1984年に行方不明になった山本美保さんは実は北朝鮮に拉致されていて、大きな権力によって拉致がもみ消された可能性があります。
山本美保さん失踪事件の概要と北朝鮮拉致の可能性や遺体発見と妹とのDNA一致の真相、現在をまとめました。
この記事の目次
山本美保さん失踪事件とは
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山本美保さん失踪事件とは、1984年に20歳の山本美保さんが突然失踪した事件のことです。
山梨県甲府市に住む看護学生の山本美保さんは、1984年6月4日に「図書館に行く」と家族に言い残し、バイクで自宅を出たまま行方不明になりました。美保さんのバイクは甲府駅前に停められているのが発見されましたが、足取りはつかめていませんでした。
そして、美保さんが失踪した4日後に新潟県柏崎市荒浜海岸で、美保さんのセカンドバッグが発見されます。セカンドバッグの中には山本美保さんの財布や免許証などが入っていました。
新潟県柏崎市は、山本美保さんにとっては縁もゆかりもない土地で、図書館に行くと言ったのに、なぜ遠く離れた新潟県柏崎市でセカンドバッグだけ発見されたのでしょうか?
さらに、美保さんが失踪してから約半年後の11月6日から、山本美保さんの自宅に無言電話がかかってくるようになりました。
無言電話のほとんどは数秒で切れましたが、失踪してから3年4ヶ月~3年6ヶ月にかかってきた2回の無言電話は10~15分間続き、しかもすすり泣くような声が聞こえてくることもありました。
無言電話は4年半続きましたが、それ以降はかかってくることもなく、山本美保さんの行方は分からないまま月日が過ぎていきました。
父親が探し続けるも該当せず
山本美保さんの父親は警察官でしたので、全国の身元不明の遺体の情報を集め、美保さんの特徴に該当するものはないかを探し続けていました。
また、父親が必死に探していたこともあり、少しでも山本美保さんの可能性がある身元不明の遺体が発見された場合、全国の警察から情報が入るようになっていました。
しかし、山本美保さんに該当する身元不明遺体はありませんでした。
山本美保さんは北朝鮮に拉致された可能性が大きい
山本美保さんは北朝鮮に拉致された可能性が大きいと言われています。
1988年に当時の国家公安委員長だった梶山静六が、地村保志さんと濱本富貴恵さんらの失踪には「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と参議院の予算委員会で答弁し、北朝鮮による拉致問題がクローズアップされることになりましいた。
そして、それをきっかけにして、山本美保さんも北朝鮮に拉致された可能性が高いと言われるようになったのです。
蓮村さん夫婦が拉致された場所から近い
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山本美保さんのセカンドバッグが見つかった新潟県柏崎市の海岸は、蓮池薫さんと奥土祐木子さん(帰国時は蓮池祐木子さん)が拉致された場所と近いんです。
実際に新潟県柏崎市で拉致された人がいる。そして、拉致された当時、蓮池さんは20歳、奥土さんは22歳でした。失踪した時、山本美保さんは20歳です。さらに、美保さんは柏崎市に縁もゆかりもありません。
これらを考えると、山本美保さんが北朝鮮に拉致された可能性は高いと言えるでしょう。
亡命者からの証言あり
山本美保さんが北朝鮮に拉致された可能性がさらに高まった理由には、亡命者からの証言もあります。
2003年に山本美保さんの家族が、北朝鮮から韓国に亡命してきた元工作員の権革(クオンヒヨク)氏と会った時、美保さんの双子の妹の美砂さんを見て、クオンヒヨク氏は次のように証言しました。
・(美砂さんは)美保さんよりも華奢ですね
実際に美保さんは美砂さんよりもがっしりしていて骨太タイプだったので、この工作員の証言は的を得ていたのです。ということは、1994年時点で山本美保さんは北朝鮮国内にいた可能性が高いと言えます。
山本美保さん失踪事件は水難事故?遺体が妹とDNA一致
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山本美保さん失踪事件は、2004年に急展開を見せます。2004年3月5日に山梨県警が美保さんの双子の妹の美砂さんと夫を呼び出しました。
そして、警察が妹の美砂さんに、1984年6月21日に山形県遊佐町の海岸で発見された身元不明の遺体のDNA鑑定をしたら、妹の美砂さんと99.999…%一致したため、その遺体が美保さんであると判明したと告げたのです。美保さんと美砂さんは一卵性双生児なので、DNAが一致するのです。
この遺体は水死体と見られています。遺体の骨髄のDNAが山形大学に残されていたため、鑑定が行われたとのことです。
北朝鮮に拉致されていたと見られていた山本美保さんは、実は新潟県柏崎市で水難事故に遭い、失踪してから約2週間後に身元不明の水死体となって発見されたんです。
山本美保さんの遺体は不審な点だらけ
山本美保さんは失踪してから2週間後に身元不明の遺体となって発見されました。これで、失踪事件は解決かと思いましたが、そんなことはありませんでした。山本美保さんの遺体発見・身元判明は不審な点がとても多かったんです。
勝手にDNA鑑定された
1984年に山形県で発見された身元不明の遺体が、DNA鑑定で山本美保さんであると判明しましたが、このDNA鑑定は家族に秘密にして進められました。
身元が判明したのは2004年3月ですが、実はDNA鑑定は2003年5月から始まっていました。2003年4月に「捜査に必要だから」という理由で、警察は妹の美砂さんの血液を採取しています。
そして、家族にDNA鑑定を行うことを告げぬまま、DNA鑑定は行われて、家族はいきなり鑑定結果だけを見せられて、「山形県遊佐町で見つかった遺体とDNAが一致した」と言われたのです。
家族が警察に対して、「なぜDNA鑑定をすることを教えてくれなかったのか?」と聞いたら、「美砂さんの血液を採取する時に言った」と主張したのです。もちろん、家族はそんなことを聞いた記憶はありません。
家族と警察の主張は食い違っていました。
ブラジャーのサイズが違う
山形県遊佐町で見つかった遺体と山本美保さんは、ブラジャーのサイズが異なりました。
・山形県遊佐町の遺体:A70
明らかにサイズが違いますし、B75~80のブラジャーをしている美保さんが、失踪した日に限って、A70のブラジャーをつけていたとは考えられません。そもそも、A70のブラジャーを持っていたとは考えにくいです。
座高が違う
山本美保さんと山形県遊佐町の遺体は、座高も全然違いました。
・山形県遊佐町の遺体:座高95cm、股下65cm
山本美保さんの座高は高校3年生の時に計ったものなので、20歳の失踪時もほぼサイズは変わらなかったはずです。
山形県遊佐町で発見された遺体は、山本美保さんと座高のサイズが違います。もし、その身元不明の遺体が美保さんだったと仮定すると、股下のサイズは65cmになるので、高3の時よりも脚が7cm以上短くなったことになります。
このことだけでも、身元不明遺体が山本美保さんであるとは考えにくいのです。
歯の脱落や屍蝋化するには不自然
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山形県遊佐町の遺体は、次のような特徴がありました。
・遺体にの一部が屍蝋化
遺体の顔には傷がありませんでしたので、歯が13本欠落していたのは歯根膜腐敗によるものと見られています。
山形県遊佐町の海岸で遺体が発見されたのは6月21日。山本美保さんが失踪したのは、6月4日です。つまり、行方不明になってから発見されるまで17日しかありませんでした。
しかし、通常は歯根膜腐敗での歯の脱落は、死後最低3ヶ月は経過しないと起こりません。また、屍蝋化も3ヶ月は経過しないと起こらないのです。
山形県遊佐町の身元不明の遺体は、山本美保さんではありえない変化が起こっていたので、山本美保さんのはずがありません。
衣服もネックレスも違う
山形県遊佐町の遺体が着ていた服やネックレスは、山本美保さんものとは違いました。美保さんの母親は次のように証言しています。
今年1月時点で遊佐海岸に漂着したご遺体の着衣などを写真で見せてもらったのです。一目見て、娘のものではないとわかりました。美保の失踪から20年がすぎましたが、母親ですからわかります。
山形県遊佐町の身元不明の遺体と山本美保さんには、まったく共通点がなかったのです。
父親は山形県遊佐町の遺体情報を知らなかった
山本美保さんが行方不明になった時、警察官だった父親は全国の身元不明の遺体情報を集めていました。行方不明になってから半月程度の時期なら、少しでも美保さんにつながる情報をかき集めていた時期のはずですから、山形県遊佐町の身元不明の遺体情報を見逃すはずがありません。
ということは・・・、山形県遊佐町の身元不明の遺体は一体・・・?
山本美保さん失踪事件の真相は日朝関係?
山本美保さん失踪事件の真相は、日朝関係に関する国のいざこざに巻き込まれた可能性が高いです。
北朝鮮に拉致されていた
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山本美保さんが失踪した理由は北朝鮮に拉致されたというもので、ほぼ間違いないでしょう。そうでないと、新潟県柏崎市の海岸にセカンドバッグが落ちていたという説明がつきません。
また、脱北者の元工作員の的確な証言(美砂さんの方が華奢)もあります。だから、山本美保さんは北朝鮮に拉致されたと考えられるのです。
日朝国交正常化の動きの犠牲になった?
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では、なぜ北朝鮮に拉致された山本美保さんが、「拉致被害者」と認定されず、山形県遊佐町で身元不明の遺体であると認定されたのでしょうか?
これは日朝国交正常化の動きと大きく関係しています。2000年代前半は拉致問題が大きく進展した時期でした。
・2002年10月15日:拉致被害者5名が帰国
・2004年5月22日:小泉総理大臣が第2回訪朝、地村・蓮池夫妻の家族5名が帰国
このような流れの中に、山本美保さんに関する動きを入れてみます。すると、ある事実が浮かび上がってくるのです。
・2002年9月23日:山本美保さん拉致の疑いありと全国ニュースで流れる
・2002年10月15日:拉致被害者5名が帰国
・2002年11月~2003年12月:署名活動で20万人以上の署名が集まる
・2003年1月10日:山本美保さんが特定失踪者としてリスト入り
・2004年1月:3月20日に2度目の訪朝があるという噂が流れる
・2004年3月5日:DNA鑑定の結果、身元不明遺体が美保さんであると連絡が入る
・2004年5月22日:小泉総理大臣が第2回訪朝、地村・蓮池夫妻の家族5名が帰国
2004年1月に流れた情報とは、「3月20日に小泉首相が2度目の訪朝をする。そこで特定失踪者の問題は蒸し返さなければ、帰国した拉致被害者の家族(地村・蓮池夫妻の子供)を帰国させる。それで拉致問題は解決とする。」というものです。
この情報を入手した家族や支援者は、「両国間で拉致問題が解決としてしまったら、山本美保さんは帰ってこれない」と思い、特定失踪者(北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な失踪者)の存在を世間にしてもらわなければと、必死に活動します。
そんな中、警察から妹の美砂さんに「山形県遊佐町の身元不明遺体が美保さんでした」という連絡が入るのです。
そして、流れた情報とは時期は2ヶ月ずれたものの、情報通りに小泉首相は訪朝し、地村・蓮池夫妻の子供たちは日本に帰国したのです。
この流れを考えると、山本美保さんは日本と北朝鮮の関係性の中で、日朝国交正常化・北朝鮮拉致の解決(という名のうやむや)に向けて、これ以上「拉致被害者」が増えると困ると思った大きな力によって、無理やり身元不明の遺体に仕立て上げられたと言えるでしょう。
山本美保さんは現在も行方不明で妹が探し続けている
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山本美保さんは行方不明になってから約40年の月日が流れていますが、現在でも失踪したままで、手掛かりはありません。警察(日本国政府?)としては、身元不明の遺体が山本美保さんなのですから、表向きは解決しています。でも、その結論に納得する人はほとんどいないでしょう。
現在でも、美保さんの双子の妹の美砂さんは、姉の美保さんを探し続けています。美保さんが北朝鮮にいるとしたら、一刻も早く帰国できるようにしてもらいたいですね。
山本美保さん失踪事件のまとめ
山本美保さんの失踪事件の概要と拉致の可能性や行方不明の真相、現在をまとめました。もし、本当に山本美保さんが北朝鮮に拉致され、日朝関係の中で身元不明の遺体に仕立て上げられ、拉致された事実をもみ消されてしまっていたなら、とんでもなく怖いですよね。
山本美保さん。もし本当に北朝鮮で生きているなら、帰国してもらいたいですね。