1985年10月10日に栃木県日光市で発生した佐々木奈保子ちゃん行方不明事件(日光市女児失踪事件)が注目されています。
この記事では、佐々木奈保子ちゃん行方不明事件の概要、足利事件との関連も疑われる真相の考察、現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
佐々木奈保子ちゃんが行方不明になった「日光市女児失踪事件」の概要
1985年10月10日に栃木県日光市西小来川で発生した「日光市女児失踪事件」は、栃木県真岡市内の自宅から栃木県日光市西小来川の母親の実家に家族で遊びに訪れていた当時3歳の佐々木奈保子ちゃんが、祖父母宅から1人で近くの川に遊びに向かう途中で行方不明なった事件です。
日光市女児失踪事件の経緯① 1人で川に向かい行方不明に
1985年10月10日の昼の12時45分頃、佐々木奈保子ちゃんと両親、姉(当時10歳)、兄(当時8歳)の家族5人の乗ったワゴンが、佐々木奈保子さんの母親の実家前に到着しました。
到着してすぐに、佐々木奈保子ちゃんの姉と兄は近くの川(幅4m、深さ40cmほど)へ遊びに出かけました。
この時、佐々木奈保子ちゃんも姉ち兄と一緒に川に遊びに行きたいと言いましたが、父親(当時38歳)に「ケーキを食べてからにしたら?」と言われ両親と共に祖父母の宅に入っています。
この時、祖母(当時70歳)は在宅していましたが、祖父(当時81歳)はゲートボールの集まりで不在でした。
佐々木奈保子ちゃんは、祖母と両親が談笑する横でショートケーキを食べた後、13時頃に姉と兄を追って祖父母宅を1人で出ています。
13時半頃、姉と兄が祖父母宅に戻りますが、佐々木奈保子ちゃんは一緒ではなく、2人は「佐々木奈保子ちゃんは来ていない」と話しました。
両親らはすぐに周辺を探しましたが佐々木奈保子ちゃんは見つからず、14時55分頃に近くの駐在所に「娘がいなくなった」と連絡し、行方不明事件となりました。
日光市女児失踪事件の経緯② 大規模捜索でも発見できず
佐々木奈保子ちゃんは当時まだ3歳だった事もあり、警察はすぐに大規模捜索を開始。
川に転落して流された可能性や、山林に迷い込んだ可能性、何者かに誘拐された可能性などを視野に1200人体制での捜索が行われましたが、佐々木奈保子ちゃんは発見されませんでした。
当時の新聞報道などによると、佐々木奈保子ちゃんは、この年だけで祖父母宅に来るのは4度目で、そのうちの2度は川で遊んでいましたが、その時には父や兄が一緒にいたという事です。
また、佐々木奈保子ちゃんの祖父母宅は日光市とは言っても、観光地とは離れた場所にあり、外部の人はほとんど訪れない山奥に位置していました。
佐々木奈保子ちゃんの行方不明当時の特徴
佐々木奈保子ちゃんの当時の身長は110cm、体重は15.5kg、右手の甲にアザがありました。
行方不明当時の服装は水色のトレーナーに白いブラウス、紺色のズボン、赤色のズック靴で、左右の2か所を赤色のゴムで止めたおさげ髪でした。
佐々木奈保子ちゃんは、自分の名前や両親の名前、幼稚園名などは言えましたが、住所や電話番号などは覚えていないという事でした。
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件の真相の考察① 誘拐説が有力
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件の真相の考察としては、誘拐説が有力となっています。
行方不明事件当日に佐々木奈保子ちゃんが向かった川は、祖父母宅からすぐ近くにあったという事で、佐々木奈保子ちゃんが真っ直ぐに川へ向かっていれば、すぐに姉と兄と合流できているはずでした。
ところが、佐々木奈保子ちゃんが祖父母宅を出てから30分後に帰宅した姉と兄は佐々木奈保子ちゃんの姿を見てもいないという事なので、事故や迷子であれば佐々木奈保子ちゃんは川へは向かわずに違う場所へ行ってしまった可能性が高いという事になります。
そして、その日のうちに1200人を投入しての大規模な捜索が行われたにも関わらず、川でも山林でも発見できなかったという事は、何者かによってさらに遠くに連れ去られた可能性が高いと考察できます。
両親が佐々木奈保子ちゃんがいなくなった事に気がついてから駐在所にそれを伝えるまでには1時間半ほど時間が空いているので、この間に佐々木奈保子ちゃんが何者かに自動車などで連れ去られたと考えれば、大規模捜索にも関わらず発見できなかった事にも説明がつきます。
当時の新聞報道などを見る限り、警察も誘拐説を有力として捜査を行なっていたようです。
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件の真相の考察② 足利事件との関連も
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件は、1979年から1996年にかけて栃木県と群馬県で連続して発生した少女の連続誘拐殺人事件である「足利事件」との関連も疑われています。
この足利事件では、菅谷利和という人物が容疑者として逮捕され、1度は有罪判決を受けましたが、その後の再審で無罪判決が確定し冤罪事件だとされています。
足利事件で菅谷利和さんに容疑がかかったのは4件の少女殺人事件でしたが、これらの事件と同時期に佐々木奈保子ちゃん行方不明事件も発生しており、この一連の事件と同一犯による犯行ではないかという考察が出ています。
佐々木奈保子ちゃんが行方不明になった「日光市女児失踪事件」の現在
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件(日光市女児失踪事件)は現在も未解決のままです。
佐々木奈保子ちゃんは存命であれば、現在は37歳前後になっているはずです。
まとめ
今回は、1985年10月10日に栃木県日光市で発生した「佐々木奈保子ちゃん行方不明事件」(日光市女児失踪事件)についてまとめてみました。
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件は、母親の実家に遊びに来ていた当時3歳の佐々木奈保子ちゃんが姉と兄が遊んでいた川に行くために祖父母宅を1人で出た後に行方不明になった事件です。
佐々木奈保子ちゃん行方不明事件の真相の考察としては、失踪当日に1200名のを投入しても発見できなかった事実から、迷子や事故の可能性は低く、何者かによる誘拐説が有力となっています。また、同時期に栃木県や群馬県で多発していた少女の誘拐殺人事件との関係も疑われています。
現在も佐々木奈保子ちゃんは発見されておらず、この事件は未解決のままです。