村崎百郎さんはネットスラング「電波」の生みの親で統合失調症患者に刺殺された鬼畜系ライターです。
この記事では村崎百郎さんの素顔や経歴、嫁の森園みるくさんとの結婚や子供、プチエンジェル事件との関係、統合失調症の犯人や事件の概要、その後や現在などについてまとめました。
この記事の目次
村崎百郎のプロフィール
村崎百郎のプロフィール
本名 :黒田一郎
生年 :1961年
没年月日:2010年7月23日(48歳没)
出身地 :北海道
村崎百郎(むらさき・ひゃくろう)さんは、1995年から2010年にかけて活動したフリーライターで、自らを鬼畜と称し、夜な夜な街に出ては他人のゴミを漁り、そこから得られる情報の有益性を説き、また、自分は神や悪魔の声、あるいは他人の妄想や悪意を「電波」として受信する「電波系」の特異体質であると主張する強烈なキャラクターで、サブカル界隈に圧倒的インパクトを残しました。
村崎百郎さんは、現在では精神疾患者やメンヘラ、陰謀論者などを揶揄するネットスラングとなっている「電波」、「電波系」という言葉を世に広めた人物としても知られています。
そして、村崎百郎さんは2010年に、自身の読者を名乗る統合失調症の男に自宅で滅多刺しにされるという壮絶な形で48歳でこの世を去っています。
村崎百郎の素顔
村崎百郎さんは素顔を公開しておらず、メディアに出演する際には、片目の部分にだけ穴を開けた紫色の三角頭巾を被り、身体も真っ黒なマントで覆った、かなり奇抜(というか不気味)な出立ちをしていました。
村崎百郎さんの素顔の写真は現在も公開されていませんが、嫁の森園みるくさんが、エッセイ漫画「私の夫はある日突然殺された」の中で、村崎百郎さんの素顔をイラストで描いています。
嫁の森園みるくさんのイラストで描かれた村崎百郎さんの素顔は、黒色の方までの長い髪に口髭を生やしたたらこ唇の人物でした。
村崎百郎の経歴① 生い立ち
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村崎百郎さんは、北海道出身の1961年生まれで、小学校3年生の時に公務員だった父親の転勤で過疎の田舎の村に転居します。
この村はかなり閉鎖的な土地柄で、よそ者である村崎百郎さんは凄惨ないじめの対象にされてクラス全員が敵だったそうです。友人が1人もいないため、1人で山や森を彷徨ったり、山奥に1人ぼーっと佇んだりして過ごしていたそうです。
村崎百郎さんは小学校5年の時、海で溺れて死にかけ、宇宙の始まりのヴィジョンを目撃するという神秘体験をしています。村崎百郎さんは1度死にかけた事で、「もういつ死んでもいいんだ、後の人生は余録だ」と思い、「人生において、やっちゃいけないなんて事は実は何もないんだ」(「夜、因果者の夜」のインタビューでの本人の発言のママ)と悟って、自分をいじめてきた者達への徹底的な復讐を開始しました。
村崎百郎さんは、自分をいじめてきた相手の家にバットを持って夜な夜な玄関を破ってカチコミをかけ、一家団欒の最中だろうが就寝中だろうが構わず襲撃したそうです。
また、盲腸で入院するなど相手が弱っているところを狙って、待ち伏せして襲撃したり、一度襲撃した相手が泣きながら家に帰ったところを家の前で待ち伏せして再度襲うなど、徹底的な復讐を繰り返す荒廃した子供時代を送っています。
村崎百郎の経歴② 明治大学卒業後、伝説的出版社「ペヨルト工房」に勤務
自らを「鬼畜」と称し、荒れ果てた生い立ちを語っていた村崎百郎さんですが、実はインテリで、北海道倶知安高等学校から明治大学文学部へ進学し卒業しています。
大学卒業後は製粉工場で働きながら、20代半ばの1987年頃から「ペヨトル工房(1980年代のサブカル文化に影響を与えた先鋭的出版社)」にアルバイトの編集者として勤務し、芸術雑誌「夜想」や「銀星倶楽部」の編集や、ウィリアム・S・バロウズ、フィリップ・K・ディック、キャサリン・ダンといった、大手出版社が絶対に手掛けない、カルト的な海外作家の翻訳などを手掛けました。
村崎百郎さんは、このペヨトル工房の編集者時代に漫画家の根本敬さんや編集者の青山正明さん(共にサブカル界隈では伝説的人物)と知り合っています。
村崎百郎の経歴③ 電波系ライターとしてメディアデビュー
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村崎百郎さんは、伝説的漫画雑誌「ガロ」(1993年10月号)の「根本敬や幻の名盤解放同盟 夜、因果者の夜」にて、「村崎百郎」の名義で根本敬さんのインタビューを受けてメディアデビューしました。
この時初登場となった「村崎百郎」というペンネームは、本名である「黒田一郎」の雰囲気を残しつつ、キ○ガイ色(差別用語のため伏字)である「紫色」をかけ、本名の「一郎」に鬼畜度100倍にした意味を込め「百郎」と名づけたという事です。また、村崎百郎さんはアメリカの作家「ウィリアム・S・バロウズ」を敬愛しており、バロウズの短編「ムラサキいいヤツやって来る」も由来になっているとの事です。
この時には職業は「工員」と紹介されていましたが、本当は「ペヨトル工房」の編集者で、「工房」とかけて「工員」と名乗った洒落でした。
翌1994年、村崎百郎さんは、宝島社のオピニオン誌「宝島30」で根本敬さんが連載していた「根本敬の人生解毒波止場」にも33歳工員として登場し、自らのライフワークである「ゴミ漁り」についてのインタビューが掲載されました。
そして、1995年4月の「ユリイカ」の臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」に、「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」と題された記事を寄稿し、これが村崎百郎さんの鬼畜ライターとしてのデビューとなりました。この記事で、村崎百郎さんは下衆な話題を好んで取り上げるワイドショーとそれを楽しむ視聴者も総じて下衆であると鋭く批判し話題となります。
さらにこの記事で村崎百郎さんは、自身が生まれつき、神や悪魔、あるいは他人の妄想や悪意を「電波」として受信する特異体質「電波系」である事を明かし、現在はそれに影響される事なく、感情をコントロールできていると語っています。
これを契機にして、村崎百郎さんは青土社発行の精神病理専門誌「imago」に「電波」に関するエッセイを複数回寄稿。現在では、精神病者やメンヘラ、陰謀論者などを指すネットスラングとなっている「電波」という言葉ですが、この時に村崎百郎さんが用いたのが最初でした。
村崎百郎の経歴④ 「危ない1号」に参加して鬼畜ブームを引き起こす
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1995年7月、村崎百郎さんは、ドラッグや違法行為、反社会的行為、世の中のタブーなど、いわゆる「鬼畜系カルチャー」に着目したアンダーグラウンドカルチャー誌「危ない1号」の創刊に参加し、自身のライフワークであるゴミ漁りに関するルポを寄稿、同誌の看板作家となり、1997年まで続く「鬼畜ブーム」を引き起こしました。
1996年1月10日には、新宿ロフトプラスワンでトークライブ「鬼畜ナイト」を主宰し、青山正明さん、吉永嘉明さん、柳下毅一郎さん、根本敬さん、佐川一政さん(パリ人肉事件犯人)、夏原武さん、釣崎清隆さん、宇川直宏さん、石丸元章さん、クーロン黒沢さんといった鬼畜系文化人が一堂に介して鬼畜トークを繰り広げ、伝説的トークセッションとなりました。
このイベントは8月に「鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ~な夜」のタイトルで書籍化され7万部のベストセラーとなっています。
そしてこのイベントに合わせて、村崎百郎さんは自身初の単著となる「鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り」を発表し、こちらもベストセラーとなっています。
1997年に鬼畜ブームが終焉した後も、村崎百郎さんは鬼畜系ライターとして活動を続け、唐沢俊一さんとの「社会派くんがゆく!」などの連載を長く続けていました。
そして、2010年7月23日、村崎百郎さんは読者を名乗る32歳無職の男に自宅で刺殺され、48歳の生涯を閉じました。
村崎百郎の嫁・漫画家の森園みるくとの結婚
村崎百郎の嫁・森園みるくのプロフィール
本名 :溝口比呂子
生年月日:1957年12月25日
出身地 :山口県徳山市(現在の周南市)
村崎百郎さんは結婚しており、嫁はレディース漫画家の森園みるくさんです。
村崎百郎さんの嫁の森園みるくさんは、デザイン会社で働いていた1981年に「別冊少女コミック」にて少女漫画家としてデビューし、1987年頃からは主に大人女性向けのレディースコミックへと活躍の場をうつして、濃厚で過激かつリアルの性描写で人気を呼びました。
村崎百郎さんが嫁の森園みるくさんと知り合ったのは1996年頃で、元々村崎百郎さんのファンだったという森園みるくさんが、村崎百郎さんが出演するイベントで声をかけたのが馴れ初めだったと言われています。
村崎百郎さんも森園みるくさんの漫画のファンだった事から2人は意気投合し、交際するようになり同棲を始めています。
2人が法律的に正式に結婚していたのかは不明ですが、村崎百郎さんは雑誌「危ない28号」の連載「世紀末鬼畜放談」で、森園みるくさんとは同棲していて内縁の関係だと明かしています。ただ、「村崎百郎」のイメージに反するとして結婚している事は認めていませんでした。
村崎百郎さんは嫁の森園みるくさんとは仕事のパートナーという側面もあり、森園みるくさんの漫画作品の原作の多くを村崎百郎さんが担当されています。
森園みるくさんは、村崎百郎さんが統合失調症の男に殺害された後の2017年にエッセイ漫画「私の夫はある日突然殺された」を発表し、村崎百郎さんが生前に「俺はもうすぐこの家で精神を患った男に刺されて殺される」と自分の死を予言していた事や、その死後に周辺で数々の心霊現象が起こった事を明かしています。
村崎百郎と嫁の森園みるくの子供
村崎百郎さんと嫁の森園みるくさんの間に子供がいるとの情報は出ていません。
村崎百郎さんも嫁の森園みるくさんも自由人的な気質が作品から窺えるため、子供は作らなかった可能性の方が高いように思われます。
ちなみに、子供ではありませんが、写真家の黒田ゆなさんは、村崎百郎さんの姪にあたります。
村崎百郎とプチエンジェル事件
ネットの検索エンジンでは、村崎百郎さんと「プチエンジェル事件」が関連づけられています。
「プチエンジェル事件」とは、2003年に東京赤坂のウィークリーマンションで起きた、小学6年生少女6人が誘拐・監禁された事件です。犯人は吉里弘太郎という29歳の男で、ローティーンの少女を男性客に斡旋する非合法のデートクラブ「プチエンジェル」を経営し、わいせつなビデオも販売して多額の利益を得ていました。
プチエンジェル事件の犯人の吉里弘太郎は、警察の捜査が始まった後に現場となったマンションで練炭自殺により死亡。その翌日に少女の1人が自力で脱出し助けを求め、駆けつけた警察官によって被害者の保護、犯人の死亡が確認されました。
そして、このプチエンジェル事件では、犯人が経営していた未成年デートクラブの顧客リストが押収されており、そのリストには財政界の大物の名前がずらりと並んでいたとの都市伝説が存在します。プチエンジェル事件はある時を境にぱったりと報道されなくなっており、その噂に拍車をかけました。
村崎百郎さんがこのプチエンジェル事件に何か関わりがあったというわけではありませんが、村崎百郎さんの連載「社会派くんがゆく!」で「プチエンジェル事件」が取り上げられており、関連づけられたようです。
また、プチエンジェル事件を取材していた「柏原蔵書」(本名・染谷悟さん)というフリーライターが殺害される事件が発生しており、2010年に村崎百郎さんが統合失調症の男に刺殺された後にこれが混同され関連づけられてしまった可能性もあります。
村崎百郎が統合失調症の犯人に殺された殺人事件の概要
村崎百郎さんは、2010年7月23日に読者を名乗る統合失調症の無職の男(32歳)に包丁で滅多刺しにされて殺害されています。
事件は犯人の男が村崎百郎さんを殺害した後に自ら110番した事で発覚しました。犯人の男は村崎百郎さんの実践本(「鬼畜のススメ」か)に騙されて恨みを持っていたなどと動機を供述していました。
23日午後5時50分ごろ、東京都練馬区羽沢の作家黒田一郎さん(48)=筆名・村崎百郎=方で、男から「人を刺した。捕まえてください」と110番があった。警視庁練馬署によると、黒田さんが室内で血を流して倒れており、ほぼ即死。同署は殺人容疑で、室内にいた横浜市に住む無職の男(32)を現行犯逮捕した。 調べに対し、男は「黒田さんの書いた実践本にだまされ、恨みを持っていた」と供述。
犯人の男は、警察の取り調べに、殺意を持って神奈川県内で刃渡り約17cmの包丁を購入し、ネットで調べた村崎百郎さんの自宅を訪れて犯行に及んだ事も供述しています。
村崎百郎は自分の死を予言し残される嫁の森園みるくを気遣っていた
事件当時、嫁の森園みるくさんは1人で食事に出ており、犯人とは遭遇せずに難を逃れました。
森園みるくさんが事件について描いた漫画「私の夫はある日突然殺された」によると、その日、村崎百郎さんは原稿の締め切りに追われて必死にパソコンに向かっており、森園みるくさんは1人で食事に出たそうです。
森園みるくさんは気を利かせてしばらく時間を潰したのちに帰宅したところ、自宅には警察が来て規制線が張られていて中に入る事もできず、既に村崎百郎さんは亡くなっていたそうです。
村崎百郎さんはこの統合失調症の犯人に刺殺される前に、「俺は精神を患った男に刺されて殺される」と嫁の森園みるくさんや、複数の関係者に明かしていました。
その関係者の1人によると、村崎百郎さんは生前に「電波」で「あなたが死なないと奥さんが死ぬ」という声を受信したとも話していたそうです。
また、村崎百郎さんはこの事件の少し前に、それまで全く興味を持っていなかった生命保険に加入するなど、自分の死を予期して残される森園みるくさんの事を心配していた形跡もあったようです。
村崎百郎殺人事件の犯人のその後
事件翌日の報道では、村崎百郎さんを殺害した犯人が精神疾患で通院中である事が明かされました。
この犯人の男はその後、精神鑑定を受けて統合失調症と診断され、刑事責任能力なしと判断されて不起訴処分とされています。
同署幹部によると、男は、黒田さんの著作を読んでいたといい、調べに「本を読んで恨みを持った」などと供述している。男は精神疾患のため通院中で、事件後、「人を刺した。捕まえて下さい」と110番していた。事件当時、同居中の女性漫画家は外出していた。
村崎百郎のその後や現在
村崎百郎館の展示
村崎百郎さんの死後、2014年4月に生前関係が深かったデーターハウスの社長・鵜野義嗣さんが運営する静岡県伊東市の博物館「まぼろし博覧会」の中に「村崎百郎館」が開設されました。現在も「村崎百郎館」は常設展示されており、村崎百郎さんが生前に集めたゴミの数々を閲覧できます。
2020年7月には、村崎百郎さんの著作である「鬼畜のススメ」シリーズが電子書籍とし復刊。
2022年8月24日には、ライブストリーミング放送局「DOMMUNE」にて、特集番組「鬼畜系カルチャー大検証! 村崎百郎が蘇る!」が5時間にわたって配信され、嫁の森園みるくさんをはじめ、根本敬さん、中原昌也さん、鴇田義晴さん、宇川直宏さん、ばるぼらさん、虫塚虫蔵さん、好事家ジュネさん、ケロッピー前田さん、釣崎清隆さん、黒田有南さんらが出演しました。
同番組では、嫁の森園みるくさんが恐山でイタコの口寄せで村崎百郎さんの霊を降ろしてもらった際に、「(統合失調症の犯人に刺された時に)自分の血が飛び散ってるのを見て、とても綺麗に見えたんだ」と、いかにも村崎百郎さんが言いそうな言葉をイタコが話した事も、その実際の音声とともに紹介されました。
まとめ
今回は、統合失調症などの精神疾患者や陰謀論者などを揶揄するネットスラング「電波系」の生みの親で、1995年から1997年の「鬼畜ブーム」を起こした事でも知られる鬼畜系ライターの村崎百郎さんについてまとめてみました。
村崎百郎さんは素顔を隠し、片目だけ穴を開けた紫の三角頭巾を被り、真っ黒なマントという奇抜な姿でメディアに登場し、他人の捨てたゴミを漁って情報を得る「ゴミ漁り」や、他人の妄想や悪意、神や悪魔の声を「電波」として受信する特異体質であるとするインパクトの強い主張で人気を博しました。
村崎百郎さんは北海道の出身で、父親の仕事で閉鎖的な田舎に引っ越した際に壮絶ないじめを受けるも、小学5年生の時に海で溺れて死にかけたのをきっかけに覚醒して「鬼畜系」となり、明治大学文学部を卒業して、「ペヨトル工房」でアルバイトの編集者として働くようになりました。
そこで、漫画家の根本敬さんや編集者の青山正明さんと知り合った村崎百郎さんは、電波系ライターとして活動を開始しアンダーグラウンドカルチャー誌「危ない1号」の創刊に参加して、1995年から97年にかけての「鬼畜ブーム」を引き起こしました。
その後も、村崎百郎さんは鬼畜系ライター、漫画原作者として活動されていましたが、2010年に読者を名乗る統合失調症の男に滅多刺しにされて48歳で亡くなりました。
村崎百郎さんは結婚しており、嫁はレディース漫画家の森園みるくさんです。
村崎百郎さんと嫁の森園みるくさんの間に子供がいるのかは不明ですが、いない可能性が高いと思われます。
村崎百郎さんと、2003年に起きた「プチエンジェル事件」が関連づけられていますが、これは村崎百郎さんが自身の連載「社会派くんがゆく!」の中でプチエンジェル事件に触れたためで、直接、村崎百郎さんがプチエンジェル事件に関わったという事はありません。
村崎百郎さん殺害事件の犯人は、32歳の無職の男で統合失調症を患っており、村崎百郎さんの本に騙されたと妄想して恨みを持って犯行に及んだようです。この犯人は精神鑑定で統合失調症と認定されて、刑事責任能力なしとされて不起訴処分になっています。
村崎百郎さんのその後や現在については、2014年に「村崎百郎館」が開設された他、2020年に著作「鬼畜のススメ」シリーズが電子書籍化、2022年に特集番組「鬼畜系カルチャー大検証! 村崎百郎が蘇る!」がストリーミング配信されました。