1973年6月23日に栃木県宇都宮市の陸上自衛隊北宇都宮駐屯地で発生した「自衛隊機乗り逃げ事件」が話題です。
この記事では自衛隊機乗り逃げ事件の詳細な経緯や、犯人の菅野行男について、事件の真相は北朝鮮への亡命説や自暴自棄説などについてまとめました。
この記事の目次
自衛隊機乗り逃げ事件の詳細
「自衛隊機乗り逃げ事件」は、1973年6月23日に栃木県宇都宮市の陸上自衛隊北宇都宮駐屯地で発生した不可解な事件です。
同駐屯地にある陸上自衛隊航空学校宇都宮分校(現在は宇都宮校)に整備士として所属していた、菅野行男3等陸曹(当時20歳)が、飲酒をした上、同駐屯地で運用されていた連絡機「LM-1 はるかぜ」(プロペラ機)に無断で搭乗して飛び去り、そのまま行方不明になりました。
自衛隊による捜索が行われましたが、現在に至るまで機体も菅野行男3等陸曹も見つかっていません。
自衛隊機乗り逃げ事件の詳細な経緯① 小型プロペラ機が突然滑走路から飛び去る
1973年6月23日の21時頃、陸上自衛隊北宇都宮駐屯地「宇都宮飛行場」の滑走路から突然、1機の小型機が飛び去りました。
同駐屯地の主力部隊は陸上自衛隊航空学校宇都宮分校で、これはパイロット育成を任務とする教育部隊で、通常時の航空機の運用時間は朝8時から17時までに限定されており、この時間は既に管制塔は閉鎖されて無人の状態でした。
自衛隊機乗り逃げ事件の詳細な経緯② LM-1と菅野行男が消えている事が判明
突然の事態に、駐屯地内は大騒ぎとなり、すぐさま駐屯地内の点検と所属隊員の点呼が行われました。
その結果、格納庫内に収容されていたLM-1連絡機(小型のプロペラ機)が1機無くなっており、同部隊で整備士を務めていた、当時20歳の菅野行男3等陸曹の姿が見えない事が判明します。
当時、LM-1連絡機が格納されていた格納庫は外側から閂がかけられていただけで施錠されていませんでした。(緊急時の発進に備えるための措置)
この事から、菅野行男が独力で格納庫からLM-1を滑走路へ引き出し、エンジンを始動させてそのまま自分で操縦して飛び去ったとの推測がなされました。目撃者証言によると、LM-1は南の方角へ飛び去ったという事です。
自衛隊機乗り逃げ事件の詳細な経緯③ レーダーでは捕捉されず無線にも応答なし
陸上自衛隊航空学校宇都宮分校では、すぐにレーダーによる捜索と無線での連絡を試みましたが、レーダーでは捕捉できず、無線にも応答がありませんでした。
レーダーでの補足ができなかった点については、LM-1がレーダーに捕捉できないほどの低空を飛空で飛び去ったと推測されています。宇都宮飛行場近くには、福島県の大滝根山と千葉県の峯岡山、新潟県の佐渡ヶ島の3ヶ所にレーダーが設置されていましたが、いずれのレーダーでも捕捉されませんでした。この事から、LM-1はかなりの長距離をレーダーに捉えられない低空で飛行していたと推測されています。
無線への応答がなかった事については、意図的に応答しなかったか、無線機の使い方がわからなかったのかどちらかだろうと推測されていました。
自衛隊機乗り逃げ事件の詳細な経緯④ 菅野行男は行方不明のまま懲戒免職
自衛隊機乗り逃げ事件後、乗り逃げされたLM-1も菅野行男も発見できないまま、同年8月1日付で、菅野行男は懲戒免職処分となりました。
また、関係者7名がこの事件の責任を取らされる形で処分を受けています。
自衛隊機乗り逃げ事件の犯人の菅野行男3等陸曹について
「自衛隊機乗り逃げ事件」の犯人である菅野行男3等陸曹については、当時の年齢が20歳だったといった程度の情報した公開されておらず、どのような人物であったのかは不明です。
菅野行男3等陸曹の事件当日の行動については、事件を起こす直前まで駐屯地内の隊員クラブ(隊員用の酒場)でビールを飲んでいる姿が目撃されていました。
この事から、菅野行男3等陸曹が酒に酔って、突然航空機を操縦したいとの衝動に駆られて、突発的にLM-1を盗み出してそのままの勢いで飛び去ってしまったのが真相ではと推測する報道もされていました。
ただ、この説では色々と辻褄の合わない事が多く、真相については別の説も囁かれています。次の見出しから自衛隊機乗り逃げ事件の真相についても紹介していきます。
自衛隊機乗り逃げ事件の真相① 北朝鮮への菅野行男の亡命説
多くの謎に包まれたままの「自衛隊機乗り逃げ事件」ですが、その真相についても見ていきます。
当時現役の予備自衛官で、正規自衛官の時代には菅野行男3等陸曹の同期だったという小栗新之助さんという方が、2013年の東スポで「自衛隊機乗り逃げ事件」の真相に関わる証言をされています。
小栗新之助さんによると、自衛隊機乗り逃げ事件が発生する少し前に、菅野行男3等陸曹が、見かけない革ジャン姿の男2人と駐屯地内の道の隅で何事か話し込んでいるのを目撃したそうです。
小栗氏はこの3等陸曹と一緒に成人式にも出席した仲。事件の少し前には不審な様子も目撃したという。「駐屯地内の道の隅で見かけない革ジャンの男2人とひっそりと話し込んでいるのを見たんです。あれは何だったのか今でも気になっています」
当時の情勢を考えれば、菅野行男3等陸曹が話し込んでいたという2人の男が北朝鮮の工作員だった可能性も十分に考えられるかと思います。
そして、小栗新之助さんは、乗り逃げされたLM-1が格納されていた格納庫の扉の開閉や航空機を滑走路に出す作業や離陸のために必要な整備が、菅野行男3等陸曹1人の力で行えたとは考えづらいとの考えも示しています。
また、自衛隊機乗り逃げ事件が発生したのはちょうど敷地内に人が少なくなる土曜日で、計画的な犯行だった可能性も示唆されています。
何トンもある格納庫の扉の開閉や航空機の出し入れは1人で簡単にできるものではなく、準備しなければ不可能に近い。事件が起きたのは敷地内に人が少なくなる土曜日でした。
さらに、LM-1に搭載されていた燃料の量だと航続距離は約1300kmになり、ギリギリ北朝鮮に辿り着く事が可能な距離でした。
事件後に国内での墜落情報はなく、小栗氏は「日本海で墜落したか、もしくは北朝鮮に飛んだ可能性もあります。70~80年代は向こうの工作員が多く日本に入国していました。そういった人間が協力したと考えると納得いく部分もあるし、航空機の燃料も北朝鮮ならなんとか届く量でした」と指摘する。
そして、自衛隊機乗り逃げ事件の犯人である菅野行男3等陸曹はそもそも操縦士ではなく、LM-1をレーダーに捉えられないほど低空で飛行しつつ、捜索しても機体が発見できないような距離まで独力で操縦できるとは考えづらいように思えますが、LM-1はパイロットの他に最大で4名が搭乗可能な航空機でした。
この事から、この事件には北朝鮮の工作員が協力しており、実際に機体を操縦していたのは北朝鮮から派遣された人員だったのが真相だったのではとの説も存在します。
自衛隊機乗り逃げ事件の真相② 操縦士試験落第による菅野行男自暴自棄説
自衛隊機乗り逃げ事件の真相としては、菅野行男3等陸曹が自暴自棄になり、半ば自殺のようにLM-1を盗んで飛び去ったとする説も存在します。
これは、上でも搭乗した菅野行男3等陸曹の動機である小栗新之助さんが、菅野行男3等陸曹が事件を起こす前に操縦士試験を受けており、3人の同期のうちで自分だけ落第していた事を明かしているためです。
事件前に3等陸曹は操縦士になるための試験を同期と3人で受験して1人だけ落ちていました。
この事に精神的ショックを受けていた菅野行男3等陸曹が、そのストレスから酒浸りになり、さらにその酒の勢いを借りてLM-1を盗み出し、そのまま飛び去ってそのまま海へと墜落し亡くなったとするのが真相だと推測されています。
これが真相とすると、菅野行男3等陸曹は北朝鮮方面ではなく、太平洋側へと飛行を続けてそのまま墜落した可能性が高いと推測されています。もし北へ向かっていたなら、操縦士経験のない菅野行男3等陸曹が難しい夜間飛行をレーダーに映らないほどの低空飛行を継続できたとは考えづらく、市街地や山岳部、あるいは目撃される可能性が高い沿岸部近くの海面などに墜落していた可能性が高いとされているためです。
いずれにしても全ては推測に過ぎず、自衛隊機乗り逃げ事件の真相は闇の中です。
まとめ
今回は、1973年6月23日に栃木県宇都宮市の陸上自衛隊北宇都宮駐屯地で発生した「自衛隊機乗り逃げ事件」についてまとめてみました。
自衛隊機乗り逃げ事件は、同駐屯地の主力部隊である陸上自衛隊航空学校宇都宮分校に所属する整備士だった菅野行男3等陸曹が、同部隊で運用されていた小型のプロペラ機「LM-1連絡機」に無断で搭乗して滑走路から飛び立ち、そのまま何処かへ姿を消した事件です。
犯人の菅野行男3等陸曹もLM-1も現在まで発見されておらず行方不明のままとなっています。
自衛隊機乗り逃げ事件の真相としては、北朝鮮工作員の協力を得ての亡命説や、パイロット試験に落ちて自暴自棄になった菅野行男3等陸曹が半ば自殺する目的で実行したとする説が囁かれていますが、いずれも推測に過ぎず真相は闇の中です。