山口県で起こった藤本理稀くん神隠し事件。
父親・母親・兄の4人家族であり、曽祖父宅に帰省中にふとした事から行方不明となります。ボランティア尾畑春夫さんが無事現場を発見し話題になりました。事件の経緯とその後の顛末・現在についてリサーチしました。
この記事の目次
藤本理稀くん行方不明事件の経緯
写真は2018年8月15日午後2時6分、無事藤本理稀くんが実際に発見された山合いの沢です。
結論から言うと藤本理稀くんは無事保護されましたが、その行方不明時の経緯・そもそもの原因を作った祖父のインタビュー時の態度などが、相当物議をかもしました。
また本事件は全国的に有名になったスーパーボランティア『尾畑春夫』のデビュー?と言ってはおかしいのですが…彼が全国的に認知された事件でもあります。
事件の経緯
藤本理稀くんは(ふじもとよしき)と読みます。2018年8月12日の午前10時半頃、山口県周防市大島町家房地区で行方不明になります。
行方不明になる当日の午前早くに母親と1つ上の兄の3人で祖父宅に帰省したのが事の始まりです。
藤本理稀くんは祖父の正憲さん(当時66歳)と兄の3人で海水浴に行くために曽祖父宅を出発します。祖父はこともあろうか僅か2歳の藤本理稀くんを、一人で曽祖父宅へと返してしまいます。
山口、帰省中の2歳児が不明 周防大島、ため池など捜索 https://t.co/Gli8wNjnYj 12日午前10時半ごろ、山口県周防大島町家房で、母親と帰省中だった同県防府市の藤本理稀ちゃん(2)が曽祖父(91)宅に歩いて戻る途中、行方不明になった。柳井署や柳井地区広域消防組合が付近のため池...… pic.twitter.com/XMXQb8OBo4
— Gnews (@Gnews__) August 12, 2018
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祖父の話では「自宅を出て100mほど歩いたところで、母親がいない事に気がついた藤本理稀くんが「帰る」と言い出したため、そのまま帰した」そうです。祖父は曽祖父の自宅から100mと近く、後から母親が合流する予定であったので、藤本理稀くんをしばらく見守った後に目を離してしまいました。
祖父が母親と合流した後、曽祖父宅に藤本理稀くんが戻らない事から、家族で手分けして捜索したものの発見に至りません。110番通報をし警察・消防団の総勢150名で捜索に当たりますが約3日間発見することはできませんでした。
以上が藤本理稀くん行方不明事件の経緯です。
事件の終結
2歳になったばかりのお子さん、そして捜索開始から3日も経ち何も口にしていない事から、藤本理稀くんの生存は難しいのでは?と当時は囁かれていました。
特にネット上では藤本理稀くん生存絶望説が盛んに上がります。ところが藤本理稀くんは行方不明の3日後である8月15日の午前6時半頃に無事発見されたのです。
発見者は今や“スーパーボランティア”としてその名を馳せている『尾畑春夫』さんその人です。
発見の経緯
3日間「警察官・地元消防団」総勢150名が山狩りまでして一向に藤本理稀くんを発見できなかったのはなぜでしょうか?
それは捜索部隊の“思い込み”にあります。
「通常子供は体力が乏しいので山中で迷子になった際は必ず下山する」というものです。しかし本事件ではその“思い込み”こそが仇となりました。
2日間もいたずらに時間が経過し、捜索は行き詰った…かのように絶望感が漂い始めます。
ところが藤本理稀くんが行方不明になった3日目に、ボランティアで捜索に訪れていた大分県日出町の尾畠春夫さん(当時78歳)が、現場を訪れ僅か『20分』で呆気なく発見します。
曽祖父宅の北東にある山中で見つけた男児を警察に引き渡し、その当然とも言う颯爽とした発言から、尾畠春夫さんは『スーパーボランティア』と呼ばれ、一躍有名人になります。
藤本理稀くん発見の根拠は通例とは逆で、尾畠さんが現場で培った独自の勘『こどもは上に上にと上がる習性がある』というものです。
発見時、藤本理稀くんが尾畠さんにかけた言葉「おいちゃん!ぼくここ」というのは彼の心の叫びだったのかもしれませんね…
藤本理稀くんの家族 ~父親・母親・祖父~ について
写真は退院時の理稀くんを抱く母親『藤本美緒さん(当時37歳)』です。
藤本理稀くん行方不明事件では、母親と祖父が頻繁にメディア等に顔を出し、情報収集と捜索への協力を募っていました。
無事、発見された後には母親と祖父は各メディアに出演し、捜索に加わった人達や心配をかけた人々へ感謝の気持ちを話していました。
この事から、本事件は藤本理稀くんの家族への注目度も高まります。
母親は積極的に感謝の気持ちを発信し、捜索中はひどく憔悴する姿も見せたのですが、世間で「これはおかしい」と問題になったのが最後に理稀くんを曽祖父宅に帰した祖父の態度です。反省の念も見せずヘラヘラ笑う態度は視聴者の反感を買い、かなりの炎上を見せます。
山口県の藤本理稀ちゃん行方不明事件。ニュース見て違和感
ニヤニヤしてインタビューを受けてた人が祖父。
まだ1歳の男の子家に帰る道なんて覚えてるわけないのに、「遠くに行ってないと思うんですけどね」って人事すぎでしょ。
行方不明になったのもお前の危機意識がないからおこったんだろうが pic.twitter.com/hFhBfVK8mM— hazuki… (@moyashi_720) August 14, 2018
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藤本理稀(よしき)ちゃん、見つかるのかな?祖父と住民の温度差おかしい。祖父の(一日手伝う?)←ってなに?また薄ら笑いで言ってる?厳しいとか諦めてるのなに?本当他人事すぎない? pic.twitter.com/Ie6sChgBEQ
— ゆうたむ@あつ森れおん (@yuutam_iroiro) August 14, 2018
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かなり能天気な態度で事態を終始一貫し俯瞰していた祖父……
全ての事件の責任を彼に押し付けることはできませんが、仮にも自分の娘の子供…孫である藤本理稀くんを、他人事のように人前で話すさまは中々理解し難いものですよね?
またメディアで終始「藤本理稀くん」の発見を必死に訴えていた母親・祖父。しかしそれとは対照的に、一向に父親だけが姿を見せない状況が、当時は疑問視されていました。
藤本理稀ちゃんの父親って出てこないけど、どうしたんだろ?離婚してるのかな…
でも、無事で良かった。— kokorinチョ (@FALLINGINFINITY) August 15, 2018
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公に姿を出せない職種なのか?それとも既に離婚をしているのか?
この父親の顔写真や情報等は一切なく、未だにネット上で様々な憶測が飛び交っています。
藤本理稀くん失踪事件の発生現場は山口のどこ?
藤本理稀くん一家が行方不明になったのは、山口県と言っても内陸地ではなく『屋代島』という瀬戸内海に浮かぶ島です。
正式な住所は山口県周防市大島町の家房地区であり、事件現在の実家は山口県周防市に4人兄弟の末っ子として在住していました。
地図から見てとれるように海岸線にかなり近い地域のようですね。
失踪時は祖父と兄(当時3歳)の3人連れで、そもそもが海辺まで散策し機会があれば海水浴を行うつもりだったと証言しています。失踪現場はこの様に極めて海に近く、曽祖父宅からの距離は約400m。藤本理稀くんが踵を返したのは僅か100mの地点でした。
ところが藤本理稀くんは曽祖父宅をなぜか素通りし北東部…しかも歩き疲れて帰ったはずなのに写真の様に約5倍ほどの距離、しかもより一層疲れが増してしまう山中に向かっています。
この様に発見現場が通常ありえない場所であったことから、件の『尾畑春夫さん』の鋭い観察眼・洞察眼が非常に優れたものということが分かります。
藤本理稀くん事件に飛び交う神隠し説
藤本理稀くん行方不明事件はスーパーボランティア尾畑春夫さんの大活躍で一応の解決を迎えます。
ただ事件の経緯にかなり不審な点があり「神隠し」事件ではないかと、一部のサブカル・オカルトマニア間でまことしやかに囁かれ始めます。
特に奇妙な点は当時わずか2歳の幼児であった「藤本理稀くん」が、とてもではありませんが3日間もの長期間、たった1人でなぜ?山中で生き延び続けられたという点です。藤本理稀くんの身柄が保護された後も2歳児ということもあり説明能力が足りず、警察による事情聴取でも不明点が多いことが更に「神隠し説」に輪をかける事になります。
尾畠さんが発見した際の藤本理稀くんはほぼ傷一つなく、ほんの僅かな間1人で佇んでいたと見間違えるほど極めて健康体でした。満足な食べ物もなく沢の水のみで、2歳児が約3日間何も口にせず…行方不明者捜索限界点のタイムリミットである“72時間”を乗り切れるものでしょうか?
この様に本事件は色々と不可解な点が多く、藤本理稀くんは実は神隠しにあっていたのではないか?というオカルト話が徐々に拡散・先行していきます。藤本理稀くん失踪事件が発生したのがちょうど「お盆の時期」に重なっていたので、神隠しや何らかの不思議な力が働いたという考察が盛んに行われるのです。
藤本理稀くんの事件はお盆と関係あるかもしれんね~ まさに神隠し的なことかも。子供は純粋だから見えないものも見えたりするから誘われたのかもしれんなとふと思った。
— (@mica_in_mica) August 21, 2018
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藤本理稀くん行方不明事件以前にも失踪者がいた
ここまでの騒ぎになったのは、実は本件より10年前の2008年3月にも非常に似たような行方不明事件が発生しているからです。
過去の事件は同島の“山口県大島郡周防大島町西安下庄”、本事件の約10年前に起こりました。この女児失踪事件は無事に解決しているのですが、驚くほど『藤本理稀くん行方不明事件』に酷似しています。
10年前に行方不明になった女児は当時3歳、今回のケース同様に家族と祖父宅に帰省していました。女児が忽然と姿を消したのは3月15日の夕方頃です。当該女児は翌日の16日に、行方不明現場から約1kmほど離れ、藤本理稀くん同等に山中で無事に保護されます。
ところが人里離れた山中を丸1日彷徨ったにも関わらず、藤本理稀くんと全く同じでその身体にはほとんど外傷がありませんでした。偶然の一致でしょうが、同じ島内で幼児2人の奇妙な失踪事件が発生している事から「神隠し説」に繋がりました。
そして、この近隣地域には変質者が度々出没しており、児童の年齢も近いことから共通の加害者がいるのでは?という噂も流れます。しかし藤本理稀くんが母親に話した証言から、3日間1人だったということが判明しており“誘拐説”の線は極めて薄いようですね。
藤本理稀くんを発見した尾畑春夫さんとは一体何者なのか
3日間もの間その捜索が難航し、半ば絶望視されていた本失踪事件ですが…とあるボランティアの登場で一挙に解決してしまいます。そのボランティアが「尾畠春夫さん」その人です。
大分県在住ですが本件のニュースを見ていても経っても居られなくなり、行方不明2日後の14日に単独で現地入りしています。そして15日の捜索開始直後、僅か20分足らずで藤本理稀くんを見つけ出してしまいます。
1939年10月12日産まれの尾畠春夫さんは現在82歳。今なお最前線でボランティア活動に従事
しており、ボランティア中のボランティア『スーパーボランティア』と呼ばれるようになります。
大分県東国東郡安岐町(現・国東市)に簡素な住宅を構え、軽自動車一つで全国どこにでも困っている人がいれば駆けつける“スーパーマン”そんな姿勢が当時は視聴者たちに大きな共感を与えました。
山口県男児行方不明の捜索ボランティア尾畠春夫さんすごくね
聖人すぎる pic.twitter.com/LgRQayV2py— いしきダメロン (@sukezo) August 15, 2018
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尾畠春夫さんは大分県東国東郡安岐町(現在の国東市)に生を受け、近隣の杵築市に転居し、下駄職人の父親・母親…そして7人兄弟の4番目の子供として育ちます。
ただ当時は履物がプラスチック製品に置き換わる過渡期であり、更に不幸なことに母親が41歳という若さで早逝してしまいます。家業が上手く行かなくなり父親は酒に逃げ、当の尾畠春夫さんは一番の大飯ぐらいということで、小学生5年生でとある農家に奉公に出されてしまいます。
その時考えた事は後ろ向きな事ではなく『世の中なるようにしかならない。やるだけやってやろう』という、悟りに似たものでした。奉公に出されたにも関わらずこれを貴重な経験と感じ、いつしか恨みを抱いていた父親に対しても感謝の念すら抱いていました。最終的に中学はほとんど通えず卒業後「鮮魚店」に勤めますが、ここでも周囲の人間に対する感謝の念は途切れなかったようですね。
とにかく行動力と人に対する感謝の念が強い方の様で、15歳で鮮魚店に勤めた後は自ら独立するため(最初の就職先は賃金が余りに安すぎたため貯金がなかったそうです)上京し鳶・土木業者に就職します。この時の経験と技術が後のボランティア活動に大いに繋がったと述懐しています。
その人柄とリーダーシップから勤めていた会社には強く慰留されますが、自分の原点である大分に1968年(昭和43年)帰郷し、同年4月に結婚。11月には別府市に鮮魚店『魚春』を独立開業し、地元で一躍有名人気店になりました。
65歳で引退し本格的にボランティア活動を始めることになり、今回の大活躍に至ります。
無償ボランティアは現在数多く活動していますが、ここまで潔よく清々しいボランティア活動は本当に稀ですね。“能天気”と批判された祖父に対しても「対価・物品・飲食は絶対にいただかない」ときっぱり言い切る姿は、スーパーボランティアの名にふさわしいですね。
藤本理稀くんの安否を無事確認した後、尾畠春夫さんは大分の実家にすぐさま帰宅し、そのままトンボ返りするように次のボランティア先の「西日本豪雨被害地域の呉市」に向かいました。
藤本理稀くんのその後と現在
写真は発見直後、母親の胸に抱かれ報道陣に「バイバイ」と手を振る、藤本理稀くんの微笑ましいワンショットです。
前述の様にかなり異例な形で藤本理稀くんは発見されましたが、当然ながらその健康状態を考えひとまず病院に入院します。藤本理稀くんは周東総合病院(同県柳井市)に搬送され、しばらくの間入院しメディカルチェックを受けます。
経過観察の報告会見をした同院小児科の竹ノ下由昌医師は「脱水症状があるが状態はおおむね良好。元気にしているのを見てびっくりしている」と話しています。また同医師の話では、肌にかすかな擦り傷があったりダニに噛まれた後はあるものの、驚くほど目立った怪我は一切ありませんでした。ただ一つ、かなり眠い様子でお母さんに「ママ~」と2歳児らしく甘えたり、治療を怖がり嫌がるなどのごくごく普通の反応でした。ちなみに数日間の入院を経て藤本理稀くんは無事、退院しています。
出典:https://www.dailymotion.com/
全国から大いに注目された失踪事件・各メディアも総力を挙げ事件の経過と事の顛末を放送していた事もあり、発見直後や退院時も藤本理稀くんは盛んにTVなどで取り上げられます。
2歳児とはいえ周囲の心配や状況を察しているのでしょう。母親に抱かれている藤本理稀くんは若干こわばった表情をしていますね。退院後は大好物であるアイスクリームをたくさん食べさせてあげたい…という母親の話があるので、取り敢えずは落ちついた用ですね。
出典:https://www.dailymotion.com/
保護された直後も食欲はあったようで“バナナ”を始めとし、ゼリーやジュースなどを無事口にしていたようですね。
そして最も気になる「藤本理稀くん」のその後ですが、そこはやはり一般人…無事事件が解決した今、表舞台には一切姿を現していません。2018年で2歳ですから現在は6歳~7に成長し、幼稚園生か小学校一年生になっていると思われます。
マスコミもこれ以上追跡取材するほど野暮ではないようですね。テレビ番組などの「あの人は~○○」系の番組で取り上げられるかも?知れませんが、藤本理稀くん自身がまだ幼く3日間独りぼっちだった記憶を掘り起こしかねないので、しばらくはそっとしてあげて欲しいものですね。
まとめ
今回は“平成最後の神隠し事件”とも言われた「藤本理稀くん失踪・行方不明事件」について取り上げました。本事件は無事発見に至りいわゆる解決事件に昇華されましたが、過去に類似した行方不明事件が存在したり祖父の煮え切らない態度や父親が姿を見せないことで、様々な物議をかもしました。
スーパーボランティアこと尾畠春夫さんの登場がなければ、もしかしたら事件の顛末は最悪の方向に繋がっていたのかも?しれません。
一説によると警察が山間部の捜索を行ったのは既に亡くなっていることを前提にした反面、尾畠春夫さんは必ず生きているということを前提にし探し出した差と言われていますが、これは単純に深読みのしすぎでしょう。
幼い男児が何事もなく発見され大団円を迎えた本件。あまり耳触りの良いニュースが少ない昨今、この様な「解決」事件が起こるということは、とても清々しいものですね。