三重県津市にある「榊原温泉」は清少納言の時代から続く歴史ある温泉地ですが廃墟や心霊の噂でも話題です。
この記事では榊原温泉の場所や全盛期から衰退に至るまでの長い歴史、白雲荘などの全国有数の廃墟スポットの数々と心霊の噂、再生の道を歩む現在などについてまとめました。
この記事の目次
榊原温泉は三重県津市の歴史ある温泉地で「白雲荘」などの廃墟も話題

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「榊原温泉」(さかきばらおんせん)とは、三重県津市榊原町の山間に、ひっそりと、しかし確かな存在感を放つ歴史の深い温泉地です。
榊原温泉は、平安時代の歌人で作家である清少納言がその名を讃え、伊勢神宮への参拝者が身を清めた神聖なる温泉地でしたが、時代の荒波の中で栄光と衰退を経験し、現在は新たな再生の物語を紡ぎ始めています。
この記事では、榊原温泉の詳しい場所、全盛期から衰退に至る長い歴史、「白雲荘」などの有名廃墟スポット、心霊の噂、再生を目指す現在などについて詳しくまとめていきます。
榊原温泉の場所とアクセス方法【周辺地図付】

榊原温泉の場所は三重県津市の西部に位置し、布引(ぬのびき)山脈の麓、榊原川の清流に沿って温泉が湧き出る地域です。
周囲はのどかな里山風景に包まれ、静かで落ち着いた時間が流れている風情のある場所です。
この場所の最大の特徴は、アルカリ性単純温泉という泉質にあります。pH9.6という高いアルカリ性を誇り、入浴すると肌がぬるぬるとした感触に包まれることから、古くから「美肌の湯」として知られてきました。
この独特の湯ざわりは、温泉成分に含まれる重曹成分が古い角質を取り除きやすくし、ナトリウムイオンが皮脂との間に石鹸のような膜を作るためではないかと言われています。
科学的な解明は待たれるものの、その美肌効果は多くの湯治客を魅了し続けてきました。効能としては、慢性関節リウマチ、皮膚病、糖尿病、神経痛、疲労回復などが挙げられます。
榊原温泉へのアクセス方法
アクセスは、公共交通機関を利用する場合、近畿日本鉄道大阪線の榊原温泉口駅が最寄りとなりますが、温泉街の場所までは約5kmほどの距離があり、バスやタクシー、または旅館の送迎を利用するのが一般的です。
自動車の場合は、伊勢自動車道の久居ICから国道165号線を経由して約20分ほどで到着します。
榊原温泉の場所周辺の地図
榊原温泉の場所周辺の地図です。
榊原温泉の歴史① 平安から昭和初期にかけて
榊原温泉は平安時代から記録に残る歴史の深い温泉地です。
榊原温泉の歴史① 清少納言の随筆「枕草子」に記されている

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榊原温泉の歴史は、遥か古代にまで遡ります。その名は、平安時代中期に清少納言によって著された随筆『枕草子』の中に、「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記されていることで不滅のものとなりました。
当時、榊原温泉は「七栗の湯(ななくりのゆ)」と呼ばれており、有馬(兵庫県)、玉造(島根県)と並び、日本三名泉の1つとして都の貴族たちにも知られる存在だったのです。
榊原温泉の歴史② 伊勢神宮との深き縁「湯ごり」の地
榊原温泉の歴史を語る上で欠かせないのが、伊勢神宮との深い関係です。
奈良時代から、都から伊勢神宮へ向かう人々、とりわけ天皇の皇女である斎王たちは、神宮へ参拝する前にこの地で「湯ごり」を行い、心身を清めるのが正式な作法とされていました。
伊勢の国の入り口に位置する榊原は、聖なる地へ赴く前の重要な通過儀礼の場所だったのです。この風習から、地元では「宮の湯」とも呼ばれ親しまれてきました。
地名の由来もまた、伊勢神宮と深く関わっています。この地に自生していた榊(さかき)を伊勢神宮に献上していたことから「榊が原」と呼ばれるようになり、それが転じて「榊原」となったと伝えられているのです。
榊原温泉の歴史③ 戦国時代後期から江戸時代に湯治場としての発展
時代は下り、戦国時代後期から江戸時代に入ると、庶民の間で湯治がブームとなりました。榊原温泉もその流れに乗り、大きな発展を遂げる事になりました。天正16年(1588年)には、温泉の神を祀る射山神社を中心とした大規模な湯治場が形成されます。
当時の図面には100もの客室が描かれており、お伊勢参りの道中の人々などで大変な賑わいを見せていたと伝わります。
明治時代に入ってもその人気は続きましたが、交通の便の悪さがネックとなり、他の温泉地ほどの爆発的な発展には至りませんでした。
しかし、大正時代から昭和初期にかけて、地元出身の実業家・田中善助翁の尽力により、最寄り駅からの道路改修やバスの運行、新たな源泉の掘削などが行われ、近代的な温泉地としての礎が築かれました。
榊原温泉の歴史② 全盛期…昭和の賑わいと「白雲荘」の輝き

榊原温泉が最も華やかな全盛期を迎えたのは、昭和の高度経済成長期からバブル期にかけてでした。日本全国の温泉地がそうであったように、榊原温泉も社員旅行や団体旅行の客で溢れかえりました。
週末ともなれば、大型バスが何台も連なり、温泉街は浴衣姿の人々で賑わい、宴会場からは陽気な歌声が響き渡っていたそうです。
そしてこの全盛期の榊原温泉を象徴する存在が、高台にそびえ建っていた1軒の旅館、「白雲荘」だったのです。
名旅館「白雲荘」の全盛期

白雲荘は、約70年の歴史を誇る榊原温泉でも屈指の名門旅館でした。その名は、昭和天皇が2度にわたって宿泊されたという事実によって、ひときわ大きな輝きを放っていました。
昭和50年(1975年)の三重国体の際には、昭和天皇・皇后両陛下が宿泊され、その行幸啓を記念した石碑も建てられました。
豪華な宴会場、スカイレストラン、ラウンジ、バー、そして12mプールまで備えたその威容は、まさに昭和の温泉旅館の理想形でした。
プールやサウナを備えた多目的温泉施設「スパハウス七栗」も併設し、日帰り客も楽しめるリゾート施設として人気を博し、テレビCMも放映され、多くの人々にとって「榊原温泉といえば白雲荘」というイメージが定着していた時代だったのです。
この頃の温泉街には土産物店やスナックが軒を連ね、夜遅くまでネオンが煌めいていました。活気に満ち溢れたこの時代は、榊原温泉にとって紛れもない「全盛期」でした。
榊原温泉の歴史③ 衰退とその要因
永遠に続くかと思われた榊原温泉の賑わいは、時代の大きなうねりとともに静かに衰退していく事になります。
バブル経済の崩壊は、日本中の観光地に深刻な打撃を与えました。企業の経費削減の煽りを受け、かつて温泉街を潤した社員旅行などの団体客が激減。さらに、旅行のスタイルが団体から個人・家族へとシフトしていく中で、榊原温泉は時代の変化への対応に遅れをとってしまった事も衰退の要因となりました。
榊原温泉衰退の要因
榊原温泉の衰退には、いくつかの要因が複合的に絡み合っています。
1つ目の衰退要因は、「旅行形態の変化への未対応」です。大型旅館や宴会場を中心とした施設構成は、個人客の多様なニーズに応えきれませんでした。
2つ目の衰退要因は、「交通アクセスの問題」です。榊原温泉のある場所は、最寄り駅から離れており、車社会の進展とは裏腹に、公共交通機関でのアクセスは依然として不便なままでした。
3つ目の衰退要因として、「温泉街の魅力不足」が挙げられます。榊原温泉では、温泉そのものの質の高さとは対照的に、「温泉街を散策する」、「ご当地グルメを食べ歩く」といった、温泉以外の付加価値的な魅力に乏しかったのです。
コンビニエンスストアすらない静かな環境は、一部の湯治客には好まれましたが、多くの観光客を引きつけるには至らなかったのです。
そして、4つ目の衰退要因として「施設の老朽化と後継者不足」という問題がありました。多くの旅館が施設の老朽化に直面し、改修のための投資が困難な状況に陥ったのです。後継者不足も深刻な問題となり、廃業を決断する旅館が相次ぎました。
2000年代に入ると、かつての賑わいが嘘のように温泉街は静けさに包まれていきました。色褪せた看板、閉ざされたシャッター、廃墟化した建物が目立つようになり、榊原温泉は長い冬の時代へと入っていきます。
1980年代のバブル期には20軒近くあった宿泊施設も、現在では7施設にまで減少しています。
榊原温泉の廃墟と「白雲荘」

榊原温泉街の衰退を最も象徴していたのが、数々の廃墟の存在です。
中でも、かつての栄華を今に伝えるかのように、その巨大な躯体を晒していたのが、あの「白雲荘」でした。
2018年頃に閉業したとされる白雲荘は、その後、管理されることもなく、急速に朽ちて廃墟化。
窓ガラスは割れ、壁には落書きが目立ち、敷地内には廃車が放置されるなど、荒廃した姿は見る者に時代の無常を感じさせました。かつて昭和天皇がご覧になったであろう風景は、見る影もなくなっていたのです。
白雲荘だけでなく、「紫峰閣」(しほうかく)や「河鹿荘」(かじかそう)、といった他の旅館も廃業し、その建物は風雨に晒されて廃墟化し、温泉街の衰退を象徴するような存在となっていました。
これらの廃墟群は、昭和という時代の光と、その後の平成の長い停滞を物語る、生きた証人でもあり、ノスタルジーを感じさせる廃墟スポットとして愛好家の間でよく話題にされていました。
しかし、その象徴であった廃墟スポットとしての白雲荘は、2023年から2024年にかけて大きな転機を迎えました。アスベストの撤去作業が始まり、ついにその巨大な建物は解体されたのです。
現在は跡地は更地となり、榊原温泉の歴史の一頁を飾った名旅館は、人々の記憶の中にのみ生き続けることとなりました。
廃墟検索地図によると榊原温泉「白雲荘」が解体中(もしくは改装中?)のようである。廃墟化してまだ5年くらいの若い廃墟でした。解体にしろ改装にしろもう白雲荘の廃墟探索はできないのである。残念。(写真は解体工事前のものです) #廃墟 pic.twitter.com/jvvJj5M1Pp
— むつみ解体工業 (@MutsumiDemolish) October 29, 2023
榊原温泉の白雲荘以外の廃墟
白雲荘の廃墟スポットとしてのインパクトは絶大でしたが、榊原温泉には他にも有名な廃墟が存在します。
榊原温泉の廃墟・河鹿荘(かじかそう)

「河鹿荘」は、榊原川沿いに建つ鉄筋5階建ての温泉旅館です。1987年頃には「天上人の御遊蕩」というキャッチコピーでテレビCMも放映されていました。2009年頃から2012年頃までに閉業したとされ、その後、有名な廃墟スポットとして知られるようになりました。
一見すると綺麗なのに、廃墟。
榊原温泉の河鹿荘。ネットでこの旅館を調べると、サイトによっては未だにページが残っている。情報がないので分からないが、恐らくここ半年か1年くらいに廃墟になったのではないか?
入り口の窓ガラスは破られており、金属泥棒や配線泥棒に荒らされたと思われる。 pic.twitter.com/8jrcD8T9vz— 村中 (@ayatakaa_chan) January 5, 2022
榊原温泉の廃墟・紫峰閣(しほうかく)
「紫峰閣」も榊原川沿いにあった国民宿舎で1970年代前半頃に開業した人気旅館でした。少なくとも2009年頃まで営業していたとされています。
かつては三重テレビのCMで流れていた、榊原温泉の国民宿舎紫峰閣。
今では見るも無惨な廃墟となっていた…。榊原川に面して細長く、かなり大きな施設だったことが分かる。心痛い。 pic.twitter.com/J3WNPI8Tw4— 村中 (@ayatakaa_chan) January 5, 2022
これらの廃墟群が川沿いに並ぶ光景は、営業中の旅館と静かに朽ちていく建物が混在する、榊原温泉の複雑な状況をよく象徴しています。
榊原温泉の廃墟にまつわる心霊の噂
廃墟は、しばしば心霊の噂と結びつけられます。榊原温泉、特に廃墟と化した白雲荘も例外ではありませんでした。
静寂に包まれつつも圧倒的な存在感を放つ巨大な建物、割れた窓ガラスの向こうの暗闇は、人々の想像力を掻き立て、いつしか「心霊スポット」として語られるようになりました。
また、ホテルの隣にある社員寮の一室には、遺影が放置されたままの部屋がある事も話題になり、心霊の噂に拍車をかけました。
インターネット上では、廃墟内部を探索中に「調理場からうめき声が聞こえる」、「社員寮から人の気配がする」といった具体的な噂が囁かれ、心霊系のYouTuberの中には肝試しと称して無断で敷地内に侵入する者も現れ、面白半分に恐怖を煽るような情報が拡散されました。
しかし、これらの心霊現象に具体的な根拠や、しばしば心霊現象に関連づけられる事件・事故があったという公的な記録は存在しません。
廃墟が持つ独特の雰囲気と、静まり返った温泉街の状況が、そうした心霊の噂を生み出す土壌となったと考えられます。
地域住民にとっては、こうした心霊スポットとしての不名誉な評判によって宿泊客以外の人間が集まってくる事は悩みの種であったようです。何より、廃墟への不法侵入は犯罪であり、老朽化した建物の崩落などの危険も伴います。
貴重な廃墟スポットとしての「白雲荘」を守るためには、心霊というフィルターを通して見るのではなく、温泉地が辿った歴史の遺産として静かにその記憶に敬意を払うべきでした。
榊原温泉の現在

全盛期から衰退を経て、廃墟や心霊のイメージも付きまとった榊原温泉ですが、現在はこの歴史ある温泉地を蘇らせるべく新たな歩み始めています。
榊原温泉の現在① 伝統を守り続ける老舗旅館
榊原温泉には、衰退の波に洗われながらも、その歴史のある「湯」の魅力を守り続けてきた旅館が多くあります。代表的なのが「湯元 榊原舘」と「旅館 清少納言」です。
「湯元 榊原舘」は、敷地内に自前の源泉を持つ、榊原温泉を代表する名旅館です。約100年の歴史を誇り、湧き出したばかりの新鮮な源泉をかけ流しで楽しめる「まろみの湯」は、温泉ファンを唸らせます。ぬるめの源泉と加温した温泉に交互に入る入浴法も推奨しており、湯治場としての伝統を現在に伝えている。
そして、「旅館 清少納言」は、その名の通り、枕草子ゆかりの歴史を大切にする宿です。湯の瀬川のせせらぎを聞きながら、静かな環境で名湯を堪能できます。地元の旬の食材を活かした料理も評判で、心温まるもてなしがリピーターを呼んでいます。
これらの旅館は、榊原温泉の伝統と格式を現在に伝え、その魅力を発信する重要な拠点となっています。
榊原温泉の現在② 新たな風を呼び込む「ラムちゃんパーク」

そして、現在の榊原温泉を語る上で最も象徴的なのが、2022年8月にリニューアルオープンした「榊原温泉 湯の瀬 ラムちゃんパーク」の存在です。
ここは、従来の日帰り温泉施設を大幅に刷新し、多様なニーズに応える複合施設として生まれ変わった温泉宿です。
その最大の特徴は、福祉と観光の融合にあります。介護ベッドを備えた客室や、有資格者による身体介助サービスを提供し、高齢者や障がいを持つ人でも安心して温泉旅行を楽しめる「福祉型滞在施設」を併設。これは三重県内初の試みであり、ユニバーサルツーリズムの拠点として大きな注目を集めています。
また、「ラムちゃんパーク」という愛称の通り、レストランでは高タンパク・低カロリーなラム肉料理を提供。さらにはキャンプサイトやバーベキュー場も備え、若者やファミリー層をも惹きつける新たな魅力を創出しています。
この施設の誕生は、榊原温泉街に新しい人の流れを生み出し、再生への大きな起爆剤となっています。
榊原温泉の現在③ 地域一体となった活性化への取り組み
榊原温泉の再生は、個々の施設の努力だけではありません。地域が一丸となった取り組みも進められています。
温泉むすめ「榊原伊都」との連携
全国の温泉地をキャラクター化する地域活性化プロジェクト「温泉むすめ」において、榊原温泉は「榊原伊都(さかきばら いと)」というキャラクターが、グッズ販売やスタンプラリーなどを通じて、新たな客層に榊原温泉の魅力をアピールしている。
交通アクセスの改善
榊原温泉では、旅館や自治会、地元企業が連携し、温泉客の送迎と地域住民の足を兼ねたコミュニティバスの運行を計画。この地域ぐるみの取り組みは「温泉総選挙2025」で地方創生大臣賞を受賞するなど、高く評価されています。
自然や歴史を活かした観光
温泉だけでなく、周辺の自然も魅力の1つです。青山高原へと続く「榊原自然歩道」でのハイキングや、清少納言の供養塔がある圓浄寺、化石が出土する貝石山など、歴史や自然に触れるまち歩きも提案されています。
まとめ
今回は、三重県津市にある長い歴史を持つ温泉地「榊原温泉」についてまとめてみました。
榊原温泉は古くは、「七栗の湯」と呼ばれ、清少納言にも愛されました。伊勢神宮の「湯ごりの地」としてその歴史を始め、江戸時代には湯治場として、昭和には団体旅行のメッカとして全盛期を迎えました。しかし、時代の変化と共に静寂の時を迎え、「白雲荘」をはじめとする廃墟や心霊スポット化がその衰退を象徴するかに見えました。
しかし現在、榊原温泉は再生の道を歩み始めています。その類稀なる「美肌の湯」の価値は、決して色褪せることはありません。伝統を守る老舗旅館の矜持、福祉という新たな価値を掲げた施設の挑戦、そして地域住民の温泉地への愛情。それらが一体となり、榊原温泉は現在、静寂の中から再び歩み始めています。
かつての喧騒とは違う、穏やかで、多様な人々を受け入れる新しい形の賑わいが、この地に生まれつつあります。それは、歴史の重みと未来への希望が溶け合った、榊原温泉だけの新しい物語です。悠久の時を経てなお、こんこんと湧き続ける名湯のように、その魅力はこれからも人々を癒し、惹きつけていくに違いありません。

















