ゴーストタウンになる理由には、産業の衰退、集団移住、自然災害(火山や地震、砂漠化)、環境汚染や人為汚染(ダイオキシンやアスベスト)、住宅バブルの崩壊などがあり、世界にはたくさんのゴーストタウンが存在します。
世界のゴーストタウンの中には、危険なものもあります。世界のゴーストタウンを危険度ランキングを28位から1位までまとめました。
この記事の目次
世界のゴーストタウン危険度ランキング:28位~26位
第28位 ボディ(アメリカ)
出典:youtube.com
ボディ
場所:アメリカのカリフォルニア州のボディ
理由:ゴールドラッシュの失速と火災
アメリカのカリフォルニア州東部にあるボディは、19世紀後半からゴールドラッシュで栄えた街です。
しかし金が掘り尽くされた20世紀初頭にはボディは衰退を始め、1932年には街の中心部で大規模火災が発生したこときっかけに、住民が離れていき、20世紀後半にはゴーストタウンとなりました。
1961年にボディは国の史跡に指定、1962年には州立歴史公園に指定され、観光客としてゴーストタウンを見学することができます。
第27位 バンガル(インド)
出典:sworld.co.uk
バンガル
場所:インドのラジャスターン州
理由:不明(自然災害?)
インドのバーンガルは1573年にマハラジャからの命令で作られた都市です。命じられた導師は、次の2つの条件を出しました。
・都市の王宮の影が導師の家にかからないようにすること
この条件を守って作られたバーンガルは住民10,000人を超える大きな都市となり、住民はマハラジャから華美な装飾品を身に着けるように命じられていて、「羽振りの良い派手な都市」というい名声を得ましたが、住民は浪費して自堕落な生活をするようになっていったのです。
マハラジャは次の代になり、導師の条件は忘れ去られ、王宮は建て増しされたことで、導師の家に王宮の影がかかるようになります。
すると、バーンガルにはたくさんの厄災が降りかかるようになります。そして、そこの住民はいなくなりました。
現在でも当時の建物は残されていて、バーンガルはゴーストタウンになっていますが、なぜゴーストタウンになったのかは解明されていません。建物は残っていることから、侵略戦争ではなく、自然災害によるものと見られています。
また、このバーンガルはインドの中でも有数の心霊スポットとしても有名です。
第26位 オルドス市の康巴什新区(中国)
オルドス市の康巴什新区
場所:中国の内モンゴル自治区のオルドス市
理由:住宅バブルの崩壊
中国の内モンゴル自治区の西南部に位置するオルドス市の康巴什新区は世界最大のゴーストタウンとして知られています。
中国は経済成長で土地バブル・住宅バブルが起こり、オルドス市の康巴什新区には100万人が住める住居・マンションが建築され、さらに超高層ビルや美術館、スタジアムなどの公共物も作られました。
このマンションは不動産投資家らがこぞって投資しましたが、オルドス市の石炭価格が供給過剰で急落し、同時にオルドス市の不動産バブルがはじけました。
マンションは未完成のまま放置されて、ゴーストタウンとなりました。この未完成のゴーストタウンは鬼城と呼ばれ、オルドス市だけでなく、中国各地に存在します。
現在は、未完成で内装がなく、電気やインターネットもない鬼城に住まざるを得ない人もいるようで問題になっています。
世界のゴーストタウン危険度ランキング:25位~21位
第25位 コンソノ(イタリア)
コンソノ
場所:イタリア北部のレッコ県オルジナーテ市
理由:地滑りで孤立
1960年代から70年代にかけて起業家のマリオバーニョ氏がイタリアのラスベガスを作るべく、古い村の住民をみんな退去させて、高級ホテルやナイトクラブ、動物園、観光列車などが立ち並ぶ観光地を作りました。
しかし、1976年と1977年にに最寄りの町からコンソノに向かう道で地滑りが起こり、コンソノは孤立してしまい、衰退していき、現在はゴーストタウンになっています。
第24位 ヘルクラネウム(イタリア)
ヘルクラネウム
場所イタリアのカンパーニャ州エルコラーノ
理由:火山の噴火
ヘルクラネウムは古代ローマの町でしたが、西暦79年8月24日に始まったヴェスヴィオ火山の噴火で、高温の火砕物で埋まりました。
建物は大きく損傷せずに良好な状態で噴出物の中に埋まっていて、1981年には遺跡からは150体もの人骨が見つかっています。
噴火当時のヘルクラネウムは有名なポンペイよりも規模は小さいものの、豊かな人たちが住んでいました。
第23位 ライオライト(アメリカ)
ライオライト
場所:アメリカのネバダ州
理由:鉱山の閉山
ライオライトはアメリカのラスベガスの北西約190kmに位置し、デスバレー国立公園のすぐ近くに位置するゴールドラッシュで栄えた街です。
ゴールドラッシュ時代の1904年に作られ、最盛期は人口は1万人を超えていましたが、アメリカの金融恐慌をきっかけに急激に衰退し、1991年に鉱山が閉鎖されて、1920年には人口はほぼゼロになり、ゴーストタウンとなりました。
第22位 チャコ・キャニオン(アメリカ)
チャコ・キャニオン
場所:アメリカのニューメキシコ州
理由:気候の変化
このチャコ・キャニオンには西暦800~1150年頃にはプエブロ・インディアン(先住民)が住んでいましたが、1130年から50年間に及ぶ旱魃などの気候の変化があり、ここに住んでいた先住民はほかの場所に移住してしまい、彼らの家・集落はそのまま残され、ゴーストタウンと化しています。
1907年にはチャコ・キャニオンを国定記念物に指定され、1966年に国立登録史跡に指定されています。また、1987年にはユネスコの世界文化遺産に指定され、現在は観光地の1つとなっています。
第21位 シンゲッティ(モーリタニア)
出典:bbc.com
シンゲッティ
場所:モーリタニアのアドラル州
理由:交易路の変更など
モーリタニアの首都ヌアクショットから北西に450kmの場所にあるシンゲッティは、13世紀にイスラム文化の中心地として栄えた交易拠点です。中心にはモスクと図書館がある栄えた街でしたが、次のような理由で衰退し、ゴーストタウンとなります。
・交易路が変更された
・ベルベル人の支配が続いた
・砂漠化が進んだ
1996年に「ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスール」として世界遺産に登録されました。
世界のゴーストタウン危険度ランキング:20位~16位
第20位 セントエルモ(アメリカ)
セントエルモ
場所:アメリカのコロラド州
理由:鉱山の閉山
アメリカのセントエルモは、ゴールドラッシュの時代の1880年に作られた街です。
最盛期には2,000人が住み、学校や雑貨屋、市庁舎、ダンスホールなどが作られましたが、鉱山は1920年に閉鎖され、住民たちはほかの場所に移住してい、1950年には全住民が退去し、ゴーストタウンになっています。
ゴーストタウンとして保存状態がよく、現在は観光地となっています。
第19位 コールマンスコップ(ナミビア)
出典:pinterest.jp
コールマンスコップ
場所:ナミビア
理由:ダイヤモンドの価格急落
コールマンスコップは1908年にダイヤモンドが発見されて以降に発展した町です。
労働者たちが集まって町が形成されていきましたが、第二次世界大戦以降はダイヤモンドの価格が急落し、街は衰退してゴーストタウンとなりました。砂漠に侵食されていき、現在は廃墟となった家の中には砂漠の砂が侵食してきています。
第18位 グラン・バッサム(コートジボワール)
出典:si-p.net
グラン・バッサム
場所:コートジボワールの南コモエ州
理由:黄熱病の大流行
グラン・バッサムは1885年にフランスの領有地となり、1893年にコートジボワールの首都と定められました。フランスの植民地開発の拠点として栄えましたが、1899年に黄熱病が大流行し、人口の4分の3が犠牲になるという悲惨な状態になりました。
これを受け、首都はバンジェルビルに移され、廃墟となりましたが、2012年に世界遺産に登録されています。
第17位 ハンバーストーンとサンタ・ラウラ(チリ)
出典:twitter.com
ハンバーストーンとサンタ・ラウラ
場所:チリ北部のタラパカ地方
理由:鉱山の閉山
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、1872年にグイジェルモ・ヴェンデル硝酸塩抽出会社がサンタラウラに硝石工場群を建設します。また、同年にジェームズ・トマス・ハンバーストーンがラ・パルマに工場群を立てました。
どちらの工場群も発展し、近隣はイギリス式のしゃれた建物が建ち並ぶ街に発展しています。しかし、20世紀に入り、合成硝酸が登場すると、2つの工場群は衰退していき、1950年代には鉱山が閉鎖して、ゴーストタウンとなっています。
この工場群はチリ・ボリビア・ペルーなどから労働者が集まっていたこともあり、多様な言語、創造性、結束力、とりわけ社会的正義のために努力するというパンピノ文化といわれる独自の文化が生まれました。
1970年には国定史跡となり、2005年にはユネスコの世界遺産に登録され、観光地になっています。
第16位 ベルチテ(スペイン)
ベルチテ
場所:スペインのアラゴン州サラゴサ県ムニシピオ
理由:戦争・内戦
スペインのベルチテはスペインの独立戦争・スペイン内戦で激しい戦闘の地となり、内戦が終わった1939年以降にはゴーストタウンとなりました。1964年までは廃墟となった建物に住民が住んでいましたが、その住人も新市街地に引っ越しています。
現在は人気の廃墟観光ツアーの目的地となっています。
世界のゴーストタウン危険度ランキング:15位~11位
第15位 ピラミーデン(ノルウェー)
ピラミーデン
場所:ノルウェー領のスヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島
理由:鉱山の閉山
ピラミーデンはノルウェー領のスヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島にある鉱山町です。北極圏にあり、最北のゴーストタウンかもしれません。
このピラミーデンは1910年にスウェーデンによって町が作られ、石炭採掘が行われていましたが、1927年にはソ連に売却されました。最盛期には1000人以上が住んでいましたtが、1998年に鉱山は廃止となり、ゴーストタウンとなりました。
2007年からはホテルが再オープンしていますので、ピラミーデンに宿泊することが可能です。
第14位 カディクチャン(ロシア)
出典:vk.com
カディクチャン
場所:ロシア極東部のマガダン州ススマンスキー地区
理由:鉱山の閉山
カディクチャンは石炭発掘を目的として第二次世界大戦中に作られた鉱山とその施設です。鉱山は地下400mまで掘られ、人口は最盛期には10,000人を超えましたが、ソ連崩壊後は不採算となり、1992年には鉱山の1つが閉山、1996年にはもう1つの鉱山が爆発事故を起こしたことをきっかけに閉山となっています。
その後、ロシア政府によってこのカディクチャンの住民たちはほかの場所に移住することになり、2010年には完全にゴーストタウンとなりました。
第13位 カヤキョイ(トルコ)
出典:expedia.com
カヤキョイ
場所:トルコ南西部
理由:希土戦争
カヤキョイはギリシャ正教徒が住む村でした。地震や自然災害で被害を受けることはありましたが、住民は長年にわたり、そこで生活していました。
しかし、1919年~1922年の希土戦争が起こり、終戦後はギリシャ領のイスラム教徒はトルコに移住、トルコ領のギリシャ正教徒はギリシャに移住という住民交換協定が政府間で結ばれ、1923年にカヤキョイの住民たちはギリシャに移住することになりました。
その後、このカヤキョイには誰も住むことがなくなったため、ゴーストタウンとなっています。
第12位 ヴァロシャ(キプロス)
ヴァロシャ
場所:キプロスのファマグスタ南部
理由:トルコのキプロス侵攻
キプロスのヴァローシャは1974年まではリゾート観光地でしたが、1974年にトルコのキプロス侵攻によって、人口39,000人の住民たちはほかの地域に避難・移住しました。
その後、トルコ軍はヴァローシャ全域を掌握し、金網で囲ってトルコ軍と国連関係者以外は立ち入り禁止にしました。その状態が現在でも続いているため、ヴァローシャの住民たちは、侵攻が終わったら帰ろうと思っていましたが、金網で囲われ立ち入り禁止になっているため、現在でもゴーストタウンのままになっています。
第11位 ネフチェゴルスク(ロシア)
出典:gazeta.ru
ネフチェゴルスク
場所ロシアのサハリン州
理由:大地震
サハリン島の北西部に位置するネフチェゴルスクは石油生産の町でした。
しかし、1995年5月28日にマグニチュード7.6のネフチェゴルスク地震が起こり、アパートが倒壊して、全人口3500名のうち2000名以上が犠牲となりました。その後、街は再建されることなく、ゴーストタウンのままで、慰霊碑が建立されました。
世界のゴーストタウン危険度ランキング:10位~6位
第10位 アルメロ(コロンビア)
アルメロ
場所:コロンビアのトリマ県
理由:火山の噴火
コロンビアのアルメロは、1895年に町の建設が始まり、綿花栽培の町として栄えていました。
しかし、1985年11月13日にネバドデルルイス火山の噴火とそれに伴うラハールの直撃があり、人口31,000人のうち23,000人が死亡するという大打撃を受け、街の建物等も大きな損害を受けました。
生き残った住民は隣町に移住することになり、病院や公園、劇場など残っている町の施設は記念館として改修されているものの、アルメロは町として再建されることはなく、ゴーストタウンになっています。
第9位 アグダム(アゼルバイジャン)
出典:atalayar.com
アグダム
場所:アゼルバイジャンのアグダム県
理由:戦争
アグダムは1989年には28,000名が住む町でしたが、アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州を争うナゴルノ・カラバフ戦争(1988年~1994年)での激戦地となり、1993年にはアグダムに住むアゼルバイジャン系住民は全員町を脱出しています。
その後、アルメニア人による破壊と略奪が行われ、ゴーストタウンとなりました。
このナゴルノ・カラバフ戦争によってアルツァフ共和国の実効支配区域でしたが、2020年11月20日にアゼルバイジャン領に復帰しています。
第8位 クネイトラ(シリア)
クネイトラ
場所:シリアのクネイトラ県
理由:イスラエル軍の占領・破壊
クネイトラはシリア領ですが、イスラエルとレバノンの国境近くに位置している街です。1967年の第三次中東戦争でクネイトラはイスラエル軍に占領され、第四次中東戦争では、シリア軍が一時奪回するものの、再びイスラエル軍が占領しています。
1974年にはイスラエル軍は撤退しましたが、その時にはすでに街並みは破壊されていました。
現在もクネイトラはゴーストタウンのままであり、国際連合兵力引き離し監視軍の管轄でシリアあとイスラエルの兵力引き離し地帯となっています。
第7位 オラドゥール=シュル=グラヌ(フランス)
出典:booking.com
オラドゥール=シュル=グラヌ
場所:フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県
理由:ナチスによる虐殺
オラドゥール・シュル・グラヌはフランスの中部にある村です。第二次世界大戦中の1944年6月、連合国軍はノルマンディー上陸作戦が進行中で、フランスのレジスタンスはドイツ軍の妨害工作を行っていました。
そんな中、オラドゥール村の住民はみんなレジスタンス組織に関わっているとドイツ軍に密告が入りました。
その密告を受けたドイツ軍はオラドゥールを包囲し、男性は納屋に連行、女性と子供は協会に連行します。そして、男性は機関銃絵撃った後に納屋に火をつけて虐殺。女性と子供も放火+機関銃で虐殺(一説には毒ガス)し、住民の大部分となる男性197名、女性240名、子供205名が死亡しました。
戦後にシャルル・ド・ゴールはオラドゥールを再建せずに、ナチスの残忍さを後世に伝えるために、そのまま遺構として残すことを決め、現在でもゴーストタウンとして残されています。
第6位 タインハム(イギリス)
出典:wdlh.co.uk
タインハム
場所:イギリスのドーセット
理由:軍事訓練
イギリスのドーセットにあるタインハムは1943年まではのんびりとした田舎の村でした。しかし、第二次世界大戦中の1943年に戦争事務所に、タインハムを訓練のための射撃場として使用することが宣言され、住民225名は強制的に避難することを余儀なくされました。
第二次世界大戦後にはまた住民が住める状態になると思われていましたが、1948年にイギリス陸軍がタインハムを強制的に購入し、軍事訓練に使われ、不発弾が埋まっているとのことです。また、現在は野生動物の宝庫となっています。
世界のゴーストタウン危険度ランキング:5位~1位
第5位 ピッチャー(アメリカ)
ピッチャー
場所:アメリカのオクラホマ州
理由:鉛汚染と地面崩落のリスク
アメリカのオクラホマ州にあるピッチャーという街は1914年に鉛と亜鉛の鉱山が発見され、鉱物資源の拠点として発展してきました。鉱山は1970年代に閉鎖されましたが、その後も住民は住み続けていました。
しかし、1990年代半ばに子供たちの血液中から認知機能に障害を及ぼすほどの高濃度の鉛が検出され、大問題となりました。実際に、街の教育委員会は学習困難な児童の割合が多いという報告をしています。
このような結果が出ても、一部住民はこのピッチャーに住み続けましたが、2006年に採掘が原因で地面が崩落する可能性があるという調査報告が出されて、ようやく集団移転が進みました。
現在は鉛の高濃度汚染と地面の崩落の可能性があるために、ゴーストタウンとなったままです。
第4位 ウィトヌーム(オーストラリア)
出典:karapaia.com
ウィトヌーム
場所:オーストラリアの西オーストラリア州
理由:アスベストの健康被害
オーストラリアのウィトヌームは1938年からアスベストの採掘が始まり、第二次世界大戦中に戦車や戦艦、ヘルメットなどでアスベストの需要が高まると、ウィトヌームは一気に栄えるようになります。しかし、採算性の低下などを理由に1966年には閉山となりました。
1970年代になると、ウィトヌームの労働者や居住者たちがアスベストの健康被害で亡くなっていることが判明し、安全に住み続けるためには除染が必要だったため、政府は街を放棄することを決定します。大部分の住民はその地を離れましたが、電気などは通っていたため、2000年ごろまでは住み続けた住民もいました。
しかし、2006年に送電網を撤去したことで、全員がほかの場所に移住し、ウィトヌームは完全なゴーストタウンとなりました。
第3位 タイムズビーチ(アメリカ)
タイムズビーチ
場所:アメリカのミズーリ州タイムズビーチ
理由:ダイオキシンの汚染
ミズーリ州のタイムズビーチには、1960年代にモンサント(アメリカのバイオ化学メーカー)がベトナム戦争で使われる枯葉剤を製造する工場があり、枯葉剤には不純物としてダイオキシンが含まれていました。製造過程でタンク内にダイオキシンが溜まり、1971年にはダイオキシンによる異常現象・健康被害が出ています。
さらに、1982年にはタイムズビーチで大きな洪水が起こり、町全体にダイオキシンの汚染が広がり、住民は大パニックになります。
1983年には政府がタイムズビーチ全体を30万ドルで買い上げ、住民たちはほかの土地に完全移住することになり、タイムズビーチは人が住めない場所になっています。
第2位 セントラリア(アメリカ)
出典:gigazine.net
セントラリア
場所:アメリカのペンシルバニア州
理由:炭鉱の坑内火災
セントラリアは19世紀後半から炭鉱の町として栄えていて、最盛期には2761名が住んでいました。1962年5月に、坑内火災が発生します。集積所のゴミを焼却した時に、地下の鉱脈に火が燃え移ったためと言われています。
坑内は石炭がたっぷりありますので、消火するのは難しく、地中での火災は広がっていき、地表の温度は70~80度に達し、地下水は水蒸気となって煙や有毒ガスと一緒に噴出しました。地下水が水蒸気になったことで、地盤沈下が起こり、さらに一酸化炭素や二酸化炭素の濃度が上がったことから、住民は強制移住を余儀なくされ、セントラリアはゴーストタウンとなっています。
この坑内火災の消火活動は技術的な課題が多く、さらに多大な費用がかかるため、アメリカ政府は自然鎮火させることを選んでいます。しかし、自然鎮火は数百年、もしくは数千年かかると見られていて、鎮火のめどは全く立っていません。
第1位 プリピャチ(ウクライナ)
出典:cnn.co.jp
プリピャチ
場所:ウクライナのキエフ州
理由:原子力発電所の事故
プリピャチはウクライナ北部にある都市です。この都市にはあのチェルノブイリ原子力発電所があります。事故の直前には人口は49,360名(13414世帯)が住んでいましたが、1986年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所で臨界事故が発生しました。
事故から36時間後の4月27日の正午に住民に身分証明書と3日分の食糧、貴重品を持って集まるように指示され、バスや鉄道、船でプリピャチから非難することになりました。
数ヶ月後に完全移住のための一時帰宅が許されましたが、その後はプリピャチは完全にゴーストタウンとなっています。
その後、事故処理が進んだことで、プリピャチ見学ツアーが行われるようになりました。しかし、安全に生活できるようになるまでには約900年はかかると言われています。
世界のゴーストタウン危険度ランキングのまとめ
世界のゴーストタウン危険度ランキングを28位から1位までまとめました。世界のゴーストタウンの中には立ち入ることができない場所も少なくありません。
ゴーストタウンに立ち入る時には、必ず「立ち入って良いのかどうか」を調べ、危険がないかをしっかり情報収集するようにしましょう。