総合格闘技イベント「PRIDE」の創始者の1人である森下直人さんの自殺の真相が話題です。
この記事では森田直人さんのPRIDE運営会社DSE社長になるまでの経歴や結婚などのプライベート、後継者の榊原信行さんとの関係、自殺現場と原因、真相は他殺説についてまとめました。
この記事の目次
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)のプロフィール
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の経歴① 34歳でエイデン子会社の社長に
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の経歴② 総合格闘技「PRIDE」創設運営に携わる
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の経歴③ DSEを設立し代表取締役社長就任
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の結婚
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の後継の社長は榊原信行
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)は自殺で42歳で死去
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の自殺現場は「ヒルトン東京」の浴室
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の自殺原因
- 森下直人(元PRIDE運営会社社長)の自殺の真相は他殺の噂も存在
- まとめ
森下直人(元PRIDE運営会社社長)のプロフィール
森下直人のプロフィール
生年月日:1960年6月10日
没年月日:2003年1月9日(没年42歳)
出身地 :愛知県名古屋市
故・森下直人(もりした・なおと)さんは、2000年代はじめに一世を風靡した総合格闘技イベント「PRIDE」の創設メンバーの1人である実業家です。
森下直人さんは、総合格闘技の実行委員会組織である「格闘技レボリューション・スピリッツ(KRS)」に参画して「PRIDE」の立ち上げに携わり、KRS解散後の「ドリームステージエンターテインメント(DSE)」の設立に関わって、初代代表取締役社長を務めました。
DSE代表取締役として手腕を振るいPRIDEを急成長させた森下直人さんでしたが、最盛期を迎えようとする矢先の2003年1月9日、42歳という若さで急死されています。死因については自殺と発表されましたが、あまりに突然の死去だっため、真相は他殺だとする黒い噂が、現在も根強く囁かれています。
ここでは、そんな森下直人さんについてまとめていきます。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の経歴① 34歳でエイデン子会社の社長に
森下直人さんは1960年、愛知県名古屋市の出身で東海大学を卒業されています。
学生時代にはボクシング経験はありましたが、当時は格闘技には詳しくはなく、格闘家ではアントニオ猪木さんやジャイアント馬場さんくらいしか知らなかったそうです。
東海大学卒業後は、愛知県名古屋市に本拠を置く家電量販店「エイデン」(現在のエディオン)に入社しています。
森下直人さんは若い頃から相当仕事ができる人物だったようで、店頭販売での高い実績が認められ、20代後半で広告宣伝の責任者に抜擢されています。
広告宣伝部門の責任者に抜擢された後、森下直人さんでしたが、下請けの広告会社の仕事に不満を持つようになり、新たに広告部門をそのまま子会社化した「ハドック」を設立してもらい、34歳にして同社の代表取締役社長に就任しました。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の経歴② 総合格闘技「PRIDE」創設運営に携わる
森下直人さんは、広告会社の「ハドック」の代表取締役としてCS放送「パーフェクTV!(後にスカイパーフェクTV、現在のスカパー)」の設立に関わる事となり、「日本から発信し、世界に通用するキラーコンテンツを生み出す」との考えから、総合格闘技の実行委員会組織「格闘技レボリューション・スピリッツ(KRS)」に参画。
このKRSには、現在総合格闘技イベント「RIZIN FIGHTING FEDERATION」(「PRIDE」が前身とも言われているイベント)の運営会社の代表を務めている榊原信行さんも参画しています。(榊原信行さんは当時は東海テレビの子会社に所属)
学生時代にボクシングの経験があった森下直人さんでしたが、格闘技業界に詳しいわけではなく、改めて格闘技マーケットを研究して「PRIDE」を旗揚げし、1997年10月11日の第1回大会「PRIDE.1」開催から運営に携わりました。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の経歴③ DSEを設立し代表取締役社長就任
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1998年10月11日開催の「PRIDE.4」まで総合格闘技イベント「PRIDE」の運営母体となっていたKRSでしたが、1999年、実行委員会組織形式での運営の限界から負債を抱えて解散する事が決定。
順調に人気を上げていた「PRIDE」の運営を引き継ぐため、森下直人さんは、榊原信行さんや笹原圭一さん(現在は「RIZIN」の広報担当)ら、KRSの主要メンバーらと新たに興行会社「ドリームステージエンターテインメント(DSE)」を設立し、代表取締役社長に就任しました。
森下直人さんは同社の株の過半数を持つ実質的なオーナー社長だったとも言われています。
DSEでは、ナンバー2の常務取締役に榊原信行さんが、広報担当に笹原圭一さんが就任されています。
DSEの代表取締役に就任後の森下直人さんは、調整役やマッチメーカーとして手腕を発揮し、ルール問題の改正にも取り組むなどして、PRIDEを大人気コンテンツへと成長させました。
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亡くなる前年の2002年8月には、国立競技場で開始されたPRIDEのイベント「Dynamite!」にて、柔道のオリンピック金メダリストの吉田秀彦さんとブラジリアン柔術の強者、ホイス・グレイシーとの対戦を実現させ、格闘技大会史上最大の観客動員数を記録。
2002年の大晦日に開催された「INOKI BOM-BA-YE 2002(猪木祭り3)」にも協力しましたが、これが森下直人さんが最後に関わった格闘技大会となりました。
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そして、森下直人さんは2003年1月9日に滞在していた新宿区内のホテルの浴室で亡くなっているのが見つかり、警察により自殺と断定されました。
森下直人さんの死後「PRIDE」は黄金期を迎えますが、その後衰退していき、2007年4月8日の「PRIDE.34」を最後に(DSE体制化での)イベントが消滅しました。この経緯から、森下直人さんの突然の自殺による死去がPRIDEの衰退の契機となったとの見方もあります。(ただし、死去前から衰退の兆しはあり、そもそもそれが森下直人さんの自殺原因とする見方も)
森下直人さんの自殺については不可解な点もあり、現在もネット上では原因や、真相は別にあるのではとする陰謀論なども話題にされています。森下直人さんの自殺原因や真相が他殺の噂などについては記事後半で紹介します。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の結婚
森下直人さんは2度結婚されています。
1度目の結婚については詳細は不明ですが、2度目の結婚は2000年で、この2度目の結婚相手との間に2001年か2002年に生まれた子供(長女)が1人ました。
森下直人さんの結婚相手は一般の方なので、これ以外の詳しい情報は公開されていません。
また、森下直人さんが自殺で亡くなった後の、結婚相手や子供についての情報もありません。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の後継の社長は榊原信行
榊原信行のプロフィール
生年月日:1963年11月18日
出身地 :愛知県半田市
森下直人さんが自殺により急死した後、DSEの代表取締役社長の座には常務取締役を務めていた榊原信行さんが就任しました。
森下直人さんの自殺を受けて、榊原信行さんは、「全く信じられない。社長(森下直人さん)は激情タイプ。あくまでも憶測ですが、突発的に自殺を図ったのではないか。社員一同、森下の遺志を受け継ぎまして、今まで以上に頑張っていきます。これが亡き森下にできる最善のはなむけだと思っています」とのコメントを発表されています。
この榊原信行さんですが、後に反社勢力とのつながりが週刊誌の報道により取り沙汰された事がありました。榊原信行さん本人はこれを完全に否定されていますが、週刊誌報道が出てしまった事から、森下直人さんの死去にも榊原信行さんが関わっていたのではとする陰謀論がネット上で噴出しました。
もちろんこれは事実ではなく、森下直人さんと榊原信行さんの関係は良好で、PRIDE創設期から苦楽を共にした盟友といえる関係でした。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)は自殺で42歳で死去
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ここまででも何度も触れていますが、森下直人さんは2003年1月9日の未明に、42歳という若さで自殺により死去しました。
森下直人さんはその日、亡くなる数時間前の8日午後に新宿区のホテル「ヒルトン東京」に報道陣を集めて、3年ぶりとなるPRIDEグランプリの開催を発表していました。
そして、当時寝技最強と言われていたアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラをはじめ、ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、吉田秀彦さんら、錚々たる選手に既にオファーを出している事を明かし、「PRIDEが世界一の総合格闘技イベントという事を見せたい」と年頭の抱負を熱く語ったばかりでした。
この会見後の8日22時半に、森下直人さんは交際相手の女性(森下直人さんは結婚しており不倫の関係だった)と2人でホテルの部屋にチェックインしています。
この女性によると、森下直人さんは別れ話を切り出して口論となり、そのまま浴室へ入って出てこなくなったそうです。
10分以上経っても出てこない事を心配して女性が浴室へ行ってみると、森下直人さんは首を吊った状態でぐったりしていました。これが9日の午前0時45分頃でした。女性はホテルのフロントへと電話し、ホテルは同47分に救急に通報。駆けつけた救急隊員によって死亡が確認されています。
森下直人さんの遺書などは見つかりませんでしたが、警視庁新宿署は現場の状況などから「事件性はない。自殺と認定している」と発表しています。
森田直人さんの遺体はその日のうちに愛知県名古屋市内の自宅に搬送され荼毘に付されました。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の自殺現場は「ヒルトン東京」の浴室
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森下直人さんの自殺現場となったのは、東京都新宿区西新宿6丁目6-2にあるホテル「ヒルトン東京」の部屋の浴室でした。
森下直人さんの自殺の現場が、「ヒルトン東京」の何階の何号室だったのかは公開されておらず不明です。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の自殺原因
森下直人さんの死因は自殺と断定されていますが、数時間前まで記者会見を開いて「PRIDE」の今後に関する抱負を熱く語っていた事から、「なぜ突然自殺を選んだのか」とその原因を訝しむ声が多く上がりました。
当時の報道では森下直人さんの自殺原因についていくつかの推測が上がっていました。
森下直人の自殺原因① 実際の経営実態が苦しかった
森下直人さんに近しい関係者からは、「表向きは順風満帆に見えたDSE社だが、経営実態は苦しかった」との証言が出ています。
近しい関係者は、「スター選手らの人気に頼る運営だったが、ギャラが契約を更新する度に高騰していき、さらに新鮮味が無くなる事でファンの間でPRIDE離れが始まりつつあった。森下直人さんはPRIDEからの撤退や売却もこぼしていた」と、経営の悪化が自殺の原因ではないかと推察する証言をされていました。
また、有名な格闘技評論家のターザン山本さんも「思い当たる節は全くないが、『K-1』や『Dynamite!』の人気に押されて一時の勢いを失い、(PRIDEの)人気が下降気味だったのは事実。昨年末の福岡の興行も空席が目立っていた。今年は問題が多いと思っていたが…残念」とのコメントを残されています。
森下直人の自殺原因② 女性との別れ話のもつれ
上でも触れたように、森下直人さんは亡くなる前に交際相手に別れ話を切り出して、浴室にこもってそのまま首を吊って亡くなったとされています。
森下直人さんは結婚していて1歳の子供もいたためこの女性とは不倫の関係で、その関係に悩んでおり、それが自殺の原因になったのではとの見方もあります。
DSEが森下直人さんの自殺後の会見ではじめに発表した自殺原因もこの女性関係のもつれという内容でした。ただ、これには疑問の声が多く上がりました。
森下直人の自殺原因③ 反社会勢力との板挟みになり疲弊していた
森下直人さんが「PRIDE」などの興行をめぐって、テレビ局などの表社会と暴力団などの反社会勢力との板挟みにあって疲弊していたのが自殺の原因になったとの見方も出ていました。
現在はクリーン化が進んでいるとされる格闘技イベントですが、2000年代頃までは格闘技の興行に暴力団などの反社会勢力が絡んでいる事は公然の秘密とされていました。
そのため、一部の関係者からは、森下直人さんが暴力団などの反社会勢力とテレビ局などの表向きの業界との板挟みにあって調整に苦労しており、心身を疲弊させていたとの証言が出ていました。
ある関係者は、森下直人さんが前年に関わった「INOKI BOM-BA-YE 2002」の時にも、複数の関係者との間に軋轢があったようなので、それが自殺の原因に関連しているのではないかとする証言をされていました。
森下直人さんは元々はエイデンの一会社員であり、裏社会とは関わりのない人間であったため、そうした裏社会の人間との関わりが強いストレスになって、自殺の原因となったとの推測がされています。
現在も、森下直人さんの自殺の原因として最も信ぴょう性が高いと言われているのが、この暴力団と表社会の板挟みにあって精神的に疲弊してしまったとする説です。
森下直人(元PRIDE運営会社社長)の自殺の真相は他殺の噂も存在
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森下直人さんの死因は自殺と断定されていますが、一部では真相は他殺ではないかとする陰謀論も存在しています。
森下直人さんの死因が他殺だとする説の根拠としては、まず何よりも森下直人さんが亡くなる数時間前に記者会見を開いて、「PRIDE」などの今後の展望について明るく語っていた事でした。
このように将来の事を熱く語る人間が突然自殺で死去するのは不可解だとして、本当は他殺なのではないかとの疑惑が浮上する事になりました。
また、DSEは会見で森下直人さんの死因について「不倫女性の間での別れ話の縺れから森下社長が自殺を図った」などと説明しましたが、自社の社長の死因を説明するのに、不倫による女性関係のもつれなどのマイナスイメージを原因として大々的に発表したのは不自然との声が上がりました。
しかも、DSEがこの発表をした段階では、まだ相手女性の事情聴取も完了していない段階であり、まるでDSEが慌てて、不可解な自殺に説明をつけたかのような印象を抱かせたのでした。
そしてこの他殺説に拍車をかけたのが、森下直人さんの死去を聞いたアントニオ猪木さんが「自殺? 誰かに殺されたんじゃないか」と発言したとの情報が広まった事でした。
「INOKI BOM-BA-YE 2002」をめぐり、複数の関係者と軋轢が生じていたとの情報も出ていた事から、アントニオ猪木さんはそうしたトラブルを把握していたために、このような発言をしたのではないかと見られたのでした。
また、一部の関係者から、森下直人さんが「PRIDE」などの興行の際に、不透明に消える多額の金銭の改善のため、事業のクリーン化に力を注いでいた事なども明かされました。
このクリーン化の試みにより、森田直人さんが、フィクサーとして暗躍し“PRIDEの怪人”の異名をとり、暴力団とも関係が深いとされた作家の百瀬博教さんと対立関係になっていた事なども明かされ、森田直人さんが邪魔になった反社会勢力によって殺害されたのではとの説が生じたのでした。
そして、その説を裏付けるかのように、その後、森田直人さんが死去した後に、PRIDEに暴力団関係者が直接的に関わるようになったとする一部格闘家からの証言なども出回りました。
2005年には一部の週刊誌が「PRIDE」と暴力団との繋がりについて報じ、これがきっかけとなってフジテレビは「PRIDE」のテレビ中継から撤退。これを契機にして「PRIDE」は一気に衰退していく事になり、2007年についに消滅。
こうした背景や経緯から、森田直人さんの死因の真相は他殺だとする陰謀論が現在も実しやかに囁かれ続けています。
まとめ
今回は、2000年代はじめに一斉を風靡した総合格闘技イベント「PRIDE」の創設者の1人で、運営会社であった「ドリームステージエンターテインメント(DSE)」の初代代表取締役社長も務めた実業家の森田直人さんについてまとめてみました。
森田直人さんは、東海大学卒業後に地元愛知県の家電量販店「エイデン」に就職し、店頭販売での高い実績を評価されて20代後半で広告宣伝の責任者に抜擢され、34歳にして広告部門を子会社化した「ハドック」の代表取締役を任されるという経歴を持ちます。
その後、CS放送「パーフェクTV!」の設立に携わったのをきっかけに総合格闘技イベントと関わりを持ち、総合格闘技の実行委員会組織「格闘技レボリューション・スピリッツ(KRS)」に参画して「PRIDE」の旗揚げに加わりました。
その後、KRSの解散に伴って設立された興行会社「DSE」の代表取締役社長に就任し、「PRIDE」の人気上昇に大きな役割を果たしました。
プライベートでは、森下直人さんは2度の結婚をしており、2000年に結婚した2度目の結婚相手との間には子供も生まれています。
ところが、「PRIDE」が最盛期を迎えようとする矢先の2003年1月、森下直人さんは42歳という若さで自殺によりこの世を去りました。DSEの社長には後継として榊原信行さんが収まりました。
森下直人さんの自殺の現場は、新宿のホテル「ヒルトン東京」で、同室していた交際相手の女性(不倫相手だった)との別れ話のもつれが自殺の原因になったと思われると発表されました。
しかし、森下直人さんはこの数時間前に記者会見で、今後の「PRIDE」の展望について熱く語っており、突然の自殺には疑問の声が上がりました。
そうした不可解な点から、森下直人さんの自殺の原因については、暴力団関係者との関係に悩んでいたのではとの黒い噂や苦しい経営実態に悩んでいたとの説が流れ、さらには真相は自殺ではなく、暴力団などの反社会勢力とのトラブルが原因となった他殺ではないかといった陰謀論的な噂まで流れました。
森下直人さんの自殺の真相をめぐる黒い噂は、現在も実しやかに囁かれ続かれています。