1990年4月に発生した「ネパール邦人女性失踪事件」が不可解で不気味だと話題です。
この記事ではネパール邦人女性失踪事件の概要、行方不明になった南埜佐代子さんの事件までの動向、だるま女にされたとのネット上の噂、犯人や事件の真相、現在などについてまとめました。
この記事の目次
ネパール邦人女性失踪事件の概要
「ネパール邦人女性失踪事件」は、1990年4月に、ネパールを1人で旅行中だった当時29歳の南埜佐代子(みなみの・さよこ)さんという女性が行方不明になった未解決事件です。
南埜佐代子さんは、1990年4月3日、ネパールの首都・カトマンズから日本の家族に宛てて「4週間くらいの予定でヒマラヤ・アンナプルナ方面へ山歩きに行く」という内容の手紙を出したのを最後に連絡を断ち、そのまま消息不明になりました。
南埜佐代子さんの家族が心配してネパールまで足を運んで行方を捜したところ、ヒマラヤ・アンナプルナ登山口のポカラという街のホテルに、南埜佐代子さんの衣類などが入ったザックが残されていたという事です。
ネパールの日本大使館は、「なんらかの事件に巻き込まれたのか事故なのかを断定できる材料がない」との見解を示し、カトマンズの警察本部とポカラ警察署が南埜佐代子さんの行方を捜査しましたが、その後も足取りは掴めず未解決のままとなっています。
ネパール邦人女性失踪事件で行方不明になった南埜佐代子さんは1人で世界旅行中だった
ネパール邦人女性失踪事件で行方不明になった南埜佐代子さんは、当時、大阪府堺市在住で、近畿大学3年生で、アルバイトで貯めたお金で1人で世界中を旅行している最中でした。
南埜佐代子さんは、1989年4月5日に日本を出発し、東南アジア、中国、ソビエト連邦(当時)、中近東、アフリカ、インドを周り、1990年3月末にネパールに入国しその直後4月に入ってから行方不明になっています。
南埜佐代子さんはこの世界旅行中、1週間に1度は現在地や今後の予定などを伝える手紙や写真などを送っていましたが、上で触れたようにカトマンズから出した手紙を最後に連絡が途絶えているため、4月3日から1週間の間に何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと見られています。
ネパール邦人女性失踪事件で行方不明になった南埜佐代子さんはだるまにされたとの都市伝説も
ネパール邦人女性失踪事件は、その後の捜査でもなんの手がかりも掴めておらず、どのような経緯で南埜佐代子さんが失踪したのかを推測できる情報が一切ありません。
ただ、南埜佐代子さんの失踪から約半年後の1990年10月30日の毎日新聞が、『泣き声で「苦しい」 世界旅行中に不明の女子大生がネパールから自宅へ最後の電話』という見出しの記事を掲載しています。
この毎日新聞の記事によると、失踪から約4ヶ月後の1990年8月中旬に、南埜佐代子さんを名乗る人物から、大阪府堺市の実家に電話があり、電話口で泣きじゃくりながら「ああ、苦しい。悔しい」などと話したとの事です。電話を受けた南埜佐代子さんの母親が「どうしたの」、「どこにいるの」と問いかけるも、南埜佐代子さんを名乗る人物はただ泣くばかりでそのまま程なくして電話を切ったという事でした。
こうした不気味な情報が全国紙で報じられた事も関係してか、この事件に関連して都市伝説のような噂もネット上で多く語られています。
その中には、南埜佐代子さんは旅行中に犯罪組織に拉致され、手足を切断された状態で見せ物にされる、いわゆる「だるま女」にされたという噂も囁かれているようです。
ただ、この「だるま女」に関する噂には根拠などは特に示されておらず、事件の不可解な内容から連想されたネット上の噂です。
ネパール邦人女性失踪事件の犯人は?
ネパール邦人女性失踪事件の犯人についても情報が全くありません。
そもそも、南埜佐代子さんが事件に巻き込まれたのか、それとも何らかの事故にあって連絡を絶ったのかすら断定されていないため犯人の推測すら困難です。
ただ、ネット上では、ネパール邦人女性失踪事件の真相についていくつかの考察がされているので、次の見出しから紹介していきます。
ネパール邦人女性失踪事件の真相① 人身売買目的の誘拐
ネパール邦人女性失踪事件の真相の考察がネットの匿名掲示板などで行われていますが、その中でも多い説が、性的搾取、臓器摘出などを目的とした人身売買のために誘拐されたとする説です。
南埜佐代子さんが29歳の若い女性であった事や、一般的に見て犯罪に巻き込まれる可能性が高いとされる女性の1人旅であった事からこうした推測がされているようです。
また、本当に本人かどうかは不明ながら、失踪から約4ヶ月後に大阪の自宅に南埜佐代子さんを名乗る人物から電話があったとの報道がされた事から、南埜佐代子さんは犯罪組織に監禁されており、最後に自宅に電話をする事を許されたのではとの推測もこうした噂につながっています。
ただし、具体的な証拠などがあるわけでは無いので、あくまでもネット上の噂です。
ネパール邦人女性失踪事件の真相② 強盗殺人事件
南埜佐代子さんはポカラの登山口からヒマラヤ・アンナプルナの登山ルートへと入ったと見られています。
このルートではほかにも何人も一人旅の日本人が行方不明になっている事から、南埜佐代子さんも所持金を奪う目的の何者かに襲われ殺害されたのが真相では無いかと言われています。
当時、ネパールの農村地域の平均年収は日本円に換算して約3万円ほどで、日本人の旅行者は多くの場合これ以上の現金を持ち歩いています。
当時のネパールの一般的な農村部の住人にとっては、自分達の年収以上の金額を所持している可能性のある女性が1人で人気のない登山道を歩いているという事になり、強盗を企てるものがいても不思議では無いでしょう。
こうした事から、ネパール邦人女性失踪事件の真相は強盗殺人にあったとする説が有力とされています。
ネパール邦人女性失踪事件は現在も未解決
ネパール邦人女性失踪事件で行方不明になった南埜佐代子さんは2021年12月の現在も発見されておらず、事件は未解決のままです。
現在、ネパール当局は既に捜査を打ち切っており、この事件の真相が判明することはおそらく無いと思われます。
南埜佐代子さんは生存していたとすれば、2021年の現在は60歳前後になっているはずですが、現在も生存している可能性は極めて低いと思われます。
まとめ
今回は、1990年4月に発生した「ネパール邦人女性失踪事件」についてまとめてみました。
ネパール邦人女性失踪事件は、当時大阪府堺市在住の近畿大学3年生だった南埜佐代子さん(当時29歳)が、ネパールを1人旅中に連絡を断ち、そのまま行方不明となっている事件です。
最後に家族に送っていた手紙の内容などから、南埜佐代子さんは、ヒマラヤ・アンナプルナの登山道で行方不明になった可能性が高いとみられています。この付近では他にも日本人旅行客が行方不明になっている事から、南埜佐代子さんも強盗などを目的に犯人に殺害されたのが真相ではとの見方が有力となっています。
ただ、失踪から約4ヶ月後に日本の家族のもとに南埜佐代子さんを名乗る人物から電話がかかってきて泣きながら「苦しい、悔しい」などと話してそのまま切れたとの情報を当時の毎日新聞の朝刊が報じており、こうした不気味な内容から犯罪組織に捕まって「だるま女」にされたのではないかといった都市伝説的な噂もネット上で囁かれています。
現在も南埜佐代子さんは発見されておらず、ネパール邦人女性失踪事件は未解決事件となっています。