1987年3月15日に発生した「西安義行さん失踪事件」は北朝鮮による拉致の可能性が高いと見られています。
この記事では西安義行さん失踪事件の概要、失踪後の不可解な2件の電話や不審な出来事、真相の考察や北朝鮮で撮影されたと見られる写真、現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
西安義行さん失踪事件の概要
「西安義行さん失踪事件」は、1987年3月15日に京都府舞鶴周辺で発生した不可解な行方不明事件です。
その日、西安義行(にしやす・よしゆき)さん(当時21歳)は、兵庫県市島町(現在の丹波市)の自宅から、高校時代の友人・石川靖さんと2人で、京都府舞鶴市方面へドライブへ出かけました。
海を見た後に食事をした帰り道、西安義行さんは「列車で帰る」と言って、京都府綾部市のJR山陰本線綾部駅前で車を降りました。
それから1時間後、石川靖さん宅に、西安義行さんから「無事着いたか?」と電話がありましたが、この連絡を最後に西安義行さんは行方不明となりました。
西安義行さんの失踪後、西安義行さんの自宅周辺で不審な出来事が頻発するようになりました。不審な出来事については後の見出しで詳しく見ていきます。
西安義行さんについて
公開されている西安義行さんの失踪事件当時の情報は以下の通りです。
西安義行さんの失踪当時の特徴など
生年月日 :1965年6月27日
当時の居住地 :兵庫県氷上郡市島町(現在の兵庫県丹波市)
当時の身分 :就職活動中で無職
身長 :170cm
体重 :70kg
血液型 :A型
その他 :近眼で眼鏡を使用、中学の頃に交通事故で右鎖骨を骨折し治療痕
西安義行さんの失踪後の不可解な電話① 男性の声で「ボク…学校の横」
西安義行さんの失踪から約2ヶ月後の1987年5月、西安義行さんの自宅に電話があり、母親の久子さん(当時48歳、当時68歳と書いているサイトがあるが誤り)が出ると、電話の相手は男性の小さな声で「ボク…学校の横」と話しました。
久子さんはその電話の声を西安義行さんだと感じ、とっさに「義行やろ?」と声をかけました。しかし、相手は何も答えず、そこで電話は切れてしまいました。
西安義行さんの失踪後の不可解な電話② 女児の声で「明かりをつけましょぼんぼりに」
西安義行さんの失踪から6年後の1993年3月、西安義行さんの自宅に再び不審な電話がありました。
電話に出た久子さんに、相手はたどたどしい女児の声で「歌うから聞いて」と伝えると、「明かりをつけましょぼんぼりに…」と歌い始めました。
この電話にも久子さんはとっさにひらめき、「あんた、義行の子か?」と尋ねましたが、答えはなく、そのまま電話は切れてしまいました。
西安義行さんの失踪後には他にも不審な出来事が頻発
不可解な2件の電話の他にも、西安義行さん失踪後に自宅周辺で不審な出来事が頻発しています。
失踪から約1年後には、西安義行さんの自宅に、名古屋中央郵便局の消印の差出人不明の葉書が届き、該当者のいない電話番号が記されていました。
失踪事件から10年以上が経過した1998年には、西安義行さんの自宅を伺う不審な車が目撃され、同時期に地下足袋姿の2人組が、西安さん自宅近所の区長の家を訪問し「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねていた事も判明しています。この不審な2人組は「西安義行さんが結婚する相手の近所の者」と名乗ったという事です。
さらに、失踪事件から20年後の2007年11月には、「圭子さん(西安義行さんの妹)はおられますか」と女の子の声で電話があり、留守を伝えると何も言わずに電話は切れたという事です。
西安義行さん失踪事件の真相は北朝鮮拉致の可能性が高いと考察されている
出典:https://lh3.googleusercontent.com/
行方不明事件や失踪事件での、北朝鮮による拉致の可能性を調査している市民団体「特定失踪者問題調査会」は、西安義行さん失踪事件の真相は北朝鮮による拉致の可能性が高いとの見解を示しています。
2011年、特定失踪者問題調査会は、その時点から見て約6年ほど前に入手したという1枚の写真(見出し冒頭の画像)を公開しました。
特定失踪者問題調査会によると、写真の提供者は、2000年前後に平壌(北朝鮮の首都)の周辺で撮影された日本人男性だと説明したという事です。また、公開された部分は切り抜かれたもので、元の写真には他の人物も一緒に写っているという事です。
そして、この写真の男性は、西安義行さんではないかと見られています。この情報から、西安義行さん失踪事件の真相は北朝鮮による拉致の可能性が高いとの見方が有力となっています。
西安義行さんが失踪した地点も日本海側で北朝鮮とも近い舞鶴港の近くであったのも、北朝鮮拉致が真相とする考察の根拠とされています。
また、この西安義行さんと見られる写真の様子が、目線を下げて幼い子供に微笑みかけているようにも見える事から、これは西安義行さんが北朝鮮で結婚して子供も生まれており、その子供に微笑みかけている姿を撮影したものではとの考察もされています。
そのため、西安義行さんの失踪から6年後に西安さんの自宅にかけられた女の子から電話は、西安義行さんの子供からのもので、辿々しい言葉だったのは、普段は朝鮮語で会話をしているため日本語で話す事に慣れていなかったためでは?との考察がされています。
西安義行さん失踪事件の現在
西安義行さん失踪事件の真相は現在も解明されていません。
西安義行さんは存命であれば、現在は56歳になっているはずです。
現在の直近の動きとしては、2020年12月15日に「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」にあわせて開催されたパネル展に、西安義行さんの母親の久子さんと、妹の圭子さんが訪れ、北朝鮮に拉致された可能性が高いと見られている西安義行さんを心配するコメントを出されています。
また、西安義行さんの父親も2018年頃に亡くなられた事も明かされています。
西安さんの母、久子さん(81)と妹の圭子さん(53)もパネル展を訪れた。久子さんは「運動も勉強も好きで、年下の面倒をよく見る優しい子だった。なぜこんなことになってしまったのか、理由を知りたい」と話した。圭子さんは「『息子の夢を今でもよく見る』と話していた父も2年前に他界。
まとめ
今回は、1987年3月15日に発生した「西安義行さん失踪事件」についてまとめてみました。
西安義行さんはその日、友人とドライブの帰り道にJR山陰本線綾部駅前で車を降りたまま行方不明になりました。
失踪事件後には、西安義行さんの自宅周辺で不可解な電話が相次ぐなどの不審な出来事が相次ぎました。
西安義行さん失踪事件の真相の考察については、北朝鮮による拉致にあった可能性が高いという見方が有力となっています。
現在も西安義行さんは発見されておらず、事件は未解決のままです。