2006年9月に発生した「慶応大学生失踪事件」は、当時21歳の慶応大学生・篠崎耕太さんが、旅行先のインドで行方不明になっている事件です。
この記事では、慶応大学生失踪事件の概要と篠崎耕太さんが行方不明になるまでの経緯、現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
慶応大学生失踪事件(篠崎耕太さん行方不明事件)の概要
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「慶応大学生失踪事件」は、2006年9月に、慶應義塾大学2年生だった篠崎耕太さん(当時21歳)が、旅行先のインドで行方不明になり、現在も見つかっていない事件です。
現地警察の捜査や家族、協力者などの調査により、篠崎耕太さんはタージマハルなどの観光名所で知られるアグラで何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い事がわかりましたが、それ以降、捜査の進展はなく、篠崎耕太さんの身に一体何が起こったのか現在も謎のままとなっています。
この記事では、篠崎耕太さんが行方不明になった「慶応大学生失踪事件」について、これまでにわかっている内容をまとめていきます。
慶応大学生失踪事件の経緯① 篠崎耕太さんが9月3日未明にインドに入国
慶應義塾大学経済学部の2年生だった篠崎耕太さん(当時21歳)は、2006年9月2日の夕方に成田空港からキャセイパシフィック航空を利用してインドへ向けて出発しています。
篠崎耕太さんは香港を経由し、9月3日未明にデリー空港に到着、午前1時59分に同空港にて入国手続きをとっています。
入国直後、篠崎耕太さんは、デリー空港内のトーマス・クックで100米ドルをインドルピーに両替をした記録が残されています。また、9月3日にデリー市内の宿泊施設に篠崎耕太さんが宿泊した記録は見つかっていません。
慶応大学生失踪事件の経緯② 現地旅行代理店のツアーを組みジャイプルへ
現地警察の発表にによれば、篠崎耕太さんは9月3日午前7時半頃、ニューデリー駅のパハルガンディ側のドリンクスタンドにいたところを、「Gole Marked-based Overseas Tours」という現地の旅行代理店の客引きに声をかけられたようです。
篠崎耕太さんはこの旅行代理店で、20400インドルピー(当時のレートで約5万4000円)のツアーを組んでいます。この旅行代理店関係者の証言によると、15日間でジャイプル、アグラ、バラナシ、カルカッタを回るツアー内容だったようです。
篠崎耕太さんはこの旅行代理店の手配した車で、ガイドと運転手と共に9月3日午前11時頃にデリーを出て、同日16時頃に、デリーから南西約260kmに位置する都市・ジャイプルに到着。それから2日間、同都市のホテル「Hoetel Ghoonghat」に滞在して市内観光をしていたようです。
慶応大学生失踪事件の経緯③ 9月5日にアグラへ移動後ホテルから外出し行方不明に
9月5日の午前8時頃、篠崎耕太さんはガイドと運転手と共に車でジャイプルを出発し、15時頃にアグラ(デリーの南東約200kmに位置する都市)に到着し、ガイドと共に観光名所であるタージマハルを観光しています。
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同日17時過ぎ、篠崎耕太さんが、アグラ市内にある「Chanakya」というホテルにチェックインした記録が残っています(上の画像、とちょうど看板の裏側に位置する部屋に宿泊していた模様)。このチェックイン時のサインの筆跡を母親が確認したところ、本人のもので間違いないという事もわかっています。
このホテルのフロントマンの当初の証言によると、篠崎耕太さんはチェックインから約1時間後にバックパックを背負った姿でホテルから外出し、そのまま帰らなかったという事です。
ところがその後、このフロントマンは、篠崎耕太さんは旅行代理店の雇った運転手に「夜の観光に行こう」と電話で誘われて外出したと証言の内容を変えました。この時、篠崎耕太さんは運転手の他、3人のインド人と一緒に出て行ったとの事で、このインド人3人のうち1人は旅行代理店のガイドだったように思うとも証言しています。
篠崎耕太さんと一緒に出て行ったという運転手は、当初はこの事実を明かさずに、翌朝に篠崎耕太さんをホテルの部屋に迎えに行ったがいなかったため、同日17時半頃までホテルで帰りを待った。その後は乗る予定だった列車の出発時刻まで駅で篠崎耕太さんを待っていたが、それでも現れなかったため、翌日にデリーに戻ったと証言していました。
慶応大学生失踪事件の経緯④ 運転手とホテル従業員が重要な証言
篠崎耕太さんが行方不明になってから1年半後の2008年3月、インドの警察当局は、篠崎耕太さんの失踪に関わったとみられる、運転手やホテル従業員に対して、麻酔薬などを使って自白を促す「ナルコティック・テスト」を実施しています。
篠崎耕太さんの家族や支援者の元に信頼すべき筋からもたらされたという情報によると、このナルコティック・テストの結果、運転手とホテル従業員の1人から新たに重要な証言が得られたという事です。
運転手の証言内容は、9月5日の夜、ガイドと篠崎耕太さんと地元のレストランへ行き、その後、篠崎耕太さんとガイドがサイクル・リキシャで出て行った。その後、篠崎耕太さんは見ていないというものでした。
ホテル従業員の証言内容は、篠崎耕太さんのバッグからお金を盗み、その後、筆跡を真似てチェックアウトカードに篠崎耕太さんの名前をサインしたというものでした。
運転手の証言を受けて、地元警察はガイドの自宅へと向かいますが、ガイドは自殺をほのめかすメモを残して失踪していました。
2009年2月、ガイドの身柄が拘束され、同年7月にナルコティック・テストが実施されましたが、その証言内容は、9月5日は篠崎耕太さんをホテルに送った後、運転手と酒を飲んで眠ったというもので、運転手の証言にあった篠崎耕太さんとレストランへ行ったという内容は一切ありませんでした。
慶応大学生失踪事件の現在…篠崎耕太さんは今も行方不明のまま
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ここまで見てきたように、篠崎耕太さんの失踪には旅行代理店のガイドや運転手が関与している可能性が高いと見られており、篠崎耕太さんの関係者や現地警察もその線を疑っていたようですが、確証は出ずに事件解決にはつながりませんでした。
現在も篠崎耕太さんは発見されておらず、「慶応大学生失踪事件」は未解決のままとなっています。
篠崎耕太さんは存命であれば、2022年1月の現在は36歳前後になっているはずですが、行方不明後になってからの消息は一切わかっておらず、噂レベルの目撃情報も含めて一切なんの手がかりも見つかっていないようです。
まとめ
今回は、2006年9月に旅行先のインドで慶應大学2年生だった当時21歳の篠崎耕太さんが行方不明になった「慶応大学生失踪事件」についてまとめてみました。
篠崎耕太さんは、同年9月3日にインドに入国した後、現地の旅行代理店とツアー契約を結び、運転手やガイドと行動を共にしていた事がわかっていますが、9月5日に滞在先のホテルを外出したまま行方不明になりました。
ホテルのフロントから、篠崎耕太さんがその日の夜に運転手とガイドを含むインド人4人と外出したとの証言が出ており、運転手とガイドが失踪に関わった疑いが持たれていますが、確証は得られずに事件解決にはつながりませんでした。
現在も篠崎耕太さんは見つかっておらず、慶応大学生失踪事件は未解決のままです。