2001年9月24日に広島県府中町で発生した田辺信子さん行方不明事件が注目されています。
この記事では田辺信子さん行方不明事件の概要や失踪時やその後の不可解な出来事、真相の考察や現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
田辺信子さん行方不明事件(広島県府中町主婦失踪事件)の概要
「田辺信子さん行方不明事件」は、2001年9月24日に広島県安芸郡府中町青崎のマンションから、当時50歳の主婦だった田辺信子さんが何の前触れもなく失踪し、そのまま行方不明になっている事件です。
田辺信子さん行方不明事件は、「広島県府中町主婦失踪事件」とも呼ばれ、夫方の親族による殺人事件の疑いが浮上するなどしてインターネット上でも注目度の高い行方不明事件の一つです。
田辺信子行方不明事件の経緯① 失踪当日はNさんと昼食に行く約束をしていた
2001年9月24日の午前10時頃、田辺信子さんの友人のNさんは信子さんに電話をかけ昼食に誘いました。田辺信子さんはこれを了承し、「シャワーを浴びたいので、用意ができたら連絡する」と返事をしました。
また、田辺信子さんはこの日は、癌で入院中だった夫の許に着替え類などを届けに行く予定だったため、Nさんと昼食を食べた後に一緒に病院へ行くという約束もしています。
午前11時20分、田辺信子さんからNさんの携帯電話に「用意ができた」と連絡が入り、Nさんは「車で迎えに行くから、マンションの下に着いたら電話をする」と答え、すぐに田辺信子さんの自宅マンション(広島県安芸郡府中町青崎)へと向かいました。
午前11時48分、Nさんの携帯電話に田辺信子さんからの着信がありましたが、Nさんは車を運転中だったため、電話を取らずにそのまま運転を続けています。
田辺信子行方不明事件の経緯② 「あー」、「うー」という不可解な電話の応答
午前11時50分、Nさんは田辺信子さんのマンション下に到着し田辺信子さんの携帯電話にかけ直しています。電話は通じましたが、「あー」という声が聞こえただけで数秒ほどで電話は切れてしまいます。
Nさんは不可解に思いましたが、そのまま車で待機し田辺信子さんを待つことにしています。
しかし、正午になっても何の応答もないため、Nさんが再び電話をかけたところ、再び「あー」、「うー」という意味不明な声が聞こえただけで電話は切れてしまいました。
12時21分、田辺信子さんがいつまでも現れない事にしびれを切らしたNさんは、マンション3階の田辺信子さんの部屋を訪ねますが、インターホンを押しても反応はなく、ドアも施錠されていました。
12時30分頃、Nさんは約束を反故にされたと思い腹を立ててその場を去っています。
田辺信子行方不明事件の経緯③ 失踪の発覚とマンション室内の状況
友人のNさんは、その後も田辺信子さんと連絡が取れないことを不審に思い、19時30分頃に入院中の田辺信子さんの夫に連絡を入れ「信子さんが病院に行っていないか?」と尋ねています。
田辺信子さんは夫の病院には訪れておらず、この時点でようやく失踪が発覚。20時頃に夫とNさんは2人で様子を見にマンションへ行っています。部屋は施錠されており、室内からの応答もありませんでした。
田辺信子さんの夫は鍵を持っていなかったため、鍵屋を呼んでドアを開けて20時30分頃に部屋内に入りますが、室内に荒らされた形跡はなく、ベランダには洗濯物が干されたままになっていました。
また、入院先の夫に届けるつもりだった着替えの入った袋もそのまま残され、事件性が疑われるような形跡は残されていませんでした。
その他、シャワーを使った形跡はあったものの、化粧品などは室内にそのまま残されており、テーブルの上には夫婦の病院の診察券が置きっ放しになっていました。
この事から、田辺信子さんはシャワーを浴びてNさんと出かける準備をしていたところで、何らかの事象が起こって失踪したと推測されます。
ただ、田辺信子さんが普段使用していたショルダーバッグが無くなっており、中には夫への見舞金などの現金約25万円、夫の障害手帳、携帯電話、その他カード類などが入っていたと推測されました。
田辺信子行方不明事件の経緯④ 警察に届け出るも捜査は行われず
田辺信子さんの夫は翌25日に広島市東警察署に捜査を依頼に訪れましたが、警察署は「家出人」扱いの行方不明者としてこの案件を受理し、事件としての捜査は行われませんでした。
その後、警察の調べで田辺信子さんの携帯電話の電波が24日の21時10分に呉駅(府中町青崎からおよそ20km)の付近で途絶えた事がわかりましたが、それ以降の足取りはつかめませんでした。
田辺信子行方不明事件の経緯⑤ 差出人不明の手紙が自宅に届く
田辺信子さん失踪から5日後の29日の朝、田辺信子さんの自宅マンションに「私もやっと妻子と別れ、はれて信子と一緒になることが出来ました。ふたりを探さないで下さい。」と書かれた差出人不明の手紙が届きました。
この手紙はワープロで書かれており、消印は9月26日付、自宅マンションから90km以上離れた福山郵便局から配送されたものでした。
田辺信子さん行方不明事件の真相の考察① 駆け落ちの可能性は低い
29日に届いた手紙をそのまま信じれば、田辺信子さんは不倫をしており、その相手と駆け落ちをしたという事になります。
しかし、この手紙は差出人不明な上にワープロで書かれており、内容も曖昧で具体的なことは何一つ記されていないため、田辺信子さんの失踪に関わった何者かが、擬装工作のために送った可能性が高いでしょう。
何より、田辺信子さんは夫とはおしどり夫婦として知られており、癌で入院した夫を甲斐甲斐しく世話していたと親しい関係者は口を揃えています。
また、田辺信子さん本人も心臓病や癌を患っており、定期的に病院を受診していましたが、診察券が自宅に残されていました。重い持病を持っていた田辺信子さんが、診察券を置いたまま意図的に失踪するとは考えづらいように思えます。
さらに、父親が田辺信子さんのために貯金していた1000万円の預金を含め、田辺信子さんの金融資産には失踪後一切手がつけられていませんでした。別の場所で生活しているのであれば、自身の預金などに全く手をつけないという事には違和感があります。
田辺信子さん行方不明事件の真相の考察② 夫方親族との金銭トラブル
関係者によれば、田辺信子さんは失踪の前から、夫方の親族との間に遺産相続をめぐるトラブルがあったという事です。
田辺信子さんの実兄や友人らの証言によれば、田辺信子さんは、夫の母親(田辺信子さんの義母)の財産の管理を任されていましたが、義母の死後のこの財産の相続権をめぐって、夫方のある親族から脅迫を受けていたそうです。
友人の証言によると、この夫方の親族が田辺信子さんの自宅に押しかけて、義母の財産権をめぐって嫌がらせを受けており、「殺すぞ!」などと怒鳴られている場面も目撃していると言うことでした。
田辺信子さんの兄や友人らは、夫方の親族を犯人と疑い、そうした内容を訴えるホームページを開設し事件性を訴えていましたが、現在はこのサイトは削除されています。
こうした背景から、インターネット上では、田辺信子さんはこの夫方の親族によって拉致された上で殺害されたのが真相ではないかとの考察が有力とされています。
しかし、前述の通り、警察は事件性は疑っておらず、この夫方親族の田辺信子さん失踪時のアリバイなども調べられていないため真相は闇の中となっています。
田辺信子さん行方不明事件の現在
田辺信子さんは現在も発見されておらず、田辺信子さん行方不明事件は未解決のままです。
田辺信子さんは存命であれば、現在の年齢は70歳になっているはずです。
まとめ
今回は、2001年9月24日に広島県安芸郡府中町で発生した田辺信子さん行方不明事件についてまとめてみました。
田辺信子さんは友人のNさんと昼食の約束をし、その後は癌で入院中の夫の病院を訪れる予定があったにも関わらず、忽然と失踪し、そのまま行方不明となりました。
事件の真相の考察としては、関係者の証言から田辺信子さんが夫方の親族との間に義母の遺産の相続をめぐる金銭トラブルを抱えていたのがわかっている事から、夫の親族によって殺害されたとの見方が有力となっています。
現在も田辺信子さんは発見されておらず、事件は未解決のままです。