2008年2月1日に熱気球での太平洋横断に挑戦中に行方不明になった冒険家・神田道夫さんが話題です。
この記事では神田道夫さんの太平洋横断挑戦までの輝かしい経歴、熱気球行方不明事件の経緯、現在の状況などについてまとめました。
神田道夫(熱気球太平洋横断中に行方不明になった冒険家)のプロフィール
神田道夫のプロフィール
生年月 :1949年12月
推定没年:2008年
出身地 :埼玉県
神田道夫さんは埼玉県出身の冒険家で、埼玉県比企郡川島町教育委員会職員でもありました。
熱気球を使っての太平洋横断に挑戦中に連絡を断ち、そのまま行方不明となり現在も見つかっていません。熱気球の操作に失敗して洋上に墜落し、死亡したと見られています。
今回はこの神田道夫さんについてまとめていきます。
神田道夫の経歴
出典:http://www.shikoku-np.co.jp/
神田道夫さんは、28歳の時にテレビで見た熱気球の魅力に取り憑かれ、29歳で熱気球のパイロット資格を取得されています。
その後、熱気球での数百回もの飛行経験を重ね、35歳だった1984年に熱気球中軽量級長距離飛行の世界記録(2366km)や、熱気球中軽量級の高度世界記録(12910m)を達成。
1990年には、同じく熱気球パイロットの市吉三郎さんと共に、エベレスト越えにも挑戦しますが惜しくも失敗。
その後、1997年にカナダのカルガリーから、アメリカ・モンタナ州・ヨルダンまで熱気球で飛行し、熱気球中軽量級の滞空時間の世界記録(50時間38分)を樹立しています。
2004年と2007年には熱気球での太平洋横断に挑戦しますが、いずれも失敗しています。この時の太平洋横断挑戦には、1度目には冒険家の石川直樹さん、2度目には冒険家の安東浩正さんが副操縦士として同乗。
そして、2008年1月31日に3度目の挑戦として単独で太平洋横断に挑みますが、出発から2日目の2月1日に連絡を断ち、そのまま行方不明となりました。
神田道夫さんが行方不明になった事件の経緯については次の見出しで見ていきます。
神田道夫の熱気球行方不明事件の経緯
出典:http://www.shikoku-np.co.jp/
神田道夫さんは、熱気球「スターライト(Starlight)」号を自作して3度目の太平洋横断に挑戦しました。神田道夫さんの搭乗した「スターライト号」は、直径45メートル、高さ50メートルという巨大な熱気球で、当時では、現存する熱気球で世界最大、過去のものを含めても史上2番目の大きさでした。
神田道夫さんは、この熱気球をこの計画のかなり以前から製作し、試験飛行を何度も繰り返すなど太平洋横断計画の準備を進めていました。
当初、この3度目の太平洋横断計画は2007年度中に出発するのを目標に進められていましたが、通常よりもかなり巨大な熱気球を扱う困難さから同乗者が見つからずに、出発が延期されたという経緯がありました。
そして、神田道夫さんはやむなく副操縦士を乗せずに単独での出発を決断し、2008年1月31日に栃木県から約9000km離れた北米大陸を目指して離陸したのでした。
神田道夫さんの熱気球には、衛星携帯電話やGPSが搭載されており、出発の翌日の2月1日の午前3時までは、支援者のもとに連絡があり、GPSの位置情報も受信できていたという事でしたが、それを最後に連絡が途絶え、そのまま行方不明になってしまいます。
熱気球による単独太平洋横断に挑戦している冒険家、神田道夫(Michio Kanda)さん(58)と現在連絡がとれなくなっていることが1日、分かった。埼玉県川島町職員の神田さんは前日早朝、熱気球で栃木県を出発。順調にいけば60時間で約9000キロ離れた北米大陸に到達する見込みだった。(中略)神田さんから支援者のもとに連絡があったのは1日の午前3時が最後で、それ以来連絡がつかなくなっているという。
支援者の依頼により、アメリカの沿岸警備隊による捜索が行われましたが、航空機を使用した捜索でも神田道夫さんと熱気球は発見できませんでした。
神田道夫さんと熱気球が最後に確認された位置はアラスカ・アリューシャン列島・ウムナック島から南東約190kmの地点で、同年2月12日の夜に、米沿岸警備隊がこのウムナック島からみて南へ約250kmの海上で、白と青のシリンダー型の物体を発見したとの報告が出ましたが、これが神田道夫さんと関連する物体かは確認できませんでした。
これ以降、神田道夫さんに関連すると推測される手がかりは何も発見されず、行方不明になってから2週間余りが経過した2月16日、米沿岸警備隊は新たな手がかりが見つかる可能性は低いとして捜索の打ち切りを発表しました。
神田道夫の熱気球行方不明事件のその後から現在まで
出典:https://image.space.rakuten.co.jp/
神田道夫さんが行方不明になってから約10ヶ月後の2008年11月26日、2004年の神田道夫さんの1度目の太平洋横断挑戦に副操縦士として参加した冒険家の石川直樹さんが、神田道夫さんと共に挑戦した4年半の記録を綴ったルポタージュ「最後の冒険家 太平洋に消えた神田道夫」を発表しました。
この書籍は2008年の「開高健ノンフィクション賞」を受賞しています。2009年2月16日から4月3日にかけては、この書籍出版に関連して「『最後の冒険家』展」が集英社ミュージアムで開催され、1度目の太平洋横断時に使われたゴンドラの残骸や装備品なども展示されています。
現在も神田道夫さんや、熱気球「スターライト号」は発見されておらず、依然として行方不明のままとなっています。
まとめ
今回は、2008年2月に、熱気球での太平洋横断に挑戦中に行方不明になり、現在も発見されていない冒険家の神田道夫さんについてまとめてみました。
神田道夫さんは、29歳で熱気球のパイロット資格を取得して以降、数百回の飛行経験を持つ熟練の熱気球操縦者で、熱気球中軽量級の長距離飛行世界記録、高度世界記録、滞空時間世界記録を打ち立てた経歴を持ちます。
2004年から2008年にかけて3度にわたり、熱気球による太平洋横断に挑戦しましたが、3度目の挑戦中であった2008年2月1日に消息を断ち、そのまま現在まで行方不明となっています。
現在も神田道夫さんは見つかっておらず行方不明のままです。