人気小説家・多島斗志之さんが、家族に手紙を残して失踪してしまった事件がありました。
失踪した多島斗志之さんの経歴、代表作品一覧、失踪事件と家族の捜索、失踪事件の真相の考察、事件後の現在をまとめました。
多島斗志之は失踪した小説家
多島斗志之
本名:鈴田恵
生年月日:1948年10月24日
出身:大阪府
身長:170cm
活動:小説家
多島斗志之さんは直木賞候補にもなった小説家です。作品の映画化も行われている人気ミステリー作家でしたが、2009年12月に突然失踪してしまいました。
家族が中心になって捜索しましたが、現在も見つかっていないままで、消息は不明です。
多島斗志之の経歴
多島斗志之さんは、大阪府出身です。大学は早稲田大学政治経済学部を卒業後に、広告代理店に入社しました。そして、フリーの広告制作ディレクターとなり、その後作家デビューをしました。
作家デビューをしたのは1982年です。その後、『密約幻書』や『不思議島』で直木賞候補になり、主にミステリー系の小説を書いています。
その後、ずっと小説を発表し続けていましたが、2009年12月19日にホテルから失踪していました。
多島斗志之の作品一覧
出典:amazon.co.jp
多島斗志之さんの作品を見ていきましょう。
・〈移情閣〉ゲーム―キャンペーンに仕組まれた大謀略:1985年9月
・聖夜の越境者:1987年
・ソ連謀略計画(シベリア・プラン)を撃て:1987年
・金塊船消ゆ:1987年9月
・バード・ウォー―アメリカ情報部の奇略:1988年5月
・密約幻書:1989年5月
・マリア殺し異人館の字謎:1990年4月
・クリスマス黙示録:1990年11月
・不思議島:1991年7月
・神話獣:1993年3月
・少年たちのおだやかな日々:1994年4月
・白楼夢―海峡植民地にて:1995年10月
・二島縁起:1995年10月
・海上タクシー〈ガル3号〉備忘録:1996年7月
・もの静かな女たち:1996年11月
・海賊モア船長の遍歴:1998年7月
・仏蘭西シネマ:1998年9月
・症例A:2000年10月
・汚名:2003年1月
・追憶列車:2003年8月
・海賊モア船長の憂鬱:2005年10月
・感傷コンパス:2007年7月
・黒百合:2008年10月
代表作品はこちらになります。
・「密約幻書」→第101回直木賞候補
・「不思議島」→第106回直木賞候補
・「海賊モア船長シリーズ」→このミステリーがすごい! 1999年版で17位
・「クリスマス黙示録」→映画化(天海祐希主演)
・「症例A」→多重人格が題材で話題に
・「少年たちのおだやかな日々」→世にも奇妙な物語でドラマ化
多島斗志之さんの作品は本格的なミステリー小説から純愛小説まで、幅広いジャンルのものがそろっています。
多島斗志之失踪事件とは
多島斗志之さんは2009年12月19日に失踪しました。京都市伏見区在住だった多島斗志之さんは、京都市内の新都ホテルに宿泊していましたが、12月19日にホテルを出た後に行方不明になり、失踪してしまいました。
一番最後に目撃されたのは新都ホテルのフロントで、12月19日午前9時頃のことでした。
失踪する前日の12月18日には多島さんの弟や長女のもとに「1カ月前から左目も見えにくい。この年で両目を失明し人の手を煩わせたくない。失踪する」と書かれた速達が届きました。
また、失踪した日の12月19日には「筆を置き、社会生活を終了します」と書かれた手紙が出版社や友人に届いています。
多島さんの自宅マンションは持ち物が整理された状態でした。このことから、自らの意志で失踪したことは間違いないようです。
多島斗志之の家族が必死に捜索
多島斗志之さんが12月19日に失踪しました。心配した家族は伏見署に捜索願を出し、必死に捜索しています。
家族が作成した捜索用のポスターには次のような特徴が書かれていました。
・ひげあり
・やせ型
・姿勢が良い
・室内でも帽子をいつも被っている
・標準語だが、声はこもりがちで小さい
・右目は失明しているが、眼帯はしていない
・失踪時はカーキの帽子、カーキのジャンパーとズボン、眼鏡、ショルダーバッグ
・失踪時の持ち物は現金と衣類のみで、クレジットカードはなし
多島斗志之さんの家族は、多島さんが残した手紙から自殺を考えているかのせいがあると判断し、多島さんゆかりの場所などでチラシ・ポスターを配り、必死に行方を捜しました。
また、ブログやTwitterを開設し、情報提供を求めています。ブログのタイトルは「父、多島斗志之を探しています」です。
さらに、新聞広告を使って、多島斗志之さんに帰ってきてくれるようにメッセージを送っていたようです。
37 :名無しさん@恐縮です:2009/12/25(金) 03:09:45 ID:lYbpTSBiO何日か前に新聞の社会面の下に細長く二行だけの広告が載ってた。
「父へ目は大丈夫医者に確認済み生きて」というようなのだった。
この人宛てだったのだろうか。
生きてほしい。
引用:【文芸】直木賞候補にもなったミステリー小説『不思議島』などの小説家・多島斗志之さん、自殺をほのめかす手紙を残して失踪
38 :名無しさん@恐縮です:2009/12/25(金) 03:09:52 ID:+wKE3VvP0
何日か前の朝日に、「眼は大丈夫だから戻って来いよ親父」
みたいな広告が載ってたが、まさかこの人じゃないよな?
引用:【文芸】直木賞候補にもなったミステリー小説『不思議島』などの小説家・多島斗志之さん、自殺をほのめかす手紙を残して失踪
今時、新聞広告まで使って探すなんて、家族は本当に多島斗志之さんのことを心配して、必死に探していたんですね。
多島斗志之の失踪事件の真相を考察
多島斗志之さん失踪事件の真相を考察していきましょう。失踪前日には家族である弟や長女に失踪する旨の手紙を送っていますし、翌日には出版社や友人に向けて手紙を送っています。
さらに、自宅マンションの荷物は整理されていることから、多島斗志之さんの失踪事件は事件性はなく、犯罪に巻き込まれたというわけではありません。計画的に自らの意志で失踪したことは間違いないでしょう。
ただ、なぜ失踪したのか?「左目が見えなくなるから」という単純な理由ではないようなんです。
左目は治る可能性があった
多島斗志之さんは10年前に右目を失明していました。そして、失踪する約1ヶ月前から左目も見えにくくなってきたことで、「両目を失明する」ということを苦に多島斗志之さんは失踪しています。
家族宛に届けられた手紙には、両目失明が近いうちに自身に起きるだろうという判断から、視力が完全に失われる前に自分の人生を終わらせることにしたという決意と、いつか来るこの日のために以前から準備を整えていたこと、うまくいけば誰にも発見されないような場所で最期を迎えることなどが書かれていました。
ただ、この「両目を失明する」というのは誤解だったようなんです。家族が多島斗志之さんを探すために開設したブログによると、目は治る可能性があるそうです。「目は治る可能性があるから、とりあえず検診を受けて欲しい」と書かれていました。
家族が出したと思われる新聞広告にも「目は大丈夫」と書いていますね。多島斗志之さんは網膜剥離でしたが、失明せずに済む治療方法はあったようなんです。
思いこみで失踪
ただ、10年前に右目を失明していた多島斗志之さんにとって、左目は生命線でした。その左目も見えなくなってきたことで、「自分は失明する」と思いこんでしまったようです。
もともと、多島さんは右目が見えなくなった時から、両目が見えなくなったら死ぬことを決めていたとのことです。
↓
左目が見えにくくなってきた
↓
僕は失明するのだろう
↓
失踪してしまおう
このような思考回路で、失踪したのだと思います。
家族に迷惑かけたくない一心だった?
なぜ、両目を失明したら、死ぬことを決めていたのか?それは家族に迷惑をかけたくなかった気持ちが強かったのでしょう。
失踪当時、多島斗志之さんは京都市内のマンションで一人暮らししていました。そして、年老いた母親と独立した子供2人がいたのです。妻の情報はないので、おそらく死別、もしくは離婚したと思われます。
自分が失明してしまったら、独立して家を出た子供たちに迷惑が掛かってしまう。しかも、小説の執筆も難しくなる。年老いた母親にも心配をかけて、迷惑かけてしまうかもしれない。
そう思って、失明宣告を受ける前に、「自分は失明する」と思いこんで、失踪したのではないでしょうか。
多島斗志之の現在
多島斗志之さんは2009年12月19日午前9時に新都ホテルのフロントで目撃されて以降、目撃証言はなく、失踪したまま行方不明の状態が続いています。生死も不明なままとなっています。
しかし、家族は多島さんの消息(生死問わず)は2011年の時点で知っていたのかもしれません。
なぜなら、家族が情報提供を求めたブログは、2011年12月30日に「ブログを閉鎖させていただきます。」という投稿を最後に更新はなく、さらに過去記事は全部削除されています。また、Twitterもアカウント自体は残っているものの、ツイートは全部削除されました。
現在も消息不明なら、捜索は諦めても、全部削除することはないのではないでしょうか?生死がわかったから、ブログやTwitterの内容を削除したのでしょう。
自宅マンションの家財道具を全部整理していたことや自殺をほのめかす内容の手紙を家族に送っていたことから、残念ながら亡くなっている可能性は高いと思います。
多島斗志之のまとめ
多島斗志之さんの経歴や作品一覧、失踪事件と家族の捜索、失踪事件の真相の考察、現在をまとめました。
多島斗志之さんのような有名作家が失踪してしまったのは本当に残念です。どんな形でも良いから生きていて欲しいですね。