ・ベーリング・ブレイビク(ノルウェー連続テロ事件)
6二池田容之(横浜港バラバラ殺人事件)
7中市橋達也(リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件)
8左千葉祐太郎(石巻3人殺傷事件)
9投小川博(元千葉ロッテマーリンズ投手強盗殺人事件)
8番レフトなので、そこまでイケメンというわけではありませんんが、死刑囚の中ではそこそこイケメンと言えるでしょう。
千葉祐太郎と南部沙耶は結婚せず内縁の嫁
千葉祐太郎と南部沙耶さんは、交際していました。そして、子供も生まれていましたが、結婚しておらず、内縁の関係にありました。
合コンで知り合う
千葉祐太郎と南部沙耶さんは、2008年8月に合コンで知り合い、交際することになりました。しかし、交際してたった2週間で暴力を振るうようになります。
ふたりが知り合ってすぐに千葉はバイクのチームに入ったんですが、一緒に来たB子さんの態度が気にいらなかったチームのリーダーが、『オメーの教育が悪い。叩いてでも教えてやれ』と千葉に迫ったんです。それで千葉が目に青タンができるくらいB子を殴った。以来、彼女を殴るのに慣れたみたいで、頻繁に暴力を振るっていました
千葉祐太郎も自分の彼女に暴力をふるう最低な男ですが、暴力をふるうように強要したチームのリーダーも最低な男ですね。
千葉祐太郎は彼女である南部沙耶さんにどんどん暴力を振るうようになり、交際開始から半年後である2010年2月5日には、南部沙耶さんと母親、さらに千葉祐太郎の母親が一緒に石巻署に千葉祐太郎の暴力で相談して、市の市民相談センターを紹介されています。
この相談時には沙耶さんの顔に多数の痣があり、沙耶さんは県の保護施設に入所することになりました。
ただ、入所して5日後には沙耶さんが自分の意思で退所し、また自分から千葉祐太郎に連絡を取り、よりを戻してしまったんです。このことを沙耶さんの母と姉は心配し、2人で市民センターに再び相談しています。
妊娠後に駆け落ちしていた
千葉祐太郎から暴力を受け、保護施設に入るほどの状態だったのに、またよりを戻してしまった千葉祐太郎と南部沙耶さん。退所後に南部沙耶さんの妊娠が判明します(出産時期から考えると、おそらく保護施設から退所した後に判明)。
この時、千葉祐太郎も南部沙耶さんも17歳でした。当然、南部沙耶さんの母親も千葉祐太郎の母親も出産には反対し、別れることを勧めましたが、2人は別れることなく、東京に駆け落ちしてしまいます。
2人はインターネットカフェに泊まっていましたが、すぐにお金が無くなり、4日目からコインランドリーに泊まるようになり、補導されて、石巻に戻ることになりました。
子供は女の子
南部沙耶さんは千葉祐太郎の子供を2009年10月に出産しました。子供は女の子でした。
しかし、千葉祐太郎は女の子が生まれて父親になった後も、定職について真面目に働くことはありませんでした。それどころか、沙耶さんへの暴力を止めることもなかったのです。
結婚せずにくっついたり別れたりを繰り返す
千葉祐太郎と南部沙耶さんの間には子供が生まれましたが、結婚はしていません。入籍せずに、内縁状態を続けていました。おそらく、南部沙耶さんのご家族が結婚に反対したのでしょう。
また、千葉祐太郎と沙耶さん、娘の3人で暮らしていたことがありましたが、沙耶さんはすぐに娘と2人で実家に戻って、別居しています。
千葉祐太郎は南部沙耶さんに暴力をふるっていましたが、実は南部沙耶さんも千葉祐太郎に暴力をふるっていたようなんです。
実は裁判では、A子さんのほうからも祐太郎に対し、殴る蹴るの暴力をふるっていたことが明らかになっている。2人はいわゆる「共依存」の関係だったようなのだが、一般の人間には理解しがたい特異な人間関係の中で起きた事件だったとも言えるかもしれない。
引用:【平成生まれの死刑囚と面会】ニュースで報じられない衝撃の告白の数々 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件 (2016年11月14日) – エキサイトニュース
千葉祐太郎と沙耶さんは共依存のような関係性になり、くっついたり別れたりを繰り返していました。そして、暴力がエスカレートし、千葉祐太郎のタガが外れてしまったのです。
千葉祐太郎は彼女の南部沙耶にDVしている認識はなかった?
千葉祐太郎は彼女の南部沙耶にDVをしている認識はなかったと供述しています。
「当時は俺、ビンタだと1発では暴力にならないと思っていて、3発目から暴力になるという感覚だったんです。自分が子供の頃、暴力が身近にありすぎて、感覚が一般の人と違っていたんですよ」
引用:【平成生まれの死刑囚と面会】ニュースで報じられない衝撃の告白の数々 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件 (2016年11月14日) – エキサイトニュース
ビンタ1発では暴力ではなく、3発目から暴力になるという考え方。普通なら、「損なわけあるか!!!」と思いますが、千葉祐太郎の特殊な生い立ちを考えると、納得せざるを得ません。
常に暴力が隣にあり、自分も暴力を振るわれて育ってきていた。また、母親が再婚相手(交際相手?)にDVを受けていたから、男性がパートナーの女性(嫁)に暴力をふるうのはごく普通のことという価値観で育ってきたのかもしれません。
これがただ単に千葉祐太郎のいいわけではなく、本心だとしたら、千葉祐太郎の生い立ちはこの事件にかなり大きな影響を及ぼしていることは間違いないでしょう。
千葉祐太郎は南部沙耶の姉に逆恨み
千葉祐太郎は南部沙耶に暴力をふるっていましたが、2010年2月10日には南部沙耶を連れ去っているものの、殺害したのは南部沙耶ではなく姉と友人でした。
姉は千葉祐太郎を嫌っていた
出典:twitter.com
千葉祐太郎がなぜ姉を狙ったのか?それは、南部沙耶さんと自分の関係を邪魔しているのが、姉の美沙さんだと思いこんでいたからです。
姉の美沙さんは、最初に沙耶さんが暴力に悩んで市民相談センターに行った時も一緒についていきましたし、前日に千葉祐太郎が自宅に侵入してきた時も、沙耶さんに会わせずにすぐに警察に通報しています。
姉の美沙さんは千葉祐太郎を嫌っていて、なんとか妹の沙耶さんと千葉祐太郎を別れさせようとしていたのです。
南部沙耶は元日に浮気?
妹の沙耶さんと千葉祐太郎を別れさせたい姉の美沙さんは、事件の約1ヶ月前である2010年1月1日に妹の沙耶さんのために2対2の合コンをセッティングしました。
そして、そこで沙耶さんは違う男性と良い感じになったようなんです。
C子さんが妹に新しいカレを作ろうとして、(10年の)元日に2対2の合コンを企画したんですけど、出席したB子さんが本当に浮気しちゃったんです。
それを知った千葉祐太郎は怒りだし、沙耶さんの浮気相手をボコボコにします。そして、それを知った沙耶さんは本気で千葉祐太郎と別れることを決意し、手紙を残して千葉祐太郎のもとを去りました。
〈私は汚れている。だから(千葉)祐太郎くんにはもっときれいな他の女の方がいい。もっとふさわしい女の人がいると思う。でも、大好きだったよ。いままで楽しかった。ありがとう〉
それを見た千葉祐太郎は、それまで以上に南部沙耶さんに固執するようになり、付きまとって復縁を迫るようになったのです。
千葉祐太郎の事件の判決は死刑!
千葉祐太郎は2010年2月10日に逮捕され、同年11月25日に第一審で死刑判決が言い渡されました。第二審では控訴棄却で死刑判決が支持され、最高裁でも上告が棄却されたため、2016年6月16日に死刑が確定しています。
裁判の中で、千葉祐太郎の悪質性・計画性が明らかになりました。
・少年Bに実行犯になるように命令した(少年Bは拒否)
・少年Bに狂気を万引きしてくるように指示
・少年Bに差し方を指示
・凶器に少年Bの指紋をつけさせた
・少年Bと服を交換して、返り血対策と証拠隠ぺいを図った
・「俺は関係ない」と容疑を否認した
・「裁判で泣いたり家庭事情を話せば、裁判官の同情を変える」と少年Bに話していた
千葉祐太郎は子分である少年Bを犯人に仕立て上げようとしていたのです。これらのことから、千葉祐太郎は死刑判決を言い渡されています。
犯行態様の残虐さや被害結果の重大性からすれば,被告人の罪責は誠に重大であって,被告人なりの反省など被告人に有利な諸事情を最大限考慮しても,極刑を回避すべき事情があるとは評価できず,罪刑均衡の見地からも,一般予防の見地からも,被告人については,極刑をもって臨むほかない。
ただ単に嫉妬に狂って衝動的に行った犯行ではなく、計画的であり、しかも残虐的な犯行で、自分の子分の少年を犯人にしようとしたなんて、同情の余地はありません。
少年事件の裁判員裁判で初の死刑
この千葉祐太郎の死刑判決は、少年事件の裁判員裁判では初めての死刑判決でした。事件当時、千葉祐太郎は18歳の未成年で、通常は未成年の犯罪の場合、更生を第一に考えた判決が出ますが、今回のこの石巻3人殺傷事件では未成年という点を考えても死刑判決は免れないという判決に至っています。
それまでは未成年で更生の道が残されていることから、千葉祐太郎の実名は伏せて報道されていましたが、2016年に死刑が確定したことで、報道各局は一斉に千葉祐太郎の実名報道が解禁となっています。
千葉祐太郎の現在①死刑執行されていない
千葉祐太郎は、2022年1月時点でもまだ死刑は執行されていません。千葉祐太郎は2022年で31歳になります。
法務省によると、死刑確定から執行までの平均は7年4ヶ月です。千葉祐太郎の死刑判決は2016年ですので、この平均値を考えると、いつ死刑が行われてもおかしくはありません。
千葉祐太郎の現在②再審請求が棄却
千葉祐太郎と弁護団は2017年に再審請求を行っています。再審請求の理由は、次のように語っています。
「(元少年は)死刑を否定しているのではなく、誤った事実認定のもとに死刑に処せられることが耐えられないという趣旨の発言をしている」
千葉祐太郎は殺人罪以外の未成年者略取と傷害罪は無罪が妥当という主張で再審請求をしていましたが、2021年10月にこの再審請求は棄却されています。
一般的に再審請求をしている間は、死刑執行は行われないとされていますので、この再審請求は死刑執行を先延ばしにするためのものだったのかもしれません。ただ、すでに再審請求は棄却されていますので、今後は死刑執行はいつ行われてもおかしくはない状態になっているでしょう。
千葉祐太郎の現在③子供のことを案じているらしい
千葉祐太郎は、現在子供のことを案じているようです。千葉祐太郎には南部沙耶さんとの間に女の子がいます。事件前の最後の日記にも、千葉祐太郎は娘に会いたいと書いていましたし、逮捕後の面会でも、次のように話していました。
「娘が今どんなふうになっているのか、写真だけでも見たいですよね。俺とA子、どっちに似ているだろうかと思いますよ」
引用:【平成生まれの死刑囚と面会】ニュースで報じられない衝撃の告白の数々 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件 (2016年11月14日) – エキサイトニュース
ただ、この先の娘さんの人生は、千葉祐太郎のせいでかなりのハードモードです。父親は母親を襲い、自分の伯母を殺した死刑囚。そんな超重い十字架を背負わせたのは自分のせいなのに、娘のことを案じるなんて、身勝手すぎます。身勝手だからこそ、こんな事件を起こしたと言えますが。
千葉祐太郎の現在④絵を描いている
千葉祐太郎は2014年5月に絵を描いています。この絵は「極限芸術2~死刑囚は描く~」という企画のものですが、仙台拘置所の中で次のような絵を描きました。
千葉祐太郎の子供のころからの人生を描いたような絵で、これを見ると、千葉祐太郎の人生に少し同情してしまいます。
ただ、文章の中に「今後の俺の運命は死か贖罪のどちらか」と書かれています。2014年は上告中で、死刑が確定してはいない時期です。「死か贖罪か」と書いているということは、「死をもって罪を償う」という気持ちは一切なく、生への強い執着を感じ取ることができます。
2人の命を奪い、南部沙耶さんと娘に重い十字架を背負わせることになった犯罪を犯した千葉祐太郎。この絵を見ると同情はしますが、心からの反省はしていないんだなと感じてしまいますね。
千葉祐太郎のまとめ
千葉祐太郎が犯人の石巻3人殺傷事件の概要や千葉祐太郎の生い立ちや家族、高校中退後の生活、イケメンの噂、彼女の南部沙耶さんと関係・結婚の有無や子供の情報、死刑判決と現在をまとめました。
この事件は千葉祐太郎の生い立ちが深く影響していることは間違いありません。同情すべき点はあっても、犯行はあまりにも悪質であり、死刑判決以外にはありえないほどの残虐な事件だったと言えます。