山の牧場とは『新耳袋』で知られる小説家の中山市朗氏の奇妙な体験をもとにした有名な実話系怪談です。この記事では伝説の怖い話・山の牧場のあらすじや場所、所有者や裏社会との関係についての噂など真相考察、現在の姿や嘘説についてまとめます。
この記事の目次
山の牧場の概要【怪談・怖い話】
『山の牧場』は有名な現代怪談の一つで、小説家の中山市朗氏の実体験を怪談にしていることから「実話系怪談」として紹介されることもあります。
おおまかなあらすじとしては、中山市朗氏が大学生時代、卒業制作の映画を撮影するために訪れた兵庫県の山中で人気がなく、放置されている広大な牧場を発見したというもの。
ただの廃牧場かと思いきや、併設されている従業員用の宿舎と思われる場所には所狭しと御札が貼られていたり、古今東西のさまざまな人形が散乱していたり、2階の廊下の突き当りにどこにも繋がっていないドア(建物の外に出られるが、ベランダや階段は設置されておらず、出たら2階から地上に落っこちる仕組み)があったりと、その牧場には奇妙な点が多く見られました。
中山市朗氏はその場所を「山の牧場」と呼び、以降もたびたび訪れるようになるのですが、行くたびにドアの場所が変わっていたり、トイレの数が変わっていたりと、まるで生き物のように短いスパンで山の牧場は変化を遂げていくのです…。
出典:https://www.kadokawa.co.jp/
この話は1999年に刊行された書籍『新耳袋』の第四夜に掲載されて以来、オカルトファンの間で注目され、「山の牧場はどこにあるのか?」「いったい、誰が何の目的で管理しているのか」等、さまざまな考察を呼びました。
また近年ではYou Tuberが次々と山の牧場を訪れて動画をアップしたことから、コアなオカルトファン以外にも認知されるようになり、現在もなお話題を集めています。
山の牧場のあらすじ【怪談・怖い話】
『新耳袋』の第四夜に掲載された、中山市朗氏の怪談『山の牧場』のあらすじは以下のとおりです。
なお、YouTubeチャンネル「オカルトエンタメ大学」でも中山氏本人が『山の牧場』を語る動画をあげています。
2時間とかなり長い動画ですが、詳細を知りたい、体験者本人の怪談を聞きたいという方は、上の動画のご視聴もおすすめします。
山の牧場のあらすじ①奇妙な牧場の発見
『山の牧場』は1982年、大阪府立大学の4年生であった私(中山市朗氏)が3人の友人とともに兵庫県の山中を訪れるところから始まります。
私たちは映像学科に在籍していて、卒業に向けて自主制作映画の撮影中だった。
あらかた撮影を終えたところ、「もう少し風景画像が欲しい」と思った私は、制作仲間の友人3人とともに山中に車を走らせた。
すると山中で細い横道を発見。横道は乗用車がギリギリ1台通れるような幅で、勾配も急だった。
なんとなく興味を惹かれて登っていくと、「あと100m」「あと30m」とペンキで描かれたドラム缶が置かれた先に、赤い屋根の建物が見えた。降りてみたところ、どうやら牛舎のようだ。
しかし牧場らしきその場所には、奇妙な点があった。
・牛舎の鉄柵はピカピカで真新しく見える。排泄物を流す溝にも藁1本さえ落ちておらず、使われた形跡がない
・牛舎の屋根は、まるで上から大きな力をくわえられたように半球形にへこんでいる
・牛舎の外、外壁から30cmほど離れた場所でトラクターがひっくり返っていた。しかし、トラクターがなにかにぶつかった形跡や、障害物などは見当たらない
・牛舎の近くには二階建ての建物があるが、一階部分は石灰の山があり、建物の中にも外にも二階に入るための階段がない
・裏の崖から建物の二階に侵入し、和室に入ったところ雛人形や市松人形、キューピー人形など十数体の人形が仰向けに並べられていた。押入れの中にも人形が仰向けに並べられていた
・和室の壁や天井には押しピンで御札がびっしり貼られており、貼りきれなかった御札が束のまま置かれていた
・倒れてきた襖に「タスケテ」とペンキで書かれている
・襖の奥の部屋は板敷きになっており、やはり人形が仰向けに並べられていた
・板敷きの部屋の壁には英語ともハングルとも違う文字がびっしりと書かれている
・分厚い医学書も落ちており、近くにあったメモ用紙の最後には幼児が描いたような人間らしきものの絵が描かれ、横に壁と同じ文字で各部の説明のようなものが書き込まれていた
・ほかにも事務所のような建物があったので入ってみると、中には170cmはある巨石が置いてあり、その周辺に酒瓶やままごと道具が置いてあった
山の牧場のあらすじ②後輩の友人一家の失踪
下山後、中山市朗氏と3人の友人は自主制作映画の編集作業に追われていたこともあり、山の牧場の話はしていなかったといいます。
しかし中山市朗氏のもとに、話を聞きつけた後輩がやってきて事態は思わぬ展開を見せます。
気味が悪くなって下山したものの、山中で見た奇妙な牧場のことが気になる。
友人に話をしたところ「細い道しか通っていない場所に、そんな建物をどうやってつくるんだ。資材も運べないだろう」と笑われ、そこであの建物にはトイレや台所など、人が暮らすために最低限必要なものさえなかったことに気がついた。
役所に務める友人に聞いても「あの山に牧場があるなんて聞いたことがない」という。
それから10日ほど経った頃、後輩のKという青年が「先輩が見つけた変な牧場に自分も行ってきました」とやってきた。噂で牧場の話を聞いたK君は友人と2人で写真を撮りに行ってきたそうだ。
K君は「牧場の前に黒いリムジンが2台停まってたんですよ。だから、誰かいるのかと思ったんですけど、人の気配はなかったですね。あれ、何だったんでしょう」と続ける。
K君は友人は山の牧場で100枚ほど写真を撮ったといい、黒いリムジンも撮影したという。気になった私は「現像できたら写真を見せてよ」と頼んだ。
それから2ヶ月が過ぎた頃、K君に「写真、できた?」と聞いてみると、K君は「彼が写真のフィルムを持っているのだが、一緒に山の牧場に行った友人と連絡が取れない」という。
探したところK君の友人は下宿を引き払って実家に帰り、さらに実家からも一家全員が姿を消していたことが判明。一家の失踪と写真のフィルムに関係があるのかは、不明のままだ。
山の牧場のあらすじ③奇妙な再開
1987年の夏、5年前に一緒に山の牧場に行った友人・F君から連絡が来る。F君は学校の先生になっており、山の牧場の近くにある分校に赴任しているという。
なんでもF君の勤務先は本校と分校合同で山の牧場付近で夏休み中に校外学習をする予定があり、下調べで牧場に行ったところ、なんと普通に人がいて「牧場として運営されている」ことを確認したそうだ。
「でも変なんだよな。お前もちょっと見に来ないか?」とF君に誘われ、私は再度、山の牧場に向かった。
すると本当に従業員らしき人が5〜6人いて「4年前から牧場経営を再開した」という。
なんでも従業員によると、この牧場は神戸の医者が道楽で開業したものの、すぐに経営困難になって潰れて放置されていたらしい。
しかし「経営を再開した」というものの、山の牧場の様子は一切変わっておらず、事務所には巨石が置かれており、その周りに事務椅子があるという奇妙な光景が広がっていた。
さらに放牧場には牛は一頭もいない。そもそも牧場なのに獣臭もしないのだ。
不思議に思った私は、従業員に「牛はどこにいるんですか?」と聞いてみた。すると、従業員は「あそこにおるで」と言って、締切にされた状態の牛舎を指差す。
真夏に、締め切った牛舎で牛を育てるのか?熱中症でしんでしまうのでは?と思ったが、それ以上は聞いてはいけないような雰囲気があったため、話題を変えることにした。
「この辺、UFOが出るっていう噂があるそうですね」笑い話のつもりで、周辺で囁かれている噂話について振ってみると「ここ、3日もおったら変なものが見れるで。この前もオレンジ色の光が、あっこからピカピカ出てきてな」と予想に反して話が弾んだ。
奇妙な印象はあったがF君の学校行事の関係者として訪れている以上、変な発言もできない。
釈然としないまま下山してしばらく経って、中学校時代の同級生Y君に山の牧場の話をしたところ「あそこ、牧場なんてやってないぞ」「山の中が空洞になっているって話もある」という。
なんでもY君の住んでいる地域の自治会は、定期的にボランティアで山の牧場がある山で美化活動をおこなっており、牧場の近くも通ることがあるが牛の鳴き声一つ聞いたことはないそうだ。
また、山のある場所で四股を踏むと地中から「ドォ〜ン」という地鳴りのような音がするため、「面白い山だ」「中は空洞になっているんじゃないのか?」と言われているらしい。
冗談めかして「あの山の中はUFOの基地になっていて、牧場はカモフラージュで建てられたのかもな」などとY君と話して盛り上がったが、「牧場はなにかのカモフラージュ」という説は妙にしっくりきて不気味だと感じた。
④サイキックテレビのロケ
山の牧場の話はメディアでも取り上げられるようになり、北野誠氏らもTV番組で牧場に行くことになりました。しかし、次第に中山市朗氏は山の牧場から闇深いものを感じるようになっていきます。
1988年、私のもとに北野誠氏から「山の牧場の話、聞いたよ。行ってみたいんだけど場所を教えてよ」と連絡があった。
場所を伝えた後、北野誠氏は友人と山の牧場に行ったといい、竹内義和氏とパーソナリティを務めるラジオ番組『誠のサイキック青年団』で「本当にあった。人形と御札の部屋もあった。でも従業員も牛もいなかったよ」と話し、これが大きな話題を呼んだ。
反響が大きかったためか『誠のサイキック青年団』は1990年11月16日にABCテレビの深夜枠で一回限りのスピンオフ『サイキックTV』の制作が決まり、山の牧場にTV局が入ることに。
TVで放送したときには牧場は経営状態であり、従業員数名と牛5頭が映された。番組内では「牧場は普通に経営されていました」という結論で終わったが、私はもちろん北野誠氏も同行した竹内義和氏も納得していない様子で、以下の点がおかしいと訴えてきた。
・あの規模の施設で牛が5頭しかいないなんて、採算がとれない
・以前はなかったトイレができていた。学校の校外学習などで使うから新設したのかもしれないが、牛舎のなかに小便器が30個も並んだ奇妙なトイレが新設されていて、明らかにおかしかった
北野誠氏と竹内義和氏と話した結果、なんとなく裏社会の気配を感じたために、私はこれ以上山の牧場にはかかわらないほうが良いと感じた。
しかし、サイキックTVの影響で山の牧場は広く知られるようになり、面白半分に探そうとする人も増えてしまった。
迂闊にあの場所に近づく人が出ないように、私は最後に自分の体験談をまとめておいたほうが良いだろうと思い、『新耳袋』の第四夜に『山の牧場』の話を載せることにした。
山の牧場の場所
山の牧場は兵庫県朝来市和田山町朝日の堀場という場所にあります。もとは「朝日牧場」という名前で1970年から開業していたそうで、ゼンリンの地図に「朝日牧場」「A牧場」と記されていたこともありました。
生産牧場だったとの説もありますが、地元の人でさえ牧場があったことを知らないといいます。なお、現在Google Mapには上のように「山の牧場」の名前で登録されています。
山の牧場の真相考察① 所有者は裏社会関係者?
「タスケテ」という文字や、わざと人を気味悪がらせるような御札や人形といった小物を見て以降、中山市朗氏は「山の牧場は人を立ち入らせないようにしている」という違和感を覚えていたといいます。
また牛舎の横にある二階建ての建物にはコンクリート壁で覆われた隠し部屋のようなものがあり、この部屋にはベッドが一つ置かれていたそうです。
隠し部屋は「監禁に使われていたのでは?」とも思えるため、山の牧場は裏社会関係者の所有物なのではないかとも考察されています。中山市朗氏も一時期はそのように考えていたようで、「山の牧場は裏社会と間違いなく関係している」と自身のブログにも書いていました。
不審なリムジンを見た後にK君の友人が失踪していることも、ヤクザや暴力団に脅されて逃げたと考えると辻褄があいます。
ところが2005年。中山市朗氏は、建築士や税理士、そして裏社会関係者などを伴って山の牧場の検証に訪れた際に、裏社会関係の線は薄いという結論に至ったそうです。
この時、同行した裏社会関係者から「細い一本道を通ってしか来られないようなこんな場所を、隠れ家や監禁場所に使うバカはいない」と、裏社会の所有物説を否定されたといいます。
言われてみれば確かに、警察にバレた時に逃げ場もない場所を隠れ家に使う裏社会関係者はいないかもしれません。
山の牧場の真相考察② UFOの秘密基地?
2005年に同行した建築士によると、建築物としても山の牧場には不思議かつ違法な点が複数見られたといいます。
・階段がない二階建てというのは設計ミスとしか考えられないが、こんな設計ミスをするプロはいない
・連結していた他の建物があり、そこから二階に入れたのではないか?との指摘もあるだろうが、他の建物の基礎や残置物が残っていないため、もともと「普通の方法では入れない」二階を意図して作っているように見える
・牛舎の屋根を支える鉄骨は12mはある。この資材の搬入経路も不明
・ヘリコプターで資材を運ぶためには法律上の手続きが必要だが、番地もない場所ではその手続さえできない
建築家の目から見ると、山の牧場を建てることは法律上不可能なのだといいます。
またたしかに山の牧場は、利便性をまったく考えない構造になっています。
前述のように北野誠氏が訪れた際には突然トイレができていたものの小便器ばかり並んでいたり、2008年には突然ステンレスのキッチンが現れたのですが、なぜかキッチンの真横にバスタブが設置されていたりと奇妙な箇所が多く、まるで「人間の暮らしを知識でだけ知っている何者かが、人間の家を真似をしてつくった施設」のようにも見えるのです。
また、数年おきにおこなわれている謎の増改築も不審です。中山市朗氏や北野誠氏、映画監督の清水崇氏らが著名人が訪れて「ここが不自然だ」と指摘すると、そこをごまかすように数年以内に増築がおこなわれている印象も受けます。
たとえば、トイレについても北野誠氏が1988年に行った際に「小便器ばっかり並んでいておかしい。個室は3つくらいしかなかった」と指摘していました。しかし、その数年後に中山市朗氏が雑誌の取材で訪れたときにはトイレは様変わりしており、個室が10個以上ずらりと並んだものに変化していたといいます。
これらの不自然な構造や、短いスパンでの増改築から考え、山の牧場は人の手で管理されている施設とは思えない、宇宙人が地下のUFOの秘密基地を隠すためにつくったハリボテのようなものでは?とも考察されています。
山の牧場の真相考察③ 所有者は農事組合法人?
2004年に雑誌『不思議ナックルズ』が山の牧場に関する記事を掲載しました。そのなかで牧場がある土地の登記簿を調べていたので、紹介していきます。
・1943年に村の公有地として初めて登記される
・1969年に個人が購入したのか、私有地に変更
・1970年に「農事組合法人・T」という団体の所有物に変更。なお、この組合は農林漁業金融公庫から融資を受けて、土地を取得している
これ以降は抵当権などがつくことはあっても、土地の所有者は一貫して「農事組合法人・T」となっており、現在も変わっていないものと思われます。
この「農事組合法人・T」はどうもきな臭く、会計検査院がまとめている1970年度の『公共事業関係補助事業の実施および経理が不当と認められるもの』という資料にも名前があがっているといいます。
さらに土地の所有者として登記をしているといってもそれは土地や牛舎についてのみで、二階建ての宿舎のような建物は登記されていません。
『不思議ナックルズ』の記者は「農事組合法人・T」と連絡を取ろうと試みましたが、電話は一切つながらず、事情を聞くことはできなかったそうです。このことから活動はしていない、名義だけの団体の可能性も考えられます。
では、そのような団体がなぜ借金までして土地を買い、山の牧場をつくったのでしょうか?
『不思議ナックルズ』では「多少強引ではあるが、補助金目的の詐欺で作られたハリボテの牧場だったのではないか」と結論づけています。
1970年前後は酪農や農業などの一次産業に関しては補助金や助成金がおりやすく、金融機関からの融資も通りやすかったとの話もあります。
そのため最初から牧畜などするつもりがない者たちが集まって「農事組合法人・T」を結成し、農林漁業金融公庫かた融資を受けてなるべくお金をかけずに山の牧場をつくり、補助金や助成金を詐取して姿をくらませたのではないか?と考察されているのです。
山の牧場の真相考察④ 怪しい話は嘘?和牛ブームの陰で潰れた牧場?
山の牧場はもともと投資用の和牛の繁殖目的でつくられた牧場だったのではないか、それが経営が頓挫して放置されていただけなのに、中山市朗氏や北野誠氏らが面白おかしく脚色して話しただけなのではないか?との説もあります。
たしかにバブル期には和牛預託商法という出資者から飼育や繁殖にかかる費用を募って和牛を育て、育った牛を海外に高く売りに出して配当金を配るという名目の詐欺もありました。
山の牧場が注目された頃、投資目的で和牛を育てるという行為も注目されていたために、資金のある素人が繁殖牧場を始めて一儲けしようと目論み、土建屋に言われるがままに建てたのがあの牧場だったのではないか?というのです。
ただ土建屋の言うなりで建てたにしても、どこから資材を運んだのか、余剰資材はどう山から降ろしたのか、そして現在でも増改築が続いているのはなぜなのか、疑問は残ります。
山の牧場の現在の姿
山の牧場は2022年現在も取り壊されずに存在しており、発見者の中山市朗氏が現地を訪れる様子も動画でアップされています。
上の動画は怪談収集家の田中俊行氏と下駄華緒氏が先輩の中山市朗氏とともに山の牧場を訪れたもので、2022年4月に投稿されました。
「階段がない」と散々言われてきた二階建ての建物は、二階の床を無理矢理くり抜いて鉄製の階段が設置されており、同じく場所がおかしいと言われたステンレス製のキッチンが撤去されていたりと、またしても変化している様子が確認できます。
また上の動画の20分10秒頃に、敷地内に突然現れたクレーターの姿も紹介されているのですが、この山の地盤そのものの安全性が危ぶまれる、怪談とは別の意味での怖さが味わえます。
山の牧場についてのまとめ
今回は中山市朗氏の伝説的な怪談『山の牧場』について、場所や真相考察を含めて紹介しました。
幽霊が出るわけでも、驚かし要素があるわけでもないのに底の知れない不気味さを感じさせることから語り継がれている『山の牧場』の話。山が崩れてきているのを見る限り、取り壊される日も遠くないのではないかと思われるのですが、どうなのでしょうか。
しかし誰が何の目的で建てたのか、そして管理を続けているのか真相を知りたいような、真相不明のまま考察を続けたくなるような不思議な場所ですよね。