赤城神社主婦失踪事件とは1998年に起きた事件で、志塚法子さんが行方不明になった未解決事件です。
真相不明の赤城神社主婦失踪事件について、志塚法子さんの顔写真や家族の情報、駆け落ち説、保険金目的説、宗教説が囁かれる事件の真実を紹介します。
この記事の目次
赤城神社主婦失踪事件の概要
1998年5月3日、群馬県前橋市三夜沢町にある赤城神社(通称・三夜沢赤城神社)を訪れていた千葉県白井市在住の主婦、志塚法子さんが参拝途中に行方不明になる事件が起こりました。
この日、志塚法子さんは夫、娘、生まれたばかりの孫、叔父、叔母そして義母の合計7人でツツジ鑑賞をする目的で赤城神社に来ていたといいます。
神社に到着したのは午前11時30頃。天気はあいにくの雨だったため、赤ちゃんを連れている娘、そして義母と叔母は車の外に出るのを躊躇したそうです。
そのため法子さんの夫と叔父の男性2人のみが「参拝だけしてくるよ」と言って、境内に向かっていきました。
しかしその後、しばらくして(夫と叔父が車を出てから約2分後との話もある)法子さんも「せっかくだから、お賽銭あげてくるね」と言い、財布からお賽銭用に101円だけを取り出して参道に向かっていったのです。そして、それきり法子さんは姿を消して家族のもとに戻ることはなかったのでした。
当日の志塚法子さんの行動
お賽銭をあげると言い残して車を降りた法子さんは、夫と叔父が向かっていった参道ではなく、車を停めていた第一駐車場の脇にある林道に向かっています。この林道は拝殿への近道でした。
法子さんは過去にも三夜沢赤城神社を訪れていたため、拝殿への近道を知っていたのです。
法子さんが車を降りた後、赤ちゃんをあやすために車外に出た娘は林道の途中で佇む法子さんらしき女性の姿を目撃したといいます。
駐車場にいた娘は境内から数十メートル外れた場所に佇む母親と思しき人物を見かけ、(どうしてあんなところにいるんだろう。境内は別の方角なのに)と感じたそうです。そして少し目を離したすきに女性はいなくなっていたといいます。
家族によると法子さんは右耳に持病があり、雨の日など気圧が低い時には激しい目眩で動けなくなってしまうこともあったそうです。しかも、いつもつけている補聴器は車の中に置いたままでした。
そのため心配になった娘が法子さんを迎えに行ったのですが、娘が林道に入った頃には法子さんの姿は忽然と消えていたのです。
慌てた娘は車にいる家族や親族にも声をかけ、全員で法子さんを探しましたが、彼女の姿はどこにもありません。
法子さんが車を降りてから姿を消すまでの間は、わずか6分程度だったそうです。さっきまで視界に入っていた人間、それも大人が影も形もなく消え去ってしまったことから、赤城神社主婦失踪事件は神隠し事件とも呼ばれています。
赤城神社の周辺環境
出典:https://www.city.maebashi.gunma.jp/
赤城神社主婦失踪事件が起きた三夜沢赤城神社は、赤城山の南麓に位置します。群馬県屈指のパワースポットで、境内で汲める御神水が人気の神社です。
また三夜沢赤城神社はツツジが有名で、毎年ゴールデンウィークの時期には参道を彩るツツジを観に多くの人が訪れます。
法子さんが行方不明になった1998年5月3日も、ちょうどツツジが見頃を迎える時期で、ゴールデンウィーク中盤でもあったため雨の中でも参拝客が絶えなかったといいます。
事件当時に発行された群馬県の地方紙「上毛新聞」によると、この日も赤城神社の第一駐車場には車が20台ほど停まっていたそうです。
しかも2日後の5月5日には境内でお祭りが催される予定であったため、祭りの準備に来ていた人もいました。そのように事件当日の三夜沢赤城神社は人出が多く、比較的賑やかであったにもかかわらず、娘が見失って以降の法子さんの目撃情報や、女性の悲鳴などを聞いた人はいなかったのです。
赤城神社主婦失踪事件で行方不明の志塚法子さんの顔写真
志塚法子さんが失踪した1998年にはまだ日本国内のインターネットの普及率が低かったせいか、ネット上に鮮明な法子さんの顔画像というのはアップされていません。
2008年には群馬県警が事件の風化を防ぐために志塚法子さんの顔写真入りのビラを配っているとの報道がありましたが、こちらも500枚と数が少なく、どのような写真が使用されていたのか不明です。
現在の時点で公開されている志塚法子さんの顔写真のうち、もっとも鮮明に顔が映っているのが上の画像で向かって左上にある小さな写真です。これは、2006年に放送されたテレビ朝日系列の生放送事件放送番組「テレビのチカラ」で紹介されたものとなります。
法子さんの体型については身長156cm、失踪当時の体重は54kg程度だったとされています。また、失踪時にはメガネをかけており、ピンク色の長袖シャツと黒いスカート、ハイビスカスの飾りがついた青いサンダルを着用し、赤い傘をさしていたとのことです。
なお、事件発生当時の法子さんの年齢は48歳であったため、現在は70歳を超えているはずです。そのため、上の写真とは異なる風貌をしていると思われます。
赤城神社主婦失踪事件のその後と現在
家族は法子さんが行方不明となった当日の13時半頃には大胡警察署に捜索願を提出しており、夕方からは警察と消防あわせて80人体制での捜索が開始されました。
捜査には警察犬も投入されましたが、折り悪く雨が降る中での失踪だったため、車通りが多い場所まで来ると警察犬もにおいを追えなくなったとされます。
その後も山狩りやヘリコプターでの上空からの捜索、周辺住民への聞き込みなど、10日間、延べ100人の捜査員を投入しての捜索がおこなわれましたが、法子さんの行方はわからず遺留品などの手がかりも発見されませんでした。
また警察に寄せられた法子さんの目撃情報も20件程度しかなく、そのなかに解決に結びつくようなものはありませんでした。
その後も2006年には家族が「テレビのチカラ」に出演して情報提供を訴えましたが、やはり有力な情報はなく、2008年6月には失踪宣告の手続きがされ、現在では法子さんの捜索は打ち切られています。
赤城神社主婦失踪事件の真相考察① 駆け落ち説
法子さんが失踪してから7ヶ月が過ぎた頃、事件当日に三夜沢赤城神社にいたという参拝客からテレビ朝日に1本のホームビデオが送られてきました。
このホームビデオのなかには赤い傘をさした女性が拝殿付近にいる様子が偶然映されており、撮影者は「この女性は志塚法子さんではないか」と思って、テレビ朝日に提供したのだそうです。それが、上の画像の女性です。
家族が確認した結果、残念ながらホームビデオに映っていた女性は法子さんではなく別人であることがわかりました。この女性の姿は境内にいた法子さんの夫も実際に見ていたそうで、赤い傘をさしている別人であると証言していました。
しかし、2006年放送の「テレビのチカラ」でこのビデオが紹介されたことで、事件の真相についてある説が囁かれるようになったのです。
ホームビデオの撮影者が「法子さんでは?」と思った人物とは別に、林道の奥に誰かに傘を差し伸べるような動きをする人物の影が映っており、この人物こそが法子さんなのではないかと指摘されたのです。
話題になったのは上の画像の向かって右上にいる人物で、不鮮明ですがたしかに誰かに傘をさしかけている様子が見て取れます。
このショットから法子さんは夫ではない男性に会っていたのではないか、失踪ではなく駆け落ちしたのではないかとの考察がされたのです。
たしかに駆け落ちであれば、法子さんが悲鳴をあげたり周囲の注目を集めたりせずに姿を消した点とも矛盾しません。
ただ、法子さんは自分から進んでこの日に三夜沢赤城神社に来ていたわけではなく、義理の母親の提案で急に遊びに来ることになったのです。
法子さんは失踪する前日の5月2日に、自宅がある千葉県白井市から夫と娘、孫の4人で群馬県太田市新田の義実家を訪れていました。そして5月3日の午前中に叔父や叔母と合流して買い物をしていたところで、義母が「赤城神社にツツジを観に行こう」と提案したのです。
つまり失踪当日の午前中までは三夜沢赤城神社に訪れる予定はなく、仮に法子さんに不倫相手がいたとしても、事前に相手に連絡をして駆け落ちをするのは不可能な状況でした。
直前に連絡を取って相手を赤城神社に呼んだ可能性もありますが、法子さんの自宅がある千葉県白井市から三夜沢赤城神社までは約110kmも離れており、普段の生活圏からはかなり離れています。
そのため偶然、不倫相手が前橋近辺に住んでいた、出張などで訪れていたなどの事情がない限りは呼び出してすぐに赤城神社に来てもらうのは不可能でしょう。
また、もしうまく赤城神社で不倫相手と合流できたとしても誰にも見つからずに駐車場まで行くのは困難です。赤城山から前橋駅までを結ぶバスもあるにはありますが、いかんせん本数が少なく、駆け落ちに使うには不向きだと考えられます。
以上の点から、赤城神社主婦失踪事件の真相は法子さんの駆け落ちだった、という説は少し無理があるように思えます。
赤城神社主婦失踪事件の真相考察② 北朝鮮による拉致説
法子さんの娘は母親を心配して林道に向かった時、帽子を目深にかぶった怪しげな3人組とすれ違ったとの証言をしていました。
また千葉の自宅に帰った後、家族のもとに米子と大阪の市外局番の電話番号から無言電話があったそうです。
これらの話から浮かび上がったのが、法子さんは北朝鮮に拉致されたのではないか?という説でした。
北朝鮮に拉致された被害者の家には、拉致事件発生後に無言電話がかかってくることがよくあるといいます。なぜ無言電話がかかってくるのかは不明ですが、おそらく家族の様子をうかがうために工作員がかけてきているのではないか?との見方がされています。
このことから娘が見たという不自然な格好の3人組は北朝鮮の工作員で、無言電話は法子さんを拉致した工作員がかけてきたものなのではないか、と言われたのです。
赤城神社主婦失踪事件の真相考察③ 事件に巻き込まれた
あまり考えたくないことですが、法子さんは何らかの事件に巻き込まれて連れ去られたのではないか、という説もあります。
法子さんが巻き込まれたであろう事件として、主に考えられているのが以下の2つです。
- 見てはいけないものを見て拉致された
- 性的暴行目的の拉致
「見てはいけないものを見てしまった」というのは、具体的にはヤクザが誰かの遺体を埋めているところを見た、殺人の現場を法子さんが目撃してしまった、だから口封じに拉致、または殺されたのではないかということです。
しかし、この可能性は極めて低いでしょう。赤城神社の周辺で殺人や死体遺棄などの事件が起きていれば報道があるはずですが、法子さんの失踪以降、そのようなニュースは一切ありません。
そもそもゴールデンウィーク中の人で賑わう観光地、それも真っ昼間にヤクザが遺体を担いでやって来たり、「ここで人を始末しよう」と考えるとは到底思えません。
また法子さん捜索のために警察犬が投入されていたことを考えると、林道に埋まった遺体が見つかっていないのも不自然です。いずれにしても別の凶悪事件がすでに林道で起きていて、その事件に巻き込まれて法子さんも姿を消した、という説は強引な気がします。
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暴行目的の拉致だった?
2006年に「TVのチカラ」で赤城神社主婦失踪事件が取り上げられた際、アメリカの霊能力者、ゲイル・セントジョーンが法子さんの行方について霊視をしていました。ゲイル・セントジョーンによる霊視の結果は以下のとおりです。
- 法子さんは林道で男に「手を貸してほしい」と声をかけられた
- 男についていくと、別の人物が倒れていた
- しかし倒れていた男は演技をしていただけで、2人の男によって法子さんは誘拐された
- 2人の男の目的は暴行だった
- 翌日、暴行を受けた法子さんは赤城山で解放された
- しかしショックから意識が安定せず、赤城山の方面に歩いていってしまった
- 山のなかで遭難し、そのまま命を落とした
衝撃的な霊視結果ですが、やはり失踪当日の赤城神社の賑わいを考えると暴行目的の拉致も難しいと思われます。
なお、手助けを求めて女性を誘い出し、拉致して暴行するという犯行は1970年代にアメリカを恐怖に陥れた連続殺人鬼、テッド・バンディの手口と同じです。
そのためゲイル・セントジョーンの霊視はテッド・バンディの犯行をモデルにした作り話なのではないか?との指摘もされています。
赤城神社主婦失踪事件の真相考察④ 宗教が原因の失踪
法子さんがお賽銭として持っていった金額が101円という意味深な数字であったことから浮上したのが、法子さんは新興宗教を信仰していて、家庭を捨てて宗教団体に出家したという説です。
たしかに2013年7月には新興宗教(統一教会)の二世信者であった女子高生が、信仰と家族から逃げるために失踪したと考えられている「茂原市女子高生失踪事件」も起きており、新興宗教が絡んだ失踪というの起こり得る話です。
ただ法子さんが新興宗教を信仰していた場合、義母に誘われたからとレジャーで神社に行くものかのだろうか、という疑問が残ります。
すべての新興宗教に当てはまるわけではないのでしょうが、新興宗教のなかには自分たちの信仰と相容れないという理由で、神道に基づく神社や仏閣には立ち入ってはいけないという教えを持つものが少なくありません。
前述の「茂原市女子高生失踪事件」でも、行方不明の女子高生が神社に隠れていた理由は「父親は信仰上の理由から神社に入れなかったから」だとされています。
そこを踏まえると信者を囲い込んで外部から遮断するような、それこそかつてのオウム真理教のような新興宗教が現在もあり、かつ法子さんが熱心な信者であったと仮定しても、どこかに矛盾やほころびが生じる気がします。
また101円という金額も「風水的に新しい旅立ちを意味している。だから出家したと考えられる」と噂になったのですが、単に財布に入っていた小銭をすべて持っていっただけ、もしくはお賽銭として割り切れる数は縁起が良くないという迷信があるため、1円を足しただけとも考えられます。
【お賽銭の仕方⛩】
神様は白くて割れないお金を好むので、
お賽銭は『101円』ね😋✊
意外と知らない人が多いので一応✨
ご縁がありますように5円は語呂合わせ的なヤツなので😅早速、神社⛩行ってきたよ😆❣️
まだ桜🌸残ってた~‼️ #天赦日
宝くじも忘れずに✊ pic.twitter.com/LOzCMJA8lL— christy. (クリスティー.) (@christy516) April 10, 2019
調べてみたところ、ネット上でも「お賽銭は101円に決めている」という意見がわりと見られました。縁起の良いお賽銭金額の5円を2進法で表すと101になるから、お賽銭は101円に決めているというややマニアックな意見もあったほどです。
いずれにしても101円という金額が宗教団体の決まりを想起させる、だから出家したのかもしれないという説はこじつけのように感じられます。
赤城神社主婦失踪事件の真相考察⑤ 保険金目的で家族が嘘をついている
これは法子さんの失踪事件自体が家族ぐるみの狂言であった、という説です。行方不明をでっちあげた理由は生命保険を受け取るためで、この説では法子さんはそもそも赤城神社には来ていなかったのではないか?と考察されています。
生死が不明な状況であっても失踪から7年が経過すれば法律上は死亡したものと見做され、失踪宣告がされれば生命保険も受け取れます。
しかし法子さんと同行していたのは孫を抜くと大人5人、それも義母や、叔父、叔母といった別の世帯の人々まで同行していたことから、口裏をあわせて失踪事件を偽装するのは極めて困難だと予想されます。
とくに生命保険や遺産が手に入ったところで相続の権利がない叔父や叔母には何のメリットもなく、さらに不自然な遺贈があれば疑われるため、危険を冒してまで嘘を付くとは考えづらいでしょう。
したがって赤城神社主婦失踪事件は嘘で、保険金目的の狂言だった可能性は低いと思われます。
赤城神社主婦失踪事件の真相考察⑥ 事故にあった
はっきりとした病名は明かされていませんが、法子さんが右耳に抱えていた持病というのは、メニエール病に由来するものだったのではないか、とも見られています。
メニエール病は内耳に何らかの異常が発生して、突然激しいめまいを起こし、めまいの発作を繰り返すたびに悪化する進行性の病気で、難聴や耳鳴り、耳の閉塞感や圧迫感などを伴います。
失踪時、耳が聞こえづらいにもかかわらず法子さんは車に補聴器を置いていったのですが、これについてもメニエール病を患っていたと仮定すると説明がつきます。
メニエール病の症状として聴覚過敏(大きな音がさらに大きく聞こえ、苦しめられる)を発症する人もいるため、大勢の人がいるであろう観光地に向かうのにあえて法子さんが補聴器を外していた可能性や、そもそもまだ乳児の孫と行動していたため補聴器をつけていなかった可能性が考えられるのです。
メニエール病の代表的な症状として知られているのが、回転性の激しい目眩です。法子さんが境内に向かって歩いている時に激しい目眩に襲われ、滑落などの事故にあった可能性は十分考えられます。
また、三夜沢赤城神社の北側は登山道となっており、何らかの原因でここに迷い込んでしまった場合、命に関わる事故が起きてもおかしくありません。
前述のように法子さんが行方不明になった後、警察は10日間延べ100人を投入した捜索したといいますが、よく考えるとこれは非常に少ない数字で1日当たり10人ほどの人数で周囲を探しただけということがわかります。
そのため道に迷った法子さんが沢や崖に落ちてしまった場合、そのまま発見されなかったおそれもあるでしょう。
出典:https://www.momonayama.net/
なぜ法子さんが山の方に迷い込んでしまったのかについては、尿意をもよおしていたからではないか?との考察がされています。
駐車場にもトイレはあるのですが、混んでいたために別のトイレをと思って林道に入ったところ、やはり見つからず、ならせめてかがんで用を足せるような人気のない場所を…とさまよっているうちに山の方に行ってしまった。そこで法子さんは足を滑らせて崖下に落ちて、亡くなってしまったのではないか?と指摘されているのです。
赤城山ではたびたびツキノワグマも目撃されているため、事故に遭ったところをツキノワグマに襲われ、捕食されたために遺体も出てこないという可能性も考えられます。
ただ赤城山周辺に住む人からは「人が迷うような山には、あまり思えない」「熊が出没する場所までサンダルで向かうのは厳しい気がする」との意見も出ています。
赤城神社主婦失踪事件の真実は?自発的な失踪の可能性もある?
法子さんは自発的に失踪した、という可能性も大いに考えられます。
警察は捜索願を受理しても、すべての行方不明事件に対処するわけではありません。基本的に事件性が感じられるものや13歳までの児童および高齢者が行方不明になった場合など、捜索まで踏み切るケースは限られます。
赤城神社主婦失踪事件では大胡警察署も捜索願を受理した当日には80人体制での捜索をおこなっていますが、その後はどうも真剣に捜査をしていたようには思えないのです。
たとえば小倉美咲ちゃんが行方不明となった「山梨キャンプ場女児失踪事件」では10日間で延べ約1,400人を導入しての捜査がおこなわれており、2001年に発生した「室蘭女子高生失踪事件」は事件から20年が経過しても警察が捜査を続けています。
これらの事件と比べると、赤城神社主婦失踪事件では警察の捜査が妙にあっさりしている印象を受けます。
もしかしたら警察は捜索をするうちに、法子さんの失踪には事件性がない、成人女性が自分の意志で失踪した可能性が高いと判断したのかもしれません。
家族、親族でレジャーを楽しんでいる時に、それも生まれたばかりの孫もいるのに、すべてを捨てたい気分になるものだろうかとも感じられますが、法子さんが何を考えていたのかは知る由もありませんし、ましてや48歳という年齢を考えると更年期障害で情緒不安定になっていたことも考えられます。
そのため赤城神社主婦失踪事件の真実は、法子さんの自発的な失踪・蒸発だったとしても不思議はないでしょう。
赤城神社主婦失踪事件のまとめ
今回は1998年5月3日に発生した赤城神社主婦失踪事件について、事件の概要や真相考察などを紹介しました。
この事件については、実は謎を深めている箇所の多くが思い込みや勘違いによるものなのではないか?との指摘もされています。
101円のお賽銭は余った小銭を持っていっただけ、娘が駐車場で見た法子さんらしき人物は駐車場からの距離や視界の悪さから考えて見間違えただけ(実際にほかに赤い傘の中年女性が境内にいた)、無言電話もただのかけ間違えだった可能性が十分考えられるでしょう。
いずれにしても事故や事件に巻き込まれたのではなく、法子さんはどこかで暮らしている、いつか家族に会えると考えたいです。